日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


唱法華題目抄 1 背景と大意


唱法華題目抄(御書217頁)

唱法華題目抄は、最後に「文応元年五月二十八日、日蓮花押、鎌倉名越に於て書き畢んぬ」と書かれている通り、立正安国論の約二か月前にあたる文応元年(西暦1260年)五月二十八日、鎌倉名越の松葉ヶ谷の草庵で著されました。
本抄の御真筆は、現存していませんが、今までその真偽については、議論された事はありません。写本については「御書」の目次の「古写本」の項に「日興筆神奈川由井氏」とある通り、日興上人の写本が由井家に伝わっています。由井家は、日興上人の母方の家系に当たり、日興上人の化導で大聖人の信徒となったとされています。南条時光の館に近いところにあった関係から、南条兵衛七郎殿の御真筆も一部所有しています。
「唱法華題目抄」の題号は、日蓮大聖人御自身が名付けられたもので、この点についても古来異論はありません。「唱題抄」「唱法華抄」などとも略称されている。
また、対告衆については、本文からは、まったくわからず、十五に及ぶ問答の内容から、特定の人に対して与えられたものではなく全体に対し、日蓮大聖人の法門を示されたものと思われます。
日興上人は、富士一跡門徒存知の事に「一、唱題目抄一巻。此の書は最初の御書なり、文応年中常途〔じょうず〕の天台宗の義分を以て且〔しばら〕く爾前と法華の相違を註し給へり、仍って文言義理共に爾〔しか〕なり。」(御書1871頁)として十大部として挙げられ、「常途天台宗の義分を以て且く」と述べられているように、まだ大聖人の本義には踏み込まれておらず、「爾前法華の相違」で権実相対をもって、爾前経を依経とする諸宗の破折に力点を置かれています。
しかし、唱法華題目抄の意義を考えるならば、何よりもその題名が示すように三大秘法の中の「本門の題目」を示された書であるところに、最大の意義があるのです。三大秘法の明示と云う日蓮大聖人一代の御化導を考える時に、本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇と云う順番になされており、そのうちの本門の題目について、本抄において「諸仏諸経の題目は法華経の所開〔しょかい〕なり、妙法は能開〔のうかい〕なりとしりて法華経の題目を唱ふべし。」とされ、それによって「妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大〔ばくだい〕なり」となる事を明確に御示しになっています。
本文は、十五問の質問とそれに対する答えの構成になっており、その質問の内容は、以下のようになっています。
ます第一問で、いきなり法華経の文章の意義を理解出来なくても随喜の心を起こすだけで即身成仏する事は出来るのかと云う大命題が問われています。ここで、法華経の文章の意義を理解する者ではないがと自らをことわられた上で、かりそめにも法華経を信じて少しも謗法を生じない者は、他の悪縁で悪道に堕ちるとは思えないと答えられています。
さらに第二問ではるかに法華経よりも念仏を唱える方が尊く思われる。それは、念仏を唱える理由は、西方極楽世界に往生し阿弥陀如来が法華経を説かれた時にそれを聞いて悟りを得る為であるとの反論に法華経を信じていれば理解出来ないと云う事で地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちる事はないが、念仏の悪知識に騙されて法華経随喜の心を失えば三悪道に堕ちるのであると述べられています。
第三問は、第二問の返答に対して、法華経は、高位の機根の者の為の経文であり、念仏を称えて往生出来る事は当然ではないかとの反論となっています。その答えとして法華経化城喩品第七で説かれた大通結縁の者を名字即と云う低い位であると云う主張は、天台大師の法華玄義第六、法華文句第三巻、妙楽大師の疏記〔しょき〕第三で明確であり、さらに随喜功徳品第十八に説かれる五十展転についても天台大師、妙楽大師の解釈によれば、特別に偉い人の行為と解釈したならば、それを謗法の者であるとされ、釈迦牟尼仏は、法華経が利智精進、上根上智の人の為と誤解される事を畏れて、下根下智末代の無智の者が法華経を聞いてかすかに随喜する功徳を、爾前経の上聖の功徳に優れている事を顕そうとして五十展転の随喜は説かれたと答えられています。
次に第四問では、どのような姿や言葉をもって法華経を誹謗すると云うのかを問われ、世間から智者と尊ばれる念仏の僧侶こそ悪知識であり、それらの言葉こそ、その答えであるとされました。
引き続き第五問では、その証拠は、どの経文にあるのかと尋ねています。それに対して日蓮大聖人は、法華経勧持品に、末法に三類の強敵である俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖増上慢が現れる、その中の俗衆増上慢によって法華経を随喜する者に悪口罵詈し、道門増上慢によって念仏の僧が法華経は末法の機に合わずと云い、僣聖増上慢によって国王、大臣、在家、僧侶に向かって法華経をたもつ者を誹謗すると答えられています。
さらに、それらの悪知識によって悪鬼が便〔たよ〕りを得て人の身に入り、飢饉、疫病が起こると御教示されています。
この第六問以降では、念仏の誤りに気付き、法華経を信じる立場からの質問になっています。そこで念仏を説く智者の主張が誤りとしても法華経を容易に信じることは出来ないとし、その答えとして賢い者が必ずしも智者ではなく、法華経を信じない者がいるからであると答えられています。
そこで第七問で、すべてを疑ってしまえば、愚者は、何も信ずる事が出来ずに一生を虚しく過ごしてしまうとの疑問に対して「依法不依人」「依了義経」「不依不了義経」という教判の基準を示し「四十余年未顕真実」を依文として「随自意」「随他意」の相違から権実の勝劣を示して、仏や菩薩が衆生を教化する慈悲の極理は、ただ法華経にのみ有り、諸経には、理解力がない者を救う秘術は、いまだ説き顕わされていないと答えられています。この慈悲の極理、秘術こそ、日蓮大聖人が主張される法華経、南無妙法蓮華経なのです。
第八問では、念仏の智者の最後のあがきとして、成仏については法華経が正しいが、往生については同じであり、末法では念仏こそが正しい修行であるとなおも主張したが、それらは、すべて天魔の計りごとであると一蹴されています。
そこで第九問では、その視点を天台宗に向けられ、天台の五時八教の教判では、爾前経と法華経を比較していますが、その主張は矛盾しているとの疑問であり、一応は、その疑問に対して当然と認められながらも、法華経の二妙の中に相待妙と絶対妙の違いがあり、日蓮大聖人が主張される法華経、南無妙法蓮華経こそ絶対妙の立場であるのです。
そこで第十問で、法華経を信ずる者は、本尊、行儀、常の所行はどうすればよいのかとの問いに題目を書きて本尊と定め、行儀は、本尊の御前にして必ず坐立行であり、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱えるべしと答えられています。
その答えを受けて第十一問では、ただ題目ばかりを唱える功徳は、どのようなものであるのかとの疑問に「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」として唱題の功徳を示され、まさに得益を明かされた内容になっています。
第十二問では、法華経譬喩品には、無智の人の中においてこの経を説いてはならないと述べられていますが、これをどう考えるべきなのかとの問いに、不軽菩薩の杖木瓦石の例を挙げられ、第十三問でさらに一つの経文の中で「摂受」か「折伏」の相違がある事は、矛盾であり理解しがたいとの疑問に対して結論として国中のすべての人々が権経を信じて実経を誹謗し用いないならば、弾呵の心をもって説くべきなのであると述べられ末法に於いては「折伏」こそ正しいと答えられています。
第十四問では、中国の人師の中にも権大乗にとどまって実経に入らなかった者がいる事を質問していますが、釈尊滅後、竜樹、天親、天台が法華経を宣揚した正師である事を示され、第十五問で、慈恩大師、善導和尚と云った唐土の人師や道師、第六天の魔王は、神通力を現じているのにどうして彼らを正しいと思わないのかとの疑問に人の正邪は、利根や通力によるのではなく、あくまでも法門によるべきであると云う判断基準を示されて、本抄全体を結ばれています。
このように本抄は、問答の形式を取りながら、当時の権力者の黒幕とも云える念仏宗を対象にして、日蓮大聖人の仏法の初端を顕される為に執筆された事がわかります。

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