日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


阿仏房御息文 03 国府尼御前御書

【国府尼御前御書(千日尼御前御返事) 文永一一年六月一六日 五三歳】
国府尼御前御書(千日尼御前御返事) 文永11年6月16日 53歳御作


【阿仏御房の尼ごぜん〔御前〕よりぜに〔銭〕三百文。】
阿仏房の尼御前から、銭、三百文を頂きました。

【同心なれば此の文〔ふみ〕を二人して人によ〔読〕ませてき〔聞〕こしめせ。】
心が同じであるので、この手紙を二人で人に読み聞かせてください。

【単衣〔ひとえぎぬ〕一領、佐渡国〔さどのくに〕より】
単衣〔ひとえぎぬ〕一領、佐渡の国より、

【甲斐国〔かいのくに〕波木井の郷の内の深山まで】
甲斐の国、波木井〔はぎり〕郷の深い山の中まで

【送り給〔た〕び候ひ了〔おわ〕んぬ。法華経第四法師品に云はく】
送って頂きました。法華経、第四の巻の中の法師品の文章に

【「人有って仏道を求めて一劫〔こう〕の中に於て合掌して】
「人が仏道を求めて、一劫〔こう〕という長い間、手をあわせて

【我が前に在って無数〔むしゅ〕の偈〔げ〕を以て讃〔ほ〕めん。】
釈迦牟尼仏の前にあって、無数〔むすう〕の偈〔げ〕を唱え、讃嘆するならば、

【是の讃仏〔さんぶつ〕に由るが故に無量の功徳を得ん。】
この讃嘆によって無量の功徳を得ることであろう。

【持経者を歎美せんは其の福復〔また〕彼に過ぎん」等云云。】
しかし、法華経をたもつ者を讃嘆する功徳は、それよりも優れている」とあります。

【文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して】
文章の意味は、釈迦牟尼仏ほどの仏を、身口意の三業をもって、

【一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、】
一中劫の間、心をこめて供養するよりも、

【末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳は】
末法悪世の時代に、法華経の行者に供養する功徳の方が

【すぐれたりとと〔説〕かれて候。】
はるかに優れていると説かれているのです。

【まこと〔実〕しからぬ事にては候へども、】
とても真実とは、思えない事ですが、

【仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。】
嘘がない仏の言葉ですから、疑うべきでは、ありません。

【其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわ〔和〕らげて云はく】
さらに妙楽大師と言う人は、この経文を重ねて、わかりやすく、

【「若〔も〕し毀謗〔きぼう〕せん者は頭〔こうべ〕七分に破〔わ〕れ、】
「もし、法華経を誹謗〔ひぼう〕する者がいれば、頭が七つに破〔わ〕れ、

【若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云。】
もし、供養する者がいれば、その福徳は、仏の十号に過ぐ」と述べられています。

【釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、】
この解釈の意味は、末法の法華経の行者に供養することは、

【十号具足しまします如来を供養したてまつるにも】
優れた十の名前を備えた仏に供養するよりも、

【其の功徳すぎたり。】
その功徳が優れていると言うことです。

【又濁世〔じょくせ〕に法華経の行者のあらんを留難〔るなん〕をなさん人々は】
また、五濁悪世に出現された法華経の行者を迫害する人々は、

【頭七分にわ〔破〕るべしと云云。】
頭が七つに破〔わ〕れるということです。

【夫〔それ〕日蓮は日本第一のゑせ〔似非〕者なり。】
日蓮は、日本第一の如何〔いかが〕わしい人物です。

【其の故は天神七代はさてをきぬ。地神五代又はかりがたし。】
そのわけは、天神七代は、さておいて、地神五代も、また知り難いのですが、

【人王始まりて神武より当今まで九十代、】
人王が始まって、神武天皇から、今の後宇多天皇に至るまでの九十代、

【欽明より七百余年が間、】
欽明天皇の時代に仏教が伝来してから七百余年の間、

【世間につけ仏法によせても】
世間のことにつけ、仏法のことにつけても、

【日蓮ほどあま〔遍〕ねく人にあだ〔怨〕まれたる者候はず。】
日蓮ほど、すべての人に敵視された者は、いないからなのです。

【守屋〔もりや〕が寺塔をやきし、】
物部〔もののべの〕守屋〔もりや〕が塔寺を焼き、

【清盛入道が東大寺・興福寺を失ひし、】
平清盛〔たいらのきよもり〕入道が東大寺、興福寺を焼き払いましたが、

【彼等が一類は彼がにくまず。】
彼等の一族は、清盛を憎まなかったのです。

【将門〔まさかど〕貞〔さだ〕たう〔任〕が朝敵となりし、】
平将門〔たいらのまさかど〕や安倍貞任〔あべのさだとう〕は、朝敵となり、

【伝教大師の七寺にあだ〔怨〕まれし、】
伝教大師は、南都七大寺に憎まれましたが、

【彼等もいまだ日本一州の比丘〔びく〕・比丘尼〔びくに〕・】
彼等も、未だ日本全土の僧侶、尼僧、

【優婆塞〔うばそく〕・優婆夷〔うばい〕の四衆にはにくまれず。】
男性信者、女性信者には、憎まれなかったのです。

【日蓮は父母・兄弟・師匠・同法〔朋〕・】
日蓮に対しては、父母、兄弟、師匠、同僚をはじめ、

【上一人・下万民一人ももれず、】
上一人から下万民に至るまで一人も漏れず、

【父母のかたき〔敵〕のごとく、謀反〔むほん〕強盗にもすぐれて、】
父母の敵〔かたき〕のように、謀反人や強盗よりも強く、

【人ごとにあだ〔怨〕をなすなり。されば或時は数百人にの〔詈〕られ、】
人々から迫害されているのです。それゆえ、ある時は、数百人に悪口をいわれ、

【或時は数千人にとりこめられて】
ある時は、数千人に取り囲まれて、

【刀杖〔とうじょう〕の大難にあう。】
刀で斬られ、杖で打たれるなどの大難にあったのです。

【所をを〔追〕われ国を出ださる。結句は国主より御勘気二度、】
また、住まいを追われ、故郷を出され、あげくには、国主より迫害を二度も受け、

【一度は伊豆の国、今度は佐渡の島なり。】
一度は、伊豆の国へ、今度は、佐渡の島へと流罪になったのです。

【されば身命をつ〔継〕ぐべきかんて〔糧〕もなし、】
そうであるので、命をつなぐ食糧もなく、

【形体を隠〔かく〕すべき藤の衣ももたず、北海の島にはな〔放〕たれしかば、】
身体を隠す粗末な着物もなく、北海の島に流罪されてみると、

【彼の国の道俗は相州の男女よりもあだ〔怨〕をなしき。】
佐渡の国の出家や在家の者は、相模〔さがみ〕の男女よりも迫害を加えました。

【野中にすてられて、雪にはだへ〔肌〕をまじえ、】
野中に捨てられ、雪に肌をさらし、

【くさ〔草〕をつ〔摘〕みて命をさゝ〔支〕えたりき。】
草を摘〔つ〕んで命を支えたのです。

【彼の蘇武〔そぶ〕が胡〔こ〕国に】
かの蘇武〔そぶ〕が、捕えられた胡国〔ここく〕の地で

【十九年雪を食ふて世をわたりし、】
十九年間、雪を食として世を過ごし、

【李陵〔りりょう〕が北海に六箇年がんくつ〔岩窟〕にせめられし、】
李陵〔りりょう〕が北海の岩窟〔がんくつ〕に六年間も閉じこめられ、

【我は身にてしられぬ。】
それを、今、わが身にあてはめて知ることができたのです。

【これはひとえに我が身には失〔とが〕なし。】
このことは、ひとえに、わが身の罪ではなく、

【日本国をたすけんとをもひしゆへなり。】
日本国の人々を助けようと思ったが故の難であるのです。

【しかるに尼ごぜん〔御前〕並びに入道殿は彼の国に有る時は】
ところが尼御前および入道殿は、日蓮が佐渡の国に居た時は、

【人め〔目〕ををそれて夜中に食ををくり、】
人目をはばかり、夜中に食物を送り届け、

【或時は国のせ〔責〕めをもはゞ〔憚〕からず、】
ある時は、国の役人の目を恐れもせず、

【身にもかわ〔代〕らんとせし人々なり。】
日蓮の身代わりに、なろうとされた人々です。

【さればつら〔辛〕かりし国なれども、】
それゆえ、辛かった佐渡の国では、ありましたが、

【そ〔剃〕りたるかみ〔髪〕をうしろ〔後〕へひかれ、】
去る時は、そった髪を後へ引かれ、

【すゝ〔進〕むあし〔足〕もかへりしぞかし。】
進む足も戻りそうになるほど、名残り惜しいものがありました。

【いかなる過去のえん〔縁〕にてやありけんと、をぼつかなかりしに、】
どのような過去の因縁によるものかと、不思議に思っていたところ、

【又いつしかこれまでさしも大事なるわが夫〔おとこ〕を】
また、いつの間にか、この身延まで、これほど大切な我が夫を、

【御つか〔使〕いにてつか〔遣〕わされて候。】
御使いとして遣〔つか〕わされました。

【ゆめ〔夢〕か、まぼろ〔幻〕しか、】
夢か、幻か。

【尼ごぜん〔御前〕の御すがた〔姿〕をばみ〔見〕まいらせ候はねども、】
尼御前の御姿は、見ることができませんが、

【心をばこれにとこそをぼへ候へ。日蓮こい〔恋〕しくをはせば、】
心は、ここにおられると思われます。日蓮を恋しく思われるならば、

【常に出づる日、ゆう〔夕〕べにい〔出〕づる月ををが〔拝〕ませ給へ。】
常に朝に昇る太陽や夕に出る月を拝んでください。

【いつとなく日月にかげ〔影〕をう〔浮〕かぶる身なり。】
何時であっても、日月に影を浮かべる身なのです。

【又後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。】
また、後生には、霊山浄土へ行って、そこで御会いしましょう。

【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。】
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

【六月十六日   日蓮花押】
6月16日   日蓮花押

【さど〔佐渡〕の国のこう〔国府〕の尼御前】
さどの国の、こうの尼御前へ



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