御書研鑚の集い 御書研鑚資料
女人成仏抄 背景と大意
本抄は、文永二年(西暦1265年)、大聖人が御年44歳の時、安房(千葉県)で認められた御書です。
御真筆は、現存していません。
対告衆は、不明ですが、女人成仏について記述されていることから、女性に対して与えられたものと思われます。
本抄の「女人成仏」の題名については、文の最後にあるように、亡くなった人の為に法華経が講ぜられて、その中で女人成仏の義が顕されたと推測されます。
なお、古代インドにおいても、また、中国、日本においても、相対的に女性の身分は、低く、ようやく近代になって、人権意識が高くなってから、女性の地位向上、社会進出が問題になったのであり、神話や高貴な女性でないかぎり、その存在は、女人禁制などの制度で非常に差別されてきたのです。
仏教においても、世間の女性蔑視の姿がそのまま持ち込まれて、本来、人間の価値に何の違いもないはずなのに、女性と男性を明確に差別する経文が多数、出現したのです。
それがわかるのが日本における平安時代の治承〔じしょう〕(西暦1177年)の頃に編纂〔へんさん〕された書物で、宝物集下巻には「所有三千界、男子諸煩悩、合集為一人、女人之業障。女人地獄使、能断仏種子、外面如菩薩、内面如夜叉。是ハ華厳経ノ文也」とあり「所有の三千界の男子の諸の煩悩を合せ集めて、一人の女人の業障と為す。女人は、地獄の使なり、能く仏の種子を断ず。外面は、菩薩に似て、内心は、夜叉の如し。是れは、華厳経の文也」と書かれています。
これは、その当時、日本社会に深く浸透していた女性は、不浄で穢〔けが〕れた存在であるという社会通念を、実際には、華厳経や涅槃経に記述されていないにも関わらず、宝物集などに書かれたものと思われます。
日蓮大聖人も、これらの文章を以って、その頃の念仏宗、真言宗、禅宗、律衆などの女人不成仏の間違った義に対して、華厳経には「女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断ず、外面〔げめん〕は菩薩に似て内心は夜叉〔やしゃ〕の如し」(御書51頁)、涅槃経には「一切の江河必ず回曲〔えごく〕有り。一切の女人必ず諂曲有り」(御書359頁)、また「所有〔あらゆる〕三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障と為る」(御書359頁)と述べられています。
また、元魏〔げんぎ〕の仏陀扇多〔ぶつだせんだ〕訳の仏説銀色女経〔ごんじきにょきょう〕にも、この御書にある「三世の諸仏の眼は大地に落つとも、女人は仏になるべからず」(御書359頁)という文章は、ありませんが、経文の題名通り、銀色女が銀色王となって釈迦牟尼仏になる話を通して、身命を捨てて布施した果報であっても、女性の銀色女は、男性の銀色王に生まれ変わらなければ、成仏しない歴劫(りゃっこう)修行を示していることから「女人は永く成仏の期無し」とされたものと思われます。
天台大師は、法華文句第七巻において「他経は但菩薩に記して二乗に記せず・但善に記して悪に記せず・但男に記して女に記せず・但人天に記して畜に記せず」と述べており、法華経以前の爾前経では、やはり、女性は、成仏できないと説かれています。
また、日寛上人は、この天台大師の文章について、文段において、爾前経にも悪人、女人、竜畜の授記はある。ところが、他経では授記せずというのは、どういうことかとの問いを設けられて、心を改め身を転じて後に成仏するということであり、是れは、改転の成仏なり、それ故に他経の悪人、女人、竜畜の授記は、結論から言えば、善人、男子、人天の授記であり、それ故に「悪に記せず」「女に記せず」などと言うと述べられています。
つまり、あらゆる女性は、歴劫(りゃっこう)修行を経なければ、成仏できないとしているのに対し、法華経は、八歳の龍女が蛇身を改めずに即身成仏を遂げ、女性の身のままで即身成仏することが説き明かされているのです。
そうでなければ、如何に女性の成仏を説いても、法華経以前の爾前経のように、現世において成仏できなければ、実際には、意味がないのです。
本抄の最初に法華経以前の経文には、二つの重大な問題点があることを指摘されています。
その一つは、法華経以前の経文には、悪人の成仏が説かれていないことです。
しかし、法華経の提婆達多品において、提婆達多と釈尊の過去の因縁を示し、法華経による悪人成仏を明かされています。
この因縁とは、過去に檀王〔だんおう〕という王がおり、王位を子に譲って、正しい法を求めていましたが、ある時、仙人から「私は、正法である法華経を知っています。もし、私に仕えれば、いつの日か、その正法を説いてあげよう」と告げられました。
王は、喜んで、この阿私〔あし〕仙人に心から仕えました。
それから千年が過ぎ、王は、仙人に「正法を求める喜びを身と心で知る事ができました。できれば、法華経を私に説いていただけないでしょうか」と願いました。
仙人は「王よ、あなたは、長い間、純真な気持ちで、正法を求め、身を粉にして仕えてきました。そのことが法華経を身読したことになるのです。その功徳により、あなたは、成仏するでしょう」と答えたのです。
その王が現在の釈迦牟尼仏であり、この仙人が現在の提婆達多なのです。
源氏物語の賢木〔さかき〕の巻には、過去に法華八講にあたり、提婆達多品を講ずる日には「法華経を我が得しことは薪〔たきぎ〕こり菜〔な〕摘〔つ〕み水汲〔く〕み仕へてぞ得し」と僧侶が唱えながら、歩いたという記述が見られます。
次に法華経以前の経文には、女人の成仏が明かされていないことです。
しかし、法華経の提婆達多品において、文殊師利菩薩、智積菩薩、舎利弗と竜女の姿を通して女人成仏を明らかにされます。
大海の竜宮から来訪した文殊師利菩薩は、智積菩薩に「竜王の娘である八歳の竜女は、法華経を聞いて即座に悟りを得た」と話しましたが、智積菩薩は、それを信じられませんでした。
それは、まだ幼稚である畜生の身の竜女が、即身成仏することが、いままでに有り得ないことであったからです。
この時、竜女が釈尊の前に現われたのです。
これを見た舎利弗は、また「女人は、宝器ではなく、また梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏身には、なれない」との五障を述べて、その悟りを信じませんでした。
すると、竜女は、三千大千世界の価値がある宝珠を釈尊に供養し、釈尊も即座に、それを受け取られました。
そして竜女は、智積菩薩と舎利弗に向かい「私は、釈尊に宝珠を捧げ、釈尊が受け取られました。この出来事は、どれほどの時間でしたか」と尋ねました。
二人は「一瞬の出来事であった」と答えました。
竜女は「それでは、よく私の成仏を見なさい、この出来事よりも速いでしょうから」と言うと、目前で一瞬で男性に変わり、南方の無垢世界で成仏し、衆生の為に妙法を説く姿を示したのです。
この二つの話をされて、過去に悪人成仏、女人成仏を明かさなかった爾前経を諫暁され、それ故に天台大師の法華文句第8巻下によれば、鳩摩〔くま〕羅什〔らじゅう〕三蔵が後秦の弘始8年(西暦406年)の夏に訳した法華経は、二十八品でしたが、長安の宮人が提婆達多品に爾前経に説かれていない悪人成仏、女人成仏が説かれていた為に、内に留め置いて、世に伝わったのは、二十七品であったのですが、その後、梁の時代に満法師、陳の時代に南岳大師が、この提婆達多品を加えて元の二十八品の経典の形にしたと記〔しる〕されています。
さらに竜女が一瞬で変成男子〔へんじょうなんし〕し、即身成仏したことについて、日蓮大聖人は「法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(御書563頁)と述べられ、爾前権経においても、一応、女人の成仏は、仏説銀色女経〔ごんじきにょきょう〕などにも説かれてはいますが、これらは、すべて、女性が男性に生まれ変わって成仏する改転の成仏であり、一念三千の即身成仏でなければ、意味がない有名無実の成仏であると述べられています。
このことは、女性ばかりではなく、一切衆生は、生死を流転する悪業深重の衆生であり、この生死の苦悩から抜け出る為には、法華経以外にはなく、とりわけ女人が成仏する唯一の方法は、この法華経以外には、ないことを強調されています。
また最後に妙楽大師の金剛錍〔こんごうぺい〕に書かれた「阿鼻の依正は極聖の自心に処し、地獄・天宮皆是〔これ〕果地〔かじ〕の如来なり。毘盧〔びる〕の身土は凡下の一念を逾〔こ〕えず、遮那〔しゃな〕の覚体も衆生の迷妄を出でず」の文を引かれ、十界の依報も正報も、森羅万象がことごとく妙法の当体であることを明かされています。
即身成仏、一生成仏と言っても、日寛上人が「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」と御指南のように自分を離れて成仏はないのです。
また、末法においては、本因妙の教主である日蓮大聖人が顕された三大秘法の御本尊以外には、即身成仏は、有り得ないのです。