日蓮正宗法華講開信寺支部より

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御書研鑚の集い 2019年9月8日


第41回 佐渡御書 研鑚資料

佐渡御書(御書 578頁)
別名「日蓮弟子檀那等御中」

文永八年(西暦1271年)の9月12日、日蓮大聖人は、竜の口の法難に遭われ、その場で上行菩薩の姿をはらわれて久遠元初自受用身の本地を顕されたのです。
その大聖人を竜の口において斬首出来なかった鎌倉幕府は、慌て怖れ理不尽にも佐渡への流罪に処したのです。しかし、この一連の法難における門下の動揺は激しいものでした。それは、多くの檀那が住まいを追われ、所領を没収され、弟子達の中には、日朗のように土牢に入れられた者も大勢いたからです。
新尼御前御返事には「千が九百九十九人は堕ちて候」(御書765頁)とあるように、多数の退転者が出たのです。
そのような中で佐渡流罪中の文永九年(西暦1272年)3月20日、五十一歳の時にこの佐渡御書を書かれました。
対告衆は、端書きに「日蓮弟子檀那等御中」とあるように広く弟子檀那の方々に与えられた御書と思われますが、富木殿、四条金吾、大蔵塔の辻十郎入道、妙一尼などの名前も書かれています。
このような未だ退転していない門下の中にも、この難に大聖人に不信をつのらせて、かえって大聖人の行動を批判し教訓する者がいたのです。大聖人は、これらはみな念仏者よりも、長い間、阿鼻地獄に堕ちるとこの御書において言われています。
それは、大聖人こそが末法における唯一の主師親の三徳を具えられた仏であり、末法に於いては、その日蓮大聖人を信じ折伏を行じて難に遭ってこそ、過去の宿業を出し尽くして成仏出来るという事を示同凡夫として身を以って教えられているのです。
それなのに現在の難に驚いて信心を捨て去り、現世の安穏のみを乞いねがう者は、もともと日蓮大聖人を末法の御本仏と敬わず、大聖人の言う事を信じていない者達なので、その為に無間地獄に堕ちるのであると、この御書において門下の人々を無間地獄の苦しみから救う為に強く諭されているのです。

【佐渡御書 文永九年三月二〇日 五一歳】

【世間に人の恐るゝ者は、火炎〔ほのお〕の中と刀剣〔つるぎ〕の影と此の身の死するとなるべし。】
世間では、人が怖れるものは、火炎の中と刀剣の影とであり、それで自分自身が死んでしまう事です。

【牛馬猶〔なお〕身を惜しむ、況んや人身をや。癩人〔らいにん〕猶命を惜しむ、何に況んや壮人をや。】
馬や牛でさえ命を惜しむのであり、人の身ではなおさらの事です。また、重病の者でも命を惜しむのに健康な人であればなおさらの事です。

【仏説いて云はく「七宝〔しっぽう〕を以て三千大千世界に布〔し〕き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如〔し〕かず」(取意)。】
仏は「七つの宝をもって世界に敷きつめても、手の小指を供養する事には、叶わない。」と説かれています。

【雪山童子の身をなげし、楽法梵志〔ぎょうぼうぼんし〕が身の皮をはぎし、】
雪山童子のように身を投げ、楽法梵志のように身の皮を剥ぎ、

【身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる。】
命以上のものを惜しまずに供養して仏法を習えば必ず仏となるのです。

【身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。】
仏法の為に命を捨てるような人が他の宝を惜しむ事があるでしょうか。また財宝を惜しむような者が仏法の為に命を惜しまない事があるでしょうか。

【世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし。又主君の為に命を捨つる人は、すくなきようなれども其の数多し。】
世間でも大きな恩を返す為には命を捨てるべきだと言われています。また、主君の為に命を捨てる人は少ないようでもその数はまだ多いのです。

【男子ははじ〔恥〕に命をすて、女人は男の為に命をす〔捨〕つ。】
それでなくても男性は、恥をかかされれば、その為に命を捨て、女性は、男の為に命を捨てるのです。

【魚は命を惜しむ故に、池にす〔栖〕むに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑ〔餌〕にばかされて釣をのむ。】
魚は、命を惜しむ故に池が浅い事を嘆いて底に穴を掘って住むのですが、それでも餌に化かされて釣られてしまうのです。

【鳥は木にす〔栖〕む。木のひき〔低〕ゝ事をお〔怖〕じて木の上枝〔ほつえ〕にすむ。しかれどもゑ〔餌〕にばかされて網にかゝる。】
鳥は、木に巣を作りますが、木が低い事を怖れて木の上のほうに住むのです。それでも餌に化かされて網にかかって捕えられてしまいます。

【人も又是くの如し。世間の浅き事には身命を失〔うしな〕へども、大事の仏法なんどには捨つる事難し。】
人であってもこれと同じで世間のつまらない事には、命を失うことが有っても仏法の為には、命を失う事はしないものなのです。

【故に仏になる人もなかるべし。】
だから仏になる人がなかなかいないのです。

【仏法は摂受〔しょうじゅ〕・折伏時によるべし。譬〔たと〕へば世間の文武二道の如し。されば昔の大聖は時によりて法を行ず。】
仏法は、摂受か折伏かは時に依るべきなのです。世間でいう文武両道であって、その世間においても立派な人は、時によって考え改めて来ました。

【雪山童子〔せっせんどうじ〕・薩□〔さった〕王子は、身を布施とせば法を教へん、菩薩の行となるべしと責めしかば身をすつ。】
雪山童子や薩□王子は、身体を布施すれば仏法を教えようと言われ、これが真実の菩薩の修行であると決意して命を捨てたのです。

【肉をほしがらざる時、身を捨つべきや。紙なからん世には身の皮を紙とし、筆なからん時は骨を筆とすべし。】
しかし肉を欲しがっていない時に身を捨てるべきでしょうか。それでも紙がない時には身の皮を紙とし、筆がない時には、骨を筆とするべきなのです。

【破戒無戒を毀〔そし〕り、持戒正法を用ひん世には、諸戒を堅く持〔たも〕つべし。】
破戒の者や無戒の者をそしって持戒の者が多く正法を持っている世界では、規則を堅く守るべきでしょう。

【儒教・道教を以て釈教を制止せん日には、道安〔どうあん〕法師・慧遠〔えおん〕法師・法道三蔵〔ほうどうさんぞう〕等の如く、】
儒教や道教が広まっていて仏教がないときには、道安法師、慧遠法師、法道三蔵などのように

【王と論じて命を軽うすべし。】
権力者と宗教の正邪をどうどうと議論して命を捨てるべきなのです。

【釈教の中に小乗・大乗・権経・実経雑乱〔ぞうらん〕して明珠と瓦礫〔がりゃく〕と牛驢〔ごろ〕の二乳を弁〔わきま〕へざる時は、】
仏教の中で小乗経、大乗経、権経、実経などが混ざり合って、宝石と瓦礫、牛乳と驢馬の乳のようになっている時は、

【天台大師・伝教大師等の如く大小・権実・顕密を強盛〔ごうじょう〕に分別すべし。】
天台大師や伝教大師のように大小相対、権実相対や顕密の違いを厳密に立て分けるべきなのです。

【畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。】
動物は、弱い者を脅して強い者を怖れるのです。

【当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。】
現在の学者はみんなこれと同じであり、智者を弱者と思って馬鹿にし、ひたすら王の機嫌だけを取っているのです。

【諛臣〔ゆしん〕と申すは是なり。強敵を伏して始めて力士をしる。】
役たたずの家臣とは、このような者であり、間違った事を止めさせてこそ力のある立派な家臣なのです。

【悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人〔かとうど〕をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。】
悪い王が正しい者を憎み、邪宗の僧侶などがそれに加担して智者を殺そうとする時に、それを怖れない心さえ持てばその人は必ず仏に成るのです。

【例せば日蓮が如し。これおご〔驕〕れるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。】
たとえば現在で言えば日蓮のようなものなのです。これは、驕って言っているのではありません。仏法を強く惜しむが故に言うのです。

【おご〔驕〕る者は必ず強敵に値ひておそるゝ心出来するなり。】
驕れる者は、必ず強敵が現れると怖れる心が出て怯むではありませんか。

【例せば修羅〔しゅら〕のおごり、帝釈〔たいしゃく〕にせ〔攻〕められて、無熱池〔むねっち〕の蓮〔はちす〕の中に小身と成りて隠れしが如し。】
例えば、修羅が驕り高ぶっていましたが、帝釈天が現れると池の蓮の中に小さくなって隠れてしまったようなものです。

【正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道な〔成〕るべし。】
正法は、ただの文字ではあっても、時さえ間違わずに実行すれば、必ず成仏できるのです。

【千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからず。】
どんなに多くの経を学んでも時期を間違えれば成仏は出来ません。

【宝治〔ほうじ〕の合戦すでに二十六年、今年二月十一日十七日又合戦あり。】
宝治の合戦があってから、すでに二十六年が経ち、今年もまた二月十一日、十七日にふたたび合戦がありました。

【外道悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等必ず仏法を破るべし。】
外道や悪人は、仏の正法を外から壊す事は出来ませんが、仏の弟子が必ず仏法を内側から破壊するのです。

【「師子身中の虫の師子を食〔は〕む」(云云)等。大果報の人をば他の敵やぶりがたし。親〔した〕しみより破るべし。】
師子身中の虫とは、この事であり、成仏目前の人をそれ以外の方法では壊す事が出来ず、それ故に仏教の仲間のような振りをして近づき破るのです。

【薬師〔やくし〕経に云はく「自界叛逆〔じかいほんぎゃく〕難」是なり。仁王〔にんのう〕経に云はく「聖人去る時七難必ず起こらん」(云云)。】
薬師経にある自界叛逆の難とは、これであり、仁王経にある三災七難とは、この事なのです。

【金光明〔こんこうみょう〕経に云はく「三十三天各瞋恨〔しんこん〕を生ずるは、】
金光明経には「□利天〔とうりてん〕に怒りが生じるのは、

【其の国王悪を縦〔ほしいまま〕にして治せざるに由る」等(云云)。】
その国の王が悪行を行って国を治める事が出来ないからである。」と説かれています。

【日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。又世間の作法兼〔か〕ねて知るによって、注し置くこと是違ふべからず。】
日蓮は、仏ではないけれども、法華経通りに受持すれば仏と同じなのです。また、世間の事も詳しく知っているので間違う事がないのです。

【現世に云ひをく言〔ことば〕の違はざらんをも〔以〕て後生〔ごしょう〕の疑ひをなすべからず。】
現在でも間違ったことを何一つ言ってないのですから、この後の事も疑う事はないでしょう。

【日蓮は此の関東の御一門の棟梁〔とうりょう〕なり、日月なり、亀鏡〔ききょう〕なり、眼目なり、】
日蓮は、この日本の中の第一人者であり、日月であり、明鏡であり、眼目であり、

【日蓮捨て去る時七難必ず起こるべしと、去年九月十二日御勘気を蒙〔こうむ〕りし時、大音声を放〔はな〕ちてよばはりし事これなるべし。】
日蓮を捨て去る時、必ず三災七難が起こると去年九月十二日に大きな声で言った事は、この北条時輔の乱の事なのです。

【纔〔わず〕かに六十日乃至百五十日に此の事起こるか。】
そして60日から150日の間に北条時輔の乱が起こったのです。

【是は華報〔けほう〕なるべし。実果〔じっか〕の成ぜん時いかゞなげ〔嘆〕かはしからんずらん。】
これがまさしく現証なのです。もし、それが実際に起きないならばどんなに嘆かわしい事であったでしょうか。

【世間の愚者の思ひに云はく、日蓮智者ならば何ぞ王難に値〔あ〕ふやなんど申す。日蓮兼ねての存知なり。】
世間の愚かな者どもは、なぜ日蓮が智者ならば王難に遭うのだと言います。そんな事は、日蓮は、百も承知なのです。

【父母を打つ子あり、阿闍世王〔あじゃせおう〕なり。仏・阿羅漢〔あらかん〕を殺し血を出〔い〕だす者あり、提婆達多〔だいばだった〕是なり。】
昔、父母を打つ子供がいました。それは、阿闍世王です。また、仏の身から血を出だし、阿羅漢を殺した者がいました。それは、提婆達多なのです。

【六臣これをほ〔誉〕め、瞿伽利〔くがり〕等これを悦〔よろこ〕ぶ。日蓮当世には此の御一門の父母なり。仏・阿羅漢の如し。】
六人の家来がそれを褒め、瞿伽利がそれを喜びました。日蓮は、この時の打たれた父母や怪我をさせられた仏や殺された阿羅漢のようなものなのです。

【然るを流罪して主従共に悦びぬる、あはれに無慚〔むざん〕なる者なり。】
その日蓮を流罪して主人も家来も共に喜び合っているとは、なんと憐れで無残な事でしょうか。

【謗法の法師等が自ら禍〔わざわい〕の既に顕はるゝを歎きしが、か〔斯〕くなるを一旦は悦ぶなるべし。】
この北条時輔の乱が起こって謗法の僧侶たちが自らの間違いが現実になったと嘆いていましたが、逆に日蓮がこうなると喜び勇んでいるのです。

【後には彼等が歎き日蓮が一門に劣るべからず。】
しかし、この後の彼らの嘆きは、今の日蓮の一門の嘆きに劣る事はないのです。

【例せば泰衡〔やすひら〕がせう〔弟〕とを討ち、九郎判官〔くろうほうがん〕を討ちて悦びしが如し。】
たとえば、奥羽の豪族、藤原泰衡が弟を討って頼朝に義経の首をさしだし喜んでいましたが、その後に頼朝に滅ぼされたようなものなのです。

【既に一門を亡ぼす大鬼の此の国に入るなるべし。法華経に云はく「悪鬼入其身〔あっきにゅうごしん〕」是なり。】
まさに、大悪鬼が奥羽の国に入って一門を滅ぼした事実は、法華経の悪鬼入其身の姿ではないでしょうか。

【日蓮も又かくせ〔責〕めらるゝも先業なきにあらず。不軽品に云はく「其罪畢已〔ございひっち〕」等(云云)。】
日蓮がこのように責められるのも前世の悪業がない訳ではないのです。不軽品には「其罪畢已」と説かれています。

【不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲〔めりちょうちゃく〕せられしも、先業の所感なるべし。】
不軽菩薩が多くの謗法の者に責められるのも前世の悪業の為なのです。

【何〔いか〕に況〔いわ〕んや、日蓮今生〔こんじょう〕には貧窮下賎〔びんぐげせん〕の者と生まれ旃陀羅〔せんだら〕が家より出〔い〕でたり。】
ましてや日蓮は、その悪業の故に下賤の者と生まれて、このように卑しい身分の家の出身なのです。

【心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。】
心こそ少しだけ法華経を信じているようにありますが身は人に似ているとはいえ畜生と同じなのです。

【魚鳥を混丸〔こんがん〕して赤白二渧〔しゃくびゃくにてい〕とせり。其の中に識神〔しきしん〕をやどす。濁水に月のうつれるが如し。】
魚と鳥を混ぜ合わせ赤と白の液体にしてその中に精神を宿し、濁った水に月を映し出したような存在なのです。

【糞嚢〔ふんのう〕に金〔こがね〕をつゝ〔包〕めるなるべし。】
それは、まさに糞袋に黄金を包んだようなものなのです。

【心は法華経を信ずる故に梵天〔ぼんてん〕・帝釈〔たいしゃく〕をも猶〔なお〕恐ろしと思はず、身は畜生の身なり。】
心は法華経を信じる故に梵天や帝釈も怖ろしいとは思いませんが、それでも身は畜生のままなのです。

【色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり。心も又身に対すればこそ月〔つき〕・金〔こがね〕にもたと〔譬〕ふれ。】
身と心が不釣り合いである故に愚者から馬鹿にされるのも当たり前なのですが、この心は、畜生の身に比較すれば月や黄金に譬えられるのです。

【又過去の謗法を案ずるに誰かしる。】
しかしまた過去の法華経、誹謗の罪を誰が知っているのでしょうか。

【勝意比丘〔しょういびく〕が魂にもや、大天が神〔たましい〕にもや。】
過去は、正法を持つ者を誹謗した勝意比丘の魂なのでしょうか。第六天の心が宿ったのでしょうか。

【不軽軽毀〔きょうき〕の流類なるか、失心の余残なるか、五千上慢の眷属なるか、大通第三の余流〔よりゅう〕にもやあるらん、宿業はかりがたし。】
または、不軽菩薩を責めた者の仲間なのでしょうか。退転者なのでしょうか、増上慢なのでしょうか。過去の宿業は、わからないものです。

【鉄〔くろがね〕は炎打〔きたえう〕てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。】
鉄は、炎に入れて、鍛〔きた〕え打てば、美しい刀となるように、正しい人は、罵倒して試してみるのが良いのです。

【我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏〔ひとえ〕に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。】
私に今度の流罪を受けるような罪など何もありませんが、これで過去の法華誹謗の重罪を消してしまえば後生に三悪道に堕ちる事はないのです。

【般泥□〔はつないおん〕経に云はく「当来の世、仮りに袈裟を被〔き〕て我が法の中に於て出家学道し、】
般泥□経には「来るべき世では、袈裟を着て出家し仏法を学び修行しているように見せかけて、

【懶惰懈怠〔らんだけだい〕にして此等の方等契経〔ほうどうかいきょう〕を誹謗すること有らん。】
実には、なまけさぼり、正法を誹謗する者がいます。

【当に知るべし、此等は皆是今日の諸の異道の輩〔やから〕なり」等(云云)。】
これらは、みんな、釈迦在世の外道の者達なのです。」と説かれています。

【此の経文を見ん者自身をは〔恥〕づべし。】
この経文を読んだものは、自分自身を恥じるべきです。

【今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠〔らんだけだい〕なるは、是〔これ〕仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり。】
今、私達が出家して袈裟をかけ、なまけさぼる事は、釈迦牟尼仏が在世の時のインドの外道の弟子である説かれているのです。

【法然〔ほうねん〕が一類、大日〔だいにち〕が一類、念仏宗・禅宗と号して、】
法然の仲間や大日の仲間が念仏宗や禅宗を立てて、

【法華経に捨閉閣抛〔しゃへいかくほう〕の四字を副〔そ〕へて制止を加へて、権経の弥陀称名〔みだしょうみょう〕計〔ばか〕りを取り立て、】
法華経を捨〔す〕てよ閉〔と〕じよ閣〔さしお〕け抛〔なげう〕てと制止し、権経である弥陀称名ばかりを唱えよと言い、

【教外別伝〔きょうけべつでん〕と号して法華経を月をさす指、只文字をかぞ〔数〕ふるなんど笑ふ者は、六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし。】
教外別伝などと言って、法華経は月をさす指であり、文字を数えてなんとすると笑ふ者は、外道が末法に仏教の中に現れたものなのです。

【うれ〔憂〕へなるかなや。】
ほんとうに憂うべきことです。

【涅槃〔ねはん〕経に仏〔ほとけ〕光明〔こうみょう〕を放ちて地の下一百三十六地獄を照らし給ふに、罪人一人もなかるべし。】
涅槃経には、仏が光を放って地下の一百三十六の地獄を照らして見ましたが、そこには、罪人が一人もいなかったと説かれています。

【法華経の寿量品にして皆成仏せる故なり。但し一闡提人と申して謗法の者計り地獄守〔もり〕に留められたりき。】
それは、法華経の寿量品によってすべての者達が成仏したからなのです。しかし、謗法の者ばかりは、その時も地獄に留められました。

【彼等がう〔産〕みひろ〔広〕げて、今の世の日本国の一切衆生となれるなり。】
その後で、その者達が娑婆世界に生まれて広がり、今の日本国の衆生となったのです。

【日蓮も過去の種子已〔すで〕に謗法の者なれば、今生に念仏者にて数年が間、】
日蓮も過去の謗法の者であれば、念仏者であって数年の間、

【法華経の行者を見ては未有一人得者千中無一〔みういちにんとくしゃせんちゅうむいち〕等と笑ひしなり。】
法華経の行者を見ては、未だ一人も得る者は有らず、千がうちに一人も往生せず等と笑っていたのです。

【今謗法の酔〔よ〕ひさめて見れば、酒に酔へる者父母を打ちて悦びしが、酔ひさめて後歎〔なげ〕きしが如し。】
今現在、その謗法の酔いが醒めて、酒に酔って父母を叩いて悦んでいた者が、酔いが醒めて後悔しているのと同じように、

【歎けども甲斐なし、此の罪消えがたし。何に況んや過去の謗法の心中にそ〔染〕みけんをや。】
いくら嘆いてもその罪は、消えないのです。未だに過去の謗法が心の中に染めわたっていては、なおさらなのです。

【経文を見候へば、烏〔からす〕の黒きも鷺〔さぎ〕の白きも先業のつよ〔強〕くそ〔染〕みけるなるべし。】
経文を見れば、カラスが黒いのもサギが白いのも、過去の宿業に強く染まっている為なのです。

【外道は知らずして自然〔じねん〕と云ひ、今の人は謗法を顕はして扶〔たす〕けんとすれば、】
外道は、それを知らずに自然にそうなっていると言い、現世の人は、過去の謗法を説明して助けようとすれば、

【我が身に謗法なき由をあなが〔強〕ちに陳答〔ちんとう〕して、法華経の門を閉じよと法然が書けるをとかく〔左右〕あら〔争〕がひなんどす。】
返って自分自身に謗法などないと答え、過去の謗法の姿と同じように法華経の門を閉じよと法然が言っていると、あらがって言う事を聞かないのです。

【念仏者はさてをきぬ。天台・真言等の人々、彼が方人〔かとうど〕をあなが〔強〕ちにするなり。】
このような念仏者は、さておいても、天台宗や真言宗の人々まで、彼らの人々を味方になるのです。

【今年正月十六日十七日に佐渡国の念仏者等数百人、印性房〔いんしょうぼう〕と申すは念仏者の棟梁〔とうりょう〕なり。】
今年の正月、十六日と十七日に佐渡の国の念仏者たちが数百人、印性房という念仏者を先頭に

【日蓮が許〔もと〕に来て云はく、法然上人は法華経を抛〔なげう〕てよとかゝせ給ふには非ず、一切衆生に念仏を申させ給ひて候。】
日蓮の元に来てこのように言いました。法然上人は、法華経を捨てよなどとは言っていない。ただ、すべての衆生に念仏を唱えさせているだけだ。

【此の大功徳に御往生疑ひなしと書き付けて候を、】
この念仏を唱える大功徳によって極楽往生は間違いないのだと書いてある事を、

【山僧等の流されたる並びに寺法師等、善〔よ〕きかな善きかなとほめ候をいかゞこれを破し給ふと申しき。】
佐渡の流罪されている天台宗の僧なども、その事を正しいと褒めているのに、なぜそれを認めないのかと主張しているのです。

【鎌倉の念仏者よりもはるかにはかなく候ぞ。無慚〔むざん〕とも申す計りなし。】
ほんとうに鎌倉の念仏者よりも、はるかに愚かで言う言葉もないのです。

【いよいよ日蓮が先生〔せんじょう〕・今生〔こんじょう〕・先日〔せんじつ〕の謗法おそろし。】
それを考えれば、日蓮の前世、現世の謗法は、ほんとうに怖ろしいではありませんか。

【か〔斯〕ゝりける者の弟子と成りけん、か〔斯〕ゝる国に生まれけん、いか〔如何〕になるべしとも覚えず。】
過去に、このような者の弟子であったのでしょうか。また、この佐渡のような国に生まれたのでしようか。それは、まったくわからないのです。

【般泥□〔はつないおん〕経に云はく「善男子過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに、是の諸の罪報或は軽易〔きょうい〕せられ、】
般泥□経には「過去に無量の罪やいろいろな悪業を作った為にその報いとして現世において人々から軽蔑され

【或は形状〔ぎょうじょう〕醜陋〔しゅうる〕にして、衣服〔えぶく〕足らず、飲食麁疎〔おんじきそそ〕にして、】
容姿が醜く生まれ、衣服が粗末で食べ物さえ貧しく、

【財を求めて利あらず、貧賎の家及び邪見の家に生まれ、或は王難に遭〔あ〕ふ」等(云云)。】
財産を求めても得られず、貧しく邪宗の家に生まれ、王難に遭うのです。」と説かれています。

【又云はく「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるは、斯〔これ〕護法の功徳力に由る故なり」等(云云)。】
また「種々の人間としての苦悩を現世に軽く受けるのは、正法の功徳の力によってである。」とも説かれています。

【此の経文は日蓮が身なくば、殆〔ほとん〕ど仏の妄語となりぬべし。】
この経文は、日蓮の身体がなければ、ほとんど虚妄となってしまいます。

【一には「或は軽易〔きょうい〕せらる」、二には「或は形状醜陋」、三には「衣服〔えぶく〕足〔た〕らず」、四には「飲食麁疎」、五には「財を求むるに利あらず」、】
一に軽蔑される、二に容姿が醜く、三には、衣服が粗末、四には、食べ物さえ貧しく、五には、財産を求めても得られず、

【六には「貧賎の家に生まる」、七には「及び邪見の家」、八には「或は王難に遭ふ」等(云云)。】
六には、下賤の家に生まれ、七には、邪宗の家に生まれ、八には、王難に遭う。

【此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり。高山に登る者は必ず下〔くだ〕り、我人〔ひと〕を軽〔かろ〕しめば還って我が身人に軽易せられん。】
この八つの文章は、日蓮一人が身に覚えがあるのです。山に登る者は、必ず下るように人を軽んじれば人から軽蔑されるのです。

【形状〔ぎょうじょう〕端厳〔たんごん〕をそ〔謗〕しれば醜陋〔しゅうる〕の報いを得。人の衣服飲食をうば〔奪〕へば必ず餓鬼となる。】
美しい容姿を謗れば醜く生まれ、人の衣食を奪えば、必ず餓鬼となるのです。

【持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず。正法の家をそし〔謗〕れば邪見の家に生ず。】
正しい僧侶を笑えば、必ず貧しい家に生まれ、正法の家を謗れば邪宗の家に生まれるのです。

【善戒を笑へば国土の民となり王難に値〔あ〕ふ。是は常の因果の定まれる法なり。日蓮は此の因果にはあらず。】
善い行いを笑えば、娑婆世界の民衆となって王難に遭うのですが、これは、普通の因果に定まっているのですが、日蓮はそうではありません。

【法華経の行者を過去に軽易せし故に、法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山〔かざん〕に華山をかさね、玉と玉とをつらねたるが如くなる】
法華経の業者を過去に軽んじた為であって、法華経は、月と月を並べ、星と星を連ね、高い山と高い山を重ね、玉と玉を連ねたような、

【御経を、或は上げ或は下〔くだ〕して嘲哢〔ちょうろう〕せし故に、此の八種の大難に値へるなり。】
素晴らしい経文であるのに、それを、あるいは上げ、あるいは下げしてあざけ笑った為に、このような八種類の大きな難にあっているのです。

【此の八種は尽未来際〔じんみらいさい〕が間〔あいだ〕一つづつこそ現ずべかりしを、】
しかし、この八種類の難は、未来にひとつづつ現れるものが

【日蓮つよく法華経の敵を責むるによ〔依〕て一時に聚〔あつ〕まり起こせるなり。】
日蓮が強く法華経の敵を責めたので、このように一度に集まって現れたのです。

【譬へば民の郷郡〔ごうぐん〕なんどにあるには、いかなる利銭を地頭等にはおほ〔負〕せたれども、いた〔甚〕くせ〔責〕めず、年々にのべゆく。】
たとえば、民衆が領主にお金を借りていたとしても、その地に居れば、それほどやかましくは取り立てはせず、年ごとに返して行けばよいのですが、

【其の所を出づる時に競〔きそ〕ひ起こるが如し。】
その場所をひとまず離れるとなれば、すべてを一度に返さなくてはならなくなります。

【「斯れ護法の功徳力に由る故なり」等は是なり。】
つまり「これは法を護る功徳の力に依り起こる。」とはこの事なのです。

【法華経には「諸の無智の人有って悪口罵詈等し刀杖瓦石〔がしゃく〕を加ふ。】
法華経には「多くの無知の人がいて、罵詈雑言をして刀や杖で叩き、石や瓦を投げ付けられる。

【乃至国王・大臣・婆羅門〔ばらもん〕・居士に向かって、乃至数々〔しばしば〕擯出〔ひんずい〕せられん」等(云云)。】
また国王や大臣、邪宗教の僧や信者によって度々、居場所を追い出される。」と説かれています。

【獄卒が罪人を責めずば地獄を出づる者かたかりなん。当世の王臣なくば、日蓮が過去謗法の重罪消し難し。】
番人が罪人を責めなれば地獄を出る事は難しくはありません。現在、悪王やその家来がいなければ、日蓮の過去の謗法の重罪は消し難いのです。

【日蓮は過去の不軽の如く、当世〔とうせい〕の人々は彼の軽毀〔きょうき〕の四衆の如し。】
日蓮は、過去の不軽菩薩のようであり、現在の人々は過去の不軽菩薩をいじめた民衆のようなものなのです。

【人は替はれども因は是一なり。父母を殺せる人異なれども、同じ無間地獄にお〔堕〕つ。】
人は、変わっても原因は、ひとつであるのです。父母を殺す人は違っていても結果は、すべて同じ無間地獄に堕ちるのです。

【いかなれば、不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき。又彼の諸人は跋陀婆羅〔ばっだばら〕等と云はれざらんや。】
どうして不軽菩薩の因を行じている日蓮が釈迦牟尼仏とならない事があるでしょうか。また誰が禅宗を弘めた跋陀婆羅などと言われるのでしょうか。

【但〔ただ〕千劫阿鼻地獄にて責められん事こそ不便〔ふびん〕にはおぼゆれ。是をいかんとすべき。】
ただ、この人々が千劫の間、無間地獄に堕ちて責められる事こそ非常に憐れだとしか思えません。これは、どうしようもない現実なのです。

【彼の軽毀〔きょうき〕の衆は始めは謗ぜしかども後には信伏随従せりき。】
それでも、この不軽菩薩をいじめた民衆も最初には、不軽菩薩をいじめたけれども最後には、不軽菩薩を信じ従ったのです。

【罪多分は滅して少分有りしが、父母千人殺したる程の大苦をう〔受〕く。】
その為に罪の多くは消えてしまいましたが、それでも父母を千人殺したほどの大きな苦悩を受けたのです。

【当世の諸人は翻〔ひるがえ〕す心なし。譬喩品の如く無数劫をや経んずらん。】
現在の人々は、その改心の心さえないのです。それで法華経の譬喩品に説かれているように無数劫という長い間、無間地獄に堕ちる事になるでしょう。

【三五の塵点をやおくらんずらん。】
三千、五百塵点劫という長い間、その無間地獄で苦しまなければならないのです。

【これはさてを〔置〕きぬ。日蓮を信ずるようなりし者どもが、日蓮がか〔斯〕くなれば疑ひをを〔起〕こして法華経をす〔捨〕つるのみならず、】
これはさて置いても、日蓮を信じているような者どもが、日蓮がこのような目に遭えば、疑いを起こして、法華経を捨ててしまうのみならず、

【かへりて日蓮を教訓して我賢〔かしこ〕しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。】
返って日蓮を教訓し、我賢しと思う者が、念仏者よりもさらに長い間、無間地獄にいなければならないのは、ほんとうに憐れでなりません。

【修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ、外道が云はく、仏は一究竟道〔いちくきょうどう〕、我は九十五究竟道と云ひしが如く、】
修羅が仏は十八界であるが私は十九界だと言い、外道が仏は一究竟道なのに私は九十五究竟道もあると自慢したように、

【日蓮御房は師匠にてはおはせども余〔あま〕りにこは〔強〕し。】
日蓮は師匠ではあるけれども、あまりに頭がかたい。

【我等はやは〔和〕らかに法華経を弘むべしと云はんは、】
我々は、もっと融通無碍に柔らかく法華経を弘めていこうではないかと言っているのは、

【螢火〔ほたるび〕が日月をわら〔笑〕ひ、蟻塚〔ありづか〕が華山〔かざん〕を下〔くだ〕し、】
ホタルが日月を笑い、蟻塚が山を馬鹿にし、

【井江〔せいこう〕が河海をあなづり、烏鵲〔かささぎ〕が鸞鳳〔らんほう〕をわらふなるべし、わらふなるべし。】
井戸が大河や海をあなづり、カササギが鳳凰を笑うようなものなのです。

【南無妙法蓮華経。】
南無妙法蓮華経。

【文永九年(太歳壬申)三月二十日 日蓮花押】
文永九年(西暦1272年)三月二十日 日蓮花押

【日蓮弟子檀那等御中】
日蓮の弟子や檀那の皆さんへ

【佐渡国は紙候はぬ上、面々に申せば煩〔わずら〕ひあり、一人もも〔漏〕るれば恨〔うら〕みありぬべし。】
佐渡の国は、紙が足りない上に各々に手紙を出したいところなのですがそれが難しい状態です。またそれで一人でも漏れれば悲しむ事もあるでしょう。

【此の文〔ふみ〕を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡〔りょうけん〕候ひて心なぐさませ給へ。】
そこで、この手紙を同志の人々は、寄り合って読んで心を慰めて下さい。

【世間に、まさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず。】
世間でも大きな悲劇が一旦起きれば、それに劣る小さな悲劇は物の数ではなくなります。

【当時の軍〔いくさ〕に死する人々、実不実は置く、幾〔いくばく〕か悲しかるらん。】
この度の北条時輔の乱によって京都や鎌倉で亡くなった人々は、乱を起こした側であっても制圧した側であっても、どれほど悲しんでいる事でしょう。

【いざはの入道・さかべの入道いかになりぬらん。】
土牢に幽閉されている伊沢入道と酒部入道は、いかにしておりますでしょうか。

【かは〔河〕のべ〔野辺〕の山城〔やましろ〕・得行寺殿等〔とくぎょうじどの〕の事、いかにと書き付けて給ふべし。】
また、川辺山城、得行寺殿などの事を、手紙にして報告して下さい。

【外典書の貞観政要〔じょうがんせいよう〕、すべて外典の物語、八宗の相伝等、此等がなくしては消息もかゝれ候はぬに、かまへてかまへて給び候べし。】
外典の貞観政要やその他の外典の書物、また諸宗の相伝書などが手元にないので手紙を書くにも不自由しており、是非とも佐渡まで送って下さい。

【此の文〔ふみ〕は富木殿のかた、三郎左衛門殿・大蔵たう〔塔〕のつじ〔辻〕十郎入道殿等・さじき〔桟敷〕の尼御前、】
この手紙は富木殿とその身内の人々、四条金吾殿、大蔵塔辻十郎入道殿、桟敷尼御前をはじめ

【一々に見させ給ふべき人々の御中へなり。】
日蓮の弟子檀那は一人残らず読んでください。

【京・鎌倉に軍〔いくさ〕に死せる人々を書き付けてたび候へ。】
また、京都や鎌倉で戦で亡くなった信徒の名前を手紙に書いて知らせて下さい。

【外典抄・文句二・玄四本末・勘文・宣旨等、これへの人々もちてわたらせ給へ。】
外典の書物、法華文句の巻二、法華玄義の巻四と、法華玄義釈籖、勘文、宣旨なども持って来て下さい。

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