日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


撰時抄 20 第十九章 円頓の大戒を建立


【問うて云はく、伝教大師は日本国の士〔ひと〕なり。】
重ねて質問しますが、伝教大師は、日本の人であり、

【桓武の御宇に出世して】
桓武天皇の時代に出現して、

【欽明より二百余年が間の邪義をなん〔難〕じやぶ〔破〕り、】
欽明天皇の時代から二百余年もの間、仏法の数々の邪義を打ち破り、

【天台大師の円慧・円定を撰し給ふのみならず、】
正しく天台大師の円慧、円定を選んで立てたのみならず、

【鑑真和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり、】
鑑真和尚が日本に弘通した三か所の小乗戒壇を難じ破り、

【叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり。此の大事は仏滅後一千八百年が間の】
比叡山に円頓の大乗別受戒を建立しました。この大事は、釈尊滅後一千八百年の間、

【身毒〔けんどく〕・尸那〔しな〕・扶桑〔ふそう〕乃至】
インド、中国、日本は、もとより、

【一閻浮提第一の奇事なり。】
世界第一の不思議な出来事であるのです。

【内証は竜樹天台等には或は劣るにもや、】
伝教大師の内証は、竜樹や天台などに比べて、

【或は同じくもやあるらん。】
あるいは劣っているか、同じかであるでしょう。

【仏法の人をすべて】
しかし、仏法に帰依している人達をことごとく

【一法となせる事は、】
法華経の一法に帰したと云う事については、

【竜樹・天親にもこえ南岳・天台にも】
インドの竜樹菩薩や天親菩薩よりも、中国の南岳大師や天台大師よりも

【すぐれて見えさせ給ふなり。総じては如来御入滅の後一千八百年が間、】
優れているのです。総じて釈迦滅後一千八百年の間に、

【此の二人こそ法華経の行者にてはをはすれ。】
天台大師と伝教大師の二人こそ真の法華経の行者であるのです。

【故に秀句〔しゅうく〕に云はく】
ゆえに伝教大師の法華秀句に

【「経に云はく、若し須弥〔しゅみ〕を接〔と〕って】
「法華経の宝塔品第十四には、もし須弥山のような山を

【他方無数の仏土に擲〔な〕げ置〔お〕かんも亦未だ為れ難しとせず。】
他の無数の仏国土に投げてしまう事は、さほど難しい事ではない。

【乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん】
しかし、仏滅後の悪世において、この経を説く事は、

【是則ち為れ難し」等云云。此の経を釈して云はく】
非常に困難な事である」と書いてあります。この経文を解釈すると

【「浅きは易〔やす〕く深きは難しとは釈迦の所判〔しょはん〕なり。】
「浅きは易く、深きは難しとは、釈迦の判定であり、

【浅きを去って深きに就くは丈夫〔じょうぶ〕の心なり。】
浅きを去って、深きにつく事は、難しい事に、あえて挑戦するという意味である。

【天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚〔ふよう〕し、】
天台大師は、釈迦牟尼仏を信じ、法華宗を助けて中国に弘め、

【叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて】
比叡山の天台宗は、天台を相承し、法華宗を助けて

【日本に弘通す」云云。釈の心は賢劫〔けんごう〕第九の減〔げん〕、】
日本に弘通するのである」とあります。この文章の意味は、賢劫第九番目である、

【人寿百歳の時より、】
人の寿命が減じていく時代で寿命百歳の時より、

【如来在世五十年、滅後一千八百余年が中間に、】
釈迦仏の在世五十年と釈尊滅後一千八百余年の間に、

【高さ十六万八千由旬六百六十二万里の金山を、有る人五尺の小身の手をもって】
高さ十六万八千由旬、六百六十二万里の金山を、150センチの小柄な人がいて、

【方〔ほう〕一寸二寸等の瓦礫〔がりゃく〕をにぎりて】
3センチ、6センチほどの瓦礫を握って、

【一丁二丁までなぐるがごとく、】
100m、200m、投げるように、

【雀鳥〔すずめ〕のとぶよりもはやく鉄囲山の外へなぐる者はありとも、】
雀の飛ぶよりも早く、鉄囲山の外へ投げる者がいたとしても、

【法華経を仏のとかせ給ひしやうに説かん人は末法にはまれなるべし。】
法華経を仏説のままに説く事が出来る人は、末法には非常に稀なのです。

【天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給ひたる人にてをはすれとなり。】
このように天台大師と伝教大師こそ、仏説にそって説いている人であり、

【天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず。】
インドの論師達は、未だ法華経には、行きつけず、説くわけがなく、

【漢土の天台已前の人師は或はすぎ或はたらず。】
中国の天台大師、出現以前の人は、あるいは過ぎ、あるいは足らず、

【慈恩・法蔵・善無畏等は東を西といゐ、】
法相宗の慈恩、華厳宗の法蔵、真言宗の善無畏などは、東を西と云い、

【天を地と申せる人々なり。】
天を地と云うような者ばかりで、

【此等は伝教大師の自讃にはあらず。】
これらは、伝教大師が自分で自分を讃めて言っているのではないのです。

【去ぬる延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸〔みゆき〕なりて、】
去る延暦21年1月19日、高雄山に桓武天皇が行幸され、

【六宗七大寺の碩徳〔せきとく〕たる善議〔ぜんぎ〕・勝猷(しょうゆう〕・】
奈良の六宗、七大寺の高僧と言われていた善議、勝猷、

【奉基〔ほうき〕・寵忍〔ちょうにん〕・賢玉〔けんぎょく〕・】
奉基、寵忍、賢玉、

【安福〔あんぷく〕・勤操〔ごんそう〕・修円〔しゅえん〕・慈誥〔じこう〕・】
安福、勤操、修円、慈誥、

【玄耀〔げんよう〕・歳光〔さいこう〕・道証〔どうしょう〕・】
玄耀、歳光、道証、

【光証〔こうしょう〕・観敏〔かんびん〕等の十有余人、】
光証、観敏などの十余人が、

【最澄法師と召し合はせられて宗論ありしに、】
伝教大師と会って宗教論争をしたのですが、

【或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず。】
あるいは、伝教大師の一言を聞いて、舌を巻き、二言、三言も及ばずに黙り込み、

【皆一同に頭をかたぶけ、手をあざ〔叉〕う。】
全員が頭を悩まし、手を組んで考え込んでしまったのです。

【三論の二蔵・三時・三転法輪、法相の三時・五性、華厳宗の四教・】
三論宗で立てる二蔵、三時、三転法輪、法相宗の三時、五性、華厳宗の四教、

【五教・根本枝末・六相十玄皆〔みな〕大綱をやぶらる。】
五教、根本枝末、六相、十玄など、みんな、その主張を破折されてしまったのです。

【例せば大屋〔おおいえ〕の棟〔むなぎ〕・】
たとえば、大きな家の棟〔むね〕や

【梁〔うつばり〕のを〔折〕れたるがごとし。】
梁〔はり〕が折れて崩れるように、

【十大徳の慢幢〔まんどう〕も倒れにき。】
奈良の六宗、七大寺の高僧たちの高慢の御旗〔みはた〕が倒れたのです。

【爾〔そ〕の時天子大いに驚かせ給ひて、同二十九日に】
その時に桓武天皇は、大いに驚き、同月の二十九日に

【弘世〔ひろよ〕・国道〔くにみち〕の】
和気弘世と大伴国道の

【両吏を勅使〔ちょくし〕として、重ねて七寺六宗に仰せ下されしかば、】
二人を勅使として、重ねて七寺、六宗にどういうわけなのかと尋ねられ、

【各々帰伏の状を載せて云はく】
各々は、次のような伝教大師に対しての帰伏の書状を書いて提出したのです。

【「竊〔ひそ〕かに天台の玄疏〔げんしょ〕を見れば、】
「ひそかに天台大師の玄義、文句、止観等をみれば、

【総じて釈迦一代の教を括〔くく〕りて】
総じて釈迦一代の教えを総括して、

【悉く其の趣を顕はすに通ぜざる所無く、】
ことごとく、その内容を顕していないところはなく、

【独り諸宗に逾〔こ〕え殊に一道を示す。】
ただ、天台宗のみが諸宗派に超えて、ひとつの道を示している。

【其の中の所説甚深の妙理なり。七箇の大寺・六宗の学生の昔より】
その中の所説は、甚深の妙理であり、我々、七箇の大寺、六宗の学僧が過去より、

【未だ聞かざる所、曾て未だ見ざる所なり。】
未だかつて聞いた事も見た事もないところである。

【三論・法相久年の諍〔あらそ〕ひ】
三論宗と法相宗が長年にわたって争ってきた違いも、

【渙焉〔かんえん〕として氷のごとく釈〔と〕け、照然として既に明らかに、】
たちまち氷のように釈け、闇が照らされて明らかになり、

【猶〔なお〕雲霧を披〔ひら〕いて三光を見るがごとし。】
雲や霧が開けて、日、月、星の光が見えるのと同じようになった。

【聖徳の弘化より以降〔このかた〕、】
聖徳太子が仏法を弘められて、このかた、

【今に二百余年の間、講ずる所の経論其の数多し。】
いまに二百余年の間、講義する経論は、その数多く、

【彼此理を争へども其の疑ひ未だ解けず。】
彼れと此れが理論をもって争って来たが、この議論は、未だに解決していない。

【而るに此の最妙の円宗猶〔なお〕未だ闡揚〔せんよう〕せず。】
しかし、伝教大師の説かれる最妙の円宗は、未だ公開されず、

【蓋〔けだ〕し以て此の間の群生〔ぐんじょう〕未だ円味に応〔かな〕はざるか。】
この間の我々は、未だ円味を味わうだけの資質がなかったのであろうか。

【伏して惟〔おもんみ〕れば聖朝久しく如来の付を受け、】
伏して考えてみるのに、日本の天皇は、遠く如来の付嘱を受けており、

【深く純円の機を結び、一妙の義理始めて乃ち興顕〔こうけん〕し、】
深く純円の機会を結び、ここに一乗妙法の意義道理を初めて顕わされ、

【六宗の学者初めて至極を悟る。】
六宗の学者は、今、初めて仏法の至極を悟る事が出来た。

【謂ひつべし、此の界の含霊今〔がんれいきょう〕よりして後〔のち〕】
かくて、この世の衆生は、いまより後は、

【悉く妙円の船に載せ、】
ことごとく妙円の船に乗り、

【早く彼岸に済〔わた〕ることを得ると。】
いち早く、彼岸を渡たり、得道する事が出来る事であろう。

【乃至善議〔ぜんぎ〕等牽〔ひ〕かれて】
我々、善議などは、この縁に導かれ、

【休運に逢ひ乃〔すなわ〕ち奇詞〔きし〕を閲〔けみ〕す。】
この運に巡り逢う事ができ、貴重な言葉を聴くことが出来た。

【深期〔じんご〕に非ざるよりは何をか】
現在が意義深い時期でないならば、

【聖世に託せんや」等云云。】
なぜ桓武天皇の時代にこの事を託されたか」と感嘆しているのです。

【彼の漢土の嘉祥等は一百余人をあつめて】
あの中国の嘉祥などは、百余人を集めて

【天台大師を聖人と定めたり。】
天台大師の弟子になり、天台大師を聖人と定めています。

【今日本の七寺二百余人は】
こうして今、日本の七大寺の二百余人は、

【伝教大師を聖人とがう〔号〕したてまつる。仏滅後二千余年に及んで】
伝教大師を聖人と称し、奉っているのです。ゆえに仏の滅後二千余年におよんで、

【両国に聖人二人出現せり。】
中国と日本の両国に、聖人が二人出現したのです。

【其の上、天台大師未弘の】
そのうえ、天台大師の未だ弘めなかった

【円頓の大戒を叡山に建立し給う。】
法華円頓の大戒を、比叡山に建立されたのだから、

【此豈に像法の末に法華経広宣流布するにあらずや。】
像法の末に伝教大師によって法華経が広宣流布したと云えるのではないでしょうか。

【答へて云はく、迦葉・阿難等の弘通せざる大法、】
それに答えると、迦葉、阿難等の弘通しなかった大法を

【馬鳴・竜樹・提婆・天親等の弘通せる事、】
馬鳴、竜樹、提婆、天親などが弘通したと云う事は、

【前〔さき〕の難に顕はれたり。又竜樹・天親等の流布し残し給へる大法、】
先の議論で、はっきりしました。また竜樹、天親などの流布し残した大法を、

【天台大師の弘通し給ふ事又難にあらわれぬ。】
天台大師が弘められた事は、また先の議論で、はっきりしました。

【又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒、】
また天台大師が弘通できなかった円頓の大戒を、

【伝教大師の建立せさせ給ふ事又顕然なり。】
伝教大師が建立された事も、はっきりしています。

【但し詮と不審なる事は、】
ただし、ここでもっとも不審に思う事は、

【仏は説き尽くし給へども、】
釈尊は、一切経を説きつくしているけれども、

【仏の滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著〔むじゃく〕・】
仏の滅後において迦葉、阿難、馬鳴、竜樹、無著、

【天親乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ】
天親、および天台、伝教の未だ弘通していない

【最大の深秘の正法、経文の面〔おもて〕に現前なり。】
最大の深密の正法が、経文の文章に厳然として説かれている事です。

【此の深法今末法の始め五五百歳に】
この最大深密の正法が、いま末法の初めの五五百歳に

【一閻浮提に広宣流布すべきやの事】
世界に広宣流布するのかどうかが、

【不審無極〔むごく〕なり。】
もっとも不審極まりないところではないでしょうか。


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