ようこそ開信寺へ
開信寺・歳時記 【令和七年(2025年) 一月度】
あなたも開信寺の行事に参加しませんか。
新年勤行会
一日の新年勤行会に参加しました。
冷たい風が吹いていましたが、日差しが暖かさを感じてか本堂一杯の人達が参詣されていました。
五座の勤行・唱題の後、御住職より上野殿御返事「春の初めの三日、種々の物法華経の御宝前に捧げ候ひ畢んぬ。花は開いて果〔このみ〕となり、月は出でて必ず満〔み〕ち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨ふればさか〔栄〕う、人が善根をなせば必ずさか〔栄〕う」(御書1446頁)の文を引かれ、大変苦しい生活の中、日蓮大聖人へ御供養を欠かされなかった上野殿の信心の厚さを敬うこと、開信寺の信徒の高齢化に加え、新型コロナの影響等で御講に参詣される方が減っていることを懸念され、法灯相続の大切さを話されました。
今年、令和七年の年間実践テーマ「活動充実の年」を踏まえ、毎日の唱題会にも多くの方が参加されるようにお話がありました。
去年は、家に帰り着いた途端に能登半島の大地震のニュースを目にし、その後も次々に災害が競い起こり、ウクライナ以外にガザやシリア等の戦乱を耳にする度に間違った宗教の怖ろしさを感じた一年でした。
今年は、去年以上に大変な年になるでしょうが、そうであればこそ、正しい御本尊との違いが明確になることでもあります。
日蓮大聖人の正しい宗教の話をさせて頂けるように御書を読み、充実した一年に出来るように心を新たにして帰路に着きました。
一月度 御講
1月12日、御報恩御講に参加しました。
去年とは、うって変わり、寒さ厳しく冷たい小雨の中、今年初めての御講が行われました。
御住職の導師により勤行・題目が行われ、1月度拝読御書「四条金吾殿御返事」を御住職が説明をされました。
日蓮大聖人は四条金吾殿へ多数の御手紙を送られ、特に開目抄等の重要な御書を渡されています。
四条金吾と言えば竜の口の法難の時に、当に日蓮大聖人が頸を切られんとした時にその場で一緒に死んでお供をされようとした事は有名な話であり、早くから富木常忍等と共に日蓮大聖人を支えられて、妻も日蓮大聖人より日眼女という法名を賜る方であり、夫婦揃っての信心を保ってゆく有り様を、夫である四条金吾が主人から疎まれ領地を没収される等の難に遭った時にも事細かく御指示をされた御手紙を賜っています。
この御書は日蓮大聖人が何の罪も無いのに竜の口の法難の後、佐渡に流されていた文永9年5月2日佐渡一谷で日蓮大聖人51歳の時に書かれた御書であり、「煩悩則菩提書」とも称されています。
経に云はく「諸仏智慧甚深無量」云云。(中略)此の智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体なり。その法体とは又なにものぞ、南妙法蓮華経是なり。(中略)境智而二(にに)にしてしかも境智不二(ふに)の内証なり。此等はゆゝしき大事の法門なり。煩悩則菩提・生死則涅槃と云ふもこれなり。(中略)此(か)くの如く法体と云ふも全く余には非ず、たゞ南妙法蓮華経の事なり(御書597ぺージ)
この法体とは正しく富士大石寺に御安置されています戒壇の大御本尊の事です。
又、上の文の前に「今日蓮が弘通する法門はせば(狭)きやう(様)なれどもはなはだふか(深)し。其の故は彼の天台伝教等の所具(しょぐ)の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩埵(さった)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり」(御書597ぺージ)と題目を唱えることの意義を記されています。
御住職より
一、最も深い即身成仏の大法が南妙法蓮華経であること。
二、お題目を唱えるところ、我々の煩悩の姿がそのまま菩提の大功徳として成ぜられること。
三、この正法をいかなることがあっても強盛な大信力をもって持ち通さなければならないこと。
四、夫婦和合、異体同心しての信心が大切なること。
などの要旨が説かれているとのお話がありました。
御講終了の後、支部役員の紹介があり、役員の方は去年と引き続き、
講頭、副講頭、幹事、幹事会計の方々が全員再任され、一人づつ挨拶をされました。
御住職も開信寺に来られて25年が経ち、自分自身も40代の頃からすると年を感じ、役員さんも若い人がいないということで、御講参詣を通じて法灯相続の大事を話され、解散となりました。