御書研鑚の集い 御書研鑚資料
祈禱抄 1 背景と大意
祈禱抄(御書622頁) 背景と大意
祈禱抄は、文永九年(西暦1272年)、大聖人が51歳の時に佐渡において、当時、同じく佐渡にいた最蓮房に与えられた御書です。御真筆は、存在しません。
対告衆の最蓮房は、かつて比叡山で修学に励んだ天台の学僧でしたが、佐渡において大聖人の弟子となり、生死一大事血脈抄(御書513頁)、草木成仏口決(御書522頁)、最蓮房御返事(御書585頁)、得受職人功徳法門抄(御書589頁)、祈禱経送状(御書641頁)、諸法実相抄(御書664頁)、当体義抄(御書692頁)、立正観抄(御書766頁)、十八円満抄 (御書1513頁)などの重要な御書を頂いています。
これらに共通していることは、多くの内容が天台宗の中での重要法門についてであることです。
それは、最蓮房が天台の学僧であり、多くの天台宗の法門について、大聖人に質問をしていたからと思われます。
しかし、大聖人も最蓮房も、同じく佐渡においては、流人に変わりなく、その生活は、命に及ぶような困窮ぶりであったのです。
その中で、このような仏法の根本に関わるような重要な質問をすること自体が、まったく前代未聞のことであり、佐渡流罪中において、このような重要な法門が顕わされたことは、非常に重要な意義があることでした。
本抄の冒頭に「本朝沙門日蓮」と記されていますが、本朝とは、日本国をさし、沙門〔しゃもん〕とは、出家僧をさします。
日寛上人は、観心本尊抄文段上で、この祈禱抄と同じ「本朝沙門日蓮撰」の文について「日文字の顕す所、吾が日蓮大聖人とは慧日大聖尊なり、主師親の三徳なり、久遠元初の唯我独尊なり。豈文底下種の教主、末法今時の本尊に非ずや」と解釈され「本朝沙門日蓮」とは、大聖人が自ら末法の御本仏であると明かされた御文と拝すべきことを示されています。
また、依義判文抄においても、日本の名前には三つの意義があり、一に法華経薬王品の中の又日天子の能く諸の闇を除くが如し云々の文をあげて、日とは、文底独一本門のことであり、二に顕仏未来記の「五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何。答へて云はく、四天下〔てんげ〕の中に全く二の日無し、四海の内豈両主有らんや。(御書677頁)」の文をあげて日本は、法華経の行者の本国とされ、三に日は、文底独一の本門三大秘法であり、本は、秘法広宣流布の根本であり、日は、東より西に入る故に、日本国は、本因妙の教主、日蓮大聖人の本国であり、本門三大秘法広宣流布の根本の妙国であると甚深の御教示をされています。
この祈禱抄においても、像法時代の釈迦如来を本尊とする天台宗の学僧だった最蓮房に対して、大聖人御自身の末法の御本仏としての御内証を示されて、あえて「本朝沙門日蓮」と名乗られたのです。
本抄では、まず最初に、華厳宗、法相宗、三論宗、小乗の三宗である俱舎宗、成実宗、律宗、さらには、真言宗、天台宗などの諸宗による祈りは、叶うのかとの質問に、真の祈りは、法華経に限り、法華経の祈りだけが必ず叶うことを御教示されています。
次に、その理由として、爾前権経において成仏できないとされた声聞、縁覚〔えんがく〕の二乗も、法華経によってはじめて成仏することが許され、華光〔けこう〕如来、名相〔みょうそう〕如来となったのです。
また、畜生の身で、ましてや爾前権経において成仏できないとされた女性の竜女も法華経の会座において即身成仏を遂げ、さらに五逆罪で無間地獄に堕ちた提婆達多なども、法華経提婆達多品で天王如来の記別を受け、成仏を許されたのです。
このように法華経によって成仏を遂げる事が出来た二乗や竜女、提婆達多が、法華経に大恩を感じて、法華経の行者を守護することは、間違いがないことを示されます。
さらに、爾前権経では、妙覚の法門が説かれず、一仏乗を果分とする法門を説いた法華経により、妙覚の極果に登ることができた菩薩が、主師親の三徳を具〔そな〕えた釈迦牟尼仏の前で、法華経の行者の守護を誓い、法華経のために身命を惜しまないと誓ったのですから、末法の法華経の行者の祈りが叶わないことは、絶対にないことが重ねて示されたのです。
そしてまた、承久の乱の際、朝廷方が臣下である鎌倉幕府を調伏するため、当時の仏教界における最高権威とされた比叡山の天台密教の僧と弘法の流れをくむ真言密教の僧侶、総勢四十一人に、一字金輪法〔いちじきんりんほう〕などの十五壇法の秘法を行い、密教最高の修法をもって祈ったところ、その祈りが、まったく叶わず、朝廷方が大敗北した事例を挙げ、いかに真言密教による祈りが叶わず、かえって誤った教えによる祈りでは、祈る者も祈らせた者も最後は、身を滅ぼす結果になるという邪義邪宗の怖ろしさを指摘されています。
さらに、その真言の邪法たる理由について、弘法大師空海が立てた大日経第一、華厳経第二、法華経第三の説が、釈迦牟尼仏の法師品に説かれる法華最第一の仏説に背き、さらに真言宗が主張する中国の天台大師が真言の一念三千の法門を盗んで法華経に一念三千の法門と名づけたと云う主張に対し、真言がインドから中国へ渡ったのは、天台大師が現れてから二百余年後のことであり、まったく道理に外〔はず〕れた主張であることを指摘され、そのように根拠のない我見を主張しているゆえに真言を邪義と言うのであると厳しく指弾されています。
どんなに華々しく空海の立てた真言密教で祈禱を行っても、法華経を謗〔そし〕る邪義である故に、三世諸仏、諸菩薩、二乗、果〔は〕ては、諸天、龍王などの守護が現れるはずがないのです。
最後に、伝教大師最澄に師事していた第三代天台座主、慈覚大師〔じかくだいし〕円仁〔えんにん〕が、伝教大師最澄の法華最第一の義に背き、比叡山に真言を弘めようと、日輪を射て動転させたという夢想は、まさに怖ろしい身を滅ぼす夢であると破折されて、本抄を終えられています。
また本抄において、白烏から受けた恩を黒烏に報ずべきことが述べられていますが、これは、天台大師の弟子である章安大師が著した観心論疏〔かんじんろんしょ〕に説かれている話で「白烏〔はくう〕の恩をば黒烏〔こくう〕に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。」とあるように、白烏〔はくう〕とは、聖僧のことであり、黒烏〔こくう〕とは、凡僧のことであり、これは、聖僧である釈尊の法華経によって成仏を得た諸菩薩、人天、八部などが、その恩を凡僧である末法の法華経の行者に報ずることを譬えたものです。
それ故に大聖人は、たとえ「不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。〔御書630頁)」と御教示され、末法の法華経の行者が、不実であり、智慧が愚かであり、身は、不浄であり、徳は備えなくても、南無妙法蓮華経と唱えるならば、必ず守護があると断言されているのです。
日寛上人の観心本尊抄文段に「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用〔みようゆう〕有り。故に暫〔しばら〕くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶〔かな〕わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり」と述べられているように、弘安二年の戒壇の大御本尊様を信じて、南無妙法蓮華経と唱えれば、祈りとして叶わないことはないのです。