日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


日妙聖人御書 背景と大意


日妙聖人御書 別名「楽法梵志書」「日妙抄」(御書603頁)

本抄は、文永九年(西暦1272年)5月25日、大聖人様が五十一歳の時に佐渡の一谷〔いちのさわ〕において顕されたお手紙です。
御真蹟は断片のみが散在しています。
対告衆である日妙聖人は、鎌倉在住の女性信徒であり、乙御前〔おとごぜ〕の母であると考えられています。
当時、夫と離別しており、女手ひとつで幼い乙御前を養育していたことが本抄から察せられます。
大聖人様が佐渡に流されて鎌倉においても数々の法難により退転者が続出しましたが、日妙聖人は純粋に信仰を貫かれました。
そして大聖人様を慕う気持ちは押さえ難く、幼い乙御前を連れて険しい山を越えて荒海を渡り、はるばる大聖人様の元へお訪ねしたのです。
本抄において大聖人様は、その純粋で健気〔けなげ〕なる信心を称たえ、女性として異例の聖人の称号を与えられたのです。
また「乙御前御消息」には、「御勘気〔ごかんき〕をかほりて佐渡の島まで流されしかば、問ひ訪〔とぶら〕ふ人もなかりしに、女人の御身としてかたがた御志ありし上、我と来たり給ひし事うつゝ〔現〕ならざる不思議なり。其の上いま〔今〕のまう〔詣〕で又申すばかりなし」(御書896頁)とあり、佐渡だけではなく身延へも大聖人様をお訪ねしているのです。
日蓮大聖人は、佐渡塚原の問答において、佐渡の守護代、本間六郎左衛門に対し、自界叛逆の難が起こることを予言されましたが、それから一か月後、これが現実のものとなって北条家一門による同士討ちである二月騒動と呼ばれる北条時輔〔ときすけ〕の乱が起こりました。
大聖人様の予言を聞いていた本間六郎左衛門をはじめ北条一門の者たちは、これを聞いて大いに驚き「永く念仏申し候まじ」(御書1066頁)と言い始めたのです。
また、佐渡の島民の中には、大聖人様の予言が的中したことにより、「此の御房は神通〔じんずう〕の人にてましますか、あらおそろしおそろし。今は念仏者をもやしな〔養〕ひ、持斉をも供養すまじ」(前1066頁)と噂し合ったのです。
そのような騒然とする中で日妙聖人はひたすら純粋に信心に励んだのです。
このような日妙聖人に対し、その信心を称え与えられたのが本抄なのです。


日妙聖人御書 本文


【日妙聖人御書 文永九年五月二五日 五一歳】
日妙聖人御書 文永9年(西暦1272年)5月25日 五一歳御作】


【過去に楽法梵志〔ぎょうぼうぼんじ〕と申す者ありき。】
過去に楽法梵志という人がおりました。

【十二年の間、多くの国をめぐりて如来の教法を求む。】
十二年の間、多くの国を巡って仏教を求め続けました。

【時に総〔すべ〕て仏法僧の三宝一つもなし。】
しかし、その時代には、仏法の僧侶は、誰一人いませんでした。

【此の梵志の意〔こころ〕は渇〔かっ〕して水をもとめ、】
この楽法梵志の思いは、砂漠で水を求める者のように、

【飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね給ひき。】
また飢えた者が食べ物を求めるようにして、仏教を求め続けたのです。

【時に婆羅門〔ばらもん〕あり。】
その時に外道の指導者が一人おりました。

【求めて云はく、我聖教〔しょうぎょう〕を一偈〔いちげ〕持てり。】
そして「私は、仏の教えを少しだけ知っている。

【若し実に仏法を願はば当にあたふべし。】
もし、ほんとうに仏教を知りたいならば教えてあげても良い。」と言いました。

【梵志答へて云はく、しかなり。】
楽法梵志は、すぐに「もちろん、御願いします。」と答えました。

【婆羅門の云はく、実に志あらば皮をはいで紙とし、骨をくだいて筆とし、】
外道の指導者は、そうであるらば、皮を剥いで紙にして、骨を砕いて筆とし、

【髄〔ずい〕をくだいて墨とし、】
骨髄を砕いて墨とし、

【血をいだして水として書かんと云はば仏の偈を説かん。】
血を出して水にして、私の教えを書くかと尋ねました。

【時に此の梵志悦びをなして彼が申すごとくして、】
それに対して楽法梵志は、喜んでその指導者の言う通りに、

【皮をはいでほして紙とし、】
皮を剥いで干して紙とし、

【乃至一言をもたがへず。】
血を水とし骨髄を墨とし、骨を筆として、それを書こうとしたのです。

【時に婆羅門忽然〔こつねん〕として失〔う〕せぬ。】
その時にその外道の指導者は、ぱっと消えてしまいました。

【此の梵志天にあふぎ、】
楽法梵志は、その、あまりの出来事に、天を仰いで嘆き、

【地にふす。】
地に伏して悲しんだのです。

【仏陀此を感じて下方より湧出〔わきいで〕て説いて云はく】
そのとき仏は、その楽法梵志の心に感じて、地より湧き出でて仏教を説いたのです。

【「如法〔にょほう〕は応に修行すべし。】
仏は、「如法は応に修行すべし。

【非法は行ずべからず、今世若しは後世、法を行ずる者は安穏なり」等云云。】
非法は行ずべからず、今世若しは後世、法を行ずる者は安穏なり」と説かれました。

【此の梵志須臾〔しゅゆ〕に仏になる。】
その教えを聞いて楽法梵志は、即座に仏に成る事が出来たのです。

【此れは二十字なり。昔、釈迦菩薩転輪王〔てんりんおう〕たりし時】
これは、二十文字です。その昔、釈迦菩薩が優れた王であった時の事です。

【「夫〔それ〕生まれて輙〔すなわ〕ち死す、此の滅を楽と為す」の】
仏の「夫生まれて輙ち死す、此の滅を楽と為す」の

【八字を尊び給ふ故に、】
八文字を尊び

【身をかへて千燈〔せんとう〕にとも〔灯〕して此の八字を供養し給ひ、】
身体を変えて千の燈火を灯してこの八文字を供養し、

【人をすすめて石壁〔せきへき〕要路〔ようろ〕にかきつけて、】
それを要所に書き付けて

【見る人をして菩提心をおこさしむ。】
観た人に仏教への信仰を起こさせました。

【此の光明□利天〔とうりてん〕に至る。】
この明るい光は、□利天〔とうりてん〕にまで届いたのです。

【天の帝釈並びに諸天の灯〔ともしび〕となり給ひき。】
そして天界にいる帝釈天や諸天善神の灯となったのです。

【昔、釈迦菩薩仏法を求め給ひき。】
その昔に釈迦菩薩が仏法を求めていた時の事です。

【癩人〔らいにん〕あり。】
そこに一人のらい病の者がおりました。

【此の人にむかって我れ正法を持てり。】
そして釈迦菩薩に向かって「私は、正法を知っています。

【其の字二十なり。】
その文字数は、二十文字です。」と言いました。

【我が癩病をさすり、いだき、ねぶり、】
さらに「私のらい病に犯された場所を、擦り、抱き、舐り、

【日に両三斤〔きん〕の肉をあたへば説くべしと云ふ。】
一日に三斤の肉を渡してくれるならばそれを教えてあげましょう。」と告げました。

【彼が申すごとくして、】
それを釈迦菩薩は、言われる通りにして、

【二十字を得て仏になり給ふ。】
この二十の文字を知って仏になったのです。

【所謂〔いわゆる〕「如来は涅槃を証し永く生死を断じたまふ。】
それは「如来は涅槃を証し、永く生死を断じたまふ。

【若し至心〔ししん〕に聴くこと有らば】
若し至心〔ししん〕に聴くこと有らば、

【当に無量の楽を得べし」等云云。】
当に無量の楽を得べし」という二十文字でした。

【昔、雪山童子〔せっせんどうじ〕と申す人ありき。】
昔、雪山童子という人がおりました。

【雪山と申す山にして、外道の法を通達〔つうたつ〕せしかども、】
雪山という山にいて外道の教えには、詳しかったけれども、

【いまだ仏法をきかず。時に大鬼神ありき。】
未だ仏教を聞いた事は、ありませんでした。その時に大鬼神がやって来ました。

【説いて云はく「諸行無常〔しょぎょうむじょう〕】
そして「諸行無常

【是生滅法〔ぜしょうめっぽう〕」等云云。】
是生滅法」と説いたのでした。

【只八字計りを説いて後をとかず。】
それは、ただ八文字だけで、その後の八文字は、説きませんでした。

【時に雪山童子此の八字をえ〔得〕て悦びきわまりなけれども、】
その時に雪山童子は、この八文字を得て大変喜んだのですが、

【半〔なか〕ばなる如意珠〔にょいじゅ〕をえたるがごとく、】
後ろがないので、研磨途中の宝石を得たような、

【花さきて菓〔このみ〕ならざるににたり。】
美しい花は、咲いているのに木の実がならないようなものでした。

【残りの八字をきかんと申す時、大鬼神の云はく、】
そこで後ろの八文字を教えて欲しいと頼むと、

【我数日が間飢饉〔ききん〕して正念〔しょうねん〕乱る。】
大鬼神は「我は、数日の間、何も食べていない。それで何も考る事が出来ないので

【ゆへに後の八字をときがたし。】
後ろの八文字は、説く事が出来ない。」と言うのです。

【食をあたへよと云云。】
そして「食べ物をくれ」と言うのです。

【童子問うて云がく、なにをか食とする。】
それに雪山童子が「何を食べるのか」と尋ねると

【鬼神答へて云はく、我は人のあたたかなる血肉なり。】
鬼神は「人の暖かなる血肉である。」と答えました。

【我飛行〔ひぎょう〕自在にして、】
そして「我は、空を自由に飛ぶ事ができ、

【須臾の間に四天下を回ってたづぬれども、】
多くの国で食べ物を探しまわったけれども、

【あたたかなる血肉得がたし。人をば天まぼ〔守〕り給ふゆへに】
その暖かなる血肉は、どこにもなかった。人を神が守っているので

【失〔とが〕なければ殺害する事かたし。】
罪がない者を殺して食べる事は、出来ないのだ、」と言うのです。

【童子の云はく、我が身を布施として】
雪山童子は「それでは、私の身を差し上げるので

【彼の八字を習ひ伝えへと云云。】
残りの八文字を教えて欲しい。」と頼みました。

【鬼神云はく、智慧甚〔はなは〕だ賢し。】
鬼神は、笑って「おまえは、ずる賢い奴だ。

【我をやすかさんずらん。】
そう言って我を騙そうとしているだろう。」と言いました。

【童子答へて云はく、瓦礫〔がりょう〕に】
その言葉に雪山童子は「瓦礫〔がれき〕を

【金銀をかへんに是をかえざるべしや。】
金銀に変えると言うのに、これを変えない者がいるでしょうか。

【我徒〔いたずら〕に此の山にして死しなば、】
私がこの山で死ねば、

【鴟梟虎狼〔しきょうころう〕に食らはれて、一分の功徳なかるべし。】
ただ鳥や虎、狼に食らわれてしまえば何の意味もないではないですか。

【後の八字にかえなば】
この後ろの八文字に変える事が出来るならば、

【糞〔ふん〕を飯〔はん〕にかふるがごとし。】
まるで糞を飯に変えるようなものです。」と答えたのでした。

【鬼の云はく、我いまだ信ぜず。】
それでも鬼神は、「いやいや、まだ信じられない。」と応じません。

【童子の云はく、証人あり。】
雪山童子は、「証人がいます。」と言って

【過去の仏もたて給ひし大梵天王・釈提桓因〔しゃくだいかんにん〕・】
「過去の仏も大梵天王も釈提桓因(帝釈天の音写)も、

【日・月・四天も証人にたち給ふべし。】
そして日天、月天、四天も証人になられるでしょう」と真剣に御願いしたのです。

【此の鬼神後の偈をとかんと申す。】
それを聞いて、初めて鬼神も納得し「後ろの八文字を教えよう」と言いました。

【童子身にきたる鹿の皮をぬいで座にしき、】
雪山童子は、着ていた鹿の皮を敷いて、

【踞跪〔こき〕合掌して此の座につき給へと請〔しょう〕ず。】
ひざまずいて手を合わせ、鬼神をそこへ招きました。

【大鬼神此の座について説ひて云はく、】
大鬼神は、そこへ座って

【「生滅滅已〔しょうめつめっち〕寂滅為楽〔じゃくめついらく〕」等云云。】
「生滅滅已、寂滅為楽」と後ろの八文字を説いたのでした。

【此の偈を習ひ学して、若しは木若しは石等に書き付けて、】
雪山童子は、この言葉を聞いて、木に彫り、石に刻んでから、

【身を大鬼神の口になげいれ給ふ。】
身を大鬼神の口に投げ入れました。

【彼の童子は今の釈尊、彼の鬼神は今の帝釈なり。】
この雪山童子が今の釈尊であり、この鬼神と言うのは、今の帝釈なのです。

【薬王菩薩〔やくおうぼさつ〕は法華経の御前に臂〔ひじ〕を】
薬王菩薩は、法華経の前で臂を焼いて

【七万二千歳が間ともし給ひ、】
七万二千年もの間、灯し続け、

【不軽菩薩〔ふぎょうぼさつ〕は多年が間二十四字のゆえに無量無辺の四衆に】
不軽菩薩は、長い間、二十四文字の為に数限りない人々に、

【罵詈毀辱〔めりにんにく〕・杖木瓦礫〔じょうもくがりゃく〕・】
罵倒〔ばとう〕され、石や瓦を投げられ、

【而打擲之〔にちょうちゃくし〕せられ給ひき。】
杖や木で叩かれたのです。

【所謂〔いわゆる〕二十四字と申すは】
その二十四文字とは、

【「我深く汝等を敬ふ敢〔あえ〕て軽慢〔きょうまん〕せず】
「我深く汝等を敬ふ、敢て軽慢せず、

【所以〔ゆえん〕は何〔い〕かん汝等皆菩薩の道を行じて】
所以は何かん、汝等、皆菩薩の道を行じて、

【当に作仏〔さぶつ〕することを得べし」等云云。】
当に作仏することを得べし」という文字でした。

【かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。】
この不軽菩薩は、今の教主釈尊なのです。

【昔の須頭檀王〔すずだんのう〕は妙法蓮華経の五字の為に千歳が間】
昔の須頭檀王は、妙法蓮華経の五文字の為に千年間、

【阿私仙人〔あしせんにん〕にせめつかはれ、】
阿私仙人に奴隷のようにこき使われ、

【身を床となさせ給ひて今の釈尊となり給ふ。】
身を床にするようにして耐えて、今の釈尊となったのです。

【然るに妙法蓮華経は八巻なり。八巻を読めば十六巻を読むなるべし、】
しかるに妙法蓮華経は八巻です。八巻を読めば、十六巻を読んだことになります。

【釈迦多宝の二仏の経なる故へ。】
なぜならば、釈迦と多宝の二仏の経であるからです。

【十六巻は無量無辺の巻軸〔かんじく〕なり、】
また十六巻は、無量無辺の巻物となります。

【十方の諸仏の証明〔しょうめい〕ある故に。】
それは、十方の諸仏が証明されているからなのです。

【一字は二字なり、釈迦多宝の二仏の字なる故へ。】
一文字は、二文字です。なぜなら釈迦と多宝の二仏の文字であるからです。

【一字は無量の字なり、十方の諸仏の証明の御経なる故に。】
一文字は、無量の文字なのです。十方の諸仏が証明された経典だからです。

【譬へば如意宝珠〔にょいほうじゅ〕の玉は一珠なれども】
たとえて言うならば、如意宝珠は、ひとつだけれど、

【二珠乃至無量珠の財〔たから〕をふらすことこれをなじ。】
願えば二つにもなり、無数の財宝を降らす事も可能だからなのです。

【法華経の文字は一字は一の宝、無量の字は無量の宝珠なり。】
法華経の文字は、一文字はひとつの宝、無数の文字は、無数の宝珠なのです。

【妙の一字には二つの舌まします、釈迦多宝の御舌なり。】
妙の一文字には、二つの声があります、釈迦と多宝の声です。

【此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり。】
この二人の声は、八葉の蓮華から出来ています。

【此の重なる蓮華の上に宝珠あり、妙の一字なり。】
この重なる蓮華の上に宝珠があって、それが妙の一文字なのです。

【此の妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜〔だんはらみつ〕と申して、】
この妙の珠は、その昔、釈迦如来が檀波羅蜜と言って、

【身をうえたる虎にか〔飼〕ひし功徳、鳩にか〔買〕ひし功徳、】
自分の身体を飢えた虎に与えた功徳、鳩を救う為に自分の身体を鷹に与えた功徳、

【尸羅波羅蜜〔しらはらみつ〕と申して】
尸羅波羅蜜と言って

【須陀摩王〔しゅだまおう〕としてそらごと〔虚言〕せざりし功徳等、】
須陀摩王が嘘をつかずに元の囚われの身になった功徳、

【忍辱仙人〔にんにくせんにん〕して歌梨王〔かりおう〕に身をまかせし功徳、】
また忍辱仙人として歌梨王に身をまかせた功徳、

【能施太子〔のうせたいし〕・尚闍梨仙人〔じょうじゃりせんにん〕等の】
能施太子、尚闍梨仙人として

【六度の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、】
六度の万行の修行を実行した功徳を、すべてこの妙の一文字に収めているのです。

【末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども】
末法と言う悪世の中の私達衆生に、正しい事も少しもしていないのに

【六度万行を満足する功徳をあたへ給ふ。】
六度の万行の修行をしただけの功徳を与えられたのです。

【「今此三界〔こんしさんがい〕、皆是我有〔かいぜがう〕、】
法華経譬喩品にある「今この三界は、皆これ我が所有である。

【其中衆生〔ごちゅうしゅじょう〕、悉是吾子〔しつぜごし〕」これなり。】
その中の衆生は、ことごとく、これわが子である」と言うのは、この事なのです。

【我等具縛〔ぐはく〕の凡夫忽〔たちま〕ちに教主釈尊と功徳ひとし。】
煩悩に縛られた私達が、たちどころに教主釈尊と功徳が等しくなるのです。

【彼の功徳を】
それは、この妙の文字によって教主釈尊の功徳を

【全体うけとる故なり。】
すべて受け取る事が出来るからなのです。

【経に云はく「如我等無異〔にょがとうむい〕」等云云。】
法華経方便品にある「我が如く等しくして異なること無し」とは、この事なのです。

【法華経を心得る者は釈尊と斉等〔さいとう〕なりと申す文なり。】
法華経を信じ行ずる者は、釈尊と同じであるという文なのです。

【譬えば父母和合して子をうむ。】
例えば父と母によって子供が出来るように

【子の身は全体父母の身なり。】
その生まれた子供の身体は、すべてその父母から出来ているのです

【誰か是を諍〔あらそ〕ふべき。】
それを誰が疑うでしょうか。

【牛王〔ごおう〕の子は牛王なり。いまだ師子王とならず。】
牛の子供は、牛であり、ライオンとして生まれる事はありません。

【師子王の子は師子王となる。】
ライオンの子供は、ライオンの子供なのです。

【いまだ人王天王等とならず。】
人や神の子供として生まれるわけはありません。

【今法華経の行者は「其中衆生、悉是吾子」と申して教主釈尊の御子なり。】
今、法華経の行者は「其中衆生悉是吾子」と言ってすべて教主釈尊の子供なのです。

【教主釈尊のごとく法王とならん事難〔かた〕かるべからず。】
教主釈尊のような法王になる事は、間違いのない事なのです。

【但し不孝の者は父母の跡をつがず。】
ただし、親不孝では、その父母の後を継ぐことは出来ません。

【尭王〔ぎょうおう〕には丹朱〔たんしゅ〕と云ふ太子あり。】
尭王には、丹朱という跡取りがおりました。

【舜王〔しゅんおう〕には商均〔しょうきん〕と申す王子あり。】
舜王には、商均という王子がおりました。

【二人共に不孝の者なれば、】
しかし、二人とも不孝であった為に

【父の王にすてられて現身に民となる。】
父である王から捨てられて普通の民となったのです。

【重華〔ちょうか〕と禹〔う〕とは共に民の子なり。】
それとは違い重華と禹は、共に普通の民の子ですが、

【孝養〔こうよう〕の心ふかかりしかば、尭舜の二王召して位をゆづり給ひき。】
孝行の心が深く、尭舜の二王に仕えて最後には、王位を譲り受けました。

【民の身忽ち玉体〔ぎょくたい〕にならせ給ひき。民の現身に王となると】
普通の民の身分であるのに王となったのです。普通の民の身分が王となるのと、

【凡夫の忽ちに仏となると同じ事なるべし。】
普通の悩み多き私達がたちまちにして仏になるというのは同じことなのです。

【一念三千の肝心〔かんじん〕と申すはこれなり。】
一念三千の法門の大事なところとは、この事なのです。

【而〔しか〕るをいかに〔如何〕としてか此の功徳をばう〔得〕べきぞ。】
それでは、どうすればこの功徳を得る事が出来るのでしょうか。

【楽法梵志〔ぎょうぼうぼんじ〕・雪山童子〔せっせんどうじ〕等のごとく】
楽法梵志や雪山童子のように皮を

【皮をはぐべきか、身をなぐべきか、臂〔ひじ〕をやくべきか等云云。】
剥ぐべきでしょうか、身を投げるべきでしょうか、臂を焼くべきでしょうか。

【章安大師云はく「取捨〔しゅしゃ〕宜〔よろ〕しきを得て】
章安大師は、どのような修行をすべきかは、

【一向にすべからず」等これなり。】
時によると言われて「これを簡単に決めつけてはならない」と言われています。

【正法を修して仏になる行は時によるべし。】
正法を修めて仏になる修行は、時によらなければならないのです。

【日本国に紙なくば皮をはぐべし。】
もし日本に紙がないのであれば皮を剥ぐべきでしょう。

【日本国に法華経なくて、知れる鬼神一人出来〔しゅったい〕せば身をなぐべし。】
日本に法華経がないのであれば、それを知っている鬼神に身体を与えるべきです。

【日本国に油なくば臂をもとも〔灯〕すべし。】
日本に油がなければ、身体を燃やして明かりにすべきです。

【あつき紙国に充満せり。】
厚い紙は、国にたくさんあるではありませんか。

【皮をはいでなにかせん。然〔しか〕るに玄奘〔げんしょう〕は】
いまさら皮を剥いでどうするのですか。しかるに玄奘は、

【西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。】
西方に仏法を求めて十七年間、十万里を歩きました。

【伝教御入唐但二年なり、波涛〔はとう〕三千里をへだてたり。】
伝教は、中国にわずか二年間の留学の為に三千里の海を渡ったのです。

【此等は男子なり、上古なり、賢人なり、聖人なり。】
これらの人々は、みな男性であり、しかも彼らは、歴史上の偉人であります。

【いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を。】
未だに女性が仏法を求めて千里の道を歩いたと言う話しを聞いた事がありません。

【竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼〔まかはじゃはだいびくに〕の】
竜女の即身成仏も、釈迦の叔母であり養母である摩訶波闍波提比丘尼の

【記□〔きべつ〕にあづかりしも、しらず権化〔ごんげ〕にやありけん。】
成仏の約束も、すべて経文の中の話ではありませんか。

【又在世の事なり。】
また、それらは、釈迦牟尼仏が生きている時のことです。

【男子女人其の性本〔もと〕より別れたり。】
男性と女性は、もともと生まれた時から違うのです。

【火はあたたかに水はつめたし。】
火があたたかく水がつめたいようなものなのです。

【海人〔あま〕は魚をとるにたくみなり。】
女性である海女は、魚を取る事に長けていて、

【山人〔かりうど〕は鹿をとるにかしこし。】
男性である狩人は、鹿を取る事に長けているのです。

【女人は淫事〔いんじ〕にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。】
女性は、子供を産む事に優れていると経文には書かれています。

【いまだきかず、仏法にかしこしとは。】
未だ仏法を学ぶ事が優れているとは、聞いたことがありません。

【女人の心を清風に譬えたり。】
それでなくても女性の心は、風に譬えられています。

【風はつなぐともとりがたきは女人の心なり。】
風と風を結ぶ事が出来たとしても女性の心は理解出来ない。

【女人の心をば水にゑがくに譬えたり。】
女性の心は、水に文字を書くことに譬えられています。

【水面には文字とどまらざるゆへなり。】
水面に文字が止まらぬからです。

【女人をば誑人〔おうにん〕にたとへたり。】
女性を嘘つきに譬えられています。

【或時〔あるとき〕は実なり或時は虚〔きょ〕なり。】
ある時は、ほんとうのことを言い、ある時は、嘘を言うのです。

【女人をば河に譬へたり。一切まがられるゆへなり。】
女性を川に譬えています。すべてが曲がりくねっているからなのです。

【而るに法華経は正直捨方便〔しょうじきしゃほうべん〕等・】
それでなくても法華経は正直捨方便、

【皆是真実〔かいぜしんじつ〕等・質直意柔軟〔しちじきいにゅうなん〕等・】
皆是真実、質直意柔軟、

【柔和質直者〔にゅうわしちじきしゃ〕等と申して、】
柔和質直者と言って、

【正直なる事弓の絃〔つる〕のはれるがごとく、】
弓の弦がまっすぐなように、

【墨のなはをうつがごとくなる者の】
墨を縄で撃つとそれがまっすぐであるように、正直である者が

【信じまいらする御経なり。】
信じる事が出来る経文なのです。

【糞を栴檀〔せんだん〕と申すとも栴檀の香なし。】
糞の臭いを香水の匂いだと強弁しても香水にはならないでしょう。

【妄語〔もうご〕の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず。】
嘘つきを正直だと言っても正直にはならない。

【一切経は皆仏の金口の説不妄語の御言〔ことば〕なり。】
すべての経は、すべて仏の説であってけっして嘘ではないのです。

【然れども法華経に対しまいらすれば妄語のごとし。】
しかし、法華経に対すると、すべて嘘のようなものなのです。

【綺語〔きご〕のごとし。悪口〔あっく〕のごとし。】
また、詐欺師の言葉のようなものなのです。また、悪口のようなものです。

【両舌〔りょうぜつ〕のごとし。】
また、矛盾した言葉のようなものなのです。

【此の御経こそ実語の中の実語にて候へ。】
法華経こそ、真実の言葉であり、絶対に間違いのない言葉なのです。

【実語の御経をば正直の者心得候なり。】
その真実の経典を正直な心の者だけが信じる事が出来るのです。

【今実語の女人にておはすか。】
今、その真実の言葉を信じる女性が何処にいるでしょうか。

【当〔まさ〕に知るべし、】
ほんとうに信じられない事です。

【須弥山〔しゅみせん〕をいただきて大海をわたる人をば見るとも、】
そびえ立つ連峰を持って大海を渡る人を見る事はあっても、

【此の女人をば見るべからず。】
このような女性を見る事はありません。

【砂をむして飯となす人をば見るとも、】
砂を蒸してそれが飯になったのを見る事はあっても、

【此の女人をば見るべからず。当に知るべし、】
このような女性を見る事はありません。ほんとうに信じられない事です。

【釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行無辺行等の大菩薩・】
釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行無辺行等の大菩薩、

【大梵天王・帝釈・四王等・】
大梵天王、帝釈、四天王などが、

【此の女人をば影の身にそうがごとくまぼり給ふらん。】
この女性を影が身に添うように守っているのでしょうか。

【日本第一の法華経の行者の女人なり。】
まさしく日本第一の法華経の行者である女性です。

【故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん。】
それで不軽菩薩の義になぞらえて名前をひとつつけて差し上げましょう。

【日妙聖人等云云。相州鎌倉より北国佐渡の国、其の中間一千余里に及べり。】
その名前と言うのは、日妙聖人です。鎌倉より佐渡までその間、一千里に及びます。

【山海はるかにへだて、山は峨峨〔がが〕】
山海は、遥かに隔てて、山はそびえ立ち、

【海は涛涛〔とうとう〕、風雨時にしたがふ事なし。山賊海賊充満せり。】
海は、荒くれ、風雨は、季節外れです。また山賊や海賊があふれている、

【すくすく〔宿宿〕とまりとまり〔泊々〕民の心】
宿泊する場所、場所で、周りの者の心といえば、

【虎のごとし犬のごとし。】
まるで虎や犬のようであったでしょう。

【現身に三悪道の苦をふ〔経〕るか。】
我が身にとんでもない災難が降りかかるのではないか。

【其の上当世の世乱、去年より謀叛〔むほん〕の者国に充満し、】
その上、現実は、乱世であり、昨年より謀反の者が国中に充満し、

【今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ、】
今年の二月十一日には合戦が起こり、今は、5月の末で、

【いまだ世間安穏ならず。而〔しか〕れども一〔ひとり〕の幼子あり。】
いまだ世情は安穏ではない中であります。しかも幼子を連れているのです。

【あづくべき父もたのもしからず。離別すでに久し。】
預ける父親もいない。離別してすでに久しいからです。

【かたがた筆も及ばず、心弁〔わきま〕へがたければ】
これらの事々は、とても筆にして書き顕す事など出来ませんが、

【とどめ了んぬ。】
それでもやむにやまれずこうやってここに書いております。

【文永九年(太歳壬申)五月二十五日 日蓮花押】
文永9年5月25日 日蓮花押

【日妙聖人】
日妙聖人へ


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