日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


下山御消息 3 第二章 伝教大師と申せし聖人出現


【而るに当世日本国は人毎に阿弥陀経並びに弥陀の名号等を本として、】
その話と云うのは、今の日本は、すべての人が阿弥陀経や念仏などを根本として、

【法華経を忽諸〔こっしょ〕し奉る。世間に智者と仰がるゝ人々、】
法華経をおろそかにしています。世間から智者として仰がれている人々は、

【我も我も時機を知れり時機を知れりと存ぜられげに候へども、】
自分こそ、広まるべき時期と人々の理解力を知っていると思っているようですが

【小善を持ちて大善を打ち奉り、権経を以て実経を失ふとがは、】
小さな善で大きな善を打ち、権経を以て実経を損なっているので、

【小善還って大悪となる。薬変じて毒となる。】
小さな善は、かえって大きな悪となり、薬が毒となり、

【親族還って怨敵と成るが如し。難治の次第なり。】
親族が返って怨敵となるような、救いがたい状況となっているのです。

【又仏法には賢〔かしこ〕げなる様なる人なれども、】
また仏法についても、さぞ、それに詳しいような人であっても、

【時に依り機に依り国に依り前後の弘通に依る事を弁へざれば、】
時期により人々の理解力により国により前後の弘通によるべき事を弁えなければ、

【身心を苦しめて修行すれども験〔しるし〕なき事なり。】
いくら身心を苦しめて修行しても、その変化は、何もないのです。

【設〔たと〕ひ一向小乗流布の国に大乗をば弘通する事はあれども、】
仮に小乗のみを流布すべき国に大乗を弘通する事は、あっても、

【一向大乗の国には小乗経をあながちにい〔忌〕む事なり。】
大乗経のみを弘めるべき国に、小乗経を弘めるならば、

【しゐてこれを弘通すれば国もわづらひ、人も悪道まぬかれがたし。】
国に災いが起こり、人も悪道から、まぬがれられないのです。

【又初心の人には二法を並べて修行せしむる事をゆるさず。】
また、初心の人は、小乗経と大乗経の二つを修行する事は、許されないのです。

【月氏の習ひ、一向小乗の寺の者は王路を行かず。】
インドの習慣として、小乗のみを修行する寺の僧は、中央を歩かず、

【一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし。】
大乗のみを修行する寺の僧は、道の左右両端を踏むことはないのです。

【井の水、河の水同じく飲む事なし。何に況んや一坊に栖〔す〕みなんや。】
井戸の水、河の水を同時に飲むことはなく、一緒に住むことも、ないのです。

【されば法華経に、初心の一向大乗の寺を仏説き給ふに】
そうであればこそ、初心の大乗の寺で修行する人に対して、法華経において、

【「但大乗経典を受持せんことを楽〔ねが〕って乃至余経の一偈をも】
「ただ大乗経典を受持することを願って、他の経の一偈たりとも

【受けざれ」と。又云はく「又声聞を求むる比丘・】
受けてはならない」と説かれ、また「声聞を求める小乗の僧、

【比丘尼・優婆塞〔うばそく〕・優婆夷〔うばい〕に親近せざれ」と。】
尼僧、檀那の男性、檀那の女性に親しくしてもならない」と説かれ、

【又云はく「亦問訊せざれ」等云云。】
また、この事を「また、問い訊ねてもならない」と説かれているのです。

【設ひ親父たりとも一向小乗の寺に住する比丘・比丘尼をば、】
たとえ父親であっても、小乗の寺に住む僧、尼僧に対して、

【一向大乗の寺の子息これを礼拝せず親近せず。】
大乗の寺に住む子息は、挨拶などしないし、親しくする事もないのです。

【何に況んや其の法を修行せんや。】
ましてや、同じように小乗経の修行をしたりする事があるでしょうか。

【大小兼行の寺は初心の者の入ることを許さず。】
大小兼行の寺は、初心の者は、入る事を許されないのです。

【而るに今日本国は最初に仏法の渡りて候ひし比〔ころ〕は】
今の日本について云えば、最初に仏法が伝来した頃は、

【大小雑行にて候ひしが、人王四十五代聖武天皇の御宇、】
大乗、小乗の雑行の状態でしたが、人王四十五代聖武天皇の時代に、

【唐の揚州〔ようしゅう〕竜興寺〔りゅうこうじ〕の】
唐の揚州竜興寺の

【鑑真〔かんじん〕和尚と申せし人、】
鑑真和尚と云う人が、

【漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給ひて有りしが】
中国から日本に法華経天台宗を伝え、

【円機未熟とやおぼしけん、】
衆生の法華経を受け入れる理解力が未熟と思ったのでしょうか、

【此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず。】
この法門について胸中に留めて、口には出さなかったのです。

【大唐の終南山〔しゅうなんざん〕の豊徳寺〔ぶとくじ〕の】
そして、唐の終南山の豊徳寺に住した

【道宣〔どうせん〕律師の小乗戒を日本国の三所に建立せり。】
道宣律師の小乗戒を、日本の三ヵ所に建立されたのです。

【此偏〔ひとえ〕に法華宗の流布すべき方便なり。】
これは、ひとえに法華宗を流布するための方便であって、

【大乗出現の後には肩を並べて行ぜよとにはあらず。】
大乗、出現の後に肩を並べて修行せよと云うことではなかったのです。

【例せば儒家の本師たる孔子・老子等の三聖は仏の御使ひとして】
例えば儒家の本師である孔子、老子などの三聖は、仏の御使いとして

【漢土に遣はされて、内典の初門に礼楽〔れいがく〕の文を諸人に教へたり。】
中国に遣わされ、仏教の入門として道徳を人々に教えたようなものなのです。

【止観に経を引いて云はく】
このことを摩訶止観巻第六には、経文を引用して

【「我三聖を遣はして彼の震旦〔しんだん〕を化す」等云云。】
「私は三聖を遣わして彼の中国を教化せしめよう」とあり、

【妙楽大師云はく「礼楽前〔さき〕に馳せて、真道後に啓〔ひら〕く」云云。】
妙楽大師は「礼楽が先に広まり真実の法は後に流布する」と述べられています。

【釈尊は大乗の初門に且く小乗戒を説き給ひしかども、】
これと同じように仏は大乗教への入門として、小乗戒を説かれたのですが、

【時過ぎぬれば禁誓〔きんせい〕して云はく、】
時が過ぎて後、小乗の教えを禁止されて、

【涅槃経に云はく「若し人有って如来は無常なりと言はん、】
涅槃経に「もし如来は無常であるという者がいるならば、

【云何ぞ是の人の舌堕落せざらん」等云云。】
この者の舌は必ず堕落するであろう」と説かれているのです。

【其の後人王第五十代桓武天王の御宇に伝教大師と申せし聖人出現せり。】
その後、人王第五十代桓武天皇の時代に、伝教大師といわれる聖人が出現され、

【始めには華厳・三論・法相・倶舎・成実・律の六宗を習ひ極め給ふのみならず、】
初め、華厳、三論、法相、倶舎、成実、律の六宗を習い極められただけではなく、

【達磨宗の淵底〔えんてい〕を探〔さぐ〕り究竟するのみならず、】
達磨宗の奥底をも究められ、そのうえ、

【本朝未弘の天台法華宗・真言宗の二門を尋ね顕らめて】
いまだ日本国に弘まっていない天台法華宗と真言宗の二宗をも探究して、

【浅深勝劣を心中に存じ給へり。】
その浅深勝劣を心中に深く究められたのです。

【去ぬる延暦二十一年正月十九日に桓武皇帝高雄寺に行幸〔みゆき〕ならせ給ひ、】
延暦二十一年正月十九日、桓武天皇は高雄山に行幸された折、

【南都七大寺の長者善議〔ぜんぎ〕・勤操〔ごんそう〕等の十四人を】
南都七大寺の長老であった善議や勤操等の十四人を

【最澄法師に召し合はせ給ひて】
伝教大師に会わせて、

【六宗と法華宗との勝劣浅深得道の有無を糾明〔きゅうめい〕せられしに、】
六宗と法華宗との浅深優劣や得道の有無を糾明されたところ、

【先は六宗の碩学各々宗々ごとに我が宗は一代超過一代超過の由立て】
六宗の碩学は、各々、我が宗派こそが仏教の教えの中で最も優れていると

【申されしかども澄公の一言に万事破れ畢んぬ。】
主張したのですが、伝教大師の一言によって、すべて破折されてしまったのです。

【其の後皇帝重ねて口宣す。】
その後、桓武天皇は重ねて命令を下し、

【和気〔わけ〕の弘世〔ひろよ〕を御使ひとして諌責〔かんせき〕せられしかば、】
和気の弘世を使者として六宗を糾弾されたので、

【七大寺六宗の碩学一同に謝表を奉り畢んぬ。】
七大寺、六宗の高僧たちは、一同に詫状を上奏したのです。

【一十四人の表に云はく「此の界の含霊〔がんれい〕今〔きょう〕よりして後】
十四人の詫状の中には「この世界の衆生は、今日より後は、

【悉く妙円の船に載り早く彼岸に済〔わた〕ることを得ん」云云。】
妙法の船に乗って、いち早く彼岸の悟りに渡る事が出来るでしょう。」と言い、

【教大師云はく「二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ」云云。】
伝教大師は、後に六宗の碩学は「小乗の二百五十戒は、直ちに捨てた」と述べ、

【又云はく「正像稍過ぎ已はって末法太〔はなは〕だ近きに有り」と。】
また「正法、像法は終りに近ずき、いよいよ末法が近づいている」と嘆かれ、

【又云はく「一乗の家には都〔すべ〕て用ひざれ」と。】
また「法華一乗の家では、いっさい権教を用いない」とあり、

【又云はく「穢食〔えじき〕を以て宝器に置くこと無かれ」と。】
更に「穢食を宝器に盛ってはならない」とされ、

【又云はく「仏世の大羅漢已に此の呵責を被れり。】
また「釈尊在世の偉大な阿羅漢でさえすでに呵嘖を受けている。

【滅後の小蚊虻〔もんもう〕】
まして滅後の蚊〔か〕虻〔あぶ〕のような衆生が、

【何ぞ此に随〔したが〕はざらん」云云。】
これに従わない事があろうか」と述べています。

【此又私の責めにはあらず。】
これも、また伝教大師が勝手に言っているのではないのです。

【法華経には「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。】
法華経方便品第二には「正直に方便の経々を捨てて但無上道を説く」とあり、

【涅槃経には「邪見の人」等云云。】
涅槃経には「邪見の人」と説いてあります。

【邪見方便と申すは華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の】
邪見、方便と云うのは、華厳経、大日経、般若経、阿弥陀経などの

【四十余年の経々なり。】
四十余年の爾前の諸経典のことであり、

【捨とは、天台の云はく「廃〔すて〕るなり」と。】
捨とは、天台大師の言われるには、「廃棄する事である」と言われ、

【又云はく「謗とは背くなり」と。】
また「謗とは正法に背くことである」と言われています。

【正直の初心の行者の法華経を修行する法は、上に挙ぐるところの経々宗々を】
正直に初心の行者が、法華経を修行する方法は、以上に挙げた方便の経典や宗派を

【抛〔なげう〕ちて、一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候なり。】
なげうって、法華経のみ修行する事であり、それが真の正直の行者と云うのです。

【而るを初心の行者、深位の菩薩の様に】
しかるに初心の行者が、修行の進んだ深位の菩薩と同じ様に

【彼々の経々と法華経とを並べて行ずれば不正直の者となる。】
爾前の諸経典と法華経とを並行して修行すれば、不正直の者となるのです。

【世間の法にも□□□□□かねたるがごとし。】
世間であっても、□□と□□を兼ねる事は出来ないのです。

【家には殺害を招き、子息は父定まらず。】
家では、殺し合いが起き、息子の父親が誰かさえわからず、

【賢人は二君に仕へず、貞女は両夫に嫁〔とつ〕がずと申すは此なり。】
「賢人は二君に仕えず、貞女は二人の夫に嫁がず」と云うのは、この事なのです。

【又私に異義を申すべきにあらず。如来は未来を鑑〔かんが〕みさせ給ひて、】
また、自分勝手に異議を唱えるべきではないのです。如来は、未来を見通して、

【我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間、】
自らの滅後、正法一千年、像法一千年、末法一万年の間、

【我が法門を弘通すべき人々並びに経々を一々にきりあてられて候。】
自らの法門を弘通すべき人々と弘めるべき経を一つ一つ、明確にされており、

【而るに此を背く人世に出来せば、】
これに背く人が世に現れたならば、

【設ひ智者賢王なりとも用ゆべからず。】
たとえ智者、賢王であっても、その教えを用いてはならないのです。

【所謂我が滅後、次の日より五百年が間は一向小乗経を弘通すべし。】
「我が滅後の次の日から、正法五百年の間は、小乗経のみを弘めるべきであり、

【迦葉・阿難乃至富那奢〔ふなしゃ〕等の十余人なり。】
その人は、迦葉、阿難から富那奢に至る十余人である。

【後の五百余年は権大乗経、所謂華厳・方等・深密・大日経・般若・】
その後の五百年には、権大乗経の中の華厳経、方等経、深密経、大日経、般若経、

【観経・阿弥陀経等を、馬鳴〔めみょう〕菩薩・竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩・】
観経、阿弥陀経などを馬鳴菩薩、竜樹菩薩、

【無著〔むじゃく〕菩薩・天親〔てんじん〕菩薩等の四依の大菩薩・】
無著菩薩、天親菩薩など四依の大菩薩、

【大論師弘通すべし。】
大論師が弘通すべきである」と説かれているのです。

【而るに此等の阿羅漢並びに大論師は、】
これらの仏教者や大論師たちは、

【法華経の深義を知ろし食さざるには有らず。】
法華経の深義を知っていないのではなく、

【然るに流布の時も来たらず、釈尊よりも仰せつけられざる大法なれば、】
法華経を流布の時期も未だ来ておらず、釈尊からも命じられていない大法なので、

【心には存じ給へども口には宣べ給はず。】
心の中では、知っていても口には、出されなかったのです。

【或は粗〔ほぼ〕口に囀〔さえず〕り給ふやうなれども、】
ある時は、このことを密かに口に出されるような事があっても、

【実義をば一向に隠して止みぬ。】
仏の真意は、隠して説かれなかったのです。

【像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土・日本に渡り来たる。】
像法の一千年に入るとインドの仏法は、次第に中国、日本へと伝えられました。

【世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、】
釈尊は、明らかに薬王菩薩などの迹化、他方の大菩薩たちに

【法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。】
法華経の半分、迹門の十四品を授けられたのです。

【これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、】
これは、また地涌の大菩薩が末法の初めに出現され、

【本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、】
本門寿量品の肝心である南無妙法蓮華経の五字を

【一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序の為なり。】
全世界のすべての衆生に唱えさせる為の、その序分にあたるのです。

【所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり。】
つまり、迹門弘通の人とは、南岳、天台、妙楽、伝教たちのことなのです。


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