日蓮正宗法華講開信寺支部より

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御書研鑚の集い いままでの内容


第1回「日妙聖人御書」

御書603頁
別名「楽法梵志書」「日妙抄」

御述作 文永九年(西暦1272年)五月二十五日
聖寿  五十一歳御作
所在  佐渡の一谷(いちのさわ)
御真蹟 断片のみが散在しています。
対告衆 日妙聖人(鎌倉在住の女性信徒であり、乙御前(おとごぜ)の母)

まず、楽法梵志、釈迦菩薩、雪山童子、薬王菩薩、不軽菩薩など過去に仏法を真剣に求めて来られた修行者の事を述べられて、修行の内容は、時によることを教えられています。
また、それらが、みな男性であったと言われています。
女性が仏法を求めて千里の道を経て、大聖人様の居られる佐渡へ来られる事など、考えられない事だと驚かれています。
末法に於いては、法華経こそ真実であり、鎌倉より佐渡まで末法の御本仏、日蓮大聖人を求めて来られることこそ時に適った修行であると、この女性を最大限に称えられて日妙聖人と名づけられています。
数多い日蓮大聖人の弟子の中で聖人と言われているのは、この女性だけなのです。

4月1日(日)参加人数3人

第2回「草木成仏口決」

御書522頁

御述作 文永九年(西暦1272年)二月二十日
聖寿  五十一歳御作
所在  佐渡の塚原
対告衆 最蓮房日浄

天台宗の僧侶であった最蓮房日浄がおそらく草木成仏について質問され、それに対して御答えされたものです。
その中で草木成仏とは、非情の成仏であり、大御本尊(法華経)によって成仏すると言われ、その証文に「妙法蓮華経」をあげられています。
非情の成仏とは、死の成仏であり、衆生が死ぬ時に塔婆を立て開眼供養するのは、死の成仏であり草木成仏であると言われています。
そして最後に一念三千の法門をふりそそぎ、たてたるは、大御本尊(大曼荼羅)なりと結ばれています。

4月15日(日)参加人数2人

第3回「如説修行抄」

御書670頁
別名「随身不離抄」

御述作 文永十年(西暦1273年)五月
聖寿  五十二歳御作
所在  佐渡の一谷(いちのさわ)
御真蹟 現存しませんが、大夫阿闍梨日尊の写本が残っています。
対告衆 人々御中へ
 
末法においては、法華経を信じる者に大難が起こる事は、間違いなく、大聖人が流罪に及んでも少しも驚く事ではないと言われています。
しかしながら如説修行の行者は、現世安穏とあるではないかとの問いに最終的には、天下万民が一仏乗となって題目を唱えるようになり、現世安穏の世の中に成るのだと言われています。
それでは、如説修行の行者とは、どのように信じる者を言うのかとの問いに法華経を信じる人を如説修行の行者と言うと言われ、折伏こそ時にかなうものであると言われています。
そして日蓮大聖人の弟子こそ如説修行の行者であって、どのような苦難に会おうとも大御本尊をたもち続けていけば臨終に於いても必ず寂光の宝刹(ほうせつ)へと送り届けられると結ばれています。

4月21日(土)参加人数4人

第4回「佐渡御書」 

御書578頁
別名「日蓮弟子檀那等御中」

御述作 文永九年(西暦1272年)三月二十日
聖寿  五十一歳御作
対告衆 日蓮弟子檀那等御中

世間の浅き事には、身命を失うのに仏法には、誰も命を捨てる事がないので仏に成る者はいないとまず言われています。
そして末法に於いては、折伏こそ時にかなったものであり、このような王難に会う事は、すでに日蓮大聖人は、わかっていた事だと言われています。
さらに、このように大聖人に難を与えた鎌倉の為政者達よりも、大聖人の弟子でありながら、我賢しと大聖人を信ぜず軽んじた者達の罪の方がかえって大きい事を示されて終わられています。

5月5日(土)参加人数3人

第5回「諸法実相抄」

御書664頁

御述作 文永十年(西暦1273年)五月十七日
聖寿  五十二歳御作
所在  佐渡の一谷(いちのさわ)
御真蹟 現存していません。
対告衆 最蓮房日浄

諸法実相とは、まず何かを問われ、すべての法の当体の姿が妙法蓮華経の当体であると言う事を諸法実相であると言われています。
さらに末法において法体の妙法蓮華経を広める人もなく、宝塔の中に二仏並坐の儀式を作り顕す者もいないと言われ、妙法蓮華経こそ本仏なのであると言われています。
そして日蓮大聖人こそ末法における法華経の行者であるとし、釈迦仏や諸天がまず日蓮大聖人を褒め称えなければならないと言われています。
そして広宣流布の時には、日本国一同に題目を唱える事は間違いないと言われています。
さらに釈迦多宝の二仏が衆生を仏に成さんと話し合っている場所に大聖人も居たであろうと言われて一閻浮提第一の御本尊を信じて行学に励み人へも教化していきなさいと結ばれています。

5月13日(日)参加人数3人

第6回「御義口伝 南無妙法蓮華経」

御書1719頁

御述作 弘安元年1月1日
聖寿  五十七歳御作

御義口伝に云はく、南無とは梵語(ぼんご)なり、此(ここ)には帰命と云ふ。帰命に人法之(これ)有り。 人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり。 又云はく、帰とは迹門不変真如の理に帰するなり、命とは本門随縁(ずいえん)真如の智に帰するなり。 帰命とは南無妙法蓮華経是なり。 釈して云はく、随縁と不変と一念の寂照(じゃくしょう)なり。 又云はく、帰とは我等が色法なり、命とは我等が心法なり。 色心不二なるを一極(ごく)と云ふなり。 釈籤(しゃくせん)に云はく「一極に帰せしむ、故に仏乗と云ふ」と。 又云はく、南無妙法蓮華経の南無とは梵語、妙法蓮華経は漢語なり。 梵漢共時(ぼんかんぐじ)に南無妙法蓮華経と云ふなり。 又云はく、梵語には薩達磨(さだるま)芬陀梨伽(ふんだりか)蘇多覧(そたらん)と云ひ、此には妙法蓮華経と云ふなり。 薩(さ)とは妙なり、達磨とは法なり、芬陀梨伽とは蓮華なり、蘇多覧とは経なり。 九字は九尊の仏体なり。 九界即仏界の表示なり。 妙とは法性なり、法とは無明なり。 無明法性一体なるを妙法と云ふなり。 蓮華とは因果の二法なり。 是又因果一体なり。経とは一切衆生の言語音声を経と云ふなり。 釈に云はく「声仏事を為す、之を称して経と為す」と。 或は三世常恒(じょうごう)なるを経と云ふなり。 法界は妙法なり、法界は蓮華なり、法界は経なり。 蓮華とは八葉(よう)九尊(そん)の仏体なり。能(よ)く能く之を思ふべし。

以上、南無妙法蓮華経の意味について研鑚しました。

5月26日(土)参加人数3人

第7回「十如是事」

御書104頁

御述作 正嘉二年(西暦1258年)
聖寿  三十七歳御作

日蓮大聖人が三身即一の本覚の如来である事を法華経は説いているとあって、それが十如是であるとまず言われています。
それを知る人を法華経を悟れる人というのであり、仏教と言っても只一つの三諦の法であって三諦より外には法門はないと言われているのです。
また、是をどこか余所にあると思う者を衆生と言い、是を我が身の上と知る者を如来と云うと言われています。
そして上中下の三根の違いは、あっても最終的には、それを悟って同じく一生成仏出来ると言われています。
さらに妙法蓮華経とは、経の名前ではなく、我が身の体であると知りなさい。そうであるならば、やがて我が身即三身即一の本覚の如来であることがわかると言われています。また是を信じて一遍でも南無妙法蓮華経と唱えれば法華経を覚ったことになり、このように信じる人を如説修行の人と言うのですと結ばれています。

5月27日(日)参加人数3人

第8回「白米一俵御書」

御書1544頁
別名「事理供養御書」

御述作 弘安三年(西暦1280年)
聖寿  五十九歳御作
所在  身延
御真蹟 総本山大石寺

文永十一年三月に幕府より赦免状が出て日蓮大聖人は、二年半ぶりに鎌倉へ戻られました。そして4月8日、佐渡流罪の張本人である平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)は、大聖人に打って変わって礼をつくし、鎌倉幕府に協力すれば、領地や堂宇の寄進をすると懐柔したのです。これに対して大聖人は、毅然と頼綱の申し出を断り、ただ正法を受持すべきことを説かれました。しかし、平左衛門尉は、大聖人の謗法厳戒の言葉に耳を傾けようとはしなかったのです。その後、大聖人は、令法久住(りょうぼうくじゅう)の為に身延に入られ、その身延で本抄を顕されました。本抄では、供養された白米について「法華経はしからず、月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此れをもつてしろしめせ、白米は白米にはあらず、すなはち命なり。」と言われています。それは、白米を大聖人に供養をするという事は、そのまま命を供養する事であると言われているのです。

6月2日(土)参加人数4人

第9回「日興遺誡置文」

御書1883頁

夫(それ)以(おもんみ)れば末法弘通の慧日は、極悪謗法の闇を照らし、久遠寿量の妙風は伽耶(がや)始成(しじょう)の権門を吹き払ふ。於戯(ああ)仏法に値(あ)ふこと希(まれ)にして、喩(たとえ)へを曇華(どんげ)の萼(はなぶさ)に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足(た)らざる者か。爰(ここ)に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇ひ奉ることを得(う)、随って後学の為に条目を筆端に染むる事、偏(ひとえ)に広宣流布の金言を仰がんが為なり。

この日興遺誡置文の中に「御書を心肝に染め極理を師伝して」とあるように、どこまでも御書根本、戒壇の大御本尊根本に信心を続けることこそが日蓮正宗の基本であり、私達、法華講員が守るべき規範であることを学びました。そして、その戒壇の大御本尊を受持の対象にしないなどという創価学会が、この日興遺誡置文を利用して、こともあろうに日顕猊下を悪し様に罵(ののし)るなど、まさに悩乱の極みであり、そのような者を放置して折伏しない者は、この日興遺誡置文に照らして、日蓮大聖人の弟子でもなければ信者でもないことを御互いに確認し合いました。

6月9日(土)参加人数3人
6月10日(日)参加人数4人

第10回「草木成仏口決」

御書522頁

御述作 文永九年(西暦1272年)二月二十日
聖寿  五十一歳御作
所在  佐渡の塚原
対告衆 最蓮房日浄

リクエストに応えてもう一度、「草木成仏口決」を研鑚しました。文中に「草にも木にも成る仏なり」とあり、これは草木にも成る「寿量品の釈尊」という意味であると言われています。それが「如来秘密神通之力」であり、法界はすべて「釈迦如来の御身」であることを述べられています。
これに対し、日寛上人は、「観心本尊抄文段」に「亦復当に知るべし、若(も)し草木成仏の両義を暁(あきら)むれば、則ち今(いま)安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏(みほとけ)なり。謹んで文字及び木画と謂おもうこと勿なかれ」と御教示されています。
つまりは、戒壇の大御本尊は、即ち、そのまま生身の日蓮大聖人であると言う事なのです。

6月16日(土)参加人数4人

第11回「百六箇抄」

新編御書1702頁

御述作 弘安三年(西暦1280年)
聖寿  五十九歳御作
対告衆 日興上人

六道輪廻、九界の衆生、十界、そして下種について学びました。その中で百六箇抄についても研鑚しました。末法に於いて衆生に仏種を下種出来る御本尊様は、弘安二年の戒壇の大御本尊以外に絶対になく、それを御本仏日蓮大聖人より相伝されたのは、日興上人以外におられないのです。そしてそれを代々受け継がれて来たのが日蓮正宗であり、代々の猊下なのです。よって大石寺の御法主上人猊下より本門戒壇の御本尊様を書写された御本尊に猊下と共に題目を唱える以外に我々九界の衆生が仏性を顕すという事は有り得ません。創価学会のように全ての民衆に仏性があるなどと言うのは、血脈を知らない者の言う戯言なのです。そうであればこそ創価学会は、百六箇抄を偽書と言い出しているのです。それを徹底的に折伏し、日蓮正宗の正しさを訴えて行きましょう。

6月24日(日)参加人数4人

第12回「三車火宅の譬」

大白牛車御消息
新編御書1582頁

御述作 弘安四年(西暦1281年)
聖寿  六〇歳

「三車火宅の譬」とは、法華経譬喩品(ひゆほん)にある譬え。火宅とは、三界(欲界、色界、無色界)の事で六道輪廻を繰り返している苦悩の娑婆世界。
三車とは、羊の車(声聞)、鹿の車(縁覚)、牛の車(菩薩)の三乗を示しています。
この三乗を示して火宅から衆生を外に誘い出して、その後に一仏乗である大白牛車を与える。
この譬えによって方便の教えと真実の教え(法華経)との関係を明らかにしています。
そして一仏乗の大白牛車とは、三大秘法の大御本尊の事なのです。
御書には、大白牛車御消息にこの大白牛車のことが詳しく述べられています。

7月8日(日)参加人数4人

第13回「月水御書」

新編御書300頁
別名「大学抄」

御述作 文永元年(西暦1264年)四月
聖寿  四十三歳
対告衆 大学三郎妻

法華経を毎日一品づつ読んでいると云う女性に対して、それは仏でも知る事が出来ないほどの大きな功徳ではあるが、常には、方便品と寿量品を読めばそれで他の品を読んだ事になると仰せです。
また、身体がきつい時には、ただ題目を唱えるだけでも良いと云われています。
いずれにしても自分勝手な信心ではなく、あくまでも大聖人の言われる通りに信心をしていく事が大事なのです。

7月28日(土)参加人数4人

第14回「三世諸仏総勘文教相廃立」

新編御書1408頁
別名「総勘文抄」

御述作 弘安二年(西暦1279年)
聖寿  五十八歳

まず自行と化他の違いについて書かれています。釈迦牟尼仏の教えの中で方便の教えである権教、十界の中の九法界、夢と現実(うつつ)では夢を化他と言い、釈迦牟尼仏の教えの中の法華経、十界の中の仏界、、夢と現実(うつつ)では現実を自行と言います。 その夢の中に虚事を見ている心性と現実の実事を見ている心性は、同じ我が心であると言われています。
そして九界の衆生は、一念の無明の眠の中に於て生死の夢に溺れて本覚の現実を忘れて夢の中の事に執着して冥(くら)きより冥きに入ると転倒の衆生であると言われて、生死の虚夢を醒して本覚の現実に還る事を即身成仏とも平等大慧とも無分別法とも皆成仏道ともいう只一つの法門であると言われています。

8月1日(水)、2日(木)参加人数2人

第15回「小乗大乗分別抄」

新編御書704頁

御述作 文永十年(西暦1273年)
聖寿  五十二歳
対告衆 富木常忍

教判の三証そして五重の相対について学び、外道と仏教の違い、小乗経と大乗経の違いについて御書で調べました。
「三証」とは、文証、理証、現証のことであり、宗教の正邪を判別するときに必要な原理原則です。
まず文証とは、文書や記録などの証拠のことです。教義や主張がいかなる文献に依っているかを判定の基準とすることです。
この文証について、日蓮大聖人は「法華真言勝劣事」に「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず」(御書307)と仰せになっています。文証もなく、また、その文証が存在してもその文証の意味や背景を知らずに疑うことなく信じてしまえば誤りとなります。更に「聖愚問答抄」には、「経文を手に把(と)らずば用ゐざれとなり。天台大師の云はく『修多羅と合する者は録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず』文。釈の意は経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり。伝教大師の云はく『仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫(なか)れ』文。(中 略)経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云ふ事分明なり」(御書389)と日蓮大聖人は、正法正師の引用文をもって、文証無き主張を信じてはいけないと御指南です。文証でも人師のものは疑い、仏様の説かれる文証を敬い信じていくことが大事です。要するに現代に於いては、日蓮大聖人の御書こそ、文証なのです。
理証とは、文証に書かれている事が道理や筋道が通っていることです。教義が道理にかない適しているかを判定する基準です。
道理については「四条金吾殿御返事」に「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝(か)つ物なり」(御書1179)と仰せのように、文証が存在しても道理に適っていなければ劣り、道理に適った教えが勝れているのであります。「破良観等御書」に「いづれも仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専(もっぱ)ら経文を詮とせん」(御書1078)と御指南のように最終的には、人師、論師の説ではなく仏の経文に依るよう仰せです。また三世の因果を知らない外道(仏教以外)の説ではなく、仏説による三世に渡る道理でなければなりません。「曽谷殿御返事」に「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり。末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢に著(じゃく)して、師をいやしみ、檀那をへつらふなり」(御書1039)と仰せです。末法の邪宗に対して、その心を鋭く見抜かれた大聖人の御指南です。
現証とは、現実の証拠です。教義を実践するにあたり、そこに説かれる内容が現実に証明されるかどうかを判定する基準です。 現証については「三三藏祈雨事」に「日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書874)と御指南のように、如何に文証があり、理証が正しくとも、文証と理証を証明する現証が厳然と存在しなければいけません。現証が存在して信じることが出来るのです。末法に於いては、御本仏、日蓮大聖人の御一生そして現代に於いて日蓮正宗富士大石寺に一閻浮提総与の戒壇が存在する事実がまさに現証そのものなのです。

8月9日(木)参加人数4人

第16回「木絵二像開眼の事」

新編御書636頁
別名「法華骨目肝心抄」

御述作 文永九年(西暦1272年)
聖寿  五十一歳

大聖人は「木絵二像開眼之事」に「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人〔ぬすびと〕が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(御書638頁) と開眼供養をしなければ、主人のいない家に盗人が入り、魂の去った死人に鬼神が入ってしまうと教えられています。このように日蓮大聖人自ら開眼の重要性を示されることからもわかるように御本尊の開眼は、絶対に必要なのです。
その日蓮大聖人の仏法を相伝された唯授一人の御法主上人によって開眼され允可〔いんか〕(許可の事)された御本尊でなければ、成仏は絶対に出来ないのです。ですから御法主上人の允可のない本尊は、まさしく「ニセ本尊」であり、これを拝むことは堕地獄の原因となります。
創価学会の「折伏教典」にも 「三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照して拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである」(同書三四〇頁) と書いてあります。かつて池田会長(当時)は 「日蓮正宗の根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、七百年にわたる伝統法義が厳然〔げんぜん〕とある。この正宗の根本軌道に則〔のっと〕った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢〔きょうまん〕から、その根本軌道を失ってはならない」(広布と人生を語る六-四一頁) と述べていました。まさに今の創価学会が自ら信心の濁りや驕慢から、その根本軌道を失ってしまった姿であることを物語っているのです。
このように法華を心得たる人(御法主上人猊下)による木絵二像(本尊)の開眼こそ絶対に必要なことなのです。

8月11日(木)参加人数5人

第17回「日女御前御返事」

新編御書1387頁
別名「御本尊相貌抄」

御述作 弘安二年(西暦1279年)八月二十三日
聖寿  五十八歳
対告衆 日女御前

本抄にある「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」の「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団」とは、末法の法華経の行者であり、御本仏である日蓮大聖人のことです。さらには、日蓮正宗大石寺にまします三大秘法の御本尊こそ此の御本尊なのです。
創価学会が言うところの「もともと衆生の生命に御本尊が存在する」というのは、禅宗などと同じものであり、「信心の一念があれば、たとえ戒壇の御本尊を拝さなくても題目さえ唱えれば仏界が涌現(ゆげん)する」とは日蓮宗が本尊など何でもよく題目が一番大事だという邪義に通じるものです。
日達上人猊下は、「胸中の肉団に御本尊がましますという言葉を取って、大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もあります。(中略)自分自身が御本尊だなどと考える時は、すでに増上慢に陥(おちい)って地獄の苦を受けるということになる」と仰せです。
現在の学会は、「御本尊は妙法を唱える人自身の胸中に存する」などと異流義を唱え、会員を三大秘法の御本尊抜きの信心へと導いているまったくの新興宗教なのです。

9月1日(土)参加人数5人

第18回「日妙聖人御書」

御書603頁
別名「楽法梵志書」「日妙抄」

御述作 文永九年(西暦1272年)五月二十五日
聖寿  五十一歳御作
所在  佐渡の一谷(いちのさわ)
御真蹟 断片のみが散在しています。
対告衆 日妙聖人(鎌倉在住の女性信徒であり、乙御前(おとごぜ)の母)

鎌倉に居られた女性が幼い娘を連れて佐渡に流された日蓮大聖人に会い来られた事に対して聖人と呼ばれて最大限に誉め称えられた御書です。
過去において多くの聖人、賢人が仏法の為に身命をかけて来たがそれらは、みな男性だったと云われて女性の身で仏法を求めて千里の道を歩かれた事に前代未聞であると云われて驚かれているのです。
このように末法において仏法とは、いかに日蓮大聖人の教えを求めるかが成仏の鍵となるのです。
その為には、大聖人が令法久住の為に我々の為に残された御書に親しみ真摯な態度で学んでいく姿勢が大事なのです。どんなに大聖人を敬っていると云っても、悪しく敬えばまったく意味がありません。
創価学会のように大聖人を敬っていると言いながら、本門戒壇の大御本尊を受持の対象にしないなどと言い、御書をまるで外道の人師、論師が述べるような耳触りの良い人生訓のように扱っているのは、まさに悪しく敬う、いや、まったく敬わずに自己正当化に利用している姿なのです。
大石寺にまします本門戒壇の大御本尊こそ末法の御本仏であり日蓮大聖人なのです。

9月8日(土)参加人数3人

第19回「月水御書」

新編御書300頁
別名「大学抄」

御述作 文永元年(西暦1264年)四月
聖寿  四十三歳
対告衆 大学三郎妻

身体が弱い女性に対して、きつい時には、臥せったままで題目を唱えても良いと御教示されています。また、南無一乗経典と唱えている事にも優しく意味は同じではあるが仏法の先達と同じく南無妙法蓮華経と唱えるように勧められています。
また仏法の中に随方毘尼(ずいほうびに)という法門があって、随方は随方随時とも云い時代や地域の風習や習慣に随うことで、毘尼は梵語のヴィナヤ(Vinaya)で戒律のことです。
これは、大きく仏法に相違しなければ、その時々の風俗や習慣に従うべきであると仏は一つの戒を説かれているのです。これを知らない智者達は、全てを堅苦しく杓子定規に考え強硬な意見を出して、多くの檀那の信仰心を損なうことがあると大聖人は、本抄で云われています。
このように信心に於いて日蓮大聖人の仰せ(御書)に相違していなければ、形式にこだわる必要はまったくないのです。

9月9日(日)参加人数2人

第20回「上野殿母尼御前御返事」

新編御書1507頁

御述作 弘安三年(西暦1280年)十月二十四日
聖寿  五十九歳
御真蹟 小泉久遠寺、北山本門寺、長存寺に断簡が所蔵されている。

富士上野郷の地頭、南条時光の母に与えられた御書です。
その時光の弟がこの年に急逝した事に対し、その四十九日忌に当たり法華経一部、自我偈数度、題目を百千返唱へましたと言われています。
そして、そもそも法華経は、釈迦牟尼仏が説かれた一代聖教の中でも特別であると教えられています。 仏が一切経を説かれた理由は、全て法華経を説く為であって、一切経は、すべて法華経を顕す為の足場であり手段であって法華経が説かれてしまえば、その全てを取り払っていかなくてはならない事が御教示されています。
このような素晴らしい法華経を信じておられた方が釈迦、多宝、十方の諸仏から守られないはずはないと仰せになっています。
我々の人生もまた同じであって、この世のすべては、本門戒壇の大御本尊に巡りあって成仏を遂げる為にあるのですから、日蓮正宗について正しく信心をされている人が急に亡くなったとしても、それに驚き、いたずらに悲嘆にあけくれて御本尊を疑い日蓮正宗から離れてしまっては、まったく意味がありません。
その死にも必ず意味があり、日蓮正宗の御僧侶によって弔われた者は、御本尊様によって必ず成仏することは間違いないのです。

9月9日(日)参加人数4人

第21回「日妙聖人御書」

御書603頁
別名「楽法梵志書」「日妙抄」

御述作 文永九年(西暦1272年)五月二十五日
聖寿  五十一歳御作
所在  佐渡の一谷(いちのさわ)
御真蹟 断片のみが散在しています。
対告衆 日妙聖人(鎌倉在住の女性信徒であり、乙御前(おとごぜ)の母)

国王の子供と生まれても不孝の者であれば捨てられてただの人となる。
また、普通の民であったとしても孝行の心が深ければ、その王に仕えて後を継ぎ王の位に着く者もいる。それと同じように凡夫の身であっても忽(たちま)ちにして仏に成る事もある。これを一念三千の肝心であると述べられています。
では、どのようにしてこのような功徳を得る事が出来るのか。
過去の仏法者のように自らの皮を剥ぐべきか。身を投げるべきか。肘を焼くべきか。
紙があるのに皮を剥いでも仕方がないし、法華経があるのに身を投げる意味はないし、電燈があるのに肘を焼く必要などない。
このように仏法は、時によるのであると云われています。
また多くの仏法者が法を求めて苦難の道を進んで来たけれどもそれらは、みな男であり、賢人であり聖人であった。
しかし、女性の身でありながら真実の仏法を求めて千里の道を来られた例はないと云われています。
このように大聖人の教えを求める人を実語(真実の仏教)の人と云い、これこそが末法において成仏する方法なのだと教えられているのです。


9月16日(日)参加人数3人

第22回「報恩抄」

御書999頁

御述作 建治二年(西暦1276年)七月二十一日
聖寿  五十五歳御作
所在  身延
対告衆 清澄寺、浄顕房、義浄房

大聖人の故郷、安房国清澄寺の師匠道善房の供養の為に兄弟弟子であった浄顕房、義浄房に送られた御書です。
まず、畜生ですら恩を知るのにましてや人間は、必ず恩に報いなくてはならないと云われています。
また、事実多くの人々が父母、師匠、国恩を報じて来た事を述べられています。
しかし、真実、その大恩に報いようとするのであれば、必ず仏法を習い極め智者とならなければ叶い難いと云われています。
日寛上人は「問う、報恩の要術とはその意如何」との問いに対して「答う、不惜身命を名づけて要術と為す。謂く身命を惜しまずして邪法を退治し、正法を弘通する則ち一切の恩として報ぜざるなき故なり」と答えられています。
仏法を究め智者となって邪法を退治し正法を弘通する事こそ一切の恩を報じる方法なのです。


9月22日(土)参加人数4人

第23回「三世諸仏総勘文教相廃立」

新編御書1408頁
別名「総勘文抄」

御述作 弘安二年(西暦1279年)
聖寿  五十八歳

質問があったのでふたたび、三世諸仏総勘文教相廃立です。
この御書は、弘安二年の御述作と言う事でもわかるように本門戒壇の御本尊様を顕された丁度その時のものです。
従って御本尊様の事が書かれているのです。
三如是の本覚の如来は、十方法界を身体(如是体)となし、心性(如是性)となし、相好(如是相)となすのです。
その三因仏性(三如是)も善知識の縁に会わなければ悟る事も知る事も顕れる事もありません。
この善知識の縁こそ一大事因縁である本門戒壇の大御本尊に縁する事なのです。


9月23日(日)参加人数3人

第24回「四条金吾殿女房御返事」

新編御書756頁
別名「夫婦同心御書」

御述作 文永十二年(西暦1275年)一月二十七日
聖寿  五十四歳
所在  身延
対告衆 四条金吾殿の妻・ 日眼女(にちげんにょ)
御真蹟 断片が京都府宮津の妙円寺(日蓮宗)他五カ所に散在

まず真言宗が邪宗である事を述べられて、法華経を持(たも)つ人(日蓮大聖人)こそ一切衆生の主であると仏は云われているとされています。
また、この経文を昼夜に読めば法華経の行者(日眼女)であるとも言われています。
そして女性は、或る経には、地獄の使者とも大蛇とも曲った木とも仏種を焦(い)る者とも書かれているが、法華経においては、女人こそ男性よりも優れていると説かれていると紹介されています。
さらに女性の厄年にあたる日眼女に対して同名神、同生神があなたのすべてを天に報告していることを述べられて、御主人(四条金吾)は、日本に肩を並べる者がいない法華経の信者であり、また、あなたも日本第一の女人であるので、厄は転じて幸いとなると御教示されています。
創価学会は、戸田第二代会長の言葉を偽り、「創価学会仏」などと言う奇妙奇天烈な言葉を作り上げて狂乱の自己陶酔に陥っていますが、そもそも末法において日蓮大聖人以外の仏など存在するわけがないのであります。
そんな事もわからずに、やれ広宣流布がどうの御書がどうのと言う学会員がいかに多い事か。
チコちゃんならずともボーッと生きてんじゃねえよと言いたくなります。


9月29日(土)参加人数5人

第25回「当体義抄」

新編御書692頁

御述作 文永十年(西暦1273年)
聖寿  五十二歳
所在  佐渡
対告衆 最蓮房

まず妙法蓮華経の体とは何であるかについて、十界の依正がその体であると答えられています。それでは、一切衆生も妙法の全体と云う事になるのかとの問いにも、もちろん、そうであると答えられています。
さらに九界の業因業果もすべて妙法の体であるのかと云う問いに対して、染浄(ぜんじょう)の二法があると答えられています。同じガラス玉でも使い方によっては、火を起こしたり、水滴をつけたりするように、悪縁にあえば迷いとなり、善縁にあえば悟りとなるのであると言われて、一切衆生が妙法の全体であるとは言っても、すべては、縁に依るのであると御教示されています。
そして一切衆生が皆ことごとく妙法蓮華経の当体であるならば、我等のような末法の凡夫も妙法の当体と言えるのかとの問いに対して、実教である法華経をぼうとくする権教を信じる者は、そうではないと断られています。つまり末法においては、本門戒壇の大御本尊を信じる日蓮正宗の法華講の人々こそ妙法蓮華経の当体であると言われているのです。
このように現在の創価学会のように本門戒壇の大御本尊を信じず、自らの己心の中に御本尊があるなどという増上慢こそ、悪縁であり、その主張そのものが大謗法となるのです。


9月30日(日)参加人数3人

第26回「産湯相承事」

新編御書1708頁
御述作 弘安五年頃(西暦1282年)
聖寿  六十一歳
所在  身延
対告衆 日興上人

まず、日蓮大聖人の御一生を勉強しました。
日蓮大聖人は、安房の国(千葉県房総半島)に生まれ、幼名を善日麿と言われました。
その後、仏門に入られて清澄寺で出家されます。
そして、なぜ仏(釈迦牟尼仏)一人の口から出た仏教がこのように多くの宗派に分かれているのかを疑問に思い、虚空蔵菩薩にその答えを知る為に日本一の智者にしたまえと願をかけられます。
その後に諸国を巡られて、修行を積み、一切経を読まれて、法華経こそ釈迦牟尼仏の究極の教えであることを悟られます。
そして清澄寺に帰って来られて「南無妙法蓮華経」と唱えらえて、当時、流行っていた念仏、真言、律、禅をことごとく喝破されて、その為にこの寺を追われてしまいます。
その後、法華経の故に何度も命を狙われ、伊豆の伊東に流され、また、竜の口の法難で首を斬られようとしました。
その時に火の玉が空から飛んで来て、大聖人を捕えた者どもが怯え逃げ去って、結局、首を斬られる事はありませんでした。
幕府は、その大聖人の処分に困り極寒の佐渡に流罪し墓場に捨て去ります。
その極寒の地で大聖人は、自らが末法の御本仏であると確信され、「開目抄」「観心本尊抄」などを顕されるのです。
御書を読む上では、この竜の口の法難(発迹顕本〔ほっしゃくけんぽん〕)の前の佐渡以前(佐前)と佐渡以後(佐後)を知る事が非常に大事とされています。
その後、赦免されて鎌倉に戻られた日蓮大聖人を幕府は、平身低頭で迎え、臆面もなく幕府の庇護を条件に大聖人が予言された蒙古来襲の時期を教えてくれなどと迫ります。しかし、大聖人は、謗法をそのままにして、いくら大聖人を取り立てても、何にもならない事を諭され、山奥の身延に引き込まれます。
この後は、日興上人を初めとして弟子の育成と令法久住〔りょうぼうくじゅう〕(法華経見宝塔品の文で「法をして久しく住せしめん」と読みます。未来にわたって永遠に妙法が伝わるようにすること)の為に御書を書き続けられます。この時期に日蓮大聖人の口伝を日興上人が書き留められたものがこの「産湯相承事」です。
ここでは、日蓮大聖人の名前が前述の「善日麿」から「是聖房蓮長〔ぜしょうぼうれんちょう)」そして「日蓮」と変わった事を示され、この名には、重要な意味があると御教示されています。つまりは、日蓮大聖人が末法の御本仏として生まれられた事を示していると述べられているのです。
このように御書を通して末法の御本仏として日蓮大聖人が御一生をおくられた事を学べば、私達は、同じ末法に大聖人の弟子として生まれ合わせた身の幸運を自覚し、大聖人と同じく自行化他の題目を唱え、また大聖人と同じく折伏をしていかなくてはならないのです。

10月13日(土)参加人数7人

第27回「南無御書」

新編御書1672頁
御述作 不明
所在  京都市妙蓮寺

堂塔つくらず、布施〔ふせ〕まいらせず、唯を〔惜〕しき物は命ばかりなり。これを法華経にまいらせんとをもう。三世の仏は皆凡夫にてをはせし時、命を法華経にまいらせて仏になり給ふ。此の故に一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏の語、此の土(日本)にては帰命と申すなり。帰命と申すは天台釈に云はく「命を以て自ら帰す」等云云。命を法華経にまいらせて仏にはならせ給ふ。

大聖人様は、三世の仏は、すべて三大秘法の大御本尊に命をまいらせて仏になったと仰せです。
我々もまたそうであり、戒壇の大御本尊様に命をまいらせる事によって仏になることが出来るのです。
また、命を法華経にまいらせるとは、日々、御本尊様に勤行をし、また題目を唱える事で、自らの生きている時間を使う事であり、それがそのまま命を供養している姿となるのです。

10月20日(土)参加人数4人

第28回「木絵二像開眼の事」

新編御書636頁
別名「法華骨目肝心抄」

御述作 文永九年(西暦1272年)
聖寿  五十一歳

「法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身、是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。」
このように死者を成仏させ得るのは、「法華を悟れる智者」である末法の御本仏、日蓮大聖人だけであり、またその血脈を継がれた日如猊下だけであり、その弟子である日蓮正宗の御僧侶方だけなのです。
創価学会のように葬儀に「法華を悟れる智者」である御僧侶も呼ばずに友人葬などと言って自分勝手な事を行い、さらには、塔婆など不要と言い放ってしまっては、まさにそれこそ故人をないがしろにする堕地獄の行為となるのです。

11月4日(日)参加人数6人

第29回「乙御前御消息」

新編御書894頁
別名「与日妙書」

御述作 建治元年八月四日(西暦1275年)
聖寿  五十四歳
所在  身延
対告衆 日妙聖人と乙御前

大聖人が佐渡流罪の時に、はるばる鎌倉より幼子(乙御前:おとごぜ)を連れて大聖人をお訪ねして来た日妙に対しての身延の時の御手紙です。
その日妙について大聖人は「日妙聖人御書」に「日本第一の法華経の行者の女人なり。故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云」(御書607頁)と言われて日妙の信心に対して聖人の名を与えて称賛されています。
その日妙聖人に対して日蓮大聖人は、法華経は、女人の為には暗き処では灯火〔ともしび〕となり、海では、船となり、怖ろしい処では、守りとなると言われています。そして古〔いにしえ〕より、心が強ければ、神の守りも強いと言われているように「今一重強盛〔ごうじょう〕に御志〔こころざし〕あるべし」と一段と強いの信心を求められています。
また、一つ船に乗り合わせてしまえば船頭が悪ければ船中の人々も同じように被害をこうむる。日本国も大将が悪ければ壱岐、対馬のように、ある者は、殺され、ある者は、捕らわれ、ある者は、海で溺れ、ある者は、崖から落ちる。今度、蒙古が来れば、京と鎌倉は、ただ壱岐、対馬のようになるであろう。その時は、以前に日蓮大聖人の言う事を無視して来た人々もみんな掌〔たなごころ〕を合わせて法華経を信じ、念仏者や禅宗も南無妙法蓮華経と唱えることであろうと言われています。
また、法華経を持つ人は、一切世間の天人の眼なりと説かれています。日本国の人々が日蓮大聖人をあだむ事は、一切世間の天人の眼をくじる事になり、そうであれば天も怒りをなして日々に天変地夭が重なる事となる。日蓮大聖人の身分が低い事で大聖人が言われる正しい事を捨て去り、まさに国が亡びようとしている。それが悲しく弟子を助ける事が出来ない事を嘆かわしく思っていますと言われ、その時は、一緒に身延の山中で飢え死にしましょうと結ばれています。

11月4日(日)参加人数6人

第30回「三大秘法稟承事」

新編御書1593頁

御述作 弘安五年(西暦1282年)四月八日
聖寿  六十一歳
所在  身延
対告衆 大田五郎左衛門尉乗明

仏教の経文で言いたい事とは、結局なんであるかとの問いに対して教主釈尊が修行した処の「本門の本尊」と「本門の題目」と「本門の戒壇」の三大秘法であると明かされています。
さらにこの三大秘法の体とは、どのようなものであるかとの問いに対して寿量品に説く処の「是好良薬〔ぜこうろうやく〕」と「今留在此〔こんるざいし〕」の「是の好き良薬を今留めて此に在く」の文を引かれています。
また、さらに「此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥〔にわ〕かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾〔けし〕計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。」と仰せになり、日蓮大聖人こそ本門の本尊である事と言われています。
日寛上人は、「是好良薬は即ち是れ本門の本尊なり。今留在此は即ち是れ本門の戒壇なり。如可取服(にょかしゅぶく)は即ち是れ本門の題目なり」(六巻抄九四頁)と言われて寿量品の文底より依義判文〔えぎはんもん〕して読むときは、、この文に三大秘法がそっくりそのまま説き顕されていることを御教示されています。
要するに仏法において「三大秘法」とは、日蓮大聖人が一切衆生の為に御図顕あそばされた本門戒壇の大御本尊なのです。
創価学会などが言うように本尊など何でも良い。御書に三大秘法の言葉はあっても、それが日蓮正宗の大石寺の戒壇の大御本尊であるとは、書いてないなどと言う輩〔やから〕は、開目抄にあるとおり「諸宗は本尊にまどえり」という新興宗教でしかないのです。

11月24日(土)参加人数4人

第31回「十如是事」

新編御書104頁
別名「法華経肝心抄」

御述作 正嘉二年(西暦1258年)
聖寿  三十七歳

最初に「我が身が三身即一の如来でありけることを今の経に説いて云はく」といわれ、いわゆる方便品の「十如是」とは、この事であって、この如是相、如是性、如是体の三如是が応身如来、報身如来、法身如来の三身如来と知ることを法華経を悟れる人と言うのですと御教示されています。
これを他所にあると思う人を衆生とも凡夫とも迷いとも云い、これを我が身の上と知ることを如来とも聖人とも覚りとも言うのです。また上中下の三根はあったとしても等しく即身成仏、一生成仏が出来る事を明かされて、これを信じて一遍も南無妙法蓮華経と申せば、法華経を覚りて如法を一部〔いちぶ〕読んだ事になり、十遍は十部、百遍は、百部、千遍は、千部、如法を読む事になると言われて、このように信じる人を如説修行の人と言うと結ばれています。

11月25日(日)参加人数6人

第32回「南部六郎殿御書」

新編御書463頁
別名「国家謗法之事」
御述作 文永八年(西暦1271年)五月十六日
聖寿  五十歳

日蓮大聖人は、この御書で「謗法を見て、置いて呵責〔かしゃく〕しなければ留難はない。だが我々が一番、畏れなければならないのは、この「置」という文字であると言われています。
それは、もし法を破る者を見て、置いて呵責〔かしゃく〕しなければ、今は何事もなく良いようにあっても、堕地獄は疑いないからなのです。
「若し菩薩有って悪人を将護して治罰すること能はず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊〔はいえ〕せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮〔さぶ〕を現じ常に是の言〔ことば〕を作〔な〕さん、我は忍辱〔にんにく〕を行ずと。其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」とは、この事であると言われているのです。
例え一生懸命に信心をしているようであっても、悪を責めず、そのままにして置いて、正しく信心をしている人々を悩ませ、正しい信仰を破壊していくようであれば、この人は、正しい信心をしているとは言えません。また、そう云う人は、常に周りに良い顔をして、いつも私は、言いたい事を我慢しているだけだと言うのです。
このように、せっかく正しい御本尊様に巡りあって一生懸命に信心をしているようであっても、謗法の創価学会などを放置してそれを責めなければ創価学会員と同じように堕地獄の道を歩む事になってしまうのです。

12月01日(土)参加人数2人

第33回「上野殿御返事」

新編御書1121頁

御述作 建治三年(西暦1277年)五月十五日
聖寿  五十六歳

日蓮大聖人の御在世にも弟子を名乗っていながら、大聖人を裏切った者は、数多く居ました。
その者達は、結局は、欲界の王である第六天の魔王に操られている者達なのです。
「大魔のつきたる者どもは、一人をけうくん〔教訓〕しを〔堕〕としつれば、それをひっかけにして多くの人をせ〔攻〕めを〔落〕とすなり。日蓮が弟子にせう〔少輔〕房と申し、のと〔能登〕房といゐ、なごえ〔名越〕の尼なんど申せし物どもは、よく〔欲〕ふか〔深〕く、心をくびゃう〔臆病〕に、愚癡にして而も智者となのりしやつばら〔奴原〕なりしかば、事のを〔起〕こりし時、たより〔便〕をえ〔得〕ておほ〔多〕くの人をおとせしなり。」
それらの者は、正しい信心をしている者にひとりひとり近づいて教訓を施して、まず、その人を引っかけてから、多くの人を騙して攻め落とすと言われています。また、それらの者の共通点は、いずれも欲深く、臆病で、愚かであるのに智者を名乗ると言われています。
そして何か大きな事があるとこの時とばかりに多くの人を惑わし、正しい信仰から遠ざけようとするのです。
これこそ、第六天の魔王の働きに違いありません。
その時こそ、信心を試されているのだと思って、日蓮大聖人の弟子として覚悟を決めなさいと述べられています。

12月02日(日)参加人数4人

第34回「念仏無間地獄事」

新編御書319頁

御述作 文永元年(西暦1264年)九月
聖寿  四十三歳

最初に念仏が無間地獄に堕ちる理由をふたつあげられています。
一つには、念仏衆の元祖法然上人が法華経を「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」と誹謗しているからです。
法華経には、「若し人信ぜずして乃至其の人命終して阿鼻地獄(無間地獄)に入らん」と説かれているのです。
二つには、念仏などの四十余年の不真実の経々は、真実である法華経を説く為の経であるから、もし、釈迦牟尼仏であったとしても念仏のみ説いて法華経を説かなければ、その仏でさえも無間地獄に堕ちる事になると説明されています
現代に於いても、念仏者は、我々は、法華経を誹謗してはいない。ただ、法華経では、成仏することは難しいと言っているだけだと言いますが、このように厳然と念仏衆の元祖法然上人が選択集〔せんちゃくしゅう〕において法華経を「捨てよ、閉じよ、閣 〔さしお〕 け、抛〔なげう〕て」と誹謗しているのです。
また、念仏者は、念仏こそ、末法の衆生を極楽往生させる唯一の救いだと言っていますが、阿弥陀如来と言っても西方浄土と言っても、すべては法華経を教える為の方便の教えであって、我々、末法の衆生には、全く関係のない話しなのです。
末法に於いては、三大秘法の大御本尊以外に全世界の民衆を救う宗教は、どこにもないのです。

平成31年1月14日(月)参加人数2人

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