日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


産湯相承事 背景と大意


産湯相承事(御書1708頁)

この産湯相承書は、常に日蓮大聖人の側〔そば〕で御仕えした日興上人が日蓮大聖人御自身が述べられた出生や名前のことなどを筆録されたものです。
相承事であるので日蓮一期弘法付嘱書(御書1675頁)、身延山付嘱書(御書1675頁)、法華本門宗血脈相承事(本因妙抄)(御書1676頁)、具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄)(御書1685頁)、教化弘経七箇口決大事(御書1706頁)などのように日蓮正宗の相伝書であり、この産湯相承事にも「唯授一人の秘伝」とあり、日蓮大聖人から日興上人のみに伝えられたものなのです。
もちろん、相承のない他門流の日蓮宗には、こうした内容のものは、伝わっていません。
そこで歴史的に常に、これら相伝書については、偽書ではないかという疑念が出されて来ましたが、それは、これらの御書が本物で有れば、自らの正当性がなくなってしまう為の苦し紛れの言いがかりなのです。
実際、過去には、明治時代の中期まで宗教学者などは「日蓮正宗では、日蓮上人のことを善日麿、是聖房蓮長と呼んでいるが、そのような名前は、御書のどこにもない、従って、これらの名前は、日蓮正宗が勝手にでっち上げたものである」と主張していたのです。
ところが、ある古文書の研究家が横浜の金沢文庫で古文書を調べていたところ、新しい文献が発見され、鑑定の結果、「これは間違いなく日蓮の真筆である」との結果が出たのです。
この書には「嘉禎四年太歳戊戌十一月十四日、阿房国東北御庄清澄山、道善房、東面執筆是聖房生年十七歳」と書いてあり、これは、大聖人が修行中に比叡山延暦寺、第五代座主の智証が書いた「授決圓多羅義集唐決」を書写されたものであることが分かったのです。
この文書の中に清澄山、道善房と言う言葉があるので、おそらく、千葉県、清澄寺において書写されたものと考えられます。
ここで、はっきりと第三者の古文書研究家によって「是聖房」と文字が発見されたのです。
この発見により、それまで邪宗が言って来た産湯相承事は、偽書であると云う主張が覆〔くつがえ〕されましたが、難癖をつけていた、これら邪宗は、臆面もなく、産湯相承書の真偽については、口を閉ざし、それどころか、自らも幼少名は、善日麿、修業中の名前は、是聖房蓮長と、恥も外聞もなく、まるで当たり前のように使用し出したのです。
邪宗の輩〔やから〕、現在では、創価学会も同じですが、いったん破折されると今まで言っていたことを何も言っていなかったように口を閉ざすのです。
この産湯相承事の内容については、まさに末法の御本仏であられる日蓮大聖人の御内証が垣間見える重要な相伝書となっています。
本抄の冒頭に日蓮大聖人の名前について、最初は、是生〔ぜしょう〕と名乗り、実名〔じつみょう〕を蓮長〔れんちょう〕と名乗られ、その後に日蓮と名乗られた理由について話を進められています。 これによると大聖人の御母上の名前は、梅菊女〔うめぎくにょ)であり、御父上の名前は、三国大夫〔みくにのたいふ〕と言われ、大聖人が日蓮と名乗られている理由について、出生の時の梅菊女の、いくつかの霊夢の話が出て来ます。
それについて、本抄において「日蓮が弟子檀那等悲母の物語と思ふべからず。即ち金言なり。」と述べられて、この悲母の夢の話を仏の言葉通り、虚妄ではないと断言されています。
その夢によると生まれる子供は、三世常恒〔じょうごう〕の大導師であり、本地は、自受用〔じじゅゆう〕報身〔ほうしん〕如来の垂迹、上行〔じょうぎょう〕菩薩であり、釈迦牟尼仏に勝〔すぐ〕れた末法の教主、善日なのです。
また、この夢に出た富士山は、多宝富士大日蓮華山〔だいにちれんげさん〕が正式の名前であり、出生された国を日本〔ひのもと〕と呼び、釈迦牟尼仏の幼名を日種〔にっしゅ〕太子と号し、諸天善神の天照太神が降臨したのは、出雲の日御崎〔ひのみさき〕であり、蓮華は、池の水より生じて、水は、月に縁しているとされ、日蓮の日は、昼であり、蓮は、月であり、夜であり、是生とは、日の下の人を生むと書くと述べられ、それ故に日蓮と号し、仮の名を是生、子供の頃の名前を善日と言うと仰せなのです。
そして、日〔にち〕と月〔つき〕で筆を離す回数が十になるので、釈尊が法華経を説き顕して以来、十羅刹女と号したてまつるのは、諸神を一体に合わせたる深義なりと仰せに成っております。
このように日蓮大聖人は、天上天下の一切衆生の、主君であり、父母であり、師匠なのです。
それを「今久遠下種の寿量品に云はく、」と述べられ、法華経、譬喩品と法華経、信解品の文を引かれて説明されています。
そして「若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗りの上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙ると知るべし。予が一期の功徳は日文字に留め置く」と大聖人より御説法があったので、そのまま、日興上人がこれを書き留〔とど〕めたと述べられています。
これは「日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝」と述べられており、日蓮大聖人から日興上人にのみ相承された、日蓮正宗にのみ伝えられるものなのです。

産湯相承事 本文


【産湯相承事】
産湯相承事


【日興之を記す】
日興が日蓮大聖人の御話を、ここに記しました。

【御名乗りの事、始めは是生〔ぜしょう〕、】
御名前の事について、始めは、是生〔ぜしょう〕と名乗られ、

【実名〔じつみょう〕は蓮長〔れんちょう〕と申し奉る。】
その時の実名〔じつみょう〕は、蓮長〔れんちょう〕と言われました。

【後に日蓮と名乗り有りし御事は、】
その後に日蓮と名乗られた事については、このような理由があります。

【悲母梅菊女は(童女の御名なり)平の畠山殿の一類にて御坐すと云云。】
御母上、梅菊は(童女の御名なり)、平家の畠山殿の家系であると言われています。

【法号妙蓮禅尼の御物語之〔これ〕有る事は、】
亡くなられて法号を妙蓮禅尼と言われますが、その御母上が、御話になったのには、

【我に不思議の御夢相有り、】
私は、不思議な夢を見ました。

【清澄寺に通夜申したりし時、汝が志〔こころざし〕真に神妙なり、】
清澄寺に通夜に行った折に、あなたの志〔こころざし〕は、実に神妙であるので、

【一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり。】
一閻浮提〔えんぶだい〕、第一の宝を与えようと思う。

【東条の片海(父母夫婦先表の口伝)に】
東条の片海(父母夫婦先表の口伝)に

【三国〔みくにの〕大夫〔たいふ〕と云ふ者あり、】
三国〔みくにの〕大夫〔たいふ〕と云う者がいるので、

【是を夫と定めよと云云。七歳の春三月廿四日の夜なり、】
この男を夫にせよと言われました。これは、7歳の春、3月24日の夜のことです。

【正〔たしか〕に今も覚え侍〔はべ〕るなり。】
たしかに今も、しっかり覚えていることです。

【我父母に後〔おく〕れ奉りて已後、詮方〔せんかた〕無く】
私は、父母と死に別れて以後、どうしようもなく、

【遊女〔たわれめ〕の如くなりし時御身〔おんみ〕の父に嫁げり。】
身寄りがない時に、あなたの父に嫁いだのです。

【有る夜の霊夢(聖人托胎の口伝)に曰はく、】
また、御母上の、ある夜の霊夢(聖人托胎の口伝)によると、

【叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、】
比叡山の山頂に腰をかけて、近江の琵琶湖で手を洗い、

【富士の山より日輪の出でたまふを懐〔いだ〕き奉ると思ひて、打ち驚きて後】
富士の山より日輪が出て来て、それを抱いていると気づいて、驚いていると

【月水〔がっすい〕留まると夢物語を申し侍れば、】
それで妊娠して生理が止まったと云う夢物語を夫に言うと、

【父の大夫我も不思議なる御夢相を蒙るなり。】
父親の大夫も、私も不思議な夢を見た。

【虚空蔵菩薩貌〔みめ〕吉〔よき〕児〔ちご〕を御肩に立て給ふ。】
虚空蔵菩薩が可愛い赤ん坊を肩に立て、

【此の少人我が為(聖人上行菩薩の口伝、並びに是生の口伝)には】
この子供は、私の為(聖人上行菩薩の口伝、並びに是生の口伝)には、

【上行菩提薩埵なり。】
上行菩提薩埵〔じょうぎょうぼだいさった〕である。

【日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり。】
日の下の人の為には、生財摩訶薩埵〔しょうざいまかさった〕である。

【亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり。】
また、すべての有情の為には、行く末、三世常恒の大導師である。

【是を汝に与へんとの給ふと見て後、】
これを、あなたに与えようと言うのを聞いた後に、

【御事〔おこと〕懐妊の由を聞くと語り相〔あ〕ひたりき。】
懐妊を聞いたと語り合ったのです。

【さてこそ御事は聖人なれ。又産生〔うまれ〕たまふべき夜の夢に、】
そうして生まれたのが日蓮大聖人なのです。また、御母上は、生まれた夜の夢に

【富士山の頂(聖人の御生まれ仏の御誕生に殊ならざる口伝)に】
富士山の山頂(聖人の御生まれ仏の御誕生に殊ならざる口伝)に登って、

【登りて十方を見るに、明らかなる事掌〔たなごころ〕の内を見るが如く】
四方を見ると、まるで手の平を見るように明らかに、

【三世明白なり。梵天・帝釈・四大天王等の諸天】
三世が見えたのです。梵天、帝釈、四大天王などの諸天が、

【悉く来下〔らいげ〕して、本地自受用報身如来の】
ことごとく来下して、本地である自受用報身如来の

【垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下〔けんげ〕したまふ。】
垂迹である上行菩薩の御身を凡夫の身の上として顕されたのです。

【御誕生は唯今なり、】
まさに日蓮大聖人の誕生は、この時だったのです。

【無熱池〔むねっち〕の主阿那婆達多〔あなばだった〕竜王・】
チベットにある無熱池〔むねっち〕の主、阿那婆達多〔あなばだった〕竜王が、

【八功徳水を持ち来たるべし、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げたまへり。】
八つの功徳水を持って来て、今、産湯に浴し奉ると諸天に告げられたのです。

【仍〔よ〕って竜神王即時に青蓮華を一本荷〔にな〕ひ来たれり。】
そして、その竜神王が青蓮華を一本持って来て、

【其の蓮より清水を出だして御身を浴し進〔まい〕らせ侍〔はべ〕りけり。】
その蓮華より清水を出して、御身に水をかけられたのです。

【其の余れる水を四天下に灑〔そそ〕ぐに、】
その余った水を四天下にそそぐと、

【其の潤ひを受くる人畜・草木・国土世間悉く金色の光明を放ち、】
そのうるおいを受けた人畜、草木、国土世間が、ことごとく金色の光明を放って、

【四方の草木華〔はな〕発〔ひら〕き菓〔このみ〕成る。】
四方の草木の花が開き、木の実が成ったのです。

【男女座を並べて有れども煩悩無し。】
男と女が一緒に並んで座っても、煩悩が起きないのです。

【淤泥〔おでい〕の中より出づれども塵泥〔じんでい〕に染まざること、】
汚泥の中より出ても、泥や塵〔ちり〕に染まらないのは、

【譬へば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し。】
譬へば、蓮華が泥より出ても泥に染まらないようなものなのです。

【人・天・竜・畜共に白き蓮を各手に捧げて、日に向かって】
人、天、竜、畜生、各々がともに白蓮華を手に持って太陽に向かって、

【「今此〔こんし〕三界〔さんがい〕、皆是〔かいぜ〕我有〔がう〕、】
法華経譬喩品の「今此〔こ〕の三界〔さんがい〕は、皆是れ我が有〔う〕なり、

【其中〔ごちゅう〕衆生〔しゅじょう〕、悉是〔しつぜ〕吾子〔ごし〕、】
其〔そ〕の中の衆生は、悉〔ことごと〕く是れ吾〔わ〕が子なり、

【唯我〔ゆいが〕一人〔いちにん〕、能為〔のうい〕救護〔くご〕」と】
唯〔ただ〕我〔われ〕一人〔いちにん〕のみ能〔よ〕く救護〔くご〕せん。」と

【唱へ奉ると見て驚けば、則ち聖人出生したまへり。】
唱へるのを見て、驚いていると日蓮大聖人が出生したのです。

【「毎自作是念、】
そして法華経如来寿量品の自我偈の「毎〔つね〕に自ら是の念を作〔な〕さく、

【以何令衆生、得入無上道、】
何を以〔もっ〕てか衆生をして、無上道に入〔い〕り

【速成就仏身」と】
速〔すみや〕かに仏身を成就〔じょうじゅ〕することを得〔え〕せしめんと」と

【苦我〔くが〕渧〔な〕き玉ふ。】
苦しまれて泣き声をあげられたのです。

【我と少し未寝〔まどろみ〕し様なりし時、梵帝等(諸天頌の口決)の諸天】
さらに、少しばかり、まどろんでいると、梵帝など(諸天頌の口決)の諸天が

【一同音に唱へて言はく、】
一同に音を合わせて、このように言いました。

【善哉〔ぜんざい〕善哉善日童子、末法教主勝釈迦仏と三度唱へて】
素晴らしい、素晴らしい、善日童子、末法教主、勝、釈迦仏と三度、唱へて、

【作礼〔さらい〕而去〔にこ〕し給ふと寤〔うつつ〕に見聞きしなりと、】
普賢菩薩勧発品の「礼を作〔な〕して去りにき」されて、現実に戻られたと、

【慥〔たし〕かに語り給ひしを聞〔き〕こし食〔め〕し、】
たしかに語られたのを聞いたのです。

【さては某は日蓮なりと言〔のたま〕ひしなり。】
それで、私は、日蓮であると名乗られたと云うのです。

【聖人重ねて曰〔のたま〕ふ様は、】
日蓮大聖人が重ねて言われるのには、

【日蓮が弟子檀那等悲母の物語と思ふべからず、】
日蓮が弟子檀那は、これを御母上の物語と思っては、なりません。

【即ち金言なり。】
これは、仏の言葉と同じように、虚妄ではなく真実であり、

【其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり。】
その故は、日蓮大聖人の修行は、兼ねて、母の霊夢によるのです。

【日蓮は富士山自然〔じねん〕の名号なり。富士は郡名なり、】
日蓮と云う名前は、富士山の自然〔じねん〕の名号なのです。富士は、郡名であり、

【実名をば大日蓮華山と云ふなり、】
本当の名前を大日蓮華山〔だいにちれんげさん〕と言うのです。

【我〔われ〕中道を修行する故に此くの如し。】
日蓮大聖人は、中道を修行する故にこの名前であるのです。

【国をば日本と云ひ、神をば日の神と申し、仏の童名をば日種太子と申し、】
国を日本と云い、神を日の神と云い、仏の童名を日種〔にっしゅ〕太子と云い、

【予が童名をば善日、仮名は是生〔ぜしょう〕、実名は即ち日蓮なり。】
日蓮大聖人の童名を善日、仮名は、是生〔ぜしょう〕、実名は、即ち日蓮なのです。

【久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神の、我が国に天下り始めし国は出雲なり。】
久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神が、我が国に降臨した国は、出雲なのです。

【出雲に日御崎〔ひのみさき〕と云ふ所あり。】
それ故に出雲に日御崎〔ひのみさき〕と言う所があります。

【天照太神始めて天下り給ふ故に日御崎と申すなり。】
天照太神が始めて降臨したので、日御崎〔ひのみさき〕と言うのです。

【我が釈尊法華経を説き顕はしたまひしより已来〔このかた〕】
我が釈尊は、法華経を説き顕わして以来、

【十羅刹女と号したてまつる。】
十羅刹女〔らせつにょ〕と号したてまつるのです。

【十羅刹と天照太神(生仏法界一如の口伝)と釈尊と日蓮とは一体異名にして、】
十羅刹と天照太神(生仏法界一如の口伝)と釈尊と日蓮とは、一体異名にして、

【本地垂迹の利益広大なり。】
本地、垂迹の利益は、広大なのです。

【日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり。】
日神と月神とを合わせて文字を訓ずれば、10になります。

【十羅刹女と申すは、諸神を一体に束ね合はせたる深義なり。】
十羅刹女と申すは、諸神を一体に束ね合わせた深い意義があるのです。

【日蓮の日は則ち日の神、昼なり。蓮は即ち月の神、夜なり。】
日蓮の日は、すなわち、日の神、昼であり、蓮は、すなわち、月の神、夜なのです。

【月は水を縁とす、蓮は水より生ずる故なり。】
月は、水を縁とし、蓮は、水より生ずる故なのです。

【又是生とは日の下の人を生むと書きたり。】
また、是生とは、日の下の人を生むと書くのです。

【日蓮天上天下(本門下種の口伝)】
日蓮大聖人は、天上天下(本門下種の口伝)の

【一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。】
一切衆生の主君であり、父母であり、師匠なのです。

【今久遠下種の寿量品に云はく】
今、久遠下種の寿量品には、法華経譬喩品の

【「今此三界皆是我有(主君の義なり)】
「今此〔こ〕の三界〔さんがい〕は、皆是れ我が有〔う〕なり、(主君の義なり)

【其中衆生悉是吾子(父母の義なり)】
其〔そ〕の中の衆生は、悉〔ことごと〕く是れ吾〔わ〕が子なり、(父母の義なり)

【而今此処多諸患難(国土草木)】
而〔しか〕も今此の処は、諸々の患難〔げんなん〕多し、(国土草木)

【能為救護(師匠の義なり)」と云へり。】
唯〔ただ〕我〔われ〕一人のみ能〔よ〕く救護〔くご〕せん。(師匠の義なり)」

【三世常恒〔じょうごう〕の日蓮は今此三界(仏と聖人同体の口伝)の主なり。】
三世常恒〔じょうごう〕の日蓮は、今此三界(仏と聖人同体の口伝)の主なのです。

【「日蓮大恩、】
法華経、信解品の世尊大恩を日蓮大恩と変えられて「日蓮は、大恩まします、

【以希有事〔いけうじ〕、憐愍教化、】
希有〔けう〕の事〔じ〕を以〔もっ〕て、憐愍〔れんみん〕教化〔きょうけ〕して

【利益我等、無量億劫、】
我等を利益〔りやく〕し給〔たも〕う。無量億劫〔おくこう〕にも

【誰能〔すいのう〕報者〔ほうしゃ〕」なるべし。】
誰〔たれ〕か能〔よ〕く報〔ほう〕ずる者あらん」と説かれている通りなのです。

【若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、】
もし、日蓮の現在の弟子、ならびに未来の弟子などの中でも、

【日文字を名乗りの上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙ると知るべし。】
日の文字を名乗りの上の字に置かなければ、自然の法罰があると思ってください。

【予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし侭〔まま〕、】
日蓮大聖人の一期の功徳は、日の文字に留め置くと大聖人より御説法があり、

【日興謹みて之を記し奉りしなり。】
そのまま、日興が謹〔つつし〕んで、これを記しております。

【聖人言〔のたま〕はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、】
日蓮大聖人が言われた、この相承は、日蓮嫡々、一人〔いちにん〕の口決、

【唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給〔のたま〕ひて留め畢んぬ。】
唯授〔ゆいじゅ〕一人の秘伝であり、慎重にも慎重を期して書き留め置きました。


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