日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


戒体即身成仏義 第一章 小乗の戒体


【戒体即身成仏義 仁治三年 二一歳】
戒体〔かいたい〕即身成仏義 仁治〔にんじ〕3年 21歳御作


【安房国〔あわのくに〕清澄山住人 蓮長撰】
安房国〔あわのくに〕清澄山〔せいちょうざん〕住人 蓮長〔れんちょう〕著作

【分〔わ〕かって四門〔しもん〕と為す】
いわゆる戒における戒行、戒法、戒相、戒体の中で戒体は、四つに分けられます。

【一には小乗の戒体〔かいたい〕】
一には、小乗の戒体、

【二には権大乗〔ごんだいじょう〕の戒体】
二には、権大乗〔ごんだいじょう〕の戒体、

【三には法華開会〔かいえ〕の戒体 (法華・涅槃の戒体に少しく不同有り)】
三には、法華開会〔かいえ〕の戒体(法華経と涅槃経の戒体には多少の違いが有り)、

【四には真言宗の戒体なり】
四には、真言宗の戒体です。

【第一に小乗の戒体とは四種〔ししゅ〕有り。】
第一の小乗の戒体には、これもまた、四つの種類があります。

【五戒は俗男〔ぞくなん〕俗女〔ぞくにょ〕戒、】
一の五戒は、俗男〔ぞくなん〕俗女〔ぞくにょ〕の戒、

【八斎〔はっさい〕戒は四衆通用、】
二の八斎〔はっさい〕戒は、男女の信者、僧侶、尼僧の四者、共通の戒であり、

【二百五十戒は比丘戒、】
三の二百五十戒は、僧侶の為の比丘〔びく〕戒、

【五百戒は比丘尼〔びくに〕戒なり。】
四の五百戒は、尼僧の為の比丘尼〔びくに〕戒です。

【而〔しか〕るに四種倶〔とも〕に五戒を本と為す。】
しかし、この四つの戒は、ともに五戒を基本とするのです。

【婆沙論〔ばしゃろん〕に云はく】
阿毘達磨〔あびだるま〕大毘〔だいび〕婆沙論〔ばしゃろん〕に

【「近事〔ごんじ〕律儀〔りつぎ〕は、此の律儀の与〔ため〕に】
「三宝に仕える者として絶対に犯してはならないことは、この律儀において、

【門と為り依〔え〕と為り加行〔けぎょう〕と為るを以ての故に」云云。】
最初の門となり、よりどころとなり、戒を受ける為の準備となる故に」とあり、

【近事律儀とは五戒なり。】
三宝に仕える者として絶対に犯してはならないこととは、五戒のことなのです。

【されば比丘の二百五十戒・比丘尼の五百戒も始めは五戒なり。】
そうであれば、比丘の二百五十戒と比丘尼の五百戒も始めは、五戒なのです。

【五戒とは諸〔もろもろ〕の小乗経に云はく】
この五戒の内容は、多くの小乗経に説かれているように

【「一には不殺生戒〔ふせっしょうかい〕、】
「一には、不殺生戒〔ふせっしょうかい〕、

【二には不偸盗戒〔ふちゅうとうかい〕、三には不邪淫戒〔ふじゃいんかい〕、】
二には、不偸盗戒〔ふちゅうとうかい〕、三には、不邪淫戒〔ふじゃいんかい〕、

【四には不妄語戒〔ふもうごかい〕、五には不飲酒戒〔ふおんじゅかい〕」】
四には、不妄語戒〔ふもうごかい〕、五には、不飲酒戒〔ふおんじゅかい〕」の

【以上五戒。此の五戒と申すは、】
以上五つです。この五戒と言うのは、

【色心〔しきしん〕二法の中には色法〔しきほう〕なり。】
色心〔しきしん〕二法の中では、実際の目に見える戒となり、

【殺〔せつ〕・盗〔とう〕・淫の三は身に犯す戒、】
殺〔せつ〕、盗〔とう〕、淫〔いん〕の三つは、身で犯す戒、

【不妄語戒・不飲酒戒は口に犯す戒、】
不妄語〔ふもうご〕戒と不飲酒〔ふおんじゅ〕戒は、口で犯す戒であり、

【身口は色法なり。此の戒を持つに、】
身と口、共に目に見える色法なのです。この戒を持〔たも〕つのに、

【作〔さ〕無作〔むさ〕・表〔ひょう〕無表〔むひょう〕と云ふ事〔こと〕有り。】
作〔さ〕と無作〔むさ〕、表〔ひょう〕と無表〔むひょう〕と言う事があります。

【作と表と同じ事なり。無作と無表も同じ事なり。】
この作〔さ〕と表〔ひょう〕とは、同じものであり、無作と無表も同じものです。

【表と申す事は、戒を持〔たも〕たんと思ひて師を請〔しょう〕ず。】
この表とは、戒を持〔たも〕とうと思って、師に願って戒を授けてもらうことです。

【中国は十人、辺国は五人。】
中国の授戒儀式では、三師七証の十人の師、辺境の国では、五人の師、

【或は自誓〔じせい〕戒もあり。】
または、自分自身で誓う事もあり、

【道場を荘厳〔しょうごん〕し焼香〔しょうこう〕散華〔さんげ〕して、】
また、道場を荘厳に飾って、香を焚き、花を散じて、

【師は高座〔こうざ〕にして戒を説けば、】
戒を授ける師が高座〔こうざ〕に登って、戒を説けば、

【今の受くる者左右の十指を合はせて持つと云ふ。】
その戒を受ける者は、左右の十指を合わせて、持〔たも〕つと言葉にするのです。

【是を表色〔ひょうしき〕と云ひ作とも申す。】
この事を目に見える形の表色〔ひょうしき〕と言い、また作〔さ〕とも言います。

【此の身口の表作に依りて、必ず】
この身と口の表〔ひょう〕作〔さ〕に依って、必ず、見ることができない

【無表無作の戒体は発するなり。】
意思である無表〔むひょう〕、無作〔むさ〕の戒体は、起こるのです。

【世親〔せしん〕菩薩〔ぼさつ〕云はく】
北インドの天親〔てんじん〕菩薩〔ぼさつ〕は、

【「欲〔よく〕の無表は表を離れて生ずること無し」文。】
「欲〔よく〕の無表は、表を離れて生ずること無し」と言われています。

【此の文は必ず表有りて無表色は発すと見えたり。】
この文章で、必ず、この表があって、はじめて無表色は、起こることがわかり、

【無表色を優婆塞〔うばそく〕五戒経の説には】
この無表色を優婆塞〔うばそく〕五戒経では、

【「譬〔たと〕へば面〔かお〕有り鏡有れば則ち像現有るが如し。】
「譬〔たと〕へば、顔が有り、鏡が有れば、その顔の像が現れるが如し。

【是くの如く作〔さ〕に因〔よ〕りて便ち無作〔むさ〕有り」云云。】
このように作〔さ〕によって、すなわち無作〔むさ〕有り」と説かれています。

【此の文に鏡は第六心王〔だいろくしんのう〕なり、】
この文章の鏡は、九識論の第六番目の意識のことであり、

【面は表色合掌〔がっしょう〕の手なり、像は発する所の無表色なり。】
顔は、表色合掌〔がっしょう〕の手であり、像は、起こる所の無表色なのです。

【又倶舎論〔くしゃろん〕に云はく「無表の大種に依止〔えし〕して転ずる時、】
また、倶舎論〔くしゃろん〕には「無表の大種に依止〔えし〕して転ずる時、

【影の樹〔き〕に依り光の珠宝〔しゅほう〕に依るが如し」云云。】
影の樹〔き〕に依り、光の珠宝〔しゅほう〕に依るが如し」と述べられています。

【此の文は、表色は樹の如く珠の如し、】
この文章では、表色は、樹であり、珠であり、

【無表色は影の如く光の如しと見えたり。】
無表色は、影であり、光であると言う譬えなのです。

【此等の文を以〔もっ〕て表無表・作無作を知るべし。】
これらの文章を以〔もっ〕て、表無表、作無作の意味を知ることが出来ます。

【五戒を受持〔じゅじ〕すれば人の影の身に添ふが如く、】
このように五戒を受持〔じゅじ〕すれば、人の影が身に添〔そ〕うように、

【身を離れずして有るなり。】
身を離れずに、この表と無表、作と無作は、生じるのです。

【此の身失すれば未来には其の影の如くなる者は】
そして、この身が失われれば、その後は、その影のような者は、

【遷〔うつ〕るべきなり。】
この戒体に移るはずなのです。

【色界・無色界の定共戒〔じょうぐかい〕の無表も同じ事なり。】
色界、無色界における深い思索の間に生じる戒の無表も、また同様なのです。

【又悪を作るも其の悪の作と表とに依りて、地獄・餓鬼・畜生の】
また、悪を作るのも、その悪の作と表とに依って、地獄、餓鬼、畜生の

【無作・無表色を発して悪道に堕つるなり。但し小乗教の意は、此の戒体をば】
無作、無表色を起こして悪道に堕ちるのです。ただし、小乗教では、この戒体を

【尽形寿〔じんぎょうじゅ〕一業引一生〔いちごういんいっしょう〕の】
尽形寿〔じんぎょうじゅ〕一業〔いちごう〕引一生〔いんいっしょう〕の

【戒体と申すなり。「形寿を尽くして】
戒体と言うのですが、「形寿〔ぎょうじゅ〕を尽くして

【一業に一生を引く」と申すは、此の身に戒を持ちて、】
一業に一生を引く」と言うのは、この身に戒を持〔たも〕って、

【其の戒力に依りて無表色は発す。】
その戒の力に依って無表色は、起きるのであって、

【此の身と命とを捨て尽くして彼の戒体に遷るなり。】
この身と命が完全になくなった後には、戒体に移るのです。

【一度人間天上に生ずれば、】
一度、人間が天上に生まれれば、

【此の戒体を以て二生三生と生〔う〕まるゝ事なし。】
この戒体を以って、二生、三生と生まれる事は、ないのです。

【只〔ただ〕一生にて其の戒体は失ひぬるなり。】
ただ、一生の間だけであって、その戒体は、失われるのです。

【譬へば土器を作りて】
譬へば、素焼きの土器を作っても、

【一度使ひて後の用に合はざるがごとし。】
一度、使えば、その後は、使えないのと同じなのです。

【倶舎論に云はく「別解脱〔べつげだつ〕の】
倶舎〔くしゃ〕論には「出家僧団の戒律条項を記した経典の

【律儀は尽寿と或は昼夜なり」云云。】
律儀は、尽寿〔じんじゅ〕と、あるいは、昼夜なり」とあります。

【又云はく「一業引一生」云云。】
また、「一業〔いちごう〕引一生〔いんいっしょう〕」とあります。

【此の文に尽寿一生等と云へるは、尽形寿と云ふ事なり。】
この文章にある、尽寿や一生は、肉体が寿命が尽き無くなることなのです。

【天台大師の御釈に「三蔵尽寿」と釈し給へり。】
天台大師の解釈では、それを小乗経の尽形寿とされています。

【然〔しか〕るに此の戒体をば不可見無対色と申して、凡夫の眼には見えず、】
しかしながら、この戒体を不可見無対色と言って、凡夫の眼には、見えず、

【但〔ただ〕天眼〔てんげん〕を以て之を見る、】
ただ、天眼〔てんげん〕によって、これを知る事が出来ると述べられおり、

【定中には心眼を以て之を見ると云へり。】
深い思索の中では、心眼によって、これを見ることができると言われています。

【然るに私に此の事を勘へたるに、既に優婆塞五戒経に】
しかし、私的に、この事を考えれば、既に優婆塞〔うばそく〕五戒経に

【「面有り鏡有れば則ち像現有り」と云ひて、鏡を我が心に譬へ、】
「顔が有り、鏡が有れば、則ち、像が現れる」と説かれており、鏡を我が心に譬へ、

【面を我が表業〔ひょうごう〕に譬へ、像をば無表色に譬ふ。】
顔を自らの表〔ひょう〕の業〔ごう〕に譬へ、像を、無表色に譬えており、

【既に我が身に五根〔ごこん〕有り、】
すでに我が身には、眼、鼻、耳、身、舌の五根〔ごこん〕が有って、

【左右の十指を合すれば五影を生ず。】
左右の十指を合わせれば、五つの影を生じ、

【知んぬべし、実に無表色も五根十指の如くなるべきを。】
実際に無表色も、五根、十指である事を理解するべきなのです。

【又倶舎論に中有〔ちゅうう〕を釈するに】
また、倶舎〔ぐしゃ〕論に、生まれる前後の中間を解釈するのに

【「同と浄なる天眼とに見らる。】
「同じように清浄な天眼によって見ることができる。

【業通〔ごうつう〕ありて疾〔はや〕し。根を具す」云云。】
業通〔ごうつう〕があって、はじめて五根を具す」と述べられています。

【此の文分明〔ふんみょう〕なり。無表色に五根の形有らばこそ、】
この文章で明らかなように、無表色に五根の形が有るからこそ、

【中有の身には五根を具すとは釈すらめ。】
生まれる前後の中間で、身体に五根が具わると説明されているのです。

【提謂経〔だいいきょう〕の文を見るに、】
提謂経〔だいいきょう〕の文章を見ると、

【人間の五根・五臓・五体は五戒より生ずと見えたり。】
このように人間の五根、五臓、五体は、五戒より生じるのです。

【乃至依報〔えほう〕の国土の五方・五行・五味・】
さらには、依報〔えほう〕の国土の五方、五行、五味、

【五星皆〔みな〕五戒より生ずと説けり。】
五星は、すべて五戒より生じると説かれています。

【止観〔しかん〕弘決〔ぐけつ〕に委〔くわ〕しく引かれたり。】
止観輔行伝弘決〔しかんぶぎょうでんぐけつ〕には、それが詳しく書かれています。

【されば戒体は微細の青〔しょう〕・黄〔おう〕・赤〔しゃく〕・白〔びゃく〕・】
そうであれば、戒体は、非常に微小な青色、黄色、赤色、白色、

【黒〔こく〕・長・短・方・円の形なり。】
黒色の光であり、長く、短かい、方形、円形であるのです。

【止観弘決の六に云はく、提謂経〔だいいきょう〕の中の如し】
止観輔行伝弘決の第六巻に提謂経〔だいいきょう〕と同じように

【「木は東方を主〔つかさど〕る、東方は肝を主る、肝は眼を主る、】
「木は、東方を、東方は、肝臓を、肝臓は、眼をつかさどる。

【眼は春を主る、春は生を主る、生存すれば則ち木安〔やす〕し。】
眼は、春を、春は、生をつかさどる。生存すれば、即ち、木は、安〔やす〕んじ、

【故に不殺は以て木を防〔いまし〕むと云ふ。】
それ故に不殺生〔ふせっしょう〕は、木を戒とする。

【金は西方を主る、西方は肺を主る、肺は鼻を主る、鼻は秋を主る、】
金は、西方を、西方は、肺臓を、肺臓は、鼻を、鼻は、秋を、

【秋は収を主る、収蔵すれば則ち金安んず。】
秋は、収をつかさどる。収蔵すれば、即ち、金は、安〔やす〕んじ、

【故に不盗は以て金を防む。】
それ故に不偸盗〔ふちゅうとう〕は、金を戒とする。

【水は北方を主る、北方は腎を主る、腎は耳を主る、耳は冬を主る、】
水は、北方を、北方は、腎臓を、腎臓は、耳を、耳は、冬をつかさどる。

【淫盛んなれば則ち水増す。】
淫が盛んであれば、即ち水を増す。

【故に不淫は以て水を禁ず。】
それ故に不邪淫〔ふじゃいん〕は、もって水を禁ず。

【土は中央を主る、中央は脾を主る、脾は身を主る、土は四季に王たり。】
土は、中央を、中央は、脾臓を、脾臓は、身をつかさどる。土は、四季の王たり。

【故に提謂経に云はく、】
それ故に提謂経〔だいいきょう〕に

【不妄語は四時の如しと。】
不妄語〔ふもうご〕は、華厳、阿含、方等、般若の四時の如し。

【身は四根に遍〔あまね〕し。妄語又爾〔しか〕なり。】
身は、小乗の声聞の四善根に遍〔あまね〕し。妄語は、また、その通りである。

【諸根に遍〔へん〕して、心〔こころ〕に違〔たが〕ひて説くが故に。】
諸根に遍〔へん〕して、心〔こころ〕に違〔たが〕えて説くが故に。

【火は南方を主る、南方は心〔しん〕を主る、心は舌を主る、舌は夏を主る、】
火は、南方を、南方は、心を、心は、舌を、舌は、夏をつかさどる。

【酒乱るれば火を増す。】
酒、乱れれば、火を増す。

【故に不飲酒〔おんじゅ〕を以て火を防む」文。】
それ故に不飲酒〔ふおんじゅ〕を以って火を防ぐ」と述べられています。

【此の文は天台大師提謂経の】
この文章は、天台大師が提謂経〔だいいきょう〕の

【文を以て釈し給へり。】
文章を、このように解釈したということです。

【されば我等が見る所の山河・大海・大地・草木・国土は、】
そうであれば、私たちが見る山河、大海、大地、草木、国土は、

【五根・十指の尽形寿の五戒にてまう(儲)けたり。】
五根と十本の指の尽形寿〔じんぎょうじゅ〕の五戒によって作られているのです。

【五戒破るれば此の国土次第に衰へ、】
この五戒が破られれば、この国土は、次第に衰退し、

【又重ねて五戒を持たずして、此の身の上に悪業〔あくごう〕を作れば、】
また、さらに五戒を持〔たも〕たずに、この身の上に悪業〔あくごう〕を作れば、

【五戒の戒体破失して三途〔さんず〕に入るべし。】
五戒の戒体は、消滅して地獄界、餓鬼界、畜生界に入るのです。

【是〔これ〕凡夫の戒体なり。】
これが凡夫の戒体なのです。

【声聞・縁覚〔えんがく〕は、此の表色の身と無表色の戒体を、】
声聞、縁覚〔えんがく〕は、この表色の身と無表色の戒体を、

【苦・空・無常・無我と観じて見惑〔けんなく〕を断ずれば、】
苦、空、無常、無我と観じて、見惑〔けんなく〕を断じれば、

【永く四悪趣〔しあくしゅ〕を離る。】
永い間、地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣〔しあくしゅ〕を離れるのです。

【又重ねて此の観を思惟〔しゆい〕して思惑〔しわく〕を断じ、】
また、重ねて、この観を思索し、推論して、思惑〔しわく〕を断じれば、

【三界の生死を出づ。】
欲界、色界、無色界である三界の生死を出ることが出来るのです。

【妙楽の釈に云はく「見惑を破るが故に四悪趣を離る。】
妙楽大師の解釈書に「見惑を破るが故に四悪趣を離る。

【思惑を破るが故に三界の生を離る」文。】
思惑を破るが故に三界の生を離る」と述べられています。

【此の二乗は法華已前の経には、灰身〔けしん〕】
この縁覚、声聞の二乗は、法華以前の経文では、灰身〔けしん〕

【滅智〔めっち〕の者、永不成仏〔ようふじょうぶつ〕と嫌はれしなり。】
滅智〔めっち〕の者、永い間、成仏〔じょうぶつ〕できない者と嫌われました。

【灰身と申すは、十八界の内十界半の色法を断ずるなり。】
灰身と申すは、六根、六境、六識の十八界の内、十界半の色法を断ずるものです。

【滅智と申すは、七心界半を滅するなり。】
滅智と申すは、心法である残りの七心界半を滅するものなのです。

【此の小乗教の習ひは、三界より外に浄土〔じょうど〕ありと云はず。】
この小乗教の教えで三界より外に浄土があるとせず、

【故に外に生処無し。】
それ故に三界以外に生まれることは、ないのです。

【小乗の菩薩は未だ見思を断ぜず、故に凡夫の如し。】
小乗の菩薩は、未だ見思惑を断じておらず、それ故に凡夫と同じなのです。

【仏も見思の惑を断尽〔だんじん〕して入滅すと習ふが故に、】
小乗の仏も見思惑を断じ尽〔つ〕くして入滅すると説かれているので、

【菩薩・仏は凡夫・二乗の所摂〔しょしょう〕なり。此の教の戒に三つあり。】
菩薩、仏は、この凡夫、二乗に含まれるのです。この教えの戒に三つがあります。

【欲界の人天に生まるゝ戒をば律儀戒と云ふなり。】
欲界の人界、天界に生まれる戒を律儀〔りつぎ〕戒と言います。

【色界・無色界へ生まるゝ戒をば定共戒〔じょうぐかい〕と云ふなり。】
色界、無色界へ生まれる戒を定共戒〔じょうぐかい〕と言います。

【声聞・縁覚の見思断の無漏〔むろ〕の智と共に】
声聞、縁覚が見思惑を断じ尽くしたときに得る無漏智〔むろち〕と共に

【発得〔ほっとく〕する戒をば道共戒〔どうぐかい〕と名づく。】
獲得する戒を道共戒〔どうぐかい〕と言います。

【天台の釈に云はく「今〔いま〕戒と言ふは】
天台大師の解釈書である梵網経疏〔ぼんもうきょうしょ〕に「今、戒と言うは、

【律儀戒・定共戒・道共戒有り。】
律儀〔りつぎ〕戒、定共〔じょうぐ〕戒、道共〔どうぐ〕戒が有り。

【此の名源〔もと〕三蔵より出でたり。】
この名の源〔もと〕は、小乗経より、出たり。

【律は是遮止〔しゃし〕、儀は是形儀〔ぎょうぎ〕なり、】
律は、これ遮止〔しゃし〕、儀は、これ形儀〔ぎょうぎ〕なり、

【能〔よ〕く形上の諸悪を止む、故に称して戒と為す。】
よく形上の諸悪を止む、故に称して戒と為す。

【定は是静摂〔じょうしょう〕なり、】
定は、これ静寂を取るなり、

【入定の時自然〔じねん〕に調善〔じょうぜん〕にして諸悪を防止するなり。】
入定の時、つまり入滅の時に自然に善を調えて、諸悪を防止するなり。

【道は是能通〔のうつう〕なり、】
道は、これ能通〔のうつう〕なり、

【真を発して已後自〔おの〕づから毀犯〔きぼん〕なし。】
真を発して以後、自〔おの〕づから毀犯〔きぼん〕なし。

【初果地を耕〔たがや〕すに虫四寸を離る、】
仏が初めて説法し、それを聞いた四人が初果を得て少しだけ見惑を離れたのは、

【道共の力なり」文。】
道共〔どうぐ〕の力なり」と述べられています。

【又表業無けれども無表色を発得する事之有り。】
また、表の業がなくても、無表色が起こる事があります。

【光〔こう〕法師〔ほっし〕云はく「是くの如きの十種の別解脱律儀は、】
光〔こう〕法師〔ほっし〕は、「このような十種の別解脱律儀は、

【必ず定んで表業に依って発するに非ず」云云。】
必ず定んで表業に依って発するに非ず」と述べられています。

【此の文は表業無けれども無表色を発する事ありと見えたり。】
この文章は、表の業がなくても無表色を発する事があると述べているのです。


ページのトップへ戻る