御書研鑚の集い 御書研鑽資料
唱法華題目抄 7 偏に天魔の計りごとなり
【問うて云はく、或〔ある〕智者の申され候ひしは、】
それでは、お伺いしますが、ある念仏の智者が言われるのには、
【四十余年の諸経と八箇年の法華経とは、】
四十余年の爾前経と八年の間に説かれた法華経では、
【成仏の方こそ爾前は難行道、法華経は易行道にて候へ。】
成仏については、爾前経では、難しく、法華経は、正しい道なのです。
【往生の方にては同事にして易行道に侍り。】
しかし、往生については、どちらも同じであり、どちらも正しい道であるのです。
【法華経を書き読みても】
爾前経ではなく法華経を読んだり書いたりしても、
【十方の浄土阿弥陀仏の国へも生まるべし。】
十方の浄土、阿弥陀仏の国土へ生れる事も出来るのです。
【観経等の諸経に付〔つ〕いて弥陀の名号を唱へん人も往生を遂ぐべし。】
また、観経などの諸経に付いて阿弥陀の念仏を称える人も往生を遂げるのです。
【只機縁の有無に随って何をも諍〔あらそ〕ふべからず。】
ただ、過去の縁によってどちらに成るかなので何を争う事があるでしょうか。
【但し弥陀の名号は人ごとに行じ易〔やす〕しと思ひて、】
ただし、阿弥陀の念仏は、人によってはこちらが行じ易いので、
【日本国中に行じつけたる事なれば、】
日本国中に念仏を唱えるように言っただけの事なので、
【法華経等の余行〔よぎょう〕よりも易きにこそと申されしは如何。】
法華経などの他の修行よりも易しいと言ったと云う事についてはどう思われますか。
【答へて云はく、仰せの法門はさも侍るらん。】
それは、確かにその念仏の智者の言い分は、そうであるかも知れません。
【又世間の人も多くは道理と思ひたりげに侍り。】
また世間の人々の多くは、それを道理であると思うかも知れません。
【但し身には此の義に不審あり。其の故は前に申せしが如く、】
しかし、私は、その主張は、おかしいと思います。その理由は、先に言ったように、
【末代の凡夫は智者と云ふともたのみなし、】
末法の時代の凡夫には、頼みとなるべき智者がいないのです。
【世こぞりて上代の智者には及ぶべからざるが故に。】
このような時代には、どのような仏法者も過去の智者には及ばない為、
【愚者と申すともいやしむべからず、】
主張している仏法者が愚かであると云っても、その人を卑しんではならないのです。
【経論の証文顕然〔けんねん〕ならんには。】
経論に証拠の文章が明らかである場合は、それを信じなければなりません。
【抑〔そもそも〕無量義経は法華経を説かんが為の序分なり。】
そもそも無量義経は、法華経を説く為の序分なのです。
【然れば始め寂滅〔じゃくめつ〕道場〔どうじょう〕より】
したがって釈尊が初めて説いた寂滅道場から、
【今の常在〔じょうざい〕霊山〔りょうぜん〕の無量義経に至るまで、】
常在霊鷲山の無量義経に至るまでの、
【其の年月日数を委〔くわ〕しく計〔かぞ〕へ挙ぐれば四十余年なり。】
年月や日数を詳しく数えれば、四十年余りであり、
【其の間の所説の経を挙ぐるに華厳・阿含・方等・般若なり。】
その間に説かれた経文を挙げると華厳、阿含、方等、般若であり、
【所談の法門は三乗五乗所習の法門なり。】
語られた法門は、三乗、五乗、所習の法門であるのです。
【修行の時節を定むるには宣説菩薩歴劫修行と云ひ、】
修行の時期を定めれば、宣説菩薩、歴劫修行と云い、
【随自意・随他意を分かつには是を随他意と宣べ、】
随自意、随他意の分類では、これを随他意と云うのです。
【四十余年の諸経と八箇年の所説との語】
四十年余りの爾前経と法華経の八箇年の所説において、
【同じく義替〔か〕はれる事を定むるには】
言葉が同じでも意味が変わる事を教える為に、
【「文辞〔もんじ〕一なりと雖も義各〔おのおの〕異なり」ととけり。】
「文辞一といえども、意味はそれぞれ異なる」と説かれているのです。
【成仏の方は別にして往生の方は一つなるべしともおぼえず。】
そうであれば、成仏の方は別にしても、往生は一つであるとも思われないのです。
【華厳・方等・般若・究竟〔くきょう〕最上の大乗経、頓〔とん〕悟・】
華厳、方等、般若、究竟最上の大乗経、頓悟、
【漸〔ぜん〕悟の法門、】
漸悟の法門については、
【皆未顕真実と説かれたり。】
「すべていまだ真実を顕していない」と説かれているのです。
【此の大部の諸経すら未顕真実なり。】
このような大教典ですら「未顕真実」であるのです。
【何〔いか〕に況んや浄土の三部経等の往生極楽ばかり未顕真実の内にもれんや。】
まして浄土の三部経等の往生極楽だけが「未顕真実」ではないはずです。
【其の上経々ばかりを出だすのみにあらず、既に年月日数を出だすをや。】
その上、経文ばかりを出すだけではなく、既に年月、日数を出しています。
【然れば、華厳・方等・般若等の弥陀往生已〔すで〕に】
したがって華厳、方等、般若などの阿弥陀往生は、
【未顕真実なる事疑ひ無し。】
すでに「未顕真実」である事は疑いないのです。
【観経の弥陀往生に限って豈〔あに〕多留難故〔たるなんこ〕の内に】
観経の阿弥陀往生に限って無量義経の「留難〔るなん〕多きが故に」の内に
【入らざらんや。】
入らない事があるでしょうか。
【若し随自意の法華経の往生極楽を随他意の観経の往生極楽に同じて】
もし、随自意の法華経の往生極楽と随他意の観経の往生極楽は同じであり、
【易行道と定めて、而も易行の中に取りても】
観経の念仏往生を容易な道であると仮に認めたとしても、
【猶観経等の念仏往生は易行なりと之を立てらるれば、】
なお、観経の念仏往生を正しい道と認めてしまえば、
【権実雑乱〔ぞうらん〕の失〔とが〕大謗法たる上、】
権実雑乱の罪であり、大謗法である上、
【一滴の水漸々〔ぜんぜん〕に流れて大海となり、】
一滴の水が次第に流れて大海となり、
【一塵積もりて須弥山〔しゅみせん〕となるが如く、】
一粒の塵が積って須弥山となるように、
【漸〔ようや〕く権経の人も実経にすゝまず、実経の人も権経におち、】
やがて権経の人も実経に進まず、実経の人も権経に堕ち、
【権経の人次第に国中に充満せば法華経随喜の心も留〔とど〕まり、】
権経の人が次第に国中に充満するので、法華経を随喜する心も薄まり、
【国中に王なきが如く、人の神〔たましい〕を失へるが如く、】
国に正しい指導者がいなくなり、人々も生きる気力を失い、
【法華・真言の諸の山寺荒れて、】
法華、真言の多くの山寺は、荒れ果てて、
【諸天善神・竜神等一切の聖人国を捨てゝ去れば、】
諸天善神、竜神など一切の聖人が国を捨て去ったならば、
【悪鬼便〔たよ〕りを得て乱れ入り、】
悪鬼が便りを得て乱れ入り、
【悪風吹いて五殻〔こく〕も成〔みの〕らしめず、】
悪風が吹いて穀物も何も実らず、
【疫病〔やくびょう〕流行して人民をや亡ぼさんずらん。】
疫病は流行して人類を滅ぼすのです。
【此の七八年が前までは諸行は永く往生すべからず、】
この七、八年前までは、念仏以外では、永く往生を期待出来ませんでした。
【善導和尚の千中無一と定めさせ給ひたる上、】
善導和尚が千中無一と定めたうえ、
【選択〔せんちゃく〕には諸行を抛〔なげう〕てよ、】
選択集には、諸行を投げ捨てよ、
【行ずる者は群賊〔ぐんぞく〕と見えたりなんど放語を申し立てしが、】
修行する者は、盗賊に見えるなどと放言を申し立てた為なのです。
【又此の四五年の後は選択集の如く人を勧〔すす〕めん者は、】
また、この四、五年の後は、選択集のように念仏を人に勧める者は、
【謗法の罪によって師檀共に無間〔むけん〕地獄に堕〔お〕つべしと】
法華誹謗の罪によって師匠、弟子、共に無間地獄に堕ちると
【経にみえたりと申す法門出来したりげに有りしを、】
経文に書いてあるという主張が出て来たので、
【始めは念仏者こぞりて不思議の思ひをなす上、】
始めのうちは、念仏者はそろって不思議に思い、
【念仏を申す者無間地獄に堕つべしと申す悪人外道あり、】
念仏を称える者は、無間地獄に堕ちると言う悪人や外道が
【なんどのゝしり候ひしが、】
いると非難しましたが、
【念仏者無間地獄に堕つべしと申す語に智慧つきて、】
念仏者は、無間地獄に堕ちるだろうと云う言葉が気になって、
【各選択集を委〔くわ〕しく披見〔ひけん〕する程に、】
それぞれ選択集を詳しく調べてみると、
【げにも謗法の書とや見なしけん、千中無一の悪義を留めて、】
確かに謗法の書であるとわかって、そこで千中無一の悪しき邪義を引っ込めて、
【諸行往生の由を念仏者毎に之を立つ。然りと雖も唯口にのみゆるして、】
諸行往生を念仏者ごとに言い出したのです。しかし、ただ口で言うばかりで、
【心の中は猶〔なお〕本の千中無一の思ひなり。】
心の中では、なおもとの千中無一の思いを持っていたのです。
【在家の愚人は内心の謗法なるをばしらずして、諸行往生の口にばかされて、】
在家の愚かな人は、それが謗法である事を知らずに、諸行往生の口に化かされ、
【念仏者は法華経をば謗ぜざりけるを、】
このように念仏者は法華経を誹謗しなかったのに、
【法華経を謗ずる由を聖道門〔しょうどうもん〕の人の申されしは】
念仏が法華経を誹謗する理由をこのように説明していると聖道門の人が言う事は、
【僻事〔ひがごと〕なりと思へるにや。】
完全な思い違いであると思えるのでしょうか。
【一向諸行は千中無一と申す人よりも】
このような主張の念仏者は、千中無一を主張の念仏者よりも
【謗法の心はまさりて候なり。】
さらにその謗法の罪は大きいのです。
【失なき由を人に知らせて而も念仏計りを亦弘めんとたばかるなり。】
意味のない理由を人に知らせて、しかも念仏だけを、まだ弘めようとたぶらかす。
【偏〔ひとえ〕に天魔の計りごとなり。】
これは、ひとえに天魔の計りごとなのです。