御書研鑚の集い 御書研鑽資料
法華取要抄 9 此等は此の先相なり
【疑って云はく、今世に此の法を流布せば先相之有るや。】
それでは、今の時代にこの法が流布するならば、その瑞相は、あるのでしょうか。
【答へて曰く、法華経に「如是相乃至本末究竟等」云云。】
それは、法華経方便品に「如是相乃至本末究竟等」と説かれています。
【天台の云はく「蜘虫〔ちちゅう〕掛〔か〕かりて喜び事来たり、】
また天台大師は、法華玄義で「蜘蛛〔くも〕が巣をかければ喜びごとが訪れ、
【干鳥鵲〔かんじゃく〕鳴いて客人〔まろうど〕来たる。】
カササギが鳴けば、客が来ると述べています。
【小事すら猶以て是くの如し、何に況んや大事をや」取意。】
小事ですら前兆があり、仏法の大事に瑞相がないはずがない」と説いてあります。
【問うて曰く、若し爾れば其の相之有りや。】
それでは、もしそれが真実ならば、その瑞相が実際にあったのでしょうか。
【答へて曰く、去ぬる正嘉〔しょうか〕年中の大地震、文永の大彗星、】
それは、正嘉の大地震、また文永の大彗星、
【其れより已後今に種々の大なる天変〔てんぺん〕地夭〔ちよう〕】
それから以後、現在までの種々の大きな天変地夭、
【此等は此の先相なり。】
これらは、先ほどの瑞相なのです。
【仁王経の七難・二十九難・無量の難・金光明経・大集経・守護経・薬師経等の】
仁王経の七難、二十九難、無量の難、金光明経、大集経、守護経、薬師経などの
【諸経に挙〔あ〕ぐる所の諸難皆之有り。】
これらの諸経に挙げられている数々の災難が、すべて現われているのです。
【但〔ただ〕し無き所は二三四五の日の出〔い〕づる大難なり。】
その中でまだ現われていない大難は「二三四五の日が出る」と云うものでしたが、
【而〔しか〕るを今年佐渡の国の土民口〔くちぐち〕に云ふ、】
今年、佐渡の国に住む人々が口々に
【今年正月廿三日の申〔さる〕の時に西方に二つの日出現す。】
「今年の正月廿三日の申の時に、西の方に二つの日が出現した。
【或は云ふ、三つの日出現す等云云。】
あるいは、三つの日が出現した」と言っているのです。
【二月五日には東方に明星二つ並び出づ。】
また「二月五日には、東方に明星が二つ並んで出現した。
【其の中間は三寸計〔ばか〕り等云云。】
その間隔は、三寸ばかりであった」とも言っています。
【此の大難は日本国先代にも未だ之有らざるか。】
この大難は、日本の以前の時代でも未だなかったのでしょうか。
【最勝王経〔さいしょうおうきょう〕の】
最勝王経の
【王法〔おうぼう〕正論〔しょうろん〕品に云はく】
王法正論品には、
【「変化〔へんげ〕の流星堕ち二つの日倶時〔ぐじ〕に出で、】
「妖しい流星が落ちたり、同時に二つの日が出たら、
【他方の怨賊〔おんぞく〕来たって】
他国の怨賊が攻めてきて、
【国人〔こくにん〕喪乱〔そうらん〕に遭〔あ〕ふ」等云云。】
国王も人々も災いにあい亡びる」と説いてあります。
【首楞厳〔しゅりょうごん〕経に云はく】
首楞厳経には、
【「或は二つの日を見〔あらわ〕し或は両〔ふた〕つの月を見〔あらわ〕す」等。】
「あるいは二つの日が現れ、あるいは二つの月が現れる」とあり、
【薬師経に云はく「日月薄蝕〔はくしょく〕の難」等云云。】
薬師経には「太陽や月の光が薄くなったり欠けたりする難」とあり、
【金光明経に云はく「彗星数〔しばしば〕出で両つの日並び現じ】
金光明経には、「彗星がしばしば現れ、二つの日が並んで現れたり、
【薄蝕恒〔つね〕無(な〕し」と。大集経に云はく】
光が薄くなったり欠けたりする事が頻繁に起こる」と説かれています。大集経には、
【「仏法実に隠没〔おんもつ〕せば乃至日月明〔あ〕かりを現ぜず」等。】
「仏法がまことに衰亡すれば、日月は光を失う」とあります。
【仁王経に云はく「日月度〔ど〕を失〔うしな〕ひ時節返逆〔ほんぎゃく〕し、】
仁王経には「日、月の光が度を失い、時節が逆になり、
【或は赤日出で黒日出で二三四五の日出づ、】
また、赤い太陽が出たり、黒い太陽が出たり、二つから五つの太陽が出たりします。
【或は日蝕〔しょく〕して光無く、】
また、日蝕となって光が無くなり、
【或は日輪一重二三四五重輪現はる」等云云。】
また、太陽の周りに一重から五重の光の輪が現れる」などと説かれています。
【此の日月等の難は】
この日、月などの天体に現れる難は、
【七難・二十九難・無量の諸難の中に第一の大悪難なり。】
七難、二十九難、無量の様々な難の中でも、最大の天災なのです。