日蓮正宗法華講開信寺支部より

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御書研鑚の集い 観心本尊抄 研鑚資料


観心本尊抄 第3回

第17章 権迹熟益の本尊を明かす

【夫〔それ〕始め寂滅道場〔じゃくめつどうじょう〕・華蔵〔けぞう〕世界より沙羅林〔しゅらりん〕に終はるまで五十余年の間、】
釈迦が寂滅道場において成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、沙羅林で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間、

【華蔵・密厳〔みつごん〕・三変〔さんぺん〕・四見〔しけん〕等の三土四土〔さんどしど〕は、】
華蔵経で説く華蔵世界、大日如来が住するという密厳仏国、法華経迹門で説く三変の三土、涅槃経に説く四見の四つの国土は、

【皆成劫〔じょうこう〕の上の無常の土〔ど〕に変化〔へんげ〕する所の】
すべて成住壊空の四劫で変化し続ける無常の世界であり、

【方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃〔じょうるり〕・密厳等なり。】
これらはみな、方便土、実報土、寂光土、阿弥陀仏の西方浄土、薬師如来の東方浄瑠璃世界、大日の密厳などの爾前迹門で説く国土なのです。

【能変〔のうへん〕の教主涅槃に入〔い〕りぬれば、所変〔しょへん〕の諸仏随って滅尽〔めつじん〕す。】
それ故にインド出世の釈迦如来が涅槃に入るならば、その他の諸仏も一緒に滅してしまうのです。

【土も又以〔もっ】て是〔か〕くの如し。】
そして、その仏と共に方便土、実報土、寂光土、西方浄土、東方浄瑠璃世界などの国土も同じように滅してしまうのです。

第18章 本門脱益の本尊を明かす

【今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出〔い〕でたる常住の浄土なり。】
今、法華経の本門に至って、この娑婆世界は、三災にも犯されることなく、成住壊空の四劫を繰り返す事がない常住の浄土となったのです。

【仏既〔すで〕に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。】
仏は、まさに過去にも滅する事がなく未来にも生ずる事がない常住不滅の仏であって仏の説法を聞いている弟子もまた同じく常住であるのです。

【此〔これ〕即ち己心の三千具足、三種の世間なり。】
これが釈迦在世における舎利弗などの己心の三千の具足、国土世間、衆生世間、五陰世間の三種の世間であったのです。

【迹門十四品には未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か。】
迹門十四品には、未だこの事の一念三千が説かれなかったのは、法華経の内においても、時機が来ていなかったからなのです。

第19章 文底下種の本尊を明かす

【此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶〔なお〕文殊薬王等にも之を付属したまはず、】
この法華経の本門の最重要である南無妙法蓮華経の五字を釈迦牟尼仏は文殊や薬王などにも付属してはいないのです。

【何〔いか〕に況〔いわ〕んや其の已外〔いげ〕をや。】
それなのにどうして、それ以外の普通の弟子にこれを付属する事があるでしょうか。

【但〔ただ〕地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ。】
ただ地涌千界の上行菩薩に対して涌出品から嘱累品に至る八品の間に、これを付属したのです。

【其の本尊の為体〔ていたらく〕、本師の娑婆の上に宝塔空〔くう〕に居〔こ〕し、】
この文底下種の大御本尊の姿は、久遠元初の本仏が出現される末法の娑婆世界の上に宝塔として曼荼羅の姿で存在し、

【塔中〔たっちゅう〕の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、】
その宝塔の中において、妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝如来があって、

【釈尊の脇士〔きょうじ〕上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属〔けんぞく〕として末座に居し、】
その釈尊の脇士には上行などの地涌の四菩薩が並び、文殊や弥勒などの迹化の菩薩は、本化四菩薩の眷属として末座にあって、

【迹化〔しゃっけ〕・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処〔しょ〕して雲閣〔うんかく〕月閣〔げっけい〕を見るが如く、】
その迹化の菩薩や他の国土の菩薩は、万民が大地にひれ伏して雲や月を仰ぎ見るように手を合わせ、

【十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。】
十方から集まった分身の諸仏は、大地の上で居住まいを正したのです。それは、ひとえに迹仏、迹土を現す為なのです。

【是くの如き本尊は在世五十余年に之〔これ〕無し、】
このような尊極無比の大御本尊は、法華経に至るまでは、在世五十余年の説法にまったく現れなかったのです。

【八年の間但〔ただ〕八品に限る。】
法華経八年の説法の間にも涌出品から嘱累品に至るただ八品の間にだけ、これを説き現して上行菩薩に付属されたのです。

【正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為〔な〕し、】
正像二千年の間には、小乗の釈尊は迦葉と阿難を脇士として本尊とし、

【権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。】
権大乗や涅槃経、法華経迹門などの釈尊は、文殊や普賢などの菩薩を脇士として本尊とされました。

【此等の仏をば正像に造り画〔えが〕けども未〔いま〕だ寿量の仏有〔ましま〕さず。】
これらの仏は、正法、像法時代に作り描かれましたが、未だ寿量品に説かれた本尊は、建立されていないのです。

【末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。】
末法に至って初めて本門寿量品文底下種の大御本尊が建立されるのです。

第20章 末法出現の本尊を問う

【問ふ、正像二千余年の間は四依〔しえ〕の菩薩並びに人師等、】
それでは質問しますが、正像二千余年の間は、仏滅後に正しい仏法を弘めた四依の菩薩、人師などが

【余仏、小乗・権大乗・爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、】
阿弥陀仏や大日如来を本尊として、また小乗、権大乗、爾前、迹門の釈尊などを本尊として寺を建立したけれども、

【本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶〔とも〕に未だ之を崇重せざる由〔よし〕之〔これ〕を申す。】
本門寿量品の文底下種の大御本尊と地涌の菩薩をインド、中国、日本の三国の王や民が未だこれを崇重し建立した例はないと言いました。

【此の事粗〔ほぼ〕之を聞くと雖も前代未聞〔みもん〕の故に耳目〔じもく〕を驚動〔きょうどう〕し心意を迷惑す。】
たった今、この事を聞いたけれども、とにかく前代未聞の事でもあり、まったく信じられずに途惑うばかりなのです。

【請〔こ〕ふ、重ねて之を説け、委細〔いさい〕に之を聞かん】
願わくば、もう一度、これを、もっと詳しく教えて欲しいものです。

第21章 一代三段・十巻三段を示す

【答へて曰く、法華経一部八卷二十八品、進んでは前四味、】
それではそれに答えましょう。釈尊一代の仏教といえば、法華経の一部八巻二十八品、それ以前には、華厳より般若に至る前四味、

【退〔しりぞ〕いては涅槃経等の一代の諸経、総〔そう〕じて之を括〔くく〕るに但〔ただ〕一経なり。】
それ以後には、涅槃経など実に広大な経の数々ではあるが、これら一代の経をまとめてくくると、ただ一つの経となるのです。

【始め寂滅道場より終はり般若経に至るまでは序分なり、】
その経から考えると、始めの寂滅道場で説いた華厳経より般若経に至るまでが序分となります。

【無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり、涅槃経等は流通分なり。】
無量義経、法華経、普賢経の十巻は、それの正宗分となり、涅槃経など法華経以後に説かれた経は流通分となります。

【正宗十巻の中に於て亦〔また〕序正〔じょしょう〕流通有り。無量義経並びに序品は序分なり、】
また一代三段で正宗分と立てる十巻の中においても序分、正宗分、流通分があり、無量義経と法華経の序品までが序分となります。

【方便品より分別〔ふんべつ〕功徳品の十九行の偈〔げ〕に至〔いた〕るまでの十五品半は正宗分なり、】
方便品第二から分別功徳品のなかばの十九行の偈に至るまで十五品半が正宗分であり、

【分別功徳品の現在の四信〔ししん〕より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。】
分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分となるのです。

第22章 迹門熟益三段を示す

【又法華経等の十巻に於ても二経有り。】
また法華経と開結二経をあわせた十巻においても、迹門と本門の二経があり、

【各〔おのおの〕序正流通を具〔ぐ〕するなり。】
おのおの序分、正宗分、流通分を具〔そな〕えているのです。

【無量義経と序品は序分なり、方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、】
まず迹門の三段を明かすならば無量義経と序品は序分であり、方便品第二より人記品第九に至るまでの八品は正宗分であり、

【法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり。】
法師品第十より安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分なのです。

【其〔そ〕の教主〔きょうしゅ〕を論ずれば始成〔しじょう〕正覚の仏、】
この迹門を説いた教主を論じるならば、インドで成仏した始成正覚の仏であり、

【本無今有〔ほんむこんぬ〕の百界千如を説いて】
過去の真実の原因を説かずに結果である現在の姿のみの百界千如を説いて、

【已今当〔いこんとう〕に超過せる随自意〔ずいじい〕・難信難解〔なんしんなんげ〕の正法なり。】
現在、過去、未来において、その中で最高の自らの意志によって説くところの教え、難信難解の正しい法であると言っているのです。

【過去の結縁〔けちえん〕を尋〔たず〕ぬれば大通十六の時仏果の下種を下〔くだ〕し、】
その過去を知ろうとすれば三千塵点劫の過去において釈迦が大通智勝仏の第十六番目の王子の時に仏となる原因を作り、

【進んでは華厳経等の前四味を以〔もっ〕て助縁と為〔な〕して大通の種子を覚知せしむ。】
さらにインドに生まれて華厳経などの前四味を説いて間接的に大通智勝仏の仏となる原因を弟子達に理解させようとしたのでした。

【此〔これ〕は仏の本意に非ず、但毒発〔どくはつ〕等の一分なり。】
しかし、これは仏の本意ではなく、この意味を理解出来ずに、これを無条件に信じれば、ただ毒薬が身体を巡るようなものなのです。

【二乗・凡夫等は前四味を縁〔えん〕として、】
しかしながら、釈迦在世の二乗や凡夫は、前四味を聞いてそれによって仏法を理解し、

【漸々〔ぜんぜん〕に法華に来至〔らいし〕して種子を顕はし、開顕〔かいけん〕を遂〔と〕ぐるの機是〔これ〕なり。】
次第に法華経へと進んで、ついに仏となる原因を理解して、ついに己心の仏界を開顕をして未来に於いて仏となる事を得たのです。

【又在世に於て始めて八品を聞く人天等、】
また釈迦在世において始めて、この迹門の正宗分の八品を聞いた人界、天界の衆生は、

【或は一句一偈等を聞いて下種と為し、或は熟〔じゅく〕し或は脱〔だっ〕し、】
その一句一偈を聞いて、下種となし、あるいは熟となし、あるいは脱となして、

【或は普賢・涅槃等に至り、或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入〔い〕る。】
普賢品、涅槃経によって、さらに正法、像法、末法の初めに衆生と生まれて小乗教や権教などを助けとして法華経に入ったのです。

【例せば在世の前四味の者の如し。】
あたかも釈迦在世の前四味を聞いて、それを仏教理解の助けとして大通智勝仏の仏となる原因を理解した者のようなものなのです。

第23章 本門脱益三段を示す

【又本門十四品の一経に序正流通有り。】
また本門十四品の一経にも、序分、正宗分、流通分があります。

【涌出品の半品を序分と為し、寿量品と前後の二半と此を正宗と為す、其の余は流通分なり。】
涌出品の半品を序分となし、涌出品の後半と寿量品一品と分別功徳品前半部、以上の一品二半を正宗分となし、その他はすべて流通分となります。

【其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊には非〔あら〕ず。】
この本門の教主を論ずるならば爾前経や法華経迹門の始成正覚の仏ではありません。

【所説の法門も亦天地の如し。】
また、これらの法門も文底下種の独一本門に対すれば天と地ほどの違いが有るのです。

【十界久遠の上に国土世間〔こくどせけん〕既〔すで〕に顕はる。一念三千殆〔ほとん〕ど竹膜〔ちくまく〕を隔〔へだ〕つ。】
本有の十界、久遠の文底下種の独一本門に対するならば、本迹の一念三千の相違など、ほとんど竹の膜ほどのわずかなものなのです。

【又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉〔ことごと〕く随他意〔ずいたい〕・易信易解〔いしんいげ〕、】
また迹門や前四味の爾前経、無量義経、涅槃経等など現在、過去、未来の説は、すべて他の者の質問によって説く、信じ易く解り易いものであり、

【本門は三説の外〔ほか〕の難信難解・随自意なり。】
文底下種の独一本門は、これら、現在、過去、未来の説を超えるところの仏が自らの意志によって説く難信難解の法門なのです。

第24章 文底下種三段の序正を明かす

【又本門に於ても序正流通有り。】
また、文底独一の本門においても序分、正宗分、流通分があります。

【過去大通仏の法華経より乃至〔ないし〕現在の華厳経、】
過去三千塵点劫の大通智勝仏の十六人の王子が繰り返し法華経を説いて現在のインドで釈尊が説いた華厳経まで、

【乃至迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵〔みじん〕の経々は】
そして法華経の迹門十四品から涅槃経までの一代五十余年の諸経も、また十方三世諸仏の大地微塵のように膨大な数の経々も、

【皆寿量の序分なり。】
すべて寿量品の文底に隠された三大秘法の大御本尊の序分なのです。

【一品二半よりの外は小乗教・邪教〔じゃきょう〕・末得道教〔みとくどうきょう〕・覆相教〔ふそうきょう〕と名づく。】
この一品二半で説明された大御本尊より外は、すべて小乗教であり、邪教であり、未得道の教えであり、真実を覆いかくす教えであるのです。

【其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮〔びんぐ〕・孤露〔ころ〕にして禽獣〔きんじゅう〕に同ずるなり。】
それを信ずる衆生の機根を論ずるならば、徳が薄く、悪業まみれで、幼稚であり、智慧が乏しく、独善的でまったく獣と変わりないのです。

【爾前・迹門の円教すら尚〔なお〕仏因に非ず、】
彼らには、爾前や迹門に説かれた三諦円融の法門ですら、まったく成仏の原因とはならないのです。

【何〔いか〕に況んや大日経等の諸小乗経をや。】
ましてや、大日経や華厳経のような多くの小乗経で成仏など出来るわけも有りません。

【何に況んや華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや。】
さらに華厳宗や真言宗などのような七宗の論師や人師が我見で作った宗派などによって成仏するわけなどないのです。

【与〔あた〕へて之を論ずれば前三教を出でず、】
さらに、これを論じれば、すべて小乗経の三蔵教(蔵教)、三乗の為の大乗初門(通教)、空仮中三諦(別教)の三教を出でず、

【奪って之を云へば蔵通に同ず。】
ようするに、すべては蔵教、通教の範囲内の低い教えなのです。

【設〔たと〕ひ法は甚深と称すとも】
これらの宗派が自らの教えを甚深であると称しても、

【未だ種熟脱〔しゅじゅくだつ〕を論ぜず、】
未だに成仏の原因である下種と修行方法の熟益、その未来における結果の脱益を論じていないから、

【還って灰断〔けだん〕に同〔どう〕じ、化〔け〕の始終〔しじゅう〕無〔な〕しとは是なり。】
無余灰断〔むよけだん〕(灰身滅智)と同じであり、仏道修行の最初と最後の下種、熟益、脱益がわからないのです。

【譬〔たと〕へば王女たりと雖も畜種〔ちくしゅ〕を懐妊〔かいにん〕すれば其の子尚旃陀羅〔せんだら〕に劣〔おと〕れるが如し。】
たとえば、王女であっても畜生の種を宿せば、その子供は、人間としてもっとも下賤な旃陀羅にさえ劣るのと同じようなものなのです。

【此等は且〔しばら〕く之を閣〔お〕く。】
経文がいかに正しくても、仏種であるところの本尊を間違えれば、成仏は有り得ないのです。

第25章 文底下種三段の流通を明かす

【迹門十四品の正宗の八品は一往〔いちおう〕之を見るに、】
法華経の迹門十四品の正宗分の八品は、一往は、これを見てみると、

【二乗を以〔もっ〕て正〔しょう〕と為〔な〕し、菩薩・凡夫を以て傍〔ぼう〕と為す。】
二乗をもって正意とし、菩薩や凡夫は、その席に連なっているに過ぎないのです。

【再往〔さいおう〕之を勘〔かんが〕ふれば、凡夫正像末を以て正と為す。】
しかし、これを深く考えるならば、仏滅後の正法、像法、末法の凡夫をもって正意とするのが正しいのではないでしょうか。

【正像末の三時の中にも末法の始めを以て正が中の正と為す。】
さらにその中でも末法の始めの凡夫をもって正意の中の正意とするのが正しいのではないでしょうか。

【問うて曰く、其の証如何〔いかん〕。】
それでは、質問しますが、仮にそうであるならば、その証拠は何なのでしょうか。

【答へて曰く、法師品に云はく】
それに答えるとすると法華経の法師品には

【「而〔しか〕も此の経は如来の現在すら猶〔なお〕怨嫉〔おんしつ〕多し、況んや滅度の後をや」と。】
「この法華経は、釈迦の在世ですら、なお怨嫉が多い。ましてや仏滅後にはさらに大きな怨嫉をうける。」と迹門の流通分で説かれているのです。

【宝塔品に云はく「法をして久住〔くじゅう〕せしむ。乃至来たれる所の化仏〔けぶつ〕当〔まさ〕に此の意を知るべし」等と。】
宝塔品には、この宝塔品に来集した分身の諸仏は、釈迦牟尼仏の令法久住の心を知ると説かれており、在世を傍、滅後を正意としているのです。

【勧持・安楽等之〔これ〕を見るべし。迹門すら是〔か〕くの如し。】
勧持品、安楽行品に於いても同じであり、迹門ですら、このように末法の為に説かれている事が明らかなのです。

【本門を以て之を論ずれば、一向に末法の初めを以て正機と為す。】
さらに法華経本門は、誰の為に説かれたかを論じるならば、当然、末法の始めをもって正しい時期としています。

【所謂〔いわゆる〕一往之を見る時は久種〔くしゅ〕を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟〔じゅく〕と為して、】
ようするに一往これを見るときは久遠の過去に下種をされ、大通智勝仏から前四味や法華経迹門までを熟益とし、

【本門に至って等妙〔とうみょう〕に登らしむ。】
本門に至って等覚、妙覚の位に登ったように見えます。

【再往之を見れば迹門には似〔に〕ず、】
しかし、これは文上の見方であって、これを見れば、迹門とは異なって

【本門は序正流通倶〔とも〕に末法の始めを以て詮と為す。】
本門は、序分、正宗分、流通分ともに末法の始めをもって正意としているのです。

【在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。】
釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、いずれも、すべての衆生がことごとく即身成仏する純円の教えなのです。

【但〔ただ〕し彼は脱、此は種なり。】
ただし、正法、像法時代の本門と末法の本門の相違をいうならば、正法、像法時代は、脱益であり、末法は、下種であり、

【彼は一品二半、此は但題目の五字なり。】
正法、像法時代は、一品二半であり、末法は、ただ題目の五字であるのです。


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