みんなの広場 【2026年】
ようこそ開信寺へ
2026/02/01 12:00
登山の功徳
私が日蓮正宗に入信したのは、昭和58年12月に福岡の立正寺さんで御授戒を受けました。
当時、日蓮正宗の外護団体である創価学会に主人の母の折伏で入信しました。
創価学会に入って最初、なんで宗教法人が選挙の活動をするのか、疑問に思ったのですが、中に入っていると功徳があるという言葉に騙〔だま〕されて、北九州、熊本、長崎と活動に飛び廻〔まわ〕っていました。
後で考えるとおかしい事だと思います。公明党員も、しておりました。
平成2年11月頃だと思いますが、創価学会、西文化会館で衛星放送があり、名誉会長の池田さんがステージで役員の方々を踊らせたり、また、秋谷会長(当時)を、すごく叱咤〔しった〕されて、見苦しい限りでした。
私自身、それを見て、これは、おかしいと思い、その頃から、創価学会から、心が離れていきました。
そうして、平成3年の3月に創価学会を脱会しました。
主人の母、兄妹達が脱会に大反対で、私達夫婦は、つき合いを断絶されました。
その時に、創価学会を脱会して、法華講に入って、自分の信心が間違った方向にいかなくて、ほんとうに良かったと思いました。
創価学会の地区座談会の時、中島さんという壮年部の方(奥さんが東洋広布の歌を作られた方で私達より先に脱会されました。)が、お寺で先祖供養の塔婆を立てると良いと言われたので、毎月一日に先祖の塔婆を立て続けています。
その功徳により、自動車事故に遭いそうになった時、無事、回避でき、また、主人の仕事で死んでもおかしくない事故が、3度も、ありましたが、一度は、肋骨が折れて大変でしたが、会社を5日間休んだだけで、治〔なお〕しました。後は、怪我もなく無事でした。
また、仕事帰りにバイクに乗っていて、後ろから追突されて、ヘルメットだけで3mほど流されて、倒れて、お尻に血豆が出きたくらいで終わりました。
そんな事を思い返すと塔婆供養の功徳だと思います。
御書の新池御書の中に「譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩〔あゆ〕みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠〔なが〕め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥〔いよいよ〕法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。」(御書1457頁)とありますが、私は、この御書の一節が大好きで、お寺に参詣するのが楽しみです。
登山も法華講に入講してからは、毎年支部登山に参加し、一年に一回は、登山していました。
30万総登山の時は、バス、飛行機、ワゴン車と何回も登山しました。
コロナの時は、いけませんでしたが、宗祖日蓮大聖人御生誕八百年、慶祝記念総登山は、3月、11月に参加させていただきました。
その年の12月に入って、咳がひどくて、かかりつけの内科に診てもらっていたのですが、令和6年1月の始めに難病の間質肺炎と診断されまして、九州医療センターを紹介されて、肺の細胞を取り検査をしてもらいました。
検査の結果がでたのは、5月頃でした。区役所の保険課に行って国の難病指定の手続きをしました。
審査の結果がでて、難病指定の許可がおりたのが、8月でした。
それから投薬の治療が始まりました。
令和6年は、登山が、できませんでした。
令和7年の5月の支部登山に行きたかったのですが、主人が体調を考えて11月にしようと言ってくれたのですが、私は、5月に行きたいと思っておりましたので、朝晩、御本尊様に祈っていました。
5月1日が〆切り日だったのですが、一日参りに参加した時、講頭さんが登山を誘って下さいましたので 主人に聞いたら、いいという事で2人で参加する事ができました。
2年ぶりの登山で、ずっと毎年いかれると思っていたのに、あたり前があたり前でなくなり、改めて信心の厳しさを知りました。
歓喜の中で登山を終えて、6月に入り、胃の調子が、あまり良くなく、かかりつけのお医者さんから、18日に採血の検査の結果、肝臓の数値が悪いので明日、来るようにと言われたので、実は、胃の調子が良くないと伝えたら、「明日、8時30分に来なさい。 エコーとCTを取るから食事をしないで来るように」との事でした。
検査の結果、胆管〔たんかん〕に石が詰〔つ〕まっているとの事で、「すぐ医療センターに行きなさい」との事で、慌てて行きましたら、「すぐ入院しなさい」との事で、バタバタ入院しました。
入院したのが金曜日でしたので、土、日、過ぎて、月曜日に内視鏡で取る事になりました。
手術は、30分程度で終わり、先生の話では、「石は、流されてみつからなかった」との事でしたが、「胆のうに、まだ、石が残っているので、それが、また、胆管〔たんかん〕に詰まるので、胆のうを取った方が良い」との事でした。
かかりつけの先生に相談すると「やはり、取った方が良い」との事でしたが、周りの人に聞くと、御主人が取っている人、お母さんが、取っている人がみえました。
それを聞いて、私も取る決心をしました。
病院で手術ができるか、どうか検査をして、8月13日に手術をして胆のうを取りました。
術後は、食欲もなく、体調もおもわしくなかったのですが、一週間で退院しました。
すぐに御住職様に電話を入れました。
御住職様は、「いつも御祈念しているよ」と言って下さって、胸が熱くなりました。
3週間程すぎて診察を受けましたが、「癌〔がん〕の心配は、ありません」とのことでした。
転重軽受の法門が浮かびました。
ずっと先に重い病気になるのが、早く、軽く、済ませて頂〔いただ〕いたのだと思い、御本尊様に感謝申し上げ、御住職様には、毎日、御祈念をして頂き、また、御住職の奥様には、寄り添って頂き、激励して頂き、本当に感謝しております。
私の病気は、特発性間質肺炎で原因がわからないそうです。
肺包の周りに炎症ができて、それ自体、治す薬はありません。
肺を硬くすると息ができなくなるので、硬くならないように進行を止める薬がありますが、この薬が高額で国の補助で助けてもらっています。
今のところ、以前より良くなっているとの事で診察も6週間から8週間くらいです。
間質肺炎という病気は、存命が3年~5年というのがユーチューブに書いてあります。
10年くらいの方もみえるそうですが、ある意味、考え方を変えれば、寿命がある程度、わかるという事も、それに向かって、いろいろとする事もありますし、覚悟も必要になってきます。
突然、死ぬ事もあり、ずっと長生きできると思ったり、その意味では、寿命がわかる事はいいのかもしれません。
でも、まだまだ、いつ死んでも良いという思いには、なれません。
難しいですね。
主人は、「歳を取って病気になったので進行が遅いので、10年くらい、長生きできるから、ストレスをためないでノンビリと生きたらいいよ」といってくれます。また、「自分が変わってあげれたら良いのに」と言ってくれます。
やさしい主人です。感謝しています。
できる事なら、主人を見送ってから、私も逝きたいと切に思います。
私は、お寺に参詣して御住職様と唱題ができる事が一番幸せです。
あと、残りの人生をできるだけ、お寺で唱題をして、また、活動日に参加できるように頑張ってまいります。

登山の功徳
私が日蓮正宗に入信したのは、昭和58年12月に福岡の立正寺さんで御授戒を受けました。
当時、日蓮正宗の外護団体である創価学会に主人の母の折伏で入信しました。
創価学会に入って最初、なんで宗教法人が選挙の活動をするのか、疑問に思ったのですが、中に入っていると功徳があるという言葉に騙〔だま〕されて、北九州、熊本、長崎と活動に飛び廻〔まわ〕っていました。
後で考えるとおかしい事だと思います。公明党員も、しておりました。
平成2年11月頃だと思いますが、創価学会、西文化会館で衛星放送があり、名誉会長の池田さんがステージで役員の方々を踊らせたり、また、秋谷会長(当時)を、すごく叱咤〔しった〕されて、見苦しい限りでした。
私自身、それを見て、これは、おかしいと思い、その頃から、創価学会から、心が離れていきました。
そうして、平成3年の3月に創価学会を脱会しました。
主人の母、兄妹達が脱会に大反対で、私達夫婦は、つき合いを断絶されました。
その時に、創価学会を脱会して、法華講に入って、自分の信心が間違った方向にいかなくて、ほんとうに良かったと思いました。
創価学会の地区座談会の時、中島さんという壮年部の方(奥さんが東洋広布の歌を作られた方で私達より先に脱会されました。)が、お寺で先祖供養の塔婆を立てると良いと言われたので、毎月一日に先祖の塔婆を立て続けています。
その功徳により、自動車事故に遭いそうになった時、無事、回避でき、また、主人の仕事で死んでもおかしくない事故が、3度も、ありましたが、一度は、肋骨が折れて大変でしたが、会社を5日間休んだだけで、治〔なお〕しました。後は、怪我もなく無事でした。
また、仕事帰りにバイクに乗っていて、後ろから追突されて、ヘルメットだけで3mほど流されて、倒れて、お尻に血豆が出きたくらいで終わりました。
そんな事を思い返すと塔婆供養の功徳だと思います。
御書の新池御書の中に「譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩〔あゆ〕みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠〔なが〕め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥〔いよいよ〕法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。」(御書1457頁)とありますが、私は、この御書の一節が大好きで、お寺に参詣するのが楽しみです。
登山も法華講に入講してからは、毎年支部登山に参加し、一年に一回は、登山していました。
30万総登山の時は、バス、飛行機、ワゴン車と何回も登山しました。
コロナの時は、いけませんでしたが、宗祖日蓮大聖人御生誕八百年、慶祝記念総登山は、3月、11月に参加させていただきました。
その年の12月に入って、咳がひどくて、かかりつけの内科に診てもらっていたのですが、令和6年1月の始めに難病の間質肺炎と診断されまして、九州医療センターを紹介されて、肺の細胞を取り検査をしてもらいました。
検査の結果がでたのは、5月頃でした。区役所の保険課に行って国の難病指定の手続きをしました。
審査の結果がでて、難病指定の許可がおりたのが、8月でした。
それから投薬の治療が始まりました。
令和6年は、登山が、できませんでした。
令和7年の5月の支部登山に行きたかったのですが、主人が体調を考えて11月にしようと言ってくれたのですが、私は、5月に行きたいと思っておりましたので、朝晩、御本尊様に祈っていました。
5月1日が〆切り日だったのですが、一日参りに参加した時、講頭さんが登山を誘って下さいましたので 主人に聞いたら、いいという事で2人で参加する事ができました。
2年ぶりの登山で、ずっと毎年いかれると思っていたのに、あたり前があたり前でなくなり、改めて信心の厳しさを知りました。
歓喜の中で登山を終えて、6月に入り、胃の調子が、あまり良くなく、かかりつけのお医者さんから、18日に採血の検査の結果、肝臓の数値が悪いので明日、来るようにと言われたので、実は、胃の調子が良くないと伝えたら、「明日、8時30分に来なさい。 エコーとCTを取るから食事をしないで来るように」との事でした。
検査の結果、胆管〔たんかん〕に石が詰〔つ〕まっているとの事で、「すぐ医療センターに行きなさい」との事で、慌てて行きましたら、「すぐ入院しなさい」との事で、バタバタ入院しました。
入院したのが金曜日でしたので、土、日、過ぎて、月曜日に内視鏡で取る事になりました。
手術は、30分程度で終わり、先生の話では、「石は、流されてみつからなかった」との事でしたが、「胆のうに、まだ、石が残っているので、それが、また、胆管〔たんかん〕に詰まるので、胆のうを取った方が良い」との事でした。
かかりつけの先生に相談すると「やはり、取った方が良い」との事でしたが、周りの人に聞くと、御主人が取っている人、お母さんが、取っている人がみえました。
それを聞いて、私も取る決心をしました。
病院で手術ができるか、どうか検査をして、8月13日に手術をして胆のうを取りました。
術後は、食欲もなく、体調もおもわしくなかったのですが、一週間で退院しました。
すぐに御住職様に電話を入れました。
御住職様は、「いつも御祈念しているよ」と言って下さって、胸が熱くなりました。
3週間程すぎて診察を受けましたが、「癌〔がん〕の心配は、ありません」とのことでした。
転重軽受の法門が浮かびました。
ずっと先に重い病気になるのが、早く、軽く、済ませて頂〔いただ〕いたのだと思い、御本尊様に感謝申し上げ、御住職様には、毎日、御祈念をして頂き、また、御住職の奥様には、寄り添って頂き、激励して頂き、本当に感謝しております。
私の病気は、特発性間質肺炎で原因がわからないそうです。
肺包の周りに炎症ができて、それ自体、治す薬はありません。
肺を硬くすると息ができなくなるので、硬くならないように進行を止める薬がありますが、この薬が高額で国の補助で助けてもらっています。
今のところ、以前より良くなっているとの事で診察も6週間から8週間くらいです。
間質肺炎という病気は、存命が3年~5年というのがユーチューブに書いてあります。
10年くらいの方もみえるそうですが、ある意味、考え方を変えれば、寿命がある程度、わかるという事も、それに向かって、いろいろとする事もありますし、覚悟も必要になってきます。
突然、死ぬ事もあり、ずっと長生きできると思ったり、その意味では、寿命がわかる事はいいのかもしれません。
でも、まだまだ、いつ死んでも良いという思いには、なれません。
難しいですね。
主人は、「歳を取って病気になったので進行が遅いので、10年くらい、長生きできるから、ストレスをためないでノンビリと生きたらいいよ」といってくれます。また、「自分が変わってあげれたら良いのに」と言ってくれます。
やさしい主人です。感謝しています。
できる事なら、主人を見送ってから、私も逝きたいと切に思います。
私は、お寺に参詣して御住職様と唱題ができる事が一番幸せです。
あと、残りの人生をできるだけ、お寺で唱題をして、また、活動日に参加できるように頑張ってまいります。

2026/02/24 04:01
日蓮大聖人・誕生会
二月十六日、開信寺において、宗祖・誕生会が13時より行われました。
御本仏・日蓮大聖人の末法・御出現をお祝い申し上げ、御報恩のために大聖人が誕生された2月16日に奉じられます。
勤行・題目が唱えられた後、御尊師より日蓮大聖人の御誕生時のお話がありました。
日蓮大聖人は、佐渡御書に「日蓮今生〔こんじょう〕には貧窮〔びんぐ〕下賤〔げせん〕の者と生まれ旃陀羅〔せんだら〕が家より出〔い〕でたり」(御書580頁)と書かれている様に、魚などを採って食べる不浄な旃陀羅として、階級社会の底辺の身分の中にも入れないような者として誕生されたのです。
しかし、それは、大慈悲の示同凡夫〔じどう・ぼんぷ〕、出尊形仏〔しゅつ・そんぎょう・ぶつ〕〕の御姿であるのです。
釈迦牟尼仏は、末法に於いて、自分の説いた法華経が白法隠没してしまった後、末法に上行菩薩が法華経を弘教されると予言されましたが、真実は、日蓮大聖人が久遠元初〔くおんがんじょ〕自受用身の御本仏として、この末法の衆生を救う為に誕生されたのです。
日蓮大聖人の誕生の時の不思議な瑞相〔ずいそう〕については、日興上人が記された「産湯相承事」に日蓮大聖人の母、妙蓮禅尼が梅菊女と申されていた時に「汝が志〔こころざし〕真に神妙なり、一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり。東条の片海に三国大夫〔みくにのたいふ〕と云ふ者あり、是を夫と定めよと云々。七歳の春三月廿四日の夜なり、正〔たしか〕に今も覚え侍〔はべ〕るなり」(御書1708頁)と記されています。
その後、正に三国大夫に嫁がれ、有る夜「叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、富士の山より日輪の出でたまふを懐〔いだ〕き奉ると思ひて、打ち驚きて後月水〔がっすい〕留まる」(御書1708頁)と不思議な夢を見て妊娠をしたと三国大夫に申し上げると、自分も不思議な夢を見たと話されました。
虚空蔵菩薩が可愛い子を肩に乗せて「此の少人我が為には上行菩提薩埵なり。日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり。亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり。是を汝に与へんとの給ふ」(御書1708頁)と言い渡されたのです。
夫婦でこれは、聖人のことであると語られたのです。
そして、出産の夜の夢では、富士山の頂に登って十方を見ると三世全てが明らかに見え、梵天、帝釈、四大天王などが、ことごとく来下し、(中略)日に向かって「今此三界〔こんし・さんがい〕、皆是我有〔かいぜ・がう〕、其中衆生〔ごちゅう・しゅじょう〕、悉是吾子〔しつぜ・ごし〕、唯我一人〔ゆいが・いちにん〕、能為救護〔のうい・くご〕」と唱えるのを見て驚くと、大聖人が誕生されたと語られています。
釈迦牟尼仏は、2月15日に滅せられ、日蓮大聖人が2月16日に誕生されたことは、釈迦牟尼仏の仏法が没して、日本に末法の御本仏が出現されるという因縁を示しており、「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」(御書1710頁)と三徳兼備の仏である旨、宣言されているのです。
総本山・大石寺では、毎年2月16日に御影堂において、御法主上人猊下の大導師のもと、宗祖・誕生会が奉修され、引き続き五重の塔の扉を開き、読経・唱題をされる「お塔開き」が修されます。
大石寺の建物は、南向きに建てられていますが、五重の塔だけは、西向きに建てられています。
これは、なぜかと言うと諌暁八幡抄では、釈迦牟尼仏が生まれたインドを月氏国、大聖人が生まれられた国を日本と呼んで、釈迦の仏法を月に譬〔たと〕え、大聖人の仏法を太陽に譬〔たと〕えられています。
「日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相〔ずいそう〕なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝〔まさ〕れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(御書1543頁)と仰せられている様に、日蓮大聖人の仏法が東から西へと帰って行き、末法の衆生の闇を照らし救っていく意義を顕されているのです。
そして最後に、この誕生会が三大秘法である本門・戒壇の大御本尊様に御報恩を申し上げる儀式であることを御尊師が話されて終わりとなりました。
日蓮大聖人・誕生会
二月十六日、開信寺において、宗祖・誕生会が13時より行われました。
御本仏・日蓮大聖人の末法・御出現をお祝い申し上げ、御報恩のために大聖人が誕生された2月16日に奉じられます。
勤行・題目が唱えられた後、御尊師より日蓮大聖人の御誕生時のお話がありました。
日蓮大聖人は、佐渡御書に「日蓮今生〔こんじょう〕には貧窮〔びんぐ〕下賤〔げせん〕の者と生まれ旃陀羅〔せんだら〕が家より出〔い〕でたり」(御書580頁)と書かれている様に、魚などを採って食べる不浄な旃陀羅として、階級社会の底辺の身分の中にも入れないような者として誕生されたのです。しかし、それは、大慈悲の示同凡夫〔じどう・ぼんぷ〕、出尊形仏〔しゅつ・そんぎょう・ぶつ〕〕の御姿であるのです。
釈迦牟尼仏は、末法に於いて、自分の説いた法華経が白法隠没してしまった後、末法に上行菩薩が法華経を弘教されると予言されましたが、真実は、日蓮大聖人が久遠元初〔くおんがんじょ〕自受用身の御本仏として、この末法の衆生を救う為に誕生されたのです。
日蓮大聖人の誕生の時の不思議な瑞相〔ずいそう〕については、日興上人が記された「産湯相承事」に日蓮大聖人の母、妙蓮禅尼が梅菊女と申されていた時に「汝が志〔こころざし〕真に神妙なり、一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり。東条の片海に三国大夫〔みくにのたいふ〕と云ふ者あり、是を夫と定めよと云々。七歳の春三月廿四日の夜なり、正〔たしか〕に今も覚え侍〔はべ〕るなり」(御書1708頁)と記されています。
その後、正に三国大夫に嫁がれ、有る夜「叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、富士の山より日輪の出でたまふを懐〔いだ〕き奉ると思ひて、打ち驚きて後月水〔がっすい〕留まる」(御書1708頁)と不思議な夢を見て妊娠をしたと三国大夫に申し上げると、自分も不思議な夢を見たと話されました。虚空蔵菩薩が可愛い子を肩に乗せて「此の少人我が為には上行菩提薩埵なり。日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり。亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり。是を汝に与へんとの給ふ」(御書1708頁)と言い渡されたのです。
夫婦でこれは、聖人のことであると語られたのです。
そして、出産の夜の夢では、富士山の頂に登って十方を見ると三世全てが明らかに見え、梵天、帝釈、四大天王などが、ことごとく来下し、(中略)日に向かって「今此三界〔こんし・さんがい〕、皆是我有〔かいぜ・がう〕、其中衆生〔ごちゅう・しゅじょう〕、悉是吾子〔しつぜ・ごし〕、唯我一人〔ゆいが・いちにん〕、能為救護〔のうい・くご〕」と唱えるのを見て驚くと、大聖人が誕生されたと語られています。
釈迦牟尼仏は、2月15日に滅せられ、日蓮大聖人が2月16日に誕生されたことは、釈迦牟尼仏の仏法が没して、日本に末法の御本仏が出現されるという因縁を示しており、「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」(御書1710頁)と三徳兼備の仏である旨、宣言されているのです。
総本山・大石寺では、毎年2月16日に御影堂において、御法主上人猊下の大導師のもと、宗祖・誕生会が奉修され、引き続き五重の塔の扉を開き、読経・唱題をされる「お塔開き」が修されます。
大石寺の建物は、南向きに建てられていますが、五重の塔だけは、西向きに建てられています。
これは、なぜかと言うと諌暁八幡抄では、釈迦牟尼仏が生まれたインドを月氏国、大聖人が生まれられた国を日本と呼んで、釈迦の仏法を月に譬〔たと〕え、大聖人の仏法を太陽に譬〔たと〕えられています。
「日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相〔ずいそう〕なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝〔まさ〕れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(御書1543頁)と仰せられている様に、日蓮大聖人の仏法が東から西へと帰って行き、末法の衆生の闇を照らし救っていく意義を顕されているのです。
そして最後に、この誕生会が三大秘法である本門・戒壇の大御本尊様に御報恩を申し上げる儀式であることを御尊師が話されて終わりとなりました。
2026/03/15 19:09
第34回 法華講開信寺支部総会
梅の花が春を感じさせる3月8日、御講に引き続き、第34回法華講開信寺支部総会が開催されました。
御尊師様の導師により題目三唱の後、開会の辞、会計報告が順次行われ、各部長から活動報告がありました。
登山部長は、年一回は、登山をしていきましょうと話をされ、少年部長からは、今年の抱負として「大事な友達に信心の話をしよう」を掲げ、お寺参詣を友達に勧めていこうと活動目標を決めているので、年間行事に講員の方々が一人でも多く参加して欲しいと話をされました。
講頭さんは、去年は活動目標とされた「活動充実の年」とは、いえなかったと反省の言葉があり、今年は「団結行動の年」を活動テーマとして「動いて、動いて、動いて行きましょう!」と抱負を発表されました。
最後に、御尊師様より、現代の世相を見ると戒名も葬儀もいらないという風潮があり、そういう世の中で開信寺の講員も、皆、年齢を重ねて若い人がお寺に来ないということを考えると法統相続が大事なのであり、今年は「御講参詣を通じて人材育成」を開信寺実践テーマとして活動していくとのお話があり閉会となりました。
第34回 法華講開信寺支部総会
梅の花が春を感じさせる3月8日、御講に引き続き、第34回法華講開信寺支部総会が開催されました。
御尊師様の導師により題目三唱の後、開会の辞、会計報告が順次行われ、各部長から活動報告がありました。
登山部長は、年一回は、登山をしていきましょうと話をされ、少年部長からは、今年の抱負として「大事な友達に信心の話をしよう」を掲げ、お寺参詣を友達に勧めていこうと活動目標を決めているので、年間行事に講員の方々が一人でも多く参加して欲しいと話をされました。講頭さんは、去年は活動目標とされた「活動充実の年」とは、いえなかったと反省の言葉があり、今年は「団結行動の年」を活動テーマとして「動いて、動いて、動いて行きましょう!」と抱負を発表されました。
最後に、御尊師様より、現代の世相を見ると戒名も葬儀もいらないという風潮があり、そういう世の中で開信寺の講員も、皆、年齢を重ねて若い人がお寺に来ないということを考えると法統相続が大事なのであり、今年は「御講参詣を通じて人材育成」を開信寺実践テーマとして活動していくとのお話があり閉会となりました。