日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


撰時抄 24 第二十三章 真言宗の誑惑


【真言宗と申すは上の二つのわざわひには】
また、真言宗は、上の念仏、禅の災いとは、

【に〔似〕るべくもなき大僻見なり。】
比較にならないほどの大邪見の宗派なのです。

【あらあら此を申すべし、】
今から、その事を簡単に述べようと思います。

【所謂大唐の玄宗〔げんそう〕皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、】
大唐の玄宗皇帝の時代に善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵の三人が、

【大日経・金剛頂経・蘇悉地〔そしっじ〕経を月支よりわたす。】
大日経、金剛頂経、蘇悉地経をインドから中国へ伝えました。

【此の三経の説相分明なり。】
此の三経の説くところは、明らかなのです。

【其の極理を尋ぬれば会二破二〔えにはに〕の一乗、】
その極理を尋ねれば、会二破二の一乗であり、

【其の相を論ずれば印と真言と計りなり。】
その事相を論ずれば、印と真言ばかりであるのです。

【尚華厳・般若の三一相対の一乗にも及ばず、】
華厳や般若で説く三一相対の一乗にも及ばず、

【天台宗の爾前の別円程〔ほど〕もなし。】
天台宗で説く爾前の別教や円教ほどの深い法門でもなく、

【但蔵通二教を面とす。而るを善無畏三蔵をも〔思〕わく、】
ただ蔵通の二教を表に説いているだけなのです。そこで善無畏三蔵が思ったのは、

【此の経文を顕わにい〔言〕ゐ出だす程ならば、】
この三経を、ありのままに説いたならば、

【華厳・法相にもをこ〔烏滸〕づかれ、天台宗にもわらわれなん。】
華厳宗や法相宗から小突かれ、天台宗からも笑われるだろう。

【大事として月支よりは持ち来たりぬ。】
せっかく苦労してインドから持って来た経典である。

【さてもだ〔黙止〕せば本意にあらずとやをも〔思〕ひけん。】
ここで何も説かないのは、実に不本意であると思ったのでしょうか。

【天台宗の中に一行禅師という僻人〔びゃくにん〕一人あり。】
その頃、天台宗の中に一行禅師と云う変わり者がいました。

【これをかた〔語〕らひて】
そこで、善無畏は、この人物を使って、

【漢土の法門をかたらせけり。】
中国の仏教界に、この法門を語らせたのです。

【一行阿闍梨うちぬかれて、】
一行阿闍梨は、善無畏の言うとおりに、

【三論・法相・華厳等をあらあらかた〔語〕るのみならず、】
三論、法相、華厳などの教えを多く語っただけではなく、

【天台宗の立てられけるやうを申しければ、善無畏〔ぜんむい〕をもはく、】
天台宗で立てられた教義についても一緒に話したのです。善無畏が考えたのは、

【天台宗は天竺にして聞きしにもなを〔猶〕うちすぐ〔勝〕れて、】
天台宗がインドで聞いた以上に優れており、

【かさ〔累〕むべきやうもなかりければ、】
それを超える事は、とても無理だと思い、そこで一計を案じて

【善無畏は一行をうちぬひて云はく、】
善無畏が一行禅師に言うのには、

【和僧は漢土にはこざかしき者にてありけり。】
「あなたは、中国には、なかなかいない賢い僧侶である。

【天台宗は神妙の宗なり。今真言宗の天台宗にかさむところは】
天台宗は、神妙の宗派ではあるが、いま、真言宗が天台宗より勝れているところは、

【印と真言と計りなりといゐければ、】
印と真言である」と懐柔〔かいじゅう〕し、

【一行さもやとをも〔思〕ひければ、善無畏三蔵一行にかた〔語〕て云はく、】
一行禅師が確かにそうだと思ったようなので善無畏はさらに

【天台大師の法華経に疏〔しょ〕をつくらせ給へるごとく、大日経の疏を造りて】
「天台大師が法華経の注釈書を作ったように、大日経の注釈書を作って

【真言を弘通せんとをも〔思〕う。汝か〔書〕きなんやといゐ〔言〕ければ、】
真言を弘めようと思うが、あなたがそれを書いてくれないか」と依頼すると、

【一行が云はく、やすう候。】
一行禅師は「それは、容易い事だ」とそれを簡単に了承したのです、

【但しいかやうにか〔書〕き候べきぞ。】
そして「ただし、どのように書けばよいだろうか。

【天台宗はにくき宗なり。】
天台宗は、他宗派から憎まれている宗派であり、

【諸宗は我も我もとあらそいをなせども】
他の諸宗が我も我もと天台宗と争っているが、

【一切に叶はざる事一つあり。】
その宗派では、とてもかなわない事が一つある。

【所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもって、】
それは、法華経の序分に無量義経という経があって、

【前四十余年の経々をば】
法華経以前の四十余年のすべての経を権経なり方便なりとして、

【其の門を打ちふさぎ候ひぬ。】
その法門を封じてしまっている。

【法華経の法師品・神力品をもって後の経々をば又ふせがせぬ。】
さらに法華経法師品や神力品をもって、法華経以後の経々を防いでしまっている。

【肩をならぶ経々をば】
また法華経と同時に説かれた経典は、

【今説の文をもってせめ候。】
法師品の今説の中に入れられて、責められてしまっている。

【大日経をば三説の中にはいづくにか】
そこで、この大日経は、已今当の三説の中で、

【を〔置〕き候べきと問ひければ、】
どこに置いたらよいのだろうか」と質問したのです。

【爾の時に善無畏三蔵大いに巧〔たくら〕んで云はく、】
その時に善無畏三蔵が企んで言うのには、

【大日経に住心品という品あり。無量義経の四十余年の経々を】
「大日経に住心品という経文があり、これは、無量義経において四十余年の爾前経を

【打ちはら〔払〕うがごとし。】
討ち払ってしまうような、そんな経文なのである。

【大日経の入曼陀羅〔にゅうまんだら〕已下の諸品は】
大日経の入漫陀羅品以下の品には、

【漢土にては法華経・大日経とて】
中国では、法華経と大日経と

【二本なれども天竺にては一経のごとし。】
二つになっているが、インドでは、これは一つの経文なのである。

【釈迦仏は舎利弗・弥勒に向かって大日経を法華経となづけて、】
釈迦如来は、舎利弗や弥勒に向かっては、大日経を法華経と名づけて、

【印と真言とをすてゝ但〔ただ〕理計りをと〔説〕けるを、】
印と真言を捨てて、ただ理論ばかりを説いたのである。

【羅什三蔵此〔これ〕をわたす。天台大師此を見る。】
それを羅什三蔵が中国へ渡し、天台大師は、それのみを見たのである。

【大日如来は法華経を大日経となづけて】
しかし、また大日如来は、法華経を大日経と名づけて

【金剛薩埵〔こんごうさった〕に向かってとかせ給ふ。】
金剛薩埵に向かって説いた。

【此を大日経となづく。我まのあ〔親〕たり天竺にしてこれを見る。】
これを大日経と名づけたのである。私は、それをインドで直接、確認したのです。

【されば汝がか〔書〕くべきやうは、】
そうであれば、あなたが、それを書くとすれば、

【大日経と法華経とをば水と乳とのやふ〔樣〕に一味となすべし。】
大日経と法華経とを水と乳のように、ひとつのものとして書けば、よいではないか。

【もししからば大日経は已今当の三説をば】
そうすれば、大日経は、已今当の三説を

【皆法華経のごとくうちをとすべし。】
すべて法華経のように打ち払ってしまう事が出来るのである。

【さて印と真言とは心法の一念三千に荘厳するならば】
そのうえ、印と真言で心法の一念三千に荘厳するならば、

【三密相応の秘法なるべし。三密相応する程ならば】
それこそ三密相応の秘法となり、三密が相応すれば、

【天台宗は意密〔いみつ〕なり。】
天台宗は、単なる意密だけなので大日経に劣る事になるではないか。

【真言は甲〔こう〕なる将軍の甲鎧〔よろい〕を帯して弓箭〔ゆみや〕を横たへ】
真言は、たとえば、剛勇なる将軍が甲鎧を身に着け、弓矢を持って、

【太刀〔たち〕を腰にはけるがごとし。天台宗は意密計りなれば】
太刀を腰に差したようなものである。それに対して天台宗は意密計りなので、

【甲なる将軍の赤裸〔あかはだか〕なるがごとくならんといゐ〔言〕ければ、】
剛勇なる将軍ではあっても、裸になっているようなものなのである」と言いくるめ、

【一行阿闍梨は此のやうにかき〔書〕けり。】
一行阿闍梨は、そのまま、善無畏三蔵の言った通りに書いたのです。

【漢土三百六十箇国には此の事を知る人なかりけるかのあひだ、】
中国の三百六十箇国の中で、この事を知る者は一人もいなかったので、

【始めには勝劣を諍論〔じょうろん〕しけれども、】
始めのうちは、大日と法華の優劣について論争した事があったのですが、

【善無畏等は人がらは重し、天台宗の人々は軽かりけり。】
善無畏は、高貴の出身であるのに対し、天台宗の人々は、身分も軽く、

【又天台大師ほどの智ある者もなかりければ、】
また、天台大師ほどの智慧がある者もいなかったので、

【但日々に真言宗になりてさてやみにけり。】
日々に真言宗の言うがままになり、

【年ひさしくなればいよいよ真言の誑惑〔おうわく〕の】
年が重なるにつれて、いよいよ真言の誑惑の

【根ふかくかくれて候ひけり。日本国の伝教大師漢土にわたりて、】
根が深く、天台宗の中に隠れていったのです。日本の伝教大師は、中国へ渡って、

【天台宗をわたし給ひしついでに、真言宗をならべわたす。】
天台宗を日本へと伝えたのみならず、ついでに真言宗をも持って来たのです。

【天台宗を日本の皇帝にさづけ、真言宗を六宗の大徳にならわせ給ふ。】
そして天台宗を日本の天皇に授け、真言宗を奈良六宗の高僧達に習学させました。

【但し六宗と天台宗の勝劣は】
ただし六宗と天台宗との優劣については、

【入唐已前に定めさせ給ふ。】
唐へ渡る前に論争によって決められていたのです。

【入唐已後には円頓の戒場を】
唐から帰ってからは、比叡山に迹門の円頓の戒檀を

【立てう立てじの論か計りなかりけるかのあいだ、】
建てるか、建てないかとの裁定がおりず、

【敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼ〔思〕しめしけん、】
そこで敵が多くては、戒壇建立が成就しがたいと思われたのでしょう。

【又末法にせめさせんとやをぼしけん、】
あるいは、真言への破折は、末法に譲られたのでしょうか。

【皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず。】
天皇の前でも真言については論じず、

【弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず。】
弟子などにも、はっきりとした事は言われなかったのです。

【但し依憑集と申す一巻の秘書あり。】
ただし、天台大師に「依憑集」という一巻の秘書があり、

【七宗の人々の天台に落ちたるやうをかゝれて候文〔ふみ〕なり。】
それは、七宗の人々が天台に帰伏した事を書いた書物であるのですが、

【かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候。】
この書の序に、真言宗の誑惑を破折したところが一ヵ所あるのです。


ページのトップへ戻る