日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


下山御消息 13 第十二章 阿弥陀経を読まない理由を示す


【而るを今大蒙古国を調伏〔じょうぶく〕する公家〔くげ〕武家〔ぶけ〕の】
それなのに今、大蒙古国を調伏しようとする公家や武家の

【日記を見るに、或は五大尊、或は七仏薬師、】
日記をみると、真言の五大尊一檀の法、七仏薬師の法、

【或は仏眼、或は金輪〔こんりん〕等云云。】
仏眼法、あるいは、一字金輪の法などに依っているのです。

【此等の小法は大災を消すべしや。】
これらの小法をもって、どうしてこの大災害を消す事が出来るでしょうか。

【還著〔げんちゃく〕於本人〔おほんにん〕と成りて】
観世音菩薩普門品には「還著於本人」と説かれているように

【国忽〔たちま〕ちに亡びなんとす。或は日吉〔ひえ〕の社〔やしろ〕にして】
日本は、すでに亡びようとしています。たとえ、日吉山王の社で、

【法華の護摩〔ごま〕を行なふといへども、】
法華で護摩の祈祷を行ったとしても、

【不空三蔵が誤れる法を本として行なふ間、祈禱〔きとう〕の儀にあらず。】
これは、不空三蔵の誤った法を根本としているので真の祈祷とはならないのです。

【又今の高僧等は或は東寺の真言、或は天台の真言なり。】
また、今の高僧は、東寺の真言か、または、天台宗の真言の人々でなのです。

【東寺は弘法大師、天台は慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕なり。】
東寺は、弘法大師、天台宗は、慈覚、智証の流れであり、

【此の三人は上に申すが如く大謗法の人々なり。】
この三人は、前にも述べたとおり大謗法の人々なのです。

【其れより已外〔いげ〕の諸僧等は、或は東大寺の戒壇小乗の者なり。】
それ以外の僧侶の多くは、東大寺の戒壇で授戒した小乗の者たちであり、

【叡山の円頓戒〔えんどんかい〕は又慈覚の謗法に曲げられぬ。】
比叡山の円頓戒は、また慈覚の謗法によって曲げられてしまっているのです。

【彼の円頓戒も迹門の大戒なれば】
しかも、本来の叡山の円頓戒も迹門の大戒なのですから、

【今の時の機にあらず。旁〔かたがた〕叶ふべき事にはあらず。】
末法、今時の機には合わないので、いずれにせよ祈りが叶うはずがないのです。

【只今国土やぶれなん。】
そういう理由で、まさに今、日本は、破滅の危機に瀕〔ひん〕しているのです。

【後悔さきにたゝじ、不便〔ふびん〕不便と語り給ひしを、】
後悔、先に立たずとは言いますが、まことに言語道断の極みなのです。

【千万が一を書き付けて参らせ候。】
以上のように日蓮聖人が話された法門の千万分の一を書いて御覧にいれております。

【但身も下賎〔げせん〕に生まれ、心も愚かに候へば、】
ただ、私は、身分も賎しく、心も愚かなので、

【此の事は道理かとは承り候へども、国主も御用ひなきかの故に、】
日蓮聖人の仰せられた事は、道理であると思いましたが、国主も用いられず、

【鎌倉にては如何が候ひけん、不審に覚へ候。】
鎌倉では、一体どのようになっているのかと不審に思っております。

【返す返すも愚意〔ぐい〕に存じ候は、】
返す返すも私が思いますことは、

【これ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして、】
これほどの国の重大事について日蓮聖人に御尋ねする事もなく、

【両度の御勘気には行なはれけるやらんと聞こし食しほどかせ給はぬ人々の、】
なぜ、二度までも日蓮聖人を流罪に処せられたのかと疑問に思わない人々が、

【或は道理とも、或は僻事〔ひがごと〕とも仰せあるべき事とは覚え候はず。】
道理であるとか僻事であるとか意見を言うのは、どうしても納得出来ないのです。

【又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも併〔しかしなが〕ら御為〔おんため〕、】
また、この私が阿弥陀経を読まなくなったのも、あなたの為であり、

【又父母の為にて候。只理不尽〔りふじん〕に読むべき由を】
また、父母の為でもあるのです。ただ、理不尽にも阿弥陀経を読むべしと

【仰せをかふり候はゞ其の時重ねて申すべく候。】
仰せられたならば、その時には、重ねて申し上げます。

【いかにも聞こし食さずして、うしろの推義〔すいぎ〕をなさん人々の仰せをば、】
何も聞かずに、憶測で正邪を判断するような人々の仰せに対しては、

【たとひ身は随ふ様に候へども、心は一向に用ひまいらせ候まじ。】
たとえ身は、従うような事があっても、心は、従うものではありません。

【又恐れにて候へども、兼ねてつみしらせまいらせ候。】
また、まことに恐れ多い事ですが重ねて申し上げます。

【此の御房は唯一人おはします。】
このように、説法された日蓮聖人は、日本国に、ただ一人の方でありますから、

【若しやの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん。】
もしもの事がありましたならば、その時は、必ず後悔される事でしょう。

【世間の人々の用ひねばとは一旦のをろ〔愚〕かの事なり。】
世間の人々が用いないからと云って自らも信じないのは、愚かな事です。

【上の御用ひあらん時は誰の人か用ひざるべきや。】
もし、これから国主が用いられた時には、誰か信じない人がいるでしょうか。

【其の時は又用ひたりとも何かせん。】
その時になって信じたとしても何の意味があるでしょう。

【人を信じて法を信ぜず。】
それでは、人を信じて、法を信じていない事になります。

【又世間の人々の思ひて候は、親には子は是非に随ふべしと、】
また世間の人々の考えでは、親に子は、従うべきであり、

【君臣師弟も此くの如しと。此等は外典をも弁へず、】
君臣、師弟の関係も同様とされています。しかし、これらは、外典を読まず、

【内典をも知らぬ人々の邪推〔じゃすい〕なり。】
仏典も理解していない人々の誤った考えなのです。

【外典の孝経には子父・臣君諍ふべき段もあり、】
外典の孝経には「子は父と臣下は主君と議論すべきである」と云う教えもあり、

【内典には「恩を棄てゝ無為に入るは真実に恩を報ずる者なり」と】
仏典には「親の恩を捨てて仏道に入るは真実に恩を報ずる者である」と

【仏定め給ひぬ。悉達〔しっだ〕太子は閻浮〔えんぶ〕第一の孝子なり。】
仏が定めており、釈迦如来は、世界一の親孝行なのです。

【父の王の命を背きてこそ】
王である父の命令に背いて王位を捨てたからこそ、

【父母をば引導し給ひしか。】
仏となり、父母を導く事が出来たのです。

【比干〔ひかん〕が親父紂王〔ちゅうおう〕を諌暁〔かんぎょう〕して、】
また、比干は、父である紂王を諌めて、

【胸をほ〔掘〕られてこそ賢人の名をば流せしか。】
後世に賢人の名を残したのです。

【賎〔いや〕しみ給ふとも小法師が諌暁を用ひ給はずば】
日蓮聖人を賎しんで、その諫言を用いられないならば、

【現当の御歎きなるべし。】
きっと現世でも未来世でも後悔されることでしょう。

【此は親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へば、】
これは、私が、親の為に読誦しないと決めた阿弥陀経の問題であり、

【いかにも当時は叶ふべしとおぼへ候はず。】
この末法においては、この阿弥陀経で親孝行が叶うとは、とても思えないのです。

【恐々申し上げ候。】
以上、恐れながら謹んで申し上げた次第です。

【建治三年六月 日】 建治三年六月 日

【僧 日永】
僧 日永

【下山兵庫五郎殿御返事】
下山兵庫五郎殿御返事


ページのトップへ戻る