日蓮正宗法華講開信寺支部より

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御書研鑚の集い 開目抄 研鑚資料


第8回 開近顕遠を示す

【開目抄 下】
開目抄(御書549頁)

【又今よりこそ諸大菩薩も梵・帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ。】
ここですべての大菩薩も梵天、帝釈、日天、月天、四天なども教主釈尊の弟子であることが定まったのです。

【されば宝塔品には、此等の大菩薩を仏我が御弟子等とをぼすゆへに、諌暁〔かんぎょう〕して云はく】
そうであればこそ、宝塔品には、これらの大菩薩を仏が自分の弟子であると思われたが故に、このように言われたのです。

【「諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後に、誰か能く此の経を護持し読誦〔どくじゅ〕せん、今仏前に於て自ら誓言〔せいごん〕を説け」とは、】
「多くの大衆に告げる。私の滅後に誰が法華経を護持し、読誦しますか。今ここで自ら進み出て誓いを述べなさい。」と、

【したゝかに仰せ下せしか。又諸大菩薩も「譬へば大風の小樹の枝を吹くが如し」等と、】
厳しく仰せられ、また、それにすべての大菩薩たちが「それは、台風が小枝に吹きつけ、なびくようなものです。」と答えたのです。

【吉祥草〔きちじょうそう〕の大風に随ひ、河水の大海へ引くがごとく、仏には随ひまいらせしか。】
草木が大風になびき、河の水が海へ流れ入るように、仏の言葉にしたがったのです。

【而れども霊山〔りょうぜん〕日浅くして夢のごとく、うつゝならずありしに、】
しかし、迹門では、未だに霊鷲山での説法は、日が浅く、夢のように儚い理解で、とても真実とは思えませんでした。

【証前の宝塔の上に起後の宝塔あって、十方の諸仏来集せる、皆我が分身〔ふんじん〕なりとなのらせ給ひ、】
宝塔の中で多宝如来が迹門を証明し、ついで本門を証明する為、宝塔に四方から集まった諸仏を全てこれらは、私の分身であると明かされたのです。

【宝塔は虚空〔こくう〕に、釈迦・多宝座を並べ、日月の青天に並出〔びょうしゅつ〕せるがごとし。】
その宝塔は、虚空に浮かび、釈迦牟尼仏と多宝如来が座席を並べて座り、それは、太陽と月が同時に青天へ並び出でるような荘厳さでした。

【人天大会は星をつらね、分身の諸仏は大地の上、宝樹の下〔もと〕の師子のゆか〔床〕にまします。】
人天の大会に集まった大衆は、星を連ねたように虚空に並び、分身の諸仏は大地に生える宝樹の下の師子の座におられました。

【華厳〔けごん〕経の蓮華蔵世界は、十方此土の報仏、各々に国々にして、彼の界の仏、】
華厳経で現された蓮華蔵世界では、そこは、他受用報身仏の世界であり、それらの十方の世界と娑婆世界は、別々であるとされていました。

【此の土に来たって分身となのらず。此の界の仏、彼の界へゆかず。但、法慧等の大菩薩のみ互ひに来会〔らいえ〕せり。】
この娑婆世界に来ても分身とは名乗らず、またこの娑婆世界の仏が別の世界に行く事もなく、法慧などの大菩薩がお互いに行き来したに過ぎません。

【大日経・金剛頂経等の八葉九尊〔はちようくそん〕・三十七尊等、大日如来の化身とはみゆれども、其の化身、三身円満の古仏にあらず。】
大日経や金剛頂経の胎蔵界曼荼羅や金剛界曼荼羅の仏菩薩も大日如来の化身のように見えますが、その化身も三身円満の古仏ではありません。

【大品経〔だいぼんぎょう〕の千仏、阿弥陀経の六方の諸仏、いまだ来集の仏にあらず。大集経の来集の仏、又分身ならず。】
大品般若経の千仏や阿弥陀経の六方の諸仏も未だに来集した分身仏ではなく、大集経に来集した仏もまた分身ではありません。

【金光明経の四方の四仏は化身なり。総じて一切経の中に、各修各行の三身円満の諸仏を集めて、我が分身とはとかれず。】
金光明経の四方の四仏は化身であり、このようにどの経においても、総じて三身円満の諸仏を集めて分身であると説かれた例はありません。

【これ寿量品の遠序〔おんじょ〕なり。始成四十余年の釈尊、一劫十劫等、已前の諸仏を集めて分身ととかる。】
これは、ようするに宝塔品が寿量品の序文であって、まだ成仏して四十余年の釈迦牟尼仏が一劫、十劫の昔からの仏を自分の分身であると説く事は、

【さすが平等意趣にもにず、をびたゞしくをどろかし、】
さすがに、仏はすべて平等であるとは言っても、まったくもっておかしな話なのです。

【又始成の仏ならば、所化、十方に充満すべからざれば、分身の徳は備はりたりとも示現してえき〔益〕なし。】
またインドで成仏した仏であるならば、その弟子が十方の国土に充満するわけもなく、実際にそこに現れて利益をもたらすわけがありません。

【天台云はく「分身既に多し。当に知るべし成仏久しきことを」等云云。大会〔だいえ〕のをどろきし心をかゝれたり。】
天台は、「分身がすでに多いことを見て成仏の久しいことを知るべきである。」と、この宝塔に集まった大衆の驚きの心を述べられているのです。

【其の上に地涌千界の大菩薩大地より出来せり。釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢〔ふげん〕・文殊〔もんじゅ〕等にもにるべくもなし。】
その上、地涌千界の大菩薩が大地より出来し、その姿は、釈尊第一の弟子である普賢や文殊ですら比較にならないほどの偉大さだったのです。

【華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集せる大菩薩、大日経等の金剛薩■〔こんごうさった〕等の十六の大菩薩なんども、】
華厳、方等、般若、法華経の宝塔品に来集した大菩薩や大日経の金剛薩たなどの十六人の大菩薩なども、

【此の菩薩に対当すれば■猴〔みこう〕の群中に帝釈の来たり給ふがごとし。山人〔やまがつ〕に月卿〔げっけい〕等のまじわれるにことならず。】
この地涌の菩薩に比べると、猿の群がっている中に帝釈天が来たようなもので、あたかも山奥の民の中に朝廷の貴人がいるのと同様であったのです。

【補処〔ふしょ〕の弥勒〔みろく〕すら猶迷惑せり。何〔いか〕に況〔いわ〕んや其の已下をや。】
釈迦牟尼仏の後を継ぐと言われた弥勒ですら、なお地涌の菩薩の出現に驚き、それ以下の者の驚きと当惑は大変なものであったのです。

【此の千世界の大菩薩の中に、四人の大聖まします。所謂〔いわゆる〕、上行・無辺行・浄行・安立行なり。】
この千世界の大菩薩の中に四人の素晴らしい指導者がおり、それぞれ、上行、無辺行、浄行、安立行と言われました。

【此の四人は、虚空霊山〔こくうりょうぜん〕の諸大菩薩等、眼もあはせ心もをよばず。】
この四人には、虚空会および霊山会に来集している多くの菩薩さえ、眼をあわせる事も親しく話しをする事も出来なかったのです。

【華厳経の四菩薩、大日経の四菩薩、金剛頂経の十六大菩薩等も、此の菩薩に対すれば翳眼〔えいげん〕のものゝ日輪を見るがごとく、】
華厳経の四菩薩、大日経の四菩薩、金剛頂経の十六大菩薩なども、この菩薩に対すれば、普通の者が太陽をまともに見られないように

【海人〔あま〕が皇帝に向かひ奉るがごとし。】
卑しい者が皇帝に会うような状態でした。

【太公等の四聖の衆中にありしににたり。商山の四皓〔しこう〕が恵帝〔けいてい〕に仕へしにことならず。】
大公望などの四人の聖人が大衆の中にいるように、商山の四皓と呼ばれる四人の優れた仙人が恵帝に仕えたのと異ならない出来事だったのです。

【巍々〔ぎぎ〕堂々として尊高なり。釈迦・多宝・十方の分身を除いては、一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし。】
それらが実に堂々として尊貴であったので、釈迦、多宝、十方の分身の諸仏以外は、すべての衆生が善知識として敬ったのでした。

【弥勒菩薩、心に念言すらく、】
そこで弥勒菩薩は心の中ではつぎのように思いました。

【我は仏の太子の御時より三十成道、今の霊山まで四十二年が間、此の界の菩薩・十方世界より来集せし諸大菩薩、皆し〔知〕りたり。】
私は、釈迦牟尼仏が太子であった時から、三十で成道し、現在のこの霊鷲山までの四十二年間、この娑婆世界の菩薩も十方の菩薩もすべて知っている。

【又十方の浄・穢土〔えど〕に或は御使ひ、或は我と遊戯〔ゆうげ〕して、其の国々に大菩薩を見聞せり。】
また、その上に十方の浄土や穢土へも仏の使いとして行き、自らも遊びに行って、その国々の大菩薩もすべて知っているのです。

【此の大菩薩の御師なんどは、いかなる仏にてやあるらん。よも此の釈迦・多宝・十方の分身の仏陀には、にるべくもなき仏にてこそをはすらめ。】
しかし、この地涌の菩薩を知らず、おそらくは、釈迦、多宝、十方の分身の諸仏とは、比較にならないほどの優れた仏が師である事でしょう。

【雨の猛〔たけ〕きを見て竜の大なる事をしり、華の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし。】
雨の猛烈に振るのを見て雲の大きさを知り、花が盛んなのを見て池の深い事がわかるものなのです。

【此等の大菩薩の来たる国、又誰と申す仏にあいたてまつり、いかなる大法をか習修し給ふらんと疑ひし、】
これらの大菩薩はいかなる国から来て、またいかなる仏に会い、いかなる大法を修行しているのかと大きな疑問を抱いたのです。

【あまりの不審〔いぶかし〕さに音〔こえ〕をもいだすべくもなけれども、仏力にやありけん。弥勒菩薩疑って云はく】
あまりの不思議さに、声すら出なかったのですが、仏の力によって弥勒菩薩は、次のように質問したのです。

【「無量千万億の大衆の諸の菩薩は、昔より未だ曾て見ざる所なり。是の諸の大威徳の精進の菩薩衆は、誰か其の為に法を説いて教化して成就せる。】
「この地涌の菩薩は、未だ見た事がない方々であり、どのような仏がどのような法を説いて教化し、このような大威徳の姿になったのでしょうか。

【誰に従ってか初めて発心し、何れの仏法をか称揚〔しょうよう〕せる。世尊、我昔より来〔このかた〕、未だ曾て是の事を見ず。】
誰によって発心し、どのような仏法を弘めようとしているのか、私たちは、これまで、このような大菩薩の姿を見たことがありません。

【願はくは其の所従の国土の名号を説きたまへ。我常に諸国に遊べども、未だ曾て是の事を見ず。】
私は、常に諸国に巡って来ましたが、未だかつてこの大菩薩を見た事がありませんので、願わくば、その仏の国土の名を教えて下さいませんか。

【我此の衆の中に於て、乃〔いま〕し一人をも識〔し〕らず。忽然〔こつねん〕に地より出でたり。願はくは其の因縁を説きたまへ」等云云。】
私は、大衆の中でこの大菩薩を誰一人知らず、突然、大地より涌き出て来られたので、その理由を教えてください。」と尋ねられたのです。

【天台云はく「寂場〔じゃくじょう〕より已降〔このかた〕、今座より已往〔まえ〕、十方の大士来会絶えず。】
天台大師は、「寂滅道場における最初の説法より以来、法華経の集会に至るまで、十方の大菩薩が絶えず来られました。

【限るべからずと雖も我補処〔ふしょ〕の智力を以て悉く見、悉く知る。而れども此の衆に於て一人をも識〔し〕らず。】
その数は限りないとはいえ、私は、記憶力が優れているので、そのことごとくを覚えていますが、それでもこの大衆は、ひとりも知らないのです。

【然るに我十方に遊戯〔ゆうげ〕して諸仏に覲奉〔ごんぶ〕し大衆に快く識知せらる」等云云。】
私は、十方を巡って諸仏に仕えて、そこにいる大衆をすべて知っているのにです。」と言われています。

【妙楽云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。経釈の心分明なり。】
妙楽大師は「智人は将来何が起こるかを知り、蛇は、蛇が通るべき道を自ら知っている。」と言われ、これを解釈するとその意味は明確であるのです。

【詮ずるところは初成道よりこのかた、此土十方にて此等の菩薩を見たてまつらず、きかずと申すなり。】
要するに初成道より法華の集会に至るまでの間、この娑婆世界にも十方の国土においても、これらの大菩薩を見聞きしたことがないという事なのです。

【仏、此の疑ひに答へて云はく】
釈迦牟尼仏は、弥勒菩薩の質問に答えて言われました。

【「阿逸多〔あいった〕、汝等〔なんだち〕昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を得已はって、】
「弥勒よ。あなたが昔より未だ見た事がない、これらの大菩薩たちは、私がこの娑婆世界において成仏してよりこのかた、

【是の諸の菩薩を教化し示導し、その心を調伏して、道意を発〔お〕こさしめたり」等。】
ずっと指導し、その心を変えさせて仏法を学ぼうと思わせたのである。」と。

【又云はく「我伽耶城〔がやじょう〕菩提樹下に於て、坐して最正覚を成ずることを得て、】
また「私は、伽耶城の菩提樹の下に座って、最も正しい法を思い出し、

【無上の法輪を転じ、爾〔しか〕して乃〔すなわ〕ち之を教化して、初めて道心を発こさしむ。今〔いま〕皆〔みな〕不退に住せり。】
その事を多くの法に展開して、これらの大菩薩を教化して、初めて仏法に目覚めさせ、今は、みんな自ら学ぶようになったのです。

【乃至、我久遠より来〔このかた〕是等の衆を教化せり」等云云。】
さらに私は、久遠の過去より、これらの大衆を教化して来たのです。」と涌出品に略開近顕遠を説かれているのです。

【此に弥勒〔みろく〕等の大菩薩、大いに疑ひをもう。華厳経の時、法慧等の無量の大菩薩あつまる。】
ここで弥勒などの大菩薩は、大いに疑問を持ち、華厳経の時には、法慧などの無量の大菩薩が集まった。

【いかなる人々なるらんとをもへば、我が善知識なりとをほ〔仰〕せられしかば、さもやとうちをもひき。】
どのような人々かと思った時に釈迦牟尼仏は、善知識であると言われたので、みんなそうであるのに違いないと思っていました。

【其の後の大宝坊、白鷺池〔びゃくろじ〕等の来会〔らいえ〕の大菩薩も、しかのごとし。】
その後、大集経を説いた大宝坊や、大品般若経を説いた白鷺池などに集まって来た大菩薩も、また仏は、同じ善知識であるように言われた。

【此の大菩薩は、彼等にはにるべくもなきふりたりげにまします。】
しかし、この地涌の菩薩たちは、これらには、比べるべくもない素晴らしい姿に見えるではないですか。

【定めて釈尊の御師匠かなんどをぼしきを「令初発道心〔りょうしょほつどうしん〕」とて幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせりなんど】
釈迦牟尼仏の師かと思ったほどなのに「初めて道心をおこさしめた」とか、かつては幼稚の者であったとか、教化して弟子としたなどと、

【をほせあれば大いなる疑ひなるべし。】
言われても、まったく信じる事が出来ずに大きな疑問が残ったのでした。

【日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子なり。】
日本の聖徳太子は、人王の第三十二代、用明天皇の子供です。

【御年六歳の時、百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを、六歳の太子、我が弟子なりとをほせありしかば、】
六歳の時に、朝鮮半島や中国大陸から渡って来た優れた知識、技術を持った老人たちを指して、私の弟子であると言われたのです。

【彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云。不思議なりし事なり。】
この老人たちは、六歳の聖徳太子に合掌して、私の師であるといったと言うが、実に不思議な事です。

【外典に申す、或者〔ひと〕道をゆけば、路のほとりに年三十計りなるわかものが、八十計りなる老人をとらへて打ちけり。】
外典には、次のような話がありますが、ある人が道を行くと三十歳ばかりの若者が八十歳ばかりの老人を叩いていた。

【いかなる事ぞとと〔問〕えば、此の老翁〔ろうおう〕は我が子なりなんど申すとかたるにもにたり。】
どうしたのかと問うと、この老人は私の子供であると青年が答えたという話にも似ています。

【されば弥勒菩薩等疑って云はく「世尊、如来太子たりし時、釈の宮を出でて伽耶城〔がやじょう〕を去ること遠からず、】
そうであれば弥勒菩薩などは、疑って「釈迦牟尼仏は、王子であった時に宮殿を出で、その伽耶城の近くである、

【道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまへり。是より已来〔このかた〕、始めて四十余年を過ぎたり。】
道場に座って悟りを開かれたのです。それより、これまで四十余年を過ぎたのですが、

【世尊、云何〔いかん〕ぞ此の少時に於て、大いに仏事を作したまへる」等云云。】
いったい、どうやって、この少ない期間にこのような偉大な菩薩大衆を指導し、大きな成果をあげられたのでしょうか」と尋ねたのでした。

【一切の菩薩、始め華厳経より四十余年、会々〔ええ〕に疑ひをまうけて、一切衆生の疑網をはらす中に、此の疑ひ第一の疑ひなるべし。】
すべての菩薩は、最初の華厳経より四十余年の間、その時々に質問をしてすべての衆生の疑問を晴らして来た中で、この疑問こそ最大のものでした。

【無量義経の大荘厳等の八万の大士、四十余年と今との歴劫〔りゃっこう〕・疾成〔しつじょう〕の疑ひにも超過せり。】
無量義経において、大荘厳菩薩などが行じて来た爾前経の歴劫修行と無量義経で初めて説かれた速疾成仏の時の疑問にもまさる大問題だったのです。

【観無量寿経に、韋提希夫人〔いだいけぶにん〕の子阿闍世王〔あじゃせおう〕、提婆にすかされて、父の王をいましめ〔禁錮〕母を殺さんとせしが、】
観無量寿経において、韋提希夫人の息子の阿闍世王が提婆達多に騙されて、父の頻婆沙羅王を幽閉し、韋提希夫人を殺そうとしましたが

【耆婆〔ぎば〕・月光にをどされて母をはなちたりし時、仏を請じたてまつて、まづ第一の問ひに云はく】
耆婆と月光の二人の大臣に諌められて、仕方なく母を解放しましたが、この時にこの夫人が釈迦牟尼仏に会って、まずこのように質問をしました。

【「我宿〔むかし〕何の罪ありて此の悪子を生む。世尊、復何等の因縁〔いんねん〕有って、提婆達多と共に眷属と為りたまふ」等云云。】
「私は、過去にどんな罪業があって、このような悪子を生み、世尊は、また、どんな因縁によって提婆達多のような悪人と親戚となったのですか」

【此の疑ひの中に「世尊復有何等〔ぶうがとう〕因縁」等の疑ひは大なる大事なり。輪王は敵と共に生まれず。帝釈は鬼とともならず。】
この「世尊はまた何の因縁によって」とは、転輪聖王は、敵と共には生まれず、帝釈は、悪鬼とは共にいないので、まさに最大の難問であるのです。

【仏は無量劫の慈悲者なり。いかに大怨と共にはまします。還って仏にはましまさざるかと疑ふなるべし。】
仏は、遠い過去からの大慈悲の人であるのに、なぜ大悪逆の提婆達多と共にいるのでしょうか、それとも釈迦が仏では、ないのでしょうか。

【而れども仏答へ給わず。されば観経を読誦せん人、法華経の提婆品へ入らずばいたづら〔徒)ごと〔事〕なるべし。】
しかし、その時に釈迦牟尼仏は答えず、観無量寿経で阿闍世王の顛末を読んだ人は、法華経の提婆品に来て初めてその因縁を知る事になるのです。

【大涅槃経に迦葉〔かしょう〕菩薩の三十六の問ひもこれには及ばず。】
大涅槃経に迦葉菩薩が三十六の質問を出していますが、それも涌出品におけるこの弥勒の疑いには及ばないのです。

【されば仏此の疑ひを晴らさせ給はずば、一代の聖教は泡沫〔ほうまつ〕にどう〔同〕じ、一切衆生は疑網にかゝるべし。】
そうであれば、仏がこの疑いを晴らさない限り、一代の聖教は、すべて泡沫となり、すべての衆生は、疑心暗鬼の網にかかって成仏出来ないのです。

【寿量の一品の大切なるこれなり。】
ですから、この疑いに正しく答えられた寿量品が最も大切である理由がここにあるのです。

【其の後、仏、寿量品を説いて云はく「一切世間の天人及び阿修羅〔あしゅら〕は皆、今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて】
その後、仏は、寿量品に「すべての世間の天人および阿修羅は、釈迦牟尼仏が宮殿を出でて

【伽耶城〔がやじょう〕を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと謂〔おも〕へり」等云云。】
その伽耶城の近くの道場に座って悟りを得たと思っている。」と説かれました。

【此の経文は、始め寂滅〔じゃくめつ〕道場より、終はり法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。】
この文章は、最初の寂滅道場より、終わりの法華経の安楽行品、第十四までの、すべての大菩薩たちの考えを述べているのです。

【「然るに善男子、我実に成仏してより已来〔このかた〕、無量無辺百千万億那由佗劫〔なゆたこう〕なり」等云云。】
その後の「しかし、諸君、私は、実に成仏してより以来、無量無辺百千万億那由佗劫なのです。」と説き明かされたのです。

【此の文は、華厳経の三処の「始成正覚」、阿含経に云ふ「初成」浄名経の「始坐仏樹」、】
この文章は、華厳経の三箇所に説いてある「始めて正覚を成じ」の文、阿含経にある「初めて成道す」の文、浄名経の「始め仏樹に坐し」の文、

【大集経に云ふ「始十六年」、大日経の「我昔坐道場」、仁王経の「二十九年」、無量義経の「我先道場」、】
大集経の「始めて十六年」の文、大日経の「われ昔道場に坐して」の文、仁王経の「二十九年」の文、無量義経の「われさきに道場に坐して」の文、

【法華経の方便品に云ふ「我始坐道場」等を、一言に大虚妄〔こもう〕なりとやぶるもん〔文〕なり。】
法華経方便品の「われ始め道場に坐して」などの長い間の説法をわずか一言で大嘘であるとする文章なのです。

【此の過去常顕はるゝ時、諸仏、皆釈尊の分身なり。爾前〔にぜん〕・迹門〔しゃくもん〕の時は、諸仏・釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり。】
このように釈尊の過去が示される時は、諸仏は、釈尊の分身であり、爾前経や法華経の迹門の時には、諸仏は、釈尊と一緒に修業をした仏なのでした。

【かるがゆへに諸仏を本尊とする者、釈尊等を下す。今、華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏、皆釈尊の眷属なり。】
その故に爾前迹門の諸仏を本尊とする者は、釈尊を卑下しており、華厳の台上の仏も方等、般若、大日経の諸仏もすべて釈尊と同等なのでした。

【仏三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆〔しゃば)世界を奪ひ取り給ひき。】
釈尊が三十歳で成道した時に、初めて、それまで大梵天王や第六天など魔王が治めていた娑婆世界を、釈迦牟尼仏が奪い取ったのでした。

【今、爾前〔にぜん〕・迹門〔しゃくもん〕にして、十方を浄土とがうして、此の土を穢土〔えど〕ととかれしを打ちかへして、此の土は本土となり、】
今、爾前迹門では十方の国土を浄土と言い、この国土を穢土であると教えていましたが、寿量品では、ここが仏が常住の国土であると明かしたのです。

【十方の浄土は垂迹〔すいじゃく〕の穢土となる。仏は久遠の仏なれば迹化他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり、】
十方の浄土は、すべて娑婆世界の事であり、寿量品の仏は久遠の本仏であるので迹化の大菩薩も、他方国土の大菩薩も、教主釈尊の弟子となるのです。

【一切経の中に此の寿量品ましまさずば、天に日月の無く、国に大王の無く、山河に珠の無く、人に神〔たましい〕のなからんがごとくして】
もし仏教の経典の中に寿量品がなかったならば、天に日月がなく、国に大王のなく、山河に宝珠のなく、人に神のないのと同じであるのです。

【あるべきを、華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき、澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往権宗の人々、且つは自らの依経を讃歎せんために、】
しかるに華厳宗や真言宗の権経を信じる宗派において智者と尊敬されている澄観、嘉祥、慈恩、弘法などの人々は、自らの宗派の依経を讃歎する為に、

【或は云はく「華厳経の教主は報身・法華経は応身」と。】
「華厳経の教主は報身如来であり、法華経の教主は応身如来であるので法華経は、華厳経に劣る。」と言っているのです。

【或は云はく「法華寿量品の仏は無明の辺域〔へんいき〕、大日経の仏は明の分位」等云云。】
また真言宗では「法華寿量品の仏は、無明の辺域で未だ煩悩に迷う者であり、大日経の仏は、明の分位で悟れる仏である。」などと言っているのです。

【雲は月をかくし、讒臣〔ざんしん〕は賢人をかくす。人讒〔ざん〕せば黄石〔こうせき〕も玉とみへ、諛臣〔ゆしん〕も賢人かとをぼゆ。】
世間の例を見ても、雲は月を隠し、讒言する家臣は賢人を隠し、人々が讃めれば、ただの黄色の石が珠と見え、ただへつらう者を賢人と思ってしまう。

【今、濁世の学者等、彼等の讒義に隠されて、寿量品の玉を翫〔もてあそ〕ばず。】
いま末法濁世の学者供は、讒言ばかりを聞き入れて、寿量品の宝珠である賢人をまったく敬っていないのです。

【又、天台宗の人々もたぼら〔誑〕かされて、金石一同のをもひをなせる人々もあり。】
そればかりか、法華経を依経とする天台宗の人々でさえも、たぼらかされて金と石の見分けがつかず、爾前と法華とを同じように思っているのです。

【仏久成にましまさずば、所化の少なかるべき事を弁ふべきなり。月は影を慳〔おし〕まざれども水なくばうつるべからず。】
釈迦牟尼仏が久遠の昔に成道していなければ、弟子も無量ではないと理解すべきで、月に影があっても水がなければ映らないのと同じなのです。

【仏衆生を化せんとをぼせども結縁〔けちえん〕うすければ八相を現ぜず。】
それと同様に仏も衆生に仏教を教えようと思っても、その衆生が仏教との縁が薄ければ、実際に世に生まれ出て作仏を現す事は出来ないのです。

【例せば、諸の声聞が初地・初住にはのぼれども、爾前にして自調自度なりしかば、未来の八相をご〔期〕するなるべし。】
たとえば、声聞が無明惑を断じる寸前まで修行しても、爾前経の自己完結の修行では、未来での作仏を期して現世の成道が出来ないのと同じなのです。

【しかれば教主釈尊始成ならば、今此の世界の梵・帝・日月・四天等は劫初〔こっしょ〕より此の土を領すれども、四十余年の仏弟子なり。】
しかれば教主釈尊がインドで成仏した仏であるならば、この娑婆世界の梵天、帝釈、日天、月天、四天などは、ただ四十余年間だけの仏弟子なのです。

【霊山八年の法華結縁の衆、今まいりの主君にをもひつかず、久住の者にへだてらるゝがごとし。】
あたかも霊山で法華経に縁した衆生が、インドで生まれた釈尊ではなく、この娑婆世界にずっといた諸天に仕えるようなものなのです。

【今、久遠実成あらはれぬれば、東方の薬師如来の日光・月光・西方阿弥陀如来の観音・勢至〔せいし〕、】
今、久遠実成が現れて見れば、東方薬師如来の弟子たる日光菩薩、月光菩薩、西方阿弥陀如来の弟子たる観音菩薩、勢至菩薩、

【乃至十方世界の諸仏の御弟子、大日・金剛頂等の両部、大日如来の御弟子の諸大菩薩、猶〔なお〕、教主釈尊の御弟子なり。】
その他、十方世界の諸仏の弟子や、大日経、金剛頂経の大日如来の弟子たる諸大菩薩などは、すべて教主釈尊の弟子とわかったのです。

【諸仏、釈迦如来の分身たる上は、諸仏の所化申すにをよばず。】
諸仏が釈迦牟尼仏の分身である以上は、その諸仏の弟子である者たちは、言うまでもなく釈迦牟尼仏の弟子であるのです。

【何に況んや、此の土の劫初よりこのかたの日月・衆星等、教主釈尊の御弟子にあらずや。】
また、娑婆世界に初めからいる日月や星などは、教主釈尊の弟子である事は、言うまでもない事です。

【而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。倶舎〔くしゃ〕・成実・律宗は三十四心断結成道〔だんけつじょうどう〕の釈尊を本尊とせり。】
このように天台宗以外の諸宗はみな本尊に迷っており、倶舎、成実、律の三宗は、小乗で説くインドで成仏した釈尊を本尊としているのです。

【天尊の太子、迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。】
これは、まるで王子が自分を民の子と思うように、華厳、真言、三論、法相などの四宗派は、大乗経であるのに小乗経の釈迦を本尊としているのです。

【法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす。天王の太子、我が父は侍〔さむらい〕とをもうがごとし。】
法相、三論は、勝応身に似た仏を本尊としており、これは、あたかも王子が自分の父は王を守る兵であると思っているようなものなのです。

【華厳宗・真言宗は、釈尊を下して盧舎那〔るしゃな〕・大日等を本尊と定む。】
また、華厳宗、真言宗は、釈迦牟尼仏を卑下して法身の大日如来を本尊と定めています。

【天子たる父を下して種姓〔すじょう〕もなき者の法王のごとくなるにつけり。】
これは、王子である自分の父を卑下して、素性の定かでない者が王の真似をしているだけなのに、それに付き従うようなものなのです。

【浄土宗は、釈迦の分身〔ふんじん〕の阿弥陀仏を有縁の仏とをもって教主をすてたり。】
浄土宗は、釈尊の分身である阿弥陀仏を現世の仏であると思って、ほんとうの教主たる釈尊を捨てているのです。

【禅宗は、下賎の者一分の徳あって父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下す。此〔これ〕皆、本尊に迷へり。】
禅宗は、下賤の者がその下の者を見下すように父母を卑しみ、仏を蔑み、経を侮っており、これらは、すべて本尊に迷っている姿なのです。

【例せば、三皇已前に父をしらず、人皆禽獣〔きんじゅう〕に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者なり。】
例えば、かつての中国では、父母への恩を報いず獣と同様であったように、寿量品の仏を知らない諸宗は、まさに畜生と同じで不知恩の者なのです。

【故に妙楽云はく「一代教の中未だ曾て父母の寿〔いのち〕の遠きことを顕はさず。】
故に妙楽大師は「仏教の中において法華経の寿量品を説かずに、父母が寿命が永遠である事を示さなかったならば、

【若し父の寿の遠きことを知らざれば、復〔また〕父統〔ふとう〕の邦〔くに〕に迷う。徒〔いたずら〕に才能と謂ふも全く人の子に非ず」等云云。】
これでは、亡くなった父のいる場所さえわからずに、いくら知識があっても、それは人の子ではなく畜生である。」と言われているのです。

【妙楽大師は唐の末、天宝年中の者なり。三論・華厳・法相・真言等の諸宗、並びに依経を深くみ〔見〕、広く勘へて、】
妙楽大師は、唐の末の天宝年間の人であり、三論、華厳、法相、真言などの諸宗の主張や依経を、広く深く見聞きして熟慮した結果、

【寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷へる才能ある畜生とかけるなり。】
寿量品を知らないものは、亡父のいる場所に迷う知識がある畜生であると書かれたのです。

【「徒謂〔とい〕才能」とは、華厳宗の法蔵・澄観、乃至真言宗の善無畏〔ぜんむい〕三蔵等は才能の人師なれども子の父を知らざるがごとし。】
「いたずらに知識がある」とは、華厳宗の法蔵や澄観や真言宗の善無畏などの者がいくら知識があっても、父の恩さえ理解出来ないようなものなのです。

【伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云はく】
伝教大師は、日本における顕密二教の元祖ですが、その著された秀句には、

【「他宗所依の経は、一分仏母〔ぶつも〕の義有りと雖も、然れども、但愛のみ有って厳〔ごん〕の義を欠〔か〕く。】
「他宗の拠りどころとしている経は、仏の母の意義は、あるけれども、ただ愛のみがあって父の厳愛の意義が欠けている。

【天台法華宗は厳愛〔ごんない〕の義を具す。一切の賢聖、学・無学及び菩薩心を発こす者の父なり」等云云。】
これに対し天台法華宗は、厳愛の意義をそなえている故に、すべての賢人、聖人、学無学の者に仏道修行をさせる父である。」と書いてあるのです。


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