日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


下山御消息 11 第十章 念仏者は不孝の最たる者を示す


【又念仏は無間地獄、】
また、念仏は無間地獄の業因であり、

【阿弥陀経を読むべからずと申す事も】
阿弥陀経を読誦すべきではないと主張している事も、

【私の言にはあらず。】
私が勝手に言っているのでは、ないのです。

【夫弥陀念仏と申すは源〔もと〕釈迦如来の五十余年の説法の内、】
そもそも、弥陀念仏は、その根源をたどれば、釈尊五十年の説法のうち、

【前四十余年の内の】
法華経を説く以前の四十余年の説法中の

【阿弥陀経等の三部より出来せり。】
阿弥陀経などの三部経より出たものなのです。

【然れども如来の金言なれば定んで真実にてこそあるらめと信ずる処に、】
しかし、釈尊の金言であるから、きっと真実に違いないと信じていたところ、

【後八年の法華経の序文たる無量義経に、】
最後の八年間に説かれた法華経の序分である無量義経の中で

【仏、法華経を説かせ給はんために、】
釈迦牟尼仏は、法華経を説く為に、

【先づ四十余年の経々並びに年紀等を具〔つぶさ〕に数へあげて】
まず四十余年の間、説いた経々とその年数などを具体的に数えあげて、

【「未だ真実を顕はさず乃至終に無上菩提を成ずることを得ず」と、】
「いまだ真実を顕わさず、乃至、無上菩提を成ずることを得ず」と説かれて、

【若干の経々並びに法門を唯一言に打ち消し給ふ事、】
それらの経々とその法門を、ただの一言で打ち消されたのです。

【譬へば大水の小火をけし、】
譬えば、これは、大水が小さな火を消し、

【大風の衆〔もろもろ〕の草木の露を落とすが如し。】
大風が多くの草木の露を落とすようなものなのです。

【然して後に正宗の法華経の第一巻にいたりて】
そのうえで正宗分である法華経の第一巻、方便品に至って

【「世尊の法は久しくして後要ず当に真実を説きたまふ」と。】
「世尊は法を長く説かれた後に、必ず真実の教えを説くであろう」と仰せられ、

【又云はく「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」と説き給ふ。】
また「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く」と説かれたのです。

【譬へば闇夜〔あんや〕に大月輪出現し、】
譬えば、闇夜に大月輪が現れて、他の星が光を失い、

【大塔立てゝ後足代〔あししろ〕を切り捨つるがごとし。】
大塔を立てた後には、不要になった足場を取り除くようなものなのです。

【然して後実義を定めて云はく】
こうした後に、実義を定めて法華経譬喩品に

【「今此の三界は皆是我有なり、其の中の衆生は悉く是吾が子なり、】
「今、この三界は、皆、我が所有である。その中の衆生はことごとく我が子である。

【而も今此の処は諸の患難〔げんなん〕多し、】
しかも今この世界は、諸の艱難辛苦が多く、

【唯我一人のみ能く救護〔くご〕を為す。】
これを救えるのは、ただ我一人である。

【復教詔〔きょうしょう〕すと雖も而も信受せず、】
また、教えを論じたとしても、これを信受せず、

【乃至経を読誦し書持すること有らん者を見て】
返って、経を読誦し書写して所持する者を見て、

【軽賎〔きょうせん〕憎嫉〔ぞうしつ〕して結恨を懐〔いだ〕かん。】
軽蔑し、憎悪し、恨みを懐くのです。

【其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。】
その人は、命が終って阿鼻地獄に堕ちる」と説いているのです。

【経文の次第普通の性相の法には似ず。】
この経で説いている内容は、普通の法理と異なっています。

【常には五逆七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に、】
普通は、五逆罪や七逆罪を犯した罪人が無間地獄に堕ちると定めているのですが、

【此はさにては候はず。在世滅後の一切衆生、】
この経は、そうではなく、釈尊在世、及び滅後の一切衆生の内、

【阿弥陀経等の四十余年の経々を】
阿弥陀経などの四十余年の間に説かれた経々に

【堅く執して法華経にうつらざらむと、】
堅く執着して法華経へ移ろうとしない者、

【仮令〔たとい〕法華経へ入るとも、本執を捨てずして、彼々の経々を】
法華経に入ったとしても権教への執着を捨てないまま、

【法華経に並べて修行せん人と、】
法華経と並べて修行する者、

【又自執の経々を法華経に勝れたりといはん人と、】
自分が執着している経々が法華経に優ると主張する者、

【法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱〔ちじょく〕せん者と、】
法華経を教え通り修行しても、法華経の行者を侮辱する者、

【此等の諸人を指しつめて】
これらの人々を指して

【「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と定めさせ給ひしなり。】
「その人命終して阿鼻獄に入らん」と断定されているのです。

【此の事はたゞ釈迦一仏の仰せなりとも、】
この事は、唯一の仏である釈迦の仰せであり、

【外道にあらずば疑ふべきにてはあらねども、】
外道でなければ、疑うべきではないのですが、

【已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために、】
已今当の諸経に説かれている事よりも、いっそう重要である事を示す為に、

【宝浄世界の多宝如来は自らはるばる来たり給ひて証人とならせ給ひ、】
宝浄世界の多宝如来が、自ら霊鷲山まで来られて、釈尊の証人となられたのです。

【釈迦如来の先判たる大日経・阿弥陀経・念仏等を堅く執して、】
そして釈迦如来が先に説かれた大日経や阿弥陀経、念仏などに堅く執着して、

【後状の法華経へ入らざらむ人々は入阿鼻獄は一定なりと証明し、】
後に説かれた法華経へ入らない人々は、必ず阿鼻地獄へ堕ちると証明されたのです。

【又阿弥陀仏等の十方の諸仏は各々の国々を捨てゝ】
また、阿弥陀仏などの十方の諸仏が、それぞれの国を捨てて

【霊山虚空会に詣で給ひ、】
霊鷲山、虚空会の儀式に来られて、

【宝樹の下に坐して広長舌を出だし大梵天に付け給ふこと】
宝樹の下に座り、広長舌を出して、大梵天に付けられた有様は、

【無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し。】
あたかも無量無辺の虹が虚空に現れたようであったのです。

【心は四十余年の中の観経〔かんぎょう〕・】
その意味する事とは、釈尊が観無量寿経、

【阿弥陀〔あみだ〕経・悲華〔ひけ〕経等に、】
阿弥陀経、悲華経などを、

【法蔵〔ほうぞう〕比丘〔びく〕等の諸菩薩四十八願等を発〔お〕こして、】
法蔵比丘の諸菩薩が、四十八願を起こし、

【凡夫を九品の浄土へ来迎〔らいごう〕せんと説く事は、】
九品の浄土に凡夫を迎えると説いたのは、

【且く法華経已前のやすめ言〔ことば〕なり。】
法華経へ入るまでの気休めの言葉であり、

【実には彼々の経々の文の如く十方西方への来迎はあるべからず。】
実は、それらの経々に説かれているような十方浄土や西方浄土への来迎などはなく、

【実とおもふことなかれ。】
これを真実と思ってはならないのです。

【釈迦仏の今説き給ふが如し。実には釈迦・多宝・十方の諸仏、】
これは、釈迦如来が今、説かれた通りであり、真実は、釈迦、多宝、十方の諸仏が

【寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を】
法華経寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を

【信ぜしめんが為なりと出だし給ふ広長舌なり。】
信じさせる為であると出された広長舌なのです。

【我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり。】
私たちと釈迦如来は、同じく仏では、ありますが、

【釈迦仏は天月の如し、我等は水中の影の月なり。】
釈迦如来は、天の月であり、我らは、水中に映っている月のようなものなのです。

【釈迦仏の本土は実には裟婆世界なり。】
釈迦如来の本土は、実は娑婆世界であり、

【天月動き給はずば我等もうつるべからず。】
天月である釈尊が動かなければ、その影である我らも他土に移る事はないのです。

【此の土に居住して法華経の行者を守護せん事、】
我らが、この娑婆世界に居住して法華経の行者を守護する事は、

【臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く、】
臣下が主君を仰ぎ見るようなものであり、

【父母の一子を愛するが如くならんと出だし給ふ舌なり。】
父母が我が一子を愛するようなものであると、そのような思いで出した舌なのです。

【其の時阿弥陀仏の一・二の弟子、観音・勢至〔せいし〕等は】
その時、阿弥陀仏の第一、第二の弟子である観音菩薩と勢至菩薩は、

【阿弥陀仏の塩梅〔えんばい〕なり、双翼〔そうよく〕なり、】
阿弥陀仏の塩と酢であり、鳥の両翼であり、

【左右の臣なり、両目の如し。】
また左右の臣下であり、両目のようなものであったのです。

【然るに極楽世界よりはるばると御供〔おんとも〕し奉りたりしが、】
この二菩薩は、極楽浄土から、はるばると阿弥陀仏のお供をしてきたのですが、

【無量義経の時、仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実、】
釈尊は、無量義経において、阿弥陀経などの四十八願の法門を未顕真実と説かれ、

【乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて此等の法門は】
さらに法華経において、その名前は、阿弥陀仏であるとその名を挙げて、

【真実ならずと説き給ひしかば、】
これは、真実ではないと説かれたのですが、

【実〔まこと〕とも覚えざりしに、】
これを聞いた二菩薩は、まさか、そんな事はないと思ったのですが、

【阿弥陀仏正〔まさ〕しく来たりて合点〔がてん〕し給ひしをうち見て、】
阿弥陀仏が来て確かに同意されたのを目のあたりにして、

【さては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎〔らいごう〕の蓮台〔れんだい〕と】
そうであるならば、私たちが念仏者を九品の浄土へ迎える為の蓮台と、

【合掌の印とは虚〔むな〕しかりけりと聞き定めて、】
合掌の印は、虚妄であると理解したのです。

【さては我等も本土に還〔かえ〕りて何かせんとて、】
それでは、自分達も本土の極楽浄土に戻っても仕方がないと、

【八万二万の菩薩のうちに入り、】
八万または二万という無数の菩薩の中に入り、

【或は観音品に「裟婆世界に遊ぶ」と申して、】
観世音菩薩普門品に「娑婆世界において遊ぶ」と説かれているように、

【此の土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、】
この娑婆世界において、法華経の行者を守護しようと心から誓われたのです。

【日本国より近き一閻浮提の内、】
日本に近い一閻浮提の中の南方にある、

【南方補陀落〔ふだらく〕山と申す小所〔しょうしょ〕を】
補陀落山という小さな場所を

【釈迦仏より給ひて宿所と定め給ふ。】
釈迦如来から、いただいて、そこを住所と定めたのです。

【阿弥陀仏は左右の臣下たる観音・勢至に捨てられて、西方世界へは還り給はず、】
阿弥陀仏は、左右の臣下たる観音菩薩、勢至菩薩に捨てられ、西方世界へ帰れず、

【此の世界に留まりて法華経の行者を守護せんとありしかば、】
この娑婆世界に留まって、法華経の行者を守護しようと云われたので、

【此の世界の内、欲界第四の兜率天〔とそつてん〕、】
この世界の内の、欲界第四の兜率天にある、

【弥勒〔みろく〕菩薩の所領の内四十九院の一院を給はりて、】
弥勒菩薩の所領の中の、四十九院の一院をいただいて、

【阿弥陀院と額〔がく〕を打ってをはするとこそうけ給われ。】
そこに阿弥陀院と額〔ひたい〕を合わせて、住まわれていると伺っています。

【其の上阿弥陀経には、仏、舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ。】
その上、阿弥陀経は、舎利弗に対して凡夫が往生する様子を説かれたのです。

【舎利弗・舎利弗又舎利弗と二十余処までいくばくもなき経に】
そこで、舎利弗、舎利弗、また舎利弗と短い経文の中で二十数個所にもわたり

【よび給ひしは、かまび〔喧〕すしかりし事ぞかし。】
呼ばれたのは、実に騒々しいばかりでしたが、

【然れども四紙一巻が内、すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず。】
四紙の阿弥陀経一巻の中で舎利弗などの声聞の往生成仏を許していないのです。

【法華経に来たりてこそ始めて華光〔けこう〕如来・】
法華経に至って初めて舎利弗に華光如来、

【光明〔こうみょう〕如来とは記せられ給ひしか。】
摩訶迦葉に光明如来と記別を与えられたのです。

【一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら】
一閻浮提第一の大智者である舎利弗すら、

【浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる。】
浄土三部経では、往生成仏した跡はないのです。

【まして末代の牛羊の如くなる男女、】
まして牛や羊のような末法の男女が、

【彼々の経々にて生死を離れなんや。】
この経によって生死を離れる事が出来るでしょうか。

【此の由を弁へざる末代の学者等、並びに法華経を修行する初心の人々、】
この事を弁えない現在の学者など法華経を修行する初心の人々は、

【かたじけなく阿弥陀経を読み、念仏を申して、或は法華経に鼻を並べ、】
有難く阿弥陀経を読み、念仏を口ずさみ、また阿弥陀経を法華経と同じと思い、

【或は後に此を読みて法華経の肝心とし、】
また、法華経の後に阿弥陀経を読んで、法華経の肝心とし、

【功徳を阿弥陀経等にあつらへて、】
功徳を阿弥陀経によるものとし、

【西方〔さいほう〕へ回向し往生せんと思ふは、譬へば飛竜〔ひりゅう〕が】
西方極楽浄土へ回向し、往生すると思っているのです。これらは、譬えば飛竜が、

【驢馬〔ろば〕を乗物とし、師子が野干〔やかん〕をたのみたるか。】
驢馬に乗り、師子が野犬を頼りにするようなものなのです。

【将又〔はたまた〕日輪出現の後の衆星の光、大雨盛んなる時の小露なり。】
また阿弥陀経は、太陽が出た後の星の光、大雨が降る時の露のようなものなのです。

【故に教大師云はく「白牛を賜ふ朝〔あした〕には三車を用ひず、】
それ故に伝教大師は「大白牛車を賜った暁には、羊車、鹿車、牛車は、必要なく、

【家業を得る夕には何ぞ除糞〔じょふん〕を須〔もち〕ひん。】
また、長者の家業を継いだ後に、どうして、除糞の仕事が必要なのでしょうか。

【故に経に云はく、正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」と。】
それ故に法華経方便品には、正直に方便を捨てて但無上道を説く」と云われて、

【又云はく「日出でぬれば星隠れ、】
また「陽が出れば、星は隠れ、

【巧〔たく〕みを見て拙〔つたな〕きを知る」云云。】
精巧な物を見れば、稚拙さがわかる」と述べているのです。

【法華経出現の後は已今当の諸経の捨てらるゝ事は勿論なり。】
法華経が出現した後は、已今当の諸経が捨てられる事は当然なのです。

【たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、】
たとえ、諸経を修行しても法華経の所従として位置づけられるべきであるのに、

【今の日本国の人々、道綽〔どうしゃく〕が】
今の日本国の人々は、道綽の

【未有〔みう〕一人〔いちにん〕得者〔とくしゃ〕、】
「未有一人得者」、

【善導〔ぜんどう〕が千中無一、】
善導の「千中無一」、

【慧心〔えしん〕が往生〔おうじょう〕要集〔ようしゅう〕の序、、】
慧心の往生要集の序、

【永観〔ようかん〕が十因、】
永観の「往生十因」、

【法然が捨閉閣抛〔しゃへいかくほう〕等を堅く信じて、】
法然の「捨閉閣抛」等を堅く信じて、

【或は法華経を抛〔なげう〕ちて一向に念仏を申す者もあり、】
ある者は、法華経を投げ打ち、ひたすら念仏を声に出し、

【或は念仏を本として助〔たす〕けに法華経を持つ者もあり、】
ある者は、念仏を正行として法華経を助行とし、

【或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、】
また、ある者は、阿弥陀経と法華経を同等として並べ、ともに念じて二行とし、

【或は念仏と法華経と一法の二名なりと思ひて】
また、或は、念仏と法華経とは、名が異なっても同じ法と思って

【行ずる者もあり。】
修行しているのです。

【此等は皆教主釈尊の御屋敷〔おんやしき〕の内に居〔こ〕して、】
これらは、皆、教主釈尊の屋敷に住んでいながら、

【師主をば指し置き奉りて、】
師でもあり主でもある教主釈尊をさしおいて、

【阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に国毎・郷毎・家々毎に並べ立て、】
阿弥陀堂を釈迦如来の屋敷内の、国ごとに、町ごとに、家ごとに並べ建て、

【或は一万二万、或は七万返、或は一生の間、一向に修行して】
一万遍、二万遍、七万遍と念仏を口ずさみ、一生の間ひたすらに念仏の修行をして

【主師親をわすれたるだに不思議なるに、】
主師親の教主釈尊を忘れている事は、まことに不可解な事なのです。

【剰〔あまつさ〕へ親父たる教主釈尊の】
さらには、父である教主釈尊の

【御誕生・御入滅の両日を奪〔うば〕ひ取りて、十五日は阿弥陀仏の日、】
誕生の日と入滅の両日を奪い取って、入滅の十五日は、阿弥陀仏の日、

【八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を】
また誕生の八日は、薬師仏の日と言っているのです。釈尊の誕生と入滅の両日を

【東西二仏の死生の日となせり。】
東方の薬師如来と西方の阿弥陀如来の誕生と入滅の日にして、

【是豈〔あに〕不孝の者にあらずや。】
これは、まさに親不孝の最たる者ではないでしょうか。

【逆路〔ぎゃくろ〕七逆〔しちぎゃく〕の者にあらずや。】
また、師敵対、七逆罪を犯す者ではないでしょうか。

【人毎に此の重科〔じゅうか〕有りて、】
彼らは、このような、それぞれの重罪を犯しておりながら、

【しかも人ごとに我身は科〔とが〕なしとおもへり。】
しかも、それぞれが自分には、罪がないと思っているのです。

【無慚〔むざん〕無愧(むき〕の一闡提人〔いっせんだいにん〕なり。】
まさに恥知らずの一闡提と云うべき人々なのです。


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