日蓮正宗法華講開信寺支部より

ようこそ開信寺へ

御書研鑚の集い 報恩抄に学ぶ 御書研鑚資料


報恩抄 第3回

第21章 災難の所以を明かす

【弘法・慈覚・智証の誤り、並びに禅宗と念仏宗とのわざわ〔禍〕いあい〔相〕を〔起〕こりて、逆風に大波をこり、大地震のかさなれるがごとし。】
弘法、慈覚、智証の誤〔あやま〕りと禅宗と念仏宗の災いが競って起こり、暴風で大波が起こり、その上、大地震が重なったのである。

【さればやうや〔漸〕く国をと〔衰〕ろう。】
そういうことで、いよいよ国は、衰えてしまったのです。

【太政〔だいじょう〕入道が国ををさ〔押〕へ、承久〔じょうきゅう〕に王位つきはてゝ世〔よ〕東にうつりしかども、】
以前は、平清盛が太政大臣となって国政を我が物とし、承久の乱では、北条義時が王位を乗っ取り、政治の中心は東の鎌倉に移ったけれども、

【但国中のみだれにて他国のせめはなかりき。】
このように国中が内戦で乱れたけれども、それでも他国が攻めて来るような事はなかったのです。

【彼は謗法の者は国に充満せりといへども、さゝ〔支〕へ顕はす智人なし。かるがゆへになの〔斜〕めなりき。】
弘法のような謗法の者が国に充満していたけれども、それでも正法を支え顕わす智者もいなかったので、逆にその罪は、軽かったのです。

【譬へば師子のねぶ〔眠〕れるは手をつけざればほ〔吼〕へず。迅〔はや〕き流れは櫓〔ろ〕をさゝへざれば波たかゝらず。】
眠れるライオンに手さえ出さなければ、吠えられる事などないのです。流れが速い川に櫓を入れさえしなければ波は立たないのです。

【盗人はとめざればいからず。火は薪〔たきぎ〕を加へざればさかんならず。】
盗人であっても逆らわなければ怒る事もなく、新しく木を入れなければ火も勢いを増す事はないのです。

【謗法はあれどもあらわす人なければ国もをだ〔穏〕やかなるにに〔似〕たり。】
いくら謗法であっても、それを指摘する者がいないのであれば、しばらくは、国も穏やかなままに見えるものです。

【例せば日本国に仏法わたりはじめて候ひしに、始めはなに事もなかりしかども、守屋〔もりや〕仏をやき、】
たとえば日本に仏法が渡り始めて、始めは何事もなかったけれども、蘇我〔そが〕の馬子が仏法を信じると、物部〔もののべ〕の守屋が仏像を焼き、

【僧をいましめ、堂塔をやきしかば、天より火の雨ふり、国にはうさう〔疱瘡〕をこり、兵乱つゞきしがごとし。】
僧侶を捕え、堂塔を焼き尽くすと、空から火の雨が降り、国中で疱瘡が流行し、兵乱が続出したのと同じなのです。

【此はそれにはにるべくもなし。謗法の人々も国に充満せり。日蓮が大義も強くせめかゝる。】
しかし、これは、それ以上であり、謗法の人々は、国に充満しており、日蓮が仏法の大義によって謗法の者を強く責めているからなのです。

【修羅と帝釈と、仏と魔王との合戦にもをと〔劣〕るべからず。】
その姿は、修羅と帝釈と、仏と魔王との戦いにも劣らず、

【金光明経に云はく「時に隣国の怨敵是〔か〕くの如き念を興〔おこ〕さん。当〔まさ〕に四兵を具して彼の国土を壊〔やぶ〕るべし」等云云。】
金光明経には、「その時、隣りの国の怨敵が、すぐに総兵力をもって、この国土に侵攻しようとの思いを興すのである。」と説かれています。

【又云はく「時に王見已〔お〕はって、即ち四兵を厳〔よそお〕ひて彼の国に発向〔はっこう〕し、討罰を為〔な〕さんと欲す。】
また、「その時、王は、その結末を見て、即座に総兵力を動員して、この国に向かって出発し、謗法の者を討ち罰を与えるのです。

【我等爾〔そ〕の時に、当に眷属〔けんぞく〕無量無辺の薬叉〔やしゃ〕諸神と各〔おのおの〕形を隠〔かく〕して為に護助を作〔な〕し、】
その時には、数多くの仏法の諸天善神も、夜叉など、いろいろな形となって、その身を隠し、この王を援護するのです。

【彼の怨敵をして自然に降伏〔ごうぶく〕せしむべし」等云云。最勝王経の文、又かくのごとし。大集経云云。仁王経云云。】
こうやって、仏法の怨敵をしぜんに降伏させてしまうのです。」と説かれており、最勝王経、大集経、仁王経にもこれと同じ事が説かれています。

【此等の経文のごときんば、正法を行ずるものを国主あだみ、邪法を行ずる者のかたうど〔方人〕せば、】
これらの経文の通りであれば、正法を行ずる者を国主が恨んで邪法を行ずる者の味方をすれば、

【大梵天王・帝釈・日月・四天等・隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべしとみゆ。】
大梵天王、帝釈天、日月、四天等が隣りの国の賢王の身になって、その国を攻めると思われるのです。

【例せば訖利多王〔きりたおう〕を雪山下王〔せっせんげおう〕のせめ、大族王〔だいぞくおう〕を幻日王〔げんにちおう〕の失ひしがごとし。】
たとえば、カシミラ国の訖利多王がトカラ国の雪山下王に攻められ、ケッカ国の大族王がマカダ国の幻日王によって滅ぼされたのと同じ事なのです。

【訖利多王と大族王とは月氏の仏法を失ひし王ぞかし。漢土にも仏法をほろぼしゝ王、みな賢王にせめられぬ。】
訖利多王と大族王は、いずれもインドにおいて仏法を破壊した者なのです。漢土においても仏法を滅ぼした王は、すべて賢王に攻められているのです。

【これは彼にはにるべくもなし。仏法のかたうどなるやうにて、仏法を失ふ法師のかたうどをするゆへに、愚者はすべてしらず。】
しかし、この日本の状況は、さらにひどく、為政者が仏法を興隆させようとして仏法を破壊する僧侶を助けている事が、なかなか理解できないのです。

【智者なんども常の智人はし〔知〕りがた〔難〕し。天も下劣の天人は知らずもやあるらん。】
愚かな者だけでなく智者であっても普通の智人では、この事は、知り難く、たとえ諸天善神であっても智慧がない神にはわからないのかも知れません。

【されば漢土・月氏のいにし〔古〕へのみだれよりも大きなるべし。】
そうであれば、過去の中国やインドよりも、日本の現在の状態は悪く、兵乱は、さらに大きく悲惨なのでしょう。

第22章 国中の謗法を明かす

【法滅尽経に云はく「吾般泥□〔はつないおん〕の後、五逆濁世に、魔道興盛〔こうじょう〕し、】
法滅尽経には、「釈迦牟尼仏が入滅した後に五逆罪の者が多数の濁世に邪宗が興隆し、

【魔沙門〔しゃもん〕と作って吾が道を壊乱〔えらん〕せん。】
悪鬼魔人が僧侶となって仏法を破壊するのである、

【乃至悪人転〔うたた〕多く海中の沙〔いさご〕の如く、善者甚だ少なくして、若しは一、若しは二」云云。】
しかも悪人は、非常に多く、海の中の砂のようで、善者は、はなはだ少なくて、一人か二人である。」と説かれているのです。

【涅槃経に云はく「是くの如き等の涅槃経典を信ずるものは、爪上〔そうじょう〕の土〔ど〕の如し。】
また、涅槃経には「このような涅槃経典を信ずる者は、爪の上の土のように非常に少なく、

【乃至是の経を信ぜざるものは、十方界の所有の地土の如し」等云云。】
この経文を信じない者は、見渡す限りの大地の土のようである。」と説かれているのです。

【此の経文は予が肝に染みぬ。当世日本国には、我も法華経を信じたり信じたり、諸人の語のごときんば、一人も謗法の者なし。】
この経文は、日蓮の心に染みるものである。現在の日本には、私は、法華経を信じていると言う者は多く、誰一人、謗法の者などいないようである。

【此の経文には、末法に謗法の者十方の地土、正法の者爪上の土等云云。】
しかし、この経文には、末法に謗法の者は、十方の大地の土、正法の者は、爪上の土と説かれているではないか。


【経文と世間とは水火なり。世間の人の云はく、日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云。】
経文と現実は、まるで火と水のようであり、世間の人は、日本には、日蓮だけが謗法の者のように言っているのです。

【又経文には天地せり。法滅尽〔ほうめつじん〕経には善者は一・二人。】
しかし、経文には、謗法の者は大地と説かれており、法滅尽経には、善者は一人もしくは、二人と説かれているのです。

【涅槃経には信ずる者は爪上の土等云云。】
涅槃経には、信ずる者は、爪の上の土とあり、

【経文のごとくならば、日本国は但日蓮一人こそ爪上の土、一・二人にては候へ。】
この経文通りならば、日本では、ただ日蓮一人こそが、その爪の上の土であり、一人もしくは二人ではないでしょうか。

【経文をや用ふべき、世間をや用ふべき。】
経文を信じるか、世間の人々が言う事を信じるべきでしょうか。

【問うて云はく、涅槃経の文には、涅槃経の行者は爪上の土等云云。汝が義には法華経等云云、如何〔いかん〕。】
それでは、質問しますが、涅槃経の文では、涅槃経の行者は爪の上の土とありますが、法華経には、それは書いてないのではないでしょうか。

【答へて云はく、涅槃経に云はく「法華の中の如し」等云云。】
それに答えると、涅槃経には「法華経にあるように」と説かれています。

【妙楽大師云はく「大経自ら法華を指〔さ〕して極〔ごく〕と為〔な〕す」等云云。大経と申すは涅槃経なり。】
また、妙楽大師は、「大経は、自〔みずか〕ら、法華経を指して極説とする。」と言われています。大経とは、大般涅槃経を言うのです。

【涅槃経には法華経を極と指して候なり。】
このように涅槃経は、法華経を極説と示しているのです。

【而〔しか〕るを涅槃宗の人の涅槃経を法華経に勝ると申せしは、主を所従といゐ下郎〔げろう〕を上郎〔じょうろう〕といゐし人なり。】
よく涅槃宗の人が涅槃経を法華経より優れていると言うのは、主人を執事と言い、部下を上司と言っているようなものなのです。

【涅槃経をよむと申すは、法華経をよむを申すなり。】
このように涅槃経を正しく読むと言うのは、法華経を真実であると読む人の事なのです。

【譬へば賢人は国主を重んずる者をば、我をさ〔下〕ぐれども悦ぶなり。】
立派な人とは、たとえ、その人自身が軽く見られても、その人が護っている国主を大事にしてくれれば喜ぶものなのです。

【涅槃経は法華経を下げて我をほむる人をば、あなが〔強〕ちに敵とにく〔憎〕ませ給ふ。】
涅槃経は、法華経を涅槃経より下に観て、涅槃経を褒める人を、敵〔かたき〕として強く憎むものなのです。

第23章 嘉祥の懺悔謗罪

【此の例をもって知るべし。華厳経・観経・大日経等をよむ人も法華経を劣るとよむは、彼々の経々の心にはそむ〔背〕くべし。】
この涅槃経の例をもって知りなさい。華厳経、観経、大日経をいくら読んでも、その経より法華経が劣ると読めば、その経の心に背く事になるのです。

【此をもって知るべし、法華経をよむ人の此の経をば信ずるやう〔様〕なれども、諸経にても得道な〔成〕るとをも〔思〕うは、】
これをもって知るべきであるのです。いくら法華経を読んで信じているようであっても、他の経によって成仏できると思うのは、

【此の経をよまぬ人なり。】
この法華経を読んでいないのと同じなのです。

【例せば、嘉祥〔かじょう〕大師は、法華玄と申す文十巻を造りて法華経をほめしかども、】
嘉祥大師が法華玄論という解説書、十巻を著作して法華経を讃嘆したけれども、

【妙楽か〔彼〕れをせめて云はく「毀〔そしり〕其の中に在り、何んぞ弘讃〔ぐさん〕と成さん」等云云。】
妙楽大師が嘉祥大師を責めて「讃嘆している様であっても、謗〔そし〕りがその中にあり、なんで讃嘆と言えようか」と言われています。

【法華経をやぶる人なり。されば嘉祥は落ちて、天台につか〔仕〕ひて法華経をよまず、】
この嘉祥大師こそ法華経の本義を破壊する人なのです。そうであればこそ、後に嘉祥は、悪道に堕ちて後悔し、天台に仕えて法華経を講義せず、

【我〔われ〕経をよむならば悪道まぬかれがたしとて、七年まで身を橋とし給ひき。】
私が法華経を講義すれば、間違って法華経が理解され、再び悪道に堕ちてしまうと言って、七年まで天台大師に身を橋とするようにして仕えたのです。

【慈恩大師は玄賛〔げんさん〕と申して法華経をほむる文十巻あり。】
法相宗の開祖である慈恩大師は、法華玄賛と言う法華経を讃嘆する解説書を十巻、著作しました。

【伝教大師せめて云はく「法華経を讃〔ほ〕むると雖〔いえど〕も還って法華の心を死〔ころ〕す」等云云。】
伝教大師は、これを責めて「法華経を讃めると、いえども還って法華の心を殺す」と言われたのです。

【此等をもってをも〔思〕うに、法華経をよみ讃歎する人々の中に無間地獄は多く有るなり。】
これをもって思うに法華経を読み讃歎する人々の中にこそ無間地獄に堕ちる者は、多くいるのです。

【嘉祥・慈恩すでに一乗誹謗の人ぞかし。弘法・慈覚・智証あに法華経蔑如〔べつじょ〕の人にあらずや。】
嘉祥、慈恩でさえ法華経の一仏乗を誹謗する人であるのに、弘法、慈覚、智証が法華経を蔑視する人でない事があるでしょうか。

【嘉祥〔かじょう〕大師のごとく講を廃し衆を散じて身を橋となせしも、猶〔なお〕や已前の法華経誹謗の罪やき〔消〕へざるらん。】
嘉祥大師のように講を解散して自らを信じる者を散じ、身を橋として天台大師に仕えたとしても、なお、法華経誹謗の罪が消えなかったのです。

【不軽〔ふきょう〕軽毀〔きょうき〕の者は不軽菩薩に信伏随従せしかども、重罪いまだのこ〔残〕りて、千劫〔せんごう〕阿鼻に堕〔お〕ちぬ。】
常不軽菩薩を軽んじ迫害した者は、後で常不軽菩薩を信じ、従ったけれども、重罪が残って千劫の間、無間地獄に堕ちたのです。

【されば弘法・慈覚・智証等は設ひひるが〔翻〕へす心ありとも、尚法華経をよむならば重罪き〔消〕へがたし。】
そうであれば、弘法、慈覚、智証は、たとえ後悔する心があったとしても、法華経を読むならば、その重罪は消え難いのです。

【いわ〔況〕うやひるがへる心なし。又法華経を失ひ、真言教を昼夜に行ひ、朝暮に伝法せしをや。】
それなのに後悔する心さえなく、ましてや、いまだに法華経を誹謗し、真言の邪教を昼夜に行い、朝暮にそれを人々に弘めているのです。

【世親〔せしん〕菩薩・馬鳴〔めみょう〕菩薩は小をも〔以〕て大を破せる罪をば、舌を切らんとこそせしか。】
世親菩薩や馬鳴菩薩は、小乗経で大乗経を貶〔おとし〕めた罪を後悔して舌を切って詫びようとしました。

【世親菩薩は仏説なれども、阿含経をばたわぶ〔戯〕れにも舌の上にを〔置〕かじとちか〔誓〕ひ、】
世親菩薩は、仏説では、あるけれども、小乗経である阿含経を、たとえ戯〔たわむ〕れであったとしても、かたく言葉にしないと誓ったのです。

【馬鳴菩薩は懺悔〔ざんげ〕のために起信論をつくりて、小乗をやぶり給ひき。】
馬鳴菩薩は、懺悔の為に大乗経を讃嘆する大乗起信論を作って、小乗経を破折したのです。

【嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて百余人の智者の前にして、五体を地になげ、遍身〔へんしん〕にあせ〔汗〕をながし、】
嘉祥大師は、天台大師に破折されて、かつて弟子であった百余人の智者の前にして、自分の身体を地に伏せて全身を使って天台大師を礼賛し、

【紅〔くれない〕のなんだ〔涙〕をながして、今よりは弟子を見じ、法華経をかう〔講〕ぜじ、】
赤い涙を流して、誓って言うのには、これよりは、弟子を取らず、法華経を講義せず、

【弟子の面〔おもて〕をまぼ〔守〕り法華経をよみたてまつれば、我が力の此の経を知るにに〔似〕たりとて、】
もし、弟子に面子を立てようとして法華経を講義すれば、自分自身は、法華経を理解していないのに、この経を知っていると誤解されてしまいます。

【天台よりも高僧老僧にてをは〔在〕せしが、わざ〔態〕と人のみるとき、を〔負〕ひまいらせて河をこ〔越〕へ、】
天台大師よりも高僧、老僧のような威厳を持っていたが、わざと人が見ている時に、天台大師を背負って橋を渡り河を超え、

【かうざ〔高座〕にちかづきてせなか〔背中〕にのせ〔乗〕まいらせ給ひて高座にのぼ〔上〕せたてまつり、】
さらに高座の近くでは、自分の背中を踏み台として、天台大師を高座に登らせたのです。

【結句〔けっく〕御臨終の後には、隋の皇帝にまい〔参〕らせ給ひて、小児が母にをくれたるがごとくに、足をす〔摺〕りてな〔泣〕き給ひしなり。】
最後には、天台大師が臨終の後には、隋の皇帝の前で子供が母親に死に別れたように、天台大師の足を擦りながら泣いたのです。

【嘉祥大師の法華玄〔ほっけげん〕を見るに、いたう法華経を謗じたる疏〔しょ〕にはあらず。】
この嘉祥大師の法華玄を見ると、ひどく法華経を誹謗した解説ではなかったのです。

【但法華経と諸大乗経とは、門は浅深あれども心は一つとかきてこそ候へ。此が謗法の根本にて候か。】
ただ、法華経とその他の大乗経とは、法門の浅深はあっても、心は一つと書いただけなのです。しかし、これが根本的な間違いであり謗法なのです。

【華厳の澄観〔ちょうかん〕も、真言の善無畏〔ぜんむい〕も、大日経と法華経とは理は一つとこそかゝれて候へ。】
華厳宗の澄観も、真言宗の善無畏も、大日経と法華経とは、理論は、一つと説いたのです。

【嘉祥とが〔科〕あらば、善無畏三蔵も脱れがたし。】
そうであれば、嘉祥大師に法華誹謗の罪があるとすれば、善無畏三蔵もその罪から脱れ難いのです。

第24章 中国の真言三祖を破す

【されば善無畏三蔵は中天の国主なり。位をすてゝ他国にいたり、殊勝〔しゅしょう〕・招提〔しょうだい〕の二人にあひて法華経をうけ、】
この善無畏三蔵は、最初は、中インドの国主でした。しかし、位を捨てて出家し、他国を巡って、殊勝、招提の二人に会って法華経を学び、

【百千の石の塔を立てしかば、法華経の行者とこそみへしか。】
そして法華経の為に百千の石の塔を建てて、世間から法華経の行者と思われたのです。

【しかれども大日経を習ひしよりこのかた、法華経を大日経に劣るとやをもひけん。】
しかしながら、大日経を学んでからは、法華経を大日経よりも劣ると思ったのでしょうか。

【始めはいたう其の義もなかりけるが、漢土にわたりて玄宗皇帝〔げんそうこうてい〕の師となりぬ。】
はじめは、そのような事もなかったのですが、中国に渡って玄宗皇帝の師となって真言宗を建てたのですが、

【天台宗をそね〔嫉〕み思ふ心つき給ひけるかのゆへに、忽〔たちま〕ちに頓死〔とんし〕して、】
天台宗の教義に嫉妬し、法華経を誹謗した罪によって急死してしまった。

【二人の獄卒〔ごくそつ〕に鉄の縄〔なわ〕七つつ〔付〕けられて閻魔王宮にいたりぬ。命いまだつきずとい〔言〕ゐてかへされしに、】
二人の獄卒に鉄の縄七つを付けられて閻魔王宮に連れて行かれたのですが、そこで「おまえの命は未だに尽きてはいない」と言われて帰されたのです。

【法華経謗法とやをも〔思〕ひけん、真言の観念・印〔いん〕・真言等をばな〔投〕げす〔捨〕てゝ、】
その時に善無畏三蔵は、この事態に、ようやく自分の法華誹謗の罪を覚り、真言の観念、印、真言等を投げ捨てて、

【法華経の今此〔こんし〕三界〔さんがい〕の文を唱へて、縄も切れかへ〔帰〕され給ひぬ。】
法華経譬喩品の「今此三界皆是我有」の文章を唱へたので、縛っていた鉄の縄も切れ、そこから、この世に帰えされ息を吹き返したのです。

【又雨のいのり〔祈〕ををほ〔仰〕せつけられたりしに、忽ちに雨は下〔ふ〕りたりしかども、大風吹きて国をやぶる。】
また、善無畏三蔵は、皇帝の命令により祈雨を行ったが、すぐに雨が降ったには降ったが、同時に大風が吹いて暴雨風となって国を破壊したのでした。

【結句死し給ひてありしには、弟子等集まりて臨終いみじきやうをほめしかども、無間大城に堕ちにき。】
結局は、善無畏三蔵が死んだ時に、その弟子達が集まって、その善無畏の臨終の姿を褒〔ほ〕めたけれども、実際には無間大城に堕ちていたのです。

【問うて云はく、何をもってかこれをし〔知〕る。答へて云はく、彼の伝を見るに云はく「今〔いま〕畏〔い〕の遺形〔いぎょう〕を観〔み〕るに、】
なぜそれがわかるかと言うと、善無畏三蔵の伝記である宋高僧伝には、「いま、善無畏三蔵が死んだ後の遺体を見ると、

【漸〔ようや〕く加〔ますます〕縮小し、黒皮〔こくひ〕隠〔いん〕々として、骨其〔そ〕れ露〔あらわ〕なり」等云云。】
ますます身体は、縮小し、皮膚は黒く変わり隠々として、骨が露〔あらわ〕になった」と書かれています。

【彼の弟子等は死後に地獄の相の顕はれたるをしらずして、徳をあ〔称〕ぐなどをも〔思〕へども、】
善無畏の弟子達は、死後に地獄の姿が現れたのを知らずに、徳を称えているのですが、

【か〔書〕きあら〔表〕わせる筆は畏が失をか〔書〕けり。】
ここに執筆された内容は、善無畏の地獄の相を著しているのです。

【死してありければ身やうや〔漸〕くつゞ〔縮〕まりちひ〔小〕さく、皮はくろ〔黒〕し、骨あら〔露〕わなり等云云。】
死んだ後に、身体は、小さく縮まり、皮膚は黒く、骨が露〔あらわ〕と書いてあるのです。

【人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀〔ぶっだ〕の金言ぞかし。】
人が死後にその皮膚の色の黒い事は、地獄の業相であると定められたのは、釈迦牟尼仏の経文によるのです。

【善無畏〔ぜんむい〕三蔵の地獄の業はなに事ぞ。幼少にして位をすてぬ。第一の道心なり。】
しかし、その善無畏〔ぜんむい〕三蔵の地獄の原因とは何なのでしょうか。幼い時に王位を捨てて仏門に出家したのは、素晴らしい求道心です。

【月氏五十余箇国を修行せり。慈悲の余りに漢土にわたれり。】
またインド国内を50ヶ国を巡って正しい仏法を求め修行を積みました。さらに民衆を救う為に中国へと渡りました。

【天竺〔てんじく〕・震旦〔しんだん〕・日本・一閻浮提の内に真言を伝へ鈴をふ〔振〕る、この人の功徳にあらずや。】
インド、中国、日本、また全世界にの人々が真言を唱え、鈴を振って修行するのは、すべて、この人の功績ではないでしょうか。


【いかにとして地獄には堕ちけると後生ををも〔思〕はん人々は御尋ねあるべし。】
後生を心配して思う人々は、なぜ善無畏が地獄に堕ちたのかと、まず、この事を考えるべきでしょう。

【又金剛智〔こんごうち〕三蔵は南天竺の大王の太子〔たいし〕なり。金剛頂経を漢土にわたす。】
また、金剛智〔こんごうち〕三蔵は、南インドの大王の皇太子でした。金剛頂経を中国に伝えました。

【其の徳〔とく〕善無畏のごとし。又互ひに師となれり。】
その威徳は、まさに善無畏と同じで、御互いに御互いを師と仰ぎました。

【而るに金剛智三蔵勅宣〔ちょくせん〕によ〔依〕て雨の祈りありしかば七日が中に雨下る。】
ある時に、金剛智三蔵に皇帝より祈雨の命令が出たときに七日の内に雨が降り出しました。

【天子大いに悦ばせ給ふほどに、忽ちに大風吹き来たる。】
それを皇帝が大いに喜んでいると、たちまち大風が吹き、暴風雨となったのです。

【王臣等けうさ〔興覚〕め給ひて、使ひをつけて追はせ給ひしかども、とかう〔兎角〕のべて留まりしなり。】
それに皇帝も大臣も興覚〔きょうざ〕めして、金剛智三蔵を追求したのですが、金剛智三蔵はなんとか言い逃れをしてその地位に留まったのです。

【結句は姫宮〔ひめみや〕の御死去ありしに、いのりをなすべしとて、身の代〔しろ〕に殿上〔てんじょう〕の二〔ふたり〕の女子七歳になりしを】
挙句の果てに皇帝の愛した姫が死去した時には、その姫を生き返らせると言って祈祷をし、その生贄として殿上の二人の七歳の女の子を、

【薪〔たきぎ〕につみこめて、焼き殺せし事こそ無慚〔むざん〕にはをぼゆれ。而れども姫宮もいきかえり給はず】
祈祷の薪に詰め込んで無慚〔むざん〕にも焼き殺し、それでも姫を生き返らせる事など出来なかったのです。

【不空〔ふくう〕三蔵は金剛智と月氏より御ともせり。此等の事を不審とやをもひけん。】
不空〔ふくう〕三蔵は、金剛智の弟子としてインドより供をして中国に渡りました。しかしこの事を不審に思い、

【畏と智と入滅の後、月氏に還りて竜智に値ひ奉り、真言を習ひなを〔直〕し、天台宗に帰伏〔きぶく〕してありしが、】
善無畏と金剛智が死んだ後には、インドに還って、竜智菩薩に会って、真言を学び直し、天台宗が正しい事に気付いたのですが、

【心計りは帰れども、身はかへる事なし。】
心では、そのように法華経を信じてはいても、建前では今まで通りの真言宗を立て続けたのです。

【雨の御いのりうけ給はりたりしが、三日と申すに雨下る。天子悦ばせ給ひて我と御布施ひかせ給ふ。】
その不空三蔵も皇帝より祈雨を命じられて三日のうちに雨が降ったのです。皇帝は、その事を非常に喜ばれて多くの布施をしていたのですが、

【須臾〔しゅゆ〕ありしかば、大風落ち下りて内裏〔だいり〕をも吹きやぶり、雲閣〔うんかく〕月□〔げっけい〕の宿所〔しゅくしょ〕】
またたく間に暴風雨となって宮殿さえ吹き飛び、その皇帝の側近や貴族達の屋敷も、

【一所〔ひとところ〕もあるべしともみへざりしかば、天子大いに驚きて宣旨なりて風をとゞめよ。】
残っている場所が一か所もなくなるほど壊れてしまったのを見て、皇帝は、非常に驚き暴風雨をすぐに止めよと命じたのですが、

【且〔しばらく〕くありては又吹き又吹きせしほどに、数日が間やむことなし。】
しばらくの間、断続的に暴風は、繰り返し、数日の間、止むことは、なかったのです。

【結句は使ひをつけて追ふてこそ、風もやみてありしか。】
結局は、使者をやって不空三蔵を祈祷から追っ払って、ようやく風も止んだのでした。

【此の三人の悪風は、漢土日本の一切の真言師の大風なり。】
この三人の祈祷による悪風は、中国、日本のすべての真言師の祈祷で暴風が起こる証拠なのです。

【さにてあるやらん。去ぬる文永十一年四月十二日の大風は、阿弥陀堂加賀法印、東寺第一の智者の雨のいのりに吹きたりし逆風なり。】
そうであるからこそ、去る文永11年4月12日の暴風は、阿弥陀堂の加賀法印という東寺第一の智者の祈雨によって起こった逆風と言えるのです。

【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・不空〔ふくう〕の悪法を、すこしもたがへず伝へたりけるか。心にくし、心にくし。】
善無畏、金剛智、不空の悪法の結果は、このように少しも違いがなく伝わっており、その結果の御粗末な事は、ほんとに心にくいほどなのです。

第25章 弘法慈覚の悪現象

【弘法大師は去ぬる天長元年の二月大旱魃〔だいかんばつ〕のありしに、先には守敏〔しゅびん〕祈雨〔あまごい〕して七日が内に雨を下らす。】
日本の弘法大師は、去る天長元年の二月に大旱魃〔かんばつ〕があった時に、先には守敏〔しゅびん〕が祈雨をして、七日の内に雨が降ったが、

【但し京中にふりて田舎〔いなか〕にそゝがず。】
ただ、京都の中だけに雨が降って、肝心の田畑がある地方にはまったく降らなかったのです。

【次に弘法承け取りて一七日に雨気〔あまけ〕なし、二七日に雲なし。】
次に弘法大師がそれを引き継いで7日の間、まったく雨が降る様子もなく、14日間、雲も出なかったのです。

【三七日と申せしに、天子より和気〔わけの〕真綱〔まつな〕を使者として、御幣〔ぬさ〕を神泉苑〔しんせんえん〕にまい〔進〕らせたりしかば、】
21日経った時に和気真綱〔わけのまつな〕を使者として天皇より、供え物を神泉苑の池に捧げたところ、

【雨下る事三日。此をば弘法大師並びに弟子等、此の雨をうば〔奪〕ひとり、我が雨として、今に四百余年、弘法の雨という。】
三日間、雨が降ったのです。これを弘法大師やその弟子達は、自分の手柄として今まで四百余年、弘法の祈祷による雨だと言い張っているのです。

【慈覚大師の夢に日輪をい〔射〕しと、弘法大師の大妄語〔だいもうご〕に云へる、】
慈覚大師が夢で太陽を射落とし、弘法大師は、これこそ真言が正しいと言う事を示す、良い夢であるなどと仏法違背の大妄語を言っているのです。

【弘仁〔こうにん〕九年の春大疫〔だいやく〕をいのりしかば、夜中に大日輪出現せりと云云。】
さらには、この弘法大師は、弘仁9年春に大疫病を封じる祈祷をしたら夜中に太陽が出たと大嘘をついているのです。

【成劫〔じょうこう〕より已来住劫〔じゅうこう〕の第九の減、已上二十九劫が間に、日輪夜中に出でしという事なし。】
この世が現れて以来、現在に至るまでの二十九劫の間に、太陽が夜中に出たと言う事はないのです。

【慈覚大師は夢に日輪をいるという。内典五千七千、外典三千余巻に日輪をい〔射〕るとゆめにみるは、吉夢という事有りやいなや。】
慈覚大師は、夢で太陽を射たと言うが、内典五千七千、外典三千余巻に太陽を射たという夢が、良い夢であると言う事があるでしょうか。

【修羅は帝釈をあだみて日天をい〔射〕たて〔奉〕まつる。其の矢かへりて我が眼にたつ。】
阿修羅王は、帝釈天王をあだみて太陽を射たが、逆にその矢が跳ね返って自分の目にあたったのである。

【殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕は日天を的にい〔射〕て身を亡ぼす。】
中国古代の悪王である殷の紂王は、太陽を的にして矢を放ち、我が身を亡ぼし、

【日本の神武天皇の御時、度美長〔とみのおさ〕と五瀬命〔いつせのみこと〕と合戦ありしに、命の手に矢たつ。】
日本の神武天皇の時代には、度美長と五瀬命が合戦した時に五瀬命の手に矢があたって敗れたのです。

【命の云はく、我はこれ日天の子孫なり。日に向かひ奉りて弓をひくゆへに、日天のせめをかをほ〔蒙〕れりと云云。】
それに五瀬命は、自分は、太陽の子孫であるのに、この戦いで太陽がある南の方角に向かって弓を引いたので敗れたと言っているのです。

【阿闍世王は仏に帰しまい〔参〕らせて、内裏〔だいり〕に返りてぎょしん〔御寝〕なりしが、をどろいて諸臣に向かって云はく、】
インドの阿闍世王は、釈迦牟尼仏に帰依した後のある日、宮廷に帰って就寝したが突然、起きて家臣に、

【日輪天より地に落つとゆめにみる。諸臣の云はく、仏の御入滅か云云。。】
太陽が空より地に落ちるのを夢に見た。それを聞いた家臣達は、仏が入滅したのかと騒いだが、まさにその通りだった。

【須跋陀羅〔しゅばっだら〕がゆめ又かくのごとし】
釈迦牟尼仏の最後の弟子となった須跋陀羅が見た夢もこの通りだったのです。

【我が国は殊にい〔忌〕むべきゆめなり。神をば天照という、国をば日本という、又教主釈尊をば日種〔にっしゅ〕と申す。】
日本でも太陽を射ると言う事は、不吉な夢であり、神を天照と言い、国を日本と言うのです。また教主釈尊を日種と訳しているのです。

【摩耶夫人〔まやぶにん〕日をはら〔孕〕むとゆめにみてまう〔儲〕け給へる太子なり。】
それは、つまり摩耶夫人が太陽を宿した夢を見て誕生したのが釈迦牟尼仏だからなのです。

【慈覚〔じかく〕大師は大日如来を叡山に立てゝ釈迦仏をすて、真言の三部経をあが〔崇〕めて法華経の三部の敵となりしゆへに、此の夢出現せり。】
慈覚大師は、大日如来を比叡山に立て釈迦仏を捨てて、真言の三部経を崇めて法華経三部経の敵となった故に、こんな夢を見たのです。

第26章 善導悪夢の例を挙ぐ

【例せば漢土の善導が、始めは密州〔みっしゅう〕の明勝〔みょうしょう〕といゐし者に値ひて法華経をよみたりしが、】
たとえば中国の善導は、始めは密州の明勝と言う者に会って法華経を学んだが、

【後には道綽〔どうしゃく〕に値ひて法華経をすて観経に依りて疏〔しょ〕をつくり、】
後には、道綽に会って、その法華経を捨て去り、観経が正しいとして観経疏という解説書を著作して、

【法華経をば千中無一、念仏をば十即十生・百即百生と定めて、此の義を成ぜんがために、阿弥陀仏の御前にして祈誓をなす。】
その中で法華経を千中無一、念仏をば十即十生、百即百生と書き現し、この意義を弘める為に阿弥陀仏の前で願を立てたのです。

【仏意〔ぶっち〕に叶ふやいなや、毎夜夢の中に常に一の僧有り、来たって指受すと云云。】
この主張が釈迦牟尼仏の意志にかなっているかどうか、すると毎夜、夢の中に、いつも一人の僧が現れて、指を指すのです。

【乃至一〔もっぱら〕経法の如くせよ。乃至〔ないし〕観念法門経等云云。】
それには、「一字一句、釈迦牟尼仏の説く経文の通りにしなさい」また「観念法門経」などと書いてあったのです。

【法華経には「若し法を聞く者有れば一〔ひとり〕として成仏せざるなし」と。】
釈迦牟尼仏の教えである法華経には、「もし、この法華経を聞く者が有れば一人として成仏しない者はない」と有ります。

【善導は「千の中に一も無し」等云云。法華経と善導とは水火なり。】
しかし、善導は、「法華経では、千人の中で一人の成仏も出来ない」と書いており、これでは、釈迦の説いた法華経と善導の主張は相容れないのです。

【善導は観経をば十即十生・百即百生と。無量義経に云はく観経は「未だ真実を顕はさず」等云云。】
また、善導は、観経を十即十生、百即百生と褒め称えていますが、無量義経には、観経は「未だ真実を顕はさず」と書かれています。

【無量義経と楊柳房〔ようりゅうぼう〕とは天地なり。】
この法華経を真実と明かした無量義経と法華経を誹謗し、柳の木で自殺をはかり、二週間にわたって悶え死んだ、善導とは、天地雲泥であるのです。

【此を阿弥陀仏の僧と成りて、来たって真なりと証せば、あに真事ならんや。】
この夢に出て来た僧を阿弥陀仏の使いと思い、観経を真実の証明だと思ったのは、いったい、どういうことなのでしょうか。

【抑〔そもそも〕阿弥陀は法華経の座に来たりて、舌をば出だし給はざりけるか。】
そもそも、この阿弥陀仏は、法華経の会座に来て、この法華経こそ、真実であると証明した三世諸仏の一人ではないでしょうか。

【観音・勢至は法華経の座にはなかりけるか。】
阿弥陀仏の脇士である観音菩薩や勢至菩薩は、法華経が説かれている場所に居なかったのでしょうか。

【此をも〔以〕てをもへ、慈覚大師の御夢はわざわひなり。】
これだけ考えても慈覚大師の夢の解釈は、おかしいのです。

第27章 弘法の霊験を破す

【問うて云はく、弘法大師の心経の秘鍵〔ひけん〕に云はく「時に弘仁九年の春天下大疫す。】
それでは、質問しますが、弘法大師の「般若心経の秘鍵」では、弘仁九年の春に天下に疫病が流行したと書かれています。

【爰〔ここ〕に皇帝自ら黄金を筆端〔ひったん〕に染め紺紙〔こんし〕を爪掌〔そうしょう〕に握って般若心経一巻を書写し奉りたまふ。】
そこで皇帝が自〔みずか〕ら黄金を筆に染めて紺紙を掌〔てのひら〕に握って般若心経一巻を書写したのですが、

【予講読の撰に範〔のっと〕りて経旨の宗を綴〔つづ〕り未だ結願〔けちがん〕の詞〔ことば〕を吐かざるに、】
その時に弘法大師は、その般若心経を読む命令を受け、経の趣旨〔しゅし〕をつづり、未だ、その祈祷の言葉を述べ終わっていないのにも関わらず、

【蘇生〔そせい〕の族途〔みち〕に彳〔たた〕ずむ。夜変じて日光赫々〔かくかく〕たり。】
疫病の流行が終わり、それから蘇生した者たちが、多く道にたたずんでおり、その時、夜にもかかわらず日光が輝いていたと言うのです。

【是愚身〔ぐしん〕の戒徳に非ず、金輪〔こんりん〕の御信力の所為なり。】
これに対して弘法大使は、これは愚かな我が身の威徳ではなく、すべて金輪聖王である天皇の仏法を信じる力によると言っているのですが、

【但神舎〔じんしゃ〕に詣でん輩は此の秘鍵を誦〔じゅ〕し奉れ。】
ただし、今後は、神社に詣でる者は、この般若心経の秘鍵を読むべきであると告げているのです。

【昔、予、鷲峰〔じゅぶ〕説法の筵〔むしろ〕に陪〔ばい〕して、親しく其の深文〔じんもん〕を聞きたてまつる。】
それは、弘法大師が過去に霊鷲山において釈迦牟尼仏の説法の末席に列し、甚深の法門を親しく聞いたのである。

【豈〔あに〕其の義に達せざらんや」等云云。】
ゆえに、どうして弘法大師がその経文の意義がわからない事などあろうかと述べているのです。

【又孔雀〔くじゃく〕経の音義に云はく「弘法大師帰朝の後、真言宗を立てんと欲し、諸宗を朝廷に群集〔ぐんしゅう〕す。】
また「孔雀経の音義」には、弘法大師が帰朝した後に真言宗を立てんと思って諸宗の代表を朝廷に集めて議論したとあります。

【即身成仏の義を疑ふ。大師智拳〔ちけん〕の印〔いん〕を結びて南方に向かふに、】
その時に諸宗は、みんな真言の即身成仏の義を疑ったのですが、弘法大師が智拳の印を結びて南方に向かうと、

【面門俄〔にわ〕かに開いて金色の毘盧遮那〔びるしゃな〕と成り、即便〔すなわち〕本体に還帰〔げんき〕す。】
その弘法大師の面門がにわかに開いて、金色の毘盧遮那仏と成って即座に法身仏の本体に立ち返ったとあります。

【入我我入の事、即身頓証の疑ひ、此の日釈然たり。】
このように我が身に仏が入り、仏に我が身が入って、即身頓証の疑いが、この日に見事に晴れ、

【然るに真言瑜伽〔ゆが〕の宗、秘密〔ひみつ〕曼荼羅〔まんだら〕の道、彼の時より建立しぬ」と。】
これによって、大日如来の真言宗である秘密曼荼羅の道場が建立されたのであると書かれているのです。

【又云はく「此の時に諸宗の学徒大師に帰して、始めて真言を得て、請益〔しょうやく〕し習学す。】
またこの「孔雀経の音義」には、諸宗の学徒は、弘法大師に帰依して始めて真言を得て仏法を理解できたのです。

【三論の道昌〔どうしょう〕、法相の源仁〔げんにん〕、華厳の道雄〔どうおう〕、天台の円澄〔えんちょう〕等、皆其の類〔たぐい〕なり」と。】
三論の道昌、法相の源仁、華厳の道雄、天台の円澄など、みんな、この類〔たぐい〕なのですと書かれているのです。

【弘法大師の伝に云はく「帰朝〔きちょう〕泛舟〔はんしゅう〕の日発願〔ほつがん〕して云はく、】
弘法大師の伝記には「弘法大師が帰朝する為に船に乗った出発の日、このように願いをかけた。

【我が所学の教法若〔も〕し感応〔かんのう〕の地有らば、此の三鈷〔さんこ〕其の処に到るべしと。】
私が習った教法を弘める事に最も適した場所があるならば、この仏具の三鈷がそこに届いて落ちているだろうと言って、

【仍〔よ〕って日本の方に向かって三鈷を抛〔な〕げ上ぐるに遥〔はる〕かに飛んで雲に入る。十月に帰朝す」云云。】
そこから日本の方に向かって仏具の三鈷を投げると遥か遠くに飛んで行き雲に入ったと言うのです。その後、10月に日本に着いたのです。

【又云はく「高野山〔こうやさん〕の下に入定〔にゅうじょう〕の所を占〔し〕む。乃至彼の海上の三鈷今新たに此に在り」等云云。】
そして高野山に弘法大師が行くと、その場所に海上から投げた仏具の三鈷がそこにあったと言うのです。

【此の大師の徳無量なり。其の両三を示す。かくのごとくの大徳あり。】
このように弘法大師の威徳は、無量であり、その中の三つだけを示しても、このように大きな威徳であるのです。

【いかんが此の人を信ぜずして、かへ〔還〕て阿鼻〔あび〕地獄に堕つるといはんや。】
どうしてこのような偉大な人を信じずに還って無間地獄に堕ちるなどと言うのですか。

【答へて云はく、予も仰いで信じ奉る事かくのごとし。】
それに答えるとすると、確かに日蓮も信じたいと思うのですが、

【但し古〔いにしえ〕の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其れにはよらず。】
昔からこのような不思議な威徳を現す者もいたのですが、仏法の正邪は、それではわからないのです。

【外道が或は恒河〔ごうが〕を耳に十二年留め、或は大海をす〔吸〕ひほし、或は日月を手ににぎり、】
外道のバラモンが恒河の水をすべて耳に十二年間も留め、大海を一日にして吸い干し、日月を手に握って、

【或は釈子を牛羊〔ごよう〕となしなんどせしかども、いよいよ大慢をを〔起〕こして生死〔しょうじ〕の業とこそなりしか。】
釈迦牟尼仏の弟子を牛や羊のようにしたけれども、いよいよ慢心を起こして生死を繰り返す原因となったのです。

【此をば天台云はく「名利を邀〔もと〕め見愛〔けんない〕を増す」とこそ釈せられて候へ。】
このことを天台大師は「名聞名利を求めるもので見思惑を深めたに過ぎない」と説明されているのです。

【光宅〔こうたく〕が忽〔たちま〕ちに雨を下らし須臾〔しゅゆ〕に花を感ぜしをも、】
光宅寺の法雲が瞬く間に法華経薬草喩品の「其雨普等四方?下〔ごうふとうしほうぐげ〕」の句で雨を降らし、天から花が舞い降りたのも、

【妙楽は「感応此くの若〔ごと〕くなれども猶理に称〔かな〕はず」とこそか〔書〕ゝれて候へ。】
妙楽大師は「このような不思議な現実があったとしても、仏法の道理から外れている」と書かれて否定されているのです。

【されば天台大師の法華経をよみて須臾に甘雨を下らせ、伝教大師の三日が内に甘露〔かんろ〕の雨をふらしてをは〔御座〕せしも、】
そうであれば天台大師の法華経を読んで、すぐに優しい雨を降らせ、伝教大師も三日が内に丁度良い雨を降らせているのですが、

【其れをもって仏意に叶ふとはをほ〔仰〕せられず。】
それをもって仏法の道理にかなったとは言われていないのです。

【弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論〔けろん〕の法と定め、釈迦仏を無明〔むみょう〕の辺域とかゝせ給へる御ふで〔筆〕は、】
弘法大師がどのような威徳があったとしても、法華経を戯論の法門と言い釈迦牟尼仏を無明の辺域と執筆された事を、

【智慧かしこからん人は用ふべからず。】
智慧がある人は、絶対に用〔もち〕いてはいけないのです。

第28章 弘法の誑惑を破す

【いかにいわうや上にあげられて候徳どもは不審ある事なり。】
それだけではなく、これまでに言われている弘法大師の威徳については、多くの疑いがあるのです。

【「弘仁〔こうにん〕九年の春天下大疫」等云云。春は九十日、何〔いず〕れの月何れの日ぞ、是一。】
弘仁九年の春に天下に疫病が流行ったと言うが、春は、三ヶ月、九十日もあり、いずれの日であったのでしょうか。

【又弘仁九年には大疫ありけるか、是二。又「夜変じて日光赫々〔かくかく〕たり」云云。此の事第一の大事なり。】
ほんとうに弘仁九年の春に天下に疫病が流行ったのでしょうか。また「般若心経秘鍵」の夜に太陽が輝いたと言うこと自体が一番疑わしいのです。

【弘仁九年は嵯峨〔さが〕天皇の御宇〔ぎょう〕なり。左史右史の記に載〔の〕せたりや、是三。】
弘仁九年は、嵯峨天皇の時代であり、どのような歴史書にもそれが載っていないのは、いったい、どういうことなのでしょうか。

【設ひ載せたりとも信じがたき事なり。】
たとえ、載っていたとしても、まったく信じられないことではないですか。

【成劫二十劫・住劫九劫・已上二十九劫が間にいまだ無き天変〔てんぺん〕なり。夜中に日輪の出現せる事如何。】
なぜなら、この世界が始まって以来、二十九劫の間に未だ無かった天変なのです。夜中に太陽が出現するとは、いったいどういうことなのでしょうか。

【又如来一代の聖教にもみへず。未来に夜中に日輪出づべしとは三皇五帝の三墳〔さんぷん〕五典にも載せず。】
このようなことは、釈迦牟尼仏の一代の聖教にもなく、未来に夜中に太陽が出るとは、中国の三皇五帝が著した書物にも載っていないのです。

【仏経のごときんば減劫にこそ二つの日三つの日乃至七つの日は出づべしとは見ゆれども、かれは昼のことぞかし。】
釈迦牟尼仏の経文には、減劫のときに二つ、三つ、または七つの太陽が出ると書かれていますが、いずれも昼の事であるのです。

【夜〔よる〕日〔ひ〕出現せば東西北の三方は如何。】
地球において夜中に太陽が出たと言う事であれば、いったい、他の惑星では、その時には、どうなっているのでしょうか。

【設ひ内外の典に記せずとも現に弘仁九年の春、何れの月、何れの日、何れの夜の、何れの時に日出づるという。】
たとえ内典、外典の書物に載っていなくても、実際に弘仁九年の春の何れの月、何れの日、何れの夜、何れの時に太陽が出たと、

【公家〔くげ〕・諸家・叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや。】
公家やその他の家、比叡山などの日記に書かれていれば、少しは信じる事も出来るではないですか。それすら、ないのです。

【次下〔つぎしも〕に「昔、予、鷲峰〔じゅぶ〕説法の筵〔むしろ〕に陪〔ばい〕して、親しく其の深文を聞く」等云云。】
般若心経秘鍵の次の文章にある過去に弘法大師が霊鷲山において説法の座に連なって親しくその甚深の経文を聞いた事が書いてあります。

【此の筆を人に信ぜさせしめんがためにかまへ出だす大妄語か。】
この執筆は、人にこれを信じさせる為に考え出した大嘘ではないのでしょうか。

【されば霊山にして法華経は戯論、大日経は真実と仏の説き給ひけるを、阿難〔あなん〕・文殊〔もんじゅ〕が誤りて妙法華経をば真実とかけるか、】
そうであれば霊鷲山で法華経は戯論、大日経は真実と釈迦牟尼仏が説いたのを、阿難や文殊が誤って法華経を真実と思ったとでも言うのでしょうか。

【いかん。いうにかいなき婬女〔いんにょ〕・破戒の法師等が歌をよみて雨〔ふ〕らす雨を、三七日まで下〔ふ〕らさゞりし人は、】
如何でしょうか。言うにも愚かな女や破戒の僧侶が歌を詠んで降らすことが出来た雨を、三週間も必死に祈って降らせなかった弘法大師に、

【かゝる徳あるべしや、是四。】
どのような威徳があると言うのでしょうか。

【孔雀〔くじゃく〕経の音義に云はく「大師智拳〔ちけん〕の印を結んで南方に向かふに、】
また「孔雀経の音義」には「弘法大師が智拳の印を結んで南方に向かうと

【面門俄〔にわ〕かに開いて金色の毘盧遮那〔びるしゃな〕と成る」等云云。此又何れの王、何れの年時ぞ。】
面門がにわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成ったと書いてありますが、これは、いずれの時代のどの年の事なのでしょうか。

【漢土には建元を初めとし、日本には大宝を初めとして緇素〔しそ〕の日記、大事には必ず年号のあるが、】
中国には、建元を初めとし、日本では、大宝を初めとして、在家の日記には、大事なことを著わす時は、必ず年号が書いてありますが、

【これほどの大事にいかでか王も臣も年号も日時もなきや。】
これほどの大事なことなのに、いずれの王の時代なのか年号も日時もないのです。

【又次に云はく「三論の道昌〔どうしょう〕・法相の源仁〔げんにん〕・華厳の道雄〔どうおう〕・天台の円澄」等云云。】
また次の文章には「三論の道昌、法相の源仁、華厳の道雄、天台の円澄」などと書かれていますが、

【抑〔そもそも〕円澄は寂光大師、天台第二の座主なり。】
そもそも、円澄は、寂光大師と言い、天台宗、比叡山の第二代の座主なのです。

【其の時何ぞ第一の座主〔ざす〕義真、根本の伝教大師をば召さゞりけるや。】
その時、どうして第一代の座主である義真や、根本大師である伝教と討論をしなかったのでしょうか。

【円澄は天台第二の座主、伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり。】
その円澄は、天台第二代の座主で伝教大師の弟子ではあるけれども、後に弘法大師の弟子となった者ではないですか。

【弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳よりは、天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか。】
その弟子と討論するより、また三論、法相、華厳よりは、天台宗の伝教や義真の二人と討論すべきであったはずです。

【而も此の日記に云はく「真言瑜伽〔ゆが〕の宗、秘密〔ひみつ〕曼荼羅道〔まんだらのみち〕彼の時より建立しぬ」等云云。】
しかも、この日記には、大日経の真言宗、秘密曼荼羅の道場がこの時より建立されたとありますが、

【此の筆は伝教・義真の御存生〔ぞんしょう〕かとみゆ。】
この執筆では、伝教大師や義真がまだ生きている時の事と思われますが、

【弘法は平城〔へいぜい〕天皇大同二年より弘仁十三年までは盛んに真言をひろめし人なり。其の時は此の二人現にをはします。】
弘法大師は、平城天皇の大同二年より弘仁十三年までは、盛んに真言を弘めていた人ではないですか。その時にもこの二人は存命なのです。

【又義真は天長十年までおはせしかば、其の時まで弘法の真言はひろまらざりけるか。かたがた不審あり。】
また、義真は、天長十年まで存命であれば、その時まで弘法大師は、真言を弘めなかったというのでしょうか。非常におかしいことです。

【孔雀経の疏〔しょ〕は弘法の弟子真済〔しんぜい〕が自記なり、信じがたし。】
この孔雀経の解説書は、弘法大師の弟子、真済が書いた者であり、非常に怪しく信じ難いのです。

【又邪見の者が公家・諸家・円澄の記をひ〔引〕かるべきか。又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし。】
邪見の者が公家やその他の家、円澄の書いたものを正しく引用できるでしょうか。もう一度、道昌、源仁、道雄の書いたものを調べてみるべきです。

【「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。面門とは口なり、口の開けたりけるか。】
面門がにわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成ると書いてありますが、面門とは、口であり、口が開いたと言うのか、

【眉間〔みけん〕開くとか〔書〕ゝんとしけるが誤りて面門とかけるか。ぼう〔謀〕書をつくるゆへにかゝるあやまりあるか。】
眉間が開くと書くのを誤って面門とかいたのでしょうか。嘘を言っているので間違って書いてしまったのでしょうか。

【「大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。】
同じく孔雀経音義には、弘法大師が智拳の印を結んで南方に向かうと面門がにわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成ったと書かれています。

【涅槃経の五に云はく「迦葉、仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、世尊我今是の四種の人に依らず。】
涅槃経の第五巻には「迦葉が釈迦牟尼仏に告げました。私達は、この人々を根拠とはしません。

【何を以ての故に、瞿師羅〔くしら〕経の中の如き、仏〔ほとけ〕瞿師羅が為に説きたまはく、】
なぜならば瞿師羅経の中で仏は、中部インドの瞿師羅長者にこのように説かれたからなのです。

【若〔も〕し天・魔・梵・破壊〔はえ〕せんと欲するが為に変じて仏の像となり、三十二相八十種好〔しゅこう〕を具足し荘厳〔しょうごん〕し、】
もし、天魔が仏法を破壊しようとする時は、必ず仏に化けて、三十二相八十種好という素晴らしい姿を現じて人々から敬われ、

【円光一尋〔じん〕面部円満なること猶月の盛明〔じょうみょう〕なるがごとく、眉間の毫相〔ごうそう〕白きこと珂雪〔かせつ〕に踰〔こ〕え、】

その顔が穏やかで光り輝くことは、まるで満月のようであり、眉間の光が白い事は、まるで雪のようであって、

【乃至左の脇より水を出だし右の脇より火を出だす」等云云。】
その左右の脇からは、爽〔さわ)やかな体臭が溢れているのです。」と説かれているのです。

【又六の巻に云はく「仏迦葉〔かしょう〕に告げたまはく、】
また、涅槃経の六巻には、「釈迦牟尼仏は、迦葉にこのように告げられました。

【我般涅槃〔はつねはん〕して乃至後是の魔波旬〔まはじゅん〕漸〔ようや〕く当〔まさ〕に我が之の正法を沮壊〔そえ〕すべし。】
釈迦牟尼仏が涅槃に入ったその後に、この天魔、梵語でいうところの波旬が、ようやく時期が到来したと思って正法を破壊しようと、

【乃至化して阿羅漢の身及び仏の色身と作り、】
仏法者の身に入り、自分自身を仏の身形〔みなり〕を整えて、

【魔王此の有漏〔うろ〕の形を以て無漏〔むろ〕の身と作り我が正法を壊らん」等云云。】
煩悩まみれであるのに、煩悩などまったくないように見せかけて、正法を破壊するのです。」と説かれています。

【弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論〔けろん〕等云云。而も仏身を現ず。】
弘法大師は、法華経を華厳経、大日経に対して戯〔たわむ〕れの理論であると言ったのです。しかも自らを仏身を現わしていると言っているのです。

【此涅槃経には魔、有漏の形をもって仏となって、我が正法をやぶらんと記し給ふ。涅槃経の正法は法華経なり。】
この涅槃経には、天魔が煩悩があるのに無いと言って仏に化けて正法を破壊すると書かれているのです。この正法とは、法華経なのです。

【故に経の次下の文に云はく「久しく已に成仏す」と。又云はく「法華の中の如し」等云云。】
そうであるからこそ、涅槃経の次の文章には、すでに成仏していると説かれているのです。また、法華経の中と同じであるとあるのです。

【釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して法華経は真実、大日経等の一切経は不真実等云云。】
このように釈迦、多宝、十方の諸仏は、一切経に対して法華経は真実であり、大日経など一切経は真実ではないと説かれているのです。

【弘法大師は仏身を現じて、華厳経・大日経に対して法華経は戯論等云云。】
弘法大師は、仏身を現わして、華厳経、大日経に対して法華経は、戯〔たわむ〕れの理論であると言っています。

【仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。又三鈷〔さんこ〕の事殊〔こと〕に不審なり。】
釈迦牟尼仏の説かれた通りであるならば、弘法は、天魔ではないでしょうか。仏具を中国から投げて日本に届いたなど、まったく馬鹿げているのです。

【漢土の人の日本に来たりてほ〔堀〕りいだすとも信じがたし。已前に人をやつか〔遣〕わしてうづ〔埋〕みけん。】
まったく無関係の人が日本でそれを掘り出したとしても、とても信じ難いことです。弘法大師が先に人をやって日本に埋めたとしか思えないのです。

【いわうや弘法は日本の人、かゝる誑乱〔おうらん〕其の数多し。】
いわんや、弘法大師は、日本で尊敬されている人であり、どんな、嘘でもまかり通り、事実、そのような嘘も数多くあるのです。

【此等をもって仏意に叶ふ人の証拠とはしりがたし。】
ですから、これらの事でもって、釈迦牟尼仏の意思に継ぐ者とは、まったく言えず、その証拠とはならないのです。

第29章 真言責破を結す

【されば此の真言・禅宗・念仏等やうやくかうなり来たる程に、人王第八十二代尊成〔たかひら〕隠岐〔おき〕の法王、】
そうであればこそ、真言、禅宗、念仏などが盛んになると、八二代天皇の時代に、後鳥羽上皇が

【権大夫〔ごんのたいふ〕殿を失はんと年ごろはげませ給ひけるゆへに、】
右京権〔うきょうごん〕の大夫である北条義時殿を滅ぼそうと画策したのです。

【国主なればなにとなくとも師子王の兎〔うさぎ〕を伏するがごとく、鷹〔たか〕の雉〔きじ〕を取るやうにこそあるべかりし上、】
もちろん国主である天皇であれば、ライオンがウサギを捕るように、また、鷹がキジを捕るように簡単な事であろうと思われたのです。

【叡山〔えいざん〕・東寺〔とうじ〕・園城〔おんじょう〕・奈良七大寺・天照大神・正八幡・山王〔さんのう〕・】
しかも、比叡山、東寺、園城寺、さらに奈良の七大寺や天照大神、正八幡大菩薩、日吉〔ひえ〕神社、

【加茂〔かも〕・春日〔かすが〕等に数年が間、或は調伏〔じょうぶく〕、或は神に申させ給ひしに、二日三日だにもさゝ〔支〕へかねて、】
加茂神社、春日大社などに数年の間、北条討伐の調伏を命じ、あるいは神社に祈祷をさせたのですが、たった二、三日も持たずに負けてしまい、

【佐渡国・阿波〔あわ〕国・隱岐〔おき〕国等にながし失〔う〕せて終〔つい〕にかくれさせ給ひぬ。】
順徳上皇は佐渡へ、土御門上皇は阿波へ、後鳥羽上皇は隱岐へ、そろって流罪となり、そこで消え失せてしまったのです。

【調伏の上首御室〔おむろ〕は、但東寺をかへらるゝのみならず、眼のごとくあひ〔愛〕せさせ給ひし】
調伏の責任者であった第十一代道助法親王は、東寺を追われるだけではなく、眼に入れても痛くないほど可愛がっていた、

【第一の天童勢多伽〔せいたか〕が頸〔くび〕切られたりしかば、調伏のしるし還着於本人〔げんちゃくおほんにん〕のゆへとこそ見へて候へ。】
第一の天童、勢多伽は、斬首され、調伏の結果は、自分自身に還って来たと言う事がわかるのです。

【これはわづかの事なり。】
しかし、これらは、真言、禅宗、念仏の本当の恐ろしさからすれば、わずかな事なのです。

【此の後定んで日本の国臣万民一人もなく、乾草〔かれくさ〕を積みて火を放つがごとく、大山のくづれて谷をうむるがごとく、】
この後、日本の国民、万民は、一人も漏れなく、乾草をうず高く積んで火に放つように、大山が崩れて谷が埋まっていますように、

【我が国他国にせめらるゝ事出来すべし。】
日本が他国に侵略されるという大惨事が起こるのです。

第30章 日蓮大聖人の知恩報恩

【此の事日本国の中に但日蓮一人計りしれり。】
この事を日本で知っているのは、日蓮だけなのです。

【いゐいだすならば殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕の比干〔ひかん〕が胸をさ〔割〕きしがごとく、】
これを、もし、人々に言い出したならば、中国の殷の紂王が諫言〔かんげん〕をした家臣の比干の胸を割〔さ〕いたように、

【夏〔か〕の桀王〔けつおう〕の竜蓬〔りゅうほう〕が頸を切りしがごとく、】
また、中国の夏の桀王が諫言〔かんげん〕をした家臣の竜蓬の首を斬ったように、

【檀弥羅王〔だんみらおう〕の師子尊者が頸を刎〔は〕ねしがごとく、竺〔じく〕の道生〔どうしょう〕が流されしがごとく、】
インドの檀弥羅王が師子尊者の首を刎〔は〕ねたように、竺の道生が蘇山〔そざん〕に流されたように、

【法道三蔵のかなやき〔火印〕をや〔焼〕かれしがごとくならんずらんとは、かねて知りしかども、】
法道三蔵が顔に焼け印を押されたように迫害されることは、かねてから知っていたけれども、

【法華経には「我身命を愛せず、但〔ただ〕無上道を惜しむ」ととかれ、】
法華経には「我れ、身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」と説かれており、

【涅槃経には「寧〔むし〕ろ身命を喪〔うしな〕ふとも教を匿〔かく〕さゞれ」といさめ給えり。】
涅槃経には「むしろ身命を失うとも正法を隠さざれ」と諌められています。

【今度命ををしむならばいつの世にか仏になるべき、又何〔いか〕なる世にか父母師匠をもすく〔救〕ひ奉るべきと、】
今生で命を惜しんでいたならば、いつの世に仏になる事が出来るのでしょうか。いつの世になったら、父母や恩師を救うことが出来るのでしょうか。

【ひとへ〔偏〕にをも〔思〕ひ切りて申し始めしかば、案にたがはず或は所をお〔追〕ひ、或はの〔詈〕り、或はう〔討〕たれ、】
そう考えて思い切って、この事を言い始めると案に違わず、住んでいる所を追われ、罵〔ののし〕られ、叩かれて、

【或は疵〔きず〕をかうふ〔被〕るほどに、去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に御勘気〔ごかんき〕をかうふりて、伊豆国伊東にながされぬ。】
傷を負い、去る弘長元年五月十二日に幕府の怒りを買い理不尽な命令によって伊豆の伊東に流されたのです。

【又同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆ〔赦〕りぬ。】
しかしそれは、弘長三年二月二十二日に許されました。

【其の後弥〔いよいよ〕菩提心強盛〔ごうじょう〕にして申せば、いよいよ大難かさなる事、大風に大波の起こるがごとし。】
その後、いよいよ、確信を深めてこのことを言ったので、いよいよ大難が重なり、それは、大風で大波が起こるのと同じであったのです。

【昔の不軽〔ふきょう〕菩薩の杖木のせめも我が身につみしられたり。】
まるで、それは過去世で不軽菩薩が杖木で叩かれた事を、今、我が身で知ったのでした。

【覚徳比丘〔かくとくびく〕が歓喜仏〔かんぎぶつ〕の末の大難も此には及ばじとをぼゆ。】
覚徳比丘が歓喜増益如来の末法時代に大難を受けたけれども、この日蓮の大難には及ばないのです。

【日本六十六箇国〔かこく〕、島二つの中に、一日片時も何れの所にすむべきやうもなし。】
それは、日本六十六カ国の島の中に日蓮が、一日、また片時も、どのような場所であっても心が休まる場所がないからなのです。

【古〔いにしえ〕は二百五十戒を持ちて忍辱〔にんにく〕なる事、羅云〔らうん〕のごとくなる持戒の聖人も、富楼那〔ふるな〕のごとくなる智者も、】
過去に二百五十戒を持〔たも〕った羅□羅〔らごら〕のような持戒の聖人でも、また富楼那のような智者であっても、

【日蓮に値〔あ〕ひぬれば悪口をは〔吐〕く。】
日蓮に会って、このことを聞くとなると、みんな悪口を言い出すのです。

【正直にして魏微〔ぎちょう〕・忠仁公〔ちゅうじんこう〕のごとくなる賢者等も日蓮を見ては理をまげて非とをこ〔行〕なう。】
正直な中国の太宗皇帝の忠臣、魏微や日本の藤原良房のような賢者たちも日蓮を見ると道理を曲げて、みんな非道な事を行うようになるのです。

【いわうや世間の常の人々は犬のさる〔猿〕をみたるがごとく、猟師が鹿をこめたるににたり。】
いわんや世間の普通の人々は、犬が猿を見た時のように、猟師が鹿に会った時のように、日蓮を敵視するのです。

【日本国の中に一人として故こそあるらめという人なし。道理なり。】
日本に一人として日蓮の言う事を正しいと思う人はいないのです。しかし、これも道理であるのです。

【人ごとに念仏を申す、人に向かふごとに念仏は無間〔むけん〕に堕〔お〕つるというゆへに、】
なぜならば念仏を信じている人に会うたびに、念仏は無間地獄に堕ちると言うからであり、

【人ごとに真言を尊〔とうと〕む、真言は国をほろぼす悪法という。】
真言を尊〔とうと〕ぶ人に会うたびに、真言は国を亡ぼす悪法であると言うからなのです。

【国主は禅宗を尊む、日蓮は天魔の所為というゆへに。】
国主が禅宗を尊〔とうと〕んでいるのに、日蓮が天魔の所業であると断言しているからなのです。

【我と招けるわざわひなれば人ののる〔詈〕をもとが〔咎〕めず。とがむとても一人ならず。】
このように自分自身で招いた事なので人の罵〔ののし〕る事も、とがめず、とがめたとしても相手は、大勢なのでとがめようもないのです。

【打つをもいたまず、本より存ぜしがゆへに。】
叩かれても覚悟の上の事なので後悔などしないのです。

【かういよいよ身もを〔惜〕しまずせ〔責〕めしかば、】
このように身命も惜〔お〕しまずに人々の謗法を責〔せ〕めたので、

【禅僧数百人、念仏者数千人、真言師百千人、或は奉行〔ぶぎょう〕につき、或はきり〔権家〕人につき、或はきり〔権閨〕女房につき、】
禅僧が数百人、念仏者が数千人、真言師が百千人が為政者に取り入り、あるいは、その家の者に取り入り、女房に取り入り、

【或は後家尼〔ごけあま〕御前等えつひて無尽のざんげん〔讒言〕をなせし程に、最後には天下第一の大事、】
あるいは、後家尼御前などに取り入って、数々の讒言〔ざんげん〕をして、最後には、天下の一大事である、

【日本国を失はんと呪そ〔咀〕する法師なり。故最明寺〔こさいみょうじ〕殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。】
日蓮は、日本を滅ぼそうと呪詛〔じゅそ〕する法師であり、故北条時頼殿、故北条時重殿を無間地獄に堕ちたと言ってまわっている法師であると言い、

【御尋ねあるまでもなし、但須臾〔しゅゆ〕に頸〔くび〕をめせ。弟子等をば又或は頸を切り、或は遠国につかはし、】
その言い訳を聞くまでもなく即座に首を討つべきであると主張したのです。そして、その通りに、弟子の頸を切れ、遠国に流罪せよ、

【或は籠〔ろう〕に入れよと尼ごぜん〔御前〕たち〔達〕いか〔怒〕らせ給ひしかば、そのまゝ行なはれけり。】
籠〔ろう〕に入れよと 尼御前たちが怒〔いか〕り狂ったので、実際にその通りになったのです。

【去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模国〔さがみのくに〕たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、】
その事によって日蓮自身も、去る文永八年九月十二日の夜、相模国の竜の口で首を切られる事になったのですが、どうしたわけか、

【其の夜はのびて依智〔えち〕というところへつきぬ。】
その夜は、命が助かって相模国の依智と言う所に連れていかれたのです。

【又十三日の夜はゆ〔赦〕りたりととゞめ〔轟〕きしが、又いかにやありけん、さど〔佐渡〕の国までゆく。】
そして十三日の夜には、罪が許されたと混乱して騒いでいたのに、また、どうしたわけか佐渡への流罪となってのです。

【今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年というに、結句〔けっく〕は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月の十四日にゆ〔赦〕りて、】
そうやって今日、切る、明日、切る、と言って四年間も月日が経ち、結局は、去る文永十一年二月十四日に赦免されて、

【同じき三月二十六日に鎌倉へ入り、同じき四月の八日、平左衛門尉〔へいのさえもんのじょう〕に見参〔げんさん〕して】
同じく三月二十六日に鎌倉に戻り、同じ四月八日に平左衛門尉に対面して、

【やうやうの事申したりし中に、今年は蒙古は一定〔いちじょう〕よ〔寄〕すべしと申しぬ。】
いろいろな事を話した中で、今年、蒙古は必ず攻めて来るであろうと申し上げたのです。

【同じき五月の十二日にかまくら〔鎌倉〕をいでて此の山に入れり。】
そして五月十二日に鎌倉を出発して身延の山に入ったのでした。

【これはひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほう〔報〕ぜんがために身をやぶり命をすつ〔捨〕れども破れざればさてこそ候へ。】
これは、ひとえに父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国の恩に、報いる為に身を破り命を捨てたればこその事なのです。

【又賢人の習ひ、三度〔みたび〕国をいさ〔諫〕むるに用ゐずば山林にまじわれということは定まれるれい〔例〕なり。】
また賢人の過去の習いとして、三度、国を諫〔いさ〕めて用〔もち〕いられなければ山林に隠遁〔いんとん〕せよと言われている例に従ったのです。


ページのトップへ戻る