日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


阿仏房御書 背景と大意


阿仏房御書 (御書792頁)

本抄は、阿仏房〔あぶつぼう〕からの法華経の宝塔についての質問に対し御本尊様の甚深の法門が述べられたものです。
御述作の時期については、従来は文永九年三月とされてきました。
しかし、阿仏房の入信は、文永九年正月の塚原問答の前後の頃と言われているのでかなり無理があるようです。
記述内容の北国の導師という文からみて、本抄は、身延から発せられた御書と思われます。
また阿仏房は、弘安二年三月二十一日に亡くなられましたが、本抄で御本尊授与に言及されていますので阿仏房が賜わった建治元年(文永十二年)四月の御本尊との関連が想定されることなどから、本抄は文永十二年三月十三日の御著述と推定されます。
阿仏房については、佐渡に流された武士で熱心な念仏の信者であったことが名前からもうかがえます。
しかし、大聖人様から念仏の邪義を破折され、念仏をきっぱりと捨て正法に帰依しました。
この一途な姿から、剛直な人柄である事が察せられます。
亡くなるまでの間、老齢にもかかわらず、身命を賭〔と〕してはるばる佐渡から身延の大聖人様のもとへ三回も登山参詣をされました。
このような信仰の姿は、まことに信者の手本であり、日蓮正宗では、登山精神は、阿仏房の姿勢に学べと言われて来ました。


阿仏房御書 本文


【阿仏房御書 文永十二年三月十三日 五四歳】
阿仏房御書 文永12年3月13日 54歳御作


【御文〔おんふみ〕委く披見いたし候ひ了んぬ。】
御手紙を詳しく読ませて頂きました。

【抑〔そもそも〕宝塔の御供養の物、銭一貫文・】
そもそも、宝塔の御供養の銭一貫文、

【白米・しなじな〔品品〕をく〔贈〕り物、たしかにうけとり候ひ了んぬ。】
白米など品々の物を確かに受け取らせて頂き、

【此の趣〔おもむ〕き御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候。】
この御供養の内容を御本尊様へも申し上げました。

【御心やすくおぼしめし候へ。一、御文に云はく「多宝如来涌現の宝塔】
御心を安んじて下さい。御手紙に「法華経にある多宝如来の前に出現した宝塔とは、

【何事を表はし給ふや」と云云。】
何を意味しているのでしょうか」との御質問がありました。

【此の法門ゆゆしき大事なり。宝塔をことわるに、】
これは、たいへん重要な質問です。この宝塔については、

【天台大師文句の八に釈し給いし時、】
天台大師の書かれた法華文句の八巻の下に

【証前・起後の二重の宝塔あり。】
証前と起後の二つの宝塔の意味が書かれております。

【証前は迹門。起後は本門なり。】
それは、証前は法華経迹門であり、起後は法華経本門の事とあります。

【或は又閉塔は迹門、開塔は本門、】
また、閉じた塔は迹門であり、開いた塔は本門であり、

【是れ即ち境智の二法なり。】
これは、即ち境智の二法を顕しているのです。

【しげ〔繁〕きゆへにこれをを〔置〕く。】
難しい話しなので一応これは、ここで置きます。

【所詮〔しょせん〕三周の声聞法華経に来たりて】
ようするに釈迦の数かずの説法を聞いた声聞が法華経によって、

【己心の宝塔を見ると云ふ事なり。】
ようやく己心の宝塔である御本尊様を開く事が出来たと言う事なのです。

【今日蓮が弟子檀那又々かくのごとし。】
今日、日蓮の弟子檀那もこれとまったく同じなのです。

【末法に入って法華経を持つ】
末法に入っては、この御本尊様に題目を唱える

【男女〔なんにょ〕のすがたより外には宝塔なきなり。】
男女の姿以外に宝塔など何処にもないのです。

【若し然れば貴賎上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、】
もし、そうであれば、たとえ貧しくとも、この御本尊様に題目を唱える者は、

【我が身宝塔にして、我が身又多宝如来なり。】
我が身そのものが宝塔であって、我が身が又、多宝如来であるのです。

【妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。】
妙法蓮華経以外に宝塔などないのです。

【法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。】
法華経の題目は、宝塔であって、宝塔は、また御本尊様なのです。

【今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。】
今、阿仏上人の一身は地水火風空の五大なのです。

【此の五大は題目の五字なり。】
この五大とは、題目の五字、妙法蓮華経なのです。

【然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、】
そうであれば、阿仏房は宝塔とも考えられ、宝塔は阿仏房とも考えられるのです。

【此れより外の才覚無益〔むやく〕なり。】
これ以外の智慧は、必要ありません。

【聞〔もん〕・信〔しん〕・戒〔かい〕・】
聞法(正法を聞く)信受(正法を信じる)持戒(戒律を守る)

【定〔じょう〕・進〔しん〕・捨〔しゃ〕・慚〔ざん〕の】
禅定(怒らない)精進(修行に励む)喜捨(供養をする)慚愧(恥を知る)の

【七宝を以てかざりたる宝塔なり。】
七つの宝で身を飾る宝塔であるのです。

【多宝如来の宝塔を供養し給ふかとおもへば、】
多宝如来が宝塔を讃嘆していると思えば、

【さにては候はず、我が身を供養し給ふ。】
そうではなく、我が身を讃嘆しているのです。

【我が身又三身即一の本覚〔ほんかく〕の如来なり。】
そしてその我が身とは、又、三身即一の本覚の如来なのです。

【かく信じ給ひて】
このように信じて三身即一の本覚の如来(御本尊様)に

【南無妙法蓮華経と唱へ給へ。】
南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。

【ここさながら宝塔の住処なり。】
そうすれば、ここが宝塔がある場所ともなるのです。

【経に云はく「法華経を説くこと有らん処は、】
経文にある「題目を唱えるならば、

【我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり。
この宝塔は、目の前に出現する」とは、この事です。

【あまりにありがたく候へば】
この経文の言葉があまりに素晴らしいので、

【宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ〔譲〕る事なかれ。】
この宝塔を日蓮が書き顕してあげましょう。子でなければ譲ってはいけません。

【信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。】
信心が強情でなければ見せてもいけません。

【出世の本懐とはこれなり。】
仏がこの世に生まれられた理由は、これなのです。

【阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。】
しかしながら阿仏房は、北国の指導者でもあります。

【浄行菩薩はうまれかわり給ひてや】
浄行菩薩は、生まれ変わっているのでしょうか。

【日蓮を御とぶ〔訪〕らひ給うか。不思議なり不思議なり。】
そして日蓮を訪ねて来られたのでしょうか。ほんとうに不思議な事です。

【此の御志をば日蓮はしらず】
この志は、日蓮には、わかりませんが、

【上行菩薩の御出現の力にまか〔委〕せたてまつ〔奉〕り候ぞ。】
上行菩薩が御出現されれば、わかる事でしょう。

【別の故はあるべからず、あるべからず。】
これ以外の意味などあろうはずもありません。

【宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。】
この御本尊様を夫婦そろってひそかに拝んでいきなさい。

【委しくは又々申すべく候。】
詳しくは、またまた申し上げましょう。

【恐恐謹言。】
謹んで申し上げます。

【三月十三日 日蓮花押】
三月十三日 日蓮花押

【阿仏房上人所〔もと〕へ】
阿仏房上人のもとへ

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