日蓮正宗法華講開信寺支部より

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日顕御隠尊猊下追悼文


日顕御隠尊猊下御遷化に際して

9月20日、日顕御隠尊猊下が御遷化されました。
私は、以前、創価学会に居りましたので、周りの学会員から日顕上人への悪口雑言を始終聞かされてまいりました。
しかし、その頃は、創価学会の活動にあまり熱心ではなかった為、なぜ、そんな批判を組織をあげてするのだろうと不思議に思い、その事に対して良い印象はまったく持っていませんでした。
その一方で創価学会は、聖教新聞紙上で日顕上人の悪行というものを並べ立てた記事を次々に掲載し続けており、私も含めて末端の創価学会員は、少なくとも社会の公器であるはずの新聞がきちんと調べて書いているのだから、まったくの出鱈目〔でたらめ〕ということはないはずだと思い、宗門に対しても不審を持ち、決して良い思いはしていなかったのです。
そんな平成26年11月8日に、突然、その聖教新聞紙上に、会則の変更として本門戒壇の御本尊様を受持の対象としないという記事が掲載され、ほんとうにびっくりしました。
今迄、日蓮大聖人を信じていると言いながら、実際には、創価学会を信じ、聖教新聞を信じ、周りの学会員を信じて、御書を開こうともせず、日蓮大聖人が何を教えているかも知らずにいる自分の姿を省みました。
幸い、私のすぐ身近に教学に詳しい人がいて、戒壇の御本尊様こそ、信じるべき対象であり、十界互具、一念三千の原理から、日蓮正宗の猊下の血脈がなければ、題目をいくら私達が唱えたとしても意味がない事を知り、その人達と共に創価学会を辞めて日蓮正宗に戻る事が出来ました。
それから、日顕御隠尊猊下を悪し様に言って来た創価学会に自らも居た事実を心からお詫び申し上げ、いままでの創価学会に言いなりの信心の姿勢を反省しました。
信心していると言っても、ただ惰性で創価学会が指導する短縮勤行、とにかく早口で数をこなすだけの題目を続けて、選挙の度に票集め、出鱈目だらけの聖教新聞の購読、池田名誉会長を褒め称えるだけの座談会などなど、考えて見れば、日蓮大聖人とは、何の関係もないことばかり、この日より、日々、御書を読み、大聖人の説かれる教えとは何かを真剣に思索する日々を送りましたが、その教えの深さに頭を抱え、何か参考になるものは、ないものかとインターネットで探していると日顕御隠尊猊下の本が何冊もアップされている事に気付きました。
さっそく「三大秘法義」「観心本尊抄講話」を購入して、読ませて頂きましたが、日顕御隠尊猊下の仏教に対する見識の深さ、日蓮大聖人への報恩感謝の思いの強さを深く感じさせて頂きました。
平成新編日蓮大聖人御書の発刊の辞に、日顕御隠尊猊下は「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して云々と遺戒置文に定められるごとく、御書の血統骨持こそ宗門人、最大の学解作業である。」と記されています。
日蓮大聖人は、報恩抄に「此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」と書かれ、日寛上人は文段にて「無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る、実にこの大恩を報ずるなり」「法華経とは要の法華経、意の法華経、下種の法華経なり。即ち本門の本尊の御事なり」と釈されておられます。
今にして思えば、創価学会も第二代戸田会長の時代には、真剣に御書を拝読して、常に教学に折伏にと頑張っていました。そしてその結果として御本尊様に多くの信じられないような功徳をいただく事ができ、たくさんの体験談が語られて来たのです。
今の創価学会には、そんなものは、まったくありません。せいぜい、人を貶めるだけの悪口を言って、たいした功徳もなく、御書と言えば、機関誌に乗っている文章を思い出すだけなのです。
行学なくんば、信無きなりの教えの通り、これからも、日蓮大聖人、そして日顕上人へ、この大恩を報じ、感謝申し上げてまいります。


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