日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 十法界事 背景と大意 御書研鑚資料


一、御述作の由来と背景


十法界事(御書173頁)

正元元年(西暦1259年)、大聖人三十八歳の御時にしたためられた御書です。
大聖人は、正嘉元年(西暦1257年)の鎌倉大地震以来、当時各地を襲っていた疫病、災害、飢饉などに人々が苦しみ、なぜ、それらが競い起こるのかという原因を明らかにし、それを鎌倉幕府の権力者に教え示すために、その裏づけとなる経典を参照するために前年の正嘉二年(西暦1258年)駿河国岩本(静岡県富士市)の実相寺で釈迦牟尼仏の一代の教えである一切経を読まれました。そして、この年に守護国家論、一代聖教大意、一念三千法門などと共にこの十法界事を書き著されました。そして翌年の文応元年(西暦1260年)には、第一回の国主諌暁として立正安国論を御述作され前執権、北条時頼に上呈されています。
従ってこの御書は、同じ時期に日蓮大聖人が特に当時、仏教の教義の支柱ともなっていた中国、日本の天台宗との対比と関連のうえから明らかにされようとした一代聖教大意、一念三千法門などの、これら一連の御著作と同様に特定の弟子檀那に与えられたものではなく、前代未聞の日蓮大聖人の法門を整理されたものと考えられます。なお、本抄の御真筆は、現存していません。
そういうことで、この御書のまず最初に、二乗界である声聞乗と縁覚乗がもし三界六道を出離することができなければ二乗界そのものがなくなってしまい、そうすると十法界が八法界となり数が足りなくなってしまうという疑問から数々の問題提起が始まります。この文章の最後に云云とあることから、この文章が引用文であるようですが、内容からいって当時の天台宗の一般的な立義であることは間違いありません。

二、大意


最初に「二乗が三界六道を出離しなければ十法界の数量を失う」との文章をあげて議論のテーマを示されています。そもそも仏教では、生命を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人界、天界、声聞、縁覚、菩薩、仏界に立て分けており、地獄、餓鬼、畜生、修羅を四悪道、それに人界、天界を加えて六道、また、仏法によって見思惑、塵沙惑、無明惑の迷いを断じて声聞、縁覚、菩薩となり、最終的な目的である仏界に至ると考え、それを四聖ととらえています。日蓮大聖人は、観心本尊抄(御書647頁)に「或時は喜び、或時は瞋〔いか〕り、或時は平〔たい〕らかに、或時は貪〔むさぼ〕り現じ、或時は癡〔おろ〕か現じ、或時は諂曲〔てんごく〕なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。」と云われ、また上野殿後家尼御返事(御書336頁)に「浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、たゞ我等がむね〔胸〕の間にあり。これをさと〔悟〕るを仏といふ。これにまよ〔迷〕うを凡夫と云ふ。」と仰せになっております。
この議論のテーマを皮切りに当時仏教の中心であった天台仏教と日蓮大聖人の仏教との対比によって四問三答が展開していきます。なお、この四問三答は、他の多くの御書とは異なり、日蓮大聖人が天台仏法に質問する形となっています。また、最後の四番目の問いに対する答えはありません。それは、日蓮大聖人の仏法が未だ前代未聞の大法(三大秘法)であるからなのです。
第一の問いは、最初の天台の文章を受けて、日蓮大聖人の側から、法華経の十界互具の法門を知らずして、どうして三界六道の中で迷い惑う分段の生死を繰り返す凡夫が、その六道輪廻の生死を離れ、仏法を修行し見思惑、塵沙惑、無明惑の迷いを断じた二乗や菩薩が住んでいる変易の国土(方便土・実報土)に生ずることができるのかを質問します。これに対し天台の側は、二乗は既に見思惑を断じ、三界六道に生ずる原因がない上に法華玄義に「変易に生まれる者に三蔵の二乗、通教の三乗、別教の三十心の菩薩の三種がある」と説明されているように、これらの衆生は通惑(見思惑)を断じて変易の土に生まれ、三界六道の分段の国土には生まれないと答えます。
第二の問いとして、大聖人は、小乗教はただ心に生ずる六道を説いて、心に具する六界を説いていないので二乗は六界の見思惑を段じて六道を出離することができないと述べられ、法華経本門寿量品の文章をあげて、そこに蔵、通の二教の二乗、蔵、通、別の三教の菩薩、並びに法華経迹門の円人を天、人、修羅と説いているのは、これらの人が未だ見思惑を断じていないからであると破折されています。
これに対して天台側は、十界互具とは法華経の淵底〔えんでい〕(奥底)、天台宗の沖微〔ちゅうび〕(奥義)であり、爾前四十余年の諸経の中にはこれを秘して伝えなかったが、その諸経の中に無数の凡夫が見思惑を断じて無漏の果を得て、二種の涅槃の無為を証得し、また塵数の菩薩が通惑(見思惑)、別惑(塵沙惑、無明惑)を断じて速やかに分段、変易の生死の縛〔ばく〕を越えたことが説かれていることをあげ爾前経においても当面の利益を許していることを挙げて反論します。また六界の互具を明かさないで三界六道を出離できないのではないかとの疑問に対して、六界が互具すれば十界もまた互具することになるのであり、その理由としては、爾前権教の結果であるところの心生とは、六道の凡夫の差別であり、その心生を観ずるときは、当然、その四聖の高下も顕われるのであると答えています。
第三の問いとして、天台で立てる義はまことに道理があるように見えるが、詳しく一代聖教の前後を考えてみると、法華経本門並びに観心の智慧を起こさなければ円仏とはならず、権果さえも得られないと述べ、外道の断常の二見を例に挙げ、小乗教の二乗も同様であること、さらに大乗の菩薩が心生の十界を説いて、心具の十界を論じないのも断常の二見に陥った姿であると述べられています。また、妙楽大師の弘決の文を挙げ、小乗の観心は心具を観じないから小乗の理にさえ適かなわないこと、天台大師の文句の文を挙げ、爾前の蔵、通、別の三教の菩薩は実には不成仏であることを明かし、無量義経に三乗の得道を許し、法華経に「諸の菩薩の受記作仏を見る」と説くのは、大通結縁の衆生に対して、しばらく法華経に導くために爾前経で三乗当分の得道を許しているのであって、これは種、熟、脱の三益中の熟益の位、迹門の説で、実義ではなく法華経本門の観心の上からは、爾前経では六道の流転を出離できないという道理は必然であると詰問します。
これに対して天台側では、如来の説教、つまり化儀の四教、化法の四教は、八種の衆生の機根に応じて説かれたもので得益がないはずはなく、速疾頓成と歴劫迂回の違いのみで、爾前経に得道がないとは言えないと主張します。そして、たとえ一心三観を修して三惑を断ぜずとも、既に析智をもって見思惑を断じているので三界二十五有を出離しているとし、さらに法華経や天台、妙楽の文を挙げて証文としています。また、小乗の断常の二見については、しばらく大乗に対して小乗を外道と同じとするのであって、小乗に小益がないわけではないと反論します。
第四の問いとして、大聖人は、法華経本門の観心の意をもって一代聖教を考察するに、迹門の大教が起これば爾前の大教が亡じ、本門の大教が起これば迹門と爾前の大教が亡じ、観心の大教(三大秘法)が起これば本迹、爾前の大教は共に亡ずること(四重興廃)は明白で、これは如来所説の聖教が、浅い教えより、より深い教えに至り次第に迷いから離れることによるとされ、この観心の大道を説いて、爾前迹門における迷いを除かなければ生死流転から出離することはできないと述べられています。
つまり、文底観心の南無妙法蓮華経の信行に立ってこそ、法華経の皆成仏道の実義が整い、真実の出離、得道が叶うと御教示されて終わられているのです。

三、四重興廃〔しじゅうこうはい〕


四重興廃とは、天台大師の法華玄義に説かれている法門で、釈尊一代の教法について、爾前、迹門、本門、観心と四段階に立て分けてその教えの内容の勝劣浅深を整理したものです。これについて、日蓮大聖人は、この御書で「法華本門の観心の意を以て一代聖教を按〔あん〕ずるに菴羅果〔あんらか〕を取って掌中〔しょうちゅう〕に捧〔ささ〕ぐるが如し。所以〔ゆえん〕は何〔いか〕ん。迹門の大教起これば爾前の大教亡じ、本門の大教起これば迹門爾前亡じ、観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず。此は是如来所説の聖教、従浅〔じゅうせん〕至深〔しじん〕して次第に迷ひを転〔てん〕ずるなり。」とご教示されています。ここに示される「法華本門の観心の意」とは、法華経本門寿量品文底観心の南無妙法蓮華経を指します。
つまり、この文底観心の南無妙法蓮華経から、すべての仏法の理論、功徳が顕れるのであり、その上で法華経迹門の大教が興れば、それ以前の爾前権教の教えは廃され、また法華経の本門の大教が興れば、法華経の迹門の大教は廃され、さらに観心の大教が興れば、法華経本門の大教が廃されるというものが四重興廃の法門です。
総本山、第二十六世の日寛上人は、この御文について本尊抄文段に「十法界抄に四重の興廃を明かす。謂く、爾前・迹門・本門・観心なり。第四の観心とは、永く通途〔つうず〕に異り、正しく文底下種の法門を以て観心と名づくるなり。既に文底下種の法門を以て観心と名づく。故に知んぬ、爾前・迹・本は通じて教相に属することを。」と解説されています。つまり、末法に日蓮大聖人が御本仏として御出現になり、三大秘法の仏法が顕わされたならば、爾前、迹門、本門の文上の教えは、おしなべて文底観心の法門に開会され、包含されるのです。
また、本抄末文に結論として「皆実不虚」の経文を解釈されて「本門未だ顕はれざる以前は本門に対すれば尚迹門を以て名づけて虚と為す、若し本門顕はれ已〔お〕はりぬれば迹門の仏因は即ち本門の仏果なるが故に、天月・水月本有の法と成りて本迹倶に三世常住と顕るゝなり。一切衆生の始覚を名づけて迹門の円因と言ひ、一切衆生の本覚を名づけて本門の円果と為す。修一円因感一円果とは是なり。是くの如く法門を談ずるの時、迹門爾前は若し本門顕はれざれば六道を出でず、何ぞ九界を出でんや。」と法華経本門が顕わされなければ、三界六道の出離もなく、九界の衆生の成仏もないことを明らかにされていますが、さらに上野殿御返事(御書1219頁)に、「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん〔詮〕なし。但南無妙法蓮華経なるべし。」と仰せのように、末法今時においては、文上の法華経は本迹二門共に迹となり、文底の事の一念三千の南無妙法蓮華経こそが、即身成仏の法となるのです。

四、結論


富士大石寺二十六世日寛上人は、観心本尊抄文段において、
末法今時の理即・但妄の凡夫は自受用身即一念三千を識らず。故に久遠元初の自受用身、大慈悲を起して妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕し、末代幼稚の頚に懸けしむ等となり。或は云く、妙法五字の袋の内に理の一念三千の珠を裹むと云云。或は云く、妙法五字の袋の内に本果修得の事の一念三千の珠を裹むと云云。今謂く、妙法五字の袋の内に久遠元初の自受用身即一念三千の珠を裹むなり。当に知るべし、久遠元初の自受用とは蓮祖聖人の御事なり。久末一同、これを思い合すべし。問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の本尊これなり。一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり。問う、若し爾らば譬喩如何。答う、且く能所に分つも実はこれ同じきなり。例せば「夫れ一心に十法界を具す」乃至「只心は是れ一切法、一切法は是れ心」等の如し云云。我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。「幼稚の頚に懸けさしめ」の意、正しく此に在り。故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ云云。
とご教示されています。
日蓮正宗の宗祖日蓮大聖人こそ末法の御本仏、久遠元初自受用身如来であり、その仏様が末法今時の末代幼稚の凡夫である私たちの為に大慈悲を起して自受用身即一念三千の相貌を図顕されたのが大石寺奉安堂に御安置ましますところの三大秘法の大御本尊であるのです。自受用身即一念三千とあるように一念三千の本尊とは、即、宗祖日蓮大聖人であるのです。その文証がたとえば天台大師の摩訶止観第五の「夫れ一心に十法界を具す」乃至「只心は是れ一切法、一切法は是れ心」の文なのです。
さらに日寛上人は、私たちがこの御本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、もったいなくも、我が身が、そのまま一念三千の本尊、蓮祖聖人と同じになると仰せになり、これが末代幼稚の頚に懸けしむの意味であり、それゆえにただ仏力法力を仰ぎ、信力行力に励んで、一生を空しく過して万劫悔ゆることなかれと仰せになっておられるのです。


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