御書研鑚の集い 御書研鑽資料
女人成仏抄
【女人成仏抄 文永二年 四四歳】
女人成仏抄 文永2年 44歳御作
【提婆品に云はく「仏、諸の比丘〔びく〕に告げたまはく、】
法華経の提婆達多品に「仏は、諸の比丘に告げられた。
【未来世の中に、乃至蓮華より】
未来世の中に、もし善男子、善女人あって、(中略)蓮華の中から
【化生〔けしょう〕せん」等云云。】
実際の姿として、現れ生まれる」などとあります。
【此の提婆品に二箇の諫暁〔かんぎょう〕あり。】
この提婆達多品には、爾前経の過ちを二か所、正した所があります。
【所謂〔いわゆる〕達多〔だった〕の弘教〔ぐきょう〕は釈尊の成道を明かし、】
それは、提婆達多のところでは、釈迦の過去の成道を明かし、悪人成仏を説き、
【又文殊〔もんじゅ〕の通経は竜女の作仏を説く。】
また、文殊〔もんじゅ〕のところで竜女の成仏を説き、女人成仏を説いています。
【されば此の品を】
それ故に羅什〔らじゅう〕三蔵が法華経を訳した後、この提婆達多品を
【長安宮に一品切り留めて、二十七品を世に流布する間、】
長安の宮城に一品だけ切り離して置き、他の二十七品を世に流布したので、
【秦〔しん〕の代より梁〔りょう〕の代に至るまで、】
秦〔しん〕、涼、燕、宋、魏、斉、梁〔りょう〕の七つの時代の
【七代の間の王は二十七品の経を講読す。】
七代の王は、二十七品の法華経を読んでいたのです。
【其の後〔のち〕満法師と云ひし人、】
しかし、その後、法華経を百度講じたとされる梁〔りょう〕の満法師という人が、
【此の品法華経になき由を読み出だされ候ひて後、】
この提婆達多品が法華経にないことを読み取られて、
【長安城より尋ね出だし、】
のちに長安にあった宮城から提婆達多品を探し出され、
【今は二十八品にて弘まらせ給ふ。】
今は、法華経二十八品として弘まっているのです。
【さて此の品に】
この提婆達多品に「未来世中、若有善男子、善女人、聞妙法華経、提婆達多品、
【浄心信敬の人のことを云ふに、】
浄心〔じょうしん〕信敬〔しんきょう〕」とあり、浄心信敬の人について、
【一には三悪道に堕〔だ〕せず、二には十方の仏前に生ぜん、】
一には、三悪道に堕ちず、二には、十方の仏前に生まれる、
【三には所生の処には常に此の経を聞かん、】
三には、生まれた所では、常に、この法華経を聞く、
【四には若し人天の中に生ぜば勝妙の楽を受けん、】
四には、もし、人界、天界に生まれれば、成仏を願う人生を送ることができる、
【五には若し仏前に在らば蓮華より化生せんとなり。】
五には、もし、仏前にあれば、蓮華から実際の姿として現れ生まれるとあります。
【然るに一切衆生、法性真如の都を迷ひ出でて】
それなのに一切衆生は、法性真如の都を迷い出て、
【妄想顚倒〔てんどう〕の里に入りしより已来、身口意〔しんくい〕の】
妄想顚倒〔てんどう〕の里に入って以来、身口意の
【三業〔さんごう〕になすところ、善根は少なく悪業は多し。】
三業によってなすところの行いは、善根は少なく、悪業は多いのです。
【されば経文には「一人一日の中に八億四千の念あり。】
それ故に経文には「一人が一日の中に起こす思念は、八億四千念あり、
【念々の中に作す所皆〔みな〕是三途〔さんず〕の業なり」等云云。】
一念一念の中に為す所作は、みな三悪道に堕ちる業因なり」などと説かれています。
【我等衆生、三界二十五有のちまた〔巷〕に】
我等衆生が、三界の欲界の十四有、色界の七有、無色界の四有の世界に
【輪回〔りんね〕せし事、】
輪廻〔りんね〕してきた様子は、
【鳥の林に移るが如く、死しては生じ、生じては死し、】
鳥が林を移るように、死んでは、生まれ、生まれては、死に、
【車の場〔にわ〕に回るが如く、始め終はりもなく、】
また、車輪が回るように、始めも終わりもなく、
【死し生ずる悪業深重〔じんじゅう〕の衆生なり。】
生死を流転する、悪業深重〔じんじゅう〕の衆生なのです。
【爰〔ここ〕を以て心地観〔しんじかん〕経に云はく】
このことから、大乗本生〔ほんじょう〕心地観経〔しんじかんぎょう〕には、
【「有情〔うじょう〕輪回して六道に生ずること】
「有情〔うじょう〕が輪廻して、六道に生ずることは、
【猶〔なお〕車輪の始終無きが如く、】
ちょうど車輪に始めと終わりがないようなもので、
【或は父母と為〔な〕り男女と為り】
ある時には、父母となり、ある時には、男女となり、
【生々世々互ひに恩有り」等云云。】
生々世々に互いに恩が有る」などと説かれています。
【法華経の二の巻に云はく「三界は安きこと無し、】
また、法華経第二巻の譬喩品には「三界に安穏は、ない。
【猶火宅の如し、衆苦充満せり」云云。】
まさに燃え盛る炎の家であり、多くの苦しみが充満する」と説かれています。
【涅槃経の二十二に云はく「菩薩摩訶薩〔まかさつ〕、諸の衆生を観ずるに、】
涅槃経巻二十二巻には「菩薩が諸の衆生を観るに、
【色香〔しきこう〕味触〔みそく〕の因縁の為の故に、昔無量無数劫より以来、】
色香〔しきこう〕味触〔みそく〕の因縁の故に、無量無数劫の過去以来、
【常に苦悩を受く。一々の衆生一劫の中に積もる所の身の骨は】
常に苦悩を受く。一人一人の衆生が一劫の間に死んで積もった身の骨は、
【王舎城の毘富羅山〔びふらせん〕の如く、】
王舎城の毘富羅山〔びふらせん〕のようであり、
【飲む所の乳汁は四海の水の如く、身より出だす所の血は四海の水より多く、】
飲んだ乳は、四海の水のようであり、身から出した血は、四海の水より多く、
【父母・兄弟・妻子・眷属の命終〔みょうじゅう〕に】
父母、兄弟、妻子、親類の命が終わったときに
【涕泣〔ていきゅう〕して出だす所の目涙〔なみだ〕は、四大海の水より多し。】
泣いて出した涙は、四大海の水よりも多い。
【地の草木を尽くして四寸の籌〔かずとり〕と為して以て】
また大地の草木を、ことごとく四寸の数を数える串として、
【父母を数ふるに亦尽くすこと能はじ、】
父母となった人を数えても、数え尽くすことは、できない。
【無量劫より已来或は地獄・畜生・餓鬼に在って】
無量劫の過去以来、地獄界、畜生界、餓鬼界に在って
【受くる所の行苦称計〔しょうけい〕すべからず。】
受けた苦悩は、計〔はか〕ることができない。
【亦一切衆生の骸骨〔がいこつ〕をや」云云。】
また、一切衆生の骸骨〔がいこつ〕においては、なおさらである」と説いています。
【是くの如くいたづらに命を捨つるところの骸骨〔かばね〕は】
このように無駄に命を捨ててしまった屍〔しかばね〕は、
【毘富羅山よりも多し。】
王舎城の毘富羅山〔びふらせん〕よりも多く、
【恩愛あはれみの涙は四大海の水よりも多けれども、】
恩愛や憐みの涙は、四大海の水より多いけれども、
【仏法の為には一骨をもなげず。一句一偈を聴聞して、】
仏法の為には、一つの骨も投げず、経文の一句一偈を聴いても、
【一滴の涙をもおとさぬゆへに、三界の籠樊〔ろうはん〕を出でず、】
一滴の涙さえも落とさない為に、三界の籐丸籠〔とうまるかご〕を抜け出せず、
【二十五有のちまた〔巷〕に流転〔るてん〕する衆生にて候なり。】
欲界、色界、無色界の三界二十五有の迷いの世界に流転する衆生なのです。
【然る間、如何として三界を離るべきと申すに、】
それでは、どのようにして三界の苦悩を離れることができるかというと、
【仏法修行の功力〔くりき〕に依って、】
仏道修行の功力〔くりき〕によって、
【無明のやみ〔闇〕はれて法性真如の覚〔さと〕りを開くべく候。】
無明の迷いの闇〔やみ〕を晴らし、法性真如の覚〔さと〕りを開くべきなのです。
【さては仏法は何〔いか〕なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに、】
また、どのようにして、生死の苦しみを離れるかと言えば、
【但一乗妙法にて有るべく候。】
ただ、一乗妙法である法華経に依るべきなのです。
【されば慧心僧都、】
それ故に慧心〔えしん〕僧都〔そうず)が
【七箇日加茂〔かも〕に参籠〔さんろう〕して、】
七日間、加茂〔かも〕神社に籠〔こも〕って、
【出離生死は何なる教にてか候べきと祈請〔きしょう〕申され候ひしに、】
生死の苦しみから離れ出るには、いかなる教法によるべきかと尋ねたところ、
【明神御託宣に云はく「釈迦の説教は一乗に留まり、諸仏の成道は妙法に在り、】
明神の御告げに「釈尊の説教は、一乗法に留まり、諸仏の成道は、妙法にあり、
【菩薩の六度は蓮華に在り、】
菩薩の六波羅蜜の修行は、蓮華にあり、
【二乗の得道は此の経に在り」云云。】
二乗の得道は、此の経にある」とあったのです。
【普賢経に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり、】
また観普賢菩薩行法経には「この大乗経典は、諸仏の宝蔵であり、
【十方三世の諸仏の眼目なり、三世の諸の如来を出生する種なり」云云。】
十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の仏を生み出す種なり」と説かれています。
【此の経より外はすべて成仏の期〔ご〕有るべからず候上、】
この法華経以外の経文では、すべて、成仏することは、できないうえ、
【殊更〔ことさら〕女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず、】
とりわけ女人成仏については、法華経以外では、全く許されていないのです。
【結句〔けっく〕爾前の経にてはをびた〔夥〕ゞしく嫌はれたり。】
むしろ、爾前の諸経では、女性は、はなはだしく嫌われているのです。
【されば華厳経に云はく「女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断ず、】
そのため華厳経には「女人は、地獄の使いであり、よく仏の種子を断つ。
【外面は菩薩に似て内心は夜叉〔やしゃ〕の如し」云云。】
外面は、菩薩に似て、内心は、夜叉の如し」と説かれています。
【銀色女〔ごんじきにょ〕経に云はく「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも、】
銀色女〔ごんじきにょ〕経には「三世の諸仏の眼は、大地に落ちることがあっても、
【法界の諸の女人は永く成仏の期無し」云云。】
法界の諸の女人は、永久に成仏することはない」と説かれています。
【或は又女人には五障〔ごしょう〕三従〔さんじゅう〕の罪深しと申す。】
あるいは、また、女性には、五障三従の罪が深いと言われています。
【其〔そ〕れは内典には五障を明かし、外典には三従を教へたり。】
それについては、内典には、五障を明かし、外典には、三従を教えています。
【其の三従とは、少〔おさな〕くしては父母に従ひ、盛んにしては夫に従ひ、】
その三従とは、幼くしては、父母に従い、成人しては、夫に従い、
【老いては子に従ふ。】
老いては、子に従うということで、
【一期〔いちご〕身を心に任せず。】
一生の間、その身を自分の心にまかせて、処することができないのです。
【されば栄啓期〔えいけいき〕が三楽を歌ひし中にも、】
それ故に中国、周の栄啓期〔えいけいき〕が、人生の三楽を歌った中でも、
【女人と生まれざるを以て一楽とす。】
女性として生まれてこないことを、一つの楽としているのです。
【天台大師云はく「他経には但菩薩に記して二乗に記せず、】
天台大師は「法華経以外の諸経には、ただ、菩薩だけに授記して、二乗に授記せず。
【但男に記して女に記せず」とて、】
ただ、男子だけに授記して、女人に授記せず」と述べて、
【全く余経には女人の授記これなしと釈せり。】
まったく余経には、女性の授記は、ないと述べているのです。
【其の上、釈迦・多宝の二仏塔中〔たっちゅう〕に並坐〔びょうざ〕し給ひし時、】
その上、釈迦、多宝の二仏が宝塔の中に並んで座った時、
【文殊〔もんじゅ〕、妙法を弘めん為に海中に入り給ひて、】
妙法を弘める為に海中に入られていた文殊〔もんじゅ〕菩薩が、
【仏前に帰り参り給ひしかば、】
仏前に帰って来られると、
【宝浄世界の多宝仏の御弟子智積〔ちしゃく〕菩薩は竜女成仏を難じて云はく】
宝浄世界の多宝仏の弟子である智積〔ちしゃく〕菩薩は、竜女の成仏を非難して
【「我釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行し、】
「我〔われ〕、釈迦如来を見れば、無量劫において難行、苦行し、
【功を積み徳を累〔かさ〕ね、菩薩の道を求むること】
功を積み、徳を重ね、菩薩の道を求めることを
【未だ曾〔かつ〕て止息したまはず。三千大千世界を観るに、】
未だかつて止〔と〕められたことがない。三千大千世界を見ると、
【乃至芥子〔けし〕の如き許〔ばか〕りも是菩薩にして】
芥子〔けし〕の如きばかりも、これ菩薩にして
【身命を捨てたまふ処に非ざること有ること無し。】
命を捨てられた場所でないところはない。
【衆生の為の故なり」等云云。】
すべて衆生の為の故なり」と述べたのです。
【所謂智積・文殊再三】
いわゆる智積〔ちしゃく〕菩薩と文殊〔もんじゅ〕菩薩が、再三にわたって、
【問答いたし給ふ間は、八万の菩薩・万二千の声聞等、】
問答されている間は、八万の菩薩、一万二千の声聞などは、
【何れも耳をすまして御聴聞計りにて、一口〔ひとくち〕の御助言に及ばず。】
いずれも、耳を澄ませて聴聞するばかりで、一言の助言もされなかったのです。
【然るに智慧第一の舎利弗、文殊の事をば難ずる事なし。】
ところが、智慧第一の舎利弗は、文殊〔もんじゅ〕菩薩のことは、非難せず、
【多くの故を以て竜女を難ぜらる。】
多くの理由をあげて、竜女を非難しました。
【所以〔ゆえ〕に女人は垢穢〔くえ〕にして是法器に非ずと】
その理由に女性は、穢〔けが〕れていて、法器ではないと
【小乗権教の意を以て難ぜられ候ひしかば、】
小乗、権教の意義をもって非難されたところ、
【文殊が竜女成仏の有無の現証は】
文殊〔もんじゅ〕菩薩は、竜女の成仏の有無の現証は、
【今仏前にして見え候べしと仰せられ候ひしに、案にたが〔違〕はず】
今、仏前で見ることができるであろうと述べられ、すると案に違わず、
【八歳の竜女蛇身〔じゃしん〕をあらた〔改〕めずして仏前に参詣し、】
八歳の竜女が蛇の姿を改めないで、仏前に参詣〔さんけい〕し、
【価値〔あたい〕三千大千世界と説かれて候如意宝珠を】
その価値が三千大千世界に相当すると説かれている如意宝珠を
【仏に奉りしに、仏悦んで是を請〔う〕け取り給ひしかば、】
仏に奉〔たてまつ〕ったところ、仏は、悦んでこれを受け取られたので、
【此の時智積菩薩も舎利弗も不審を開き、】
この時、智積〔ちしゃく〕菩薩も舎利弗も疑問を晴らし、
【女人成仏の路をふみわけ候。】
このときに女性の成仏の路〔みち〕が開かれたのです。
【されば女人成仏の手本是より起こりて候。】
それ故に女人成仏の手本は、ここから、起こったのです。
【委細〔いさい〕は五の巻の経文之を読むべく候。】
詳しくは、法華経、第五巻の提婆達多品を読んでください。
【伝教大師の秀句に云はく「能化の竜女歴劫〔りゃっこう〕の行無く、】
伝教大師の法華秀句には「能化の竜女は、歴劫〔りゃっこう〕修行することなく、
【所化の衆生も歴劫の行無し。】
所化の衆生も、また歴劫〔りゃっこう〕修行をせず、
【能化所化倶に歴劫無し。】
能化、所化ともに歴劫〔りゃっこう〕修行をしていない。
【妙法経力即身成仏す」と。】
妙法の経力によって即身成仏す」と述べられています。
【天台の疏〔しょ〕に云はく「智積は別教に執して疑ひを為し、】
天台大師の法華文句には「智積〔ちしゃく〕菩薩は、別教に執着して疑いを起こし、
【竜女は円を明かして疑ひを釈〔と〕く。】
竜女は、法華経が完全であることを明かして疑いを解いた。
【身子は三蔵の権を挾〔さしはさ〕んで難じ、】
舎利弗は、仏教の経蔵、律蔵、論蔵の権教の教えを差し挟んで詰問し、
【竜女は一実を以て疑ひを除く」と。】
竜女は、一実乗の法華経の教えをもって疑問を除いた」とあります。
【海竜王経に云はく「竜女作仏し国土を光明国と号し、】
また、海竜王経には、「竜女は、仏となり、国土を光明国と言い、
【名をば無垢証〔むくしょう〕如来と号す」云云。法華已前の諸経の如きは、】
名を無垢証〔むくしょう〕如来と言う」とあります。法華経以前の諸経などでは、
【縦〔たと〕ひ人中天上の女人なりといふとも成仏の思ひ絶えたるべし。】
たとえ、人界、天界の女性であると言っても、成仏の願いは、絶たれているのです。
【然るに竜女、畜生道の衆生として、】
それなのに、竜女が畜生界の衆生として、
【戒緩〔かんかい〕の姿を改めずして】
戒律を守らなかった報いとしての姿を改めないで、
【即身成仏せし事は不思議なり。是を始めとして、】
即身成仏したということは、実に不思議なことなのです。これを始めとして、
【釈尊の姨母〔おば〕・摩訶波闍波提〔まかはじゃはだい〕比丘尼〔びくに〕等、】
釈尊の姨母〔おば〕、摩訶波闍波提〔まかはじゃはだい〕比丘尼〔びくに〕などは、
【勧持品にして一切衆生喜見如来と授記を被〔こうむ〕り、】
法華経勧持品で一切衆生喜見〔きけん〕如来の授記を受け、
【羅睺羅〔らごら〕の母・耶輸陀羅女〔やしゅだらにょ〕も】
羅睺羅の母、耶輸陀羅女〔やしゅだらにょ〕も
【眷属〔けんぞく〕の比丘尼と共に具足千万光相如来と成り、】
眷属の比丘尼とともに具足千万光相如来となり、
【鬼道の女人たる十羅刹女〔じゅうらせつにょ〕も成仏す。】
餓鬼道の女性である十羅刹女〔じゅうらせつにょ〕も成仏したのです。
【然れば尚殊に女性の御信仰あるべき御経にて候。】
そうであれば、なおさら法華経は、女性が信仰すべき経文であるのです。
【抑〔そもそも〕此の経の一文一句を読み、一字一点を書く、】
そもそも、この経文の一文一句を読み、一字一点を書くことでさえ、
【尚出離生死証大菩提の因なり。】
なお、生死の苦しみを離れ、無上の悟〔さと〕りを証得する因となるのです。
【然れば彼の字に結縁〔けちえん〕せし者、尚炎魔〔えんま〕の庁より帰され、】
それ故に法華経の文字に結縁した者は、なお、閻魔〔えんま〕の法廷から帰され、
【六十四字を書きし人は】
妙法蓮華経第一巻から第八巻までの八文字の題号、合計六十四文字を書いた人は、
【其の父を天上へ送る。】
その父を天界へと送っているのです。
【何に況んや阿鼻の依正は極聖の自心に処し、】
ましてや、阿鼻地獄の依報、正報は、極聖の心の中にあり、
【地獄・天宮皆是〔これ〕果地〔かじ〕の如来なり。】
地獄も天人の宮殿も、すべて極果の如来なのです。
【毘盧〔びる〕の身土は凡下の一念を逾〔こ〕えず、】
毘盧遮那〔びるしゃな〕仏の身土は、凡愚下劣の衆生の一念の外にはなく、
【遮那〔しゃな〕の覚体も衆生の迷妄を出でず。】
盧遮那〔るしゃな〕仏の覚りの法体も衆生の迷妄を離れてあるわけではないのです。
【妙文は霊山浄土に増し、六万九千の露点は】
法華経の妙文は、霊山浄土に光を増し、六万九千の文字は、
【紫磨金〔しまこん〕の輝光を副〔そ〕へ給ふべし。】
最高品質の黄金である紫磨金〔しまこん〕の輝きを放っているのです。
【殊に過去聖霊〔しょうりょう〕は御存生の時より】
ことに故聖霊〔しょうりょう〕は、御存命の時から、
【御信心他に異なる御事なりしかば、】
他の者と異なり、信心が深かったので、
【今日講経〔こうきょう〕の功力〔くりき〕に依って仏前に生を受け、】
今日、法華経を講じる功力によって、仏前において生を受け、
【仏果菩提の勝因に登り給ふべし云云。】
極果である不退の位に登られていることでしょう。
【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。】
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。