日蓮正宗法華講開信寺支部より

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立正安国論 第4回

[第五問] 和漢の例を出〔いだ〕す

【客殊〔こと〕に色を作〔な〕して曰く、】
客は、一段と怒り、顔色を変えてこのように質問しました。

【我が本師釈迦文〔もん〕、浄土の三部経を説きたまひてより以来〔このかた〕、】
私達の本師である釈迦牟尼仏が浄土三部経を説かれてから、

【曇鸞〔どんらん〕法師は四論の講説を捨てゝ一向に浄土に帰し、】
中国の曇鸞法師は、竜樹菩薩の「中観論」「十二門論」「大智度論」や提婆菩薩、世親菩薩の「百論」の四つの論を捨てて浄土の教えに帰依し、

【道綽〔どうしゃく〕禅師〔ぜんじ〕は涅槃の広業〔こうごう〕を閣〔さしお〕きて偏に西方の行を弘め、】
道綽禅師は、涅槃経を捨てて、ただ、ひたすら西方往生の念仏を弘め、

【善導〔ぜんどう〕和尚は雑行を抛ちて専修を立て、】
善導和尚は、雑多な修行を投げ打って、もっぱら念仏を修行したのです。

【恵心僧都〔えしんそうず〕は諸経の要文を集めて念仏之一行を宗とす。】
また日本の恵心僧都は、諸経の重要な文を集めて念仏の一行だけが肝心であるとしたのです。

【弥陀を貴重すること誠に以て然〔しか〕なり。又往生の人其れ幾ばくぞや。】
このように中国や日本の立派な仏教の先師達が阿弥陀仏を尊重しており、また、その念仏によって往生をとげた人も数多くおります。

【就中〔なかんずく〕法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉〔わた〕り、】
その中でも法然上人は、幼少の時より比叡山に登り、十七歳で天台の三大部「法華玄義」「法華文句」「摩詞止観」六十巻を学び、

【並びに八宗を究〔きわ〕め具〔つぶさ〕に大意を得たり。】
華厳宗、三論宗、法相宗、倶舎宗、成実宗、律宗、真言宗、天台宗の八宗の教義を究めました。

【其の外一切の経論七遍反覆〔はんぷく〕し、章疏〔しょうしょ〕伝記究め看〔み〕ざることなく、】
その他、一切経を七回も繰り返し読まれ、注釈書や伝記類までも研究しないものはありませんでした。

【智は日月に斉〔ひと〕しく徳は先師に越〔こ〕えたり。】
智恵が明らかな事は、日月のようであり、徳の高い事は、先師達を越えていました。

【然りと雖も猶出離〔しゅつり〕の趣に迷ひ涅槃の旨を弁〔わきま〕へず。】
それでもなお、三界六道の俗世間を出ることが出来ずに生死の迷いを離れる事が出来ない為に、

【故に遍〔あまね〕く覿〔み〕、悉く鑑〔かんが〕み、深く思ひ、遠く慮〔おもんばか〕り、】
広く浄土の先師の書を読み、時代や機根をよく考えて、深く浄土門の修行しやすいことに思いをめぐらせ、

【遂に諸経を抛〔なげう〕ちて専ら念仏を修す。】
聖道門の悟り難い事を考えあわせて、その結果、ついに諸経を投げ打って、もっぱら念仏を修行されたのです。

【其の上一夢〔いちむ〕の霊応〔れいおう〕を蒙〔こうむ〕り四裔〔しえい〕の親疎〔しんそ〕に弘む。】
そのうえ善導和尚の夢の御告げを得て、いかなる辺土に於いても、またどのような縁の者にも広く念仏を広めたのです。

【故に或は勢至〔せいし〕の化身〔けしん〕と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。】
そこで人々は、勢至菩薩の化身であるとも、また善導大師の再誕であるとも仰いで尊敬したのです。

【然れば則ち十方の貴賎頭〔きせんこうべ〕を低〔た〕れ、一朝〔いっちょう〕の男女〔なんにょ〕歩〔あゆ〕みを運ぶ。】
そうであればこそ貴族も庶民も一様にその教えを聞こうと頭を低くし、日本の男女は、すべて、そのもとに歩みを運んだのです。

【爾しより来〔このかた〕春秋推〔お〕し移り、星霜相〔あい〕積れり。】
それ以来、数十年の年月が過ぎ去り、

【而るに忝〔かたじけな〕くも釈尊の教へを疎〔おろそ〕かにして、恣〔ほしいまま〕に弥陀の文を譏〔そし〕る。】
それにも関わらず、このように釈尊の説かれた浄土三部経を軽んじ、阿弥陀仏の誓願を謗〔そし〕るとは、まことに恐るべき事です。

【何ぞ近年の災を以て聖代〔せいだい〕の時に課〔おお〕せ、強〔あなが〕ちに先師を毀〔そし〕り、更に聖人を罵〔ののし〕るや。】
どうして近年の災難を、法然上人が念仏を弘めた罪だと言い、無理やりに念仏を弘めた先師達を謗〔そし〕り、法然上人を罵〔ののし〕るのか。

【毛を吹いて疵〔きず〕を求め、皮を剪〔き〕りて血を出だす。】
それは、疵〔きず〕を探し、皮をこすって血を出すようなもので、余計な詮索〔せんさく〕と言うべきではないですか。

【昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず、惶〔おそ〕るべく慎〔つつし〕むべし。】
今までこのような悪口雑言は聞いたためしがありません。まことに恐ろしい事ですし、慎しむべき事です。

【罪業〔ざいごう〕至って重し、科条争〔いか〕でか遁〔のが〕れん。】
その罪は、極めて重く、罪は、到底、免〔まぬが〕れられません。

【対座猶〔なお〕以て恐れ有り、杖を携〔たずさ〕へて則ち帰らんと欲す。】
このように話し合っている事さえ恐ろしいことですから、私はこれで帰ろうと思います。

[第五答] 和漢の例を出〔いだ〕す

【主人咲〔え〕み止〔とど〕めて曰く、】
その言葉に、主人は、笑みを浮かべて客を止めて言いました。

【辛〔から〕きを蓼葉〔りょうよう〕に習ひ臭きを溷厠〔こんし〕に忘る。】
俗に辛い物を食べ続けていると辛さを感じないと言い、便所に長く入ると、いつしか臭いも気にならなくなると言うように、

【善言を聞いて悪言と思ひ、謗者〔ぼうしゃ〕を指して聖人〔しょうにん〕と謂ひ、正師を疑って悪侶〔あくりょ〕に擬〔ぎ〕す。】
長く念仏を信じると忠告を聞いても悪口と思い、正法を謗〔そし〕る人を見ても聖人と思い、正しい師を見ても悪僧と疑ったりするものです。

【其の迷ひ誠に深く、其の罪浅〔あさ〕からず。】
その迷いは、まことに深く、その罪は極めて重いものです。

【事〔こと〕の起こりを聞かんとならば、委〔くわ〕しく其の趣を談ぜん。】
まず、事実関係をよく御聞き下さい。詳しく法然の実際の姿を御話ししましょう。

【釈尊説法の内〔うち〕、一代五時の間先後を立てゝ権実を弁〔べん〕ず。】
釈迦牟尼仏の一代五十年の説法には、前後の順序があり、方便の教えと真実の教えとがあるのです。

【而るに曇鸞〔どんらん〕・道綽〔どうしゃく〕・善導〔ぜんどう〕既〔すで〕に権に就〔つ〕いて実を忘れ、先〔せん〕に依って後を捨つ。】
しかし、曇鸞、道綽、善導は、先に説いた方便の教えである権教を取って、後に本意を述べられた法華実教を忘れて捨ててしまったのです。

【未だ仏教の淵底〔えんでい〕を探〔さぐ〕らざる者なり。】
彼らは、まだ仏教の根本の法である法華経を知らず、それを教える為の予備知識である権教を正しいと思っている未熟な者といわざるをえません。

【就中〔なかんずく〕法然其の流れを酌〔く〕むと雖も其の源〔みなもと〕を知らず。】
ことに法然は、浄土三師の流れをくむ者ですが、彼らと同じく仏教の根源が法華経にある事を知らないのです。

【所以〔ゆえん〕は何〔いかん〕、大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、】
なぜならば、大乗経典、六百三十七部二千八百八十三巻とすべての諸仏、菩薩、諸天善神を捨てよ、

【捨閉閣抛〔しゃへいかくほう〕の字を置いて一切衆生の心を薄〔おか〕す。】
閉じよ、閣〔さしお)け、抛〔なげう〕ての四文字を説いて、多くの人々を迷わせているからです。

【是偏〔ひとえ〕に私曲〔しきょく〕の詞〔ことば〕を展〔の〕べて全く仏経の説を見ず。】
これは法然一人が勝手に経文を解釈した言葉であり、まったく仏説に基づいてはいません。

【妄語〔もうご〕の至り、悪口〔あっく〕の科〔とが〕、言ひても比無〔たぐいな〕く、責〔せ〕めても余〔あま〕り有り。】
その妄説、邪説、悪口の罪は、他に比べるものがなく、責めても余りあるものなのです。

【人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択〔せんちゃく〕を貴ぶ。】
人々がみな法然の間違った妄説、邪説を信じ、そのことごとくが選択集を尊んで、

【故に浄土の三経を崇めて衆経を抛〔なげう〕ち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。】
浄土三部経だけを崇めて他の諸経を打ち捨てて極楽世界の阿弥陀仏だけを拝んで他の諸仏を敬わず忘れているのです。

【誠に是〔これ〕諸仏諸経の怨敵〔おんてき〕、聖僧衆人〔しゅじん〕の讎敵〔しゅうてき〕なり。】
まことに法然こそは、諸仏諸経の怨敵であり、聖僧や大衆の宿敵なのです。

【此の邪教広く八荒に弘まり周〔あまね〕く十方に遍〔へん〕す。】
ところが今やこの邪教が広く天下に弘まり日本中を覆ってしまったのです。

【抑〔そもそも〕近年の災を以て往代〔おうだい〕を難ずるの由強〔よしあなが〕ちに之を恐〔おそ〕る。】
いったい、あなたは、近年の災いを過去の法然の謗法が原因だと非難した事をひどく恐れているようですが、それはなぜなのでしょうか。

【聊〔いささか〕先例を引いて汝の迷ひを悟〔さと〕すべし。】
少しばかり、その先例を引いて、その根拠がある事を証明して、あなたの疑いを晴らしてあげましょう。

【止観〔しかん〕の第二に史記を引いて云はく】
天台大師の摩訶止観第二に前漢の時代に司馬遷〔しばせん〕が著した史記を引用して次のように記しています。

【「周の末〔すえ〕に被髪袒身〔ひほつたんしん〕にして礼度〔れいど〕に依らざる者有り」と。】
周の代の末に、髪が不潔で衣服が乱れた礼儀をわきまえない者達がいた。

【弘決〔ぐけつ〕の第二に此の文を釈するに、左伝〔さでん〕を引いて曰く】
この文章を妙楽大師は、摩訶止観弘決において春秋左氏伝〔しゅんじゅうさしでん〕を引用して次のように解釈しています。

【「初め平王〔へいおう〕の東遷〔とうせん〕するや、伊川〔いせん〕に被髪の者の野〔の〕に於て祭〔まつ〕るを見る。】
周の平王が外敵に侵略されて都を東へ遷すとき、伊川という場所で髪が不潔な者が野に立って祭をしているのを見ました。

【識者の曰く、百年に及ばざらん。其の礼先〔れいま〕ず亡〔ほろ〕びぬ」と。】
随行していた辛有〔しんゆう〕が言うのには、あのように礼儀をわきまえない者が居るのを見ればこの土地は百年と言わず敵国となるであろう。

【爰〔ここ〕に知んぬ、徴〔しるし〕前〔さき〕に顕はれ災ひ後〔のち〕に致ることを。】
これらの文からわかるように、災いの前には必ずその前兆が現われるものなのです。

【「又阮籍〔げんせき〕逸才〔いつざい〕にして蓬頭散帯〔ほうとうさんたい〕す。】
また摩訶止観には、続いてこのように記されています。阮籍という詩人は、才能のある人であったが常に髪が不潔で帯も締めずに生活していた。

【後に公卿〔こうけい〕の子孫皆之〔これ〕に教〔なら〕ひて、奴苟〔どく〕して相辱〔はずか〕しむる者を】
そこで高貴な生まれの子供達も、これが格好良いと思い、下品な言葉をわざと使って礼儀を無視し、相手を辱めたりする事が、

【方〔まさ〕に自然〔じねん〕に達〔たっ〕すといひ、□節兢持〔そんせつきょうじ〕する者を呼んで田舎〔でんしゃ〕と為す。】
当たり前のようになって、かえって礼儀を重んじ慎み深い者を、流行がわからない田舎者であると軽蔑しました。

【司馬氏の滅ぶる相と為す」已上。】
これが司馬氏が四代で滅びた前兆であるのです。

【又慈覚大師〔じかくだいし〕の入唐〔にっとう〕巡礼記〔じゅんれいき〕を案ずるに云はく】
また慈覚大師の入唐求法巡礼行記には、次のような事が記されています。

【「唐の武宗〔ぶそう〕皇帝の会昌〔かいしょう〕元年、勅〔ちょく〕して】
唐の武宗皇帝の時代、会昌元年(西暦841年)に、

【章敬寺〔しょうきょうじ〕の鏡霜法師〔きょうそうほっし〕をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝へしむ。】
章敬寺の鏡霜法師に皇帝の命令を出して念仏の教えを広めさせた。

【寺毎〔ごと〕に三日巡輪〔じゅんりん〕すること絶えず。】
国内の寺ごとに三日ずつ巡っては、念仏の教えを行なわせたところ、

【同二年回鶻国〔かいこつこく〕の軍兵〔ぐんぴょう〕等唐の堺〔さかい〕を侵す。】
同二年には、ウイグル国の軍隊が唐の国境を侵略し、

【同三年河北〔かほく〕の節度使〔せつどし〕忽〔たちま〕ち乱を起こす。】
同三年には、河北地方の国境を警備している兵隊が反乱を起こしました。

【其の後大蕃国〔だいばんこく〕更〔ま〕た命〔めい〕を拒〔こば〕み、回鶻国重ねて地を奪〔うば〕ふ。】
その後、チベットも唐の命令を拒否し、ウイグル国を重ねて侵略したのです。

【凡〔およ〕そ兵乱〔ひょうらん〕は秦項〔しんこう〕の代〔よ〕に同じく、災火邑里〔ゆうり〕の際〔さい〕に起こる。】
このような戦乱の続いた事は、秦から漢へと移る時代と同じで、戦火によって多くの村や里が災難にあったのです。

【何に況んや武宗〔ぶそう〕大〔おお〕いに仏法を破し多く寺塔を滅す。】
それだけでなく、武宗は仏教を迫害し、多くの寺や塔を破壊したので、

【乱〔らん〕を撥〔おさ〕むること能〔あた〕はずして遂に以て事〔こと〕有り」已上取意。】
反乱を収める事が出来ずに、ついにその罪によって病いとなり狂死してしまったのです。

【此を以て之を惟〔おも〕ふに、法然は後鳥羽院〔ごとばいん〕の御宇〔ぎょう〕、建仁〔けんにん〕年中の者なり。】
このように中国の歴史を見ても今の日本の現実に照らし合わせて考えてみると、法然は後鳥羽上皇の建仁年間の人であり、

【彼の院の御事〔おんこと〕既に眼前に在〔あ〕り。】
その後鳥羽上皇が隠岐の島に配流された事は、周知の事実であります。

【然れば則ち大唐に例を残し吾〔わ〕が朝に証〔しょう〕を顕はす。】
念仏が災難の原因をなすという事は、唐にその実例があり、日本にもその証拠があります。

【汝〔なんじ〕疑ふこと莫〔なか〕れ汝怪〔あや〕しむこと莫れ。】
この現実は、疑う事は出来ないし、怪しむ事も出来ない真実ではないですか。

【唯須〔すべから〕く凶を捨てゝ善に帰し源を塞〔ふさ〕ぎ根〔ね〕を截〔き〕るべし。】
まず、念仏の一凶を捨てて法華経の一善に帰依し、災難の原因である謗法の根源を断ち切らなければなりません。

[第六問] 勘状〔かんじょう〕の奏否〔そうひ〕

【客聊〔いささか〕和〔やわ〕らぎて曰く、】
客は、少し態度を和らげて次のように言いました。

【未だ淵底〔えんでい〕を究めざれども数〔しばしば〕其の趣を知る。】
未だその現実に奥深い理由までは、理解できませんが、およそ、その趣旨は、わかりました。

【但し華洛〔からく〕より柳営〔りゅうえい〕に至るまで釈門に枢□〔すうけん〕在り、仏家に棟梁〔とうりょう〕在り。】
しかし、京都から鎌倉へかけて、仏教界には立派な人物が数多くいますが、

【然れども未だ勘状〔かんじょう〕を進〔たてまつ〕らず、上奏〔じょうそう〕に及ばず。】
まだ、この事について朝廷にも幕府にも進言した者はおりません。

【汝賎〔いや〕しき身を以て輙〔たやす〕く莠言〔ゆうげん〕を吐く。其の義余り有り、其の理謂〔いわ〕れ無し。】
あなたが身分をわきまえず、このように軽々しく言い立てる事は、その思いは、よくわかりますが世間の常識に外れた行為と言うべきでしょう。

[第六答] 勘状〔かんじょう〕の奏否〔そうひ〕

【主人の曰く、】
主人は、その言葉にこのように答えました。

【予〔よ〕少量たりと雖も忝〔かたじけな〕くも大乗を学す。】
確かに私は、卑しい身分で力もありませんが、ありがたいことに法華経を学んでおります。

【蒼蠅驥尾〔そうようきび〕に附〔ふ〕して万里を渡り、】
つまらない青い縄〔はえ〕も足が速い馬の尾に止まっていれば、労せずして遠くに行く事ができ、

【碧蘿松頭〔へきらしょうとう〕に懸〔か〕かりて千尋〔せんじん〕を延〔の〕ぶ。】
地面をはっている緑の蔦〔つた〕も松の大木に絡みつけば、すごく高い場所まで延びる事ができます。

【弟子、一仏の子と生まれて諸経の王に事〔つか〕ふ。】
そのように真の仏弟子であれば、唯一の仏を師としてこの世に生まれ、諸経の王である法華経を理解出来るのです。

【何ぞ仏法の衰微〔すいび〕を見て心情の哀惜〔あいせき〕を起こさゞらんや。】
それゆえに正しい仏法が衰えているのを見て悲しまないではいられず、なんとかしようと考えるのは当然ではないでしょうか。

【その上涅槃経に云はく】
大般涅槃経の寿命品には、このように書いてあります。

【「若し善比丘ありて法を壊〔やぶ〕る者を見て置いて呵責〔かしゃく〕し駈遺〔くけん〕し挙処〔こしょ〕せずんば、】
たとえ、立派な僧侶であっても、正法を破る者を見て、これをとがめもせず、邪宗を追い出そうともせず、その罪をただそうともしないならば、

【当〔まさ〕に知るべし、是の人は仏法の中の怨〔あだ〕なり。】
まさに知るべきです。この人は、仏法の中の敵〔かたき〕なのです。

【若し能〔よ〕く駈遺し呵責し挙処せば是〔これ〕我が弟子、真の声聞なり」と。】
これに対し、邪宗の者を厳しく諌めて、問いただし、追い出すならば、これこそ真の声聞なのです。

【余、善比丘の身たらずと雖も「仏法中怨〔ぶっぽうちゅうおん〕」の責めを遁〔のが〕れんが為に】
私は、決っして立派な僧侶と言われるような身分ではありませんが、仏法の中の怨であると言う仏の叱責を怖れる為であり、

【唯大綱〔たいこう〕を撮〔と〕って粗〔ほぼ〕一端を示す。】
その為にただ、概要を説いて、その一端を述べているに過ぎないのです。

【其の上〔うえ〕去ぬる元仁〔げんにん〕年中に、延暦〔えんりゃく〕・興福〔こうふく〕の両寺より度々奏聞〔そうもん〕を経〔へ〕、】
その上、元仁年間には、たびたび念仏を停止せよとの延暦寺と興福寺からの天皇への訴えがあったので、

【勅宣〔ちょくせん〕御教書〔みぎょうしょ〕を申し下して、法然の選択の印板〔いんばん〕を大講堂に取り上げ、】
嘉禄三年(西暦1227年)には、朝廷から勅宣、幕府から御教書が下って、選択集の板木を比叡山の大講堂に取りあげ、

【三世の仏恩〔ぶっとん〕を報ぜんが為に之を焼失せしめ、】
三世の諸仏の御恩を報じる為に、これを焼却させ、

【法然の墓所〔むしょ〕に於ては感神院〔かんじんいん〕の犬神人〔いぬじにん〕に仰せ付けて破却〔はきゃく〕せしむ。】
法然の墓所は、八坂神社の使用人に命じて壊させたのです。

【其の門弟隆観〔りゅうかん〕・聖光〔しょうこう〕・成覚〔じょうかく〕・薩生〔さっしょう〕等は遠国〔おんごく〕に配流せられ、】
また法然の弟子である隆観・聖光・成覚・薩生らは遠国に流されて、

【其の後未〔いま〕だ御勘気を許されず。豈〔あに〕未だ勘状〔かんじょう〕を進〔まい〕らせずと云はんや】
未だにその後、許されていないのですが、このような前例をもってしても、なお上奏した者などいないと言えるでしょうか。


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