ようこそ開信寺へ
開信寺・歳時記 【令和四年 十月度】
あなたも開信寺の行事に参加しませんか。
御会式
十月十六日、開信寺にて「お会式」が開催されました。
日蓮大聖人は、弘安五年(西暦1282年)十月十三日に御入滅されましたが、それは人の姿を現しているのであり、仏の姿は法華経如来寿量品第一六の自我偈にあるように「為度衆生故(衆生を度せんが為に)方便現涅槃(方便して涅槃を現ず)而實不滅度(而も実には滅度せず)常住此説法(常に此に住して法を説く)」三世(過去・現在・未来)常住のお姿を示され、人としての肉体は滅して朽ちていきますが、日蓮大聖人の仏としての魂魄は、弘安二年に顕された、現在日蓮正宗総本山大石寺に安置されている「本門戒壇の大御本尊」にましましているのです。
従ってお会式は日蓮大聖人の御命日の法要ではなく、滅不滅のお姿を示されたお祝いの儀式ですので、この日にお寺に行くと受付の方から「おめでとうございます。」と挨拶をされます。
お寺の中は第ニ祖日興聖人が残された「宗祖御遷化記録」等による、日蓮大聖人御入滅時に大地が震動し初冬(旧暦弘安五年十月十三日は新暦に換算すると十一月二十一日に当たる)にも関わらず庭の桜の花が咲きほこった事に因み、講員のご婦人方の手作りの桜の花の造花で綺麗に飾られていました。
普段とは違い少し緊迫した雰囲気の中、御近在の六寺の御住職の方がご臨席されて勤行が始まり、開信寺御住職による「立正安国論」の一部の捧読後、六寺の御住職により御歴代上人がその時の執権者に立正安国論を送られた折の申状が捧読されました。
今現在旧統一教会問題が国会で取り上げられていますが、邪宗教によって人が不幸になるのに今も昔も全く変わっていません。
日蓮大聖人は、鎌倉時代に戦を起こし、地震や火事、疫災等国を疲弊させていた原因は、北条時頼達国の権力者達が、律宗・禅宗・念仏・真言宗等の邪宗教を信じ、擁護してきたからであるとその邪宗教の間違いを示し、其れ等への施しを止め、本人に対しては「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗(じつじょう)の一善に帰せよ」(立正安国論)と、早くほんのちょっと(寸心)自分の事を省みて、(日蓮大聖人が説かれる)正しい宗教に帰依しなさいと説かれているのです。時の権力者に命を懸けてこんな事を言う人はいません。その日蓮大聖人を御本仏と拝し、正しく法灯を継承された第ニ祖日興上人、日目上人をはじめとする日蓮正宗の御法主上人も度々申状を国守に奏呈されました。お会式ではその申状を捧読し、心を継承し御報恩申し上げることが大事な儀式となっています。その後、弘教の為の指導の話があり、お会式は二時間程で終わりました。
まだまだ新型コロナの影響でゆっくり話す事も出来ず、支度も人が集めれず大変だったそうです。
十月十六日、晴天の中、開信寺で御会式が開催され、思ったより多数集うことができました。みんなで協力しあって作り上げた御会式は、開信寺がまるで、経文の通り、「我此土安穏。天人常充満。」の様です。
最後に御尊師の法話のなかで、折伏とは、まず自分の心を折伏することだと話されました。
例えば、個人的な願いが叶ったとしても、それはつかの間で社会全体が安穏でなければ、結局は個人も何らかの影響を受けて不幸になってしまうと言うことです。戦争になって自分だけが幸せって事はないと思います。不幸の原因は正法誹謗の害毒です。
日蓮大聖人様が立正安国論で間違った宗教を廃止し、正しい宗教を立て国を安穏にすることで時の権力者を折伏されました。
私たちも大聖人様のように、大慈悲の心で世間の人々を折伏することによって、社会全体の幸せと同時に個人の幸せも揺るぎないものになると言うことです。
そういうことで、みんなで協力しあって、向かい風にも負けないで折伏に頑張りたいと思います。