日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


法華取要抄 3 已今当の三字最も第一なり


【夫諸宗の人師等或は旧訳〔くやく〕の経論を見て新訳の聖典を見ず、】
各宗派の祖師たちは、旧訳の経文を見ても、新訳の経文を見ていなかったり、

【或は新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、】
または、新訳の経文を見て、旧訳の経文を無視しているのです。

【或は自宗の曲に執着して己義〔こぎ〕に随ひ、】
あるいは、自宗派の誤った教えに執著し、

【愚見〔ぐけん〕を註〔ちゅう〕し止めて後代に之を加添〔かてん〕し、】
自分勝手な愚かな見解を注釈書に著わし、これを後世に残したりしているのです。

【株杭〔くいぜ〕に驚き騒ぎ兎獣〔うさぎ〕を尋ね求め、】
偶然、杭にあたった兎を捕らえた者が、その後、その偶然など期待しないように、

【智〔ち〕円扇〔えんせん〕に発して仰いで天月を見る。】
また、円い扇によって月の姿を理解した後は、扇を捨てて、天の月を見るように、

【非を捨てゝ理を取るは智人なり。】
非科学的な考えを捨てて理性を取るのが、ほんとうに智慧がある人なのです。

【今末の論師、本の人師の邪義を捨て置いて】
現在、インドの末流の論師や、中国、日本の各宗派の祖師の邪義をわきに置いて、

【専〔もっぱら〕ら本経本論を引き見るに、】
真実の経文や論文書を引いて見てみると、

【五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の】
釈尊一代、五十余年の諸経の中では、法華経巻第四の法師品第十の中における

【已今当〔いこんとう〕の三字最も第一なり。】
「已今当」の三文字こそが、それを理解する上では、最も重要な文章なのです。

【諸の論師、諸の人師定めて此の経文を見けるか。】
諸々の論師や人師たちも、この已今当の経文を見たに違いないのですが、

【然りと雖も或は相似〔そうじ〕の経文に狂ひ、】
しかしながら、已今当とよく似た経文に狂い、

【或は本師の邪会〔じゃえ〕に執し、】
あるいは、自らの祖師の邪〔よこしま〕な見解に執着し、

【或は王臣等の帰依を恐るゝか。】
あるいは、王臣などの帰依が失われる事を恐れたからでしょうか。

【所謂金光明〔こんこうみょう〕経の】
諸々の祖師が迷ったよく似た文章とは、つまり、金光明経の

【「是諸経之王〔ぜしょきょうしおう〕」、】
「金光明経は諸経の王である」、

【密厳〔みつごん〕経の「一切経中勝〔いっさいきょうちゅうしょう〕」、】
密厳経の「密厳経は一切経の中で最も勝れている」、

【六波羅蜜〔ろくはらみつ〕の経「総持第一〔そうじだいいち〕」、】
六波羅蜜経の「契経等の五蔵の中で総持門を最も第一とする」、

【大日経の「云何菩提〔うんがぼだい〕」、】
大日経の「菩提とはいかなるものか、といえば如実に自心を知ることである」、

【華厳経の「能信是経最為難〔のうしんぜきょうさいいなん〕」、】
華厳経の「よくこの経を信ずることは甚だ難しい」、

【般若〔はんにゃ〕経の「会入法性〔えにゅうほうしょう〕】
般若経の「世間・出世間のすべての法は、般若をもって法性に会入し、

【不見一事〔ふけんいちじ〕」、】
一事として法性からはずれるものは見られない」、

【大智度論の「般若〔はんにゃ〕波羅蜜〔はらみつ〕】
大智度論の「般若波羅蜜が

【最第一〔さいだいいち〕」、涅槃論の】
最第一である」、涅槃論の

【「今日涅槃理」等なり。】
「今、涅槃の理は流動なく得失なく起滅なし、故に所汚となさず」などの文章です。

【此等の諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文なり。】
これらの諸文は、法華経の已今当の三字に、よく似た文章なのです。

【然りと雖も或は梵帝〔ぼんたい〕・】
しかしながら、これらの文章は、あるいは梵天、帝釈、

【四天〔してん〕等の諸経に対当すれば是諸経の王なり。】
四天王などが説いたと云われる経文との比較の上での諸経の王であり、

【或は小乗経に相対すれば諸経中王なり。】
あるいは、小乗経との比較した上での諸経の王であり、

【或は華厳・勝鬘〔しょうまん〕等の経に相対すれば一切経中勝なり。】
華厳経や勝鬘経等との比較の上での一切経の中で優れていると云う意味なのです。

【全く五十余年の大小・権実・顕密の】
決して釈尊一代、五十余年の大乗経、小乗経、権経、実経、顕経、密経の

【諸経に相対して是〔これ〕諸経の王の大王なるに非ず。】
諸々の経文と比較して、諸経の王の上に立つ大王だと云っているのではないのです。

【所詮所対を見て経々の勝劣を弁〔わきま〕ふべきなり。】
ようするに、比較したものを見て経文の優劣を理解するべきなのです。。

【強敵を臥伏〔がふく】するに始めて大力を知見する是なり。】
つまり、強敵を倒してこそ、初めて強い力士だと知る事が出来るのです。

【其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり。】
その上、諸経に説かれている優劣は、釈尊一仏だけが説いている法の浅深であり、

【全く多宝分身〔ふんじん〕の助言を加ふるに非ず。】
多宝如来や十方分身の諸仏が証明を加えた優劣ではないのです。

【私説を以て公事に混ずること勿〔なか〕れ。】
釈尊のみの私的な説法をもって三世諸仏の公の説法と混同しては、ならなのです。

【諸経は或は二乗凡夫に対揚〔たいよう〕して小乗経を演説し、】
また、諸経は、二乗と凡夫を対象として小乗経を説いたものであり、

【或は文殊〔もんじゅ〕・解脱月〔げだつがつ〕・】
また、あるいは、文殊、解脱月、

【金剛〔こんごう〕薩埵〔さった〕等の弘伝の菩薩に対向して、】
金剛薩埵などの法を弘め伝える迹化の菩薩の為に説かれたものであって、

【全く地涌千界の上行等には非ず。】
すべて地涌千界の上行菩薩の為に説かれたものではないのです。


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