日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


撰時抄 26 第二十五章 真言師に対すれば履物取者


【かゝる僻見の末へなれば】
このように、弘法の偏見を受けついだ末流であるから、

【彼の伝法院の本願とがう〔号〕する聖覚房〔しょうかくぼう〕が】
伝法院の本願と称する正覚房覚鑁と云う人は、

【舎利講〔しゃりこう〕の式に云はく】
舎利供養式の講演の中で次のように言っています。

【「尊高なる者は不二摩訶衍〔まかえん〕の仏なり。】
「尊高なる者は、不二摩訶衍という大日如来である。

【驢牛〔ろご〕の三身は】
驢馬〔ろば〕や牛の三身如来と云うべき法華経に説かれた仏などは、

【車を扶〔たす〕くること能はず。】
その車を引く資格すらない。

【秘奥〔ひおう〕なる者は両部曼陀羅〔まんだら〕の教なり。】
秘奥なる教えは、真言の胎蔵界、金剛界の二つの曼荼羅の教えである。

【顕乗の四法は】
いわゆる顕乗の四法の仏や、これを行じている者は、

【履〔はきもの〕を採るに堪〔た〕へず」云云。】
真言の草履取りにも及ばない」と述べています。

【顕乗〔けんじょう〕の四法と申すは法相・三論・華厳・法華の四人、】
顕乗の四法というのは、法相、三論、華厳、法華の四人を指します。

【驢牛の三身と申すは】
つまり、驢馬〔ろば〕や牛の三身如来とは、

【法華・華厳・般若・深密経の教主の四仏、】
法華、華厳、般若、深密経の教主の四仏を云うのです。

【此等の仏僧は真言師に対すれば聖覚・弘法の牛飼ひ、】
これらの仏や僧は、真言師に対すれば、聖覚房や弘法の牛飼いか

【履物〔はきもの〕取者〔とり〕にもた〔足〕らぬ程の事なりとかいて候。】
草履取りにも及ばないのであると書いているのです。


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