御書研鑚の集い 御書研鑽資料
教行証御書(上)
【教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳】
教行証御書 建治3年3月21日 56歳御作
【夫〔それ〕正像二千年に小乗・権大乗を持依〔じえ〕して、其の功を入れて】
正像二千年の間には、小乗経や権大乗経を信じて、その経文の通りに心を込めて
【修行せしかば大体其の益〔やく〕有り。然りと雖も彼々の経々を修行せし人々は】
修行すれば、一往、その利益があったのです。しかし、それらを修行した人々は、
【自依〔じえ〕の経々にして益を得ると思へども、法華経を以て】
自分の信じた経文によって、その利益を得たと思っていますが、法華経からみれば、
【其の意を探れば一分の益なし。所以〔ゆえん〕は何〔いかん〕。仏の在世にして】
その意味は、まったくないことが分かるのです。その理由は、釈迦牟尼仏の在世に
【法華経に結縁〔けちえん〕せしが其の機に熟否〔じゅくひ〕あり。】
法華経を信じた人の中で機根によって、その差があり、その中の
【円機純熟の者は在世にして仏に成り、根機微劣の者は】
円機純熟の者は、釈尊の在世中に仏になりましたが、根機微劣の者は、
【正法に退転して、権大乗経の浄名〔じょうみょう〕・思益〔しやく〕・】
正法時代に退転して、権大乗経である浄名〔じょうみょう〕経、思益〔しやく〕経、
【観経〔かんぎょう〕・仁王〔にんのう〕・般若〔はんにゃ〕経等にして】
観無量寿経、仁王〔にんのう〕経、般若〔はんにゃ〕経などを修行して
【其の証果を取れること在世の如し。】
功徳を得たのです。それは、釈尊在世に爾前経で得脱した衆生と同じなのです。
【されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり。】
したがって正法一千年間は、教法と行法と証果の三つを兼ね備えていましたが、
【像法〔ぞうほう〕には教行のみ有って証無し。】
像法時代には、教法と行法は、あるのですが、証果はなくなり、
【今末法に入っては教のみ有って行証無く】
今、末法に入っては、教法のみがあって、行法と証果がなくなってしまったのです。
【在世結縁〔けちえん〕の者一人も無し。】
つまり、末法に入っては、釈尊在世の結縁の者は一人もいなくなり、
【権実の二機悉〔ことごと〕く失〔う〕せり。】
権教や実教によって成仏する機根の人は、一人もなくなったのです。
【此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて】
この末法濁悪の時には、五逆罪と謗法の者ばかりで、それらの衆生の為には、初めて
【本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為〔な〕す。】
本門の肝心である如来寿量品の南無妙法蓮華経をもって、成仏の下種とするのです。
【「是の好き良薬〔ろうやく〕を今留めて】
法華経・如来寿量品に「是〔こ〕の良き良薬を、今留〔とど〕めて
【此に在〔お〕く。汝取って服すべし。差〔い〕えじと】
此〔これ〕に在〔お〕く、汝〔なんじ〕取って服すべし。差〔い〕えじと
【憂〔うれ〕ふること勿〔なか〕れ」とは是なり。】
憂〔うれ〕うること勿〔なか〕れ」と説かれているのは、このことなのです。
【乃往〔むかし〕過去の】
それは、法華経・常不軽菩薩品に説かれているように、過去の世に
【威音王仏〔いおんのうぶつ〕の像法〔ぞうほう〕に】
威音王仏〔いおんのうぶつ〕が出現し、その仏の滅後の像法〔ぞうほう〕の世に
【大乗を知る者一人も無かりしに、】
大乗教の仏・法・僧の三宝を尊ぶ者が一人もいなかったのです。
【不軽〔ふきょう〕菩薩出現して】
その時、不軽〔ふきょう〕菩薩が世に出て、
【教主説き置き給ひし】
威音王仏が説かれた「我れは深く汝等〔なんじら〕を敬い、敢〔あえ〕て軽慢せず。
【二十四字を】
所以〔ゆえん〕は何〔いか〕ん、汝等は、皆〔み〕な菩薩の道を行じて、
【一切衆生に向かって】
当〔まさ〕に作仏することを得〔う〕べし」の二十四文字を、一切衆生に向かって
【唱へしめしがごとし。彼の二十四字を聞きし者は一人も無く】
唱えたようなものであり、この二十四文字を聞いた者は、一人も漏れなく
【亦〔また〕不軽大士〔だいし〕に値〔あ〕って益〔やく〕を得たり。】
不軽菩薩に会って成仏したのです。
【是則〔すなわ〕ち前の聞法を下種とせし故なり。】
これは、前に聞いた二十四文字の法華経が、成仏の種となったからなのです。
【今も亦是くの如し。彼は像法、此は濁悪〔じょくあく〕の末法。】
今の末法も同じです。不軽菩薩は、像法であり、日蓮は、末法なのです。
【彼は初随喜〔しょ・ずいき〕の行者、此は名字の凡夫。】
不軽菩薩は、初随喜の行者であり、日蓮は、名字の凡夫なのです。
【彼は二十四字の下種、此は唯〔ただ〕五字なり。】
不軽菩薩は、二十四文字の下種、日蓮は、南無妙法蓮華経の五字の下種なのです。
【得道の時節異なりと雖〔いえど〕も】
成仏・得道の時期は、像法と末法と異なりますが、
【成仏の所詮〔しょせん〕は全体是同じかるべし。】
その成仏・得道の基本的な原理においては、まったく同じなのです。
【問うて云はく、上に挙ぐる所の正像末法の】
それでは、いままでに挙げたところの正法、像法、末法の三つの時代における
【教行証各別〔かくべつ〕なり。何ぞ妙楽大師は】
教法と行法と証果との関係は、それぞれ別なのです。妙楽大師は、法華文句記の中で
【「末法の初め冥利〔みょうり〕無きにあらず、且〔しばら〕く大教の流行すべき】
「末法の初めに冥益の利益が無きにあらず、しばらく、大教の流行すべき
【時に拠〔よ〕る」と釈し給ふや如何〔いかん〕。】
時に依るのである」と解釈されているのは、どういう意味なのでしょうか。
【答へて云はく、得意に云はく、正像に益を得し人々は】
それは、正法や像法の時代に成仏した人々は、それが育成され調〔ととの〕ったので
【顕益〔けんやく〕なるべし、在世結縁の熟せる故に。】
現実の利益となったのです。いずれも釈尊在世に成仏の因縁を結んだからなのです。
【今末法には初めて下種す、冥益〔みょうやく〕なるべし。】
今、末法に入ってからは、初めて下種をするのですから、冥益となるのです。
【已〔すで〕に小乗・権大乗・爾前・迹門の教行証に】
この法華経・本門の教行証は、小乗教、権大乗教などの爾前・迹門の教行証とは
【似るべくもなし。現に証果の者之〔これ〕無し。】
全く内容が違うのです。それ故に、今の世の中に成仏する者がいないのです。
【妙楽の釈の如くんば、冥益なれば人是を知らず】
まさに妙楽大師の解釈に依るならば、冥益であるからこそ人々は、これを知らず、
【見ざるなり。】
成仏する人を見ないのです。
【問うて云はく、末法に限って冥益と知る経文之有りや。】
それでは、末法に限って冥益であると言う経文があるのでしょうか。
【答へて云はく、法華経第七薬王品に云はく「此の経は則ち為〔こ〕れ】
それは、法華経第七巻の薬王菩薩本事品には「この経は、すなわち、これ
【閻浮提〔えんぶだい〕の人の病〔やまい〕の良薬なり。若し人病有らんに】
閻浮提〔えんぶだい〕の人の病〔やまい〕の良薬である。もし、人に病があり、
【是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」等云云。】
この経を聞く事ができれば、病は、消滅して、不老不死となる」と説かれています。
【妙楽大師云はく「然〔しか〕も後五百は且く一往に従ふ。】
また、妙楽大師も法華文句記で「しかも、後の五百歳は、しばらく一往に従う。
【末法の初め冥利無きにあらず。且く大教の流行すべき時に】
末法の初め、冥益の利益が無きにあらず。しばらく、大教の流行すべき時に
【拠るが故に五百と云ふ」等云云。】
依るが故に五百歳と言う」と解釈されているのです。
【問うて云はく、汝が引く所の経文釈は末法の初めの】
それでは、あなたが引用する経文、解説書では、法華経の広まるのは「末法の初め
【五百に限る。権大乗経等を聞く修行の時節尚〔なお〕末法万年と】
五百年に限る」とされていますが、権大乗経などの時でさえ、末法万年と
【云へり、如何。】
言う者がいますが、法華経の利益が末法の初めに限られるのはなぜでしょうか。
【答へて曰く、前釈已に「且く一往に従ふ」と云へり。】
それは、妙楽大師も前の解釈で「しばらく一往に従う」と言っていますが、
【再往は末法万年の流行なるべし。天台大師上〔かみ〕の経文を釈して云はく】
最終的には、末法万年の流行なのです。それ故に天台大師も、上の経文を解釈して
【「但し当時大利益を獲るのみに非ず、】
法華文句に「ただ、当時、大利益を得るのみにあらず、
【後五百歳遠く妙道に沾〔うるお〕はん」等云云。】
後の五百歳、遠く妙道に潤〔うるお〕うのである」と述べているのです。
【是末法万年を指せる経釈に非ずや。】
これは、末法万年を指す経文、解説書ではないでしょうか。
【法華経第六分別功徳品〔ふんべつ・くどくほん〕に云はく「悪世末法の時】
法華経・第六巻の分別功徳品〔ほん〕には「悪世末法の時、
【能く是の経を持てる者」と。安楽行品〔あんらくぎょうほん〕に云はく】
よく、この経を持〔たも〕つ者」とあり、また、法華経・第五巻の安楽行品には
【「末法の中に於て是の経を説かんと欲す」と。】
「末法の中に於いて、この経を説かんと欲す」と説かれているのです。
【此等は皆末法万年と云ふ経文なり。】
これらは、法華経が末法万年に広まるという経文なのです。
【彼々の経々の説は】
前に挙げた浄名経、思益経、観無量寿経、仁王経、般若経などの経文の説は
【四十余年未顕真実なり。】
「四十余年・未顕真実」なのであって、それらの経文に「末法万年」とあっても、
【或は結集者〔けつじゅうしゃ〕の意に拠るか、】
それは、経典を集めて作った者の意思で記〔しる〕されたのであって、
【依用〔えゆう〕し難し。拙〔つたな〕いかな諸宗の学者、法華経の下種を忘れ】
それを利用すべきではないのです。愚かにも諸宗派の学者は、法華経の下種を忘れ、
【三五塵点〔さんご・じんでん〕の昔を知らず。純円の妙経を捨て】
三千塵点劫、五百塵点劫の過去の結縁を知らずに純円の妙経を捨てて、
【亦〔また〕生死〔しょうじ〕の苦海に沈まん事よ。】
また、生死の苦海に沈もうとしているのです。
【円機純熟の国に生を受けて徒〔いたずら〕に無間〔むけん〕大城に還らんこと】
円機純熟の日本に生を受けて、いたずらに無間地獄に舞い戻ることは、
【不便〔ふびん〕とも申す許〔ばか〕り無し。】
ただ、可哀そうであるとしか、言いようがないのです。
【崑崙〔こんろん〕山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り、】
それは、あたかも崑崙〔こんろん〕山に入って、何の宝も取らずに貧しい国に帰り、
【栴檀〔せんだん〕林に入って瞻蔔〔せんぶく〕を蹈〔ふ〕まずして】
栴檀〔せんだん〕の林に入りながら、香り高い花を持ち帰らずに、
【瓦礫〔がりゃく〕の本国に帰る者に異ならず。第三の巻に云はく】
瓦礫〔がれき〕の国に帰る者と同じなのです。法華経・第三巻の授記品には、
【「飢国〔けこく〕より来たりて忽〔たちま〕ち大王の膳に】
「飢〔う〕えたる国より来〔きた〕って、たちまちに大王の膳〔ぜん〕に
【遇〔あ〕ふが如し」と。】
招かれるようなものである」と説かれています。
【第六に云はく「我此土安穏〔がしど・あんのん〕・】
また第六巻の如来寿量品には「我がこの土〔ど〕は、安穏にして(中略)
【我浄土不毀〔がじょうど・ふき〕」等云云。】
我が浄土は、壊れず」と説かれています。
【状に云はく、難問に云はく、】
あなたから、送られてきた手紙に、非常に難しい質問が書かれていました。
【爾前当分の得道等云云。】
その「法華経以前の経文にも当分の成仏がある」という質問については、
【涅槃経第三に「善男子応当修習〔おうとう・しゅうじゅう〕」の】
涅槃経・第三巻の「善男子、仏、法、僧の三宝へ常に想いを作〔な〕すべし」の
【文を立つべし。之を受けて弘決〔ぐけつ〕第三に】
文章を出して答える事が良いでしょう。これについて止観輔行弘決・第三巻には、
【「所謂久遠必無大者〔しょい・くおん・ひつむだいしゃ〕」と会して、】
「久遠に必ず大が無くば、即ち小乗教の行法によって成さしめる」とあり、また、
【爾前の諸経にして得道せし者は久遠の初業に依るなるべしと云って、】
「爾前の諸経にして得道せし者は、久遠の初業に依るなるべし」と言って、
【一分の益之〔これ〕無き事を治定〔じじょう〕して、】
久遠の三宝が説かれていない法華経以前の経には、一分の利益もないことがわかり、
【其の後滅後の弘経に於ても亦復是くの如し。正像の】
また、それは、釈尊滅後の弘経においても、まったく同じで、正法、像法の時代に
【得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云。】
結果を得た人は、釈尊在世に、その結縁があった人であると解釈されているのです。
【又彼が何度も爾前の得道を云はゞ、無量義経に四十余年の】
また、相手が何度も「爾前の得道」を主張するならば、無量義経で釈尊が四十余年の
【経々を、仏我〔われ〕と未顕真実と説き給へば、我等が如き名字の凡夫は】
経文を、仏自身が未顕真実と説かれている事を挙げ、我らのような名字の凡夫は、
【仏説に依りてこそ成仏を期〔ご〕すべく候へ。人師〔にんし〕の言語は無用なり。】
仏説に依って成仏を期すべきであって、人師の言葉は、不要なのです。
【涅槃経には依法不依人〔えほう・ふえにん〕と説いて、】
涅槃経には「法に依って人に依らざれ」と説かれているではないかと述べて、
【大いに制せられて候へばなんど立てゝ未顕真実と打ち捨て、】
法華経以前の経文は「未顕真実」と打ち捨てる事が良いでしょう。
【正直捨方便・世尊法久後】
「正直に方便を捨て」、「世尊は、法、久しくして後、必ず、まさに真実を説く」
【なんどの経釈をば秘して左右〔さう〕無く出だすべからず。】
などの法華経の文章は、隠しておいて簡単に出しては、なりません。
【又難問に云はく、得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ。】
また「成仏の最終的な結論では、爾前も法華経に依って成仏するので同じであり、
【其の故は観経〔かんぎょう〕の往生、】
観無量寿経で西方浄土に往生した者も、法華経によって成仏しているのである」との
【或は其の外〔ほか〕例の如し等云云。又未顕真実其の外】
その他の同じような難問に対しては、無量義経の「未だ真実を顕さず」や法華経・
【但以〔たんに〕仮名字〔けみょうじ〕等と立つべし云云。】
方便品の「ただ成仏の文字を以って衆生を引導す」の文章を出す事が良いでしょう。
【又同時の経ありと云はゞ、法師品の】
もし、観経などを法華経と同じ時に説かれたとするならば、法華経・法師品の「我が
【已今当〔い・こん・とう〕の説を】
所説の経典、無量千万億にして、已〔すで〕に説き、今説き、当〔まさ〕に説かん。
【も〔以〕て会すべきなり。】
しかも、その中において、この法華経、最も難信難解なり」の文を引いて下さい。
【玄義の三、】
また、法華玄義第三巻の「もしは、破、もしは、立、皆、これ法華の意なり」、
【籖〔せん〕の三の】
法華玄義・釈籤第三巻の「今、以って仏教をとって、法華の意を申〔の〕ぶ、
【文を出だすべし。】
あまねく破し、あまねく立ちて、教の指帰を明かす」の文を出す事が良いでしょう。
【経釈能〔よ〕く能く料簡〔りょうけん〕して秘すべし。】
ただし、経文の意味をよくよく理解して、みだりに出しては、なりません。
【一状に云はく、真言宗等云云。】
真言宗に対して、どのように答える事が良いのかという事ですが、
【答ふ、彼が立つる所の如き弘法大師の戯論〔けろん〕、】
それについては、真言宗の弘法大師が法華経を「戯論〔けろん〕」と言い、
【無明〔むみょう〕の辺域何〔いず〕れの経文に依るやと】
釈尊を「無明の辺域」と言っているのは、どの経文に依るのかと
【云って、彼の依経を引かば云ふべし、】
聞くことが、良いと思います。もし、その経文を答えたならば、
【大日如来は三世の諸仏の中には何れぞやと云って、善無畏〔ぜんむい〕三蔵・】
「大日如来は三世の諸仏の中のいずれの仏か」を尋ね、「善無畏〔ぜんむい〕三蔵、
【金剛智等の偽〔いつわ〕りをば汝は知れるやと云って、其の後】
金剛智三蔵などの嘘を、あなたは、知っているのか」と尋ねて、その後に善無畏が
【一行〔いちぎょう〕筆受の相承を立つべし。】
一行〔いちぎょう〕を騙して、大日経の疏を筆受させた事を述べれば良いのです。
【大日経には一念三千跡を削れり。】
大日経には、法華経で説かれている一念三千の法門は、跡形もないのに、
【漢土にして偽りしなり。】
善無畏が中国に来て、大日経に一念三千の法門があると偽〔いつわ〕ったのです。
【就中〔なかんずく〕僻見〔びゃっけん〕有り、】
その中でも、とくに僻見〔びゃっけん〕の甚〔はなは〕だしいものは、真言の儀式で
【毘盧〔びる〕の頂上を蹈〔ふ〕む証文は】
毘盧遮那仏〔びるしゃなぶつ〕の描かれた曼荼羅を踏むと言う
【三世の諸仏の所説に之有りや。】
不遜〔ふそん〕なことが、はたして、三世の諸仏の説法のどこにあるのでしょうか。
【其の後彼云はく等云云。立つべし、】
その後に彼らは、こういうことを言っていると、責めたてなさい。
【大慢婆羅門が高座の】
古代インドの大慢・婆羅門が、バラモン教の三つの神と釈尊の像を台の脚にして、
【足等云云。】
その上に足をのせて説法をしたと言います。
【彼此是くの如き次第何なる経文論文に】
彼といい、此れといい、あなたが言っていることは、いずれの経文、論文に
【之を出だすやと等云云。】
出ているのかと、責める事が良いと思います。
【其の外常に教へし如く問答対論あるべし。】
その他については、常に教えているように問答し対論をすれば、良いと思います。
【設〔たと〕ひ何〔いか〕なる宗なりとも、】
たとえいかなる宗派の者であっても、真言宗の法門を主張するならば、
【真言宗の法門を云はゞ真言の僻見を責むべく候。】
真言のこのような僻見を問いつめて、責める事が良いでしょう。