日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


三大秘法禀承事(三大秘法抄)

第一章 神力品の結要付嘱 [先頭へ戻る]

【三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳】
三大秘法稟承事 弘安5年4月8日 61歳御作

【夫〔それ〕法華経の第七神力品に云はく】
法華経の巻七の如来神力品第二十二に

【「要を以て之を言はゞ、如来の一切の所〔しょ〕有〔う〕の法、】
「要をもって、これを言わば如来の一切の所有の法(転法輪・一切法)、

【如来の一切の自在の神力、】
如来の一切の自在の神力(入涅槃・神力)、

【如来の一切の秘要の蔵、】
如来の一切の秘要〔ひよう〕の蔵〔ぞう〕(得菩提・秘蔵)、

【如来の一切の甚深の事、】
如来の一切の甚深の事〔じ〕(道場・甚深の事)、

【皆此の経に於て宣示顕説す」等云云。】
皆、この経において宣示〔せんじ〕顕説〔けんせつ〕す」と説かれていますが、

【釈に云はく「経中の要説、】
天台大師の法華文句に「法華経中の要説〔ようせつ〕の

【要は四事に在り」等云云。】
要〔よう〕は四事(甚深、秘蔵、一切法、神力)にあり」等とあります。


第二章 本尊と戒壇と題目 [先頭へ戻る]

【問ふ、所説の要言の法とは何物ぞや。】
それでは、この神力品で説くところの要言の法とは、いったい何物なのですか。

【答ふ、夫釈尊初成道より、】
それは、釈尊がインドにおいて初めて成道して以来、

【四味三教乃至法華経の】
四味(乳味・酪味・生酥味・熟酥味)三教(蔵教・通教・別教)から

【広〔こう〕開三顕一〔かいさんけんいち〕の席を立ちて、】
法華経の広く三乗(二乗・菩薩)を開いて一仏乗の説法の席を立って、

【略〔りゃっ〕開近顕遠〔かいごんけんのん〕を説かせ給ひし】
始成正覚を開いて久遠実成を説かれ、

【涌出品まで秘せさせ給ひし処の、】
従地涌出品第十五まで秘せられていた、

【実相証得の当初〔そのかみ〕修行し給ふ処の】
諸法の実相を証得された過去に修行されたところの

【寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。】
寿量品の本尊と戒壇と題目の五字の三大秘法であるのです。


第三章 本有無作の三身 [先頭へ戻る]

【教主釈尊、此の秘法をば三世に隠れ無き】
教主釈尊は、この三大秘法を過去、現在、未来の三世に隠れることのない

【普賢〔ふげん〕・文殊〔もんじゅ〕等にも譲り給はず。】
普賢菩薩、文殊菩薩などの大菩薩にも譲られなかったのです。

【況んや其の以下をや。】
まして、それ以下の菩薩に譲られなかったのは、なおさらのことであるのです。

【されば此の秘法を説かせ給ひし儀式は、】
ですから、この三大秘法を説かれた儀式は、

【四味三教並びに法華経の迹門十四品に異りき。】
方便権教や法華経の迹門十四品の時と大きく異なっていました。

【所居〔しょご〕の土は寂光本有〔ほんぬ〕の国土なり。】
舞台となった国土は、常住の寂光土であり、

【能居〔のうご〕の教主は本有無作の三身なり。】
そこに居る教主は、本有無作の三身如来なのです。

【所化〔しょけ〕以て同体なり。かゝる砌〔みぎり〕なれば】
弟子もまた同体なのです。このような時節であるので、

【久遠称揚の本眷属】
久遠元初以来から三大秘法を誉め称えてきた本眷属である、

【上行等の四菩薩を、】
上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行〔あんりゅうぎょう〕菩薩の四菩薩を、

【寂光の大地の底よりはるばると召し出だして付嘱し給ふ。】
常寂光土の大地の底から、はるばる呼び出して付属されたのです。

【道暹律師〔どうせんりっし〕云はく】
唐代の天台宗の僧、道暹律師は、法華文句輔正記〔ふしょうき〕に

【「法是久成〔くじょう〕の法なるに由るが故に】
「法はこれ久遠実成の法による故に

【久成の人に付す」等云云。】
久遠実成の本化の菩薩に付嘱する」と記しています。


第四章 三大秘法 [先頭へ戻る]

【問ふ、其の所嘱の法門、仏の滅後に於ては】
それでは、その所嘱された法門は、仏の滅後においては、

【何れの時に弘通し給ふべきや。答ふ、経の第七巻薬王品に云はく】
いずれの時に弘通されるのでしょうか。それは、法華経の第七巻薬王品第二十三に

【「後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、】
「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して

【断絶せしむること無けん」等云云。謹んで経文を拝見し奉るに】
断絶することはない」と説かれています。謹んで、この経文を拝見すると、

【仏の滅後正像二千年過ぎて、】
仏の滅後において正法千年、像法千年の二千年が過ぎて、

【第五の五百歳・闘諍〔とうじょう〕堅固〔けんご〕・】
第五の五百歳に当たり、闘〔たたか〕いや争〔あらそ〕いが盛んになり、

【白法〔びゃくほう〕隠没〔おんもつ〕の時云云。】
釈尊の教えた仏法の功力が失われた時であるとされています。

【問ふ、夫諸仏の慈悲は天月の如し。】
しかし、諸仏の慈悲は、天月のようであり、

【機縁の水澄めば】
衆生の仏法を求める想いが澄んだ水のように純粋であれば、

【利生の影を普く万機の水に移し給ふべき処に、】
仏法の功力の影を衆生のその澄んだ水に映されるはずなのです。

【正像末の三時の中に末法に限ると説き給ふは、】
それなのに正法、像法、末法の三時の中で末法に限ると説かれるのは、

【教主釈尊の慈悲に於て偏頗〔へんぱ〕あるに似たり、如何〔いかん〕。】
教主釈尊の慈悲に偏〔かたよ〕りがあるように思えるのですが、どうでしょうか。

【答ふ、諸仏の和光利物の】
それは、諸仏の衆生に恵みを与える変幻自在の智慧の

【月影は九法界の闇〔やみ〕を照らすと雖も、謗法〔ほうぼう〕】
月影は、九界の無明の闇を照らすけれども、正法を謗〔そし〕り、

【一闡提〔いっせんだい〕の濁水〔じょくすい〕には影を移さず。】
法華経を信じない者の濁〔にご〕った心の水には、月影を映さない。

【正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり。】
正法時代一千年の衆生は、小乗教や権大乗経によって利益があったのです。

【像法一千年には法華経の迹門機感相応せり。】
像法時代の一千年には、法華経の迹門によって衆生に利益があったのです。

【末法の始めの五百年には法華経の本門前後十三品を置きて、】
末法の始の五百年には、法華経の本門のうち、前後の十三品を差し置いて、

【只寿量の一品を弘通すべき時なり。】
ただ、法華経本門の寿量品の一品を弘通すべき時なのです。

【機法相応せり。】
末法の衆生は、この法華経本門の寿量品の一品以外に利益がないからなのです。

【今此の本門寿量の一品は】
今、この法華経本門の寿量品の一品は、

【像法の後の五百歳、機尚堪〔た〕へず。】
像法時代の後の五百歳の衆生でさえ、信じる事が難しいのです。

【況んや始めの五百年をや。】
まして像法時代の始めの五百年の衆生は、なおさらなのです。

【何かに況んや正法の機は迹門すら尚日浅し、】
いかに況や、法華経迹門ですら、日が浅くして、信じられないのに、

【増して本門をや。】
まして本門においては、なおさらなのです。

【末法に入って爾前・迹門は】
末法時代に入って爾前経や法華経迹門は、

【全く出離〔しゅつり〕生死〔しょうじ〕の法にあらず。】
ことごとく生死の苦しみから離れる法ではないのです。

【但專ら本門寿量の一品のみに限りて出離生死の要法なり。】
ただ、法華経本門の寿量品の一品だけが、生死の苦しみから離れる要法なのです。

【是を以て思ふに、諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云。】
このことから考えると、諸仏の化導に全く偏りは、ないのです。

【問ふ、仏の滅後正像末の三時に於て】
それでは、仏の滅後、正法、像法、末法の三時において、

【本化〔ほんげ〕・迹化〔しゃっけ〕の各々の付嘱分明なり。】
本化の菩薩と迹化の菩薩への、それぞれの付属は、明らかなのですが、

【但寿量の一品に限って末法濁悪の衆生の為なりといへる経文】
ただ、寿量品の一品のみが末法の濁悪の衆生に利益すると云う経文だけが、

【未だ分明ならず。】
未だに明らかになっていないと思うのです。

【慥〔たし〕かに経の現文〔げんもん〕を聞かんと欲す、如何。】
それが説かれている経文を、ぜひ聞きたいと思うのですが、いかがでしょうか。

【答ふ、汝強〔あなが〕ちに之を問ふ、聞いて後に堅く信を取るべきなり。】
あなたが強いて、これを問うのであれば、聞いた後は、堅く信じるべきでしょう。

【所謂寿量品に云はく「是の好き良薬〔ろうやく〕を、今留めて此に在く、】
いわゆる法華経の如来寿量品第十六に「この好き良薬を、今、留めてここに置く。

【汝取って服すべし。差〔い〕えじと憂〔うれ〕ふること勿〔なか〕れ」等云云。】
汝、取って服すべし。病いが治らないと憂えてはいけない」とあります。


第五章 本門の本尊 [先頭へ戻る]

【問ふ、寿量品は專ら末法悪世〔あくせ〕に限る】
なるほど、寿量品は、もっぱら末法の悪世に限るとの

【経文顕然〔けんねん〕なる上は私に難勢を加ふべからず。】
経文がはっきりしている以上、自分勝手な疑問を加えてはならないと思います。

【然りと雖も三大秘法其の体如何。】
しかし、三大秘法の、その法体とは、どんなものなのでしょうか。

【答ふ、予が己心の大事之に如〔し〕かず。】
それは、私〔わたくし〕の己心の大事な主題でもあるのです。

【汝が志無二なれば少し之を言はん。】
あなたの想いが無二であれば、少しこれを話しましょう。

【寿量品に建立する所の本尊は、】
法華経寿量品に建立するところの本尊とは、

【五百塵点の当初〔そのかみ〕より以来〔このかた〕、】
五百塵点の当初から、

【此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり。】
この国土に非常に厚い縁がある本有無作の三身の教主、釈尊がこれであるのです。

【寿量品に云はく「如来秘密神通之力」等云云。】
寿量品に「如来の秘密、神通の力」とあるのがこれです。

【疏〔しょ〕の九に云はく「一身即三身なるを名づけて秘と為し、】
法華文句の巻九に「一身即三身であることを秘と名付け、

【三身即一身なるを名づけて密と為す。】
三身即一身であることを密と名付ける。

【又昔より説かざる所を名づけて秘と為し、】
また、過去から説かないところを秘と名付け、

【唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す。】
ただ、仏のみ自ら知っているところを密と名付ける。

【仏三世に於て等しく三身有り、】
仏は、過去世、現在世、未来世の三世に等しく法報応の三身がある。

【諸教の中に於て之を秘して伝へず」等云云。】
もろもろの教えの中に、これを秘して伝えない」とあります。


第六章 本門の題目 [先頭へ戻る]

【題目とは二意有り。】
題目とは、二つの意義があります。

【所謂正像と末法となり。】
いわゆる、正法、像法の題目と末法における題目です。

【正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、】
正法時代には、天親菩薩、竜樹菩薩が題目を唱えられたけれども、

【自行計りにして唱へてさて止〔や〕みぬ。】
自行ばかりであって、これで止まっていたのです。

【像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、】
像法時代には、南岳大師、天台大師がまた南無妙法蓮華経と唱えられましたが、

【自行の為にして広く化他の為に説かず。】
これも自行のためであって広く他の人のためには、説かなかったのです。

【是理行の題目なり。】
これは、一心三観、一念三千の理観の題目であり、

【末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、】
末法時代に入って、今、日蓮が唱えるところの題目は、前の時代とは異なって、

【自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。】
自行化他にわたる南無妙法蓮華経であり、

【名体宗用教の五重玄の五字なり。】
釈名、弁体、明宗、論用、判教の五重玄を具〔そな〕えているのです。


第七章 本門の戒壇 [先頭へ戻る]

【戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、】
戒壇とは、王法が仏法を基本とし、仏法が王法と合致して、

【王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、】
王と家来が一緒にに本門の三大秘法を持〔たも〕ち、

【有徳王〔うとくおう〕・覚徳〔かくとく〕比丘〔びく〕の其の乃往〔むかし〕を】
正法護持の僧、覚徳比丘と、それを命を捨てて守った有徳国王の過去を、

【末法濁悪の未来に移さん時、】
末法の濁悪の未来に移し現わそうとする時、

【勅宣〔ちょくせん〕並びに御教書〔みぎょうしょ〕を申し下して、】
天皇の命令書ならびに行政が出す公文書によって、

【霊山〔りょうぜん〕浄土〔じょうど〕に似たらん最勝の地を尋ねて】
霊山浄土に似た最も優れた土地を探し求めて

【戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。】
戒壇を建立すべきであり、あとは、その時を待つだけなのです。

【事の戒法と申すは是なり。】
事の戒法と言うのは、このことなのです。

【三国並びに一閻浮提の人懺悔〔さんげ〕滅罪の戒法のみならず、】
インド・中国・日本の三国ならびに全世界の人が懺悔し滅罪するだけではなく、

【大梵〔だいぼん〕天王〔てんのう〕・帝釈〔たいしゃく〕等も】
大梵天や帝釈天なども

【来下〔らいげ〕して踏〔ふ〕み給ふべき戒壇なり。】
天上から降りて来て踏まれる戒壇なのです。


第八章 迹門戒壇の無益 [先頭へ戻る]

【此の戒法立ちて後、延暦寺〔えんりゃくじ〕の戒壇は迹門の理戒なれば】
この事の戒法が立った後は、比叡山延暦寺の戒壇は、迹門の理の戒法であるので、

【益〔やく〕あるまじき処に、叡山の座主〔ざす〕始まって】
利益がなくなってしまったところに、比叡山延暦寺に座主が置かれ始めてから

【第三・第四の慈覚・智証、】
第三代座主、慈覚と第四代座主、智証が、

【存外に本師伝教・義真に背きて、】
まさか、本師の伝教大師と第一代座主である義真に背き、

【理同事勝の】
「法華と真言は、理論は、同じであるが、事において真言が勝っている」と言う

【狂言を本として、我が山の戒法をあなづり、】
狂った言説を根本として、自らの比叡山延暦寺の戒法を侮〔あなど〕り、

【戯論〔けろん〕と謗ぜし故に、思ひの外に延暦寺の戒、】
法華経に対し、戯〔たわむ〕れの理論と謗〔そし〕ったために、延暦寺の戒壇が、

【清浄〔しょうじょう〕無染〔むぜん〕の中道の妙戒なりしが、】
清浄で汚れのない中道の妙法の戒壇であったにもかかわらず、

【徒に土泥〔どでい〕となりぬる事云ひても余りあり、】
ただの土泥となってしまったことは、悔〔くや〕やんでも悔やみきれず、

【歎きても何かはせん。】
いまさら、歎〔なげ〕いてもどうにもできないことなのです。

【彼の摩黎〔まり〕山の瓦礫〔がりゃく〕となり、】
南インドのマラヤ山が荒涼とした土地となり、

【栴檀林〔せんだんりん〕の□棘〔いばら〕となるにも過ぎたるなるべし。】
栴檀〔せんだん〕の林が茨〔いばら〕となることよりも残念なことなのです。

【夫一代聖教の邪正偏円を弁へたらん学者の人をして、】
釈尊の一代聖教の邪と正、辺と円を弁〔わきま〕えている学生に、

【今の延暦寺の戒壇を踏ましむべきや。】
このような現在の延暦寺の戒壇を踏ませることができるでしょうか。

【此の法門は理を案じて義をつまびらかにせよ。】
この法門は、道理を弁〔わきま〕えて、その意義を明白にするべきなのです。


第九章 三大秘法禀承事〔ぼんじょうのこと〕 [先頭へ戻る]

【此の三大秘法は二千余年の当初〔そのかみ〕、地涌千界の上首として、】
この三大秘法は、二千余年前の、その時、地涌の菩薩の上首、上行菩薩として、

【日蓮慥かに教主大覚世尊より口決〔くけつ〕せし相承〔そうじょう〕なり。】
日蓮が確かに教主釈尊の口から直接に相伝したのです。

【今日蓮が所行は霊鷲山〔りょうじゅせん〕の稟承に】
今、日蓮が修行し広めている法門は、霊鷲山において相承した通りの、

【介爾〔けに〕計りの相違なき、色も替はらぬ】
まったく相違のない、姿かたちも、変わらない

【寿量品の事の三大事なり。】
法華経本門寿量品、文底の事の三大秘法であるのです。


第十章 事の一念三千 [先頭へ戻る]

【問ふ、一念三千の正しき証文如何。】
それでは、一念三千の正しい証拠の文章は、どこにあるのでしょうか。

【答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。】
それは、次の文章なのです。これには、二種があります。

【方便品に云はく「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令】
法華経方便品第二に「諸法の実相いわゆる諸法の如是相、中略、

【衆生開仏知見」等云云。】
衆生をして仏知見を開かせようと欲する」と説かれています。

【底下〔ていげ〕の凡夫理性〔りしょう〕所具〔しょぐ〕の】
この文は、理解力が劣った凡夫が理論的に具〔そな〕えているところの

【一念三千か。】
一念三千を表しているのです。

【寿量品に云はく「然我実成】
また、法華経寿量品第十六には、「我、実に成仏してより已来〔このかた〕、

【仏已来無量無辺」等云云。】
無量無辺百千万億那由他劫である」と説かれています。

【大覚世尊久遠〔くおん〕実成〔じつじょう〕の当初証得の一念三千なり。】
この文は、釈尊が久遠に成仏した当初に証得した一念三千を著わしているのです。

【今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり。】
今、日蓮が末法の時に感じて、この法門を広く宣べ流布するのです。

【予年来〔としごろ〕己心に秘すと雖も】
私〔わたくし〕が、久しく以前から己心に秘めておりましたが、

【此の法門を書き付けて留め置かずんば、】
この三大秘法の法門を書き付けて留め置かなければ、

【門家〔もんけ〕の遺弟等定めて無慈悲の讒言〔ざんげん〕を加ふべし。】
我が門下の弟子たちが、必ずや無慈悲であると、さぞや恨むことでしょう。

【其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間】
そうなった後では、どのように悔〔く〕いても、どうしようもないと思う故に、

【貴辺に対し書き遺〔のこ〕し候。】
あなたに対しこの法門を書き送ったのです。

【一見の後は秘して他見有るべからず、】
あなたが一見した後は、秘蔵して他人に見せてはなりません。

【口外も詮無し。】
他人に話しても意味がありません。

【法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、】
法華経を諸仏が、この世に出現し、一大事として説かれたことは、

【此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。】
この三大秘法を包含して説いている経文であるからなのです。

【秘すべし秘すべし。】
このことは、秘密にしておくべき、重大なことなのです。

【弘安五年卯月八日   日蓮花押】
弘安5年卯月8日   日蓮花 押

【大田金吾殿御返事】
大田金吾殿御返事


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