日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


法華題目抄 背景と大意


法華題目抄(御書353頁)
別名「法華経題目抄」

本抄は、文永3年(西暦1266年)1月6日の 四十五歳の御述作です。
文永3年は、鎌倉で弘教されている時期なので鎌倉で書かれたと考えられるのですが、この頃は、安房(千葉県)に帰られることもあり、安房で書かれたとも伝えられています。
対告衆は明らかではありません。
しかし、元は念仏の強信者であった女性であることが内容から伺〔うかが〕えます。
御真蹟については、断片的に散在している状況ですが、第三祖日目上人によって総てが筆写されており、貴重な写本として大石寺に現存しています。
なお、冒頭に根本大師門人、日蓮撰と書かれているのは、この時は未だ発迹顕本以前の時期であるからなのです。
それを理解できない者は、これをもって日蓮大聖人を天台、伝教の弟子であるなどと言っていますが、まったくの邪見であると知るべきです。
主な内容は、二つで一つは、題目の功徳であり、二つ目は、寿量文底の妙法蓮華経の法体に具わる徳を示されています。
はじめに、法華経の意味や説かれている教義が判らなくても、一日乃至一生の間にただ一遍の題目を唱えることによって、不退の位に至ることができることを説き、題目を唱える功徳が広大であることを示されています。
次に十方法界の一切の法が妙法蓮華経に納まってることを御教示されています。
そして、その事によって爾前経では成仏できなかった二乗や悪人や女人も成仏が可能となり、真の意味で一切衆生の成仏が可能になったことを説かれています。
最後に、当時の日本のすべての女性が念仏に執着していると指摘され、念仏を捨てて題目を唱えていくよう勧められて本抄を終わられています。


法華題目抄 本文


法華題目抄(法華経題目抄)

第1章 信心口唱の功徳を挙げる

【法華題目抄 文永三年一月六日 四五歳】
法華題目抄 文永三年(西暦1266年)一月六日 四五歳

【根本大師門人 日蓮撰】
伝教大師の弟子 日蓮が著す

【南無妙法蓮華経】
南無妙法蓮華経

【問うて云はく、法華経の意をもしらず、義理をもあぢはゝずして、】
質問しますが、法華経の意味も知らずに、深い理論もわからずに、

【只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて、】
ただ南無妙法蓮華経とばかりに、五字、七字に限って、

【一日に一返〔ぺん〕、一月乃至〔ないし〕一年十年】
一日に一返、または一月に一返、または一年に一返、さらに十年に一返、

【只一返なんど唱へても】
一生の間にただ一返だけ、唱えても、

【軽重の悪に引かれずして四悪趣〔あくしゅ〕におもむかず、】
軽い悪の道や重い悪の道に陥〔おちい〕ることもなく、

【つひに不退の位にいたるべしや。】
地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣と成る事もなく最後には成仏するのでしょうか。

【答へて云はく、しかるべきなり。】
それに答えるとすると、それは当然、そうなります。

第2章 仏道に入る根本を示す

【問うて云はく、火々といへども手にとらざればやけず、】
しかしながら、火も手に触れなければ火傷〔やけど〕をすることもなく、

【水々といへども、口にのまざれば水のほしさもやまず。】
水も口で飲まなければ喉〔のど〕の渇〔かわ〕きも癒〔いや〕せず、

【只南無妙法蓮華経と題目計〔ばか〕りを唱ふとも、義趣をさとらずば】
ただ、南無妙法蓮華経と題目ばかりを唱えても、その理論がわからないならば、

【悪趣をまぬかれん事、いかゞあるべかるらん。】
四悪趣を免〔まぬが〕れるとも思えないのですがいかがでしょうか。

【答へて云はく、師子の筋を琴の絃〔いと〕として、一度奏〔そう〕すれば】
それは、素晴らしい素材を琴の糸に使って演奏すれば、

【余の絃悉〔ことごと〕くきれ、】
他の琴の糸での演奏が聴くに堪〔た〕えなくなり、

【梅子〔うめのみ〕のす〔酢〕き声〔な〕をきけば】
梅ぼしの酸っぱいことを想像するだけで、

【口につ〔唾〕たまりうるを〔潤〕う。】
口に唾〔つばき〕が溜〔た〕まるようなものなのです。

【世間の不思議是くの如し。】
世間のことでもこんな不思議なことがあるでしょう。

【況んや法華経の不思議をや。】
そうであれば、法華経においても、そのような不思議なことがあるのです。

【小乗の四諦〔たい〕の名計りを】
阿難尊者が教えた「苦集滅道、苦集滅道」という小乗経の教えを、

【さやづ〔囀〕る鸚鵡〔おうむ〕なを天に生ず。】
毎日、繰り返したオウムでさえ天界に生まれるのです。

【三帰〔き〕計りを持つ人、】
五百人を乗せた船が身長四十万里、牙の長さが二万里の大魚に襲われたが、

【大魚の難をまぬかる。】
南無仏、南無法、南無僧と唱えたところ、去って行ってしまったのです。

【何に況んや法華経の題目は八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目なり。】
ましてや法華経の題目は、八万聖教の根本であり、一切諸仏の眼目なのです。

【汝等〔なんだち〕此をとなえて四悪趣をはな〔離〕るべからずと疑ふか。】
それでも、あなたたちは、この題目を唱えて四悪趣から離れられないと疑いますか。

【正直捨方便の法華経には「信を以て入ることを得〔う〕」と云ひ、】
正直捨方便の法華経は「信によって入ることが出来る」と言い、

【双林最後の涅槃経には「是の菩提の因は復無量なりと雖も、】
最後に説かれた涅槃経には「この成仏の原因は無量にあると言っても、

【若し信心を説けば、則ち已に摂尽〔しょうじん〕す」等云云。】
信心さえあれば、成仏は間違いないのである」と説かれているのです。

【夫〔それ〕仏道に入〔い〕る根本は信をもて本とす。】
このように仏道に入る根本は、信心をもって根本とするのです。

【五十二位の中には十信を本とす。】
菩薩の五十二の位の中でも十信を根本としているのです。

【十信の位には信心初めなり。】
十信の位とは、信心の初めのことなのです。

【たとひさと〔悟〕りなけれども、信心あらん者は】
たとえ、悟ることが出来なくても、信心がある者は、

【鈍根も正見〔しょうけん〕の者なり。】
どんなに頭が悪くてもすべてを正しく見ることが出来る者なのです。

【たと〔仮〕ひさとりあれども、】
仮に悟ることが出来たとしても、

【信心なき者は誹謗〔ひぼう〕闡提〔せんだい〕の者なり。】
信心がない者は、仏を誹謗する仏法の破壊者なのです。

【善星比丘〔ぜんしょうびく〕は二百五十戒を持ちて四禅定〔ぜんじょう〕を得、】
善星比丘は二百五十戒を持〔たも〕って、仏に成る為の四つの修行を完成し、

【十二部経を諳〔そら〕にせし者なり。】
仏が説いた十二に分類された経文を、すべて暗記した人なのです。

【提婆達多は六万八万の宝蔵ををぼへ、十八変を現ぜしかども、】
提婆達多は、六万、八万の経典を覚え、仏である十八の変化があったけれども、

【此等は有解無信〔うげむしん〕の者なり。】
これらは、みんな有解無信の信心がない者たちなのです。

【今に阿鼻大城にありと聞く。】
これらは、みんな、現在は、無間地獄にいるのです。

【又鈍根第一の須梨槃特〔すりはんどく〕は、智慧もなく】
また、仏の弟子の中で一番、頭が悪い須梨槃特は、もちろん智慧もなく

【悟りもなし。只一念の信ありて普明〔ふみょう〕如来と成り給ふ。】
悟りもないのですが、強い信心があったので普明如来と成ったのです。

【又迦葉・舎利弗等は無解有信〔むげうしん〕の者なり。】
また、迦葉、舎利弗などは、無解有信の者なのです。

【仏に授記を蒙りて華光〔けこう〕如来・光明〔こうみょう〕如来といはれき。】
そこで仏に未来に華光如来、光明如来と成ると予言されたのです。

【仏説きて云はく】
だから、仏は、

【「疑ひを生じて信ぜざらん者は、即ち当に悪道に堕〔だ〕すべし」等云云。】
「疑いをもって信しない者は、悪道に堕ちる」と説かれているのです。

【此等は有解無信の者を皆悪道に堕〔だ〕すべしと説き給ひしなり。】
これらは、有解無信の者は、みんな悪道に堕ちるという意味なのです。

第3章 重ねて唱題の妙用を顕わす

【而るに今の代の世間の学者の云はく、只信心計りにて解心〔げしん〕なく、】
而るに今の時代の世間の学者は、ただ信心ばかりでそれを理解する心がなく、

【南無妙法蓮華経と唱ふる計りにて、】
ただ、南無妙法蓮華経だけを唱えて、

【争〔いか〕でか悪趣をまぬかるべき等云云。】
どうして悪道に堕ちる事を免〔まぬが)れる事が出来るかと言っているのです。

【此の人々は経文の如くならば、阿鼻大城まぬかれ〔免〕がたし。】
この人々は、経文が正しければ、無間地獄に堕ちる事は免れ難いのです。

【さればさせる解〔げ〕はなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば、】
そうであれば、理解は及ばなくても、ただ南無妙法蓮華経と唱えるならば、

【悪道をまぬかるべし。】
悪道を免れる事が出来るのです。

【譬へば蓮華は日に随ひて回る、蓮〔はちす〕に心なし。】
例えば蓮華は、日光によって花が開きますが、蓮華に心があるでしょうか。

【芭蕉〔ばしょう〕は雷〔いかづち〕によりて増長す、是の草に耳なし。】
芭蕉は、雷鳴〔らいめい〕によって成長しますが、芭蕉に耳はないのです。

【我等は蓮華と芭蕉との如く、】
私たちも、蓮華や芭蕉のようなものであり、

【法華経の題目は日輪と雷との如し。】
法華経の題目は、太陽の光と雷鳴のようなものなのです。

【犀〔さい〕の生角〔いきつの〕を身に帯して水に入りぬれば、】
犀の生角を身体に着けて水に入れば、

【水五尺身に近づかず。栴檀〔せんだん〕の一葉開きぬれば、】
水が1.5mほども身に近づかず、非常に香りが強い栴檀が一葉だけでも開けば、

【四十由旬の伊蘭〔いらん〕変ず。】
四方に咲いている伊蘭の悪臭を消す事が出来るのです。

【我等が悪業は伊蘭と水との如く、】
私達の悪業は、伊蘭と水のようなものであり、

【法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し。】
法華経の題目は、犀の生角と栴檀の一葉にようなものなのです。

【金剛は堅固にして一切の物に破られざれども、羊の角と亀の甲に破らる。】
ダイヤは、非常に硬く、どんな物にも破れませんが、水によって削られるのです。

【尼倶類樹〔にくるじゅ〕は大鳥にも枝を〔折〕れざれども、】
大木は、大きな鳥であっても枝を折られる事はないのですが、

【か〔蚊〕のまつげ〔睫〕にす〔巣〕くうせうれう〔鷦鷯〕鳥にやぶらる。】
小さなシロアリによって倒されてしまうのです。

【我等が悪業は金剛のごとし、尼倶類樹のごとし。】
私たちの悪業は、ダイヤや大木のようなものであり、

【法華経の題目は羊角〔ようかく〕のごとくせうれう〔鷦鷯〕鳥の如し。】
法華経の題目は、水やシロアリのようなものなのです。

【琥珀〔こはく〕は塵をとり磁石は鉄をすう。】
琥珀は、塵〔ちり〕をとり、磁石は、鉄を引き寄せるのです。

【我等が悪業は塵と鉄との如く、】
私たちの悪業は、塵と鉄とのようなものであり、

【法華経の題目は琥珀と磁石との如し。】
法華経の題目は、琥珀と磁石のようなものなのです。

【かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふべし。】
このように思って常に南無妙法蓮華経と唱へていくべきです。

【法華経の第一の巻に云はく「無量無数劫〔むしゅこう〕にも】
法華経の第一巻には「無量無数劫という長い時間であっても、

【是の法を聞くこと亦難し」と。】
その間にこの法華経を聞くことは難しい」と説かれており、

【第五の巻に云はく「是の法華経は無量の国中に於て、】
第五巻には「この法華経は、無数の国の中で、

【乃至〔ないし〕名字をも聞くことを得べからず」等云云。】
その名前すら聞く事はない」とも説かれているのです。

【法華経の御名〔みな〕をきく事は、】
法華経の題目を聞く事は、

【をぼろげにもあ〔有〕りがた〔難〕き事なり。】
それが、ぼんやりとではあっても有り難い事なのです

【されば須仙多仏〔しゅせんだぶつ〕、多宝仏は世にいでさせ給ひたりしかども、】
そうであれば大品般若経の須仙多仏や法華経の多宝如来は、世に出たけれども、

【法華経の御名をだにもとき給わず。】
法華経の題目を説くことはなかったのです。

【釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給ひたりしかども、】
釈迦如来は、法華経の為に世に出てこられたけれども、

【四十二年が間は名を秘してかた〔語〕りいださゞりしかども、】
四十二年の間は、その名前を隠して言葉にしなかったのですが、

【仏の御年七十二と申せし時、】
釈迦牟尼仏が七十二歳の時に、

【はじめて妙法蓮華経ととな〔唱〕えいださせ給ひたりき。】
初めて妙法蓮華経と唱え始められたのです。

【しかりといえども摩訶尸那〔まかしな〕】
しかし、そうであっても中国、

【日本等の辺国の者は御名をもきかざりき。】
日本のインド以外の者は、その名前を知る事は出来なかったのです。

【一千余年すぎて、三百五十余年に及んでこそ、】
一千余年が過ぎて三百五十余年に及んで、

【纔〔わず〕かに御名計りをば聞きたりしか。】
わずかにその名前だけは、知ることが出来たのです。

【さればこの経に値ひたてまつる事をば、】
そうであれば、この経に会う事は、

【三千年に一度花さく優曇華〔うどんげ〕、】
三千年に一度、咲く優曇華や、

【無量無辺劫に一度値〔あ〕ふなる一眼の亀にもたとへたり。】
無量無辺劫に一度、浮き木に会う一眼の亀にも例えられているのです。

【大地の上に針を立てゝ、大梵天王宮より芥子をな〔投〕ぐるに、】
大地の上に針を立て、大梵天王の宮殿より、芥子の実を投げて、

【針のさきに芥子〔けし〕のつらぬ〔貫〕かれたるよりも、】
針の先に芥子の実が貫ら抜かれるよりも、

【法華経の題目に値ふことはかたし。】
法華経の題目に会うことは、非常に難しいのです。

【此の須弥山〔しゅみせん〕に針を立てゝ、】
この須弥山に針を立て、

【かの須弥山より大風つよく吹く日、いと〔糸〕をわたさんに、】
別の須弥山より、大風が強く吹く中で糸を通そうとして、

【いた〔至〕りてはり〔針〕の穴にいとのさき〔先〕のいりたらんよりも、】
その針の穴に糸の先がみごとに入るよりも、

【法華経の題目に値ひ奉る事はかたし。】
法華経の題目に会うことは難しいのです。

【さればこの経の】
そうであれば、何をさておいても、まず、この法華経の

【題目をとなえさせ給はんにはをぼしめすべし。】
題目を唱えようと思うべきなのです。

【生盲の始めて眼あきて父母等をみ〔見〕んよりもうれしく、】
目が見えない者が、始めて眼が見えて父母を見るよりも嬉しく、

【強〔こわ〕きかたき〔敵〕にと〔捕〕られたる者のゆるされて】
強敵に捕らわれた者が許されて、

【妻子を見るよりもめづらしとをぼすべし。】
なお難しいと思うべきなのです。

第4章 唱題の功力を論証

【問うて云はく、題目計りを唱ふる証文これありや。】
それでは、題目ばかりを唱えよと言っている証拠の文章があるでしょうか。

【答へて云はく、妙法華経の第八に云はく】
それは、妙法華経の第八には

【「法華の名を受持せん者、福量〔はか〕るべからず」と。】
「法華の名前を受持する者のその福は量る事が出来ない」と説かれており、

【正法華経に云はく「若し此の経を聞きて】
正法華経には「もしこの法華経を聞いて、

【名号を宣持せば、徳量るべからず」と。】
その名前を述べれば、その徳は、量〔はか〕る事が出来ない」と説かれています。

【添品〔てんぽん〕法華経に云はく】
添品法華経には「

【「法華の名を受持せん者、福量るべからず」等云云。】
「法華の名前を受持する者の、その福は、量る事が出来ない」と説かれています。

【此等の文は題目計りを唱ふる】
これらの文章は、題目ばかりを唱える、

【福計るべからずとみへぬ。】
その福は、量〔はか〕る事が出来ないという意味なのです。

【一部八巻二十八品を受持読誦し、随喜護持等するは広なり。】
法華経の一部八巻二十八品を受持し読誦し随喜し護り支持する事は、広なのです。

【方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり。】
方便品、寿量品を受持し護り支持する事は略なのです。

【但〔ただ〕一四句偈〔げ〕乃至題目計りを唱へとなうる者を護持するは要なり。】
ただ、結論である題目ばかりを唱える者を護り支持するのは、要なのです。

【広略要の中には題目は要の内なり。】
広略要の中では、題目は要の中に入るのです。

第5章 妙法五字の具徳を示す

【問うて云はく、妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をおさめたるや。】
それでは、妙法蓮華経の五字には、どれくらいの功徳が収まっているのでしょうか。

【答へて云はく、大海は衆流〔しゅる〕を納〔おさ〕め、】
それは、大海には、すべての川の水が流れ込んでおり、

【大地は有情非情を持ち、】
大地には、すべての動物や植物を育〔はぐくむ〕だけの栄養が備わっており、

【如意宝珠は万宝を雨〔ふ〕らし、】
如意宝珠は、すべての宝を降らし、

【梵王は三界を領す。妙法蓮華経の五字も亦復是くの如し。】
梵天王は、三界を自らの領地としているようなものなのです。

【一切の九界の衆生並びに仏界を納めたり。】
このように題目には、一切の九界の衆生と仏界を収めており、

【十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む。】
十界を収めていれば、当然、十界の拠り所である国土を収めているのです。

第6章 通じて五字の具徳を明かす

【先〔ま〕づ妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいはゞ、】
まず、妙法蓮華経の五字に、すべての法を収めるのであれば、この経の一字は、

【経の一字は諸経の中の王なり。】
この経の一字は、諸経の中の王という意味になるのです。

【一切の群経を納む。】
つまりは、すべての経文を収めるのです。

【仏世に出でさせ給ひて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給ひき。】
釈迦牟尼仏が世に出て五十余年の間に八万の聖教を説かれたのです。

【仏は人寿百歳の時、壬申〔みずのえさる〕の歳、】
釈迦牟尼仏が世に出て五十余年の間に八万の聖教を説かれたのです。

【二月十五日の夜半に御入滅あり。】
そして、百歳の時に、二月十五日の夜半に入滅されたのです。

【其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏〔げ〕九旬の間、】
その後、四月八日より七月十五日まで、一夏の九旬の間、

【一千人の阿羅漢結集堂〔けつじゅうどう〕にあつまりて】
一千人の阿羅漢が結集堂に集まって、

【一切経をかきをかせ給ひき。】
すべての経文を書き残されたのです。

【其の後正法一千年の間は五天竺に一切経ひろまらせ給ひしかども、】
その後、正法一千年の間は、インドに、すべての経文が弘まったけれども、

【震旦〔しんだん〕国には渡らず。】
中国には渡らなかったのです。

【像法に入りて一十五年と申せしに、後漢の孝明〔こうめい〕皇帝】
像法時代に入って一十五年と言う時に後漢の孝明皇帝の時代、

【永平十年丁卯〔ひのとう〕の歳、仏教始めて渡りて、】
永平十年の歳に、仏教が始めて中国に伝わって、

【唐の玄宗〔げんそう〕皇帝開元十八年庚午〔かのえうま〕の歳に至るまで、】
唐の玄宗皇帝の時代、開元十八年の歳に至るまで、

【渡れる訳者一百七十六人、】
インドから中国に渡れる翻訳者は、一百七十六人なのです。

【持ち来たる経律論一千七十六部・五千四十八巻・四百八十帙〔ちつ〕。】
そして持って来た経律論は、一千七十六部、五千四十八巻、四百八十帙であり、

【是皆法華経の経の一字の眷属の修多羅〔しゅたら〕なり。】
これらは、法華経の経の一字の範疇〔はんちゅう〕の経文なのです。

【先づ妙法蓮華経の以前、四十余年の間の経の中に】
まず、妙法蓮華経の以前、四十余年の間の経文の中に

【大方広仏華厳経と申す経まします。竜宮城には三本あり。】
大方広仏華厳経と言う経文があります。それは、竜宮城に三本があります。

【上本〔じょうほん〕は十三世界微塵数〔みじんじゅ〕の品、】
上本は、十三世界微塵数の品、

【中本は四十九万八千八百偈一千二百品、下本は十万偈四十八品。】
中本は、四十九万八千八百偈一千二百品、下本は、十万偈四十八品です。

【此の三本の外に震旦・日本には僅〔わず〕かに八十巻・六十巻・四十巻等あり。】
この三本以外に中国、日本に、わずかに八十巻、六十巻、四十巻があります。

【阿含小乗経・方等般若の諸大乗経等。】
次に阿含小乗経、方等般若の諸大乗経があります。

【大日経は梵本には阿□□訶□〔あばらかきゃ〕の五字計りをもて】
大日経は、梵語の原本には、阿□□訶□〔あばらかきゃ〕の五字ばかりで

【三千五百の偈をむすべり。】
三千五百の詩を作っています。

【況んや余の諸尊の種子〔しゅじ〕・尊形〔そんぎょう〕・三摩耶〔さんまや〕】
ましてや他の諸尊の種子、尊形、三摩耶は、

【其の数をしらず。而るに漢土には但纔〔わず〕かに六巻七巻なり。】
その数を知らず、中国では、その数は、わずかに六巻、七巻なのです。

【涅槃経は双林最後の説、】
涅槃経は、釈迦牟尼仏が最後に説いた説法であり、

【漢土には但四十巻なり。是も梵本之多し。】
中国には、ただ四十巻ですが、これも梵語の原本が多いのです。

【此等の諸経は皆釈迦如来の所説の】
これらの諸経は、すべて釈迦牟尼仏の説かれた

【法華経の眷属の修多羅なり。】
法華経の範疇〔はんちゅう〕のインドの経文なのです。

【此の外過去の七仏千仏・遠々劫〔おんのんごう〕の諸仏の所説、】
この外、過去の七仏、千仏、遠々劫の諸仏が説いた経文、現在十方の諸仏の諸経も、

【現在十方の諸仏の諸経も皆法華経の経の一字の眷属なり。】
すべて法華経の経の一字の範疇〔はんちゅう〕なのです。

【されば薬王品に仏、宿王華〔しゅくおうけ〕菩薩に対して云はく】
そうであれば、薬王品で釈迦牟尼仏が宿王華菩薩に対して

【「譬へば一切の川流〔せんる〕江河の諸水の中に海為〔こ〕れ第一なるが如く、】
「たとえば、すべて川や湖などの水のある場所で海が第一であるように、

【衆山の中に須弥山〔しゅみせん〕為れ第一、】
多くの山の中で須弥山が第一であり、

【衆星の中に月天子〔がってんし〕最も為れ第一」等云云。】
多くの星の中で月が最も第一なのです。」と説かれているのです。

【妙楽大師の釈に云はく「已今当】
妙楽大師の解釈の中に「過去、現在、未来において、

【説最為第一」等云云。】
この説が最もその第一である」と説かれているのです。

【此の経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり。】
このように、この経の一字の中に十方法界のすべての経文を収めているのです。

【譬へば如意宝珠の一切の財〔たから〕を納め、】
たとえば如意宝珠がすべての財産を収め、

【虚空の万象を含めるが如し。】
虚空の万象を含めているようなものなのです。

【経の一字は一代に勝る。】
法華経の経の一文字は、釈迦牟尼仏一代の説法より優れているのです。

【故に妙法蓮華の四字も又八万法蔵に超過するなり。】
故に妙法蓮華の四字も、また八万法蔵よりも優れているのです。

第7章 別して妙の一字の具徳を明かす

【妙とは法華経に云はく「方便の門を開きて真実の相を示す」云云。】
妙とは、法華経に「方便の門を開いて真実の姿を示す」と説かれています。

【章安大師の釈に云はく】
章安大師の解釈には

【「秘密の奥蔵〔おうぞう〕を発〔ひら〕く之を称して妙と為す」云云。】
「秘密の奥蔵を開く。これを名付けて妙とする」と言われています。

【妙楽大師此の文を受けて云はく「発とは開なり」等云云。】
妙楽大師は、この文章を受けて「発とは開なり」と言われています。

【妙と申す事は開と云ふ事なり。】
妙とは、開くと言う事なのです。

【世間に財を積める蔵〔くら〕に鑰〔かぎ〕なければ開く事かたし。】
いくら財宝があってもそれを入れている蔵の鍵がなければ開く事は出来ない。

【開かざれば蔵の内の財を見ず。】
開かなくては、蔵の中の財宝を見ることは出来ないのです。

【華厳経は仏説き給ひたりしかども、】
華厳経は、釈迦牟尼仏が説いてはいるけれども、

【彼の経を開く鑰をば仏、彼の経に説き給はず。】
この経を開く鍵の事を、仏は、この経では説いてはいないのです。

【阿含・方等・般若・観経等の四十余年の経々も仏説き給ひたりしかども、】
阿含、方等、般若、観経などの四十余年の経々も、仏が説いているけれども、

【彼の経々の意をば開き給はず。】
この経文の真実の意義は説いていないのです。

【門を閉じてをかせ給ひたりしかば、人彼の経々をさとる者一人もなかりき。】
法門の鍵を閉じているので人々は、この経文の意義を悟る者は一人もいないのです。

【たと〔仮〕ひさと〔悟〕れりとをも〔思〕ひしも】
たとえ悟ったと思っても、

【僻見〔びゃっけん〕にてありしなり。】
それは、間違った、ただの僻見なのです。

【而るに仏、法華経を説かせ給ひて諸経の蔵を開かせ給ひき。】
それで釈迦牟尼仏は、法華経を説いて、その諸経の蔵を開いたのです。

【此の時に四十余年の九界の衆生】
この時に初めて四十余年の九界の衆生が、

【始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりしなり。】
始めて諸経の蔵の中の財宝を見る事が出来たのです。

【譬へば大地の上に人畜草木等あれども、日月の光なければ】
たとえば大地の上に人や動物や草木があっても、日月の光がなければ、

【眼ある人も人畜草木の色かたちをしらず。】
眼がある人でもそれらの色や形を知ることが出来ないでしょう。

【日月いで給ひてこそ始めてこれをばしることには候へ。】
日月があってこそ始めて、これを知ることが出来るのです。

【爾前の諸経は長夜〔じょうや〕のやみのごとし。】
爾前の諸経は、長い夜の闇のようなものであり、

【法華経の本迹二門は日月のごとし。】
法華経は、日月のようなものなのです。

【諸の菩薩の二目ある、二乗の眇目〔みょうもく〕なる、】
菩薩の二つの目や二乗の偏〔かたよ〕った目、

【凡夫の盲目なる、闡提〔せんだい〕の生盲なる、共に爾前の経々にては】
また凡夫の真実が見えない目や一闡提の狂った目などでは、すべて爾前の経々の

【いろ〔色〕かたち〔形〕をばわきま〔弁〕へずありし程に、】
光では色や形を理解できずに、

【法華経の時迹門の月輪〔がつりん〕始めて出で給ひし時、】
法華経迹門の月が出て始めて、

【菩薩の両眼先にさとり、二乗の眇目次にさとり、】
菩薩の両眼が先に悟り、二乗の偏った目が次に悟ることができ、

【凡夫の盲目次に開き、】
さらに凡夫の真実が見えない目を開き、

【生盲の一闡提も未来に眼の開くべき縁を結ぶ事、】
最後に狂った目の一闡提も未来に、その眼の開く事が出来る縁を結べるのです。

【是偏に妙の一字の徳なり。】
これは偏〔ひとえ〕に妙の一字の功徳なのです。

【迹門十四品の一妙、本門十四品の一妙、合せて二妙。】
迹門十四品の一妙、本門十四品の一妙、合せて二妙、

【迹門の十妙、本門の十妙、合せて二十妙。】
迹門の十妙、本門の十妙、合せて二十妙、

【迹門の三十妙、本門の三十妙、合せて六十妙。】
迹門の三十妙、本門の三十妙、合せて六十妙。

【迹門の四十妙、本門の四十妙、観心の四十妙、合せて百二十重の妙なり。】
迹門の四十妙、本門の四十妙、観心の四十妙、合せて百二十重の妙なのです。

【六万九千三百八十四字一々の字の下に一の妙あり。】
六万九千三百八十四字一々の文字の下に一の妙があるのです。

【総じて六万九千三百八十四の妙あり。】
総じて六万九千三百八十四の妙があるのです。

【妙とは天竺には薩〔さ〕と云ひ、漢土には妙と云ふ。】
妙とは、インドでは、薩〔さ〕と言い、中国では、妙と言うのです。

【妙とは具〔ぐ〕の義なり。具とは円満の義なり。】
妙とは、具〔ぐ〕という意味なのです。具とは、円満の意味なのです。

【法華経の一々の文字、】
法華経の一つ一つの文字、

【一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり。】
一字一字に他の六万九千三百八十四字を納めているのです。

【譬へば大海の一渧〔いってい〕の水に一切の河の水を納め、】
たとえば、大海の一滴の水に、すべての川の水が混じるように、

【一の如意宝珠の芥子〔けし〕計りなるが】
一つの如意宝珠によって、

【一切の如意宝珠の財を雨〔ふ〕らすが如し。】
多くの如意宝珠を雨のように降らす力があるようなものなのです。

第8章 変毒為薬の原理

【譬へば秋冬枯れたる草木の、】
たとえば、秋冬に枯れた草木が、

【春夏の日に値ひて枝葉華果出来するが如し。】
春夏の季節に一斉に枝葉華果が出てくるようなものなのです。

【爾前の秋冬の草木の如くなる九界の衆生、】
秋冬の草木のような爾前経で説かれた九界の衆生は、

【法華経の妙の一字の春夏の日輪にあひたてまつりて、】
法華経の妙の一字である春夏の陽の光にあって、

【菩提心の華〔はな〕さき成仏の菓〔このみ〕なる。】
仏法を求める心である花が咲き成仏の菓がなるのです。

【竜樹菩薩の大論に云はく「譬へば大薬師の】
竜樹菩薩の著した大論には「たとえば素晴らしい医者が、

【能く毒を以て薬と為すが如し」云云。】
よく毒をもって薬とするようなものである」と書かれています。

【此の文は大論に法華経の妙の徳を釈する文なり。】
この文章は、大論で法華経の妙の功徳を解釈している文章なのです。

【妙楽大師の釈に云はく】
妙楽大師の解釈書には

【「治し難きを能く治す、所以〔ゆえ〕に妙と称す」等云云。】
「治し難きを治すので妙と言うのである」と書かれています。

【総じて成仏往生のなりがたき者】
この治し難きの者とは、成仏往生の成り難き者のことであり、

【四人あり。第一には決定性〔けつじょうしょう〕の二乗、】
そう言う者が四人いるのです。第一は、爾前経の二乗、

【第二には一闡提人〔いっせんだいにん〕、】
第二は、仏教を信じない一闡提人、

【第三には空心の者、第四には謗法の者なり。】
第三は、空理をもてあそぶ外道の者、第四は、謗法の者であるのです。

【此等を法華経にをいて仏になさせ給ふ故に法華経を妙とは云ふなり。】
これらを法華経において仏にしようとする故に法華経を妙と言うのです。

【提婆達多〔だいばだった〕は斛飯王〔こくぼんのう〕の第一の太子、】
提婆達多は、斛飯王の第一の王子であり、

【浄飯王〔じょうぼんのう〕にはをひ〔甥〕、阿難尊者がこの〔兄〕かみ、】
浄飯王の甥で阿難尊者の兄なのです。

第9章 悪人提婆の成仏を挙げる

【教主釈尊にはいとこ〔従兄弟〕に当たる、】
教主釈尊にとっては、従兄弟にあたるのです。

【南閻浮提〔なんえんぶだい〕にかろ〔軽〕からざる人なり。】
このように南インドにおいては、大変な重要人物なのです。

【須陀比丘を師として出家し、】
須陀比丘〔しゅだびく〕を師匠として出家し、

【阿難尊者に十八変をならひ、外道の六万蔵・仏の八万蔵を胸にうかべ、】
阿難尊者に十八種の神通変化の術を習い、外道の六万蔵、仏の八万蔵を暗記し、

【五法を行じて】
糞掃衣、常乞食、一坐食、常露坐、不受塩及五味の五つの法を修行して、

【殆〔ほとん〕ど仏よりも尊きけしきなり。】
ほとんど仏よりも尊く思われたのでした。

【両頭〔りょうとう〕を立てゝ破僧罪を犯さんがために】
そして釈迦牟尼仏に対抗して別の教団を作り、破和合僧の罪を犯して、

【象頭山〔ぞうずせん〕に戒壇を築き、】
伽耶城の西にある象頭山に戒壇を築き、

【仏弟子を招き取り、阿闍世〔あじゃせ〕太子をかたらいて云はく、】
釈迦牟尼仏の弟子を奪い取り、阿闍世王子と組んで策謀を巡らし、

【我は仏を殺して新仏となるべし。】
私は、仏を殺して新しい仏となるので、

【太子は父の王を殺して新王となり給へ。】
阿闍世王子は、父である王を殺して新しい王となるべきであると言ったのです。

【阿闍世太子すでに父の王を殺せしかば】
それで阿闍世王子が父である王を殺し、

【提婆達多又〔また〕仏をうかゞい、】
提婆達多は、また仏を殺そうと、その機会をうかがい、

【大石をもちて仏の御身より血をいだし、】
大石をもって仏の身体より血を出し、

【阿羅漢たる華色〔けしき〕比丘尼を打ちころし、】
阿羅漢である蓮華比丘尼〔れんげびくに〕を討ち殺し、

【五逆の内たる三逆をつぶさにつくる。】
五逆罪の内の三逆罪までを作ったのです。

【其の上瞿伽梨〔くがり〕尊者を弟子とし、阿闍世王を檀那とたのみ、】
その上、瞿伽梨尊者を弟子とし、阿闍世王を檀那とし、

【五天竺〔てんじく〕十六の大国、】
インド全ての5つの州の十六の大国、

【五百の中国等の一逆二逆三逆等をつくれる者、】
五百の国の中で、一逆、二逆、三逆罪を作った者は、

【皆提婆が一類にあらざる事これなし。】
提婆達多の仲間でなかった者は誰一人いなかったのです。

【譬へば大海の諸河をあつめ、】
たとえば大海にすべての川が集まり、

【大山〔だいせん〕の草木をあつめたるがごとし。】
大地にすべての草木が集まるようなものだったのです。

【智慧の者は舎利弗にあつまり、神通の者は目連にしたがひ、】
智慧がある者は、すべて舎利弗に集まり、神通の者は、すべて目連に従い、

【悪人は提婆にかたらいしなり。】
悪人は、すべて提婆達多と策謀を練ったのです。

【されば厚さ十六万八千由旬、其の下に金剛の風輪ある大地すでにわれて、】
それで、厚さ十六万八千由旬の下にある非常に硬い岩盤で出来た大地が割れて、

【生身に無間大城に堕ちにき。】
生きた身のまま無間地獄に堕ちたのです。

【第一の弟子瞿伽梨も又生身に地獄に入る。】
第一の弟子である瞿伽梨もまた生きた身のまま地獄に入り、

【旃遮〔せんしゃ〕婆羅門女〔ばらもんにょ〕もをちにき。】
釈迦牟尼仏の子を身ごもったと嘘をついた旃遮婆羅門女も、そこへ堕ちたのです。

【波瑠璃王〔はるりおう〕もをちぬ。】
釈迦族を滅ぼした波瑠璃王も堕ち、

【善星〔ぜんしょうびく〕比丘もをちぬ。】
最終的に外道義となった善星比丘も堕ちたのです。

【此等の人々の生身に堕ちしをば五天竺十六の大国・】
これらの人々が生きた身のまま無間地獄に堕ちたのをインド五州の十六の大国、

【五百の中国・十千の小国の人々も皆これをみる。】
五百の国、十千の小国の人々もすべてがこれを見たのです。

【六欲・四禅・色〔しき〕・無色・梵王・帝釈・】
欲界の六欲天、色界の四禅天、色界の者、無色界の者、大梵天王、帝釈天、

【第六天の魔王も閻魔法王等も皆御覧ありき。】
第六天の魔王、閻魔法王もすべて見たのです。

【三千大千世界十方法界の衆生も皆聞きしなり。】
三千大千世界、十方法界の衆生も、みんな、それを聞いたのです。

【されば大地微塵劫はすぐとも】
そうであれば大地が微塵になるほどの長い時間が経っても

【されば大地微塵劫はすぐとも無間大城を出づべからず。】
無間地獄から出ることはないでしょう。

【劫石〔ごうじゃく〕はひす〔薄〕らぐとも】
天女の羽衣で大石を摩耗して、それが無くなるほどの時間が経っても、

【阿鼻大城の苦はつきじとこそ思ひ合ひたりしに、】
無間地獄の苦悩は尽きる事はない事を思い合わせてみると、

【法華経の提婆品にして、教主釈尊の昔の師】
法華経の提婆品に、提婆達多は、教主釈尊の過去の師匠、阿私仙人であり、

【天王如来と記し給ふ事こそ不思議にはをぼゆれ。】
未来には天王如来となると説かれている事こそ不思議に思えるのです。

【爾前の経々実ならば法華経は大妄語、】
爾前の経文が真実ならば、法華経は大妄語であり、

【法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑〔こおう〕罪なり。】
法華経が真実ならば爾前の諸経は大虚の罪となるのです。

【提婆が三逆罪を具〔つぶさ〕に犯して、】
提婆達多が三逆罪を犯し、

【其の外無量の重罪を作りしも天王如来となる。】
また、その外の無量の重罪を作っても天王如来となるのです。

【況んや二逆一逆等の諸の悪人の得道疑ひなき事、】
いわんや、二逆罪や一逆罪の悪人が成仏するのは疑いない事であり、

【譬へば大地をかへすに草木等のかへるがごとく、】
それは、大地がひっくり返れば、その上の草木などもひっくり返り、

【堅石〔けんせき〕をわる者軟草〔なんそう〕をわるが如し。】
堅い石を割る者がいれば、軟らかい木などすぐに割れるようなものなのです。

【故に此の経をば妙と云ふなり。】
そうであるからこそ、この法華経を妙と言うのです。

第10章 女人の成仏を明かす

【女人をば内外典に是をそしり、】
女性は、インドの内典、外典でも、それを嫌って謗〔そし〕り、

【三皇五帝の三墳五典にも諂曲〔てんごく〕者と定む。】
中国の三皇五帝の三墳五典でも、媚び、へつらう者と定〔さだ〕めています。

【されば災〔わざわ〕ひは三女より起こると云へり。】
そうであればこそ、亡国の災いは、三人の妃より起こったのであり、

【国の亡び人の損ずる源は女人を本とす。】
国が亡び、民衆が惑う根源は、すべて女性がその原因であるとされているのです。

【内典の中には初成道の大法たる華厳経には】
仏教の経典の中では、初めの成道の大法である華厳経に

【「女人は地獄の使ひなり。能く仏の種子を断つ。】
「女性は、地獄の使いであり、仏に成る為の種子を断つ。

【外面は菩薩に似て内心は夜叉〔やしゃ〕の如し」文。】
外面は、菩薩のようだが、その内心は夜叉の如し」と説かれているのです。

【双林最後の大涅槃経には「一切の江河必ず回曲〔えごく〕有り。】
双林最後の大涅槃経には「すべて川は、必ず、曲がっている。

【一切の女人必ず諂曲有り」文。】
そのように、すべての女性の心は、必ず、捻じ曲がっている」と説かれています。

【又云はく「所有〔あらゆる〕三千界の男子の諸の煩悩合集して】
また、「あらゆる三千界の男性の多くの煩悩を合わせ集めて

【一人の女人の業障と為る」等云云。】
一人の女性の業障となす」と説かれているのです。

【大華厳経の文に「能断仏種子」と説かれて候は、】
大華厳経の文章には「能断仏種子」と説かれていて、

【女人は仏になるべき種子をい〔焦〕れり。】
女性は、仏になるべき種を焦ってしまっている。

【譬へば大旱魃〔かんばつ〕の時、虚空の中に大雲をこり大雨を大地に下すに、】
たとえば、干ばつの時、空に雲が起こり、大雨が大地を潤すと、

【かれたるが如くなる無量無辺の草木花さき菓なる。】
枯れた無量無辺の草木が一斉に花が咲き木の実が成る。

【然りと雖もい〔焦〕りたる種はを〔生〕ひずして、】
しかし、焦〔い〕った種は、生えることがなく、

【結句雨しげければく〔朽〕ちう〔失〕するが如し。】
結局は、雨が続けば、種は、朽ちて消えてしまうようなものなのです。

【仏は大雲の如く、説教は大雨の如く、】
つまり、これは、仏を雲と言い、説教は、雨であり、

【か〔枯〕れたるが如くなる草木を一切衆生に譬へたり。】
枯れた草木を衆生に、たとえているのです。

【仏教の雨に潤ひて五戒・十善・禅定等の功徳を得るは】
仏教の雨によって潤い、五戒、十善、禅定の功徳を得て、

【花さき菓なるが如し。雨ふれども、】
花が咲き、木の実が成るのです。いくら雨が降っても、

【いりたる種のをひずして、かへりてく〔朽〕ちう〔失〕するは、】
焦〔い〕った種は、芽が出て生い茂る事はなく返って朽ちて無くなるのは、

【女人の仏教に遇へども、生死をはなれずして、かへりて仏法を失ひ、】
女性が仏教に会っても、生死を離れず、返って仏法を失い、

【悪道に堕つるに譬ふ。】
悪道に堕ちることをたとえているのです。

【是を「能断仏種子」とは申すなり。】
これを「能断仏種子」と言っているのです。

【涅槃経の文に、一切の江河のまがれるが如く、】
涅槃経の文章に、すべての川が曲がってるように

【女人も又まがれりと説かれたるは、】
女性の心も、また、捻じ曲がっていると説かれているのは、

【水はやわらかなる物なれば、石山なんどのこわき物にさ〔障〕へられて】
水は、柔らかな物であれば、石などの硬い物に遮〔さえぎ〕られて

【水のさきひるむゆへに、かしここゝへ行くなり。】
先に行けなくなって、あっちこっちに曲がりくねってしまうのです。

【女人も亦是くの如し。女人の心をば水に譬へたり。】
女性も、また、このようであり、その女性の心を水にたとえているのです。

【心よわくして水の如くなり。】
心が弱く水のようであるのです。

【道理と思ふ事も男のこわき心に値ひぬれば〔塞〕せかれて】
道理であると思っても男の強引な心で遮〔さえぎ〕られて、

【よしなき方へをもむ〔趣〕く。】
その男の思う方へと言ってしまうのです。

【又水にゑが〔画〕くにとゞ〔留〕まらざるが如し。】
水に絵を書いても無駄なようなものなのです。

【女人は不信を体とするゆへに、只今さあるべしと見る事も、】
女性は、不信を本体とするので、今、言ったことも、

【又しばらくあればあらぬさまになるなり。】
しばらくすると、違ったことを言いだすのです。

【仏と申すは正直を本とす。】
仏と言うのは、正直を本体とするのです。

【故にまがれる女人は仏になるべきにあらず。】
ゆえに曲がれる心である女性は、仏には成れないのです。

【五障三従と申して五つのさはり三つしたがふ事あり。】
五障三従と言って五つの障りと三つに従うという事があるのです。

【されば銀色女〔ごんじきにょ〕経には「三世の諸仏の眼は大地に落つとも、】
そうであれば銀色女経には「三世の諸仏の眼が大地に落ちることはあっても、

【女人は仏になるべからず」と説かれ、】
女性が仏になることはない」と説かれており、

【大論には「清風はとると云ふとも】
大論には「吹いている風は、捕まえる事が出来ても、

【女人の心はとりがたし」と云へり。】
女性の心は、捕まえられない」と書かれているのです。

【此くの如く諸経に嫌はれたりし女人を文殊師利〔もんじゅしり〕菩薩の】
このように諸経に嫌われている女性でも、文殊師利菩薩が

【妙の一字を説き給ひしかば、忽〔たちま〕ちに仏になりき。】
妙の一字を顕わしたならば、たちまちに八歳の竜女が仏に成ったのです。

【あまりに不審なりし故に、宝浄世界の多宝仏の第一の弟子】
あまりに不思議だったので、宝浄世界の多宝仏の第一の弟子、

【智積〔ちしゃく〕菩薩・釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗尊者、】
智積菩薩や、釈迦牟尼仏の弟子の智慧第一の舎利弗が、

【四十余年の大小乗経の意をもって】
四十余年の間に説かれた大乗経、小乗経の内容で

【竜女の仏になるまじき由を難ぜしかども、】
竜女が仏に仏になってはならない理由を挙げたけれども、

【終に叶はずして仏になりにき。】
最終的には、仏になってしまったのです。

【初成道の「能断仏種子」も双林最後の】
初めて成道の道が説かれた時の「能断仏種子」も、双林の最後の説法がされた時の

【「一切江河必有回曲〔ひつうえごく〕」の文も破れぬ。】
「一切江河必有回曲」の文章も結局は、間違っていたのです。

【銀色女経並びに大論の亀鏡〔ききょう〕も】
銀色女経や大論の女人不成仏の規範も

【空しくなりぬ。】
まったく意味のない空文となってしまったのです。

【又智積・舎利弗は舌を巻き口を閉ぢ、人天大会〔にんでんだいえ〕は】
それで智積菩薩も舎利弗も何も言えなくなり、口を閉じて人界、天界の人々は、

【歓喜のあまりに掌〔たなごころ〕を合はせたりき。】
歓喜のあまりに掌〔てのひら〕を合わせたのです。

【是偏に妙の一字の徳なり。】
これは、偏〔ひとえ〕に妙の一字の功徳なのです。

【此の南閻浮提の内に二千五百の河あり。一々に皆まがれり。】
南インドの中に二千五百の川があって、その一つ一つがすべて曲がっています。

【南閻浮提の女人、心のまがれるが如し。但し娑婆耶〔しゃばや〕と申す河あり。】
南インドの女性の心が同じように曲がっているのですが、娑婆耶と言う川があり、

【縄を引きは〔延〕えたるが如くして直ちに西海に入る。】
縄をぴんと張ったように、まっすぐ西海に入っているのです。

【法華経を信ずる女人も亦復是くの如く、直ちに西方浄土へ入るべし。】
法華経を信ずる女性も、また、このように、まっすぐに西方浄土へ入るのです。

【是妙の一字の徳なり。】
これが妙の一字の功徳なのです。

第11章 妙とは蘇生の義と説く

【妙とは蘇生〔そせい〕の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり。】
妙とは、蘇生という意味なのです。蘇生とは、よみがえるという意味なのです。

【譬へば黄鵠〔こうこく〕の子死せるに、】
たとえば、中国の伝説に、黄色の鶴の子供が死にそうになっても、

【鶴の母子安〔しあん〕となけば死せる子還〔かえ〕りて活〔よみがえ〕り、】
鶴の母が仙人の黄子安を呼べば、死にそうな子も、よみがえり、

【鴆鳥〔ちんちょう〕水に入らば魚蚌〔ぎょぼう〕悉く死す。】
毒を持つ鳥が水に入ると、魚介類は、ことごとく死んでしまいますが、

【犀〔さい〕の角これにふ〔触〕るれば死せる者皆よみがへるが如く、】
犀〔さい〕の角が、これに触れていれば死ぬことはないのです。

【爾前の経々にて仏種をい〔焦〕りて死せる二乗・闡提・女人等、】
このように爾前の経で仏種を焦って、死んでしまった二乗、一闡提、女性なども、

【妙の一字を持〔たも〕ちぬれば、い〔焦〕れる仏種も還りて生ずるが如し。】
妙の一字を持〔たも〕てば、焦った仏の種もよみがえるのです。

【天台云はく「闡提は心有り猶作仏すべし。】
天台大師は魔訶止観第六で「一闡提は、まだ信心があり作仏する。

【二乗は智を滅す、心生ずべからず。】
二乗は、智慧を滅しており、心がないので成仏は出来ない。

【法華能く治す、】
しかし、法華経は、それを、よみがえらせて治すのです、

【復〔また〕称して妙と為す」云云。】
これを称して妙と言うのです」と書かれています。

【妙楽云はく「但大と名づけて妙と名づけざるは、】
妙楽大師は、これを解釈して弘決第六で「ただ大と言って妙と言わないのは、

【一には有心は治し易く無心は治し難し。】
心が有る者は、治しやすく、心がない者は、治し難いからなのです。

【治し難きを能く治す、所以〔ゆえ〕に妙と称す」等云云。】
治し難い者を、よく治すので妙と言うのです」と書かれています。

【此等の文の心は、大方広仏華厳経・大集経・大般若経・大涅槃経等は】
この文章の意味は、大方広仏華厳経、大集経、大般若経、大涅槃経などでは、

【題目に大の字のみありて妙の字なし。】
題目に大の字のみ有って妙の字は、ありません。

【但生者〔いけるもの〕を治して死せる者をば治せず。】
ただ生きている者を治して死んだ者を治せないのです。

【法華経は死せる者をも治す。故に妙と云ふ釈なり。】
法華経は、死んだ者も治せるのです。それで妙と言うと解釈されているのです。

第12章 妙法の具徳を結する

【されば諸経にしては仏になるべき者も仏にならず、】
そうであれば諸経では、仏に成るべき者も、仏にならず、

【法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ。】
法華経は、仏に成り難き者すら、仏にするのです。

【仏になりやすき者は云ふにや及ぶと云ふ道理立ちぬれば、】
このように、仏に成りやすき者は、言うに及ばずという道理であれば、

【法華経をとかれて後は諸経にをもむ〔趣〕く人一人もあるべからず。】
法華経が説かれて後に諸経を信じる人が一人もいるはずがないのです。

第13章 重ねて女人成仏を説き誡勧〔かいかん〕する

【而るに正像二千年すぎて末法に入りて当世の衆生の成仏往生のとげがたき事は、】
それなのに正像二千年が過ぎて末法に入り、現在の衆生が、成仏往生する事は、

【在世の二乗・闡提等にも百千万億倍すぎたる衆生の、】
釈迦在世の二乗や一闡提よりも百千万億倍、難しいのに、

【観経等の四十余年の経々に値ひて生死をはなれんと思ふは】
観無量寿経などの四十余年の経文によって、生死を離れようと思うのは、

【いかゞ。はかなしはかなし。】
いったい、どういう事なのでしょうか。ほんとうに儚〔はかな〕い事です。

【女人は在世正像末総じて一切の諸仏の一切経の中に】
女性は、在世、正像末、総じてすべての仏の一切経の中で

【法華経をはなれて仏になるべからざる事を、】
法華経を離れて仏に成らない事を、

【霊山〔りょうぜん〕の聴衆として道場開悟〔かいご〕し給へる】
霊鷲山で説かれた法華経を聞いて中国の光州大蘇山の道場で開悟した

【天台智者大師定めて云はく「他経は但男に記して女に記せず、】
天台智者大師は、「他経は、ただ男性のみ書いて、女性を書いていない。

【今経は皆記す」等云云。】
法華経は、男性も女性も、すべて書いてある」と言っているのです。

【釈迦如来・多宝仏・十方諸仏の御前にして、】
釈迦如来、多宝仏、十方の諸仏の前で、

【摩竭提〔まかだ〕国王舎城〔おうしゃじょう〕の艮〔うしとら〕】
摩竭提国の王舎城の東北にある

【霊鷲山〔りょうじゅせん〕と申す所にて、】
霊鷲山というところで、

【八箇年の間説き給ひし法華経を智者大師まのあたり聞こしめしけるに、】
八箇年の間、説かれた法華経を天台智者大師は、目の前で聞いて、

【我五十年の一代聖教を説きをく事は】
釈迦牟尼仏が「私が五十年の一代聖教を説く事は、

【皆衆生利益のためなり。】
すべて衆生に利益する為である」と言われ、

【但し其の中に四十二年の経々には女人は仏になるべからずと説き、】
ただし、その中の四十二年の経文では、女性は仏に成ることは出来ないと説き、

【今法華経にして女人の成仏をと〔説〕くとなのらせ給ひしを、】
法華経によって女人の成仏を説くと言われているのを、

【仏滅後一千五百余年に当たりて、霊鷲山より東北十万八千里の山海をへだてゝ】
仏滅後、一千五百余年に霊鷲山より東北に十万八千里を隔てた

【摩訶尸那〔まかしな〕と申す国あり。震旦国〔しんだんこく〕是なり。】
大中国と言う国があり、これを震旦国と言いますが、

【此の国に仏の御使ひとして出世し給ひ、天台智者大師となのりて】
この国に仏の使いとして生まれ、天台智者大師と名乗って、

【女人は法華経をはなれて仏になるべからずと定めさせ給ひぬ。】
再度、女性は、法華経を離れて仏に成ることは出来ないと改めて教えられたのです。

【尸那国より三千里へだてゝ東方に国あり、日本国と名づけたり。】
その中国より三千里を隔てた東方に国があり、それを日本と言います。

【漢土の天台大師御入滅二百余年と申せしに、】
漢土の天台大師が入滅して二百余年後に、

【此の国に生まれて伝教大師となのらせ給ひて、】
この日本に再び生まれられて伝教大師と名乗り、

【秀句と申す書を造り給ひしに「能化所化倶に歴劫〔りゃっこう〕無し】
法華秀句と言う書物を著されて「能化所化、倶に歴劫無し。

【妙法の経力にて即身成仏す」と竜女が成仏を定め置き給へり。】
妙法の経文の力によって即身成仏する」と、再び、竜女の成仏を明かされたのです。

【而るに当世の女人は即身成仏こそかた〔難〕からめ、】
それでも、現在の女性は、即身成仏は、非常に難かしいのです。

【往生極楽は法華を憑〔たの〕まば疑ひなし。】
しかしながら往生極楽は、法華経の力によって疑いないのです。

【譬へば江河の大海に入るよりもたやすく、】
たとえば川が大海に入るよりも、たやすく、

【雨の空より落つるよりもはやくあるべき事なり。】
雨が空から落ちるよりも速〔はや〕いのです。

【而るに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱へずして、】
そうであるのに日本のすべての女性は、南無妙法蓮華経とは唱えず、

【女人の往生成仏をとげざる双観・観経等によりて、】
女性が往生成仏できない無量寿経、観無量寿経を頼って、

【弥陀の名号を一日に六万返十万返なんどとなうるは、】
弥陀の名号を一日に六万返、十万返と唱えるのは、

【仏の名号なれば巧みなるにはに〔似〕たれども、】
仏の名前であるので正しい事のようではあるが、

【女人不成仏不往生の経によれる故に、】
女性の不成仏、不往生の経文であれば、

【いたづらに他の財〔たから〕を数えたる女人なり。】
意味もなく他人の財産を数えている女性と同じなのです。

【これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり。】
これは、ひとえに悪知識に騙されているからなのです。

【されば日本国の一切の女人の御かたきは、】
そうであれば、日本のすべての女性の敵は、

【虎狼〔ころう〕よりも、山賊海賊よりも、父母の敵・とわり等よりも、】
虎や狼よりも、山賊や海賊よりも、父母の敵〔かたき〕、夫の愛人よりも、

【法華経をばをし〔教〕えずして念仏等ををしうるこそ、】
法華経の題目を教えずに念仏を唱えることを教える者こそ、

【一切の女人の第一の御かたきなれ。】
すべての女性の第一の敵なのです。

【女人の御身としては南無妙法蓮華経と一日に六万十万千万等も唱へて、】
女性の身としては、南無妙法蓮華経と一日に六万、十万、千万と唱えて、

【後に暇〔いとま〕あらばと時々〔よりより〕は弥陀等の諸仏の名号をも】
後にもし暇があれば、後にもし暇があれば、時々、阿弥陀仏などの仏の名前を

【口ずさみなるやうに申し給はんこそ、法華経を信ずる女人にてはあるべきに、】
唱えるように人々に勧める事こそ、法華経を信じる女性であるべきなのに

【当世の女人は一期の間弥陀の名号をばしきりにとなへ、】
現在の女性は、一生の間、阿弥陀仏の名前をしきりに唱え、

【念仏の仏事をばひまなくをこなひ、法華経をばつやつや唱へず供養せず、】
念仏宗の行事などの仏事を暇なく行い、法華経を、なかなか唱えず、供養もせず、

【或はわづかに法華経を持経者によますれども、】
わづかに法華経を読める僧侶に読ませてはみても、

【念仏者をば父母兄弟なんどのやうにをも〔思〕ひなし、】
念仏者を父母兄弟のように大切に思い、

【持経者をば所従眷属よりもかろ〔軽〕くをもへり。】
法華経を読む僧侶を自分の家の従業員や目下の親せきよりも軽く思っているのです。

【かくしてしかも法華経を信ずる由をなのるなり。】
それでも、自分は法華経を信じていると名乗っているのです。

【抑〔そもそも〕浄徳婦人は二人の太子の出家を許して法華経をひろめさせ、】
そもそも浄徳婦人は、浄蔵、浄眼と云う二人の王子を出家させて法華経を弘めさせ、

【竜女は「我大乗の教を闡〔ひら〕いて苦の衆生を度脱せん」とこそ誓ひしが、】
竜女は「私は、この法華経を弘めて苦悩の衆生を仏教へと導く」と誓い、

【全く他経計りを行じて此の経を行ぜじとは誓はず。】
まったく念仏を唱えて題目を唱えないなどとは誓っていないのです。

【今の女人は偏に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず。】
現在の女性は、ひとえに念仏を唱えて法華経の題目を唱える事を知らないのです。

【とくとく心をひるがへすべし。心をひるがへすべし。】
速やかに心をひるがえして女性が成仏する法華経の題目を唱えるべきなのです。

【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。】
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

【日蓮花押  文永三年(丙寅)正月六日】
日蓮花押 文永3年(西暦1266年)1月6日


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