日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


唱法華題目抄 8 第七章 必ず習学して之を観ずべし


【問うて云はく、天台宗の中の人の立つる事あり、】
それでは、お尋ねしますが、天台宗の人の中には、このような主張の者がいます。

【天台大師、爾前と法華と相対して】
天台大師は、爾前経と法華経を比較して、

【爾前を嫌ふに二義あり。】
爾前経を嫌う事に二つの理由があると云っています。

【一には約部、四十余年の部と法華経の部と相対して爾前は麁〔そ〕なり、】
一つ目は、五時の中の四十年余りの部と法華経の部とを比較して爾前経は粗であり、

【法華は妙なりと之を立つ。二には約教、教に麁妙を立て、】
法華経は妙であるとし、二つ目は、八教の中で、教に粗と妙を立て、

【華厳・方等・般若等の円頓〔えんどん〕速疾〔そくしつ〕の法門をば妙と歎じ、】
華厳、方等、般若などの円頓速疾の法門を妙と讃嘆しながら、

【華厳・方等・般若等の三乗歴別〔りゃくべつ〕の修行の法門をば】
華厳、方等、般若などの三乗歴別の修行の法門を

【前三教と名づけて麁なりと嫌へり。円頓速疾の方をば嫌はず、】
前三教と名づけて粗であると嫌ったのです。円頓速疾の方を嫌わず、

【法華経に同じて一味の法門とせりと申すは如何〔いかん〕。】
法華経と同じ一味の法門とすると云われたのは何故なのでしょうか。

【答へて云はく、此の事は不審にもする事侍〔はべ〕るらん。】
それに答えると、この事を不審と思われるのは、

【然るべしとをぼゆ。】
当然の事と思われるのです。

【天台・妙楽より已来〔このかた〕今に論有る事に侍り。】
この事は、天台大師や妙楽大師以来、今に至るまで議論のあるところなのです。

【天台の三大部六十巻、総じて五大部の章疏の中にも、】
天台大師の三大部、六十巻、総じて五大部の章疏の中にも、

【約教の時は爾前の円を嫌ふ文無し。】
八教の時は、爾前の円を嫌う文章は無いのです。

【只約部の時ばかり爾前の円を押しふさね〔聚束〕て嫌へり。】
ただ、五時の時のみ爾前経の円を押え集めて嫌われたのです。

【日本に二義あり。】
また、日本にも二つの考え方があります。

【園城寺〔おんじょうじ〕には智証大師の釈より起こりて爾前の円を嫌ふと云ひ、】
園城寺では、智証大師の注釈によって爾前経の円教を嫌うと云い、

【山門には嫌はずと云ふ。互ひに文釈あり、】
比叡山では、嫌っていないのです。

【倶に料簡〔りょうけん〕あり。然れども今に事ゆかず。】
それぞれに解釈があり、ともに言い分があるのですが今だ決着していないのです。

【但し予が流の義には不審晴れておぼえ候。】
ただし私たちの考えでは、すでに疑問は解けたと理解しています。

【其の故は天台大師、四教を立て給ふに四つの筋目あり。】
その理由は、天台大師が四教を立てられた事に四つの道筋があるのです。

【一には爾前の経に四教を立つ、二には法華経と爾前と相対して、】
一には、爾前の経に四教を立て、二には法華経と爾前を比較して、

【爾前の円を法華の円に同じて前三教を嫌ふ事あり、】
爾前の円教は、法華の円教と同じとして蔵教、通教、別教を嫌う事があり、

【三には爾前の円をば別教に摂〔しょう〕して前三教を嫌ひ、】
三には爾前の円教を別教に摂して蔵教、通教、別教と嫌い、

【法華の円をば純円と立つ、四には爾前の円をば法華に同ずれども、】
法華の円を純円と立てて、四には爾前の円を法華経と同じとするけれども、

【但法華経の二妙の中の相待妙に同じて】
ただし法華経の二妙の中の相待妙と同じであり、

【絶対妙には同ぜず。】
絶待妙とは同じであるとしていないのです。

【此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑〔こぎ〕の氷解けたり。】
この四つの道理を比較して、六十巻を考えれば、疑問は解決するのです。

【一々の証文は且〔か〕つは秘し、且つは繁〔しげ〕き故に之を載せず。】
一つ一つの証文は、一方では秘し一方では多過ぎる為にこれを載せていません。

【又法華経の本門にしては】
また法華経の本門においては、

【爾前の円と迹門の円とを嫌ふ事不審なき者なり。】
爾前の円教と迹門の円教を嫌う事は、疑問のないところです。

【爾前の円をば別教に摂して、】
爾前の円教を別教に摂して、

【約教の時は「前三を麁〔そ〕と為し、】
八教の時は、化法の四教の「前の三の蔵教、通教、別教を粗法と為し、

【後一を妙と為す」と云ふなり。】
後の一の円教を妙法と為す」と云うのです。

【此の時は爾前の円は無量義経の歴劫修行の内に入りぬ。】
この時は、爾前の円教は、無量義経の歴劫修行の中に入るのです。

【又伝教大師の註釈の中に、】
また、伝教大師の注釈の中に、

【爾前の八教を挙げて四十余年未顕真実の内に入れ、】
爾前の八教を挙げて「四十余年未顕真実」の中に入れ、

【或は前三教をば迂回〔うえ〕と立て、爾前の円をば直道〔じきどう〕と云ひ、】
あるいは、蔵教、通教、別教を迂回と立て、爾前の円教を直道と云い、

【無量義経をば大直道と云ふ。委細に見るべし。】
無量義経を大直道と云うのです。それを詳しく見ていくべきでしょう。

【問うて云はく、法華経を信ぜん人は】
それでは、法華経を信ずる人は、

【本尊並びに行儀並びに常の所行は何にてか候べき。】
本尊、行儀、常の所行については、どのようにすべきなのでしょうか。

【答へて云はく、第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、】
それは、第一に、本尊については、法華経八巻、一巻、一品

【或は題目を書きて本尊と定むべしと、】
あるいは、題目を書いて本尊と定めるべきなのです。

【法師〔ほっし〕品並びに神力品に見えたり。】
法華経、法師品と神力品にそれが説かれています。

【又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても】
また、それが出来そうな人は、釈迦如来、多宝仏を書いたり造ったりして、

【法華経の左右に之を立て奉るべし。】
法華経の左右に立てて本尊にするべきです。

【又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をも】
また、それも出来そうな人は、十方の世界の諸仏、普賢菩薩等を

【つくりかきたてまつるべし。】
造ったり書いたりして本尊にするべきです。

【行儀は本尊の御前にして必ず坐立〔ざりゅう〕行なるべし。】
行儀は、本尊の前では必ず坐立行であるべきです。

【道場を出でては行住〔ぎょうじゅう〕坐臥〔ざが〕をゑらぶべからず。】
道場を出たならば、行住坐臥を選ぶ必要はありません。

【常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし。】
普段の所行は、題目を南無妙法蓮華経と唱えるべきです。

【たへたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。】
それが出来そうな人は、法華経の一偈、一句を読みなさい。

【助縁〔じょえん〕には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・】
助縁とするには、南無釈迦牟尼仏、多宝仏、十方諸仏、一切の諸菩薩、

【二乗・天人・竜神・八部等心に随ふべし。】
二乗、天人、竜神、八部などを心に随えなさい。

【愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、】
愚か者が多い時代ですから、一念三千の観を先とせず、

【其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。】
また、その志がある人は、必ず学習してこれを観じるべきです。


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