日蓮正宗法華講開信寺支部より

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報恩抄 第4回

第31章 導善房への報恩

【此の功徳は定んで上は三宝より下梵天〔ぼんてん〕・帝釈〔たいしゃく〕・日月までもし〔知〕ろしめし〔食〕ぬらん。】
この日蓮の功徳は、上は、三宝より、下は梵天、帝釈、日月天までも知られていることでしょう。

【父母も故導善房の聖霊〔しょうりょう〕も扶〔たす〕かり給ふらん。但し疑ひ念〔おも〕ふことあり。】
このことで日蓮の父母も、また故導善房の聖霊も必ずや成仏されることでしょう。ただ、気にかかる事もあるのです。

【目連〔もくれん〕尊者〔そんじゃ〕は扶けんとをも〔思〕いしかども母の青提女〔しょうだいにょ〕は餓鬼道〔がきどう〕に堕〔お〕ちぬ。】
目連尊者は、母を助けようと思ったけれども母である青提女は、餓鬼道に堕ちて助けることが出来なかった。

【大覚世尊の御子〔みこ〕なれども善星比丘〔ぜんしょうびく〕は阿鼻〔あび〕地獄へ堕ちぬ。】
釈迦牟尼仏の子供である善星比丘は、無間地獄に堕ちてしまった。

【これは力のまゝすく〔救〕はんとをぼ〔思〕せども自業自得果のへん〔辺〕はすく〔救〕ひがたし。】
これらは、力の限り救いだそうと思ったけれども、謗法があまりに大きく自業自得の結果、救うことが出来なかった例なのです。

【故導善房はいたう弟子なれば日蓮をばにくしとはをぼ〔思〕せざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはな〔離〕れじと執せし人なり。】
故導善房は、可愛い弟子であれば日蓮を憎いと思う事はなかったけれども、きわめて臆病である上、清澄寺の住職の職に執着した人なのです。

【地頭景信〔かげのぶ〕がをそ〔恐〕ろしといゐ、提婆〔だいば〕・瞿伽利〔くがり〕にことならぬ】
地頭である東条景信を恐れており、釈迦牟尼仏の敵である提婆達多や瞿伽利のような

【円智〔えんち〕・実城〔じつじょう〕が上と下とに居てをどせしをあなが〔強〕ちにをそれて、】
清澄寺の円智や実城が故導善房の上と下に居て、常に脅し続けていたことを非常に恐れていたのです。

【いとを〔愛〕しとをもうとし〔年〕ごろの弟子等をだにもすてられし人なれば、後生はいかんがと疑う。】
もっとも可愛がっている期待していた少年の弟子さえ見捨てるような人であれば、後生は、どうであろうかと考えてしまうのです。

【但一つの冥加〔みょうが〕には景信と円智・実城とがさきにゆ〔往〕きしこそ一つのたす〔助〕かりとはをも〔思〕へども、】
ただ、一つの幸いとしては、東条景信や円智、実城が故導善房より先に死んでしまったことは、一つの助けではないかとも思うのですが、

【彼等は法華経の十羅刹〔じゅうらせつ〕のせ〔責〕めをかほ〔蒙〕りてはやく失〔う〕せぬ。】
彼らは、法華経の十羅刹の責めによって、このように早く命を失ったのです。

【後にすこし信ぜられてありしは、いさか〔諍〕ひの後のちぎ〔乳切〕りぎ〔木〕なり、ひるのともし〔灯〕びなにかせん。】
その後に、少しだけ法華経を故導善房が信じられたようではあるが、これでは後の祭りであるような気もするし、昼の灯は、役には立たないのです。

【其の上いかなる事あれども子・弟子なんどいう者は不便〔ふびん〕なる者ぞかし。】
その上、どのような事があったとしても子供や弟子と言う者は、どうしているかと心にかかる者なのです。

【力なき人にもあらざりしが、さど〔佐渡〕の国までゆきしに一度もとぶら〔訪〕はれざりし事は、信じたるにはあらぬぞかし。】
それなのに力があるのに日蓮が佐渡に流されていたにもかかわらず、一度として訪問されなかった事は、日蓮を信じていたとは思えないのです。

【それにつけてもあさましければ、彼の人の御死去ときくには火にも入り、水にも沈み、はし〔走〕りたちてもゆひ〔往〕て、】
それにつけても、日蓮も人の子なので、故導善房の死去と聞いて、火にも入り、水にも沈み、走りに走って、

【御はか〔墓〕をもたゝいて経をも一巻読誦せんとこそをもへども、賢人のならひ心には遁世〔とんせ〕とはをも〔思〕はねども、】
故導善房の墓の前にて法華経を一巻、読誦しようと思ったのですが、賢人の習いとして、自分自身では、隠遁とは、思っていなくても、

【人は遁世とこそをも〔思〕うらんに、ゆへもなくはしり出づるならば末もとを〔通〕らずと人をも〔思〕うべし。】
人々は、勝手に隠遁と思っているので、日蓮がここを出て墓へ向かう事も、筋が通らないと人は思うことでしょう。

【さればいかにをも〔思〕うとも、まいるべきにあらず。但し各々二人は日蓮が幼少の師匠にてをはします。】
そう言うことで、いかに墓参りをしたいと思っても参る事が出来ないのですが、それでも、それぞれ御二人は、日蓮の幼少の時の師匠であります。

【勤操〔ごんそう〕僧正・行表〔ぎょうひょう〕僧正の伝教大師の御師たりしが、かへりて御弟子とならせ給ひしがごとし。】
あたかも勤操僧正、行表僧正が伝教大師の師匠であったが、返って伝教大師の弟子となったように、

【日蓮が景信〔かげのぶ〕にあだまれて清澄山を出でしに、を〔追〕ひてしのび出でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり。】
日蓮が東条景信に恨まれて清澄山を出た時に、その日蓮を助け、かくまってくれた事は、天下第一の法華経への奉公と言うべきなのです。

【後生は疑ひおぼすべからず。】
必ずや後生は、成仏、疑いないものであります。

第32章 略して題目肝心を示す

【問うて云はく、法華経一部八巻二十八品の中に何物か肝心なる。】
それでは質問しますが、法華経一部、八巻、二十八品の中でどれが一番、大事なのでしょうか。

【答へて云はく、華厳〔けごん〕経の肝心は大方広仏〔だいほうこうぶつ〕華厳経、阿含〔あごん〕経の肝心は仏説中阿含経、】
それに答えると、華厳経で一番大事なのは大方広仏華厳経であり、阿含経で一番大事なのは仏説中阿含経であり、

【大集経の肝心は大方等大集経、般若〔はんにゃ〕経の肝心は摩訶〔まか〕般若〔はんにゃ〕波羅蜜〔はらみつ〕経、】
大集経で一番大事なのは大方等大集経であり、般若経で一番大事なのは摩訶般若波羅蜜経であり、

【双観〔そうかん〕経の肝心は仏説無量寿〔むりょうじゅ〕経、観経〔かんぎょう〕の肝心は仏説観無量寿経、】
双観経で一番大事なのは仏説無量寿経であり、観経で一番大事なのは仏説観無量寿経であり、

【阿弥陀〔あみだ〕経の肝心は仏説阿弥陀経、涅槃〔ねはん〕経の肝心は大般〔だいはつ〕涅槃経。】
阿弥陀経で一番大事なのは仏説阿弥陀経であり、涅槃経で一番大事なのは大般涅槃経であり、

【かくのごとくの一切経は皆如是我聞〔にょぜがもん〕の上の題目、其の経の肝心なり。】
このように一切経は、すべて如是我聞の上の題名がその経門の一番大事なものなのです。

【大は大につけ小は小につけて題目をも〔以〕て肝心とす。】
大乗経は、大乗経として、小乗経は、小乗経として題名を以って一番大事なものとするのです。

【大日〔だいにち〕経・金剛頂〔こんごうちょう〕経・蘇悉地〔そしっじ〕経等亦復かくのごとし。仏も又かくのごとし。】
大日経、金剛頂経、蘇悉地経なども、また同じく経文の題名が一番大事なものとするのです。仏についても同じことが言えます。

【大日如来・日月灯明仏・燃灯〔ねんとう〕仏・大通仏・雲雷音王〔うんらいおんのう〕仏、是等も又名の内に其の仏の種々の徳をそなへたり。】
大日如来、日月灯明仏、燃灯仏、大通智勝仏、雲雷音王仏など、これらの名前にその仏の種々の徳をそなえているのです。

【今の法華経も亦もってかくのごとし。】
現在の法華経もまた同じなのです。

【如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心、】
如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は、そのまま一部、八巻の中で一番大事なものであり、また、すべての経文の中で一番大事なものであり、

【一切の諸仏・菩薩・二乗・天人・修羅・竜神等の頂上の正法なり。】
すべての仏、菩薩、二乗、天人、修羅、竜神などの最上の正法であるのです。

【問うて云はく、南無妙法蓮華経と心もしらぬ者の唱ふると】
それでは、質問しますが、南無妙法蓮華経とその経文の意味さえ知らぬ者が唱えるのと

【南無大方広仏華厳経と心もしらぬ者の唱ふると斉等なりや、浅深の功徳差別せりや。】
南無大方広仏華厳経とその経文の意味さえ知らぬ者が唱えるのと同じなのでしょうか、それともその差があるのでしょうか。

【答へて云はく、浅深〔せんじん〕等あり。疑って云はく、其の心如何〔いかん〕。】
それに答えると、浅深があります。いったい、それは、どういう意味でしょうか。

【答へて云はく、小河は露と涓〔しずく〕と井と渠〔みぞ〕と江とをば収むれども大河ををさ〔収〕めず。】
それに答えると、小川は、露〔つゆ〕や雫〔しずく〕や井戸や溝や池の水は、収める事が出来るけれども、大河の水を収める事が出来ません。

【大河は露乃至小河を摂〔おさ〕むれども大海ををさ〔収〕めず。阿含経は井江等露涓ををさ〔収〕めたる小河のごとし。】
大河は、露や小川の水を収めることは出来るけれども、大海の水を収めることは出来ない。阿含経は、その中の小川のようなものなのです。

【方等経・阿弥陀経・大日経・華厳経等は小河をおさむる大河なり。】
方等経、阿弥陀経、大日経、華厳経などは、小川を収める大河であるのです。

【法華経は露・涓・井・江・小河・大河・天雨等の一切の水を一渧〔いってい〕ももらさぬ大海なり。】
法華経は、露、雫、井戸、池、小川、大河、雨などのすべての水を一滴も残さず収める大海のようなものなのです。

【譬へば身の熱き者の大寒水の辺〔ほとり〕にい〔寝〕ねつればすゞ〔涼〕しく、小水の辺に臥〔ふ〕しぬれば苦しきがごとし。】
例えば、身体が熱い者が冷たい水の近くに寝そべれば涼しく感じ、生ぬるい水の近くに寝ても、その熱さが続いて苦しいようなもので、

【五逆謗法の大一闡提〔いっせんだい〕の人、阿含・華厳・観経・大日経等の小水の辺にては大罪の大熱さん〔散〕じがたし。】
五逆罪の者や大謗法の一闡提の人は、阿含、華厳、観経、大日経などの生ぬるい水では、大罪の大熱を冷ますことが出来ないのです。

【法華経の大雪山〔だいせっせん〕の上に臥しぬれば五逆・誹謗〔ひぼう〕・一闡提等の大熱忽〔たちま〕ちに散ずべし。】
法華経の大雪山の上によって、五逆罪の者や大謗法の一闡提の人は、大熱をたちまちに冷やすことが出来るのです。

【されば愚者は必ず法華経を信ずべし。】
そうであれば愚かな者は、必ず法華経を信じるべきなのです。

【各々経々の題目は易き事同じといへども、愚者と智者との唱ふる功徳は天地雲泥なり。】
それぞれ経文の題名を唱える事は、同じなのですが、愚者と智者とが唱える功徳は、天地雲泥なのです。

【譬へば大綱は大力も切りがたし。小力なれども小刀をもてばたやすくこれをきる。】
例えば、大きな綱は、大きな力の者も切ることは難しいのですが、小さな力の者も小刀を持ってすれば、たやすくこれを斬ることが出来ます。

【譬へば堅石〔かたきいし〕をば鈍刀をもてば大力も破〔わ〕りがたし。利剣をもてば小刀も破りぬべし。】
例えば、硬き石を鈍い刀で割ろうとすれば、大きな力の者でもなかなか割れないのですが、鋭い剣を持てば小さな刀でも破ることが出来るのです。

【譬へば薬はしらねども服すれば病やみぬ。食は服せども病やまず。】
例えば、薬は、その成分を知らなくても飲めば病気は治るが、ただ食べ物をとるだけでは病気は治らないのです。

【譬へば仙薬〔せんやく〕は命をのべ、凡薬は病をいやせども命をのべず。】
例えば、優れた薬は、命を伸ばし、普通の薬は、病気を癒〔いや〕したとしても命を伸ばすことは出来ないのです。

第33章 広く題目肝心を明かす

【疑って云はく、二十八品の中に何れか肝心なる。答へて云はく、或は云はく、品々〔ほんぼん〕皆事に随ひて肝心なり。】
そうであるならば、二十八品の中でいずれが一番大事なのですか。それに答えると、ある人は、二十八品すべてが大事であると言っています。

【或は云はく、方便品・寿量品肝心なり。或は云はく、方便品肝心なり。或は云はく、寿量品肝心なり。】
また、ある人は、方便品・寿量品が最も大事であると言い、ある人は、方便品と言い、ある人は、寿量品が最も大事であると言っています。

【或は云はく、開・示・悟・入肝心なり。或は云はく、実相肝心なり。】
また、ある人は、開示悟入が最も大事であると言い、ある人は、実相が最も大事であると言っています。

【問うて云はく、汝が心如何。答ふ、南無妙法蓮華経肝心なり。】
それでは、あなたは、どう思うのですか。それは、南無妙法蓮華経が最も大事であるのです。

【其の証如何。答へて云はく、阿難〔あなん〕・文殊〔もんじゅ〕等、如是我聞〔にょぜがもん〕等云云。】
その証拠はあるのですか。それに答えると、阿難、文殊などが如是我聞と言っているからです。

【問うて曰〔いわ〕く、心如何。答へて云はく、阿難と文殊とは八年が間此の法華経の無量の義を一句一偈〔げ〕一字も残さず聴聞してありしが、】
それは、どういう意味なのですか。それに答えると、阿難と文殊とは、八年の間、この法華経の無量の義を一句一偈一字も残さず聞いていましたが

【仏の滅後に結集〔けつじゅう〕の時九百九十九人の阿羅漢〔あらかん〕が筆を染めてありしに、】
仏の滅後に仏典を結集した時、九百九十九人の阿羅漢が、まず筆を染めて、

【妙法蓮華経とかゝせて次に如是我聞と唱へさせ給ひしは、妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずや。】
妙法蓮華経と書いて、その後に如是我聞と唱えたのは、妙法蓮華経の五字こそは、一部、八巻、二十八品で最も大事であった証拠ではないでしょうか。

【されば過去の灯明〔とうみょう〕仏の時より法華経を講ぜし光宅寺〔こうたくじ〕の法雲〔ほううん〕法師は】
そうであればこそ、過去の日月灯明仏の時より法華経を講義している光宅寺の法雲法師は、

【「如是とは将〔まさ〕に所聞〔しょもん〕を伝へんとして前題〔ぜんだい〕に一部を挙ぐるなり」等云云。】
「如是とは、まさに以前に聞いた法門を伝えようとして、題名に法華経のすべての意味を持たせたのである」と言っているのです。

【霊山〔りょうぜん〕にまのあ〔親〕たりきこしめしてありし天台大師は「如是とは所聞の法体〔ほったい〕なり」等云云。】
霊山で薬王菩薩として、目〔ま〕の当〔あ〕たりに法華経を聞いた天台大師は「如是とは、所聞の法体である」と言っています。

【章安大師の云はく、記者釈して曰く「蓋〔けだ〕し序王〔じょおう〕とは経の玄意〔げんい〕を叙〔じょ〕し玄意は文の心を述す」等云云。】
章安大師は「確かに天台大師が書いた法華玄義の序文には、法華経の玄意が記されており、その玄意とは、文の心を書いている。」と述べています。

【此の釈に文心とは題目は法華経の心なり。】
この文章の中の「文の心」とは、「題目は、法華経の心である」という意味なのです。

【妙楽〔みょうらく〕大師云はく「一代の教法を収むること法華の文心より出づ」等云云。】
妙楽大師は「釈迦牟尼仏一代の教法を収めるとは、法華の文の心より出たことである」と言っています。

【天竺〔てんじく〕は七十箇国なり、総名は月氏国。日本は六十箇国、総名は日本国。】
インドは、七十カ国であり、総名は、月氏〔がっし〕国と言います。日本は、六十カ国、総名は日本国と言います。

【月氏の名の内に七十箇国乃至人畜珍宝みなあり。日本と申す名の内に六十六箇国あり。】
その月氏の名前の中に七十カ国の人畜珍宝がことごとく入っているのです。また日本と言う名前の中に六十六カ国が入っているのです。

【出羽〔でわ〕の羽〔はね〕も奥州の金〔こがね〕も乃至〔ないし〕国の珍宝人畜乃至寺塔も神社も、】
出羽の鷲の羽も奥州で取れる金も国の珍宝人畜、寺も塔も神社も、

【みな日本と申す二字の名の内に摂〔おさ〕まれり。】
すべて日本と言う二字の名前の中におさまっているのです。

【天眼〔てんげん〕をもっては、日本と申す二字を見て六十六箇国乃至人畜等をみるべし。】
天眼をもって見れば、日本と言う二字を見て六十六カ国、その中の人間や家畜など、すべてと見る事が出来るのです。

【法眼〔ほうげん〕をもっては、人畜等の此〔ここ〕に死し彼〔かしこ〕に生ずるをもみるべし。】
法眼をもって見れば、人間や家畜など、すべてが、ここで死に、かしこで生じていると見る事が出来るのです。

【譬へば人の声をきいて体をしり、跡をみて大小をしる。蓮〔はちす〕をみて池の大小を計り、雨をみて竜の分斉〔ぶんざい〕をかんが〔勘〕う。】
例えば、声を聴いてその人の姿を知り、足跡を見て大小を予測し、蓮を見て池の深さを計り、雨を見て雲の様子を考えるのです。

【これはみな一に一切の有ることわりなり。】
これは、みんな、一つにすべてが備わることを示しているのです。

【阿含経の題目には大旨一切はあるやうなれども、但小釈迦一仏ありて他仏なし。】
しかし、阿含経の題目には、すべてが有るようだけれども、ただ小釈迦の一仏のみ有って他の仏は、いないのです。

【華厳経・観経・大日経等には又一切有るやうなれども、二乗を仏になすやうと久遠実成〔くおんじつじょう〕の釈迦仏なし。】
華厳経、観経、大日経にもまた、すべてが有るようだけれども、二乗を仏にする事と久遠実成の釈迦牟尼仏はいないのです。

【例せば華さいて菓〔このみ〕ならず、雷〔いかずち〕なって雨ふらず、鼓〔つづみ〕あ〔有〕て音なし、眼あて物をみず、女人あて子をうまず、】
例えば、花が咲いても菓がならず、雷が鳴っても雨は降らず、鼓が有っても音がせず、眼があっても物が見えず、女人がいても子が生まれず、

【人あて命なし又神〔たましい〕なし。大日の真言・薬師の真言・阿弥陀の真言・観音の真言等又かくのごとし。】
人がいても命がなく魂がないようなものなのです。大日の真言、薬師の真言、阿弥陀の真言、観音の真言も同じようなものなのです。

【彼の経々にしては大王・須弥山〔しゅみせん〕・日月・良薬〔ろうやく〕・如意珠・利剣等のやうなれども、】
このような経文は、大王や須弥山、日月、良薬、如意珠、利剣などのようであるけれども、

【法華経の題目に対すれば雲泥の勝劣なるのみならず皆各々当体の自用〔じゆう〕を失ふ。】
法華経の題目に対すれば、雲泥の優劣があるのみならず、法華経がなければ、みんな、それぞれが存在する事自体の価値を失ってしまうのです。

【例せば衆星の光の一つの日輪にうば〔奪〕はれ、諸の鉄の一つの磁石に値〔あ〕ふて利精のつ〔尽〕き、】
例えば、多くの星の光も一つの太陽に奪われ、多くの砂鉄も一つの磁石によって集められてしまい、

【大剣の小火に値ひて用〔ゆう〕を失ひ、牛乳・驢乳〔ろにゅう〕等の師子王の乳に値ひて水となり、衆狐〔しゅこ〕が術、一犬に値ひて失ひ、】
大剣も小さな火によって切れ味を失ひ、どんな牛乳も腐れば飲めなくなり、狐が秘術を使って人を騙しても犬がいるとその能力を失い、

【狗犬〔くけん〕が小虎に値ひて色を変ずるがごとし。】
犬が幼い虎に会っても怯えてしまうようなものなのです。

【南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の用も、南無大日真言の用も、観世音菩薩の用も、一切の諸仏諸経諸菩薩の用も、】
南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の意味も、南無大日真言の意味も、観世音菩薩の意味も、一切の諸仏諸経諸菩薩の意味も、

【皆悉く妙法蓮華経の用に失はる。】
みんな、ことごとく妙法蓮華経の意味によって、その意味が失なわれるのです。

【彼の経々は妙法蓮華経の用を借らずば、皆いたづ〔徒〕らもの〔物〕なるべし。当時眼前のことはり〔道理〕なり。】
これらの経文は、妙法蓮華経の意味を借りなければ、すべて、なんら意味のないものとなるのです。それは、この時代にあっては当然の道理なのです。

【日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば、南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく、塩のひ〔干〕るがごとく、】
日蓮が南無妙法蓮華経と唱え始めれば、南無阿弥陀仏の意味は、月の欠けるように、また、潮が引くように、

【秋冬の草のか〔枯〕るゝがごとく、氷の日天にとくるがごと〔融〕くなりゆくをみよ。】
秋冬の草が枯れるように、氷が太陽の光でとけるように、衰えていく様を見ていなさい。

第34章 馬鳴、竜樹等の大乗弘通

【問うて云はく、此の法実にいみじくば、など迦葉〔かしょう〕・阿難・馬鳴〔めみょう〕・竜樹・無著〔むじゃく〕・】
それでは、質問しますが、この南無妙法蓮華経がそれほど優れているのであれば、なぜ迦葉尊者、阿難尊者、馬鳴菩薩、竜樹菩薩、無著菩薩、

【天親・南岳・天台・妙楽・伝教等は、善導が南無阿弥陀仏とすゝ〔勧〕めて漢土に弘通せしがごとく、】
天親菩薩、南岳大師、天台大師、妙楽大師、伝教大師などは、善導が南無阿弥陀仏を勧めて中国で弘めたように

【慧心・永観〔ようかん〕・法然が日本国を皆阿弥陀仏になしたるがごとく、すゝめ給はざりけるやらん。】
また慧心、永観、法然が日本をすべて南無阿弥陀仏としたように、なぜ南無妙法蓮華経を勧めなかったのでしょうか。

【答へて云はく、此の難は古〔いにしえ〕の難なり、今はじめたるにはあらず。】
それに答えると、この難問は、昔からの難問であり、今に始まったことではありません。

【馬鳴・竜樹菩薩等は仏滅後六百年七百年等の大論師なり。】
馬鳴菩薩、竜樹菩薩などは、仏滅後六百年から七百年頃にかけて出現した大論師です。

【此の人々世にいでゝ大乗経を弘通せしかば、諸々の小乗の者疑って云はく、】
これらの馬鳴菩薩、竜樹菩薩が世に出現して大乗教を弘通したので、多くの小乗教の者は、疑って、このように言ったのです。

【迦葉・阿難等は仏の滅後二十年四十年住寿し給ひて正法をひろめ給ひしは、如来一代の肝心をこそ弘通し給ひしか。】
迦葉尊者や阿難尊者などは、仏の滅後二十年から四十年に、この世に出現して釈迦牟尼仏一代の肝心である正法を弘通されたのです。

【而るに此の人々は但苦・空・無常・無我の法門をこそ詮とし給ひしに、今馬鳴・竜樹等は】
しかしながら、迦葉尊者や阿難尊者は、ただ苦、空、無常、無我の小乗経こそ優れていると言ったのに対して、今、馬鳴菩薩や竜樹菩薩は、

【かしこしといふとも迦葉・阿難等にはすぐべからず是一。】
常楽我浄の大乗経こそ正しいと言ったのです。この馬鳴菩薩や竜樹菩薩が、いくら賢いと言っても、迦葉尊者や阿難尊者などには敵わないのです。

【迦葉は仏にあ〔値〕ひまい〔参〕らせて解〔さと〕りをえたる人なり。此の人々は仏にあひたてまつらず是二。】
迦葉尊者は、釈迦牟尼仏に会って仏法を理解した人なのです。この馬鳴菩薩や竜樹菩薩は、釈迦牟尼仏には会っていないのです。

【外道は常〔じょう〕・楽〔らく〕・我〔が〕・浄〔じょう〕と立てしを、仏世に出でさせ給ひて苦・空・無常・無我と説かせ給ひき。】
外道がこの世を、常楽我浄であると人々に言ったのに対し、釈迦牟尼仏は、世に出現して、この世は、苦、空、無常、無我であると説かれたのです。

【此のものどもは常・楽・我・浄といへり是三。されば仏も御入滅なりぬ。】
この人たちは、外道と同じく、この世は、常楽我浄と言ったのです。つまりは、釈迦牟尼仏が入滅して、

【又迦葉等もかくれさせ給ひぬれば第六天の魔王が此のものどもが身に入りかはりて仏法をやぶり外道の法となさんとするなり。】
また、迦葉尊者も亡くなってしまったので、第六天の魔王がこの人々の身に入って仏法を破り外道と同じようにしようとしたのでしょうか。

【されば仏法のあだ〔仇〕をば頭〔こうべ〕をわれ、頸〔くび〕をきれ、命をた〔断〕て、食を止めよ、国を追へと】
そうであれば仏法の敵であり、頭を割り、首を斬り、命を絶って、食を奪い、国から追放すべきであると

【諸の小乗の人々申せしかども、馬鳴・竜樹等は但一・二人なり。】
多くの小乗教を信じる人々が言ったけれども、それでも、馬鳴菩薩、竜樹菩薩は、ただ二人だけで大乗経を信じたのです。

【昼夜に悪口の声をきゝ朝暮〔ちょうぼ〕に杖木〔じょうもく〕をかうぶ〔被〕りしなり。而れども此の二人は仏の御使ひぞかし。】
毎日、人々の悪口を聞き、一日中、杖や木で叩かれ続けたのです。しかし、この二人は、まさしく仏の使いであったのです。

【正〔まさ〕しく摩耶〔まや〕経には六百年に馬鳴出で、七百年に竜樹出でんと説かれて候。】
摩耶経には、六百年に馬鳴菩薩が出現し、七百年に竜樹菩薩が出現すると説かれており、

【其の上、楞伽〔りょうが〕経等にも記せられたり。又付法蔵〔ふほうぞう〕経には申すにをよ〔及〕ばず。】
その上、楞伽経などにも書かれており、また、付法蔵経にも、それが書かれているのです。

【されども諸の小乗のものどもは用ひず但理不尽にせめしなり。】
しかし、多くの小乗教を信じる人々は、この仏の経文を信じる事はせず、ただ、理不尽にも大乗教を攻め立てたのです。

【「如来現在猶多〔ゆた〕怨嫉〔おんしつ〕況滅度後〔きょうめつどご〕」の経文は此の時にあたりて少しつみしられけり。】
「如来現在猶多怨嫉況滅度後」という法華経法師品の経文は、この時にあたって、少し現実となって現れたのです。

【提婆〔だいば〕菩薩の外道にころされ、師子尊者〔ししそんじゃ〕の頸〔くび〕をきられし此の事をもっておもひやらせ給へ。】
提婆菩薩が外道に殺され、師子尊者が首を斬られたのも、この事の現れなのです。

第35章 天台伝教の迹門弘通

【又仏滅後一千五百余年にあたりて月氏よりは東に漢土といふ国あり。陳〔ちん〕・隋〔ずい〕の代に天台大師出世す。】
また、仏滅後一千五百余年にあたってインドより東に中国と言う国があり、その陳、隋の時代に天台大師が出現します。

【此の人の云はく、如来の聖教に大あり小あり顕あり密あり権あり実あり。】
この人が言うのには、如来の聖教に大乗教があり、小乗教があり、顕教があり、密教があり、権教があり、実教がある。

【迦葉・阿難等は一向に小を弘め、馬鳴・竜樹・無著・天親等は権大乗を弘めて実大乗の法華経をば、】
迦葉尊者や阿難尊者などは、小乗教を弘め、馬鳴菩薩、竜樹菩薩、無著菩薩、天親菩薩などは、権大乗教を弘めて実大乗教である法華経を

【或は但指をさして義をかくし、或は経の面をのべて始中終をのべず、或は迹門をのべて本門をあらはさず、】
ただ指で差し示してその意義を隠し、また、経文の文面だけを述べてその意味を教えず、また、迹門だけを述べて本門を現わさなかったのです。

【或は本迹あって観心なしといゐしかば、南三北七の十流が末〔すえ〕、数千万人時をつくりどっとわらふ。】
また、本迹があっても観心なしと言って、数千万人もの南三北七の十宗派が、このように嘲笑してどっと笑ったのです。

【世の末になるまゝに不思議の法師も出現せり。時にあたりて我等を偏執〔へんしゅう〕する者はありとも、】
世も末に成ると不思議な法師も出現するものです。この釈迦牟尼仏の滅後の時にあたって自分たちを非難する者はあったとしても、

【後漢の永平十年丁卯〔ひのとう〕の歳より、今陳・隋にいたるまでの三蔵人師二百六十余人を、】
中国に仏教が渡った後漢時代の永平十年より、今、陳、隋の時代に至るまで三蔵法師や人師、論師、二百六十人を、

【ものもしらずと申す上、謗法の者なり悪道に堕つという者出来せり。】
仏教を知らずと非難した上に、このような人々を謗法の者であり、悪道に堕ちた者達であると言う者が出て来たのです。

【あまりのものぐるはしさに、法華経を持て来たり給へる羅什〔らじゅう〕三蔵をも、ものしらぬ者と申すなり。】
あまりにも狂ったその姿は、法華経を中国に持って来た羅什三蔵をも、仏教を知らない者と言うのです。

【漢土はさてもを〔置〕け、月氏の大論師竜樹・天親等の数百人の四依〔しえ〕の菩薩もいまだ実義をのべ給はずといふなり。】
中国は、さて置いても、インドの大論師である竜樹菩薩や天親菩薩などの数百人の四依の菩薩も、いまだ実義を述べていないと言うのです。

【此をころ〔殺〕したらん人は鷹〔たか〕をころしたるものなり。鬼をころすにもすぐべしとのゝしりき。】
これらを殺した人は、鷹を殺したような罪のない者であり、鬼を殺すよりも良い事をしていると言っているのです。

【又妙楽大師の時、月氏より法相・真言わたり、漢土に華厳宗の始まりたりしを、】
また、妙楽大師の時代、インドより中国に法相宗、真言宗が渡って来て、さらに中国に華厳宗が渡って来たので、

【とかく〔兎角〕せめしかばこれも又さは〔騒〕ぎしなり。】
それらを妙楽大師が間違いであると厳しく責めたので、さらにそれに騒ぎ出したのです。

【日本国には伝教大師が仏滅後一千八百年にあたりていでさせ給ひ、天台の御釈を見て欽明〔きんめい〕より已来二百六十余年が間の】
日本では、伝教大師が仏滅後一千八百年に出現して、天台大師の解釈書を読んで、欽明天皇の時代より二百六十余年の間に出現した

【六宗をせめ給ひしかば、在世の外道・漢土の道士、日本に出現せりと謗ぜし上、】
六宗派を責めたので、釈迦牟尼仏の居た時代の外道や中国の道教の邪師が日本に出現したと伝教大師を誹謗した上に、

【仏滅後一千八百年が間、月氏・漢土・日本になかりし円頓の大戒を立てんというのみならず、】
釈迦牟尼仏が滅した後の一千八百年の間に、インド・中国、日本になかった円頓の大戒壇を建てようとするのみならず、

【西国の観音寺の戒壇・東国下野の小野寺〔おのでら〕の戒壇・中国大和国東大寺の戒壇は同じく小乗臭糞〔しゅうふん〕の戒なり、】
西国の観音寺の戒壇や東国下野の小野寺の戒壇、中国大和国東大寺の戒壇は、すべて同じく小乗経の糞の臭いのする戒壇であり、

【瓦石〔がしゃく〕のごとし。】
これらはみな瓦や石のようなものであると言っている。

【其れを持つ法師等は野干〔やかん〕猿猴〔えんこう〕等のごとしとありしかば、あら不思議や、法師ににたる大蝗虫〔おおいなむし〕、】
その小乗戒を持つ僧侶たちは、野牛や野猿などのような者であると論じると、ああ、不思議な事があるものだ。法師に似た大蝗虫が、

【国に出現せり。仏教の苗一時にうせなん。】
この国に現れた。これでは、仏教の苗である戒律は、すぐに無くなってしまうであろう。

【殷〔いん〕の紂〔ちゅう〕・夏〔か〕の桀〔けつ〕、法師となりて日本に生まれたり。】
殷の紂王や夏の桀王などの悪王が、僧侶となって日本に生まれたのに違いない。

【後周の宇文〔うぶん〕・唐の武宗〔ぶそう〕、二たび世に出現せり。】
また、儒教を重んじて仏教を破壊した後周の武帝や道教を用いて仏教を破壊した唐の武宗がふたたび世に出現したのと同じだ。

【仏法も但今〔ただいま〕失せぬべし、国もほろびなんと。】
これでは、仏法も、たった今、消え失せてしまい、国も滅んでしまう事だろうと嘆いたのです。

【大乗小乗の二類の法師出現せば、修羅〔しゅら〕と帝釈〔たいしゃく〕と、項羽〔こうう〕と高祖と一国に並べるなるべし。】
このように大乗教と小乗経の僧侶が出現したので、これではまるで修羅と帝釈が戦い、また項羽と高祖が国を奪い合ってるも同じである。

【諸人手をたゝき舌をふるふ。】
そう言って多くの人々が話し合って手を打って納得しあったのです。

【在世には仏と提婆〔だいば〕が二つの戒壇ありてそこばく〔若干〕の人々死にゝき。】
釈迦牟尼仏の在世にも、釈迦牟尼仏と提婆達多の二つの戒壇があって、その争いで少人数の者が死んだのです。

【されば他宗にはそむくべし。】
そうであれば、当然、他宗に背くのは当然の事であろう。

【我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇を立つべしという不思議さよ。】
それなのに師匠である天台大師が建てる事が出来なかった円頓の戒壇を、その弟子である伝教大師が建てると言うなど、ほんとうに不思議な事だ。

【あらをそ〔恐〕ろしをそろしとのゝし〔罵〕りあえりき。】
これでは、すでに世も末であり、ほんとうに恐ろしい事だと伝教大師を罵〔ののし〕ったのです。

【されども経文分明にありしかば叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給ひぬ。】
しかし、現実には、経文に明らかなように比叡山に大乗戒壇がすでに建っているのです。

【されば内証は同じけれども法の流布は迦葉〔かしょう〕・阿難よりも馬鳴〔めみょう〕・竜樹等はすぐれ、】
そうであれば、正しさにおいては同じであるけれども、仏法の流布については、迦葉尊者、阿難尊者よりも馬鳴菩薩、竜樹菩薩が優れ、

【馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり。】
馬鳴などよりも天台大師は優れ、天台よりも伝教大師は、優れているのです。

【世末になれば人の智はあさく仏教はふかくなる事なり。】
世も末であれば人々の仏法を理解する能力も浅くなり、そうであるからこそ、仏教の内容は、深く成っていくのです。

【例せば軽病は凡薬、重病には仙薬、弱き人には強きかたうど〔方人〕有りて扶〔たす〕くるこれなり。】
たとえば軽い病いには、普通の薬で良いが、重病には、高価な薬も用い、弱い人には、強い味方が必要であるようなものなのです。

第36章 本門三大秘法を明かす

【問うて云はく、天台伝教の弘通し給はざる正法ありや。答ふ、有り。】
それでは、天台大師や伝教大師が未だに弘めていない正しい仏法と言うのはあるのでしょうか。それは、有ります。

【求めて云はく、何物ぞや。答へて云はく、三つあり、末法のために仏留め置き給ふ。】
それは、どのようなものでしょうか。それは、三つあります。末法の衆生の為に釈迦牟尼仏が留め置かれているのです。

【迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。】
迦葉尊者、阿難尊者など、また馬鳴菩薩、竜樹菩薩など、また天台大師、伝教大師などが未だに弘められなかった正しい仏法です。

【求めて云はく、其の形貌〔ぎょうみょう〕如何〔いかん〕。】
それは、どのような形であり、どのような姿なのでしょうか。

【答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提〔えんぶだい〕一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。】
それは、一つには、日本および全世界の末法の衆生一同に与えられた本門の教主である釈尊が本尊とした南無妙法蓮華経です。

【所謂〔いわゆる〕宝塔の内の釈迦・多宝、外〔そのほか〕の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士〔きょうじ〕となるべし。】
それは、宝塔の中の釈迦牟尼仏、多宝如来、その他の諸仏、そして上行菩薩などの四菩薩を脇士とする本尊なのです。

【二つには本門の戒壇。】
二つには、本門の戒壇です。

【三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてゝ南無妙法蓮華経と唱ふべし。】
三つには、日本および中国、インド、そして全世界の人々が有智無智をかかわらず、一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱える題目であるのです。

【此の事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。】
この事は、未だに弘まっていないのです。全世界の中で仏滅後二千二百二十五年の間に一人も唱えていない題目なのです。

【日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もを〔惜〕しまず唱ふるなり。】
日蓮一人が南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声も惜しまずに唱えているのです。

【例せば風に随って波の大小あり、薪〔たきぎ〕によ〔依〕て火の高下あり、池に随って蓮〔はちす〕の大小あり、】
たとえば、風の強さによって波の大小があり、薪の質によって火の高下があり、池の深さによって蓮の大小があるように、

【雨の大小は竜による、根ふかければ枝しげし、源〔みなもと〕遠ければ流れながしというこれなり。】
雨の大小は、雲により、根が深ければ枝がよく育ち、源流が遠ければ川の流れは、長くなるようなものなのです。

【周の代の七百年は文王〔ぶんおう〕の礼孝による。秦〔しん〕の世ほど〔程〕もなし、始皇の左道なり。】
周の時代が七百年も続いたのは、文王の礼儀と孝行によるのです。秦の時代が短かったのは、始皇の暴政のせいなのです。

【日蓮が慈悲曠大〔こうだい〕ならば南無妙法蓮華経は万年の外〔ほか〕未来までもながる〔流布〕べし。】
そのように日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は、万年を過ぎても、さらに未来までも流れ続けるのです。

【日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。】
日本のすべて衆生の盲目を開く功徳があり、無間地獄の道を塞ぐのです。

【此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。】
この功徳は、伝教大師や天台大師にも超え、竜樹菩薩や迦葉尊者にも優れているのです。

【極楽百年の修行は穢土〔えど〕の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。】
極楽百年の修行は、穢土の一日の修行にも及ばず、正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通にも劣るのです。

【是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。】
これは、偏に日蓮の智慧の優れているから言っているのではなく、弘めるべき時が来たから言うのです。

【春は花さき秋は菓〔このみ〕なる、夏はあたゝかに冬はつめたし。時のしからしむるに有らずや。】
春は、花が咲き、秋は、果実がなり、夏は、暖かであり、冬は、冷たいのです。このように、すべては時によるのです。

【「我が滅度の後〔のち〕、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民〔まみん〕・諸天・竜・夜叉〔やしゃ〕・】
法華経薬王品に「我が滅度の後、後の五百歳の中において、広宣流布して閻浮提において断絶して、悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、

【鳩槃荼〔くはんだ〕等をして其の便〔たよ〕りを得せしむること無けん」等云云。】
鬼人などをして、その便りを得せしむること無けん」と予言しているのです。

【此の経文若しむな〔空〕しくなるならば舎利弗〔しゃりほつ〕は華光如来〔けこうにょらい〕とならじ、】
この経文の予言が空虚な嘘であるならば、舎利弗は、華光如来とは成れず、

【迦葉〔かしょう〕尊者〔そんじゃ〕は光明如来〔こうみょうにょらい〕とならじ、】
迦葉尊者は、光明如来とは成れず、

【目□〔もっけん〕は多摩羅跋栴檀香仏〔たまらばつせんだんこうぶつ〕とならじ、】
目□〔もっけん〕尊者は、多摩羅跋栴檀香仏とは成れず、

【阿難は山海慧自在通王仏〔さんかいえじざいつうおうぶつ〕とならじ、】
阿難尊者は、山海慧自在通王仏とならず、

【摩訶波闍波提比丘尼〔まかはじゃはだいびくに〕は一切衆生喜見仏〔いっさいしゅじょうきけんぶつ〕とならじ、】
摩訶波闍波提比丘尼は、一切衆生喜見仏〔いっさいしゅじょうきけんぶつ〕とならじ

【耶輸陀羅〔やしゅだら〕は具足千万光相仏〔ぐそくせんまんこうそうぶつ〕とならじ。】
耶輸陀羅は、具足千万光相仏と成れないのです。

【三千塵点も戯論〔けろん〕、五百塵点も妄語〔もうご〕となりて、恐〔おそ〕らくは教主釈尊は無間地獄に堕〔お〕ち、】
三千塵点の話しも戯論となり、五百塵点の話しも妄語となって、恐らくは、教主釈尊は、無間地獄に堕ち、

【多宝仏は阿鼻〔あび〕の炎〔ほのお〕にむせび、十方の諸仏は八大地獄を栖〔すみか〕とし、一切の菩薩は一百三十六の苦しみをうくべし。】
多宝仏は、阿鼻地獄の炎にむせび、十方の諸仏は、八大地獄を住処とし、すべての菩薩は、地獄内の一百三十六の苦しみのすべてを受ける事でしょう。

【いかでかその義あるべき。其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。】
どうしてそのような事があるでしょうか。そうでなければ、日本国は、一同に南無妙法蓮華経と唱えるようになるのです。

第37章 正しく報恩を結す

【されば花は根にかへり、真味は土にとゞまる。此の功徳は故道善房の聖霊〔しょうりょう〕の御身にあつまるべし。】
そうであれば、花は、根にかえるように、また真味は、土に留まるように、この功徳は、故道善房の聖霊の御身に集まることでしょう。

【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。】
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

【建治二年(太歳丙子)七月二十一日 之を記す】
建治二年(西暦1276年)7月21日に、これを記す

【甲州波木井の郷蓑歩〔みのぶ〕の岳〔たけ〕より安房国〔あわのくに〕東条郡清澄山浄顕房・義城房の本〔もと〕へ奉送〔ぶそう〕す。】
甲州、波木井の郷、身延山より、安房国、東条郡、清澄山の浄顕房、義城房のもとへ送ります。

第38章 報恩抄送文

【報恩抄送文 建治二年七月二六日 五五歳 御状給はり候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
報恩抄送文 建治二年(西暦1276年)7月26日 55歳御作 御手紙を確かに頂きました。

【親疎〔しんそ〕と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ。】
親しい仲であっても、疎遠であっても、法門と言うものは、信心がない者には、軽々しく言わない方が良いと思って下さい。

【御本尊図して進〔まい〕らせ候。】
御本尊を書いてさしあげました。

【此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初めには次第に怨敵〔おんてき〕強くなるべき由をだにも】
この法華経は、仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初めに、次第に怨敵が強くなり、法門を説く事が困難になると

【御心へ〔得〕あるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。これを皆人存じ候ひぬべし。】
理解されれば、日本にこの他に法華経の行者は居ないことがわかるでしょう。このことを、人々は、知るべきなのです。

【道善御房の御死去の由、去ぬる月粗〔ほぼ〕承り候。】
道善御房の御死去された事は、前の月に、だいたいの事は承知しました。

【自身早々と参上し、此の御房をもやがてつか〔遣〕はすべきにて候ひしが、】
そこで日蓮自身が早速、清澄寺に参上しようと思い、この弟子の日向をすぐに使いに出したところなのです。

【自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世〔とんせい〕のやうに見えて候へば、なにとなく此の山を出でず候。】
しかし日蓮自身は、そうは思っていないのに人の目では世間から離れたように見られているので、この山を離れる事が出来ないでいるのです。

【此の御房は、又内々人の申し候ひしは、宗論やあらんずらんと申せしゆへに、十方にわ〔分〕かて経論等を尋ねしゆへに、】
この日向は、内々に人々が近いうちに宗論があると噂しているので、四方に手分けして経論などを尋ね集める為に、

【国々の寺々へ人をあまたつか〔遣〕はして候に、此の御房はするが〔駿河〕の国へつか〔遣〕はして当時こそ来たりて候へ。】
他国の寺々へ人を派遣しており、この日向が駿河の国に派遣していたところ、ちょうど、帰って来たので、すぐに清澄寺に向かわせたのです。

【又此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ、詮なからん人々にき〔聞〕かせなばあ〔悪〕しかりぬべく候。】
また、この文は、日蓮の法門の大事の中の大事を書いているので、関係ない人々に聞かせては、必ず不都合な事が起こるので聞かせてはなりません。

【又設〔たと〕ひさなくとも、あまたになり候はゞほか〔外〕ざま〔様〕にもきこえ候ひなば、御ため又このため安穏ならず候はんか。】
たとえ、そうでなくても、多くの人々に言えば、関係ない人にも聞こえて、その為に、大変な事が起こってしまいます。

【御まへ〔前〕と義城房と二人、此の御房をよみて〔読手〕として、嵩がもり〔森〕の頂にて二・三遍、】
それで、浄顕坊と義城房と二人だけで、この日向を読み手として、嵩が森〔かさがもり〕の頂上で、二度、三度、聞いて、

【又故〔こ〕道善御房の御はか〔墓〕にて一遍よませさせ給ひては、此の御房にあづけさせ給ひてつねに御聴聞候へ。】
また、故道善御房の墓で一遍、読んで、その後は、この日向に預けておいて、常にこの法門の内容をお尋ねしてください。

【たびたびになり候ならば、心づ〔付〕かせ給ふ事候なむ。】
何度も聞いているうちに、なるほどと心で納得される事があると思います。

【恐々謹言。】
恐れながら申し上げます。

【七月二十六日 日蓮花押 清澄御房】
7月26日 日蓮花押 清澄御房へ



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