日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四信五品抄 4 第三章 一向に南無妙法蓮華経と称せしむる 劣


【問うて云はく、末代初心の行者に何物をか制止するや。】
それでは、末法において初心の修行者は、何を止めなければならないのでしょうか。

【答へて曰く、檀戒等の五度を制止して】
それは、布施や持戒などの五つの波羅蜜を制止し、

【一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを、】
ただ南無妙法蓮華経と唱えさせるのを、

【一念信解〔しんげ〕初随喜〔しょずいき〕の気分〔けぶん〕と為〔な〕すなり。】
一念信解、初随喜品の初歩の階位とするのです。

【是則ち此の経の本意なり。】
これがこの法華経の本意なのです。

【疑って云はく、此の義未だ見聞せず。】
いえいえ、このような説は、これまで聞いた事がありません。

【心を驚かし耳を迷はす。】
まったく、心を驚かし耳を疑うような話です。

【明らかに証文を引いて請ふ苦〔ねんご〕ろに之を示せ。】
はっきりとした証拠となる文章を使って丁寧に説明してもらいたいものです。

【答へて曰く、】
それでは、その疑問に答えてみましょう。

【経に云はく「我が為に復〔また〕塔寺を起て及び僧坊を作り】
経文には「釈尊の為に仏塔や寺院を建てたり、僧侶の為の住居を作り、

【四事を以て衆僧を供養することを須〔もち〕ひず」と。】
衣服、飲食、寝具、湯薬の四事供養を僧侶にする必要はない」とあります。

【此の経文は明らかに初心の行者に】
この経文は、明らかに初心の行者に、

【檀戒〔だんかい〕等の五度を制止する文なり。】
布施や持戒などの五つの波羅蜜を制止している文章なのです。

【疑って云はく、】
その事について疑問を述べさせてもらいます。

【汝が引く所の経文は但寺塔と衆僧と計〔ばか〕りを】
あなたが引用した経文では、仏塔や寺院を建てる事や僧侶を供養する事について

【制止して未だ諸の戒等に及ばざるか。】
制止しており、それ以外の持戒の波羅蜜にまでは、及んでいないのではないですか。

【答へて曰く、初めを挙げて後を略す。】
それは、初め布施波羅蜜だけを挙げて、後の四波羅蜜は略したのです。

【問うて曰く、何を以て之を知らん。】
何によってそれが分かるのでしょうか。

【答へて曰く、次下の第四品の経文に云はく「況んや復人有って】
それは、先に引用した文章の後にある第四品を説いた経文には、「いわんや、

【能〔よ〕く是の経を持って兼ねて布施〔ふせ〕・持戒〔じかい〕等を】
この経典をたもち同時に布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜を

【行ぜんをや」云云。】
行う者がいれば、その功徳が最も優れている」とあるのです。

【経文分明に初・二・三品の人には】
この経文に明らかなように、初品、第二品、第三品の人には、

【檀戒等の五度を制止し、】
智慧の般若波羅蜜以外の布施、持戒など五つの波羅蜜を制止し、

【第四品に至って始めて之を許す。】
第四品に至って初めて許した事から、

【後に許すを以て知んぬ、初めに制することを。】
初めには、制止していた事がわかるのです。

【問うて曰く、経文一往相似たり、】
それでは、経文上は、あなたの言ったとおりのようですが、

【将又〔はたまた〕疏釈〔しょしゃく〕有りや。】
では、あなたの主張を裏づける注釈書はあるのでしょうか。

【答へて曰く、汝が尋ぬる所の釈とは月氏の四依の論か、】
それは、あなたが求める解釈と云うのはインドの四依の大学者の経論なのですか、

【将又漢土日本の人師の書か。】
それとも、中国、日本の学者の書なのでしょうか。

【本を捨てゝ末を尋ね、体を離れて影を求め、源を忘れて流れを貴び、】
あなたは、本を捨て末を尋ね、体を離れ影を求め、源を忘れ流れを貴んでいます。

【分明なる経文を閣いて論釈を請ひ尋ぬ。】
明瞭な経文を放置して、経論や注釈書を知りたいと求めているのです。

【本経に相違する末釈有らば本経を捨てゝ末釈に付くべきか。】
本である経文に対して、末である注釈が相違している場合、注釈につくのですか。

【然りと雖も好みに随って之を示さん。】
しかしながら、あなたの考えに従って注釈を示す事にしましょう。

【文句の九に云はく「初心は縁に紛動〔ふんどう〕せられて】
法華文句巻九には「初心を起こした者は、縁によって動揺し、

【正業を修するを妨げんことを畏〔おそ〕る。】
本来の修行が妨げられる事を用心する。

【直ちに専ら此の経を持つは即ち上供養なり。】
ただ、この経をたもつ事だけが、そのまま供養となる。

【事を廃して理を存するは所益〔しょやく〕弘多〔ぐた〕なり」と。】
事象に惑わされず真理をたもつ利益が大きいのである」とあります。

【此の釈に縁と云ふは五度なり。】
この解釈で「縁」と云うのは、般若波羅蜜以外の五波羅蜜の事なのです。

【初心の者が兼ねて五度を行ずれば正業の信を妨ぐるなり。】
初心の者が、五波羅蜜も一緒に修行すれば、それが信心の妨げになるのです。

【譬へば小船に財を積んで海を渡るに財と倶〔とも〕に没するが如し。】
例えば、小船に重い財宝を積んで海を渡れば財宝と一緒に沈むようなものです。

【「直専持此経〔じきせんじしきょう〕」と云ふは一経に亘るに非ず。】
「ただこの経をたもつ事だけ」と云うのは、経典全体の事ではありません。

【専ら題目を持ちて余文を雑〔まじ〕へず、】
ただ、題目だけをたもち、他の経文をまじえてはいけません。

【尚一経の読誦だも許さず、何に況んや五度をや。】
経文全体の読誦さえ許していないのですから五波羅蜜を許すはずがないのです。

【「廃事存理〔はいりぞんり〕」と云ふは戒等の事を捨てゝ】
「事象を廃し真理をたもつ」と云うのは、持戒などの事象を差し置いて、

【題目の理を専らにす云云。】
ただ、題目という真理をたもつと云う事なのです。

【「所益弘多」とは初心の者が諸行と題目と並べ行ずれば】
「利益が大きい」とは、初心の者が修行と題目を同時に行えば、

【所益全く失ふと云云。】
その利益がまったく消え去ると云う意味なのです。

【文句に云はく「問ふ、若〔も〕し爾〔しか〕らば】
法華文句には「問ふ、もしそうであるなら、

【経を持つは即ち是第一義の戒なり。】
経をたもつ事が、最も根本的な意味での戒である。

【何が故ぞ復〔また〕能〔よ〕く戒を持つ者と言ふや。】
どうしてさらに、戒をたもつ者と言うのか。

【答ふ、此は初品を明かす、】
答ふ、これは初品の意味を明かしたもので、

【後を以て難を作すべからず」等云云。】
後ろの方に書かれた文章と混同してはならない」とあります。

【当世の学者此の釈を見ずして、末代の愚人を以て南岳・天台の】
現在の学者は、この解釈を見ないで末法の愚かな者を南岳大師、天台大師と云う

【二聖に同ず。誤りの中の誤りなり。】
二人の聖人と同一視しているのです。これこそ誤りの中の誤りなのです。

【妙楽重ねて之を明かして云はく「問ふ、若し爾らば、】
妙楽大師は、さらにこの事を明らかにして「問ふ、もしそうであるなら

【若し事の塔及び色身の骨を須〔もち〕ひずば】
事象として存在する仏塔や仏の遺骨を必要としないのであれば、

【亦事の戒を持つことを須ひざるべし。】
同様に目に見える現実的な戒をたもつ必要はなく、

【乃至事の僧を供養することを須ひざるや」等云云。】
現実にいる僧侶に供養する必要もないではないか」と述べています。

【伝教大師云はく「二百五十戒忽〔たちま〕ちに捨て畢〔おわ〕んぬ」と。】
伝教大師は「二百五十戒を即座に捨ててしまった」と述べています。

【唯教大師一人に限るに非ず、鑑真〔がんじん〕の弟子】
伝教大師一人だけではなく、鑑真の弟子である

【如宝〔にょほう〕・道忠〔どうちゅう〕並びに七大寺等一同に捨て了んぬ。】
如宝や道忠や、それに加えて七つの大寺院などが一斉に捨ててしまったのです。

【又教大師未来を誡〔いまし〕めて云はく】
また、伝教大師は、未来の人々に忠告して、

【「末法の中に持戒の者有らば是怪異〔けい〕なり。】
「末法の時代に戒律をたもつ者がいれば奇怪な事である。

【市〔いち〕に虎有るが如し。】
町にいるはずのない虎がいると云っているようなもので

【此〔これ〕誰か信ずべき」云云。】
誰がこれを信じるだろうか。末法に持戒の者などいないのである」と述べています。


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