日蓮正宗法華講開信寺支部より

ようこそ開信寺へ

御書研鑚の集い 観心本尊抄 研鑚資料


観心本尊抄 第4回

第26章 本門序分の文を引く

【問うて曰く、其の証文如何。】
それでは質問しますが、その証拠の文章がありますか。

【答へて云はく、涌出品〔ゆじゅつぽん〕に云はく】
それに答えると、それは法華経の涌出品です。

【「爾〔そ〕の時に他方の国土の諸〔もろもろ〕の来たれる菩薩摩訶薩〔まかさつ〕の八恒河沙〔はちごうがしゃ〕の数に過ぎたる大衆の中に於て】
「その時に他方の国土から来た川の砂のように多数の大菩薩たちが大衆の中で

【起立し合掌し礼を作〔な〕して仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、世尊若〔も〕し我等に、仏の滅後に於て娑婆世界に在って、】
立って合掌し、ひざまづいて釈迦牟尼仏に申し上げるのには、世尊、もし、私達に仏滅後に娑婆世界において、

【勤加〔ごんか〕精進〔しょうじん〕して是の経典を護持し読誦〔どくじゅ〕し書写し供養せんことを聴〔ゆる〕したまはゞ、】
この法華経を、護持し、読誦し、書写し、供養することを許してくださるならば、

【当〔まさ〕に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。】
この娑婆世界において必ず法華経を広く説いていきますと誓ったのです。

【爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告〔つ〕げたまはく、】
その時に釈迦牟尼仏は、この大菩薩達に告げました。

【止〔や〕みね善男子、汝等〔なんだち〕が此の経を護持せんことを須〔もち〕ひじ」等云云。】
止めなさい、紳士諸君。あなた達がこの法華経を護持するとの誓いは信用できない。」と涌出品に説かれています。

【法師より已下〔いげ〕の五品の経文、前後水火なり。】
法華経の法師品から安楽行品までの五品には、仏滅後の法華弘通の誓いを立てよと説いているのに、これでは前後の文が水と火のように矛盾しています。

【宝塔品の末に云はく「大音声〔だいおんじょう〕を以て普〔あまね〕く四衆に告〔つ〕げたまはく、】
法華経宝塔品の末には「釈迦牟尼仏は、大きな声で僧や尼僧や男女の信徒にまで、

【誰か能〔よ〕く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かんものなる」等云云。】
誰か娑婆世界において法華経を広く説く者はいないか。」と尋ねているのにです。

【設ひ教主一仏たりと雖も之を奨勧〔しょうかん〕したまはゞ、薬王等の大菩薩・梵帝・日月・四天等は】
たとえ釈迦牟尼仏だけであっても、このように仏滅後の弘教を勧められたならば、薬王などの大菩薩、梵天、帝釈、日天、月天、四天王にしても

【之を重んずべき処に、多宝仏・十方の諸仏、客仏〔きゃくぶつ〕と為って之を諫暁〔かんぎょう〕したまふ。】
この命令を重んじなければならないのに、さらに多宝如来も十方分身の諸仏も客仏となってこれを強く勧めているのです。

【諸の菩薩等は此の慇懃〔おんごん〕の付嘱を聞いて「我不愛身命」の誓言を立つ。】
多くの菩薩は、このような諸仏の命令を聞いて「わが身命を惜しまない」との誓いを勧持品で立てているのです。

【此等は偏〔ひとえ〕に仏意〔ぶっち〕に叶〔かな〕はんが為なり。】
これは、ひとえに仏の意志を叶えようと思って、滅後の法華弘通を誓ったのではないですか。

【而〔しか〕るに須臾〔しゅゆ〕の間に仏語相違して、過八恒沙〔かはちごうじゃ〕の此の土の弘経を制止したまふ。】
しかし、少しの間に仏の説く言葉は、まったく相異して、川の砂の数ほどの多数の大菩薩の娑婆世界における法華弘通を止めてしまったのです。

【進退惟谷〔これきわ〕まり凡智〔ぼんち〕及ばず。】
これでは、進退きわまって、凡夫の智慧では、まったく訳がわかりません。

【天台智者大師、前三後三の六釈を作りて之を会〔え〕したまへり。】
天台大師は、法華文句の巻九上で他方の菩薩を制止した三つの理由と地涌の菩薩を召し出した三つの理由を説き明かされました。

【所詮〔しょせん〕迹化〔しゃっけ)・他方〔たほう〕の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。】
ようするに迹化の菩薩や他方の菩薩では、日蓮大聖人の内証の寿量品である文底下種の三大秘法を授与する事が出来なかったのです。

【末法の初めは謗法の国にして悪機なる故に之を止〔とど〕めて、】
なぜなら、末法の初めは、謗法の国土であり、濁悪の世であるから、迹化他方の菩薩では、とてもその弘通に耐えられないので、

【地涌千界〔じゆせんがい〕の大菩薩を召〔め〕して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮〔えんぶ〕の衆生に授与せしめたまふ。】
地涌千界の大菩薩を招いて寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字を全世界のすべての衆生に授与されたのです。

【又迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子等に非〔あら〕ざるが故なり。】
また、迹化の菩薩は、釈迦牟尼仏の五百塵点劫からの弟子ではないからなのです。

【天台大師の云はく「是我が弟子なり応〔まさ〕に我が法を弘むべし」と。】
天台大師は「地涌の菩薩は、釈迦牟尼仏の本弟子、五百塵点劫からの弟子であるから、我が法を末法に弘めよと付嘱した。」と言われています。

【妙楽の云はく「子〔こ〕、父の法を弘む世界の益〔やく〕有り」と。】
妙楽大師は「真実の弟子である地涌の菩薩が釈迦牟尼仏の法を弘める事が出来る故に、世界にとって利益がある。」と言われています。

【輔正記〔ふしょうき〕に云はく「法是〔これ〕久成の法なるを以ての故に久成の人〔にん〕に付す」等云云。】
このことを道暹〔どうせん〕が法華文句輔正記に「法が久遠実成の法である故に久遠実成の上行菩薩に付嘱したのである。」と説明しています。

第27章 本門正宗の文を引く

【又弥勒菩薩疑請〔ぎしょう〕して云はく、経に云はく「我等は復仏の随宜〔ずいぎ〕の所説、】
本門涌出品で弥勒菩薩が多くの疑いに対して「私達は、釈迦牟尼仏が衆生の歓ぶような色々な法を説き、

【仏所出〔しょすい〕の言〔みこと〕、未だ曾〔かつ〕て虚妄〔こもう〕ならず、】
また釈迦牟尼仏が衆生に合わせて色々な法を説き、しかもその説法にはいまだ間違いがなく、

【仏の所知〔しょち〕は皆悉〔ことごと〕く通達〔つうだつ〕したまへりと信ずと雖も、】
仏の智慧は、すべての法とまったく矛盾がないと信じているけれども、

【然〔しか〕も諸の新発意〔しんぼっち〕の菩薩、仏の滅後に於て】
多くの新しい菩薩達が釈迦牟尼仏の滅後において、

【若〔も〕し是の語〔みこと〕を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん。】
地涌の菩薩が釈迦牟尼仏の久遠以来の弟子であるとの涌出品の説法を聞いて、理解出来ず疑いを持ち、仏法破壊の罪を作る原因となるかも知れません。

【唯〔ただ〕然〔しか〕なり世尊、願はくは為〔ため〕に解説〔げせつ〕して、我等が疑ひを除〔のぞ〕きたまへ。】
どうか世尊よ、私達の為に更に詳しくこれを解説して、私達の疑いを除いてください。

【及び未来世〔みらいせ〕の諸の善男子此の事を聞き已〔お〕はりなば、亦〔また〕疑ひを生ぜじ」等云云。】
そうすれば未来世の多くの仏弟子達も、この事を聞いて疑いを持たないでしょう。」と説かれています。

【文の意は寿量の法門は滅後の為に之を請〔しょう〕ずるなり。】
この経文の意義は、涌出品の次に説かれた寿量品を滅後の衆生が疑がう事がないようにする為なのです。

【寿量品に云はく「或は本心を失へる、或は失はざる者あり。】
寿量品には、久遠の下種を忘れた者について「誤って毒薬を飲んだ者は、ある者は本心を失い、ある者は、本心を失わなかった。

【乃至心を失はざる者は、此の良薬〔ろうやく〕の色香〔しきこう〕倶〔とも〕に好〔よ〕きを見て、】
そして本心を失っていない者は、医師である父が色も香りも素晴らしい薬を与えたところ、

【即便〔すなわち〕之を服するに病尽〔ことごと〕く除〔のぞ〕こり癒〔い〕えぬ」等云云。】
これを服する事によって、すぐに病は、回復する事が出来た。」と説かれています。

【久遠下種・大通結縁、乃至前四味・迹門等の】
この経文の意味は、久遠に下種され、大通仏の十六王子、華厳経、阿含経、方等経、般若経、法華経迹門を経て

【一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり。】
すべての菩薩や二乗、人天などが法華経本門で成仏する事を譬えているのです。

【経に云はく「余の心を失へる者は、其の父の来たれるを見て、亦〔また〕歓喜し、】
また、この寿量品に「毒薬を飲んで本心を失っている者は、自分たちの父が帰って来たのを見て喜び、

【問訊〔もんじん〕して病を治〔じ〕せんことを求索〔もと〕むと雖も、然〔しか〕も其の薬を与ふるに、而〔しか〕も肯〔あ〕へて服せず。】
医師である父に病を治して欲しいと訴えながらも、その父が薬を与えても、なお服さなかったのです。

【所以〔ゆえん〕は何〔いかん〕。】
それは、なぜかと言うと

【毒気〔どっけ〕深く入〔い〕って、本心を失へるが故に、此の好〔よ〕き色香ある薬に於て、美〔うま〕からずと謂〔おも〕へり。】
毒が身体の奥深くに入って本心を失っている為に美味しい薬を不味いと感じてしまっていたからなのです。

【乃至我〔われ〕今当〔まさ〕に方便を設〔もう〕けて、此の薬を服せしむべし。】
そこでこの父親は、方便を用いてこの薬を服せしめようと考えたのです。

【乃至是の好き良薬〔ろうやく〕を今留〔とど〕めて此に在〔お〕く、汝取って服すべし。差〔い〕えじと憂〔うれ〕ふること勿〔なか〕れと。】
ここに素晴らしい薬を置いておくから飲みなさい。必ず病は良くなりますよと言って他国へ旅立ってしまったのです。

【是の教へを作〔な〕し已〔お〕はって復〔また〕他国に至り、使ひを遣〔つか〕はして還って告ぐ」等云云。】
そして使い者をやって父が死んだと嘘を告げると、やっと本心を失った子供達は父の言葉を信じて薬を服し病を治す事が出来た。」と説かれています。

【分別功徳品に云はく「悪世末法の時」等云云。】
また分別功徳品には「悪世末法の時」と説かれていますが、これもまた寿量品が末法の為に説かれている証拠なのです。

【問うて曰く、此の経文の「遣使還告」は如何。】
それでは質問しますが、寿量品に「使い者をやって父が死んだと嘘を告げる」とありますが、これはどういう意味なのですか。

【答へて曰く、四依〔しえ〕なり。四依に四類有り。】
それに答えると、仏の使いというのは、四依の菩薩、人師のことです。四依には、四種類あります。

【小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現〔しゅつげん〕す。】
第一に小乗の四依は、迦葉、阿難を初めとして、その多くは正法時代の前五百年に出現しました。

【大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す。】
第二に大乗の四依は、竜樹、天親を初めとして、多くは正法時代の後五百年に出現しました。

【三に迹門の四依は多分は像法一千年、少分は末法の初めなり。】
第三に迹門の四依は、南岳大師、天台大師などで、多くは像法時代に出現し、少しだけ末法の初めに出現しました。

【四に本門の四依は地涌千界、末法の始めに必ず出現すべし。】
第四に本門の四依は、地涌千界の大菩薩であり、必ず末法に出現するのです。

【今の「遣使還告」は地涌なり。】
この「使い者」とは、地涌の菩薩の事です。

【「是好良薬」とは寿量品の肝要たる名体宗用教〔みょうたいしゅうゆうきょう〕の南無妙法蓮華経是〔これ〕なり。】
「この素晴らしい良薬」とは寿量品の肝心である名体宗用教の南無妙法蓮華経、つまり三大秘法の大御本尊の事なのです。

【此の良薬をば仏猶〔なお〕迹化に授与したまはず。何に況んや他方をや。】
この良薬を釈迦牟尼仏は、自分の直弟子である迹化の菩薩に授与しなかったのです。まして他方の国土から来た菩薩に付嘱するわけがないのです。

第28章 本門流通の文を引く

【神力品に云はく「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩〔まかさつ〕、地より涌出せる者、】
法華経神力品には「釈迦牟尼仏が滅後の弘通を付属するにあたって、千世界微塵の無量無数の地涌の大菩薩たちは、

【皆仏前に於て一心に合掌し、尊顔〔そんげん〕を瞻仰〔せんごう〕して仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、】
すべて仏の前において一心に合掌し、仏の顔を仰いで申し上げるには、

【世尊、我等仏の滅後、世尊分身〔ふんじん〕所在〔しょざい〕の国土、滅度の処に於て、当に広く此を説くべし」等云云。】
世尊、私達は釈迦牟尼仏の滅後に、世尊の分身の国土、また世尊の滅度した国土において、広く法華経を説き弘めます。」と言ったと説かれています。

【天台の云はく「但〔ただ〕下方〔げほう〕の発誓〔ほっせい〕のみを見たり」等云云。】
天台大師は、これを解釈して「ただ下方から涌出した地涌の大菩薩の誓願のみが認められたのを見た。」と言い、

【道暹〔どうせん〕の云はく「付嘱とは此の経をば唯〔ただ〕下方涌出の菩薩に付す。】
道暹〔どうせん〕は「付属する段になって、この法華経を、ただ下方から涌出した菩薩にのみ付属した。

【何〔なに〕が故に爾〔しか〕る、法是久成の法なるに由〔よ〕るが故に久成の人〔にん〕に付す」等云云。】
なぜならば、妙法の五字は、すでに久遠実成の法であるから、久遠実成の人である地涌の菩薩に付属したのである。」と言っています。

【夫〔それ〕文殊師利菩薩は東方金色〔こんじき〕世界の不動仏の弟子、観音は西方無量寿仏〔むりょうじゅぶつ〕の弟子、】
文殊師利菩薩は、東方の金色世界にいる不動仏の弟子であり、観音菩薩は、西方の世界にいる無量寿仏の弟子であり、

【薬王菩薩は日月浄明徳仏〔じょうみょうとくぶつ〕の弟子、普賢菩薩は宝威〔ほうい〕仏の弟子なり。】
薬王菩薩は、日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は、宝威仏の弟子なのです。

【一往釈尊の行化〔ぎょうけ〕を扶〔たす〕けんが為〔ため〕に娑婆世界に来入〔らいにゅう〕す。】
これらの諸菩薩は、釈迦牟尼仏の弘教を、一往、助ける為にこの娑婆世界に来ているのです。

【又爾前迹門の菩薩なり、本法所持の人に非〔あら〕ざれば末法の弘法〔ぐほう〕に足〔た〕らざる者か。】
また、爾前迹門で活躍する菩薩であって、三大秘法の御本尊を所持する人ではないので、末法に於いて法華経を弘教する能力がないのです。

【経に云はく「爾の時に世尊乃至一切の衆の前に大神力〔だいじんりき〕を現〔げん〕じたまふ。】
さらに法華経神力品には「その時に世尊は、すべての大衆の前で神通力を現じられた。

【広長舌〔こうちょうぜつ〕を出〔い〕だして上梵世〔かみぼんせ〕に至らしめ、】
その十の神通力の第一として、仏法によって大予言を行い、それが現実となって証明され、

【乃至十方世界衆〔もろもろ〕の宝樹下〔ほうじゅげ〕の師子座上〔ししざじょう〕の諸仏も】
十方の世界から集まった宝の木の下にある獅子の座にいる多くの仏も

【亦復〔またまた〕是〔か〕くの如く広長舌を出だしたまふ」等云云。】
また同じように仏法によって大予言を行い、それが現実となって、釈尊の説教が虚妄でない事を証明した。」と説かれています。

【夫〔それ〕顕密二道・一切の大小乗経の中に、釈迦諸仏並び坐〔ざ〕し舌相〔ぜっそう〕梵天〔ぼんてん〕に至る文之〔これ〕無し。】
釈迦一代の説法の中で顕教にも密教にも、また、すべての大乗経、小乗経の中にあっても、このような事は法華経以外にはありませんでした。

【阿弥陀経の広長舌相三千を覆〔おお〕ふは有名無実〔うみょうむじつ〕なり。】
阿弥陀経には、六万の諸仏がそれぞれの国土で仏法の予言を三千して証明したとありますが、これは他の国土の事であって有名無実なのです。

【般若経の舌相三千光〔ひかり〕を放ち般若を説きしも全く証明〔しょうみょう〕に非ず。】
般若経において、仏法の予言が三千の光明を放ったと説いていますが、これは権仏が証明したのであって、法華経とは、まったく比較になりません。

【此〔これ〕皆〔みな〕兼帯の故に久遠を覆相〔ふそう〕する故なり。】
これは、すべて権の教えを言っているのであって、仏の久遠の本地を覆いかくしているので意味がないのです。

【是くの如き十神力を現じて地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累〔ぞくるい〕して云はく、】
このようにして法華経神力品において十の神通力を現して、地涌の菩薩に妙法の五字を託した事が説かれているのです。

【経に云はく「爾〔そ〕の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまはく、諸仏の神力は是〔か〕くの如く無量無辺不可思議なり。】
要するに法華経神力品には「その時に仏は、上行菩薩などの大菩薩に、諸仏の神通力は、このように無量無辺であり不可思議である。

【若し我、是〔こ〕の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫〔あそうぎこう〕に於て、】
この神通力によって無量無辺百千万億阿僧祇劫において、

【嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶〔なお〕尽〔つ〕くすこと能〔あた〕はじ。】
妙法五字を託された故に、この法華経の功徳を説くとも、なお説き尽くす事は出来ないのです。

【要を以て之を言はゞ、如来の一切の所有〔しょう〕の法、如来の一切の自在〔じざい〕の神力、】
いまその肝要を取り上げて言うとすれば、如来のすべての所有している法、如来のすべての自由自在の神通力、

【如来の一切の秘要〔ひよう〕の蔵〔ぞう〕、如来の一切の甚深〔じんじん〕の事、皆此の経に於て宣示顕説〔せんじけんぜつ〕す」等云云。】
如来のすべての秘要の蔵、如来のすべての甚深の事、以上の四つの肝要をすべてこの法華経において説き顕したのです。」と説かれているのです。

【天台の云はく「爾時仏告上行より下は第三結要付属なり」云云。】
天台大師は「爾時仏告上行と言う文章より下は、第三結要付属である。」と言われています。

【伝教の云はく「又神力品に云はく、以要言之、如来一切所有之法、乃至宣示顕説(已上経文)。】
また伝教大師は、これを解釈して「神力品に以要言之、如来一切所有之法、乃至宣示顕説(以上経文)と説かれている。

【明らかに知んぬ、果分〔かぶん〕の一切の所有の法、果分の一切の自在の神力、果分の一切の秘要の蔵、果分の一切の甚深の事、】
如来のすべての所有の法、すべての自由自在の神通力、すべての秘要の蔵、すべての甚深の事、

【皆法華に於て宣示顕説するなり」等云云。】
これらは、すべて法華において述べ示し、説き現したのである。」と言われています。

【此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て、上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与したまふなり。】
このように十の神通力を現じて妙法蓮華経の五字をもって上行、安立行、浄行、無辺行の四大菩薩に授け与えたのです。

【前の五神力は在世の為、後の五神力は滅後の為なり。】
この前の五つの神通力は、在世の為であり、後の五つの神通力は、滅後の為に現じたのです。

【爾〔しか〕りと雖も再往之を論ずれば一向に滅後の為なり。】
しかし、実際には、すべて滅後の為なのです。

【故に次下〔つぎしも〕の文に云はく「仏滅度の後に能〔よ〕く是の経を持〔たも〕たんを以ての故に、諸仏皆歓喜して無量の神力を現じたまふ」等云云。】
故にこの次の文には「仏滅後にこの経をよく持〔たも〕つ事によって、諸仏はみな歓喜して無量の神通力を現じ給う。」と説かれているのです。

【次下の嘱累品に云はく「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起〔た〕って大神力を現じたまふ。】
神力品の後に説かれた嘱累品には「その時に釈迦牟尼仏は法座より立って大神通力を現じ給う、

【右の手〔みて〕を以〔もっ〕て無量の菩薩摩訶薩の頂〔いただき〕を摩〔な〕で乃至今〔いま〕以て汝等〔なんだち〕に付嘱す」等云云。】
右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頭をなでられて、今、あなた達に法華経を付属する。」と説かれています。

【地涌の菩薩を以て頭〔はじめ〕と為〔な〕して、迹化・他方乃至梵・釈・四天等に此の経を嘱累したまふ。】
この意味は、地涌の大菩薩を先頭にして迹化、他方の諸菩薩、及び、梵天、帝釈、四天などにこの法華経を託したのです。

【「十方より来〔き〕たれる諸〔もろもろ〕の分身〔ふんじん〕の仏、各本土に還りたまふ。】
この総付嘱が終わると十方世界より集まって来ていた分身の諸仏は、各々の本土へ帰られたのです。

【乃至多宝仏の塔還〔かえ〕って故〔もと〕の如くしたまふべし」等云云。】
また多宝仏の塔を閉じて元の通りに戻した。」と説かれています。

【薬王品已下乃至涅槃経等は、地涌の菩薩去〔さ〕り了〔おわ〕って、迹化の衆・他方の菩薩等の為〔ため〕に重〔かさ〕ねて之を付嘱したまふ。】
次の薬王品以後から涅槃経までは、地涌の菩薩が本地へ帰ってしまった後で、迹化や他方の菩薩の為に重ねてこれを託されているのです。

【□拾遺嘱〔くんじゅういぞく〕是なり。】
「□拾遺嘱」と言うのがこれの事です。

第29章 本化出現の時節を明かす

【疑って云はく、正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや。】
それでは、疑って尋ねますが、ほんとうに正像二千年の間に地涌千界の大菩薩がこの世界に出現してこの経を流通するのでしょうか。

【答へて曰く、爾らず。】
それは、違います。

【驚いて云はく、法華経並びに本門は仏の滅後を以て本と為〔な〕して先〔ま〕づ地涌千界に之を授与す、】
いやいや、法華経も、また法華経本門も、仏滅後を本として地涌の菩薩にこれを授与しているのではないのですか。

【何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや。】
どうして地涌の菩薩は、正像に出現してこの経を弘めないのでしょうか。

【答へて云はく、宣〔の〕べず。】
それは、答えられません。

【重ねて問うて云はく、如何〔いかん〕。】
ふたたび質問します。それは、どういう事でしょうか。

【答ふ、之を宣べず。】
それは、答えられません。

【又重ねて問ふ、如何。】
ふたたび質問します。それは、どういう事でしょうか。

【答へて曰く、之を宣ぶれば一切世間の諸人、威音王仏〔いおんのうぶつ〕の末法の如く、】
これに答えるとすると、すべての人々が威音王仏の末法のように、正法誹謗の罪によって地獄に堕ち、

【又我が弟子の中にも粗〔ほぼ〕之を説かば皆誹謗〔ひぼう〕を為すべし、黙止〔もくし〕せんのみ。】
また、弟子の中にも、これに疑いを持ち誹謗する事でしょう。ですから黙っているしかないのです。

【求めて云はく、説かずんば汝慳貪〔けんどん〕に堕〔だ〕せん。】
いやいや、そのように重大な事を言わないのであれば、かえって、あなたは、独占罪に堕ちるのではないのですか。

【答へて曰く、進退惟谷〔これきわ〕まれり。試みに粗之〔これ〕を説かん。】
これは困りました。説く事も出来ず、説かない事も出来ない。進退、きわまってしまいました。それでは、試しに少しだけ説いてみましょう。

【法師品に云はく「況んや滅度の後をや」と。】
法華経法師品には「いわんや滅度の後をや」と説かれ、法華経が在世よりも滅後を正とすることが説かれており、

【寿量品に云はく「今留〔とど〕めて此〔ここ〕に在〔お〕く」と。】
法華経寿量品には「このよき良薬を、今、留めてここにおく」とあり、

【分別功徳品に云はく「悪世末法の時」と。】
法華経分別功徳品には「悪世末法の時」と説かれています。 

【薬王品に云はく「後五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と。】
法華経薬王品には「後の五百歳に全世界に広宣流布するであろう。」と明らかに末法の広宣流布を予言しているのです。

【涅槃経に云はく「譬〔たと〕へば七子〔しちし〕あり。】
また涅槃経には「たとえば七人の子供がいるとして

【父母平等ならざるに非〔あら〕ざれども、然〔しか〕も病者に於て心則〔すなわ〕ち偏〔ひとえ〕に重きが如し」等云云。】
父母は平等に子供を愛しているが、病気の子供には、父母は、特別に心配をするものである。」とあります。

【已前〔いぜん〕の明鏡を以て仏意〔ぶっち〕を推知〔すいち〕するに、】
以上の経文で明らかなように仏の真意を考えて見ると釈迦牟尼仏の出世は、

【仏の出世は霊山〔りょうぜん〕八年の諸人の為〔ため〕に非ず、正像末の人の為なり。】
釈迦牟尼仏の出世は、霊鷲山で八年にわたり法華経を聞いた人々の為ではなく、釈迦滅後の正像末の人々の為に出世したものであり、

【又正像二千年の人の為に非ず、末法の始め予が如〔ごと〕き者の為なり。】
また、正像二千年の人々の為ではなく、末法の初めに出現する日蓮の為であるのです。

【「然於病者」と云ふは、滅後法華経誹謗の者を指すなり。】
そして「然れども病者に於いて」と言うのは、滅後の法華経誹謗の者を指すのです。

【「今留在此」とは「此の好〔よ〕き色香ある味〔あじ〕に於て美〔うま〕からずと謂〔おも〕ふ」の者を指すなり。】
「今、留めてここに置く」とは、「この美味しい良薬を不味いと思う」と言う正法誹謗の者を指すのです。

【地涌千界正像に出〔い〕でざるは、正法一千年の間は小乗・権大乗なり、】
地涌千界の大菩薩が正像二千年に出現しなかったのは、正法一千年の間は小乗教、権大乗教の時代であって

【機時共に之無し。】
三大秘法の流布される時代ではなかったからなのです。

【四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱〔だっ〕せしむ。】
この時代の四依の菩薩達は、大乗教や権教を縁として、釈迦在世に下種によって、その仏種で解脱出来たのです。

【謗〔ぼう〕多〔おお〕くして熟益〔じゅくやく〕を破るべき故に之を説かず、例せば在世の前四味の機根の如し。】
たとえば釈迦牟尼仏が華厳、阿含、方等、般若と四十余年にわたって教化してきた衆生と同じなのです。

【像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現〔じげん〕し出現して、】
像法次代の中頃から末へかけては、観音菩薩は南岳大師、薬王菩薩は天台大師と出現して、

【迹門を以て面〔おもて〕と為し本門を以て裏〔うら〕と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。】
迹門を面とし、本門を裏となして、百界千如、一念三千の法門を説きその意義を説き尽くしました。

【但理具〔りぐ〕を論じて事行〔じぎょう〕の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、】
しかしこれは、ただ理論的に仏界を具する事を論じたものであって事行の南無妙法蓮華経の五字ならびに本門の本尊については

【未だ広く之を行ぜず。】
未だ広くこれを行ずることはなかったのです。

【所詮〔しょせん〕円機〔えんき〕有って円時〔えんじ〕無き故なり。】
それは、衆生の機根は、少しは整っていたけれども、未だ事行の南無妙法蓮華経が弘通される時代ではなかったからなのです。

【今末法の初め、小を以て大を打ち権を以て実を破し、東西共に之を失〔しっ〕し天地□倒〔てんちてんどう〕せり。】
今、末法の初めとなって小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教を破り、東と西の意味さえ失って、天地が顛倒する大混乱の時代となりました。

【迹化の四依は隠〔かく〕れて現前〔げんぜん〕せず、諸天其〔そ〕の国を棄〔す〕て之を守護せず。】
像法時代に正法を弘めた四依の菩薩は、すでに隠れて現われず、諸天善神は、謗法の国を捨て去って守護せず、

【此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但〔ただ〕妙法蓮華経の五字を以て幼稚〔ようち〕に服せしむ。】
この時にあたって地涌の菩薩が初めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字をもって良薬として幼稚の衆生に服せしめるのです。

【「謗に因〔よ〕って悪に堕つは、必ず因って益を得〔う〕」とは是なり。】
妙楽大師が言った「法謗によって六悪道に堕ち、必ずそれによって大利益を得る。」とはこの事なのです。

【我が弟子之を惟〔おも〕へ、地涌千界は教主釈尊の初発心〔しょほっしん〕の弟子なり。】
我が弟子達は、このことをよく考えて、地涌千界は教主釈尊の五百塵点劫からの弟子であることを知るべきなのです。

【寂滅道場にも来たらず双林〔そうりん〕最後にも訪〔とぶら〕はず、不孝の失〔とが〕之〔これ〕有り。】
それなのに釈尊の最初の説法である寂滅道場の華厳経の時も居ず、また最後の説法である涅槃経の時も来て居ず、これは不孝の者と言うべきです。

【迹門の十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、】
法華経においても迹門の十四品には居ず、また本門に入っても薬王品第二十三以後の六品には座を立って、

【但八品の間に来還〔らいげん〕せり。】
釈尊五十年の説法中、法華経本門涌出品から嘱累品までの八品の間だけ居るにすぎないのです。

【是くの如き高貴〔こうき〕の大菩薩、三仏に約束して之を受持す。】
このような位が高い大菩薩が釈迦、多宝、分身の三仏に約束して、これを譲り与えられ受持しているのです。

【末法の初めに出でたまはざるべきか。】
どうして、このような大菩薩が末法の初めに出現しない事があるでしょうか。

【当〔まさ〕に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王〔けんおう〕と成〔な〕って愚王〔ぐおう〕を誡責〔かいしゃく〕し、】
まさに知るべきです。この四菩薩は、折伏を現じる時には、賢王と成って愚王を攻め、

【摂受〔しょうじゅ〕を行ずる時は僧と成って正法を弘持〔ぐじ〕す。】
摂受を行ずる時には、聖僧と成って正法を護持するのです。

第30章 如来の謙識を明かす

【問うて曰く、仏の記文〔きもん〕は云何〔いかん〕。】
それでは質問しますが、仏の未来記の文章にはどのように書いてあるのでしょうか。

【答へて曰く「後五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と。】
それに答えると、薬王品には「後の五百歳、末法の初めに全世界に広宣流布する。」と説かれています。

【天台大師記して云はく「後五百歳遠く妙道に沾〔うるお〕はん」と。】
天台大師は「後の五百歳、末法の初めにおいて妙法の大道に潤うであろう。」と予言されています。

【妙楽記して云はく「末法の初め冥利〔みょうり〕無きにあらず」と。】
妙楽大師は「末法の初めに優れた利益が現れないと言う事はない。」と記述しており、

【伝教大師云はく「正像稍〔やや〕過ぎ已〔お〕はって末法太〔はなは〕だ近きに有り」等云云。】
伝教大師は「正像二千年が過ぎ終わって末法がすぐそこに近づいている。」と言っています。

【「末法太だ近きに有り」の釈は、我が時は正時〔しょうじ〕に非ずと云ふ意なり。】
ここで伝教大師が末法がすぐそこに近づいていると言ったのは、自らの時代が法華経の正しい流布の時代ではないという意味なのです。

【伝教大師日本にして末法の始めを記して云はく】
伝教大師は、また日本に出現し、末法の初めをこのように記述しています。

【「代〔よ〕を語れば像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯〔かつ〕の西、。】
「時代を語れば、像法時代の終わり、末法の初めであり、その土地は、中国の東、カムチャッカ半島の西であり、

【人〔ひと〕を原〔たず〕ぬれば則ち五濁〔ごじょく〕の生・闘諍〔とうじょう〕の時なり。】
その時代の人間はと言うと五濁が盛んで、まさに闘諍堅固の時代である。

【経に云はく、猶多怨嫉〔ゆたおんしつ〕況滅度後〔きょうめつどご〕と。】
法華経法師品には、如来の現在ですらなお怨嫉が多い、いわんや滅度の後は、さらに怨嫉が強く盛んになるであろうと説かれています。

【此の言〔ことば〕良〔まこと〕に以〔ゆえ〕有るなり」と。】
この言葉は、実に深い理由のある事である。」と言われているのです。

【此の釈に「闘諍の時」云云、今の自界叛逆〔ほんぎゃく〕・西海侵逼〔しんぴつ〕の二難を指すなり。】
伝教大師の解釈文に闘諍の時と言うのは、今の自界叛逆、西海侵逼の二難を指すのです。

【此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為〔な〕す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。】
この予言が的中した時に、地涌千界の大菩薩が世に出現して、本門の釈尊を脇士となす、全世界、第一の本尊がこの国に建立されるのです。

【月支〔がっし〕・震旦〔しんだん〕に末〔いま〕だ此の本尊有〔ましま〕さず。】
インドにも中国にも未だ出現する事がなかった前代未聞の御本尊なのです。

【日本国の上宮〔じょうぐう〕、四天王寺を建立すれども末だ時来たらざれば、阿弥陀・他方を以て本尊と為す。】
日本では、聖徳太子が四天王寺を建立したけれども、未だ大御本尊を建立される時ではなかったから、他方の仏たる阿弥陀仏を本尊としました。

【聖武天皇、東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕はさず。】
聖武天皇は、東大寺を建てましたが、その本尊は華厳経の教主であって、いまだ法華経の実義を顕わしていないのです。

【伝教大師粗〔ほぼ〕法華経の実義を顕示〔けんじ〕す。】
伝教大師は、ほぼ法華経の実義を顕わし示めしたけれども、

【然〔しか〕りと雖〔いえど〕も時未だ来たらざるの故に、東方の鵞王〔ごう〕を建立して本門の四菩薩を顕はさず。】
未だ未法の時ではないので東方の薬師如来を本尊とし、法華経本門の四菩薩を顕わさなかったのです。

【所詮地涌千界の為に此を譲り与へたまふ故なり。】
ようするに、地涌千界にこれを譲り与えられたからなのです。

【此の菩薩仏勅〔ぶっちょく〕を蒙〔こうむ〕りて近く大地の下に在〔あ〕り。】
この地涌の大菩薩は、仏勅によってすぐ近くの大地の下に居られるのです。

【正像に未だ出現せず、末法にも又出で来たりたまはずば大妄語〔だいもうご〕の大士なり。】
しかし、それも正像二千年には、未だ出現せず、末法に入っても未だ出て来ないならば、これは釈迦牟尼仏は嘘つきであると言うべきでしょう。

【三仏の未来記も亦〔また〕泡沫〔ほうまつ〕に同じ。】
そうであるならば、それを予言したはずの三仏の未来記も水の泡と同じように消え去ってしまうのでしょうか。

【此を以て之を惟ふに、正像に無き大地震・大彗星〔すいせい〕等出来す。】
これをもって考えてみるに、正像には、未だかつてなかった大地震、大彗星などが最近になって次々に出て来ています。

【此等は金翅鳥〔こんじちょう〕・修羅・竜神等の動変に非ず、偏に四大菩薩を出現せしむべき先兆〔せんちょう〕なるか。】
これらは、金翅鳥、修羅、竜神などの起こす、わずかな変調ではなく、ひとえに四大菩薩の出現する前兆なのでしょう。

【天台の云はく「雨の猛〔たけ〕きを見て竜の大なるを知り、花の盛んなるを見て池の深きを知る」等云云。】
天台大師は「雨が激しい事を見て雨雲が大きい事を知り、蓮華が大きく咲くのを見て、その池が深い事を知る。」と言っています。

【妙楽の云はく「智人は起を知り蛇〔じゃ〕は自ら蛇を識〔し〕る」等云云。】
妙楽大師は、「智人は、将来起こるべき事を知り、蛇は、自ら蛇の通る道を知る。」と言っています。

【天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得〔う〕べきか。】
天が晴れれば、地はおのずから明かなとなるように、法華経を識る上行菩薩は、世法もおのずから明らかとなり、自界叛逆、西海侵逼がわかるのです。

第31章 総結

【一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠〔たま〕を裹〔つつ〕み、末代幼稚の頸〔くび〕に懸〔か〕けさしめたまふ。】
一念三千を識らない末法の衆生に、仏は大慈悲を起こされて、妙法五字の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の衆生の首にかけさせたまうのです。

【四大菩薩の此の人を守護したまはんこと、太公〔たいこう〕・周公〔しゅうこう〕の文王〔ぶんおう〕を摂扶〔しょうぶ〕し、】
四大菩薩が、この幼稚の衆生を守護する事は、太公、周公が文王に仕えてよく守護し、

【四晧〔しこう〕が恵帝〔けいてい〕に侍奉〔じぶ〕せしに異〔こと〕ならざる者なり。】
陝西(せんせい) 省商山に逃れた四人の老人が恵帝に仕えたのと異ならないのです。

【文永十年(太歳癸酉)卯月二十五日 日蓮 之を註す】
文永10年(西暦1273年)4月25日 日蓮、これを記述する。

第32章 観心本尊抄送状

【観心本尊抄副状 文永一〇年四月二六日 五二歳】
観心本尊抄副状 文永10年(西暦1273年)4月26日 52歳御作

【帷〔かたびら〕一つ、墨三長、筆五管給〔た〕び候ひ了〔おわ〕んぬ。】
垂れ衣一つ、墨を三挺、筆を五管を確かに頂きました。

【観心の法門少々之〔これ〕を註し、太田殿・教信御房等に奉る。】
観心の法門を、少しだけ取り出して大田殿、曾谷教信殿、その他、強信者の方々に送りました。

【此の事日蓮当身の大事なり。】
この事は、日蓮の身にあたる大事であります。

【之を秘して無二の志を見ば之を開拓せらるべきか。】
これを他人には見せずに、大きな志によって、これを開いて読んでください。

【此の書は難多く答へ少なし、未聞〔みもん〕の事なれば人の耳目〔じもく〕之を驚動〔きょうどう〕すべきか。】
この書は、疑問が多く答えが少ないのですが、前代未聞の事であるから、おそらく人々は、耳を疑い目を驚かす事でしょう。

【設〔たと〕ひ他見に及ぶとも、三人四人座を並べて之を読むこと勿〔なか〕れ。】
たとえ、理由が有って他人に見せる時でも、三人、四人と一緒にこれを読んではなりません。

【仏滅後二千二百二十余年、未〔いま〕だ此の書の心有らず、】
仏滅後、二千二百二十余年の間、未だこの書の心が世に説き現される事はありませんでした。

【国難を顧〔かえり〕みず五五百歳を期して之を演説す。】
いま日蓮がこのような国難を受け、五の五百歳にあたる末法の初めを期して、この未曾有の法門を述べ説き明かすのです。

【乞〔こ〕ひ願はくば一見を歴来〔へき〕たるの輩、師弟共に霊山浄土に詣〔もう〕でて、三仏の顔貌〔げんみょう〕を拝見したてまつらん。】
願はくば、これを一目でも見る者は、必ずこれを信じ、師弟ともに霊山浄土へと行って三仏の顔を拝見しようではありませんか。

【恐々謹言。】
怖れながら申し上げます。

【文永十年(太歳癸酉)卯月廿六日 日蓮花押】
文永10年(西暦1273年)4月26日 日蓮花押

【富木殿御返事】
富木殿御返事


ページのトップへ戻る