日蓮正宗法華講開信寺支部より

みんなの広場 【2024年】


ようこそ開信寺へ


2024/11/01 23:00

御会式、布教講演(諦聴寺古藤法道御尊師)

日蓮大聖人の時代も現代も、相も変わらず、世間も個人も不幸の連続です。
それを解決する唯一の方法である立正安国論で正しい仏法を学び、不孝の根本原因である邪宗邪義を折伏する事は、私達にも、通じる道です。
三世の生命を考える時、過去の業因が現在の不幸をもたらし、それは、未来へも持ち越していきます。
ですが、末法の衆生である私達は、日蓮正宗の大御本尊様に巡りあい信じる事が出来たのですから、末法の衆生を救う折伏によって即身成仏は、間違いなく、日如猊下とともに題目を唱えて行きたいと思います。
願兼於業〔がんけんおごう〕によって、思い通りの人生でない時でも、転重軽受〔てんじゅうきょうじゅ〕で仏法の証明をして行きましょう。




2024/11/01 22:00

日蓮正宗開信寺・御会式

10月27日、開信寺の御会式に参加しました。
従姉妹が日蓮正宗には、まだ入信していないのですが、御会式に参加したいと言うので、迎えに行くと、道路が凄く混んでいて、なんとか5分前に開信寺に着きましたが、すでに本堂は、人が一杯で、隣室に皆な座っているほど、多くの人が来られていました。
そのような中で御会式がすすめられて、従姉妹も神妙な面持ちで立正安国論と申し状の捧読を聞いていました。
御会式の後、古藤御尊師の布教講演があり、その御話の中で、日蓮大聖人が御入滅される一週間の間、立正安国論を講義されたそうです。
私は小さい頃から、日蓮大聖人の教義は、立正安国論に始まり、立正安国論に終わると聞いてきました。
このように日蓮大聖人が臨終を迎えるその間際まで、体の無理をおして、立正安国論を講義され、その結果、その深遠なる法門が日蓮正宗に正しい仏教が伝わっていることに、感謝の思いを新たにしました。
今の社会では、日蓮宗などの邪宗が本尊が何なのか、その根拠を問う人も無く、建物の大きさや荘厳な金物で出来た仏像に手を合わせ、パワースポット巡りだの、流行りのグッズや縁起物や宝石などと云う、ただの物体に皆、目の色を変え、人よりも早く、少しでも多く手に入れようとする人々の姿ばかりが目につきます。
そんな世の人々は、酒に酔っているのと同じで本当のことが分からない人々の目を覚ますことが折伏であり、それが出来るのは、日蓮正宗の本門戒壇の大御本尊様だけなのです。
しかしながら、その大御本尊様が日蓮大聖人であると判る人は、末法の今世では、ほとんど、いません。
そのような中で現代では、日蓮正宗の御書で立正安国論を読むことが出来ます。
鎌倉時代の日蓮大聖人が立正安国論の講義で言われている事が、今、この場で日蓮正宗によって知ることが出来ることが、どれだけ凄いことなのかと感謝し、この立正安国論に書かれている通りに、土産物のような本尊や縁起物のグッズなど、ただの物体をありがたがっている日蓮宗、創価学会などの邪宗を少しでも折伏して、与同罪に堕ちないように気を引き締めて、御会式に参加させて頂いたことに感謝し、従姉妹にも少しでも話をしていこうと思いました。


2024/09/22 14:00

総本山寛師会 代表登山報告

この度、総本山寛師会「二十六世日寛上人祥月命日忌法要」に行かせて頂きました。
9月19日10時の御正当会、客殿にて御法主上人猊下の大導師のもと御焼香に参列し、日寛上人に御報恩謝徳申し上げました。今回は、前日の諸行事には参加出来ず、私は、寛師会初の体験と他の御寺の方との交流ができました。下山の際、タクシーで渋滞の中、急にスコールの様な大雨が続き、これでは新幹線組7人が無事に帰宅不可能だと問答しましたが、新富士駅のホームに上がると、すっかり雨が止んで、無事、新幹線も平常通り、難なく帰宅。これも御本尊様の御陰だと思い、日々感謝です!


2024/01/06 16:40

元旦勤行会

一月一日午後1時の元旦勤行会に参加しました。
やっと新型コロナ・ウイルスは、五類になりましたが、インフルエンザが流行している現状では、マスクを外すことは躊躇〔ちゅうちょ〕され、開信寺の玄関にも来た人に自由に使って頂くようにマスクとアルコールが置いてありました。
三座の勤行、題目の後、御住職より令和6年の年間実践テーマは「折伏前進の年」であり、開信寺においては、法燈相続が大事である旨、お話がありました。
開信寺から外に出ると正月とは思えないくらい暖かい日で、今年は、穏やかな年になるのかなと思いながら家に帰えると、4時過ぎに、いきなり石川県に大津波警報が鳴り、相次いで日本海沿いに北海道から九州まで津波警報が発せられました。
何度も地震警報でスマートフォンが鳴りました。
能登半島地震です。
今年も数多くある神社・仏閣に大勢の人が初詣と言って家族の安寧や世の中の平安などを叶えて欲しいと賽銭を投げ入れ、お願いしたと思います。
それなのに、なぜ、このような天変地異、災難が起こるのか。
はたして、それを明確に説明出来る者が、この神社・仏閣にいるのでしょうか。
日蓮大聖人は
仁王教に云はく「仏戒に因らざるを、是を破仏・破国の因縁と為す◯若し一切の聖人去る時は七難必ず起こらん」已上。此等の文を以て之を勘ふるに、法華経等の諸大乗経国中に在りと雖も、一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起こさず。故に国中守護の善神・一切の聖人此の国を捨てゝ去り、守護の善神・聖人等無きが故に出来する所の災難なり。 (災難対治抄194ページ)
と述べられています。
日蓮大聖人が生きて居られた鎌倉時代も今と同じ様に天変地異、疫病、飢饉が繰り返された時代でした。
人々の苦悩も同じく、何故こんな事が起こるのか、どうしたら救われるのかと悩み困惑していたにもかかわらず、正法である法華経を求めず、諸々の僧侶は、仏教の大小権実をわきまえず、意味を履き違えているにもかかわらず、我得たりと自説を吹聴し、この世の名聞名利を求め、自分の利益に執着しているのでした。
これでは、この災難の原因も、それを防ぐ方法も分かるはずがありません。
今の世の中も全く一緒です。
しかも、末法である現代では、釈迦の説いた法華経は、白法隠没して役に立たなくなっており、現時においては、日蓮大聖人の顕された日蓮正宗総本山大石寺に御安置されている本門戒壇の大御本尊に御法主上人であられる日如猊下と共に題目を唱えていくことでしか世の中の人々が救われることはないのです。
この事を「折伏前進の年」に世の人々に伝えていかなければならないと深く感じた大変な一年の幕開けになりました。




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