日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


撰時抄 11 第十章 読誦多聞堅固の時を示す


【正法一千年の後、像法に入って一十五年と申せしに、】
正法一千年が過ぎて像法時代に入って十五年目に、

【仏法東に流れて漢土に入りにき。】
仏法が東に向かって中国に入りました。

【像法の前五百年の内、始めの一百余年が間は】
像法時代の前五百年の内、初めの百年の間は、

【漢土の道士と月氏の仏法と諍論〔じょうろん〕していまだ事定まらず。】
中国の道士とインドの仏法との議論が激しく行われていましたが、決着がつかず、

【設ひ定まりたりしかども】
たとえ仏法が議論で正しいとわかっても、

【仏法を信ずる人の心いまだふか〔深〕ゝらず。】
これを信ずる人の心は、いまだ深くは、なかったのです。

【而るに仏法の中に】
こういう状態であったので、仏法の中での

【大小・権実・】
大乗経と小乗経の優劣、権経と実経の優劣、

【顕密をわか〔分〕つならば、聖教一同ならざる故、】
顕教と密教の区別があるなどと言えば、仏教が分裂して、

【疑ひをこ〔起〕りて、かへりて外典とともな〔伴〕う者もありぬべし。】
疑いを起こし、返って外道の教典を仏典と同じにように見る者が多くなりました。

【これらのをそ〔恐〕れあるかのゆへに摩騰〔まとう〕・竺蘭〔じくらん〕は】
このような恐れがあったので最初に仏教を伝えた摩騰、竺蘭は、

【自〔みずか〕らは知って而も大小を分かたず、】
自分では理解していたけれども、大小を区別せず、

【権実をい〔言〕はずしてやみぬ。】
権実の優越については、何も言わないでいました。

【其の後、魏〔ぎ〕・晋〔しん〕・宋〔そう〕・斉〔せい〕・梁〔りょう〕の】
その後、魏、晋、宋、斉、梁の

【五代が間仏法の内に大小・権実・顕密をあらそひし程に、】
五つの時代の間に、仏法の中で大小、権実、顕密が互いに議論し争ったところ、

【いづれこそ道理ともきこえずして、上一人より下万民にいたるまで】
いずれも正しく思えず、その状態を見て、上一人より下万民にいたるまで

【不審すくなからず。】
仏法に対して疑問を持ってしまったのです。

【南三北七と申して仏法十流にわかれぬ。】
この間に案の定、南三北七と言って、仏教の宗派が十に分裂してしまいました。

【所謂南には三時・四時・五時、】
いわゆる、南には三時、四時、五時とそれぞれの教判を立てる三派が生まれ、

【北には五時・半満〔はんまん〕・四宗・五宗・六宗・二宗の大乗・】
北には五時、半満、四宗、五宗、六宗、二宗の大乗、

【一音〔いっとん〕等、各々義を立てゝ】
一音など、それぞれの流義を立てて、

【辺執〔へんしゅう〕水火なり。】
互いに自説に固執し水と火のように、その主張は、相容れなかったのです。

【しかれども大綱は一同なり。】
しかし、これらの十派の主張する大綱は、同じであったのです。

【所謂一代聖教の中には華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三なり。】
それは、一代聖教の中では、華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三と立てて

【法華経は阿含・般若・浄名〔じょうみょう〕・】
法華経は、阿含や般若や浄名や

【思益〔しやく〕等の経々に対すれば真実なり、】
思益などの経々に相対すれば、真実であり、

【了義経・正見〔しょうけん〕なり。】
了義経であり、正見であるけれども、

【しかりといえども涅槃経に対すれば】
涅槃経に対すれば、

【無常教・不了義〔ふりょうぎ〕経・邪見の経等云云。】
無常経、不了義経、邪見の経であるといい、

【漢より四百余年の末、五百年に入って】
漢の時代から四百余年の末、五百年に入って

【陳隋〔ちんずい〕二代に智顗〔ちぎ〕と申す小僧一人あり。】
陳、隋二つの時代の頃に、智顗と云う小僧が現れ、

【後には天台智者大師と号したてまつる。】
後には、天台智者大師と名乗ったのでした。

【南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には】
この天台大師は、五時八教をたてて南北十派の邪義を破って、一代聖教の中には、

【法華経第一、涅槃経第二、】
法華経第一、涅槃経第二、

【華厳経は第三なり等云云。】
華厳経第三と立て、釈迦仏出世の本懐たる法華経を大いに広めました。

【此れ像法の前の五百歳、】
これは像法時代の前半五百年の事であり、

【大集経の読誦多聞〔どくじゅたもん〕堅固の時にあひ〔相〕あ〔当〕たれり。】
大集経の読誦多聞堅固の時に当たる時代であったのです。


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