御書研鑚の集い 御書研鑽資料
戒法門 第四章 五常は即ち五戒なる事
【五常は即ち五戒なる事。】
五常は、即ち五戒である事。
【仁と云ふは人を憐れみ、生を慈しみ、物を育くむ心なり。】
仁と言うのは、人を憐れみ、生を慈しみ、物を育くむ心なのです。
【義と云ふは事の謂れを違へず、邪〔よこしま〕なる事をなさず、】
義と言うのは、事の意義を間違えず、邪〔よこしま〕なる事をせず、
【万事に理を失はざる是なり。】
万事に理を失わないのです。
【礼と云ふは父を敬ひ、母を敬ひ、天道仏神を貴び、】
礼と言うのは、父を敬い、母を敬い、天道仏神を尊〔とうと〕び、
【ないが〔蔑〕しろにせざるを云ふなり。】
蔑〔ないが〕しろにしない事なのです。
【智と云ふは事の有り様をよく知りて、善事悪事を弁へ、】
智と言うのは、事の有り様を良く知って、善事悪事をわきまえ、
【作すまじき事をなさず、作すべき事をなす是なり。】
行っては、いけない事を為さず、行うべき事を為すのです。
【信と云ふは事に於て誠を致し、】
信と言うのは、事において誠〔まこと〕を尽〔つく〕し、
【僻事〔ひがごと〕をなさず、心の底に思ひ解くる是なり。】
道理に外れた事を為さず、仏の心の底に思慮することなのです。
【又仁は不殺生戒、物を憐れむ故に物の命を断たざるなり。】
また、仁は、不殺生戒、物を憐れむ故に、物の命を断たないのです。
【義は不偸盗戒、万の理を失はざる故に、人の物を主〔あるじ〕に知らせずして】
義は、不偸盗戒、万理を失わない故に、人の物を持ち主に知られずして
【我が物とせず、又押しても取らざるなり。】
我が物とせず、また、差し出しても受け取らないのです。
【礼は不邪淫戒、淫は必ず礼を破る。】
礼は、不邪淫戒、淫は、必ず、礼を破るのです。
【愛心あればさる〔左有〕まじき人なれども、邪なる振る舞ひをなす。】
執着心があれば、そうであるはずがない人でも、邪な振る舞いを為すのです。
【是を守れば上下濫〔みだ〕れず、行法もたゞ〔正〕しきなり。】
不邪淫戒を守れば、上下関係も乱れず、作法も正しいはずなのです。
【智は不妄語戒、物の有り様を知りぬれば妄語せず。】
智は、不妄語戒であり、物の有り様を知れば、妄語は、ないのです。
【信は不飲酒戒、心狂乱せず、】
信は、不飲酒戒であり、酒を飲まなければ、心は、狂乱せず、
【即ち信あるなり。酒は人の心を乱す故なり。】
それで信が持〔たも〕たれるのです。酒は、人の心を乱すからです。
【私に云はく、此の五戒は仏いまだ出世し給はざる時は、】
私が思うには、この五戒は、仏が未だ出世されていない時は、
【外道等も之を持〔たも〕ちて、天上に生ずと教ふるなり。】
外道なども、これを持〔たも〕って、天上に生まれると教えていました。
【但し持犯計りを沙汰〔さた〕して、】
ただし、五戒を持〔たも〕つか犯〔おか〕すかばかりを問題にして、
【其の上に仏法を聞かんことをば知らざるなり。】
その上に、仏法を聞くことを知らなかったのです。
【仏世に出で給ひて此の五戒を持ちて人身を受けて、】
仏が世に出られて、この五戒を持〔たも〕って、人身を受け、
【其の上に仏法を聞きて悟りを開くと説き給ふなり。】
その上で仏法を聞いて、悟りを開くと説かれたのです。
【然れば此の五戒に様々の功徳を備へて、】
そうであれば、この五戒に様々の戒の功徳が備〔そな〕わっており、
【戒として摂せずと云ふことなしと説き給ふ。】
戒として意味をなさないと言う事はないと説かれたのです。
【此の五戒を根本として大乗の諸戒も具足するなり。故に此の五戒をば】
この五戒を根本として、大乗の諸戒も具足するのです。その故に、この五戒を
【具足〔ぐそく〕根本〔こんぽん〕業〔ごう〕清浄戒〔しょうじょうかい〕と】
具足〔ぐそく〕根本〔こんぽん〕業〔ごう〕清浄戒〔しょうじょうかい〕と
【名づくるなり。此の五戒若〔も〕し破れつれば一切の諸戒皆破る。】
名付けるのです。もし、この五戒を破れば、すべての戒を破ることになるのです。
【五戒は破るといへども、大乗戒は持ちたりと云ふ事は之無し。】
五戒を破って、大乗戒を持〔たも〕っていると言う事は、有り得ないのです。
【根本戒と名づくるは此の故なり。】
根本戒と名付けるのは、この故なのです。
【三乗の賢聖も、大小倶に此の戒を持つ故なり。】
三乗の賢聖も、大小ともに、この戒を持〔たも〕つのは、この故です。
【仏も此の戒を持ち給ひて、人中には出で給ふなり。】
仏も、この戒を持〔たも〕って、人の中に出で来られたのです。
【若し此の戒なくば、浄飯〔じょうぼん〕王宮に生まれて菩薩と云はれて、】
もし、この戒がなければ、浄飯〔じょうぼん〕王宮に生まれて菩薩と言われ、
【六年苦行〔くぎょう〕して仏となり、】
六年の苦行〔くぎょう〕をして仏となり、
【大丈夫〔だいじょうぶ〕の身と云はれ給ふ事有るまじ。】
非常に健康な丈夫な身体であると言われる事は、ないのです。
【一切衆生も五戒に依らずと云ふことなし。】
一切衆生も、また、この五戒に依らずと言う事はないのです。
【魚に五つのひれあり、是即ち五戒の体なり。】
魚に五つのヒレがあり、これは、すなわち五戒の体なのです。
【馬に四支有りて又一頭あり、是五戒なり。】
馬にも支えである四つの足と頭があり、これも五戒なのです。
【之に準じて一切衆生を知んぬべし。】
これに準じて、すべての衆生を知るべきです。
【三悪道の衆生も知んぬ、五戒の体なりと云ふことを。】
三悪道の衆生も、五戒の体であると言う事を知るべきです。
【戒は破るれども戒体は失せずと云ふことをば、是を以て意得べき事なり。】
戒は、破れても戒体は、消滅せずと言うことを、これを心得るべきです。
【破戒と失戒とのか〔変〕はりめ〔目〕をば、此等にて思ひ合はすべし云云。】
破戒と失戒との境界を、これらで思い合わせるべきです。
【倩〔つらつら〕事〔こと〕の情〔こころ〕を案ずるに、】
つくづく、この事の意味を思案すると、
【山川・渓谷〔けいこく〕・大海・江河・土地・草木】
山や川、谷、大海、江河、土地、草木の
【一切何物か五戒の体に非ずと云ふことなし。】
すべてが、いずれも五戒の体に非ずと言う事はないのです。
【委しくは提謂経〔だいいきょう〕を見るべし。】
詳しくは、提謂経〔だいいきょう〕を見るべきです。
【地獄の衆生も五戒を持つ、】
地獄の衆生も五戒を持〔たも〕ち、
【餓鬼の衆生も五戒を持つ乃至云云。】
餓鬼の衆生も五戒を持〔たも〕つと説かれています。
【地獄等の衆生の持つ所の不殺生戒も、】
地獄等の衆生の持〔たも〕つ所の不殺生戒も、
【仏・菩薩の持つ所の不殺生戒も、但不殺生戒は同じことなり。】
仏、菩薩の持〔たも〕つ所の不殺生戒も、ただ不殺生戒は、同じことなのです。
【但し所持の法はか〔変〕はりめ〔目〕なけれども、】
ただし、所持の法は、境界がなくても、
【能持〔のうじ〕の人には差別あり。故に沈浮も有るなり。】
能持〔のうじ〕の人には、差別があり、それ故に沈浮も有るのです。
【然れども戒体に於ては只〔ただ〕何〔いず〕れも一なり。】
しかし、それでも戒体に於ては、ただ、いずれもひとつなのです。
【爰〔ここ〕を以て一業とは云ふなり。】
ここでは、それをもって、一業と言うのです。
【是〔これ〕体〔てい〕の謂〔いわ〕れをば、】
このような言われを、
【法華経ならではえ〔得〕い〔云〕はぬ事なり。】
法華経でしか、得られず、法華経以外では、言えないのです。
【法華経の開会の法門と申すは、此の五戒を開会するなり。】
法華経の開会〔かいえ〕の法門と言うのは、この五戒を開会することなのです。
【経文委しく見るべし云云。】
経文を詳しく見るべきです。
【鶏が子をはごく〔育〕み、烏が子をかな〔愛〕しむまでも皆五戒の謂れなり。】
鶏〔にわとり〕が子を育て、烏が子を愛するのも、すべて五戒の現れなのです。
【五戒と云ふは仏因なり。】
この五戒と言うのは、仏因のことなのです。
【然ればかゝる畜生までも仏法を行ずるにて侍〔はべ〕るなり。】
そうであれば、このような畜生でも、仏法を行じていると言えるのです。
【慧遠〔えおん〕法師〔ほっし〕が】
中国の東晋時代、廬山〔ろざん〕に住む高僧、慧遠〔えおん〕法師〔ほっし〕が、
【螻蟻〔ろうぎ〕をも超えずと云ひけん事〔こと〕も】
螻蛄〔けら〕や蟻〔あり〕さえ超えられずと言う事も、
【理〔ことわり〕なり。】
ひとつの理論であると言って、
【畜生云云、修羅云云、天云云、声聞云云、縁覚云云、菩薩云云、仏云云、】
それは、畜生も、修羅も、天も、声聞も、縁覚も、菩薩も、仏も同様である。
【天竺の人云云、唐土の人云云、日本の人云云。】
インドの人も、唐土の人も、日本の人も同様であると述べています。
【文に云はく「他〔た〕我〔われ〕に色〔しき〕を恵む、与へざれば取らず。】
その文章には「他〔た〕我〔われ〕に色〔しき〕を恵む、与へざれば、取らず。
【此の色の上に於て仁・譲・貞・信・明等の五戒・十善を起こさば】
この色の上において、仁、譲、貞、信、明などの五戒、十善戒を起こさば、
【人天の四運なり」と。】
人天の未念、欲念、正念、念已の四運心(摩訶止観二巻上)なり」とあります。
【余色と云ふは九界の身なり。】
その他の色と言うのは、九界の身のことなのです。
【余塵と云ふは九界の財物資生の具なり。】
その他の塵と言うのは、九界の財物、生活の為の道具のことなのです。
【余界と云ふは九界なり。】
その他の界と言うのは、九界のことなのです。
【「他我に色を恵む、与へざれば取らず」と云ふは】
「他〔た〕我〔われ〕に色〔しき〕を恵む、与へざれば、取らず。」と言うことは、
【人界の事なり。是則ち五戒なり。】
人界の事なのです。これは、そのまま五戒のことなのです。
【提謂経〔だいいきょう〕に云はく「五戒は天地の根本、衆霊の源なり。】
提謂経〔だいいきょう〕に「五戒は、天地の根本、衆霊の源なり。
【天之〔これ〕を持って陰陽を和し、地之を持って万物を生ず。】
天、これを持って陰陽を和し、地、これを持って万物を生ず。
【万物の母・万神の父、大道の元〔はじめ〕、泥洹〔ないおん〕の本なり」と。】
万物の母、万神の父、大道のはじめ、涅槃の本なり」とあります。
【蓮長】
蓮長