日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 語句解説 御書研鑚資料

21.五重三段


観心本尊抄(御書654頁)に
「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶〔なお〕文殊薬王等にも之を付属したまはず、何〔いか〕に況〔いわ〕んや其の已外〔いげ〕をや。」
とあり、さらに
「法華経一部八卷二十八品、進んでは前四味、退〔しりぞ〕いては涅槃経等の一代の諸経、総〔そう〕じて之を括〔くく〕るに但一経なり。始め寂滅道場より終はり般若経に至るまでは序分なり、無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり、涅槃経等は流通分なり。」
「正宗十巻の中に於て亦〔また〕序正〔じょしょう〕流通有り。無量義経並びに序品は序分なり、方便品より分別〔ふんべつ〕功徳品の十九行の偈〔げ〕に至〔いた〕るまでの十五品半は正宗分なり、分別功徳品の現在の四信〔ししん〕より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。」
「又法華経等の十巻に於ても二経有り。各〔おのおの〕序正流通を具〔ぐ〕するなり。無量義経と序品は序分なり、方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり。其〔そ〕の教主〔きょうしゅ〕を論ずれば始成〔しじょう〕正覚の仏、本無〔ほんむ〕今有〔こんぬ〕の百界千如を説いて已今当〔いこんとう〕に超過せる随自意〔ずいじい〕・難信〔なんしん〕難解〔なんげ〕の正法なり。過去の結縁〔けちえん〕を尋ぬれば大通十六の時仏果の下種を下〔くだ〕し、進んでは華厳経等の前四味を以〔もっ〕て助縁と為〔な〕して大通の種子を覚知せしむ。此〔これ〕は仏の本意に非ず、但毒発〔どくはつ〕等の一分なり。二乗・凡夫等は前四味を縁〔えん〕として、漸々〔ぜんぜん〕に法華に来至〔らいし〕して種子を顕はし、開顕〔かいけん〕を遂〔と〕ぐるの機是〔これ〕なり。又在世に於て始めて八品を聞く人天等、或は一句一偈等を聞いて下種と為し、或は熟〔じゅく〕し或は脱〔だっ〕し、或は普賢・涅槃等に至り、或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入〔い〕る。例せば在世の前四味の者の如し。」
「又本門十四品の一経に序正流通有り。涌出品の半品を序分と為し、寿量品と前後の二半と此を正宗と為す、其の余は流通分なり。其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊には非〔あら〕ず。所説の法門も亦天地の如し。十界久遠の上に国土世間〔こくどせけん〕既〔すで〕に顕はる。一念三千殆〔ほとん〕ど竹膜〔ちくまく〕を隔〔へだ〕つ。又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉〔ことごと〕く随他意〔ずいたい〕・易信〔いしん〕易解〔いげ〕、本門は三説の外〔ほか〕の難信難解・随自意なり。」
「又本門に於ても序正流通有り。過去大通仏の法華経より乃至〔ないし〕現在の華厳経、乃至迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵〔みじん〕の経々は皆寿量の序分なり。一品二半よりの外は小乗教・邪教〔じゃきょう〕・末得道教〔みとくどうきょう〕・覆相教〔ふそうきょう〕と名づく。其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮〔びんぐ〕・孤露〔ころ〕にして禽獣〔きんじゅう〕に同ずるなり。爾前・迹門の円教すら尚〔なお〕仏因に非ず、何〔いか〕に況んや大日経等の諸小乗経をや。何に況んや華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや。与〔あた〕へて之を論ずれば前三教を出でず、奪って之を云へば蔵通に同ず。設〔たと〕ひ法は甚深と称すとも未だ種〔しゅ〕熟〔じゅく〕脱〔だつ〕を論ぜず、還って灰断〔けだん〕に同じ、化〔け〕の始終〔しじゅう〕無〔な〕しとは是なり。譬〔たと〕へば王女たりと雖も畜種〔ちくしゅ〕を懐妊〔かいにん〕すれば其の子尚旃陀羅〔せんだら〕に劣〔おと〕れるが如し。此等は且〔しばら〕く之を閣〔お〕く。」
「迹門十四品の正宗の八品は一往〔いちおう〕之を見るに、二乗を以〔もっ〕て正〔しょう〕と為〔な〕し、菩薩・凡夫を以て傍〔ぼう〕と為す。再往〔さいおう〕之を勘〔かんが〕ふれば、凡夫正像末を以て正と為す。正像末の三時の中にも末法の始めを以て正が中の正と為す。問うて曰く、其の証如何〔いかん〕。答へて曰く、法師品に云はく「而〔しか〕も此の経は如来の現在すら猶〔なお〕怨嫉〔おんしつ〕多し、況んや滅度の後をや」と。宝塔品に云はく「法をして久住〔くじゅう〕せしむ。乃至来たれる所の化仏〔けぶつ〕当〔まさ〕に此の意を知るべし」等と。勧持・安楽等之〔これ〕を見るべし。迹門すら是〔か〕くの如し。」
「本門を以て之を論ずれば、一向に末法の初めを以て正機と為す。所謂〔いわゆる〕一往之を見る時は久種〔くしゅ〕を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟〔じゅく〕と為して、本門に至って等妙〔とうみょう〕に登らしむ。 再往之を見れば迹門には似〔に〕ず、本門は序正流通倶〔とも〕に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」
とあります。










  経  文  





















第五重の正宗分である法華経本門
如来寿量品の文底に秘し沈められている
三大秘法の御本尊から見れば、
第四重の本門脱益三段の一品二半の
正宗分は、文上脱益となるのである。
文底下種
三段




華厳・阿含・方等・般若等の爾前経




































無量義経



01序品









02方便品
譬喩品第三 から
五百弟子受記品第八 まで
09授学無学人記品


10法師品
見宝塔品第十一 から
勧持品第十三 まで
14安楽行品


15従地涌出品前半(注1)







後半(注2)
16如来寿量品
題目の五字

17分別功徳品前半(注3)




後半(注4)
18随喜功徳品
法師功徳品第十九 から
妙荘厳王本事品第二十七 まで
28普賢菩薩勧発品
仏説観普賢菩薩行法経


涅槃経
(注1)因是得聞。 (是に因〔よ〕って聞くことを得〔う〕べし。)まで
(注2)爾時釋迦牟尼佛。 (爾〔そ〕の時に釋迦牟尼佛、)から
(注3)以助無上心 ( 以〔もっ〕て無上の心を助〔たす〕く)まで
(注4)爾時佛告。 (爾〔そ〕の時に佛、)から


22.開近顕遠・開三顕一・三周の説法


略開三顕一方便品第二
広開三顕一法説周(上根)
舎利弗
正説方便品第二
領解譬喩品第三
述成
授記
譬説周(中根)
須菩提
摩訶迦旃延
摩訶迦葉
大目犍連
正説
領解信解品第四
述成薬草喩品第五
授記授記品第六
因縁説周(下根)
富楼那
阿難
羅睺羅
正説化城喩品第七
領解五百弟子受記品第八
授学無学人記品第九
述成
授記
略開近顕遠従地涌出品第十五
広開近顕遠如来寿量品第十六


23.大集経の五箇五百歳


大集経の
五箇五百歳
とは
正法 第一の
五百歳
紀元前950年頃解脱堅固げだつ
けんご
第二の
五百歳
紀元前450年頃禅定堅固ぜんじょう
けんご
像法 第三の
五百歳
西暦50年頃読誦多聞堅固どくじゅたもん
けんご
第四の
五百歳
西暦550年頃多造塔寺堅固たとうとうじ
けんご
末法 第五の
五百歳
西暦1050年頃闘諍堅固とうじょう
けんご


24.四種三昧〔ししゅざんまい〕


本尊問答抄(御書1274頁)に
摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問〔もんじゅもん〕経・般舟〔はんじゅ〕三昧〔ざんまい〕経・請観音〔しょうかんのん〕経等による。是は爾前の諸経の内未顕真実の経なり。半行半坐三昧には二あり。一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす、彼の経による。二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども、法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。

智顗が摩訶止観の中で説いた天台宗の修行方法
修行形態権実経文 本尊



1常坐三昧爾前経 文殊問経阿弥陀仏
2常行三昧般舟三昧経
3半行半坐三昧 方等三昧方等経方等経の
七仏八菩薩
法華三昧法華経
4 非行非坐三昧爾前経請観音経 阿弥陀仏


25.六即・四信五品・六波羅蜜




















①理即 理の上で一切衆生は悉〔ことごと〕く仏性を具して
いるが、未だ正法を聞かず、全く修行の徳がない位
②名字即 初めて仏法の名字を見聞し一切の法は皆仏法である
と知る位

③観行即
名字を知りその教えのままに修行して己心に仏性を
観ずる位


















寿量品の教えを聴いて
信心を起こすがいまだ
他人に説くまで理解が
至っていない初心の位




寿量品の教えをほぼ理解
して智慧を起こす位




寿量品の教えを広く聴い
て理解し、さらに他人の
ために法を説く位




寿量品の教えを深く信じ
前三品に加えて、観行を
修し真理を体得する位







寿量品の教えを聴いて
随喜の心を起こす位



自ら経典を受持読誦す
る位



自ら経典を受持読誦し、
他者のために説く位





法華経受持の
傍(かたわ)ら
に六波羅蜜を
行ずる位

①布施
②持戒
③忍辱





法華経本門の
立場より六波
羅蜜を主に
行ずる位
④精進
⑤禅定
⑥智慧
④相似即 見思(けんじ)・塵沙(じんじゃ)の二惑を断じ
悟りに相似する六根清浄の位
⑤分真即 四十二品ある無明惑のうち、最後の元品の無明
だけを残してすべての迷いを滅し、仏性を分々
にあらわしていく位
⑥究竟即 元品の無明を断尽した円教究竟の極位


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