日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


阿仏房御息文 10 千日尼御前御返事

【千日尼御前御返事 弘安元年七月二八日 五七歳】
千日尼御前御返事 弘安元年7月28日 57歳御作


【弘安元年(太歳戊寅)七月六日、佐渡国〔さどのくに〕より千日尼と申す人、】
弘安元年7月6日、佐渡国から千日尼と言う人が、

【同じく日本国甲州波木井の郷身延山と申す深山〔みやま〕へ、】
同じ日本国の甲州波木井郷の身延山と言う山奥へ、

【同じく夫の阿仏房を使ひとして送り給ふ御文に云はく、】
夫の阿仏房を使いとして送られました。その御手紙には、

【女人の罪障はいかゞと存じ候へども、】
女性の罪障が深いので成仏は、どうであろうかと思っていたけれども、

【御法門に法華経は女人の成仏をさきとするぞと候ひしを、】
日蓮大聖人の御法門に法華経は、女性の成仏を第一とすると説かれているので、

【万事はたのみまいらせ候ひて等云云。夫〔それ〕、法華経と申し候御経は】
すべては、それを頼みとしているとありました。そもそも法華経と言う経文は、

【誰れの仏の説かせ給ひて候ぞとをもひ候へば、】
どのような仏が説かれたものかと思っていたところ、

【此の日本国より西、漢土より又西、】
この日本国より西方、漢土より更に西方、

【流沙〔りゅうさ〕・葱嶺〔そうれい〕と申すよりは又はるか西、】
その砂漠地帯や険しい山々より、さらにはるか西方、

【月氏と申す国に浄飯王〔じょうぼんのう〕と申しける大王の太子、】
月氏と言う国に浄飯王と言った大王の太子が説かれた経文であったのです。

【十九の年、位をすべらせ給ひて檀とく〔特〕山と申す山に入り】
太子が19歳の時に位を捨てられて檀特山〔だんとくせん〕と言う山に入り

【御出家、三十にして仏とならせ給ふ。】
出家され、三十歳で仏となられたのです。

【身は金色と変じ、神〔たましい〕は三世をかゞみさせ給ひ、】
その身は、金色と変わり、その心は、三世を映し出されました。

【すぎにし事、来たるべき事、かゞみ〔鏡〕にかけさせ給ひてをはせし仏の、】
過去の事、これから起こる事などを鏡にかけて映し出された仏が、

【五十余年が間一代一切の経々を説きをかせ給ふ。】
五十余年の間、一代すべての経文を説き置かれたのです。

【此の一切の経々、仏の滅後一千年が間、】
このすべての経文は、仏の滅後一千年の間、

【月氏国にやうやくひろまり候ひしかども、】
月氏国にようやく弘まったのですが、

【いまだ漢土日本国等へは来たり候はず。】
いまだに漢土や日本国などへは、渡って来ませんでした。

【仏滅度後一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡りはじめて候ひしかども、】
仏滅後1015年目の年に、漢土へ仏法が渡り始めましたが、

【又いまだ法華経はわたり給はず。仏法漢土にわたりて二百余年に及んで、】
まだ、法華経は、渡らなかったのです。仏法が漢土に渡って二百余年に及んで、

【月氏と漢土との中間に亀茲国〔きじこく〕と申す国あり。】
月氏と漢土との中間に亀茲国〔きじこく〕と言う国がありました。

【彼の国の内に鳩摩羅〔くまら〕えん〔炎〕三蔵と申せし人の】
この国の内に鳩摩羅炎〔くまらえん〕三蔵と言う人の

【御子鳩摩羅什〔くまらじゅう〕と申せし人、彼の国より月氏に入り、】
子息の鳩摩羅什〔くまらじゅう〕と言う人が、この国より月氏に入り、

【須利耶蘇摩〔しゅりやそま〕三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給ひき。】
須利耶蘇磨〔しゅりやそま〕三蔵と言う人から、この法華経を授けられました。

【其の授け給ひし時の御語〔ことば〕に云はく】
その授けられた時の須利耶蘇磨〔しゅりやそま〕三蔵の言葉に、

【「此の法華経は東北の国に縁ふかしと」云云。】
この法華経は、東北の国に縁が深いとのことでした。

【此の御語を持ちて、】
鳩摩羅什〔くまらじゅう〕は、この御言葉をもって、

【月氏より東方の漢土へはわたし給ひ候なり。】
法華経を月氏より東方の漢土へ渡されたのです。

【漢土には仏法わたりて二百余年、】
その法華経は、漢土には、仏法が渡ってから二百余年後の

【後秦王〔こうしんのう〕の御〔ぎょ〕宇〔う〕に渡りて候ひき。】
後秦王の時代に渡ったのです。

【日本国には人王第卅代欽明天皇の御宇、】
日本国には、人王第30代欽明天皇の御代、

【治十三年(壬申)十月十三日(辛酉)日、】
同天皇の統治13年10月13日、

【此より西、百済国〔くだらこく〕と申す国より聖明皇〔王〕、】
この国より西の百済国の聖明王が、

【日本国に仏法をわたす。】
日本国に仏法を渡したのです。

【此は漢土に仏法わたて四百年、仏滅後一千四百余年なり。】
これは、漢土に仏法が渡って四百年後であり、仏滅後1400余年です。

【其の中にも法華経はましまししかども、】
その時、渡された経典の中にも法華経は、ありましたが、

【人王〔にんのう〕第卅二代用明〔ようめい〕天皇〔てんのう〕の太子】
人王第32代用明天皇の太子で

【聖徳太子と申せし人、漢土へ使ひをつかわして】
聖徳太子と言う人が、漢土へ使いを遣〔つか〕わして

【法華経をとりよせ〔取寄〕まいらせて日本国に弘通し給ひき。】
法華経を取り寄せられて日本国に弘通されたのです。

【其より来〔このかた〕七百余年なり。】
それから今まで七百余年がたっています。

【仏滅度後はすでに二千二百三十余年になり候上、】
仏の滅後、すでに2230余年になっているうえに、

【月氏・漢土・日本、山々・河々・海々、遠くへだたり、】
月氏、漢土、日本と、山々、河々、海々によって、遠く隔〔へだ〕てられています。

【人々・心々・国々、各々別〔わか〕たりて、】
そこに住む人々や、それぞれの心も国柄も、各々異なり、

【語かわり、しな〔品〕ことなれば、】
言葉も変わっており、風俗も違うのですから、

【いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁〔わきま〕へ候べき。】
どうして我等のような凡夫が、仏法の真意を理解することができるでしょうか。

【たゞ経々の文字を引き合はせてこそ知るべきに、】
ただ経々の文字を比較検討してこそ知ることができるのであって、

【一切経はやうやうに候へども、法華経と申す御経は八巻まします。】
一切経は、数々ありますが、法華経と言う経文は、一部八巻からできており、

【流通に普賢〔ふげん〕経、序文の無量義経、各一巻已上。】
その中に流通分の普賢経、序分の無量義経、それぞれ一巻があります。

【此の御経を開き見まいらせ候へば、】
この経文を開き見れば、

【明らかなる鏡をもって我が面を見るがごとし。】
明鏡で自分の顔を映し出すように、

【日出でて草木の色を弁ふるににたり。】
太陽が出て草木の色が、はっきりするように仏法の真意が明らかになるのです。

【序分の無量義経を見まいらせ候へば】
序分の無量義経を拝見すると

【「四十余年未顕真実」と申す経文あり。】
「四十余年には、未だ真実を顕さない」と言う経文があります。

【法華経の第一の巻方便品の始めに「世尊の法は久くして後、】
法華経第一巻、方便品第二には「世尊は法久しくして後、

【要〔かなら〕ず当に真実を説きたまふべし」と申す経文あり。】
要ず当に真実を説かれるであろう」と言う経文があります。

【第四の巻の宝塔品には】
法華経第四巻、見宝塔品第十一には、

【「妙法華経皆是真実」と申す明文あり。】
「妙法華経、皆、是れ真実である」と言う明文があります。

【第七の巻には「舌相〔ぜっそう〕】
第七巻、神力品第二十一では「舌相〔ぜっそう〕

【梵天〔ぼんてん〕に至る」と申す経文赫々〔かくかく〕たり。】
梵天〔ぼんてん〕に至る」と言う経文が明白であるのです。

【其の外は此の経より外のさきのち〔前後〕ならべる経々をば星に譬へ、】
その他、この法華経以外の前後に説かれた経々を星に譬え、

【江河に譬へ、小王に譬へ、小山に譬へたり。】
江河に譬え、小王に譬え、小山に譬えているのです。

【法華経をば月に譬へ、日に譬へ、大海・大山・大王等に譬へ給へり。】
法華経は、月に譬え、太陽に譬え、大海、大山、大王などに譬えられています。

【此の語、私の言には有らず。皆如来の金言なり。】
これらの言葉は、私の言葉ではなく、すべて如来の金言です。

【十方の諸仏の御評定〔ごひょうじょう〕の御言なり。】
十方の諸仏の評議判定の言葉です。

【一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈、】
一切の菩薩、二乗、梵天、帝釈や、

【今の天に懸〔か〕かりて明鏡のごとくまします日月も、】
今現在、空に明鏡のように正しく運行している日月も、

【見給ひき聞き給ひき。其の日月の御語も此の経にのせられて候。】
見聞きされているのです。その日月の言葉も法華経に説かれているのです。

【月氏・漢土・日本国のふるき神たちも、皆其の座につらなりし神々なり。】
インド、中国、日本の古来からの神々も、みな、その座に連なった神々なのです。

【天照太神・八幡大菩薩・熊野・すゞか等の日本国の神々も、】
天照太神、八幡大菩薩、熊野、鈴鹿などの神々も、

【あらそい給ふべからず。】
それらと争われることはありません。

【此の経文は一切経に勝れたり。】
この法華経は、一切経に優れているからなのです。

【地走る者の王たり、師子王のごとし。】
地を走る者の中の王であり、師子王と同じなのです。

【空飛ぶ者の王たり、鷲〔わし〕のごとし。】
空飛ぶ者の中の王であり、鷲と同じなのです。

【南無阿弥陀仏経等はきじ〔雉〕のごとし、兎〔うさぎ〕のごとし。】
南無阿弥陀仏経などは、雉や兎と同じなのです。

【鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腹わたをたつ。】
その鷲につかまっては、涙を流し、師子に責められては、腸を断つのです。

【念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。】
念仏者、律僧、禅僧、真言師などもまた同じなのです。

【法華経の行者に値〔あ〕ひぬれば、いろを失ひ魂をけすなり。】
法華経の行者にあえば、顔色を失い、魂を消すのです。

【かゝるいみじき法華経と申す御経は、いかなる法門ぞと申せば、】
このような尊い法華経と言う経文は、どのような法門であるかと言えば、

【一の巻方便品よりうちはじめて、】
第一巻の方便品第二の始めから

【菩薩・二乗・凡夫皆仏になり給ふやうをとかれて候へども、】
菩薩、二乗、凡夫などすべてが仏になると説かれていますが、

【いまだ其のしるしなし。設〔たと〕へば始めたる客人〔まろうど〕が、】
いまだ、成仏した証拠はなく、たとえば、はじめて会う他人が

【相貎〔すがた〕うるわしくして心もいさぎよく、】
その姿が非常に立派で、その態度の素晴らしく、

【口もきいて候へば、いう事疑ひなけれども、さきも見ぬ人なれば、】
話す言葉にまったく疑うところがないとしても、いままで見知らない人であるから、

【いまだあらわれたる事なければ、語のみにては信じがたきぞかし。】
まだ話の内容が実際に現実にならなければ、言葉だけでは信じられないのです。

【其の時語にまかせて大なる事度々あひ候へば、】
その時、言葉通りに大事なことが、たびたび現実になって証明されれば、

【さては後の事もたのもしなんど申すぞかし。】
それでは、後のことも信頼できると言う事になります。

【一切信じて信ぜられざりしを、】
一切の人が法華経を信じ切れないでいたので、

【第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。】
第五巻の提婆達多品第十二で即身成仏と言う法華経第一の肝心が説かれたのです。

【譬へばくろ〔黒〕き物を白くなす事、漆を雪となし、不浄を清浄になす事、】
これは、譬えば、黒いものを白くし、漆を雪とし、不浄の身を清浄な身にし、

【濁水に如意珠〔にょいじゅ〕を入れたるがごとし。】
濁水に如意宝珠を入れたような有り得ないことなのです。

【竜女〔りゅうにょ〕と申せし小蛇〔くちなわ〕を現身に仏になしてましましき。】
竜女と言う小さな蛇をそのままの姿で仏にされたのです。

【此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑ふ者は候はざりしか。】
この時こそ、すべての男性が成仏できることを疑う者はいなくなったのです。

【されば此の経は、女人成仏を手本として】
ゆえに、この法華経は、女性の成仏を手本として、

【とかれたりと申す。】
すべての衆生の成仏を説かれたのです。

【されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし、】
それゆえ、日本国において法華経の正義を弘通し始められた

【叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給ふには】
比叡山の根本伝教大師は、法華秀句巻下に

【「能化〔のうけ〕所化〔しょけ〕倶〔とも〕に歴劫〔りゃっこう〕無し。】
「能化〔のうけ〕所化〔しょけ〕ともに歴劫無し、

【妙法経力即身成仏す」等。】
妙法経力を以て即身成仏す」などと解釈されているのです。

【漢土の天台智者大師、法華経の正義をよみはじめ給ひしには】
これより前の中国の天台智者大師は、法華経の正義を始めて主張されて、

【「他経は但、男に記して女に記せず】
法華文句巻七に「他経は、ただ男に記して女に記せず。

【乃至今経は皆記す」等云云。】
乃至今経は皆記す」などと解釈されているのです。

【此は一代聖教の中には法華経第一、】
これは、一代聖教の中では、法華経第一、

【法華経の中には女人成仏第一なりとことわらせ給ふにや。】
法華経の中では、女性の成仏が第一であると解釈されたものでしょう。

【されば日本一切の女人は法華経より外の一切経には】
それゆえに日本のすべての女性は、法華経以外の一切経では、

【女人成仏せずと嫌〔きら〕ふとも、法華経にだにも】
女性は、成仏しないと嫌われたとしても、法華経にさえ

【女人成仏ゆるされなば、なにかくるしかるべき。】
女性の成仏が許されているなら、どうして苦しむことがあるでしょうか。

【しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ、】
ところで、日蓮は、受け難い人身を受け、

【値〔あ〕ひがたくして仏法に値ひ奉る。】
あい難い仏法にあうことができました。

【一切の仏法の中に法華経に値ひまいらせて候。】
すべての仏法の中でも法華経にあうことができたのです。

【其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。】
その恩徳を考えてみれば、父母の恩、国主の恩、一切衆生の恩であるのです。

【父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母をば大地に譬へたり。】
父母の恩の中でも慈父を天に譬え、悲母を大地に譬えています。

【いづれもわけがたし。】
どちらも優劣がつけがたい大恩なのです。

【其の中に悲母の大恩ことにほう〔報〕じがたし。此れを報ぜんとをもうに】
その中でも悲母の大恩は、ことに報じがたいのです。この恩を報じようと思えば、

【外典の三墳〔ぷん〕・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、】
外典の三墳、五典、孝経などによって報じようと思っても、

【現在をやしないて後生をたすけがたし。】
ただ現在を養うだけで後生を救うことはできないのです。

【身をやしない魂をたすけず。】
身を養っても魂を救うことはできないのです。

【内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗・大乗は、】
内典の仏法に入っても、五千、七千余巻の小乗経、大乗経では

【女人成仏かた〔難〕ければ悲母の恩報じがたし。】
女性の成仏ができないので、悲母の恩は、報じ難いのです。

【小乗は女人成仏一向に許されず。】
小乗経では、女性の成仏は全く許されていません。

【大乗経は或は成仏、或は往生を許したるやうなれども】
大乗経は、あるいは成仏、あるいは往生を許しているようですが、

【仏の仮言〔かりごと〕にて実事なし。】
仏の理論上の言葉だけであって、成仏の真実の事象はないのです。

【但法華経計〔ばか〕りこそ女人成仏、】
ただ法華経ばかりが女性の成仏を明かし、

【悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候ひしかば、】
悲母の恩を報ずる真実の報恩経であると考えたので、

【悲母の恩を報ぜんために、】
悲母の恩を報ずるために、

【此の経の題目を一切の女人に唱へさせんと願す。】
法華経の題目をすべての女性に唱えさせようとの誓願を立てたのです。

【其れに日本国の一切の女人は漢土の善導、】
それを日本国のすべての女性は、漢土の善導、

【日本の慧心〔えしん〕・永観〔ようかん〕・法然等にすかされて、】
日本の慧心、永観、法然などに惑わされて、

【詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人一人も唱ふることなし。】
肝心とすべき南無妙法蓮華経を、一国すべての女性は、一人も唱えることはなく、

【但南無阿弥陀仏と一日に一返十返百千万億反乃至三万十万反、】
ただ南無阿弥陀仏と一日に一遍、十遍、百千万億遍、乃至三万、十万遍、

【一生が間昼夜十二時に又他事なし。】
一生の間、昼夜十二時の間にわたって、念仏を称えて他事をかえりみないのです。

【道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり。】
道心堅固な女性も、また悪人である女性も弥陀念仏を根本としているのです。

【わづかに法華経をこと〔事〕ゝするやうなる女人も】
わずかに法華経を信ずるように見える女性も

【月まつ〔待〕までのてすさ〔手遊〕び、】
月を待つまでの手遊び、

【をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあ〔値〕うがごとし。】
好きな男と逢えない間に、心ならずも心に思わぬ男に逢うようなものなのです。

【されば日本国の一切の女人、法華経の御心に叶ふは一人もなし。】
それゆえ、日本国のすべての女性は、法華経の御心に叶う者は一人もいないのです。

【我が悲母に詮とすべき法華経をば唱へずして】
我が悲母の孝養のために第一とすべき法華経を唱えないで、

【弥陀に心をかけば、】
阿弥陀仏を心にかけているので、

【法華経は本ならねばたすけ給ふべからず。】
法華経を信じられず、助けられることはないのです。

【弥陀念仏は女人たすくる法にあらず。必ず地獄に堕ち給ふべし。】
弥陀念仏は、女性を助ける法ではなく、必ず地獄に堕ちてしまうでしょう。

【いかんがせんとなげきし程に我が悲母をたすけんために、】
どうしたら良いのかと嘆いて、我が悲母を救うために

【弥陀念仏は無間地獄の業なり。】
また、ふたたび弥陀念仏によるならば、それは、また無間地獄の業であるのです。

【五逆にはあらざれども五逆にす〔過〕ぎたり。】
それは、五逆罪ではないけれども五逆罪に過ぎた大罪なのです。

【父母を殺す人は其の肉身をばやぶれども、】
父母を殺す者は、その肉体を破るけれども、

【父母を後生に無間地獄には入れず。】
それで、父母を後生に無間地獄に堕とすことはありません。

【今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを、】
今、日本国の女性は、必ず法華経によって仏になることができるのに、

【たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ。】
念仏者たちがたぶらかして一向に南無阿弥陀仏と称えるようにしてしまったのです。

【悪ならざればすかされぬ。】
念仏がはっきりとした悪事ではないから惑わされたのです。

【仏になる種ならざれば仏にはならず。】
ですが、仏になる種ではないから仏になることはできないのです。

【弥陀念仏の小善をもって法華経の大善を失ふ。】
弥陀念仏の小善をもって法華経の大善を失うのです。

【小善の念仏は大悪の五逆罪にすぎたり。】
小善の念仏は、法華の大善を失うゆえに、大悪の五逆罪にも過ぎたる悪業なのです。

【譬へば承平〔しょうへい〕の将門〔まさかど〕は関東八箇国をうた〔打平〕へ、】
譬えば、承平年間に平将門は、関東八か国を討ち平らげ、

【天喜〔てんき〕の貞任〔さだとう〕は奥州をうちとゞめし。】
天喜年間に安倍貞任は、奥州を討ち取りましたが、

【民を王へ通ぜざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。】
民と王との間を隔てたので、朝敵となって、ついに滅ぼされたのです。

【此等は五逆にすぎたる謀反〔むほん〕なり。】
これらは、五逆罪にも過ぎた謀反なのです。

【今、日本国の仏法も又かくのごとし。色かわれる謀反なり。】
今、日本国の仏法も、また同じなのです。姿が変わっただけの謀反なのです。

【法華経は大王なり、大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は】
法華経は、大王、大日経、観無量寿経、真言宗、浄土宗、禅宗、律僧などは、

【彼々の小経によて法華経の大怨敵〔おんてき〕となりぬ。】
それぞれの小経によって法華経の大怨敵となっているのです。

【而るを日本の一切の女人等我が心のをろ〔愚〕かなるをば知らずして、】
そうであるのに、日本のすべての女性は、自分の心が愚かであることを知らないで、

【我をたすくる日蓮をかたきとをもひ、】
自分を救おうとしている日蓮を敵と思い、

【大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり。】
大怨敵である念仏者、禅、律、真言師などを善知識と間違っているのです。

【たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるゝゆえに、】
救おうとしている日蓮を、返って大怨敵と思われるゆえに、

【女人こぞりて国主に讒言〔ざんげん〕して伊豆国へながせし上、】
すべての女性は、こぞって国主に讒言をして伊豆の国に流したうえ、

【又佐渡国へながされぬ。】
また佐渡にも流したのです。

【ここに日蓮願して云はく、日蓮は全く誤りなし。】
かくて日蓮は、願いを立て、日蓮には、全く誤りはない。

【設ひ僻事〔ひがごと〕なりとも日本国の一切の女人を扶〔たす〕けんと】
たとえ間違いがあったとしても、日本国のすべての女性を救おうと

【願せる志はすてがたかるべし。】
願った志を無視することはできないであろう。

【何かに況んや法華経のまゝに申す。】
まして法華経に説かれている通りに言っているのである。

【而るを一切の女人等信ぜずばさてこそ有るべきに、】
しかるに一切の女人等は、信じないのなら、信じないままでいるべきなのに、

【かへりて日蓮をう〔打〕たする。】
返って日蓮を迫害させようとしている。

【日蓮が僻事か、釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・】
日蓮が間違っているのか。釈迦、多宝、十方の諸仏、菩薩、

【二乗・梵・釈・四天等いかに計らひ給ふぞ。】
二乗、梵天、帝釈、四天王などは、どのように取り計らおうとされているのか。

【日蓮が僻事ならば其の義を示し給へ。】
日蓮が間違っているならば、その義を示したまえ。

【ことには日月天は眼前の境界なり。又仏前にしてきかせ給へる上、】
ことに日天、月天は、眼前に輝いている。また、仏前で仏勅を聞かれたうえに、

【法華経の行者をあだまんものをば頭破〔ずは〕七分等と】
法華経の行者を怨〔あだ〕もうとする者を頭破れて七分とならんなどと

【誓はせ給ひて候へばいかんが候べきと、】
誓われたのであるから、どうして、このままで良いものであろうかと、

【日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰する。】
日蓮が強盛に責めたので、天は、この国を罰するゆえに、

【ゆへに此の疫病〔やくびょう〕出現せり。】
この疫病が現れたのです。

【他国より此の国を天をほ〔仰〕せつけて責めらるべきに、】
天が仰せつけて、他国より、この国を責めさせるはずであったが、

【両方の人あまた死すべきに、】
それでは、両方の国の人々が多く死ぬであろうから、

【天の御計ひとしてまづ民を滅して人の手足を切るがごとくして、】
天の御計らいとして、まず民を滅ぼして、人の手足を切るようにして、

【大事の合戦なくして、此の国の王臣等をせめかたぶけて、】
大きな合戦によらないで、この国の王臣らを責め立てて、

【法華経の御敵を滅して正法を弘通せんとなり。】
法華経の敵を滅ぼし、正法を弘通しようとするのです。

【而るに日蓮佐渡国へながされたりしかば、】
しかるに日蓮が佐渡の国へ流されてみると、

【彼の国の守護等は国主の御計らひに随って日蓮をあだむ。】
彼の国の守護などは、執権の計らいにしたがって日蓮を憎んで、

【万民は其の命に随う。】
万民は、その命令に従ったのです。

【念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりも】
念仏者、禅、律、真言師等は、鎌倉からも、

【いかにもして此へわたらぬやう計れと申しつかわし、】
どのようにもして鎌倉に帰られないようにせよと命令し、

【極楽寺の良観等は武蔵〔むさし〕の前司〔ぜんじ〕殿の】
極楽寺の良観などは、武蔵前司殿に、

【私の御教書〔みぎょうしょ〕を申して、弟子に持たせて】
勝手に作った偽の御教書〔みぎょうしょ〕を渡して、弟子に持たせて

【日蓮をあだみなんとせしかば、いかにも命たすかるべきやうはなかりしに、】
日蓮を迫害しようとしたので、どうしても命が助かるはずはなかったのですが、

【天の御計らひはさてをきぬ。地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、】
天の計らいは、別として、地頭と言う地頭、念仏者と言う念仏者などは、

【日蓮が菴室に昼夜に立ちそいて、】
日蓮の庵室に昼夜に見張りを立て、

【かよ〔通〕う人をあるをまどわさんとせめしに、】
通う人を妨げようとしたのに、

【阿仏房にひつ〔櫃〕をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、】
阿仏房に米櫃〔ひつ〕を背負わせて、夜中に度々御訪ねのあったことを、

【いつの世にかわす〔忘〕らむ。】
いつの世に忘れられるでしょうか。

【只悲母〔はは〕の佐渡国に生まれかわりて有るか。】
ただ亡き悲母が佐渡の国に生まれ変わったのでしょうか。

【漢土に沛公〔はいこう〕と申せし人、王の相有りとて】
昔、中国の沛公〔はいこう〕と言う人は、王となる相があると言うので、

【秦〔しん〕の始皇〔しこう〕の勅宣〔ちょくせん〕を下して云はく、】
秦の始皇帝は、勅宣を下して言うのには、

【沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行なふべし。】
沛公〔はいこう〕を打った者には、最大の恩賞を与えると言ったのです。

【沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて】
沛公〔はいこう〕は、人里にも隠れられず、山中に入って

【七日・二七日なんど有りしなり。其の時命すでにを〔終〕わりぬべかりしに、】
7日、14日におよびました。その時、すでに命が終わろうとしていたのを、

【沛公の妻女〔つま〕呂公〔りょこう〕と申せし人こそ】
沛公〔はいこう〕の妻である呂公と言う人が、

【山中を尋ねて時々〔よりより〕命をたすけしか。】
時々山中を尋ねて命を助けたのですが、

【彼は妻なればなさけ〔情〕すてがたし。】
それは、妻であるから情を捨て難かったのです。

【此は後世ををぼせずば、】
この尼御前は、後世を思わなければ、

【なにしにかかくはをはすべき。】
どうして、これほどの真心をつくされましょうか。

【又其の故に或は所ををい、或はくわれう〔科料〕をひき、】
また、そのために所を追われ、あるいは科料に処せられ、

【或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ひぬ。】
あるいは、家宅を取られるなどしたのに、ついに信心を貫き通されました。

【法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ】
法華経法師品第十には、過去に十万億の仏を供養した人こそ、

【今生には退せぬとわみへて候へ。】
今生で信心を退転しないのであるとあります。

【されば十万億供養の女人なり。】
そうであるならば、尼御前は、十万億の仏を供養した女性であるはずです。

【其の上、人は見る眼の前には心ざし有れども、】
そのうえ、人は、眼の前にいる間は、志があっても、

【さしはなれぬれば、心はわす〔忘〕れずともさてこそ候に、】
離れてしまえば、心では、忘れていなくとも、遠ざかってしまうものであるのに、

【去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、】
去る文永11年より今年弘安元年の五年の間、この身延の山中にあったのに、

【佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。】
佐渡の国より三度までも夫を遣わされました。なんと深い志でしょうか。

【大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。】
大地よりも厚く、大海よりも深い志です。

【釈迦如来は、我が薩埵〔さった〕王子たりし時、】
釈迦如来は、自分が薩埵〔さった〕王子であった時、

【うへたる虎に身をか〔飼〕いし功徳、尸毘王〔しびおう〕とありし時、】
飢えた虎に身を与えた功徳や、また、尸毘王〔しびおう〕であった時、

【鳩〔はと〕のために身をかへし功徳をば、】
鳩の代わりに自分の身を鷹に与えた功徳を、

【我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ、】
末法に、このように法華経を信ずる人に譲ろうと、

【多宝・十方の仏の御前にては申させ給ひしか。】
多宝如来、十方の仏の前で説かれています。

【其の上御消息に云はく、尼が父の十三年は来たる八月十一日。】
そのうえ、御手紙には、尼御前の亡父の13回忌は、来たる8月11日であること、

【又云はく、ぜに一貫もん等云云。】
また、その追善供養として銭一貫文を供養されるなどとあります。

【あまりの御心ざしの切に候へば、】
あまりに深い御志であるので、

【ありえて御はしますに随ひて法華経十巻をく〔送〕りまいらせ候。】
幸いにも手もとにある法華経十巻を御送り致します。

【日蓮がこいしくをはせん時は学乗房〔がくじょうぼう〕によませて】
日蓮を恋しく思われる時には、学乗房に、この法華経を読ませて、

【御ちゃうもん〔聴聞〕あるべし。】
聴聞してください。

【此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし。】
後生には、この経文を道標〔みちしるべ〕として、日蓮を訪ねられてください。

【抑〔そもそも〕、去々・去・今年のありさまは、】
さて、一昨年、去年、今年の疫病の様子を見ては、

【いかにかならせ給ひぬらむとをぼつか〔覚束〕なさに】
どうなられたであろうかと心配するあまり、

【法華経にねんごろに申し候ひつれども、】
法華経に無病息災を真剣に祈ってはいましたが、

【いまだいぶかし〔不審〕く候ひつるに、】
まだ気がかりであったところ、

【七月廿七日の申〔さる〕の時に阿仏房を見つけて、】
7月27日の申の時に、阿仏房が来られたのを見て

【尼ごぜんはいかに、こう〔国府〕入道殿はいかにと、】
尼御前は、どうされましたか、国府入道殿は、どうでしょうかと、

【まづといて候ひつれば、いまだや〔病〕まず、】
まず問うたところ、まだ病気にかかっては、おりません。

【こう入道殿は同道にて候ひつるが、わせ〔早稲〕はすでにちかづきぬ、】
国府入道は、同行して参りましたが、早稲の刈り入れが近づき、

【こ〔子〕わなし、いかんがせんとてかへられ候ひつると】
手伝う子もないので、やむなく途中から帰られましたと

【かた〔語〕り候ひし時こそ、盲目の者の眼のあきたる、】
話されるのを聞いた時には、盲目の者の眼が開き、

【死し給へる父母の閻魔宮〔えんまぐう〕より御をとづれの夢の内に有るを、】
死んだ父母が閻魔宮から引き返された夢を見て、

【ゆめ〔夢〕にて悦ぶがごとし。】
夢の中で悦んでいるような気持ちでした。

【あわ〔哀〕れあわれふしぎ〔不思議〕なる事かな。】
まったくもって不思議なことです。

【此もかまくら〔鎌倉〕も此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候。】
ここ身延でも鎌倉でも、日蓮門下は、この疫病で死ぬ者が少なく、

【同じ船にて候へば、いづれもたすかるべしともをぼへず候ひつるに、】
同じ船に乗り合わせて、疫病と言う嵐に合って、みな助かるとは思われないのに、

【ふね〔船〕やぶ〔破〕れてたすけぶねに値へるか。】
船が壊れたのに、助け船にでもあったのでしょうか。

【又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ】
また、竜神の助けによって無事に岸に着けたのでしょうか、

【不思議がり候へ。さわ〔谷〕の入道の事、】
不思議に思っております。一谷入道の死去について、

【なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさせ給へ。たゞし入道の事は】
嘆き入っていると入道の尼御前に御伝えください。ただし入道の事については、

【申し切り候ひしかば】
念仏を捨て法華経に帰依しなければ、成仏は願い難しと申し伝えて置きましたから、

【をもひ合はせ給ふらむ。】
そのことについて、思い合わせておられることでしょう。

【いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給ふべからず。】
いかに念仏堂があっても、阿弥陀仏は、法華経の敵を助けようとはせず、

【かへりて阿弥陀仏の御かたきなり。】
返って阿弥陀仏の敵となるのです。

【後生〔ごしょう〕悪道に堕ちてく〔悔〕いられ候らむ事あさまし。】
それを思い切らなければ、後生は、悪道に堕ちて後悔されるでしょう。

【たゞし入道の堂のらう〔廊〕にていのち〔命〕を】
ただし、一谷入道の堂宇の廊下で、

【たびたびたす〔助〕けられたりし事こそ、いかにすべしともをぼへ候はね。】
たびたび命を助けられた御恩には、どのように報いたら良いのでしょうか。

【学乗房をもってはか〔墓〕につねづね法華経をよませ給へとかたらせ給へ。】
学乗坊に一谷入道殿の墓に、常々、法華経を読むようにと伝えておいてください。

【それも叶ふべしとはをぼえず。】
それでも一谷入道殿の成仏が叶うとも思われませんが、

【さても尼のいかにたよりなかるらむと】
それにしても、尼御前がいかに寂しい思いをしていることであろうかと

【なげ〔歎〕くと申しつたへさせ給ひ候へ。又々申すべし。】
嘆いておりますと御伝えください。また、折りをみて申し上げましょう。

【七月廿八日   日蓮花押】
7月28日   日蓮花押

【佐渡国府阿仏房尼御前】
佐渡国府阿仏房尼御前へ



ページのトップへ戻る