日蓮正宗法華講開信寺支部より

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第12回 法華経の行者を顕わす

【当世の念仏者等、天台法華宗の檀那の、国王・大臣・婆羅門・居士等に向かって云はく、】
当世の念仏者が、天台法華宗の比叡山の信徒である国王、大臣、外道、信者などに向って誹謗して言うのには、

【法華経は理深〔りじん〕我等は解微〔げみ〕、法は至って深く機至って浅し等と申しうとむるは、】
「法華経の理論は、極めて深いから、我等には、あまりに難し過ぎる。法門は至って深く、これを信ずる衆生の機根は、至って浅いからです。」と言い、

【高推聖境〔こうすいしょうきょう〕、非己智分〔ひこちぶん〕の者にあらずや。】
これは、摩訶止観の「我見の者が、法華経を高い所へと押しやって、自ら智慧の及ぶ所ではないと言う。」との文章と一致するではありませんか。

【禅宗の云はく、法華経は月をさす指、禅宗は月なり。月をえて指なにかせん。】
禅宗は「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものなのです。月が見えたなら、指は何の役にもたたない。

【禅は仏の心、法華経は仏の言〔ことば〕なり。】
禅は仏の心であり、法華経は仏の言葉なのです。

【仏、法華経等の一切経をとかせ給ひて後、最後に一ふさの華をもって迦葉〔かしょう〕一人にさづく。】
仏は、法華経などのすべての経を説かれてのち、最後に一ふさの花を弟子である迦葉一人に授けられました。

【其のしるしに仏の御袈裟〔けさ〕を迦葉に付嘱し、乃至、付法蔵の二十八・六祖までに伝ふ等云云。】
その印として釈迦如来の袈裟を迦葉に付嘱し、それが二十八祖の達磨、そして現在の日本まで伝えられて来ました。」などと言っています。

【此等の大妄語、国中を誑酔〔きょうすい〕せしめてとしひさし。】
これらの大嘘が国中の人々を酔わせ狂わせて来たのです。

【又天台・真言の高僧等、名は其の家にえたれども、我が宗にくらし。】
また天台、真言の高僧などは、名前だけは、天台宗や真言宗を名乗っておりながら、自宗の主張や因縁をまったく理解していないのです。

【貪〔とん〕欲は深く、公家・武家ををそれて此の義を証伏し讃歎す。】
欲が深く、公家や武家を怖れ、法華経を誹謗する邪宗邪義に同調し、かえってそれを讃嘆しているのです。

【昔の多宝・分身の諸仏は、法華経の令法久住を証明す。】
むかし釈尊が法華経を説法した時は、多宝仏や分身仏が法華経の末法での流布を証明しました。

【今天台宗の碩徳〔せきとく〕は理深解微を証伏せり。】
いま天台宗の学者達は、「法華経は、理論が深くわずかの者しか理解出来ない」などの邪義に惑わされ承服してしまっているのです。

【かるがゆへに日本国に、但法華経の名のみあって得道の人一人もなし。】
この為に日本には、ただ法華経の名前だけあって、それで実践する者は、誰もいないのです。

【誰をか法華経の行者とせん。寺塔を焼いて流罪せらるゝ僧侶はかず〔数〕をしらず。】
その中で誰が法華経の行者であるのでしょうか。寺や塔を焼いて流罪される僧侶は数知れないほどいます。

【公家・武家に諛〔へつら〕ひて、にくまるゝ高僧これ多し。此等を法華経の行者というべきか。】
公家や武家にへつらって、庶民から憎まれる高僧ばかりなのです。これらを法華経の行者と言えるでしょうか。

【仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり。金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし。】
仏の予言は、嘘ではないので三類の怨敵はすでに国中に充満していますが、その一方で、仏の言葉なのに法華経の行者が見当たらないのです。

【いかんがせんいかんがせん。抑〔そもそも〕、たれやの人か衆俗に悪口罵詈〔あっくめり〕せらるゝ。】
これは、どうした事でしょうか。そもそも誰人が法華経の勧持品の予言の通りに衆俗に悪口を言われ、軽蔑されているでしょうか。

【誰の僧か刀杖を加へらるゝ。誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する。】
どの僧が刀や杖で叩かれているのでしょうか。どの僧が法華経の故に公家や武家に訴えられたのでしょうか。

【誰の僧か数々見擯出〔さくさくけんひんずい〕と度々ながさるゝ。日蓮より外に日本国に取り出ださんとするに人なし。】
どの僧が、しばしば住む場所を追われ、たびたび流罪されているのでしょうか。日本の中で日蓮以外にいないではないですか。

【日蓮は法華経の行者にあらず、天これをすて給ふゆへに。】
しかし日蓮は法華経の行者ではありません。なぜなら天がこれを捨てて助けようとしないからです。

【誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん。】
そうであれば、誰が現在の法華経の行者として、仏の言葉が真実である事を証明するのでしょうか。

【仏と提婆とは身と影とのごとし、生々にはなれず。】
釈迦如来と提婆達多とは、たとえ生まれ変わったとしても身と影のように離れる事はないのです。

【聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓〔けか〕、同時なるがごとし。】
聖徳太子と敵対する守屋とは、蓮華の花と菓が同時になるようなものなのです。

【法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし。】
これと同じように法華経の行者がいるならば、必ず三類の怨敵があるべきなのです。

【三類はすでにあり、法華経の行者は誰なるらむ。】
すでに三類の怨敵は、日本中にいるので、そうであれば法華経の行者は誰なのでしょうか。

【求めて師とすべし。一眼の亀の浮木に値ふなるべし。】
求めて師としたいものです。それは、あたかも千年に一度、海底から浮かび上がる一眼の亀が、浮木に逢うような有り得ない事なのです。

【有る人云はく、当世の三類はほゞ有るににたり。但し法華経の行者なし。】
ある人が言うには、確かに現在の三類の怨敵はいるように思うが、ただし法華経の行者はいないのではないでしょうか。

【汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり。】
あなたが法華経の行者であるとすれば、次のような大きな違いがあります。

【此の経に云はく「天の諸の童子、以て給使〔きゅうじ〕を為さん、】
法華経、安楽行品には「法華経の行者であれば、天界の童子が来て給使をするであろう。

【刀杖も加へず毒も害すること能〔あた〕はず」と。】
また、法華経の行者であれば、刀杖も加える事も出来ないし、毒も与える事も出来ない。」と説かれています。

【又云はく「若し人悪罵〔あくめ〕すれば、口則〔すなわ〕ち閉塞〔へいそく〕す」等。】
また同品には「法華経の行者に対して、もし人があって悪口悪罵すれば、その口がきけなくなってしまう。」と説かれているのです。

【又云はく「現世には安穏〔あんのん)にして、後〔のち〕善処に生まれん」等云云。】
また薬草喩品には「現世は安穏であり、後生には善処に生まれるであろう。」と説かれています。

【又「頭〔こうべ〕破れて七分と作〔な〕ること阿梨樹〔ありじゅ〕の枝の如くならん」と。】
また陀羅尼品には「もし法華経の行者を悩乱する者がいれば、その頭は七分に破れて阿梨樹の枝のように裂ける。」と説かれています。

【又云はく「亦現世に於て其の福報を得ん」等。】
また勧発品には「この経を持つ者は、現世において、その良い報いを得る。」と説かれています。

【又云はく「若し復、是の経典を受持する者を見て其の過悪〔かあく〕を出ださん。】
また同品に「もし、また法華経を受持する者を見て、その人の間違いや悪いところを言い出せば、

【若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人現世に白癩〔びゃくらい〕の病を得ん」等云云。】
それが、事実であろうと不実であろうと、この人は、現世において不治の病になるであろう。」と説かれています。

【答えて云はく、汝が疑ひ大いに吉〔よ〕し。ついでに不審を晴らさん。】
それでは、その疑問に答えましょう。あなたの疑いは、実に当たり前の事であり、ついでにその不審も晴らしましょう。

【不軽品に云はく「悪口罵詈」等。又云はく「或は杖木瓦石〔じょうもくがしゃく〕を以て之を打擲〔ちょうちゃく〕す」等云云。】
第一の理由として、まず文証として、法華経不軽品に「悪口罵詈せられる」とあり、また「あるいは杖木瓦石をもってこれを打擲す」とあります。

【涅槃経に云はく「若しは殺若しは害」等云云。】
涅槃経には「もしは、殺され、もしは、害せられる。」とあります。

【法華経に云はく「而も此の経は如来の現在すら猶〔なお〕怨嫉多し」等云云。】
法華経法師品には「この経は、如来の在世であっても怨嫉が多い。ましてや滅後においては、さらに大きな怨嫉をこうむる。」と説かれています。

【仏は小指を提婆にやぶられ九横〔くおう〕の大難に値ひ給ふ。此は法華経の行者にあらずや。】
釈迦ですら、提婆達多に小指を怪我させられる九横の大難に遭われています。これは、釈迦が法華経の行者と言う事ではないのでしょうか。

【不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。】
不軽菩薩は、二四文字の法華経を弘通して迫害を受けましたが、不軽が一仏乗の行者と言われない事があるでしょうか。

【目連は竹杖〔ちくじょう〕に殺さる、法華経記?〔きべつ〕の後なり。】
目連尊者は、法華経で成仏すると言われた後に竹杖外道に殺されています。

【付法蔵の第十四の提婆〔だいば〕菩薩、第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ。此等は法華経の行者にはあらざるか。】
付法蔵第十四の提婆菩薩や第二十五の師子尊者は、仏法の為に人に殺されています。これらは、法華経の行者ではないと言えるでしょうか。

【竺〔じく〕の道生は蘇山〔そざん〕に流されぬ。法道は、火印〔かなやき〕を面〔かお〕にやいて江南にうつさる。】
羅什三蔵の弟子である竺の道生は、蘇山に流され、法道三蔵は、顔に金焼き押されて、江南に流されています。

【此等は一乗の持者にあらざるか。北野の天神、白居易〔はくきょい〕は遠流〔おんる〕せらる、賢人にあらざるか。】
これらは、みんな一仏乗の法門を持っていた人ではないでしょうか。菅原道真や白楽天も流罪されていますが誰もが認める賢人ではないですか。

【事の心を案ずるに、前生に法華経誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ず。】
さて、これらの事を考えると、前生において法華経誹謗の罪のない者が現世に法華経を行じているのです。

【これを世間の失によせ、或は罪なきをあだすれば、忽〔たちま〕ちに現罰あるか。】
これらの人を世間で定められた罪に事寄せて、あるいは、そのような罪さえない者を恨めば、すぐに現罰が現れるのではないでしょうか。

【修羅〔しゅら〕が帝釈をいる、金翅鳥〔きんじちょう〕の阿耨池〔あのくち〕に入る等、必ず返って一時に損するがごとし。】
たとえば修羅が帝釈の目を光で射てその身を滅ぼし、金翅鳥の阿耨池の竜を食おうとしてかえってその身を損なうようなものです。

【天台云はく「今我が疾苦〔しっく〕は皆過去に由る、今生の修福は報〔ほう〕将来に在り」等云云。】
されば天台は「現在の自分の苦悩は、すべて過去の原因により、現世における修行の功徳は、将来にあるのです。」と言っています。

【心地観経に云はく「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」等云云。】
心地観経には、「過去の原因を知ろうとすれば現在の結果を見よ。未来の結果を知ろうとするなら現在の原因を見よ。」と説かれています。

【不軽品に云はく「其罪畢已〔ございひっち〕」等云云。】
不軽品には「その法華経誹謗の罪が終わって後に大功徳を得る事が出来る。」と説かれています。

【不軽菩薩は、過去に法華経を謗じ給ふ罪、身に有るゆへに、瓦石〔がしゃく〕をかほるとみへたり。】
不軽菩薩は、過去世に法華経を誹謗した罪がある為に、正法を弘通し、瓦石を投げられなどの迫害を受けたと思われるのです。

【又順次生〔じゅんじしょう〕に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提〔いっせんだい〕人これなり。】
第二の理由として、次の世で地獄に堕ちる事が決まっている者は、現世には現罰がないのです。一闡提の人がこれです。

【涅槃経に云はく「迦葉〔かしょう〕菩薩、仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、】
涅槃経にはこれについて「迦葉菩薩が仏に申しあげるには、

【世尊、仏の所説の如く、大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云。】
世尊よ、仏の説法で説かれた通りに、大涅槃の光がすべての衆生の毛孔から沁み入るでしょう。」と説かれて

【又云はく「迦葉菩薩、仏に白して言さく、世尊、云何〔いかん〕ぞ、未だ菩提心を発〔お〕こさゞる者、菩提の因を得ん」等云云。】
さらに迦葉菩薩が仏に「世尊よ、どうして未だに仏教への求道心がない者が仏に成る原因を得る事が出来るのでしょうか」と尋ねたのです。

【仏、此の問ひを答へて云はく「仏、迦葉に告げたまはく、若し是の大涅槃経を聞くこと有って、】
釈迦如来は、この迦葉の問いに「もし、この大涅槃経を聞く事が出来ても、

【我菩提心を発こすことを用ひずと言って正法を誹謗せん。】
自分は、求道心を起こして悟りを得ようとは思っていないと言って正法を誹謗する者があるでしょう。

【是の人即時に夜夢の中に於て、羅刹〔らせつ〕の像〔かたち〕を見て心中怖畏〔ふい〕す。】
この人は、すぐに夜、夢の中に怖ろしい悪鬼の姿を見て、恐れおののくのです。

【羅刹語って言はく。咄〔つたな〕し善男子、汝今、若し菩提心を発こさずんば、当に汝が命を断つべし。】
その時、悪鬼が言うのには、あなたが、もし、ここで求道心を発さなければ、すぐに命を絶つであろう。

【是の人惶怖〔こうふ〕し寤〔さ〕め已〔お〕はって、即ち菩提の心を発こす。当に知るべし、是の人は是大菩薩なりと」等云云。】
もし、この人がここで求道心を起こせば、そのまま大菩薩であると知るべきである。」と答えられているのです。

【いた〔甚〕うの大悪人ならざる者、正法を誹謗すれば即時に夢みてひるがへる心生ず。】
このように大悪人でない者が正法を誹謗すれば、すぐに夢を見て自身の謗法を恐れ正気に戻る事が出来るのです。

【又云はく「枯木石山〔こぼくしゃくせん〕」等。】
また、極悪の一闡堤人がこのように簡単に心をひるがえす事が出来ない事を「枯木や石の山に花が咲かない」のと同じであると言われています。

【又云はく「憔種甘雨〔しょうしゅかんう〕に遇〔あ)ふと雖も」等。】
また「煎った種は、優しい雨にあっても芽を出さないのと同じである。」と言われています。

【又云はく「明珠淤泥〔みょうじゅおでい〕」等。】
また「明るい珠も泥の中では、光を放たないように一闡堤の人は、信心の光を放つ事がない。」と言われています。

【又云はく「人の手に創〔きず〕あるに毒薬を捉〔と〕るが如し」等。】
また「手に傷のある人が毒薬を持てば、傷はいよいよ悪くなる。」と言われています。

【又云はく「大雨空に住せず」等云云。此等の多くの譬へあり。】
また「大雨が空に止まらないように、一闡堤人は必ず地獄へ堕ちる。」と説かれています。このように数多くの、たとえがなされているのです。

【詮ずるところ、上品〔じょうぼん〕の一闡提〔いっせんだい〕人になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし。】
ようするに、特に極悪の一闡堤の人となると次の世で必ず無間地獄へ堕ちる故に現世でいくら重罪を犯しても現罰がないと言う事なのです。

【例せば、夏〔か〕の桀〔けつ〕、殷〔いん〕の紂〔ちゅう〕の世には天変なし。重科有って必ず世ほろぶべきゆへか。】
たとえば夏の桀王や殷の紂王は、いくら悪政を続けても、天変地異がなかったのは、必ず世の中が滅亡すべき時であったからなのでしょう。

【又守護神此の国をすつるゆへに現罰なきか。】
次に第三の理由として、守護の善神がこの国を捨て去った為に現罰がないのでしょう。

【謗法の世をば守護神すてゝ去り、諸天まぼ〔守〕るべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値ふべし。】
謗法の世を国土守護の諸天善神が捨て去った為に、正法の行者には一向に加護がなく、ますます大怨嫉を受けて大難に遭うのです。

【金光明経に云はく「善業〔ぜんごう〕を修する者は、日々に衰減〔すいげん〕す」等云云。】
金光明経に「善業を行う者は、日々に減衰して行く。」とありますが、これは現在の日本の事を指しているのです。

【悪国悪時これなり。具〔つぶ〕さには、立正安国論にかんがへたるがごとし。】
まさに日本は、謗法の国であり、現在は、濁悪の末法なのです。この事は、立正安国論に詳細に書いておいた通りなのです。

【詮〔せん〕ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期〔ご〕とせん。】
仏に成る為ならば、天も捨てよ、難にも遭え、身命を惜しんではならないという事なのです。

【身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼〔こつげん〕の婆羅門〔ばらもん〕の責めを堪へざるゆへ。】
舎利弗が六十劫にもわたる菩薩行を積みながら地獄に堕ちたのは、自分の目を求めた婆羅門に怒りを抑えられずに法華経を捨てたからなのです。

【久遠大通の者の三五の塵〔じん〕をふる、悪知識に値ふゆへなり。】
このように多くの人々が、久遠の昔、三千塵点劫、五百塵点劫の過去に法華経に会いながら、それを捨てたのは、悪知識にあったからなのです。

【善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。】
それが、たとえ善い事であったとしても悪い事であったとしても法華経を捨てる事は地獄の原因となるのです。

【大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生をご〔期〕せよ。】
いまこそ大願を立てて、念仏を唱えて極楽往生を願えば日本の王位を譲ろうと言われても、

【父母の首を刎〔は〕ねん、念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、】
逆に念仏を唱えなければ父母の首をはねると脅されても、また、その他のいかなる大難が起きようとも、

【智者に我義やぶられずば用ひじとなり。】
智者に自分の論理が破られない限りは、絶対に従う事はないのです。

【其の外の大難、風の前の塵〔ちり〕なるべし。】
智者に自分の論理が破られる事以外の大難は、風の前の塵のように問題にならない些細な事なのです。

【我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。】
「日本の柱と成ろう、日本の眼目と成ろう、日本の大船と成ろう」という、主師親の仏となる誓いは、絶対に破る事はないのです。

【疑って云はく、いかにとして、汝が流罪・死罪等を、過去の宿習としらむ。】
それでは、疑って尋ねますが、どうして、あなたの流罪や死罪などを過去の宿業が原因であると知る事が出来るのでしょうか。

【答えて云はく、銅鏡は色形を顕はす。秦王験偽〔しんのうけんぎ〕の鏡は現在の罪を顕わす。】
では、それに答えましょう。銅の鏡は、外界の色や形を映し出しますが、秦王の用いた鏡は、現在の罪を映す事が出来たと言います。

【仏法の鏡は過去の業因を現ず。】
これと同じように、仏法の鏡は、過去世の業因を現在の自分の身体に映し現わすのです。

【般泥?〔はつないおん〕経に云はく「善男子、過去に曾(かつ)て、無量の諸罪、種々の悪業を作るに是の諸の罪報は、】
すなわち般泥?経には「紳士諸君、過去世に無量の罪や種々の悪業を作った為にその罪障によって、

【或は軽易〔きょうい〕せられ、或は形状醜陋〔ぎょうじょうしゅうる〕、衣服〔えぶく〕足〔た〕らず、飲食■疎〔おんじきそそ〕、】
人に軽蔑されたり、外見が醜かったり、衣服が足りなかったり、食事が粗末であったり、

【財を求るに利あらず。貧賎の家、邪見の家に生まれ、或は王難に遭〔あ〕ひ、及び余の種々の人間の苦報あらん。】
貧乏であったり、下賤の家や邪見の家に生まれたり、王難にあったりするのです。また、その他の多くの苦悩を味合うのです。

【現世に軽く受くるは、斯〔こ〕れ護法の功徳力に由るが故なり」云云。】
このような罪の報いを、現世に軽く受けてなくす事が、正法を護持する者への功徳なのです。」と説かれています。

【此の経文、日蓮が身に宛〔あたか〕も符契〔ふけい〕のごとし。狐疑〔こぎ〕の氷とけぬ。千万の難も由なし。】
この経文は、日蓮にぴったりと符合しているのです。そうであれば、疑問は、たちまちに消えて現在の千万の難も当然であると理解出来るのです。

【一々の句を我が身にあわせん。「或被軽易〔わくひきょうい〕」等云云。法華経に云はく「軽賎憎嫉〔きょうせんぞうしつ〕」等云云。】
それでは、一々の文章に我が身を合わせてみましょう。「人に軽蔑される」とは法華経譬喩品に「軽賎憎嫉せらる」と説かれています。

【二十余年が間の軽慢せらる。或は「形状醜陋」と、又云はく「衣服不足〔えぶくふそく〕」は予が身なり。】
日蓮は、二十余年の間、人から軽蔑されています。また「外見が醜い」と言われています。また「衣服が不足している」とは、私の事ではないですか。

【「飲食■疎」は予が身なり。「求財〔ぐざい〕不利」は予が身なり。「生貧賎家〔しょうひんせんけ〕」は予が身なり。】
「食べ物が粗末なものばかり」というのも、「貧乏であったり」というのも私の事ではないですか。「卑しい家に生まれる」というのも私の事です。

【「或遭王難〔わくぞうおうなん〕」等。此の経文人疑ふべしや。】
また、「王難に遭う」との経文どおり、佐渡に流罪されてもいます。このようにまったく経文通りであるのを誰が疑う事が出来ましょうか。

【法華経に云はく「数々見擯出〔さくさくけんひんずい〕」と。此の経文に云はく「種々」等云云。】
法華経には「度々、所を追われるであろう」とあり、さらにまた「種種の苦報」とも説かれており、これらは、日蓮一身に該当しているのです。

【「斯由〔しゆい〕護法功徳力故」等とは、摩訶止観の第五に云はく】
「これは護法の功徳力による」とは、摩訶止観の第五に次のように説かれています。

【「散善微弱〔みじゃく〕なるは動ぜしむること能はず。】
「好い加減な心で行う少しの修行では、自分の宿命を動かす事は出来ません。

【今、止観を修して健病〔ごんびょう〕虧〔か〕けざれば生死の輪〔りん〕を動ず」等云云。】
いま止観を修行して、陰入境、煩悩境、病患境のいずれも欠けなければ、よく生死の輪を動かして宿命を打破出来る。」と説かれています。

【又云はく「三障四魔紛然〔ふんぜん〕として競ひ起こる」等云云。】
また「修行と理解に勤めれば、必ずや三障四魔が紛然として競い起こるが、これを怖れず従ってはならない。」と説かれています。

【我無始よりこのかた悪王と生まれて、法華経の行者の衣食〔えじき〕田畠〔でんぱた〕等を奪ひとりせしこと、かずしらず。】
私は、無始の過去よりこれまで、悪王と生まれて、法華経の行者の衣食や田畠などを奪い取った事は、数知れない。

【当世・日本国の諸人の、法華経の山寺をたう〔倒〕すがごとし。】
それは、ちょうど現在の日本の指導者が法華経天台宗比叡山を破壊した事と同じなのです。

【又法華経の行者の首を刎〔は〕ねること其の数をしらず。】
また、過去に法華経の行者の首をはねた事も数知れないのです。

【此等の重罪はたせるもあり、いまだはたさゞるもあるらん。】
これらの重罪は、すでに消滅したものもあり未だ消滅していないものもあります。

【果〔は〕たすも余残いまだつきず。】
しかし、その罪は、一応、減ってはいても未だ尽きてはいないのです。

【生死を離るゝ時は、必ず此の重罪をけしはてゝ出離〔しゅつり〕すべし。】
生死を離れ即身成仏する時には、必ずこの重罪を消して、六道輪廻の苦悩から離れなければなりません。

【功徳は浅軽〔せんきょう〕なり。此等の罪は深重〔じんじゅう〕なり。】
いままで積んで来た功徳は、まだまだ浅さく軽いのであり、これらの罪は、また深く重いのです。

【権経を行ぜしには、此の重罪いまだをこらず。】
法華経でなければ、権経を修行していたのでは、この重罪を現世に消す事が出来ないから、その為に大難を受ける事がないのです。

【鉄〔くろがね〕を熱〔やく〕にいた〔甚〕うきたわざればきず〔疵)隠れてみえず。度々せむればきずあらはる。】
刀を作る時に、鉄に熱を加え鍛えなければ、その傷は隠れて見えないけれども、たびたび熱して鍛えるならば、その傷が現れてくるのです。

【麻子〔あさのみ〕をしぼるにつよ〔強〕くせめざれば油少なきがごとし。】
麻の実をしぼって油を取るのに強くしぼらなければ油が少ないのと同じなのです。

【今、日蓮、強盛に国土の謗法を責むれば、此の大難の来たるは】
今、日蓮が強盛に日本の謗法を責めた為に、この大難が来たのであり、

【過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし。】
それは、法華経誹謗の過去の重罪を今生において法華経を護る功徳力によって招き寄せたのです。

【鉄は火に値はざれば黒し、火と合ひぬれば赤し。木をもって急流をかけば、波、山のごとし。】
それは、鉄が火に熱せられて赤くなり、木に乗って急流を下れば波が山のように捲き起こるのと同じなのです。、

【睡〔ねむ〕れる師子に手をつくれば大いに吼〔ほ〕ゆ。】
眠っているライオンに手を出さなければ、何事もないのに、手を出す事によって激しく吼えるのと同じなのです。


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