御書研鑚の集い 御書研鑽資料
乙御前御消息(下)
【女人は夫〔おとこ〕を魂とす。夫なければ女人魂なし。】
女性は、夫を魂とするのです。夫がなければ、女性の魂は、ないも同じなのです。
【此の世に夫ある女人すら、世の中渡りがた〔難〕ふみえて候に、】
この世に夫のいる女性でさえ、世の中を生きていくのが難しいのに、
【魂もなくして世を渡らせ給ふが、】
魂と頼む夫がいなくとも、健気〔けなげ〕に世を渡られている、あなたは、
【魂ある女人にもすぐ〔勝〕れて心中かひがひしくおはする上、神にも心を入れ、】
夫がいる女性よりも、心の中が細やかで、気を配っておられる上に神を信じ、
【仏をもあが〔崇〕めさせ給へば、人に勝れておはする女人なり。】
仏も尊〔とうと〕ばれているので、人よりも優れた女性でおられるのです。
【鎌倉に候ひし時は念仏者等はさてをき候ひぬ。】
日蓮が鎌倉にいた時には、念仏者などは、さておいても、
【法華経を信ずる人々は、志あるもなきも知られ候はざりしかども、】
法華経を信ずる人々は、だれが信心があるかないかは、分からないものですが、
【御勘気〔ごかんき〕をかほりて佐渡の島まで流されしかば、】
北条氏の怒りを買って、佐渡の島まで流されてみると、
【問ひ訪〔とぶら〕ふ人もなかりしに、女人の御身として】
訪〔おとず〕れる人もなかったのに、女性の身でありながら、
【かたがた御志ありし上、我と来たり給ひし事】
色々と信心を示された上に、自ら、遥々〔はるばる〕、佐渡まで来られたことは、
【うつゝ〔現〕ならざる不思議なり。】
現実とは、思えないほど不思議なことです。
【其の上いま〔今〕のまう〔詣〕で又申すばかりなし。】
その上、この度の身延への御訪問は、何とも申し上げようもありません。
【定んで神もまぼ〔守〕らせ給ひ、十羅刹も御あは〔憐〕れみましますらん。】
必ず、諸天善神も守られ、十羅刹〔らせつ〕も讃嘆されていることでしょう。
【法華経は、女人の御ためには、暗きにともしび〔灯火〕、】
法華経は、女性の為には、暗い夜には、燈火〔ともしび〕となり、
【海に船、おそ〔恐〕ろしき所にはまぼ〔守〕りとなるべきよし】
海を渡る折には、船ともなり、恐ろしい所では、護衛の者にもなると、
【ちか〔誓〕はせ給へり。羅什〔らじゅう〕三蔵は法華経を渡し給ひしかば、】
薬王品に誓われています。羅什〔らじゅう〕三蔵が中国へ法華経を伝えた時には、
【毘沙門天王〔びしゃもん・てんのう〕は無量の兵士〔つわもの〕をして】
毘沙門天王は、無数の兵士を遣〔つか〕わして、
【葱嶺〔そうれい〕を送りしなり。道昭〔どうしょう〕法師は野中にして】
青く連なる峰々を送ったと言います。また道昭〔どうしょう〕法師が野中で
【法華経をよ〔読〕みしかば、無量の虎〔とら〕来たりて守護しき。】
法華経を読誦したとき、無数の虎が現れて守護したと伝えられています。
【此も又彼にはかはるべからず。】
あなたも、また羅什三蔵のように諸天が、守護しないはずがありません。
【地には三十六祇〔ぎ〕、天には二十八宿〔しゅく〕まぼ〔守〕らせ給ふ上、】
地には、三十六神、天には、二十八の星座があって守っている上に、
【人には必ず二つの天、影の如くにそ〔添〕ひて候。】
人には、必ず、二つの天が、影のように付き添っているのです。
【所謂〔いわゆる〕一をば同生〔どうしょう〕天と云ひ、】
いわゆる一を同生天と言い、
【二をば同名〔どうみょう〕天と申す。】
二を同名天と言います。
【左右の肩にそひて人を守護すれば、失〔とが〕なき者をば】
この二神が常に、人の左右の肩に付き添って守護するので、罪のない者を
【天もあやまつ事なし。況んや善人におひてをや。】
天が罰することはないのです。まして、善人を罰するはずが、ありません。
【されば妙楽〔みょうらく〕大師のたまはく「必ず心の固きに仮〔よ〕りて】
それ故に妙楽大師は、「必ず心の固〔かた〕きに仮りて
【神の守り則ち強し」等云云。人の心かたければ、神のまぼ〔守〕り必ず】
神の守り則ち強し」等と言われています。心の堅固な者には、神の守りが、必ず、
【つよしとこそ候へ。是は御ために申すぞ。】
強いと言うのです。このように言うのは、あなたの為に言っているのです。
【古〔いにしえ〕の御心ざし申す計りなし。其れよりも今〔いま〕一重】
前々からの信心については、言い尽くせません。ですが、それよりも、なお一層
【強盛〔ごうじょう〕に御志あるべし。其の時は弥々〔いよいよ〕】
強盛〔ごうじょう〕の信心をしてください。その時は、ますます、
【十羅刹女〔じゅうらせつにょ〕の御まぼ〔守〕りもつよかるべしとおぼすべし。】
十羅刹女の守りも、強くなることと思ってください。
【例〔ためし〕には他を引くべからず。日蓮をば日本国の上〔かみ〕一人より】
その例は、他から引くには、及びません。この日蓮を日本国の上一人より
【下〔しも〕万民に至るまで一人もなくあや〔失〕またんとせしかども、】
下万民に至るまで、一切の人々が殺害しようとしましたが、
【今までか〔斯〕うて候事は一人なれども】
いままで、こうして無事に生きて来られたことは、日蓮は、一人であっても
【心のつよき故なるべしとおぼすべし。】
法華経を信ずる心の強い故に、諸天が守護されたのであると思ってください。
【一つ船に乗りぬれば、船頭〔せんどう〕のはかり事わる〔拙〕ければ】
一隻の船に乗り合わせてしまえば、船頭の舵取〔かじとり〕が悪ければ、
【一同に船中の諸人損じ、又身つよき人も、心かひなければ】
船中の人々は、同じように命を失い、また、いかに体が強くても、心が弱ければ、
【多くの能〔のう〕も無用なり。日本国にはかしこき人々はあるらめども、】
多くの能力も役に立たないのです。日本国には、賢明な人々は、いるようですが、
【大将のはかり事つたなければかひなし。】
大将の作戦が稚拙〔ちせつ〕なので、望ましい結果もでないのです。
【壱岐〔いき〕・対島〔つしま〕・九箇国のつはもの並びに男女、】
壱岐・対馬と九州の九つの国の兵士や一般の男女に至るまで、
【多く或はころされ、或はと〔捕〕らはれ、或は海に入り、】
多くは、殺され、あるいは、捕〔とら〕えられ、あるいは、海に沈み、
【或はがけ〔崖〕よりを〔落〕ちしもの、いくせんまん〔幾千万〕と云ふ事なし。】
あるいは、崖から落ちる者の数は、幾千万人と数えきれないのです。
【又今度よ〔寄〕せなば、先〔さき〕にはにるべくもあるべからず。】
また、今度、攻め寄せて来たならば、この前と同じ程度で済むはずもありません。
【京と鎌倉とは但壱岐・対馬の如くなるべし。】
京都と鎌倉は、あの壱岐や対馬のようになることでしょう。
【前〔まえ〕にしたく〔支度〕していづくへもにげさせ給へ。】
蒙古が攻めてくる前に支度をして、どこかへ逃げられるのがよいでしょう。
【其の時は昔日蓮を見じ聞かじと申せし人々も、】
その時は、過去に日蓮を見たくない、聞きたくないと言っていた人達も、
【掌〔たなごころ〕をあはせ法華経を信ずべし。】
掌〔てのひら〕を合わせて、法華経を信じることでしょう。
【念仏者・禅宗までも南無妙法蓮華経と申すべし。】
そして念仏者や禅宗の者までもが、南無妙法蓮華経と唱えることでしょう。
【抑〔そもそも〕法華経をよくよく信じたらん男女をば、肩にになひ、】
そもそも、法華経をよくよく信じる男女を、肩に掛けて担〔にな〕い、
【背におうべきよし経文に見えて候上、】
背に負うであろうと、法華経に説かれている上に、
【くまらゑん〔鳩摩羅琰〕三蔵と申せし人をば】
インドの鳩摩羅琰〔くまらえん〕三蔵が釈迦牟尼仏の木像を背負ったところ、
【木像の釈迦を〔負〕わせ給ひて候ひしぞかし。】
夜には、その木像が鳩摩羅琰〔くまらえん〕を背負ったとの説話があります。
【日蓮が頭〔こうべ〕には大覚世尊かはらせ給ひぬ。】
日蓮の竜の口の頸〔くび〕の座では、大覚世尊が日蓮の身代わりになりました。
【昔と今と一同なり。】
このように過去と現在は、同じなのです。
【各々は日蓮が檀那なり。争〔いか〕でか仏にならせ給はざるべき。】
あなた方は、日蓮の檀那です。どうして仏にならないことがあるでしょう。
【いかなる男をせさ〔夫為〕せ給ふとも、法華経のかたきならば】
どんな男を夫とされても、法華経に敵対するならば、
【随ひ給ふべからず。いよいよ強盛の御志あるべし。】
随っては、なりません。いよいよ強盛の信心をしてください。
【氷は水より出でたれども水よりもすさ〔凄冷〕まじ。】
氷は、水から出来ているのですが、水よりも冷たいのです。
【青き事は藍〔あい〕より出でたれどもかさ〔重〕ぬれば藍よりも色まさる。】
青い色は、藍から出来たのですが、色を重ねると藍よりも色が濃くなるのです。
【同じ法華経にてはをはすれども、志をかさぬれば】
同じ法華経では、ありますが、信心を強く重ねられれば、
【他人よりも色まさり利生〔りしょう〕もあるべきなり。】
他人よりも、容姿も優れ、利益もあるでしょう。
【木は火にやかるれども栴檀〔せんだん〕の木はやけず。】
木は、火に焼かれますが、栴檀〔せんだん〕の木は、焼けません。
【火は水にけ〔消〕さるれども仏の涅槃〔ねはん〕の火はきえず。】
火は、水に消されるけれども、仏の涅槃の火は、消えません。
【華は風にちれども浄居〔じょうご〕の】
花は、風が吹くと散りますが、浄居天〔じょうごてん〕の
【華はしぼ〔萎〕まず。水は大早魃〔かんばつ〕に失〔う〕すれども】
花は、萎〔しぼ〕まないのです。水は、大旱魃〔かんばつ〕には、なくなりますが、
【黄河〔こうが〕に入りぬれば失せず。】
黄河の流れに入れば、その水は、なくならないのです。
【檀弥羅〔だんみら〕王と申せし悪王は、月氏の僧の頸〔くび〕を切りしに、】
檀弥羅〔だんみら〕王という悪王は、インドの僧の頸〔くび〕を切った時には、
【とが〔失〕なかりしかども、師子尊者〔しし・そんじゃ〕の】
何の罰〔ばち〕も起こりませんでしたが、師子尊者の頸〔くび〕を
【頸を切りし時、刀と手と共に一時に落ちにき。】
斬〔き〕った時には、右臂〔ひじ〕から下が刀を持ったまま、同時に落ちたのです。
【弗沙密多羅〔ほっしゃみったら〕王は】
インドの弗沙密多羅〔ほっしゃみったら〕王は、偉大な阿育〔あそか〕大王への
【鶏頭摩寺〔けいずま・じ〕を】
嫉妬〔しっと〕に狂い、その阿育〔あそか〕大王が建てた鶏頭摩〔けいずま〕寺を
【焼きし時、十二神の棒にかふべ〔頭〕わ〔破〕られにき。】
焼いた時には、十二神の棒によって、頭を割られたと言います。
【今日本国の人々は法華経のかたきとなりて、身を亡ぼし】
今、日本国の人々は、法華経の敵〔かたき〕となって、身を亡ぼし、
【国を亡ぼしぬるなり。かう申せば日蓮が自讃〔じさん〕なりと】
国を亡ぼしてしまったのです。このように言えば、日蓮の自画自賛であると
【心えぬ人は申すなり。さにはあらず、】
ものの道理が分からない人は、言うのです。それは、けっして、そうではなく、
【是を云はずば法華経の行者にはあらず、】
これを言わなければ、法華経の行者とは、ならないのです。
【又云ふ事の後にあ〔合〕へばこそ人も信ずれ。】
また、言ったことが、後〔のち〕に符合すればこそ、人も信じるのです。
【かうたゞか〔書〕きを〔置〕きなばこそ未来の人は智ありけりとは】
こうして書き置けばこそ、未来の人は、日蓮は、先見の明があったと、
【しり候はんずれ。又、身軽法重〔しんきょう・ほうじゅう〕、】
知ることでしょう。また、章安大師の涅槃経疏〔そ〕には「身は軽く、法は重し、
【死身弘法〔ししん・ぐほう〕とのべて候へば、】
身を死して法を弘む」と述べられています。
【身は軽ければ人は打ちはり悪〔にく〕むとも、】
日蓮の身は、軽く賤〔いや〕しいので、人は、日蓮を憎んで打ち叩いたとしても、
【法は重ければ必ず弘まるべし。】
日蓮が持〔たも〕つ法は、重いので、必ず、弘まることでしょう。
【法華経弘まるならば死かばね〔屍〕還って重くなるべし。】
法華経が弘まるならば、日蓮の屍〔しかばね〕は、返って重くなるのです。
【かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし。】
屍が重くなるならば、この屍は、衆生にとって利益があるはずです。
【利生あるならば今の八幡〔はちまん〕大菩薩といは〔斎祀〕ゝるゝやうに】
もし、利益があるなら、今の八幡大菩薩が祭〔まつ〕られているように
【いは〔祀〕うべし。其の時は日蓮を供養せる男女は、】
祭〔まつ〕られることでしょう。その時は、日蓮を供養した男女は、
【武内〔たけのうち〕・若宮〔わかみや〕なんどのやうに】
八幡大菩薩に仕えた武内宿儞〔たけのうちのすくね〕や若宮八幡のように
【あが〔崇〕めらるべしとおぼしめせ。】
祭〔まつ〕られるであろうと思ってください。
【抑〔そもそも〕一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし。】
そもそも、一人の盲目を開く功徳でさえ、言葉に表わせないのです。
【況んや日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや。】
まして日本国の一切衆生の眼を開く功徳に至っては、言うまでもありません。
【何〔いか〕に況んや一閻浮提四天下の人の眼の】
さらに全世界の人々の見えない眼を
【しゐ〔盲〕たるをあけて候はんをや。】
開らく功徳は、到底、言い尽くせないのです。
【法華経の第四に云はく「仏滅度の後に能〔よ〕く其の義を解〔げ〕せんは、】
法華経の第四の巻には「仏の滅度の後に能〔よ〕く仏法の義を理解する者は、
【是〔これ〕諸の天人世間の眼なり」等云云。法華経を】
諸の天人、世間の眼である」などと説かれています。仏の滅後に、よく法華経を
【持〔たも〕つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて候。】
持〔たも〕つ人は、一切世間の天人の眼であると説かれているのです。
【日本国の人の日蓮をあだ〔怨〕み候は一切世間の天人の眼を】
日本国の人々が日蓮を迫害するのは、一切世間の天人の眼を
【くじ〔抉〕る人なり。されば天もいかり日々に天変〔てんぺん〕あり。】
えぐりとる人なのです。それ故に天神も怒り、日々に天変〔てんぺん〕が起こり、
【地もいかり月々に地夭〔ちよう〕かさなる。】
地神も怒り、月々に地異〔ちい〕が重なるのです。
【天の帝釈〔たいしゃく〕は野干〔やかん〕を敬ひて法を習ひしかば、】
帝釈天は、妖怪の野犬を敬〔うやま〕い、仏法を習ったところ、
【今の教主釈尊となり給ひ、雪山〔せっせん〕童子は鬼を師とせしかば、】
現在の教主・釈尊となられ、雪山童子は、鬼を師としたところ、
【今の三界の主となる。】
今の三界の教主となりました。
【大聖〔だいしょう〕・上人は形を賤〔いや〕しみて法を捨てざりけり。】
過去の大聖や上人は、形を賤〔いや〕しんで、法を捨てることはしませんでした。
【今日蓮おろかなりとも野干と鬼とに劣るべからず。】
今、日蓮は、愚かであっても、妖怪の野犬や鬼には、劣るはずがありません。
【当世の人いみじくとも、】
現在の人々が、どのように立派でも、
【帝釈・雪山童子に勝〔まさ〕るべからず。】
帝釈天や雪山童子〔せっせん・どうじ〕に優ることは、ありません。
【日蓮が身の賤しきについて巧言〔ぎょうげん〕を捨てゝ候故に、】
日蓮の身分が賤〔いや〕しいとしても、その正しい主張を捨ててしまう故に、
【国既に亡びんとするかなしさよ。】
すでに国が亡びようとしているのは、実に悲しむべきことです。
【又日蓮を不便〔ふびん〕と申しぬる弟子どもをも、】
また、そのような日蓮を憐〔あわ〕れに思い、支えてくれた弟子達さえも、
【たす〔助〕けがた〔難〕からん事こそなげ〔嘆〕かしくは覚え候へ。】
助けられないことは、実に嘆〔なげ〕かわしいことです。
【いかなる事も出来候はゞ是へ御わたりあるべし、】
どのような事態になったとしても、その時には、この身延へ来てください。
【見奉らん。山中にて共にう〔飢〕え死にし候はん。】
心から御迎え申し上げます。この山中で、ともに餓え死にしましょう。
【又乙〔おと〕御前こそおと〔成〕な〔長〕しくなりて候らめ。】
また、乙御前は、さぞかし立派に成長されたことでしょう。
【いかにさか〔賢〕しく候らん。又々申すべし。】
どんなにか聡明になられたことでしょうか。いずれ、また申し上げます。
【八月四日 日蓮花押 乙御前へ】
8月4日 日蓮花押 乙御前へ