日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


色心不二抄 第二章 十界の依正


【諸法多しと雖も十界に過ぐべからず。】
諸法が多いと雖〔いえど〕も、十界を超える法は、ないのです。

【十界とは一に地獄、二に餓鬼、三に畜生、四に阿修羅、五に人、六に天、】
十界とは、一に地獄、二に餓鬼、三に畜生、四に阿修羅、五に人、六に天、

【七に声聞、八に縁覚、九に菩薩、十に仏なり。】
七に声聞、八に縁覚、九に菩薩、十に仏のことです。

【此の十界は東西南北中央の五方天地には過ぐべからず。】
この十界は、東、西、南、北、中央の五方、天地を超えることはないのです。

【此の中に十界の理が三世にしつらはれて有るなり。】
この中に十界の論理が、三世において準備され、具〔そな〕えられているのです。

【此の十界は迷ひの十界・悟りの十界とて】
この十界は、迷いの十界、悟りの十界と言っても、

【二法有ること無し。】
二つの法が有るわけではないのです。

【故に此の十界皆悟らざる時も妙法蓮華経の色心にて有りけるなり。】
それ故に、この十界は、皆、悟っていない時であっても妙法蓮華経の色心なのです。

【所以〔ゆえん〕は何〔いかん〕、地獄の衆生も皆五根五臓を以て造る。】
その理由は、地獄の衆生も、皆、五根、五臓を以って造られているからなのです。

【其の五根五臓とは、眼根〔げんこん〕は東方、】
その五根、五臓とは、眼根〔げんこん〕は、東方、

【大円鏡智〔だいえんきょうち〕、阿閦仏〔あしゅくぶつ〕なり。】
大円鏡智〔だいえんきょうち〕、阿閦仏〔あしゅくぶつ〕であり、

【耳根〔にこん〕は北方、成所作智〔じょうしょさち〕、釈迦如来なり。】
耳根〔にこん〕は、北方、成所作智〔じょうしょさち〕、釈迦如来であり、

【鼻根〔びこん〕は西方、妙観察智〔みょうかんさっち〕、阿弥陀如来なり。】
鼻根〔びこん〕は、西方、妙観察智〔みょうかんさっち〕、阿弥陀如来であり、

【舌根〔ぜっこん〕は南方、平等性智〔びょうどうしょうち〕、宝性仏なり。】
舌根〔ぜっこん〕は、南方、平等性智〔びょうどうしょうち〕、宝性仏であり、

【身根は中央、法界体性智〔ほっかいたいしょうち〕、大日如来なり。】
身根は、中央、法界体性智〔ほっかいたいしょうち〕、大日如来であるのです。

【是又東西南北中央の五方、是又五戒なり。】
これ、また東、西、南、北、中央の五方、これ、また五戒なのです。

【眼は不殺生〔せっしょう〕戒、耳は不邪淫〔じゃいん〕戒、】
眼は、不殺生〔せっしょう〕戒、耳は、不邪淫〔じゃいん〕戒、

【鼻は不偸盗〔ちゅうとう〕戒、舌は不飲酒〔おんじゅ〕戒、】
鼻は、不偸盗〔ちゅうとう〕戒、舌は、不飲酒〔おんじゅ〕戒、

【口は不妄語〔もうご〕戒なり。又此の五根は五行なり。】
口は、不妄語〔もうご〕戒なのです。また、この五根は、五行なのです。

【眼は木、耳は水、鼻は金、舌は火、身は土なり。】
眼は、木。耳は、水。鼻は、金。舌は、火。身は、土なのです。

【又是五色〔ごしき〕なり。】
また、これ五色〔ごしき〕なのです。

【眼は青色、耳は黒色、鼻は白色、舌は赤色、身は黄色なり。】
眼は、青色。耳は、黒色。鼻は、白色。舌は、赤色。身は、黄色なのです。

【又是五竜なり。】
また、これ五竜なのです。

【眼は青竜、耳は黒竜、鼻は白竜、舌は赤竜、身は黄竜なり。】
眼は、青竜。耳は、黒竜。鼻は、白竜。舌は、赤竜。身は、黄竜なのです。

【又是五常なり。】
また、これ五常なのです。

【眼は仁の徳、耳は礼の徳、鼻は義の徳、舌は智の徳、身は信の徳、】
眼は、仁の徳。耳は、礼の徳。鼻は、義の徳。舌は、智の徳。身は、信の徳。

【故に此〔これ〕仁義礼智信とて五つの振る舞ひなり。】
それ故に、仁、義、礼、智、信と言う五つの振る舞いなのです。

【又是五臓なり。】
また、これ五臓なのです。

【眼は肝臓、耳は腎臓、鼻は肺臓、舌は心臓、身は脾〔ひ〕臓なり。】
眼は、肝臓。耳は、腎臓。鼻は、肺臓。舌は、心臓。身は、脾〔ひ〕臓なのです。

【又是の五臓に五つの神〔たましい〕あり。】
また、これ五臓に五つの神〔たましい〕があるのです。

【魂〔こん〕・志・魄〔はく〕・意・神是なり。】
魂〔こん〕、志、魄〔はく〕、意、神とは、これなのです。

【此の五つの神は天の五星、地の五岳〔ごがく〕、】
この五つの神は、天の五星、地の五岳〔ごがく〕、

【束〔つか〕ねて五神は五智の如来なり。】
それを束ねて、五神は、五智の如来なのです。

【迷へる凡夫の身中にしては五つの神と云はれ、】
迷える凡夫の身中においては、五つの神と言われ、

【此の五つを五智の如来なりと悟れば、五仏果徳の仏なり。】
この五つを五智の如来なりと悟れば、五仏果徳の仏なのです。

【爰〔ここ〕に知んぬ、地獄の依報正報が皆五智五仏の正体なりと云ふことを。】
ここで、地獄の依報正報が、皆、五智五仏の正体であると言うことを知るべきです。

【地獄の大地は中央、法界体性智、大日如来の土なり。】
地獄の大地は、中央、法界体性智、大日如来の土なのです。

【地獄の薪〔たきぎ〕は東方、大円鏡智、阿閦仏の木なり。】
地獄の薪〔たきぎ〕は、東方、大円鏡智、阿閦仏〔あしゅくぶつ〕の木なのです。

【地獄の炎は南方、平等性智、宝性仏の火なり。】
地獄の炎は、南方、平等性智、宝性仏の火なのです。

【地獄の釜は西方、妙観察智、阿弥陀仏の金なり。】
地獄の釜は、西方、妙観察智、阿弥陀仏の金なのです。

【地獄の水は北方、成所作智、釈迦如来の水なり。】
地獄の水は、北方、成所作智、釈迦如来の水なのです。

【此くの如く五行は五仏の正体なる故に、既に地獄も五仏の正体なり。】
このように五行は、五仏の正体である故に、既に地獄も五仏の正体なのです。

【故に妙楽大師曰く】
それ故に妙楽大師は、金剛錍〔こんごうぺい〕の中で

【「阿鼻〔あび〕の依正〔えしょう〕は全く極聖〔ごくしょう〕の自身に処し、】
「阿鼻〔あび〕の依正〔えしょう〕は、全く極聖〔ごくしょう〕の自身に処し、

【毘盧〔びる〕の身土〔しんど〕は凡下〔ぼんげ〕の一念を逾〔こ〕えず」云云。】
毘盧〔びる〕の身土〔しんど〕は、凡下〔ぼんげ〕の一念を超えず」と述べられ、

【是を以て思ふに、地獄は遠くもなかりけるなり。】
これを以って思うに、地獄は、遠くにある訳ではないのです。

【衆生の五智・五仏の正体を地獄とは名づくるなり。】
衆生の五智、五仏の正体を地獄と名付けるのです。

【故に釈に曰く「迷へば則ち三道の流転〔るてん〕、】
それ故に注釈書に「迷えば、則ち、三道の流転〔るてん〕、

【悟れば則ち果中の勝用なり」と。】
悟れば、則ち、果中の勝用なり」と書かれています。

【地獄の一道を以て余道をも意得〔こころう〕べし。】
地獄の一道を以って、余道を心得るべきです。

【仏は九界に遍す、九界は全く仏界の色心なり。】
仏は、九界に遍満〔へんまん〕して、九界は、全く仏界の色心なのです。

【此の理をしらずして無始より迷ひける事よ。】
これを理解せずして、無始より迷っているのです。

【但し此の身は何よりか生ぜる。】
ただし、この身は、何を原因として生まれるのでしょうか。

【東西南北中央の五方、】
それは、東、西、南、北、中央の五つの方向、

【天地・陰陽・日月・五星より生ぜり。】
天地、陰陽、日月、五星によって生まれるのです。

【彼の天地・陰陽・日月・五星は又何よりか生ぜる。】
これら、天地、陰陽、日月、五星は、また何を原因として生まれるのでしょうか。

【彼の法は万法能生〔のうしょう〕の体にして、】
この法は、万法、能生〔のうしょう〕の体であって、

【過去にも生ぜず、未来にも生ぜず、故に三世常住なり。】
過去にも生まれず、未来にも生まれず、それ故に三世常住なのです。

【東西南北中央の五方、日月五星は始まりたる体にあらざれば、】
東、西、南、北、中央の五つの方向、日月、五星は、始めの体でなければ、

【又我が身も不生の身なり、法界も不生の体なり。】
また、自分の身体も不生の身であり、法界も不生の体なのです。

【我が母も天地・陰陽・日月・五星・法界の体なるが故に、】
自分の母も、天地、陰陽、日月、五星、法界の体である故に、

【我も亦法界の体なり。】
自分も、また、最初から法界の体であるのです。

【故に生ぜる母もなく、】
それ故に、今、初めて生まれる母でもなく、

【又生ぜられたる我もなし。】
また、今、初めて生まれる自分でもないのです。

【何を以ての故に、我が母も始めて法界の体をば生ずべからず、】
なぜかと言うと、自分の母も、今、初めて法界の体として生まれたわけではなく、

【倶に法界の体なるが故に。】
倶〔とも〕に最初から、法界の体として、あるからなのです。

【竜樹菩薩云はく「諸法は自〔じ〕よりも生ぜず、亦他よりも生ぜず。】
竜樹菩薩は「諸法は、自〔じ〕よりも生ぜず、また、他よりも生ぜず。

【又共〔ぐ〕しても生ぜず、無因にしても生ぜず」と。】
また、共〔ぐ〕しても生ぜず、無因にしても生ぜず」と述べられています。

【唯〔ただ〕法界不生の体にして不可思議不可得なり。】
ただ、法界不生の体にして不可思議、不可得なのです。

【但し生といひ死と云ふ諸法は天地陰陽に過ぐべからず。】
ただし、生と言い、死と言う諸法は、天地、陰陽を超えないのです。

【天の陽気、地の陰気、且〔しばら〕く相〔あい〕合〔がっ〕する時を生と云ふ、】
天の陽気、地の陰気、しばらく、相〔あい〕合〔がっ〕する時を生と言うのです。

【天地の二気本有〔ほんぬ〕に還〔かえ〕る処を死と云ふ。】
天地の二気が本有〔ほんぬ〕に還〔かえ〕る処を死と言うのです。

【故に止観八に云はく】
それ故に、摩訶止観第八巻上に

【「天地の二気交合して各五行有り」と。】
「天地の二気、交合して、各、五行、有り」と述べられているのです。

【故に知んぬ、天地の二の気と云ふは我が父母なり。】
それ故に、天地の二の気と言うのは、我が父母のことなのです。

【父は天なり、母は地なり。】
父は、天であり、母は、地なのです。

【此の天地の父母和合して五色〔ごしき〕を生ぜり。】
この天地の父母が和合して、五色〔ごしき〕が生まれるのです。

【其の五色とは則〔すなわ〕ち五方・五星・五仏・五戒・日月衆星の体なり。】
その五色とは、すなわち、五方、五星、五仏、五戒、日月、衆星の体なのです。

【夫〔それ〕が頭身手足等の六分の形を顕はす。】
それが、頭、身、手、足などの地水火風空識の六分の形を顕わすのです。

【骨は是を以てさゝへ、髄は是を以て長じ、】
骨は、これを以〔も〕って支え、髄は、これを以って長じ、

【筋〔すじ〕は是を以てぬ〔縫〕ひ、脈は是を以て通じ、】
筋〔すじ〕は、これを以って縫い、脈は、これを以って通じ、

【血は是を以て湿〔うるお〕し、肉は是を以て裹〔つつ〕み、】
血は、これを以って湿〔うるお〕し、肉は、これを以って裹〔つつ〕み、

【皮は是を以て覆〔おお〕ふ。】
皮は、これを以って覆〔おお〕うのです。

【然るに我が身をさゝへたる骨は北方釈迦如来なり。】
そうであれば、我が身を支える骨は、北方、釈迦如来なのです。

【我が身をぬ〔縫〕へる筋は東方阿閦如来なり。】
我が身を縫〔ぬ〕える筋は、東方、阿閦〔あしゅく〕如来なのです。

【我が身を湿せる血は南方宝性如来なり。】
我が身を湿〔うるお〕す血は、南方、宝性如来なのです。

【我が身を裹める肉は中央大日如来なり。】
我が身を裹〔つつ〕む肉は、中央、大日如来なのです。

【我が身を覆へる皮は西方阿弥陀如来なり。】
我が身を覆〔おお〕う皮は、西方、阿弥陀如来なのです。

【然るに骨のあま〔余〕りは歯となり、肉の余りは舌となり、】
そのように骨の余〔あま〕りは、歯となり、肉の余りは、舌となり、

【筋の余りは爪となり、血の余りは髪となる。】
筋の余りは、爪となり、血の余りは、髪となるのです。

【総じて一期〔ご〕の果報、四大〔しだい〕・五陰〔ごおん〕・十二入・】
総じて一期〔ご〕の果報、四大〔しだい〕、五陰〔ごおん〕、十二入、

【十八界具足して成就せり。】
十八界が具足して成就するのです。

【乃至此の身に天地一切の諸法を備へて、万事にかたど〔象〕れり。】
また、この身に天地一切の諸法を備えて、万事を形づくっているのです。

【故に弘決の六に云はく「頭の円なるは天なり。】
それ故に妙楽大師の止観輔行伝弘決第六巻に「頭の円なるは、天なり。

【足の方なるは地なり。身の中の空なる種は則ち是虚空〔こくう〕なり。】
足の方なるは、地なり。身の中の空なる種は、すなわち、これ虚空〔こくう〕なり。

【腹の中の熱きは春夏なり。背の剛きは秋冬なり。四体は四季なり。】
腹の中の熱きは、春夏なり。背の剛きは、秋冬なり。四体は、四季なり。

【大骨〔おおぼね〕の十二は十二月、】
大骨〔おおぼね〕の十二は、十二月、

【小骨〔こぼね〕の三百六十は一年の三百六十日なり。】
小骨〔こぼね〕の三百六十は、一年の三百六十日なり。

【鼻の気〔いき〕の出入は山谷の風なり。口の気の出入は虚空の中の風なり。】
鼻の息の出入は、山谷の風なり。口の息の出入は、虚空の中の風なり。

【目の二つは日月なり。目を開くは昼なり。目を閉づるは夜なり。】
目の二つは、日月なり。目を開くは、昼なり。目を閉ざすは、夜なり。

【髪は空〔そら〕の星なり。眉は北斗〔ほくと〕なり。血脈は江河なり。】
髪は、空〔そら〕の星なり。眉は、北斗〔ほくと〕なり。血脈は、江河なり。

【骨は石瓦〔かわら〕なり。肉は地なり。】
骨は、石瓦〔かわら〕なり。肉は、地なり。

【毛は大地の上に生〔お〕ひたる草木なり。】
毛は、大地の上に生〔お〕ひたる草木なり。

【五臓は天に在っては五星と云はれ、地に在っては五岳と云はれ、】
五臓は、天に在っては、五星と言われ、地に在っては、五岳と言われ、

【陰陽に在っては五行と云はれ、世に在っては五常と云はれ、】
陰陽に在っては、五行と言われ、世に在っては、五常と言われ、

【内に在っては五神と云はる」と。】
内に在っては、五神と言われる」とあります。

【爰〔ここ〕に知んぬ、既に一年・十二月・三百六十日、東西南北中央の五方、】
ここに、既に一年、十二月、三百六十日、東、西、南、北、中央の五方向、

【天地陰陽を以て此の身を造作せりと云ふことを。】
天地、陰陽を以って、この身を造作することを知るべきなのです。


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