日蓮正宗法華講開信寺支部より

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2018年(平成30年) 8月31日


1. 博多湾

博多湾の小戸方面さらには、福岡を代表する福岡タワー方面を望む風景です。博多湾は、鎌倉時代に日蓮大聖人がかねてより幕府に進言されていた他国侵逼難〔たこくしんぴつなん〕が実際に文永11年(西暦l274年)の蒙古襲来となって、それに驚いた鎌倉幕府は、建治2年(西暦1276年)に長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmに元寇防塁が築かれた場所です。

2. 能古島

能古島〔のこのしま〕は、その博多湾のほぼ中央にある南北3.5km、東西2km、周囲12km程の島です。開信寺と同じく福岡市西区に属しており、現在の人口は六百人程度で福岡市の中心から、船で10分程度で来られるため、油菜、桜、秋桜、水仙の花の名所として知られる行楽地として多くの市民から利用されています。

3. 能古島の鳥

能古島は、壱岐、対馬同様、元寇によって外敵に蹂躙〔じゅうりん〕された島の一つです。弘安4年(西暦1281年)の弘安の役では、島に上陸されたことが「八幡愚童訓」に記録されているそうです。明治末期には、島の南部で人骨が一箇所にまとまって出土したことがあり、現在では蒙古塚が立てられていて元寇の犠牲者の供養がなされています。

4. 博多湾の日の出

上野殿御返事(御書745頁)に「皆人の当時のゆき〔壱岐〕つしま〔対馬〕のやうにならせ給はん事、おもひやり候へばなみだもとまらず。」とあり、高橋殿御返事(御書894頁)にも「梵王〔ぼんのう〕・帝釈〔たいしゃく〕・日月・四天のせめをかほりて、たうじ〔当時〕のゆき〔壱岐〕・つしま〔対馬〕のやうになり候はんずるに、いかゞせさせ給ふべき、」とあります。当時は、この博多湾にも、おそらく多くの蒙古の軍が押し寄せて来たことでしょう。それを思うとまさに壱岐、対馬のことも他人事ではありません。



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