ようこそ開信寺へ
開信寺・歳時記 【平成三十年 二月度】
あなたも開信寺の行事に参加しませんか。
節分会に参加して
2月3日、初めて開信寺の節分会に参加し御住職のお話を聞いて驚きました。日蓮正宗のお寺では、本堂で豆まきをする時に「福は内」と言い「鬼は外」とは言わないそうです。それは、御本尊様を御安置するお寺や皆さんの家には、追い出さなければいけないような悪い鬼は、いないからですとお話しされました。今まで「福は内、鬼は外」があたりまえだと思っていたので目から鱗(うろこ)でした。
豆まきが終わって、御茶会をしていたら、いつの間にか御住職の隣に小さい女の子がちょこんと座って、仏法の話しの中に溶け込んでいました。
興師会
2月7日に興師会に参加いたしました。その折、以下のような御住職のお話しがありました。
本日は、日蓮正宗総本山、富士大石寺の御開山日興上人が正慶2年2月7日、重須の本門寺に於いて御入滅された日で日蓮大聖人から仏法の正義を受け継がれ後世にまで正しく法灯を伝えて下された事に対し奉り、心からの御報恩申し上げる法要です。日興上人は、大聖人が法難・流罪に臨まれる時は、常にお供され御給仕をもって弟子の道を全うされ深い教義を体得されました。大聖人は、直弟子(六老僧)の中でも唯一人、日興上人を後継者として「二箇相承」を持って血脈相承されました。日興上人は、大聖人滅後、他の五老僧や身延の地頭の波木井実長の目に余る謗法の地となった身延を離山され南条時光殿の乞いにより上野「大石ヶ原」に移られ本門の戒壇の大御本尊をご安置され広宣流布の根本道場に定められました。更に大聖人のお手紙を「御書」として大切に書写、編纂されて後世に残されています。日興上人の大石寺開創以来七百数十年、日蓮正宗は、日興上人、日目上人と血脈相承をもって御当代第六十八世日如上人に至っています。
二月度御講
2月11日に御講に参加いたしました。その折、「聞法の大事」について次のような御住職のお話しがありました。
「法華経方便品」=「若有聞法者・無一不成仏(もし、法を聞くことあらん者は、一人として成仏せずということ無けん」
大聖人は、「一念三千法門」(御書110)に曰く、「此の娑婆世界は耳根得道の国なり、この経は専ら聞を以て本とす」=
聞法こそが成仏の第一義であることを教示されています。
故に信心を持って我が身を飾る「七宝(聞・信・戒・定・進・捨・慚)の徳目の内、その第一に「聞」を置かれています。
「新池御書」(御書1457)には、「何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし」と教示されています。
聞法の功徳というのは、説法(法を説く)の功徳と同じ功徳が備わるので御講で聴聞したお話を未聴聞の人に伝えて行きましょう。
御誕生会
2月16日、御誕生会に参加いたしました。その折、御住職から日蓮大聖人と釈迦牟尼仏との関係についての大変深いお話しがありました。
2月16日は、御本仏、日蓮大聖人が御誕生された日であります。
貞応元年(1222年)、安房国長狭郡(あわのくにながさのごおり)小湊において、貫名次郎重忠を父、梅菊女を母として出生され、幼名を善日麿と称されました。
それは、仏滅後、末法に入って百七十一年目のことでありました。
大聖人は、御自身の出生について、「安房の国長狭の郡片海の海女が子なり」と仰せのように、漁師の子としてお誕生されたといわれております。
大聖人のご誕生に際し、種々の不思議な瑞相が「産湯相承書」という相伝書に伝えられておりますが、その一つに、一本の青蓮華の花が開いて、そこから泉が湧き出し、その清水によって辺り一面は金色に輝き、一斉に花が咲き実がなったとあります。
御誕生の地は現在は海中に没しておりますが、御誕生の時に青蓮華が咲いたと伝えられる蓮華が渕は現在も残っております。
釈迦牟尼仏は、印度伽毘羅衛国、浄飯王の太子として御誕生されましたが、大聖人は御自ら『妙法比丘尼御返事」(一二五八)に、「民のいえより出でて頭をそり袈裟をきたり」と仰せられ、身分の低い漁民として誕生され、自ら身分の低い者であると表明せられたことは、大きな意義と相違があります。
即ち、釈尊は、衆生の機根に応じ、種々の方便をもって教えを説き、導くところの仏でありますから、三十二相という立派な徳を具足して、自然と尊敬を受けるように出現され、そうする事によって過去において育てて来た仏種を育て、無事成仏を遂げるように配慮され、王子としての御誕生であります。
これに対し、大聖人は末法濁悪の時代に御誕生され、本未有善の荒凡夫(逆縁の衆生)を相手に妙法蓮華経をもって下種される仏でありますから、姿も凡夫僧の侭であります。
このように下種益の仏、日蓮大聖人と、本果脱益の仏である釈尊との相違があるのであります。
仏教では、釈尊が亡くなってから千年を正法時代、次の千年を像法時代、そしてその後を末法時代と区分します。
正法・像法の二千年の間は釈尊の教えに効力があるけれども、末法に入ると「闘諍言訟=争いや論争の絶えない時代、白法隱没=正しい教えが隠れてしまう時代」といって、争いごとが盛んになり人の心が荒廃して濁悪の時代に入るということです。
事実、経文の如く、末法に入ったといわれる頃、日本では保元・平治の乱、そして前代未聞の大事件である承久の変が起こり、人心は乱れに乱れ、加えて天災も毎年のように打ち続き、悲惨な世の中となるわけであります。
釈尊は、「法華経・神力品」において、末法一切衆生の救済を上行菩薩に付属し、託され、「日月の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん」と、法華経では、悪世の末法に上行菩薩が必ず出現し、一切衆生を救うと予言されておりますが、まさに時を得て、日蓮大聖人が上行菩薩の再誕として、御誕生されたのであります。
釈尊が入滅した2月15日の次の日に日蓮大聖人がご誕生になっているのも、なにか不思議な因縁を感じます。
したがいまして2月16日は、末法の本仏日蓮大聖人が御誕生になられたことをお祝いする日であり、さらには日蓮大聖人の教えによって一切衆生が救済されることに御報恩申し上げる日であります。これが「御誕生会」であります。
また、総本山では、五重塔の御塔開きが奉修され、大聖人の御誕生をお祝い・御報恩もうしあげます。
五重塔とは、地水火風空の五大を表し、この五大は万物の根源であり、宇宙全体であり、又我が身も五大で形成されていると説く故に「阿仏房御書」には、「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」と仰せられ、お題目を唱える我が身が本来そのまま宝塔であると教えられています。
特に総本山の五重塔は、塔の中に大御本尊を御安置申し上げ、大聖人の御当体と拝するのであります。
また、五重塔が西を向いているのは、太陽が東から昇り西を照らすように、大聖人の仏法が、中国・インドを経て世界に流布し、その光明が照らされることに準えているのであります。
私共は、この日蓮大聖人が悟られ、開かれ、顕わされ御建立遊ばされた唯一の正法たる「本門戒壇の大御本尊」を根本に信仰を全うし、大聖人の弟子檀那として誇りと大確信をもって、更に、折伏に、登山参詣に、互いに精進して参りましょう。
福岡西地方部 第9回総会
2月18日、晴天の中、立正寺において「日蓮正宗法華講連合会・福岡西地方部・第9回総会」が午後1時より執り行われました。
早めに着いたと思いましたが、受付は人だかり。中に入って本堂に上がると案内をしているスタッフが明るく「こんにちは」と挨拶している中を進み、かなり前に座りました。
福岡西方面11箇寺の御尊師が着席され、題目三唱から総会が始まりました。
右端に控えていた羽根の着いた帽子を被った白いユニフォームの小学生達が2曲を演奏して場内の雰囲気を明るくしてくれた後、3人の女性の体験発表がありました。
それぞれ事情は違っていましたが、御本尊様への迷いを「一心欲見仏」求道心で確信へと変えて行くことで生活の苦難や病気を乗り越えた体験を語られました。
そして最後の方が津波等の自然災害、社会情勢を立正安国論に鑑みて仏教の視点から考えることが大事だと言われたことは、大変胸に響くものでした。
その後、代表決意をされた方からは、日蓮大聖人の御書「四恩抄」から三宝の恩を語られ、御講への参詣による三宝への報恩感謝が如何に大事かを話されました。
祝辞を賜った法華講大講頭・法華講連合会委員長は「折伏とは数合わせではない、その人を幸福へと導くことです」と力強く話され、その後、福岡西布教区宗務支院長からの祝辞、福岡西地方部、副地方部長の挨拶、合唱で総会が閉会しました。
いざ外に出ようとしたら、こんなに人が入って居たんだとビックリ。それでも開信寺の皆と直ぐ会う事が出来て無事帰ってきました。