日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


白米一俵御書

白米一俵御書(御書1544頁)

本抄は、弘安3年(西暦1280年)、日蓮大聖人が59歳の時に認〔したた〕められた御書です。御真筆は、総本山大石寺にありますが、残念ながら最後の部分が欠損しており、どなたに与えられたものかは判っていません。また「事供養」と「理供養」について述べられていることから「事理供養御書」とも呼ばれています。
日蓮大聖人は、蒙古襲来が迫る文永11年(西暦1274年)3月に幕府よりの赦免〔しゃめん〕状が佐渡に届くと二年半ぶりに鎌倉へ戻られました。
そして4月8日、大聖人は、幕府の平左衛門尉頼綱〔へいのさえもんのじょうよりつな〕と対面し、三度目の諌暁〔かんぎょう〕を行われましたが、平左衛門尉は、大聖人の謗法破折の言葉を無視し、領地や堂宇の寄進を餌〔えさ〕に蒙古襲来の時期を聞き出そうと、ひたすら大聖人を懐柔〔かいじゅう〕しようとしたのです。
これに対して大聖人は、頼綱の申し出を断り、「又賢人の習ひ、三度〔みたび〕国をいさ〔諫〕むるに用ゐずば山林にまじわれということは定まれるれい〔例〕なり。」〔御書1030頁)と述べられて、身延山に入られたのです。
この身延に居〔お〕られた日蓮大聖人に厚綿の小袖〔こそで〕を送られた富木常忍に与えらえた観心本尊得意抄で「身延山は知〔し〕ろし食〔め〕す如く冬は嵐はげ〔激〕しく、ふり積む雪は消えず、極寒の処にて候間、昼夜の行法もはだ〔膚〕うす〔薄〕にては堪〔た〕へ難く辛苦〔しんく〕にて候に、此の小袖を著ては思ひ有るべからず候なり。」(御書914頁)とあり、また「みのぶ〔身延〕のたけ〔嶽〕にはしを〔塩〕な〔無〕し。」(御書970頁)「山中にて共にう〔飢〕え死にし候はん。」(御書899頁)とあるように飢えや寒さに御苦労を重ねられていました。
そうした中で、白米一俵が届けられたのです。
この白米によって日蓮大聖人は、命をつなぎとめ、正法の法灯を守り抜くことができるのです。
よって日蓮大聖人は、この真心が込められた御供養には、仏を救うに等しい大功徳が存することを、本抄において示されているのです。
はじめに身に纏〔まと〕う衣〔ころも〕と食物は、魚にとっての水、草木にとっての大地と等しく、人間が生きていくために必要不可欠な財〔たから〕であることを示され、その理由は、衣や食物があってこそ、何物にも代えることができない最高の宝である生命を養〔やしな〕い育〔はぐく〕むことができるからであると述べられ、しかし、その最高の財である命を仏に供養して仏に成るのであり、それ故に雪山〔せっせん〕童子は、身を捨て、薬王菩薩は、臂〔ひじ〕を焼き、聖徳太子は、手の皮をはいで、天智天皇は、指を法華経に供養したと仰せなのです。
ただし、「凡夫は、志〔こころ〕ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。」と御教示され、それが「観心〔かんじん〕の法門」であり、衣を法華経の為に供養することが、身の皮をはぐことに相当し、今日の命をつなぐ食物を仏に供養することが、身命を仏に供養することにあたるのであり、薬王菩薩や雪山童子にも劣らぬ功徳で有り、これを聖人の事供養に対して、凡夫の理供養と言い、摩訶止観の第七の観心の壇波羅蜜〔だんはらみつ〕とは、このことであると明かされています。
法華経と爾前経の違いを「爾前の経々の心は、心より万法が生ず。譬〔たと〕へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心、すなはち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此をもってしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなはち命なり。」と述べられて本抄を結ばれています。
このように日蓮大聖人は、一往は、天台大師の事供養、理供養の説を踏襲〔とうしゅう〕されながらも、供養の内容や大きさではなく、その志ざしこそ観心の法門に適った供養の姿であり、現在においては、その真心の供養こそ、聖人の事供養に優る理供養であるとされ、これを壇波羅蜜であると述べられています。
それは、ここで供養された白米が、末法の本仏である日蓮大聖人の命をつなぐ糧〔かて〕であるからなのです。

第一章 生命が第一の財宝 [先頭へ戻る]

【白米一俵御書 弘安三年 五九歳】
白米一俵御書 弘安3年 59歳御作

【白米一俵・けいも〔毛芋〕ひとたわら〔一俵〕・】
白米一俵、毛芋一俵、

【こふ〔河〕のり〔海苔〕ひとかご〔一籠〕・御つかい〔使〕を】
河海苔〔かわのり〕一籠〔ひとかご〕を、

【もってわざわざをく〔送〕られて候。】
わざわざ使いの者を遣〔つか〕わされて送っていただきました。

【人にも二つの財〔たから〕あり。一には衣、二には食なり。】
誰でも、人には、ふたつの財がありますが、一つは、衣服、二つには、食物です。

【経に云はく】
経文にも

【「有情〔うじょう〕は食〔じき〕に依〔よ〕って住〔じゅう〕す」と云云】
「有情は、食に依って住す」と説かれています。

【文の心は、生ある者は衣と食とによって】
この文章の意味は、生きている者は、衣服と食物によって、

【世にすむと申す心なり。魚は水にすむ、水を宅とす。】
世に住んでいると言うことです。魚は、水に棲むゆえに水を家とし、

【木は地の上にを〔生〕いて候、地を財とす。】
木は、地面の上に生えるゆえに、地面を財とするのです。

【人は食によて生あり、食を財とす。】
人間は、食物によって生きるゆえに、食物を財とするのです。

【いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。】
生命と言うものは、一切の財の中で第一の財なのです。

【遍満〔へんまん〕三千界〔さんぜんかい〕】
「三千界に遍満するも、

【無有〔むう〕直身命〔じきしんみょう〕とと〔説〕かれて、】
身命に直〔あた〕いするもの有ること無し」と説かれ、

【三千大千世界にみてゝ候財もいのち〔命〕にはかへぬ事に候なり。】
三千大千世界に満ちた財であっても、生命に代えることはできないのです。

【さればいのちはともし〔灯〕びのごとし。】
それゆえ生命は、灯火〔ともしび〕のごとく、

【食はあぶら〔油〕のごとし。あぶらつ〔尽〕くれば】
食物は、油のようなものなのです。油が尽〔つ〕きれば、

【ともし〔灯〕びき〔消〕へぬ。食なければいのち〔命〕たへぬ。】
灯火は消えるのです。食物がなければ、生命は、途絶えてしまうのです。


第二章 賢人・聖人の帰命 [先頭へ戻る]

【一切のかみ〔神〕仏をうやま〔敬〕いたてまつる】
一切の神や仏を敬う最初の言葉には、

【始めの句には、南無と申す文字をを〔置〕き候なり。】
必ず南無と言う文字を置いています。

【南無と申すはいかなる事ぞと申すに、】
南無と言うのは、どう云うことかと言えば、

【南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命〔きみょう〕と申す。】
南無と言うのは、インドの言葉であって、中国や日本では、帰命と言います。

【帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。】
帰命と言うのは、我が生命を仏に奉ると云うことなのです。

【我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等もてる人々もあり、】
人は、身分によって、妻子、家来、所領、金銀などを持っている人々もおり、

【また財なき人々もあり。】
また、そうした財産を持っていない人々もいます。

【財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず。】
しかし、財産のある人も、ない人も、生命という財に過ぎたるものはないのです。

【さればいにし〔古〕への聖人賢人と申すは、】
それゆえ、昔の聖人、賢人と言われた人は、

【命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。いわゆる雪山童子と申せし人は、】
生命を仏に供養して成仏したのです。雪山童子と言う人は、

【身を鬼にまかせて八字をならへり。】
我が身を鬼神に捧〔ささ〕げて「生滅滅已、寂滅為楽」の八字を習い、

【薬王菩薩と申せし人は、臂〔ひじ〕をやいて法華経に奉る。】
薬王菩薩と言う人は、自らの臂を焼いて法華経に奉〔たてまつ〕ったのです。

【我が朝にも聖徳太子と申せし人は、】
我が日本国でも、聖徳太子と言う人は、

【手のかわ〔皮〕をはいで法華経をかき奉り、】
手の皮を剥〔は〕いで紙に代え、法華経を書写し、

【天智天皇と申せし国王は、無名指と申すゆび〔指〕をたいて釈迦仏に奉る。】
天智天皇と言う国王は、くすり指を削って釈迦仏に供養したのです。

【此等は賢人聖人の事なれば我等は叶ひがたき事にて候。】
これらは、賢人、聖人のことですから、我ら凡夫には、叶いがたいことなのです。


第三章 事供養と理供養 [先頭へ戻る]

【たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。】
仏に成るということは、凡夫は、志と云う文字を心得て仏に成るのです。

【志ざしと申すはなに事ぞと、委細〔いさい〕にかんがへて候へば、】
志と言うのは、どのようなことかと詳しく考えれば、

【観心〔かんじん〕の法門なり。】
それは、観心の法門のことなのです。

【観心の法門と申すはなに〔何〕事ぞとたづ〔尋〕ね候へば、】
この観心の法門と言うのは、どのようなことかと尋ねれば、

【たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、】
ただ一枚しかない衣服を法華経に供養することが、

【身のかわ〔皮〕をはぐにて候ぞ。】
身の皮を剥ぐことを云うことになるのです。

【う〔飢〕へたるよ〔世〕に、これはな〔離〕しては、】
また、飢饉の世に、これを供養してしまえば、

【けう〔今日〕の命をつぐべき物もなきに、】
今日の命をつなぐ物もない時に、

【たゞひとつ候ごれう〔御料〕を仏にまいらせ候が、】
ただ一つの食物を仏に供養することが、

【身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。】
身命を仏に奉〔たてまつ〕ったことになるのです。

【これは薬王のひぢ〔臂〕をやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にも】
これは、薬王菩薩が臂〔ひじ〕を焼き、雪山童子が身を鬼神に与えたことにも、

【あいをと〔劣〕らぬ功徳にて候へば、】
劣らない功徳であって、

【聖人の御ためには事〔じ〕供〔く〕やう〔養〕、】
聖人が身命さえ捨てて行う事供養、

【凡夫のためには理〔り〕くやう〔供養〕、】
凡夫の悟りを求め、観心の行法に励む理の供養であると云うのが、

【止観の第七の観心の檀はら〔波羅〕蜜と申す法門なり。】
摩訶止観巻七に明かされている観心の修行のなかの檀波羅密と云う法門なのです。


第四章 爾前経と法華経の違い [先頭へ戻る]

【まことのみち〔道〕は世間の事法にて候。金光明経には】
真実は、世間の事法がそのまま仏道なのです。金光明経には

【「若し深く世法を識〔し〕れば即ち是〔これ〕仏法なり」ととかれ、】
「若し深く世法を識れば、即ち、是れ仏法なり」と説かれ、

【涅槃経には「一切世間の外道の経書は】
涅槃経には「一切世間の外道の経書は、

【皆是〔これ〕仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、】
皆、是れ仏説にして、外道の説に非ず」と明かされています。

【妙楽大師法華経の第六の巻の】
これを妙楽大師は、法華経の第六の巻の

【「一切世間の治生産業は皆実相と相〔あい〕違背〔いはい〕せず」の】
「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との

【経文に引き合はせて心をあらわされて候には、彼々〔かれがれ〕の】
経文に引き合わせ、その意義を説き顕して「金光明経と涅槃経の

【二経は深心の経々なれども、彼の経々は】
二経は、一往は深い教えの経々ではあるが、

【いまだ心あさ〔浅〕くして法華経に及ばざれば、】
かの経々は、いまだ浅く法華経に及ばないので、

【世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしか〔然〕らず。】
世間の法を仏法に依るものとして教えている。しかし、法華経は、そうではなく、

【やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。】
世間の法が、そのまま仏法の全体である」と解釈されています。

【爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬〔たと〕へば心は大地のごとし】
爾前の経々の教えは、万法は心から生ずる。譬えば心は、大地のようなものであり、

【草木は万法のごとしと申す。】
草木は、万法のようなものである」と言うことです。

【法華経はしからず、】
しかし、法華経はそうではないのです。

【心すなはち大地、大地則ち草木なり。】
心は、すなわち大地であり、大地は、すなわち草木であると言うことなのです。

【爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、】
爾前の経々の教えは、心が澄むのは月のごとく、

【心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。】
心の清いのは花のごとしと言うことなのです。しかし、法華経は、そうではなく、

【月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。】
月がそのまま心であり、花がそのまま心なのであると言う法門なのです。

【此れをもってしろしめせ。】
このことから、理解してください。

【白米は白米にはあらず。すなはち命なり。】
あなたが供養される白米は、白米ではなく、あなたの命なのです。


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