ようこそ開信寺へ
開信寺・歳時記 【平成三十年 三月度】
あなたも開信寺の行事に参加しませんか。
三月度・御講
3月11日、御講に参加しました。
その折、三大秘法の御本尊を受持する事(受持の一行)が最も大事であると次のような御話しがありました。
【1.三大秘法の大御本尊とは】
※観心本尊抄とは法本尊開顕の書
大聖人御図顕の御本尊こそ「本門の釈尊を脇士と成す一閻浮提第一の本尊」たる事を教示された御書です。
「問うて曰く、上の大難未だ其の会通(えつう)を聞かず如何。 答えて曰く、無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然(じねん)に在前(ざいぜん)す」等云々。(乃至)私に会通を加へば本文を黷(けが)すが如し、爾(しか)りと雖(いえど)も文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ、四大声聞の領解に云く「無上宝珠・不求自得」云云。我等が己心の声聞界なり(御書652)」
六波羅蜜とは(菩薩行)=布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵(般若)の六道修行
※妙法蓮華経の五字とは、三大秘法(御本尊)受持の事なり。「経王殿御返事」に云く「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(御書685)」
故に「御義口伝」に云く、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(御書1774)」。
※「三大秘法」について日寛上人「依義判文抄」に曰く「一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かって三大秘法と為すなり。亦三大秘法を合すれば即ち但一大秘法の本門の本尊と成る。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。」
【2.創価学会の間違った本尊観】
創価学会は、弘安二年の御本尊を受持の対象にはいたしません。御本尊は、学会が認定すると聖教新聞にて公表しました。
またその後「三大秘法」については「大聖人が顕された御本尊と、それを書写した御本尊は、すべて等しく「本門の本尊」であり、この本尊に唱える題目が「本門の題目」であり、題目を唱える場がそのまま「本門の戒壇」であると言っています。という事は、日寛上人の教義を全否定することになり、その上で日寛上人の書写された御本尊を用いているので矛盾しています。
そもそも御本尊とは、信者である私達が認定したりするものではなく、最も尊いものであって、それを拝するものなのです。
【3.受持の一行】
※「御義口伝」に曰く、「末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏すべき事決定なり。(御書1785)」
故に、日寛上人「観心本尊抄文段」に云く「仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境(正しい御本尊)に縁すれば功徳猶多し、もし正境に非ざれば縦(たと)い偽妄無けれども亦種と成らず」と言われています。
末法において私達が正しい御本尊を受持する事により大きな功徳を得られるのです。
御講への参詣について
第29回・支部総会
春には、明るすぎる晴天の中、3月11日、開信寺にて第29回支部総会が行われました。
会計報告、婦人部等各部長から一年間の活動報告が行われた後、新しく開信寺のホームページが開設されたことが報告されました。
インターネット?ホームページ?? 年齢が高い方には、聞いた事はあっても何のことやらという感じでした。
私自身も色々な日蓮正宗のホームページを見て、こんな風にインターネットを通じて折伏が出来るんだと感心していました。
その日蓮正宗のホームページにいよいよ開信寺も加わったわけです。
それでも私自身は、どうしたら良いのかわからなくて話しを聞いても戸惑うばかりでしたが「感動が無くては何も伝えられない。日蓮大聖人のお話で感動しないわけがありません。」と言われたことに深く納得しました。
「そうは言っても堅苦しく考えず、みんなで作って行きましょう。」と言われて誰かが作るのではなく私も含めて講員全員で作って行く事を支部総会で確認し合いました。
すでに若い世代でインターネットを無視することなどは、絶対に出来ない事は、間違いありません。
日如猊下も「本宗の僧俗は世界中の全ての人々の幸せを実現するために一人でも多くの人に、そして一日でも早く、折伏を行じて末法の御本仏、宗祖日蓮大聖人様の仏法に帰依せしめていくことが最も肝要である」と仰せになられています。
その為にも有効なツールがインターネットであると思います。
その次世代の少年部の三人が「勤行の姿勢」について発表を行い、講頭さんの話、最後は合唱で無事に支部総会が閉会しました。
春季彼岸会
3月21日、春季彼岸会に雨天の中、大勢の方が参詣されました。
その折、御住職のご挨拶がありました。
本日は、「春季彼岸会法要」に当たり、皆様には深信の御参詣を賜り、誠に御苦労様でございます。
皆様と共に厚く三宝尊に御報恩申し上げると共に、皆様方願い出の「各々先祖代々の精霊春季彼岸会追善供養」漏れなく懇ろに御回向申し上げました。
従来より、何度となく家族揃っての寺院参詣の大切さ、又、自分だけが塔婆を立てるのではなく、家族も子供も塔婆供養の願主となって、功徳を得させる事の大切さを御話してきました。
即ち「開信寺」が、末長く先祖の菩提を弔う「菩提寺」であることを教え、寺院外護の大切さを教え、法華講の信心は、先ず寺院参詣参詣が第一義である事を教えて、法統相続に導くことの大切さを御話してきたのであります。
その所以は、我々の追善供養の志が、如何に大切で、その功徳が甚大であるかについて、大聖人は、「御義口伝」に於いて、「今日蓮等の類聖霊を訪ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。廻向の文此より事起こるなり。法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪はんに豈此の義に替はるべきか」と仰せられています。
今皆様がこのように法要にご参詣あって、共々に唱えるお題目の功徳は、無間地獄にまで届き、喩え法華不信の先祖が地獄に堕ちていたとしても、その生命をも成仏に導く大功徳が備わると教えられています。
ですから、普段から、常に家族揃っての御参詣あって、追善供養を立派に受け継ぐ子供を、自分の責任において育てていかなければならないのであります。
大聖人は、「盂蘭盆御書」において、「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏になり給ふ。」と仰せられ、我々の追善供養の志は、上下七代にまでも及ぶほどの大きな功徳力となるからであります。
正しいご本尊様の元、ご先祖の御塔婆を建立し、読経・唱題をもって、懇ろに御回向申し上げた功徳は、単に家族を・父母を成仏に導くに止まらず、存外に=思いの外=七代先までにその回向が届き、更に今後の七代後までも、その功徳が及ぶと教えられているのでありますから、決して疎かにしてはならないのであります。
本日は、皆様の志により、七代に及ぶご先祖が成仏の境涯にて満足しておられることと確信いたします。
誠にご苦労様でした。