日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


三大秘法禀承事

三大秘法稟承事〔ぼんしょうのこと〕 (御書1593頁)

本書は、三大秘法抄とも呼ばれ、弘安5年(西暦1282年)年4月8日、日蓮大聖人が御歳六十一歳の時に身延の地より下総国〔しもうさのくに〕葛飾郡〔かつしかぐん〕八幡荘〔やはたそう〕、現在の千葉県、市川市付近に住んでいた太田乗明〔じょうみょう〕を代表として門下に与えられた重要御書です。
太田乗明は、武士の呼称である大田左衛門尉、大田金吾などの名前でも呼ばれており、富木常忍や曾谷教信とともに八幡荘中山の富木常忍の館(やかた)跡〔あと〕とされる現在の中山法華経寺の近くに住んでおり、現在でも、この場所には、中山、曾谷、八幡などの地名が残っています。
太田入道殿御返事(転重軽受事)の中で真言宗を厳しく破折された後に「抑〔そもそも〕貴辺は」「此の罪消え難きか。」(御書913頁)とあるところから、真言宗の熱心な信者であったことがわかり、仏教に関する知識もかなり深かったと思われます。
本抄の題名の稟承とは、授け受けると云うことで相承と同じ意味です。
つまり日蓮大聖人が弘安二年に建立された三大秘法の大御本尊は、本化〔ほんげ〕地涌〔じゆ〕の菩薩の上首〔じょうしゅ〕、上行〔じょうぎょう〕菩薩が釈迦牟尼仏より確かに相承されたものであることから、この題号が付与されたのです。
この三大秘法とは、「実相証得の当初〔そのかみ〕修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。」(御書1593頁)と本抄にあるように「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」のことであり、日蓮正宗の宗旨の根本である大御本尊のことなのです。
仏教では、修行者が必ず修めなければならない基本として戒〔かい〕定〔じょう〕慧〔え〕の三学を説いていますが、この三学の中の戒とは、邪宗や我見を積極的に破折し悪を止〔とど〕めることであり、定とは、自らの姿を鏡に照らして返り見る事であり、慧とは、煩悩〔ぼんのう〕の原因を明らかにし、仏の説かれる真理を体得することを言います。
大聖人は、この三学と三大秘法の関係について、御義口伝の「建立〔こんりゅう〕御本尊等の事」の中に「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是〔これ〕なり。」(御書1773頁)と仰せになり、戒定慧の三学は、そのまま三大秘法であると明らかにされています。
また本抄において「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。(御書1595頁)」と仰せられ、三大秘法は、法華経の根源の法であることを明かされています。
三大秘法には、本門の本尊に「人本尊」と「法本尊」があり、本門の戒壇に「事の戒壇」と「義の戒壇」があり、本門の題目に「信の題目」と「行の題目」と云う六義があり、これらは、別々に存在するものではなく、この六義を合すれば三大秘法となり、三大秘法は、さらに諸仏出世の一大事である大御本尊に納まり、さらに、また、この一大秘法を開けば、三大秘法となり、さらに開けば六義、すなわち六大秘法となり、さらには、八万法蔵の法門と開かれることになります。
この一大秘法の実体は、本門戒壇の大御本尊であり、一切衆生を成仏に導く根本の本尊となるのです。
この本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人から日蓮一期弘法付嘱書(御書1675頁)において「日蓮一期〔いちご〕の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。」とあり、「血脈の次第 日蓮日興」とあることから、唯受一人〔ゆいじゅいちにん〕の血脈として、数多くの弟子の中から、ただ一人、日興上人に相承されました。この血脈は、日蓮正宗において歴代の御法主上人猊下に脈々と受け継がれ、現在の日如猊下に至るのであり、また恐れ多い事に正宗の御僧侶方により、我々、日蓮正宗の信者にまで流れているのです。
本抄では、まず、初めに法華経如来神力品の結要付嘱〔けっちょうふぞく〕の「要を以て之を言はゞ、如来の一切の所〔しょ〕有〔う〕の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(御書1593頁)の文を挙げられ、如来の一切の所有の法、自在の神力、秘要の蔵、甚深の事が結要付嘱の四つの要点である事を述べられています。如来の一切の所有の法とは、地涌の菩薩に対して付嘱される釈迦牟尼仏が説かれたすべての教えの根本であり、自在の神力とは、如来が一切の諸法に対してあらわす自在の神力であり、五重玄に約せば妙用であり、三大秘法に約せば本門の戒壇となります。また、秘要の蔵とは、如来の証得する一切の実相で秘密に通達している蔵であり、五重玄に約せば妙体であり、三大秘法に約せば本門の本尊のことになります。さらに甚深の事とは、如来が修得する一切の因果であり、五重玄に約せば妙宗であり、三大秘法に約せば本門の題目となります。つまり、如来神力品で明かされた結要付嘱の内容とは、如来の一切法であり、三大秘法のことであることを、まず、この御書の冒頭で明かされています。
次に、その現文についての問いに対して法華経如来寿量品の「是の好〔よ〕き良薬〔ろうやく〕を、今留めて此に在〔お〕く、汝取って服すべし。差〔い〕えじと憂〔うれ〕うること勿〔なか〕れ」(御書1594頁)の文を挙げられています。この文自体が三大秘法を顕〔あらわ〕しているのです。観心本尊抄では「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教〔みょうたいしゅうゆうきょう〕の南無妙法蓮華経是〔これ〕なり。」(御書658頁)と仰〔おお〕せられて、是好良薬を三大秘法総在の南無妙法蓮華経とされており、日寛上人は、依義判文抄において「是好良薬〔ぜこうろうやく〕」は、即ち是れ本門の本尊なり。「今留在此〔こんるざいし〕」は、是れ本門の戒壇なり。「汝可取服〔にょかしゅぶく〕」は、即ち是れ本門の題目なりと経文のそれぞれの言葉を具体的に三大秘法に置き換えられています。
このように結要付嘱の法とは、三大秘法のことであり、末法において上行菩薩などの四菩薩に付嘱され、末法に弘通されることを述べられ、次にその三大秘法の本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇について、さらに深い内容へと入っていきます。
この本門の本尊とは、根本〔こんぽん〕となして尊崇〔そんすう〕すると云う意味で、ほかにも、本有尊形〔ほんぬそんぎょう〕、本来尊重〔ほんらいそんじゅう〕と云う意義があり、宗教には、それぞれに本尊が存在します。日蓮大聖人は、本尊問答抄に「本尊とは勝れたるを用ふべし。」(御書1275頁)と仰せられ、正しい宗教を選ぶ為には、最も勝〔すぐ〕れた本尊であるかどうかが大事であることを御教示されています。
本抄で述べるところの本門の本尊について、日寛上人は、観心本尊抄文段において本抄を引用して次のように記〔しる〕されています。
問う、三大秘法抄に云く「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初〔そのかみ〕より以来此土〔いらいしど〕有縁深厚〔うえんじんこう〕本有無作〔ほんぬむさ〕三身〔さんじん〕の教主釈尊是れなり。」と云云。この文は如何。答う、この文の意に謂く、我が内証の寿量品に建立する所の本尊は即ちこれ久遠元初の自受用身〔じじゅゆうしん〕、本因妙の教主釈尊これなりという文なり。故に「五百塵点の当初」という。即ち勘文抄の「五百塵点の当初・凡夫にて御坐〔おわ〕せし時」等の文と同じきなり。
ここで日寛上人は、三大秘法抄にある本尊とは、我が内証の寿量品に建立する所の本尊とあるように日蓮大聖人の己心に建立された本尊のことであり、日蓮大聖人こそ、久遠元初の自受用身、本因妙の教主であるとの意であるとの御教示なのです。
つまり、ここで云うところの本有無作三身の教主とは、末法の御本仏である日蓮大聖人であり、本抄にある如来秘密神通之力とは、日蓮大聖人の本懐である弘安二年に御図顕の大御本尊のことなのです。つまりは、人本尊とは、日蓮大聖人のことであり、法本尊とは、弘安二年の大御本尊のことなのです。 また、本門の題目とは、本抄で、正法、像法時代で唱えられていた竜樹、天台、伝教などの自行のみの「理行の題目」ではなく、自行化他にわたる南無妙法蓮華経であることを御教示されています。
つまりは、大聖人自らが唱えられる自行の題目は、そのまま、信仰の対象となる「信の題目」となり、その大御本尊に対して唱える題目を化他の「行の題目」とし、本門の題目は、自行化他にわたると御教示なのです。これは、そのまま師弟不二の題目であり、日蓮大聖人と心を同じくして唱える題目も自行化他にわたる題目と言えます。また、今日においては、日如猊下とともに唱える題目がこれにあたります。
さらに本門の戒壇とは、本門の本尊を安置する場所のことであり、その戒壇には、事の戒壇と義の戒壇の立て分けがあります。
この中の事の戒壇とは、まさに本抄の「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王〔うとくおう〕・覚徳比丘〔かくとくびく〕の其の乃往〔むかし〕を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣〔ちょくせん〕並びに御教書〔みぎょうしょ〕を申し下して、霊山〔りょうぜん〕浄土〔じょうど〕に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」(御書1595頁) と示されるように、信仰者が仏法僧を護持する王仏冥合と云う現実において広宣流布の時に建立されるべき戒壇で、前述の日蓮一期弘法付嘱書(御書1675頁)に「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時の待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。」とあるように、現在の総本山・富士大石寺・奉安堂であり、そこに安置される本尊こそ本門戒壇の大御本尊なのです。
言い換えれば、この本門戒壇の大御本尊が在〔まします〕処は、まさに現時における事の戒壇なのです。
また、義の戒壇とは、歴代の御法主上人猊下が書写された御本尊の安置される寺院や家庭などの場所にその意義がことごとく存在するのです。
最後に本抄の最終個所で「予年来〔としごろ〕己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家〔もんけ〕の遺弟等定めて無慈悲の讒言〔ざんげん〕を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺〔のこ〕し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し。」(御書1595頁)と仰せられていることで明らかなように日蓮大聖人は、以前から心中深く秘めておられた大事な法門を残しておかずに入滅すると遺〔のこ〕された弟子たちが無慈悲に思い、その時に後悔しても仕方がないので、これを書き留めて送ることにしたと本抄御執筆の目的を明らかにされています。そして本抄を一読した後は、秘して他人に見せたり口外してはならないと戒められ、ここに書き記された法門が極秘の重要なことであることを告げられています。
日淳上人は、このことについて、三大秘法抄拝読に次のように御指南されています。
三大秘法抄は、弘安四年冬月八日(近年、総本山第六世日時上人が御書写された三大秘法抄の写本が発見されており、これには、弘安五年四月八日の日付となっている。)檀越大田金吾殿への御返事として、御示し遊ばされた御書であります。此の御書には、日蓮大聖人の御一期の化導を総括遊ばされて、三大秘法即ち本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇に就いて、その出現の縁由とその体とを御説示なされ、殊に戒壇についてその相貌を御示し遊ばされてをりまして、大聖人の御書数百篇中極めて重要なる地位を、占めてをるのであります。大聖人の御書中五大部とか十大部とか申し上げ、立正安国論、開目抄、観心本尊抄、撰時抄、報恩抄等その他を数へ挙げまして、この三大秘法抄は、その中に入りませんが、此れはこの御書の伝持の上から特異の立場にあったがために、かく扱はれたもので、その御指南の法門から拝すれば最も重要なる御書であります。それは、この御書が大聖人の、御一代の大綱を御示しなされてあるからであります。他の御書は、大聖人出世の縁由とか御題目とか、或は御本尊とかについて御教示遊ばされたり、或は三大秘法の名目を御示しになってはをりますが、三秘整足して御教示遊ばされたのはこの御書であります。それ故大聖人の御化導の終窮究竟の全貌と、大綱とを拝察申し上げるには此の御書に依らなければなりません。よって大聖人の御書を拝するには、第一に此の御抄を拝して、大綱を了解し奉って、後に他御書を拝するといふことにしなければなりません。此の順序を、とりませんで、やたらと御書を拝すると、御書の文を拝しても大聖人の御正意を了解し奉ることはできないのであります。日蓮大聖人の門下と申す程の者は、御書を拝し御書によってをるのでありますが、それにも拘らず御本尊より御題目に重点を置いたり、行者の住処を戒壇としたり、御釈迦様が本尊だといったりして、飛んでもないことを申してをりますが、これ皆大聖人の御一代の施化の大綱を拝察せずして御書の一文一義に執するからであります。(日淳上人全集上巻383頁)
このように日淳上人の仰せの通り、本抄は、御入滅の約半年前の日蓮大聖人の御遺命とも言える最重要の御書であるのです。

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