日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


四信五品抄 3 必ず円の三学を具するや不や


【問ふ、末法に入って初心の行者】
それでは、末法に入って初めて覚りを求める心を起こした修行者は、

【必ず円の三学を具するや不〔いな〕や。】
必ず円教の戒、定、慧の三学を全て行う必要があるのでしょうか。

【答へて曰く、此の義大事たり。】
それは、この事は、非常に重要な事であるので、

【故に経文を勘へ出だして貴辺に送付す。】
経文と考え合わせて必要な個所を取り出して送付しましょう。

【所謂五品の初・二・三品には、】
五品のうち、初品、第二品、第三品では、

【仏正しく戒定〔かいじょう〕の二法を制止して】
仏は、間違いなく戒と定と云う二つを止めて、

【一向に慧の一分に限る。】
戒、定、慧の中でひたすら慧の獲得に重きを置いたのです。

【慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。】
また慧がないのであれば信を慧の代わりにして信と云う一字を基本とするのです。

【不信は一闡提〔いっせんだい〕謗法〔ほうぼう〕の因、】
不信は、一闡堤や謗法の原因であるのに対し、

【信は慧の因、名字即の位なり。】
信は、智慧の要因であり、名字即の階位であるのです。

【天台云はく「若し相似の益は隔生〔きゃくしょう〕すれども忘れず、】
天台大師は「相似即の利益を得た場合、一度死んで次に生まれても忘れる事はない。

【名字観行の益は隔生すれば即ち忘る、】
名字即や観行即の利益では、次に生まれた時に忘れてしまうが、

【或は忘れざるも有り。】
忘れない場合もある。

【忘るゝ者も若し知識に値〔あ〕へば宿善還〔かえ〕って生ず。】
忘れた者も正しく導く者に会えば過去世の知識が再びよみがえって来る。

【若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」云云。】
もし悪友に会えば、もともとあった知識を失ってしまう」と述べています。

【恐らくは中古の天台宗の慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕の両大師も】
はばかりながら、少し前の天台宗の慈覚大師、円仁、智証大師、円珍の二人も、

【天台・伝教の善知識に違背〔いはい〕して、】
天台大師、伝教大師と云う正しく導いてくれる人に背いて、

【心、無畏〔むい〕・不空〔ふくう〕等の悪友に遷〔うつ〕れり。】
善無畏や不空などと云った悪友に心が移ったのでしょう。

【末代の学者、慧心の往生要集の序に誑惑〔おうわく〕せられて】
末法の学者は、慧心僧都、源信の往生要集の序分にたぶらかされて、

【法華の本心を失ひ、】
もともとあった法華経を信じる心を失い、

【弥陀の権門に入る。】
阿弥陀仏を信じる方便の教えへと入ってしまったのです。

【退大取小の者なり。】
これは「大乗から退き、小乗を取る」と云われる者たちなのです。

【過去を以て之を惟〔おも〕ふに、】
過去世の事から推しはかると

【未来無量劫を経て三悪道に処せん。】
未来には、無量劫にわたって三悪道に生まれることになるでしょう。

【若し悪友に値へば】
「もし悪へと導く者に会えば、

【則ち本心を失ふとは是なり。】
もともとあった善い心を失ってしまう」とは、この事なのです。

【問うて曰く、其の証如何。】
それでは、その証拠はどこにあるのでしょうか。

【答へて曰く、止観第六に云はく「前教に】
それは、摩訶止観第六巻には「法華経以前の教えで、

【其の位を高うする所以〔ゆえん〕は方便の説なればなり、】
それを行ずる者の理解力が高い理由は、真実に導く手段の教えであるからであり、

【円教の位下〔ひく〕きは真実の説なればなり」と。】
完全な教えを行ずる者の理解力が低いのは、真実の教えだからである」とあります。

【弘決に云はく】
止観輔行伝弘決では、これを注釈して

【「前教といふより下は正しく権実を判ず。】
「法華経以前の者の階位は、正しく手段と真実の教えを判断する為のものである。

【教弥実なれば位弥下く、】
教えが真実に近づけば近づくほどそれを行ずる者の階位は低くなり、

【教弥権なれば位弥高き故に」と。】
教えが真実を理解する手段であればあるほど階位は高くなる」と述べています。

【又記の九に云はく】
また法華文句記第九巻には

【「位を判ずることをいはゞ観境弥深く】
「階位を判定すると云う箇所では、観察する対象が深くなればなるほど、

【実位弥下きを顕はす」云云。】
真実の教えにおける階位では、それだけ低くなる事を顕している」とあります。

【他宗は且〔しばら〕く之を置く、】
他の宗派は、ともかくとして、

【天台一門の学者等何ぞ実位弥下の】
天台宗の学者は、どうして「真実の教えにおける階位はそれだけ低くなる」と云う

【釈を閣〔さしお〕いて慧心僧都の筆を用ふるや。】
解釈を放置して慧心僧都の書いたものを信じるのでしょうか。

【畏・智・空と覚・証との事は追って之を習へ。】
善無畏、金剛智、不空、慈覚大師、智証大師の事は、後で話しましょう。

【大事なり大事なり、一閻浮提〔えんぶだい〕第一の大事なり。】
先に述べた事こそ実に重要な事であり一閻浮提で第一の重要な事なのです。

【心有らん人は聞いて後に我を外〔うと〕め。】
志があるのであれば、最初から無視せず、聞いた後で私を疎〔うと〕みなさい。


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